昭和43年スタジオにて、田崎先生と(中央)鷲津名都江さん
ドキドキしながら「初級」のスタジオをのぞいた
鷲津名都江さん(昭和43年、「英語会話初級」ゲスト、現在、目白大学外国語学部教授)
昭和41年のある日のこと、当時始まったばかりのNHK教育TV、幼稚園・保育所向け幼児音楽番組「なかよしリズム」のリハーサルが終わり、内幸町にあったNHK本館の廊下を歩いていると、どこからか田崎先生の声が流れてくるではありませんか。中学も高校もE.S.S.に所属し、大学も英米文学科を選んだ私は「英語会話初級」の大ファンでした。仕事の都合で夜の放送が見られない時には朝6時に起き、どちらも駄目な時には母に録音(その頃はまだVTRの機械を持っていませんでした)をとっておいてもらって後で何回も聞き直すほどでしたので、そばのスタジオをチラッと覗いて先生のお姿が見えた時には本当に嬉しく、ドキドキ・ドキドキ。それからは、毎週リハーサルが終わると「英語会話」の収録スタジオの辺りをウロウロするようになり、ついに勇気を出してスタッフの方に「サブ(スタジオの上にあり、ディレクターが指示を出す副調室)の隅で拝見させて頂けないか」とお願いし、お許しを得ました。すると録画終了後すぐに田崎先生が試写を見にサブへ上がっていらして、何とかご挨拶はしたものの初対面でドキドキオロオロしていた私に「どうぞどしどし遊びにいらっしゃい」と優しくおっしゃって下さったのです。 4歳で日劇デビューし、すぐにレギュラー番組も始まり、ビクターの専属歌手に…と、思いがけない人生を歩むことになった私。学生と芸能人という二足のわらじを履き続けることになりましたが、中学校に入学して英語の授業がはじまると、すぐに興味津々、英語が大好きになりました。しかし区立中学校から都立高校へと公立校で過ごした私は、まだAET派遣のシステムもない頃でしたからnative English speakerと接する機会が少なく、英会話となるとモジモジモゴモゴ。それが田崎先生のお言葉に甘えて図々しくスタジオに遊びに伺うようになり、番組出演のnative speakerの方たちと少しずつお話しさせていただいているうちに、重い英会話恐怖症もおいおい快方に向かいました。これも生の英語に触れるチャンスを与えて下さったからと、大変感謝いたしております。 また英米文学科2年生になったばかりの時にはゲスト出演させていただき感激しておりましたら、 さらにその後、“半年間、番組の日本人ホステスをしてみませんか”とお声を掛けて下さいました。田崎先生がお相手に選ばれる歴代外人ホステスの方たちは、才色兼備の方たちばかりと大評判。ですから私で大丈夫かしらと、ビックリするやら嬉しいやら・・・・・・。でもよくよく考えてみましたら、視聴者の皆様が自信をお持ちになるように、“私でも話せます・・・・・・”という見本に起用して下さったのでしょう。深慮遠謀の田崎先生の見識に感服、感謝している次第です。最近では芸能界の方達が語学番組に出演することも珍しくありませんが、当時は大英断だったと思います。到らぬ所が多々ありましたのに、出演させていただいた半年間、いつも田崎先生に助けていただき、楽しく番組に参加させていただきながら英語の勉強にもなり、大変幸せでした。 そして、当時は自分が将来英語教育に関わる仕事をするようになるとは夢にも思っていませんでしたが、その18年後にイギリスに留学する気持ちになったのも、大学教師として英語や英文学を曲がりなりにも講ずるようになれたのも、田崎先生のおそばで過ごさせていただいたあの半年間があったからこそと今でも有難く思っております。 |