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蟷螂の斧 ④ <兵隊検査の思い出>

Posted By 松山 薫 On 2015年4月11日 @ 10:32 AM In 未分類 | No Comments

蟷螂の斧 ④ < 兵隊検査の思い出 >

 戦前の修身教科書の6年生の巻に、「国民の義務」という項目があり、第一は兵役、第二は納税、第三は議員の選挙となっていて、最も大切な義務である兵役については次のように述べている。

 「我が国民中、満17歳から満40歳(戦争末期は17歳から45歳)までの男子は、皆兵役に服する義務があります。満20歳(戦争末期は19歳)になると必ず徴兵検査を受け、体格の完全で強健なるものの中から、現役兵となって陸軍、海軍に入ります。もし国に一大事が起こった時は、現役にある者はもちろん、其の他の兵役に服する義務にある者も、召集に応じて出征します。かうして、兵役に服し国の防衛に当たるのは、我等国民の最も大切な義務であると共に、又大きな名誉であります。」

 敗戦の時、私は満16歳であったから、徴兵検査を受けたことはない。ただ、志願すれば14才から兵隊になれたので、どうせ戦争に行くなら将校にたりたいと思い、視力不足から主計将校を養成する陸軍経理学校を受けることにした。徴兵検査ではないが、兵隊になるための検査だからこれも一種の兵隊検査だろう。第一次試験である身体検査の会場は、我が中学に近い麻布の南山小学校であった。

 身体検査の重点項目は3つだったらしい。検査場では全員越中ふんどし一丁の姿だ。最初はいわゆるM検(マラ検査?)である。全裸になって軍医の前に足を広げて立つ。手の甲に口を当てて息を強く吹くと軍医が陰嚢を片手でギュッと握る。これは徴兵検査では性病のチェックだったようだが、16才で性病はないだろうから、脱腸の検査だった。たしかに、鉄砲かついで行軍中脱腸になったのでは、兵隊として使い物にならない。

 次は、痔の検査である。軍医に背中を向け、四つん這いになり、尻をたかくあげる。軍医が両方の尻をぐっと割り、肛門をのぞく。この検査の前に、ふんどし一丁で寒風吹きすさぶ校庭に1時間も立たされているので、痔のけのある者はみんな脱肛している。軍医が検査をしやすくするためらしい。

 痔も行軍の大敵だ。中学の数学の先生は痔もちだった。授業中に痛くなると教室の柱に尻を押しつけて我慢していた。戦争末期の根こそぎ動員では、30代半ばか40近いこの先生にも召集令状が来た。それから数か月後、先生は中国戦線で戦病死した。中学の軍事教練で行軍の訓練中、「落伍したら八路軍の便衣隊に殺されるぞ」と叱咤した教官の教えが現実になったのだと思った。先生は母の知り合いだったので報告すると「あの三郎さんが」と言って涙を流した。

 最後は視力検査だ。わざと薄暗くした教室の壁に越中ふんどしが垂れ下げてある。これを持ち上げると視力検査表が現れる。合格基準は裸眼視力0.3以上だったと思う。夜中に月を眺めたりしてなんとか基準をクリアできるだろうと思っていたのだが、部屋が薄暗かったため、0.1がやっとというわけで不合格となった。確かに、視力が弱いと日本軍が得意とした夜襲などでは後れを取るだろうし、メガネをかけていたら雨中や泥濘の中での戦闘、渡河作戦などには足手まといだから、教室を暗くしていたのは納得できた。同級生の一人が合格して軍服姿でやってきた時には、やれやれコイツに殴られることになるのかと落ち込んだが、そのうち戦争が終わってしまった。

 どうしてこんな野蛮な検査をしたのか。それは、絶対服従という軍隊生活の最初の通過儀礼であったからではないかと思う。そしてこれは、野間宏の「真空地帯」や五味川純平の「人間の条件」に描かれたような常軌を逸した暴力が支配する初年兵の内務班生活に引き継がれていった。たしかに、いちいち命令に疑問を呈したり、反論していたら戦争にならないから、命令には絶対服従が必要なのだろう。軍人勅諭には「上官の命令は朕の命令と心得よ」とあるから、抗命は大罪となった。自衛隊法でも命令服従の義務をさだめている。軍隊とは典型的な縦社会であり、横のつながりによって成り立つ民主主義社会とは相いれない存在であると私は思う。だから、この国に軍隊がないことを、私はずっと誇りに思ってきた。

