Archive for 10月, 2010

NHKテレビ英語会話 その9 自作自演

 

人間は、聴き取れないことは話せません。話せるようになるには、多くを聞く必要があります。ただ、テレビで英語を身につけようとしている人、とくに「まず少しでも会話ができるようになりたい」と考えている人は、聞いたり読んだりする「受け身の勉強」に膨大な時間とエネルギーを費やす余裕がないのが普通です。覚えたらすぐ使ってみたい・・・これが視聴者の大多数の欲求です。外国で制作された番組(その多くは予算をふんだんに使い、外国への売り込みを想定して作られます)を、日本の放送局が安易に多用することには、大きな問題があります。そもそも教育には「目的」があり、その目的を果たすために「目標」が設定されます。日本人が英語会話を学ぶという場合、外国で作られた番組が日本人の学習目的と目標に合致するとは考えられません。私は大学で教壇に立っていたとき、一回も「既成の教科書」を使ったことがありませんでした。なぜなら、私の目の前にいる学生たちの「目的と目標」に完全に合致する教科書などあり得ないと考えたからです。出版される教科書は、あくまで最大公約数に基づいて編集されており、個人の要請にぴったり合うことは希れであると思うのです。そして、私の英語会話番組でも、私は同じことを考えました。「流用はやめる」→「教材は自作する」という方針です。

 

もうひとつのポイントがあります。番組制作者にとって一番ラクなのは、外国人同志が会話をしている場面をモデルとして画面に示し、そこから「役に立ちそうな表現」を取り出して練習材料とすることです。でも私はそう考えませんでした。英語会話ができるようになりたいとの思いで番組を見ている視聴者は、あくまで「日本人としての自分」と「相手の外国人」とのやりとりをどう進めるかを学ぼうしているに違いありません。そこで私は、番組の中で「自分を視聴者の代表」という位置づけとし、自分自身をモデル化しようと試みたのでした。電話交換手、床屋さん、列車の車掌、警察官、本屋さん、タクシーの運転手など、さまざまな「人間」に会話場面を与え、自分でその役をモデルとして示しました。ただし、これは考えていたほどラクではありませんでした。床屋さんの場面ではカミソリを研ぐシーンがありましたが、「センセイ、あのやり方ではカミソリは研げませんよ」とホンモノの理容師さんからご注意を受けたり、「夜泣き蕎麦」の会話では、あの「ピーヒョロ」という笛の音が何度やっても出てこない有様。やむなく音声担当者に「音だし」をお願いし、本番では笛を吹いているマネをしてごまかしました。

NHKテレビ英語会話 その8 映像を作るー技術と提示方法の模索(つづき)

 テレビには画面があります。画面があるからには、常に何かを写していなければなりません。語学番組では、映像が邪魔になることもあります。発音の練習です。注意力を耳に集中して日本語にない英語の音を聞き取ろうとしているとき、画面は妨害因子(interference factor)となります。「テレビの画面を消すことは出来ませんかね」と技術デイレクターに聞いたことがあります。「ダメですね」彼の返事は簡単でした。「画面を消すと真っ黒になると、先生は考えておられるのでしょう。でも、そうじゃない。灰色になるんです」「ほう。そうなんですか」「しかも、テレビ放送でそんなことをやったら、あっというまに『うちのテレビが故障した!さもなくば、NHKが技術ミス(technical failure)を犯したに違いない!』と、電話が殺到します」フーム。それでは、発音練習の場面では何を写したらいいのだろう。課題になりました。

 アメリカ人のアシスタントが、カメラに向かって”Hi!”(こんにちわ)と言います。テレビの前で練習をしている視聴者は、画面のアシスタントにむかって”Hi!”と答えます。画面外にいる私が、その都度「答えてください」というキュー(合図)を出すかわりに、画面上で「あなたの番ですよ」という表示が出来ないものだろうかと考えたこともあります。段ボールで半身像を出してみました。任天堂のWiiFitでジョギングをするときには、自分の映像が薄く画面に現れ、自分がどんな調子で走っているかが分かる仕組みになっています。でも、テレビの初期には、そんな高等技術は使えませんでした。私の「段ボール案」は、制作者側にも視聴者側にも不評で、あえなく沈没しました。

 「テレビ英語会話初級」は、幅広い視聴者に利用されていました。就学前の小さなこどもから畑仕事から帰ってくるおじいさんを待って料理をしているおばあさんまでいました。当然、画面に出る英語が読めない人だっていました。教師は視聴者がすべて英語が読めるという前提で、平気で画面に英語を提示して説明したり練習していただいたりします。「英語は読めないけど、簡単な英語会話くらい出来るようになりたい」という視聴者に対応するためには、画面から英語を追放しなければなりません。アシスタントが”Hi!”と言うと、次の瞬間彼女の胸のあたりに Hi! という文字がテロップでスーパー(superimpose)される・・・このスーパーをなくそうと考えたのです。画面から文字がなくなっては困るというお叱りはほとんどなく、お年寄りのみなさんからは大いに感謝されました。「私は戦時中に育ったので、英語をきちんと学ぶ機会がなかったのです。文字が読めなくても、易しい英語は話せるようになれそうだというのは、大きな励ましです」手紙には共通してよくこんなことが書いてありました。

 学校における英語の授業では、よく先生が「フラッシュカード」(flashcard)という横に細長いカードを使います。このカードに、綴りを覚えさせたい単語を書いて、生徒たちに「見たカードを即座に言わせる」という教授技術です。「フラッシュ」というのは、「チラッと見せる」ことを前提としており、長い時間カードを示しては意味がありません。人間の目は、チラッとしか見えないものを懸命に読み取ろうとするとき、対象が強く記憶の映像として焼き付けられるという働きをします。これを「意識の集約化」と呼びます。テレビでも、フラッシュカードは便利な手段として活用しました。問題は、カードの色と書かれている文字の色です。人が瞬時に認識する「色の認知速度」としてもっとも早いのは「赤」で、1000分の6秒で認識します。次が「黄色」で、これは1000分の32秒と言われています。赤信号や消防車に赤が使われるのは、赤がもっとも早く認識されるからです。小学生が登校の際に着るレインコートやランドセルのカバーが黄色なのにも、理由があるのです。テレビで使うカードに赤や黄色を使うわけにはいかず、私はさんざん実験を繰り返しました。白い紙に黒い文字がもっともはっきりしていることは分かりましたが、逆に「強いコントラスト」が意識を集中させる目を疲れさせることも判明しました。最後に得た答は、緑色の背景に黒い文字ーーーこれがもっとも目を疲れさせず、認知速度も適切で、効果があるというものでした。さて、最近の語学番組では、この原理をうまく利用しているでしょうか。ちょっとばかり気になります。