教育テレビ草創期の英語会話番組
宇佐美昇三(昭和39年~49年、英語会話班PD、その後、文研主任研究員)
「英語教育番組略史」(昭和55年執筆)から引用
●昭和34年~ 昭和34年1月に教育テレビを他の総合局と同じ(VHF)周波数帯で開始したことは、放送教育から見て大きな出来事だった。テレビを持つ世帯は、昭和33年から34年にかけて激増し、テレビ時代が始まった。放送開始と同時に、教育テレビで一般向けの「英語会話」が一挙に3シリーズ始まった。 「Teach Me English」は、中学初級程度の生きた会話を指導する。初年度の講師は、D.ウイリアムズ(昭和34年~35年度) 「English for Everyone」は、簡単なコントを見ながら生きた英語を覚えていく。外人ゲストが毎回登場。初年度の講師は、ウイリアム・ムーア(昭和28年~40年度) 「Thinking in English」は、国際人として役立つ高い内容をねらっている。初年度の講師は、松本亨(ラジオ 昭和26年~47年、テレビ 昭和34年~35年度) 種々の力の総合である英会話は、いくつかの難易の目安が混在しているので、上級に近づくにつれて教材の統制が困難になる。つまり、中級は上級化しやすい。 田崎清忠(昭和36年度~51年度)は、当初学校英語を基本とし、ヘンリー・シャーフスマ(昭和36年~37年度)は、オーラルアプローチの口頭練習を多用して、そこから会話への入門を試みた。 ◆当時の番組評から 『英語青年』(昭和37年3月号) NHKテレビ夜の「英語会話・田崎清忠」 「昔この欄で、外人を動かしてやるべき英語会話教室の日本人講師が、外人に引きずりまわされるロボットみたいなのは情けないと、苦言を呈したことがある。講師が悪いのか、プロデューサーが悪いのか、とも言った。ところが時勢の進歩は驚くべし。近頃は日本人講師が楽々と外人たちを動かしながら、会話教室を運営しているではないか。この青年講師田崎君にしても、決してアチラ育ちでもなければ、二世でもない。(後略)」 ●昭和38年~ 昭和38年から、発表力に重点を置いた「初級」と聴解力に重点を置いた「中級」の2種類に整理してみることになった。 「英語会話初級」は、月・水・金と、田崎清忠が担当していたが、昭和40年から、金曜日に外人講師による英語だけの初級シリーズが生まれた。しかし、英語で英語を教えるということは、テレビのような一方通行の手段では困難があった。結局、日本人の生徒や先生役が加わって、日本語の訳が入る形式に変容したが、昭和47年度をもって休止された。 火・木曜日の「英語会話中級」は、ウイリアム・ムーアに代わって、昭和40年からジョン・マイルズが担当した。この頃から、日本人の助手役は講師となり、佐藤秀志や国弘正雄が解説するようになった。 土曜日の「中級」は、ウイリアム・ムーア以来、米人教師が続いたが、昭和44年から46年まで、英国文化振興会を通じて、専任の英人教師が来日し、出演した。その後もしばらく英国式の英語番組として在日英国人が担当し、48年からは金曜日放送となった。 この時期、終始同一番組で放送講師であったのは、「英語会話初級」の田崎清忠(当時、横浜国立大学教授)であった。 田崎は、「中級」の国弘正雄と同じ昭和5年生まれ。平川唯一の「カムカム英語」を熱心に聞いたという。東京教育大学を卒業後、フルブライト基金による留学生としてミシガン大学に学んだ。「英語会話」の番組講師になったのは、教育大学付属中学の教諭の時で、30歳であった。番組では、寸劇に自ら出て、様々な職業の訳を演じた。(田崎は、「日本人である講師が自分でやって見せて初めて学習者はやる気を起こす」と語っていた) しかし、どんなに番組が動機づけを志向して、娯楽路線に寄ろうとしても、田崎は必ず教育番組としてスジを通すことを忘れなかった。相手の返事によって枝分かれする寸劇や画面を刺激提示装置として行う文型練習、場面別および発想別の会話カリキュラムなどは、すべて田崎の番組で発芽し、または集大成されたのである。 ●昭和51年~ 昭和51年から52年にかけて、テレビ英語会話番組はカラー化された。 「テレビ英語会話」は、初級1、中級2の計3シリーズを改め、英語会話?機↓供↓靴?3シリーズとなった。(3シリーズの通称を、「English for Tomorrow」という。?機↓供↓靴僚腓法?Step1、Step2、Step3と呼んだ) 「英語会話?機廚蓮?日常的な表現の基礎となる文型を選び出し、習得させる。3シリーズ中、最も学校英語に近い。 「英語会話?供廚蓮⊂赦?52年度から、日本人自らの発想で英語を使いこなしていく力をつけることをねらいとした。放送講師は、言語心理学専攻の比嘉正範である。 「英語会話?掘廚蓮⊆?然な英語に親しみながら幅広い英語の運用力を軸に様々な英語を話す人がゲストとして登場している。 (田崎は、昭和51年4月から、マーシャ・クラッカワーと「英語会話?機廚鮹甘?することになるが、それは、昭和50年度「英会話初級」の再放送だった。「英語会話?機廚蓮△修慮絅?ラー化されたので、田崎の番組は、すべてモノクロとなった。なお、昭和40年代前半に田崎番組のSDをしていた小川邦彦は、田崎退任2年後の昭和54年4月、「英語会話?機廚旅峪佞箸覆辰拭? 現在(昭和55年当時)、NHK教育テレビから1週当たり9種類の英語教育番組が放送されており、再放送を含めて12時間(全放送時間の10%)となっている。 (以上、敬称略) |