Archive for 9月, 2010

NHKテレビ英語会話 その7 映像を作るー技術と提示方法の模索

 旅行中撮影してきたビデオを家族がテレビに映して見ています。画面には大きく俊介くんの顔。カメラがちょっと引くと、となりに真士(まさと)ちゃんの顔が出て、「ツーショット」(2 ショット)になります。更に下がると、この二人が窓から外を眺めていることがわかります。カメラがもっと引きます。あ、これは新幹線の窓です。さらにカメラが走る新幹線を追います。列車は橋を渡り、新緑の森に隠れます。家庭で簡単に動く映像が記録できるようになり、こんな操作もごく普通に出来ます。ちなみに、俊介くんの顔の大写しから、カメラが後ろに引いてより広い範囲を撮影する操作は、「ズーム・アウト」(zoom out)または「ズーム・バック」(zoom back)と言います。また動く映像を追いかけてカメラが動く操作は「パン」(pan)と呼ばれます。ただし、「ズーム」が出来るためには、カメラに「ズーム・レンズ」がついていなければなりません。私がテレビ番組を担当し始めた頃には、このズーム・レンズがありませんでした。添付の絵の右下にあるように、カメラにはレンズが3本ついており、カメラマンはこれを回転させて選択し、巧みに使い分けていました。ということは、映像カメラが撮影している最中にレンズを回すことはできませんから、別のカメラが違う大きさの映像を撮影し、技術デイレクターがスイッチを押して映像を切り替えるという仕組みです。つまり、技術的に「出来る・出来ない」は、映像作りに密接な影響を及ぼすことになるのです。私の勉強は、こんなところから始まりました。

 4月に番組を開始して3ヶ月目、教材にあるラフカディオ・ハーンの「むじな」(Lafcadio Hearn: Mujina)の収録をすることになりました。はて、どんな映像を作ったらよいか、デイレクターとの協議です。もちろん一番簡単なのは、テキストの文を画面に提示して説明するという方法です。これは避けたい。次は、ストーリーを「絵」にする方法。「動きが欲しい」と私は思いました。絵には「動き」がありません。「アニメーションていう手もあるんですけどねェ」とデイレクター。「でも、制作に時間がかかるし、そんなに制作費も出せません」。結局、二つの選択肢ーー影絵とギニョール(人形劇)ーの中から、影絵を選ぶことで決着しました。私は人形劇にこだわり、「一度人形を作ってくれれば、それを前提にしてストーリーやドラマを書く」と提案しましたが、調べてみると、人形制作にも「時間とお金」という問題があることが分かり、影絵で妥協することになりました。「むじな」は幽霊話です。紀伊国坂でむじなが通行人を驚かすという民話。屋台の蕎麦売りが顔をつるりとなでると、突然顔が「ノッペラボウ」になるーーここでストーリーは終わりなのですが、私は「ジャーン」という半鐘の音をかぶせるように音楽担当者にお願いしました。話の途中で「ヒュー・ドロドロ」という幽霊話特有の音響効果ではなく、最後に突然聞こえる半鐘が予想以上の効果を発揮して大満足。でも、放送が終わってから多数の投書。「英語番組で怖い話なんかやるな!」苦心したのに、私はケションとなりました。

[訂正] 1.上の絵にある turret tyep は、turret type の誤りです。 2.右のテキスト、一行目の Jnne 12 は、June 12 の間違いです。40年以上前に出版されたテキストにミス  プリントが見つかったのには、ただ驚きました。

NHKテレビ英語会話 その6 「時間」と向き合う

 番組制作が始まると、いろいろな付随的苦労があると分かってきました。第一番に「健康維持」。いままでは「風邪気味なので」と勤務を休むこともできましたが、放送に穴をあけることは許されません。40度の高熱の時にも、録画は続行。収録済みの番組を見ると、化粧で顔色は分からないものの、両目が潤んで明らかな涙目になっていました。

