私が東京教育大学附属中学校に勤務していた頃の教え子から便りが届きました。若い頃の私の様子が鮮明に描写されていますので、ご本人の了解を得て転載します。

  ——執筆者——

    平塚 尚(ひらつか・たかし)東大工学部卒。三菱電機(株)勤務。
1977年9月から1年半米国ハーバード大学大学院に留学(計算機科学修士)。
1989年8月から三菱電機の米国現地法人に勤務。
主にIT関連の研究開発会社の経営に従事。定年退職後は自営コンサルタント。米国在住。

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田崎清忠先生

昔、東京教育大学附属中学校の男子学級の一生徒として教えて頂いた 平塚 尚 です。
このたびの 端宝中綬賞のご叙勲 おめでとうございます。中学校で教えて頂いた生徒の一人として、誇らしい気持ちでおります。

1. はじめに
私は目立たない生徒でしたから、先生が私を覚えていて下さらなかったとしても不思議はありません。私の方では、しかし、先生の英語の授業の強い印象が記憶に残っています。
そもそも、附属が如何に恵まれた環境であったか、自分が附属で如何によい教育を受けたか、ということを私が感じたのは、大学に進んでからでした。優秀でよい友人たちに囲まれて、勉強に運動にと明け暮れたことは、私の人生でも最も恵まれていた時代であったと言えます。今から思えばずいぶん漫然と過ごして勿体ない事をしたような気がします。
附属は、どうやら文部省の指導要領からはかなり自由であったらしく、多くは若くて、非常に優秀な先生方が、自由に、しかも情熱を持って教えて下さったことは、非常に貴重な経験でした。英語も勿論その例外ではありませんでした。ここに、田崎先生の英語の授業の想い出の幾つかを記して、お祝いの言葉に代えたいと思います。

2. 田崎先生の英語教育
私は、1989年8月以来、米国に住んでおり、仕事も日常生活も英語で営んできました。その体験から、田崎先生及び附属中学の英語教育がいかに優れたものであったか、ということを私なりに実感してきました。

私の全くの独断と偏見で、田崎先生の英語教育の特長を三つだけあげて、それぞれについて、少し詳しく書いて(elaborateして)みたいと思います。
(1) 読んで訳す授業ではなかった。
英語の日本語への置き換えの教育ではなく、英語を英語として教えて下さった。
(2) 視聴覚教育を駆使した授業であった。
当時としては珍しく、幻灯機、録音機、映画等を駆使して教えて下さった。
(3) 広義の発音を丁寧に教える授業であった。
高校、大学を通じ、中学校ほど丁寧に正確な発音を教えて頂いたことはありません。

1) 英語の英語としての理解
日本における外国語の理解は、外国語を日本語に、日本語を外国語に置き換えることと同義であるように見えます。従って、日本で外国語を学んでも、その外国語でものを考えることはしないし、その外国語を話したり聞いたりすることはできるようにはなりません。
(このような外国語教育並びに外国文化理解を行う日本のいきかたを「翻訳文化」と呼んでいる人もいます。)
田崎先生の英語教育は、私の覚えている限りでは、「読んで訳す」授業は中学三年の二学期だけだったと思います。夏休みが終わり、二学期の最初の授業で、田崎先生が次のように仰有ったように記憶しています。「これから二学期の終わりまで、英語を読んで日本語に訳す、ということを教える。これをやっておかないと、君たちが高校の入学試験で面食らうといけないからである。」
2) 視聴覚教育の先駆
上記のように、日本における外国語の理解は、書かれた外国語を読んで、日本語に書き直すことであるように見えます。実際には、しかし、言葉は聞いて話すことが先にあったので、外国語で意思疎通を図るには、聞いて話すことが必須だと思います。
田崎先生の授業では、教科書を読むだけでなく、毎回幻燈や録音や映画を使って教えて下さいました。すべて英語は米国人の原語でした。また、年に何回か、引率されて一流の映画館に映画を鑑賞しにつれていって頂いたこともありました。
3) 音の重視
人の話を聴いて理解し、自分の考えを人に伝えるためには、音を聞き取り、発音することが必須だと思います。田崎先生の授業では、次のように、広義の発音を正確に、丁寧に、繰り返し教えて下さいました。
① まず、一年生の最初の授業は、発音記号の学習から始まり、続いてアルファベットの読み方を習いました。それ以降、三年生の終わりに至るまで、授業のたびごとに、thは舌をかむように、lとrでは舌の位置が違う、唇を閉じるか閉じないか、音は有りか無しか、等々、繰り返し注意して下さり、直して下さいました。
② また、田崎先生の発音のクラスでは、恐らくはミシガン大学の指導法に基づく練習(exercise)で、英語の発音の基礎を築いて頂きました。例えば、rhythm, intonation, reduced forms, juncture and pause, etc.を教えて頂いたと記憶しています。これらは、他の学校では簡単には教えることができない内容だったのではないでしょうか。
③ さらに、英語の歌も教えて頂きました。上記のような広義の発音を正しく覚えたからこそ、旋律に合わせて歌詞を歌うことができました。中にはミシガン大学の応援歌もありましたが、これは田崎先生が、フルブライトプログラムでミシガン大学に行き、英語の指導法を学ばれたからではなかったかと推察(presume)しています。

3. 英語放送の想い出
私は、中学、高校を通じて、家で英語放送を聴きました。当時、中波の810KHz辺りに米国の駐留軍向けの局があり、Far East Network(FEN )と呼んでいたと思います。確か当時唯一つのこの英語放送をちょくちょく聴いて、初めは何も分からなかったのが、ちょっとでもわかるようになると、たいそう嬉しく感じたものです。
① Top 20
最もよくきいたのは流行りの歌や曲を流す番組で、金曜か土曜の夜八時ごろの放送でした。この番組で放送された曲が、一定期間の遅延を経て日本でも流行りました。巷で流行ると、「自分はとっくに知っている」といって自慢している生徒もいました。
② Lyrics
当時エルヴィス・プレスリが爆発的に流行りましたが、歌詞は余りわかりませんでした。所が、田崎先生の授業で降誕祭の歌を歌った後で聞いたら、彼の歌う”Here comes Santa Clause”の歌詞を完全に聴き取ることができました。どれだけ嬉しかったことか!
③ News
プレスリを聴きとった頃からは、少し真面目にFENを聴くようになりました。すると、ニュウズが断片的に分かるようになりました。嬉しくなってまた熱心に聞く、という正の循環に入ったように思います。
④ Drama
 劇は殆ど分かりませんでした。当時私は、主に英米で書かれた推理小説、冒険小説の類を日本語訳で乱読していました。そして、Mystery Theaterという番組で、既に読んだことのある米国の探偵小説の放送を聴いてみたのですが、全く歯がたちませんでした。

4. おわりに
私の英語の原点は、何といっても、田崎先生に教えて頂いた附属中学校の英語にあります。田崎先生のご指導の基礎の上に、今まで米国で何とか仕事をし、生活してくることができました。ここに、深く感謝申し上げます。
教えて頂いたときから半世紀以上も経って感謝を申し上げるのは、遅きに失したという後悔しきりです。一方、しかし、残り少なくなった人生のこの時期になって、先生に感謝の言葉を申し上げる機会を得ることができたのは幸運だった、とも勝手に思っています。
最後になってしまいましたが、先生のウエブを拝見して、昨年、先生が傘寿を迎えられたことを知りました。重ねてお祝い申し上げます。これからも、健康第一に、いつまでも気持ちを若く保ち、楽しくお過ごしになられますよう、祈念しております。

最後まで読んで下さってありがとうございました。

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