小川さん

スタジオで、FDを務める小川さん(右)

タイからの報告・それは「英語会話初級」から始まった ??
小川 紘二(昭和42年~44年 「英語会話初級」PD、在タイ・チェンマイ)

 私が田崎先生の番組と最初に関わったのは、昭和42年の冬のことでした。定時番組ではなく、年度末の枠内特集として放送された「東京の1週間―Between Two Mondays―」と題された、英語ドラマ番組の制作のお手伝いでした。田崎先生は「東京ウイークリー」という雑誌の記者、そして友人役として歌手のロミ・山田さんが出演されていました。この番組は、初級と中級のPDによる共同制作でした。私は、前年の昭和41年夏に、教育局庶務部から移動してきたばかりでしたが、以前に美術進行の経験があり、この番組の制作では、小道具や衣装などの発注・調達の一切を任されました。極寒の中での外ロケは、少々過酷なものでしたが、田崎先生は、寒さにもめげず、歌舞伎座から銀座を飛び回っておられました。この番組で田崎先生は、原案・脚本・出演をされ、自分の出演されていないシーンにも立ち会われるなど、まさに八面六臂の活躍ぶりでした。
 
そして、その年の4月からの担当替えで、私は、フレッド・ザバテロ先生の「英語会話初級」から田崎先生の「英語会話初級」へ移動しました。担当が決まった時最初に思ったのは、「あ~よかった。これからは日本語で打ち合わせが出来る」ということでした。実は、ザバテロ先生の番組は、初級とは言いながら全てが英語で進行し、講師もゲストも殆ど日本語を話さない人ばかりだったのです。PDは土屋二彦さんで、私は半年間そのお手伝いをし、数本を制作していました。番組の打ち合わせも当然英語で、分からないところは土屋さんが助け船を出してくれ、どうにか乗り切れるのですが、どうにもならないのが、スタジオでのFD業務でした。カメラ・リハーサルで、副調の土屋さんからインカムを通して指示が出るのですが、難しくなってくると、それを的確に英語で伝えることが出来ません。もたもたしていると、トーク・バックを使った土屋さんの英語での指示が天井のスピーカーから聞こえてくるのです。その頃のことを思い出すと、今でも冷や汗が出てきます。

田崎先生の番組は、昭和42年度・43年度放送分の2年間お手伝いをさせていただきました。メインのPDは、田中卓さんでした。この時期の田崎先生の番組は、昭和36年から始まった「Teach Me English」から既に8年目を迎え、番組のスタイルは、スキットを使いながらの提示・解説・練習・定着の段階に基づいており、そのフォーマットは既に定着していました。先生ご自身も、横浜国立大学の講師から助教授に昇進するなど、一番脂の乗っていたときであったと思います。非常に楽しく番組を制作することが出来、私自身も英語が好きになっていった時期でもありました。

昭和42年度は、女優の浦川麗子さんがレギュラーゲストでした。「ペラペラ流暢に英語を話せることはいいことだが、それだけでなく、その会話の背景にあるもの、文化や習慣をきちんと分かって話して欲しい。だから、『英会話』ではなく『英語会話』なんです」という言葉を幾度となく聞いたのもこの頃だったと思います。

昭和43年度は、小鳩くるみさんが(英語会話には、鷲津名都江さんという本名で出演していただいたような気がしますが、記憶違いでしょうか?) レギュラー・ゲストでした。マザーグースの研究のためイギリスに留学され、その研究が認められ、後年、目白大学外国語学部教授となられる小鳩さんも、この当時はまだ「うたのお姉さん」として親しまれていた時代でした。後で田中さんに、小鳩さんは田崎先生の推薦によるものと聞き、さすが先見の明のある人だと感心したものです。

私は、44年から通信高校講座班に移動しました。ここでも、「通信高校講座 英語・A1」ラジオ・テレビを担当することになり、2年半「英語会話初級」で培ったノウ・ハウを活用することが出来ました。

ここからは私事で恐縮なのですが、通信教育部で英語番組を担当して以来、「英語」というキーワードが意外なところに影響を及ぼし、思いがけない結果を招くことになったのです。まず、宇佐美昇三さんが、中央研修所で外国人の研修を担当することになり、その助手として私を選んでくれました。その研修で、外国の若い女性のPDと知り合いになり、その女性がタイ人だったのです。やがてその女性と結婚することになり、結婚式には田崎先生もご臨席いただきました。そして、今度は「英語」「タイ」をキーワードに、JICAの専門家としてタイの国営テレビ局へ5年派遣されることになりました。タイに在任中には、田崎先生もお訪ねいただきました。日本に戻っても、NHKインターナショナルでNHK番組の売り込みに海外を飛び回ることになり、そして定年を迎え、タイに永住することとなったのです。

「風が吹くと、桶屋が儲かる」という故事がありますが、私の場合は、まさに「田崎先生の番組を担当したら、タイに永住できた」というわけです。つまり、私が現在、タイでのんびりと生活していられるのは、偏に田崎先生の番組を担当したお陰と言えるわけです。

田崎先生、改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
小川さん夫妻

小川さん夫妻(タイではありません、最近旅行したカナダでの近影)

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テレビ「英語会話初級」の記録

テレビ「英語会話初級」の記録

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