 番組はビデオ収録されます。収録は完全にコンピュータ管理され、30分の番組録画には45分が割り当てられます。つまり、与えられた45分間に収録を終えなければならないのです。録画に先立って、担当者も出演者も共通の台本に基づいて、項目ごとのリハーサル(「ブロッキング」blockingといいます)を行い、これが終わると全体を通しての確認作業(「ランスルー」run-throughといいます)です。そして本番(taping)になります。用意ドンで始まりますが、問題は途中で出演者が犯すミスであり、予測できない事故です。ミスを取り繕うのは私の役目。(今でもテレビを見ていると、アナウンサーが「お詫びして訂正致します」とやっています。)あるときはスタジオ内のライトが突然爆発しました。録画は中断。しかし収録に与えられている時間は45分。開始後14分以内で一時ストップしてもまだ31分ありますから、継続して収録を再開できますが、20分経ったところで中断すると、割り当て時間からはみ出してしまいます。担当者は再度コンピュータに「収録時間の割り当て」を掛け合う結果となります。その日の内に時間がもらえるかどうか分からず、困った状態が起きるのです。

 「テレビの仕事は秒単位」と言われます。たとえば、Teach Me Englishの場合も、その後の「テレビ英会話」の時にも、番組の最後に45秒の「終了テーマ音楽」が入ります。ということは、番組開始後29分15秒が私の持ち時間ということになり、この時点で「ではさようなら」と言わなければなりません。終了テーマ音楽には、番組に関するクレジットやお知らせがテロップで画面に重なって表示されますから、終了挨拶のタイミングは極めて大切です。また、番組にはさまざまな映像を挿入することがありました。この頃は、キネコ(kinescope)と呼ばれる16ミリ・フイルムをよく使いました。副調整室にいる技術デイレクター(technical director)が、キネコを動かすボタンを押すと、スタジオにいる私に合図が来ます。キネコの映像が順調に立ち上がって安定するまでに23秒かかります。つまり、私は合図を受けてから23秒間挿入される映像の説明をし、23秒たったところで、「それではこれをご覧ください」と言うのです。すると、画面がスタジオからキネコにすーっと変わります。研ぎ澄まされた人間の感覚とは恐ろしいもので、カメラを見ながら正確に23秒間話をするなどという不可能と思われることが、練習をすると出来るようになりました。

 スタジオ内でのさまざまな努力に合わせて、私本来の仕事と考えていた「提示技術」への工夫も積み重ね始めました。

NHKテレビ英語会話 その5 テキストと番組構成 

 「こんどは私の方から、条件・・・というよりはお願いがあります」と小林デイレクターが切り出しました。「放送に準拠しているテキストが日本放送出版協会から発行されています。放送開始の約1ヶ月前に書店に並びます」「あ、そうですか」「で、そこから逆算すると、来年4月開始の番組の場合、原稿は遅くとも1月中旬には出版の編集部に渡すことになります。ただし、放送はテキスト内容と合致しなければなりませんので、原稿完成の前に、私どもと相談させていただきます。相談の結果手直しが必要になることもあり得ますので、余裕を見ると、11月末には先生に原稿を仕上げていただかなければなりません。4月から6月までの3ヶ月分です」思わず、フーッとため息。私が最初に引き受けた番組は”Teach Me English”という(英語会話番組ではなく)英語番組で、テキストは年4回発行、つまり一冊に3ヶ月分が掲載されていました。つまり私は、11月末までに26本の番組を考えて、それを原稿に仕上げることになります。もういちど、フーッとため息が出ました。おまけにもういちど「フーーッ!」

