「センセイ、NHKからお電話です」。教育大付属中学事務室から、英語科教官室に電話がかかってきました。「私はNHK教育局の小林と申します。ちょっとご相談があるのですが、お目にかかれるでしょうか」。日時を約束してその小林さんという人に会うことにしました。1960年夏休みに入る直前でした。

 「先生は、テレビの英語番組に興味がおありですか」というのが、小林さんの第一声でした。「興味はありますが、どういうことでしょうか」「つまり、番組の担当講師になるということなのですが」。まさに晴天の霹靂。小林さんは、最初から順序立てて説明を始めました。NHKがテレビ放送を開始したのは1953年のことだが、教育のチャンネルが出来たのは2年前の1959年であること。教育テレビでは、開局以来英語番組3本を放送していること。そして、その3本とも「外国人講師+日本人助手」という組み合わせで、小林さんはその内の1本を「日本人講師+外国人助手」にしてはどうかと考え、部局会議に提案。「それが出来る講師が見つかれば、試してみてもいい」との結論となったこと。「で、私がその講師ってわけですか」「そうです」「またなんで私なんですか」。小林さんは、私にたどり着いた「経緯」を話しました。NHKには戦前からラジオによる英語番組があるが、ラジオとちがってテレビには「映像」が伴っており、テレビというメデイアを用いる語学番組のノウハウがNHKにはないこと。(たしかに当時のテレビ英語番組では、講師が黒板の前に立って説明する「教室における授業のテレビ版」のようでした。)で、メデイアと語学教育について理論を持っているという条件を満たす人が必要であること。ミシガン大学留学中に、私は専門の英語教育と合わせて視聴覚教育の勉強をし、帰国後大修館から「英語科視聴覚教育」(1960)という本を出していましたので、小林さんはそれを読んだようでした。2番目の条件は、文部省の指導要領に基づいて行われる学校教育とちがって、テレビ英語番組には準拠すべきガイドラインもないので、講師は自分で教材編成ができる能力が必要であること。そして3番目には、日本人講師が主役となり、助手のアメリカ人を自由に使いこなすことが出来る英語運用力が求められること。ここまで一気に説明してきた小林さんは、ちょっとニヤリと笑って、「4番目、これがケッコウ大事なんですけどね」「はあ」「若くてテレビ写りがよくないとダメなんですよ」。小林さんは、在日合衆国教育委員会を始め、いくつかの大学の同窓会や、もちろん彼自身が卒業した東京教育大英文科教室などを回って情報を集めたのだと話しました。「で、結局ワタシってことになったんですか」「はい、そうです。私は部局会議で『日本人講師を必ず見つけます』と見栄をきったので、いまさら引き下がれないんです。先生、お願いします」「フーム。ちょっと考えさせてください。私は現場教師ですから、当然所属長(校長)に兼務申請書を出して許可を得なければなりませんし、それに、そんな仕事を引き受けたら、この先どんなことになるか想像もつきませんから」「分かりました。では、一週間たったら、またおうかがいします」

 小林さんは、自信ありげな表情で帰っていきました。私は不安な面持ちで家路につきました。