 ところで、人口減少が進む日本で、ひとつのエポックとなる2018年問題というのがある。2018年頃から18歳人口が減り始め、大学や予備校などの存立が脅かされるというものだが、18歳から志願できる自衛隊についても同じではないかと思う。ゲームやPC,スマホなどの影響で、高校生の6割が近視だというから、隊員の確保は大学や予備校以上に難しくなり、22万人体制の維持は困難になるのではないか。

 そうなるとやがて、徴兵制度が検討の対象になってくる可能性がないとは言えない。徴兵制度は憲法18条の苦役からの自由によって禁止されていると安倍首相は言うが、その憲法を改正しやすることに情熱を燃やしている人物の言うことだから注意を要する。自民党の改憲草案にも、現行憲法と同じ18条の条文があるが、兵役が奴隷的拘束なのか、自己の意思に反した苦役なのかは、解釈次第でどうにでもなるのではないか。冒頭に掲げた修身教科書のような視点に立てば、兵役は奴隷的拘束でも、意に反した苦役でもなく、誇るべき義務となり、兵隊検査に合格して初めて一人前の男として認められることとなる。

 最近、文芸春秋誌に、「日本に平和のための徴兵制を」という提言が載った。筆者は女性の国際政治研究者である。「日本を戦争が出来る国にしたくないのであれば、本質的には戦争の血のコストを平等に負担する徴兵制を導入して、国民の平和主義を強化するしかない。・・・老壮青を問わず、富めるものも貧しい者も、また男女の別なく徴兵制を施行してコスト認識を変えさせることが、平和のための徴兵制である。徴兵制は兵舎での国民教育や軍人精神共有の場ではなく、戦時には無作為に動員されるものとしての現実味がなければならない。結果として、それはナショナリズムを煽るものではなく抑制するものになるはずだ」という要旨で「戦争するかどうかを政治家や軍人に決めさせるのではなく、国民が決めるためには、これしかないという論法である。

 だが、女性の戦闘要員を含む国民皆兵のイスラエルが4度にわたる中東戦争を戦い、現在もパレスチナのハマスと激烈な戦闘をくり返している事実を見れば、単純に国民皆兵が平和のために役立つとは言えないだろう。それに、“戦争の血のコスト”を国民が平等に負担できるとも私には思えない 核戦争はともかく、在来兵器による戦争は最後は地上戦で決着がつく。要するに銃を持って敵陣に突入するのだ。そのためには、体力や膂力が必須の条件だ。つまり、精兵を選ぶために戦前の兵隊検査、徴兵検査は必要であったのである。そして、これに参戦する兵隊たちが最大の”血のコスト”を払うのは今も昔も変わりはない。ブッシュJr.大統領の誤った判断でイラクに送られ戦死した4,500人の米兵の多くは、各種の特典に誘われて入隊したいわゆる”経済徴兵“の若者達であったという。第31代大統領ハーバート・フーバーの“ Older men declare war, but it is youth that must fight and die. “ という言葉を噛みしめるべきだろう。

「平和のための国民皆兵」などと言うのは、権威主義と暴力が支配する戦時体制の中で生きたことのある私には”たわ言“としか思えないが、国会で徴兵制度について質疑が行われ、この国の代表的な総合月刊誌がこのような提言を掲載するようになってきた社会の風潮に、私は危惧を感ぜざるをえない。保身のためすぐに”右へ習え“をして恥じないマス・メディアとそこで働く人たち、それを巧みに利用して“粛々と”異論を押しつぶしていく権力、これを裏から支える金力、三位一体となってつくりあげた富国強兵への挙国一致体制の下で、日本は日清戦争以来ほぼ10年ごとに外敵を作り戦争をして来た。そして迎えた悲惨な破滅から70年、安倍政権になってからの流れを見ていると、この国はまた同じ体制で同じ道を歩もうとしているように私には思える。

 明日は自民党、安倍政権が権力基盤の総仕上げと位置付ける来年の参議院選挙の前哨戦となる「統一地方選挙」の投票日である。どれだけの蟷螂が五分の魂を見せるのか。(M)

< 参考書類など >

* 日本に平和のための徴兵制を 三浦瑠麗 * 文芸春秋 2014年特集 秋 新戦争論


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