 30分の番組でどの位の分量がこなせるか、経験のない私にとって、これが第一の課題です。3本の英語番組の中で、Teach Me Englishがもっとも初等ということでしたが、一体「初等」とは語学力的に見てどの程度なのかという「レベル設定」もありますし、スタートから年度末までの難易度をどう決めるかというのも課題です。さらに、番組制作はスタジオで行われるのですから、その制約を無視した内容を考えることはできません。当時のテレビ語学番組は、学校の教室をそのままスタジオに移動したような形が大部分でしたので、「黒板の前で解説」というスタイルをどこまで抜け出せるか。これも大きな課題です。そしてさらには、30分の流れーーつまり番組構成(フォーマット)ーーをどのように作り上げるか。しかも語学教育的に見て、理論的な説明が出来なければ、私は自分でこの役目を引き受けた意義を失います。結局、ミシガン大学語学研究所で学んだ「語学学習における提示の5つのステップ」(Firve Steps of Presentation)を参考にして、自分なりの構成を考えることにしました。30分番組が3分の2位(開始から20分)たったころに、その日に学習していることがらと無関係な何かーーたとえば英語の歌とかゲストとの自由会話などーーを取り入れる構成にしたのは、まさにミシガン流でした。学習が3分の2進んだ段階で、学習者の注意を一旦そらし、そのあとでもういちど学習のポイントに引き戻す・・・こうすることによって学習が強化されるという原則を応用したのでした。のちの様々な語学番組でも、番組の途中に『何かを挿入』する技法が取り入れられたようですが、「3分の2の位置」という基本的な理論を知らない講師が、番組のあちらこちらに何度も挿入したり、挿入の場所が不適当だったりするのを見ると、学習効果の点から見て残念であると思わないわけにはいきません。

 テレビには、学校の教室では出来ない「技術的可能性」があります。私は放送現場に慣れるにつれて、応用可能な技術についても考え始めました。

NHKテレビ英語会話 その4 アシスタント

 テレビ出演の依頼があったとき、小林デイレクターは「講師は日本人、アシスタントにはアメリカ人」と言いました。ということは、アシスタント選びという仕事が先行する意味です。「私が男ですから、アシスタントは女性がいいですな」「そうでしょうね」と小林氏が相槌。「どうせなら若くて美人がいいと思いますが、どうでしょうか」「賛成です」どうやら、小林氏は私を陥落させることを第一義に考えているようでした。「で、どうやって若くて美人のアメリカ人女性を探しますかね」と私。「それは大丈夫です。NHKは、あらゆるチャンネルを使って探します」なるほど、そうだろうな。「でも、若くて美人のアメリカ人女性なら、誰でもいいという訳にはいきませんよ。語学番組なのですから、綺麗な英語を話してもらわないと困ります」と、私はさらに難しい条件をつけます。1.採用を決める際には、かならず面接とカメラテストを行うこと。2.原則として、アシスタントは3ヶ月ごとに交代させること。すると小林氏が反応しました。「センセイ、なんでそんなに短いスパンでアシスタントを替えるんですか」「アメリカ人と一口に言っても、出身地域や社会的な背景によって、話される英語はいろいろです。アシスタントを固定すると、視聴者はその人の英語に慣れて、その人の英語にしか反応しなくなります。視聴者は、さまざまな英語に触れる権利があります」「まあ、それはそうですけどね」「それに、長く日本に住んでいるアメリカ人は失格です。英語が日本人に分かり易い英語に変わってしまっています」アシスタント選びが大仕事になりそうだという不安を、小林氏は感じ始めたようです。不安を打ち消すために私が続けます。「大丈夫ですよ、ま、やってみましょう。東京には、アメリカ人がうなるほどいるんですから」「そうですね、やってみますか」「ところで、小林さん」と私は続けます。「美人といいましたが、あまり美人はいけません」「は?どうしてでしょう」「あまり綺麗な人が画面に登場すると、視聴者は彼女に見とれて、英語を覚えないからです」「フーム、結構難しいですね。センセイは条件付けの名人みたいですね」この話はここで終わりました。でも、後に「フランス語講座」のアシスタントにフランソワーズ・モレシャンさんが登場したとき、私が指摘したような現象が起きたそうです。視聴者がモレシャンさんに釘付けになったというのです。

 アシスタント選びは、私が言うほど簡単ではありませんでした。面接とカメラテストでつぎつぎに私がダメを出すので、デイレクター諸君が悲鳴をあげ始めました。「センセイも一緒に探してください」「よっしゃ」と話がまとまり、都内ファッションモデルのエージェントを片っ端から訪ねたり、横田基地やグラント・ハイツ、はては米国大使館のハウジングまで回り始めました。「美人だけど、話し方にクセがあるなァ」とか「発音はいいけど、教養不足。これでは、フリー・カンバセイションの時に馬脚を現してしまうな」とか、私のお眼鏡にかなうアシスタントを見つける作業は難航を極めました。

 「3ヶ月経ったらグッドバイ」という方針も、難しさに拍車をかけました。”Did I do anything inappropriate?”(私は何かまずいことをしたんでしょうか)とアシスタントが聞きます。”No. This is my policy.  The viewers have the right to be exposed to as many different kind of pronunciation as possible.”(そんなことはありません。これは私が決めた『方針』です。視聴者はいろいろな発音に慣れる権利があると考えているのです)「でも、・・・」と涙を浮かべるアシスタントも少なくありませんでした。困るんですよ、女性の涙。結局、「3ヶ月経ったら交代」という大方針は、あまり長続きしませんでした。「交代探し」にも疲れてきたのでした。それと、「タザキさんは、非情な『メンクイ』という噂も聞こえてきて、この外的圧力に屈したということもあります。

NHKテレビ英語会話 その3 試練

 「はい、これが今週の分です」とデイレクターが私の前に葉書や封書の束を置きます。少ないときで30通、多いときには60通も70通もあります。つまり、番組視聴者からの投書です。これを一週間の間にこなさなければ、次の週には2倍の山になります。私が「物事には即座に対応」という習慣を身につけたのは、まさにNHKの番組講師になったときでした。「田崎先生にファックスを送ると、まだ送っている最中なのに、隣のファックス・マシーンから返事のファックスが出てくる」と真顔で冗談を言う人がいたほど「即時処理」に徹しまた。投書される方の中には、まさか返事などこないだろうと思っていたのに返事が来た、これは愉快とばかり、また書いてくる人もいます。投書は増える宿命にありました。返事を書かないという選択も当然ある筈ですが、私はそう思いませんでした。所詮一方通行に過ぎないテレビ番組では、受け手の反応を知るほとんど唯一の方法が投書であり、しかも手紙を書いている人には、それぞれの思いがある筈なのであるから、返事を書くのは当然と考えたのでした。 

 中学生からのこんな手紙もありました。「先日、中間試験がありました。文の最後をあげて発音するか、それとも下げるか、矢印をつけるという問題がありました。Where do you live?という文が出ました。学校では『疑問詞で始まる疑問文の最後は下げて発音する』と教わっていたのですが、センセイの会話番組ではほとんど『最後を上げて発音』しているので、ためしに『上げる矢印』をつけたら、×(バツ)になって5点引かれました。教員室に抗議に行って、『テレビではみんな上げて発音してます』と言ったら、先生は『そりゃ間違ってる。何のテレビか知らんけど、見るのはよせ』と言いました。学校の先生は、ぼくの言うことを聞きません。センセイからぼくの先生に『それは上げて発音してもよろしい』という手紙を出してください。そうすれば、ぼくは5点が取り返せます」

 お年を召した方からのこんなお手紙も混じっていました。「私は孫にあなたの番組を見るように薦めています。英語だけではなくて、あなたの日本語はきわめて明瞭で正確だからです」 フムフム、そんなに褒められちゃ、ちょっとくすぐったいな。でもその後がいけません。「ところが、この間あなたは『しゃべる』と言いましたね。正しい日本語は『話す』です。今後は十分気をつけてください」 はあ、スミマセン。気をつけます。たしかに仰せの通りで、私は二度と「しゃべる」という表現を使うことがありませんでした。英語教師がなるべく正確な英語を使うように心がけるのは当然ですが、「ことば」の教師である以上、日本語はどうでもいいという姿勢であってはなりません。私は「それじゃ」の代わりに「それでは」と言い、「そればっかりは」と言わずに「そればかりは」と言うように、自分を訓練しました。番組がスタートする前に、アナウンサーが訓練中に使用するテキスト「NHKアナウンス読本」を手に入れ、すこしでも正しい日本語を話すことを自分の課題としました。

 小林デイレクターから出演依頼があったとき、もしこれを引き受けたら「どんなことになるんだろう」という漠然とした恐れを感じましたが、毎週たくさんの手紙に返事を出すことなどは今までになかったことでしたし、それ以外にも、考え、準備しなければならないことが山のようにあることが分かってきました。