ボツワナとNHK文化センター英会話教室
田島佳代子さん(昭和53年~ NHK文化センター田崎教室受講生、ボツワナ大使秘書)
私はボツワナという南部アフリカの国の駐日大使館に勤務しております。今年、サッカーのワールドカップが行われたすぐ北側の内陸部に位置している国です。 約40年前にダイヤモンドが発見され、急速な経済発展を遂げた国ですが放送分野では、まだまだ発展途上の国です。 2~3年前より私共大使館とNHKエデュケーショナルの仲居様とのお付きあいが始まり、何度かお話しさせていただいているある時、仲居様と私の共通の「田崎先生」という大きな存在のお話で盛り上がりました。 その仲居様は現在、NHKエデュケーショナルのプログラム設立コンサルタントとして、ボツワナに滞在されております。なんとも不思議で有難いご縁です。 さて、NHK文化センターですが、あわて者の私は、青山の教室を出ると同時にコートを着込もうとモタモタしているところへ、お帰りになる田崎先生が後ろからコートを着せかけてくださり、大変恐縮した覚えがあります。ある時、文化センターの「キヨの楽しい英会話」というクラスを見つけ、英語の上手なあの先生に習ってみたいと思い、満席のところを待ってお教室に入れていただきました。私の入ったクラスは、実際には英会話ではなく、「ラフカディオ・ハーンの『怪談』を読む」という授業で、怖い話の苦手な私には正直楽しくはなかったのですが、授業中に、先生がお話しくださったアメリカのことやすぐに使える英会話など、必死でノートに書き込み、先生が話される英語を聞くのがとても楽しみでした。クラスは、奥様の生徒が中心で、先生は皆様に大変人気がありましたが、私には笑顔でありながらも、厳しい怖い先生に思えました。 私がまだ小学生の頃、父が帝国ホテルのバーで、一人でお酒を飲んでいる時にすぐ近くに田崎先生が座っていらして、父のスケジュールがたくさん書いてある黒い手帳に先生のサインをいただいたと、見せてもらった覚えがあります。 「今日は、テレビ英語会話の田崎先生と偶然お会いしてお酒を飲んだよ」と嬉しそうに話していました。父は静岡から週1度東京の大学病院で講義や手術をし、日帰りで戻ってくる多忙な生活を送っていて、私たち兄弟は、その日の出来事を聞くのを楽しみにしていました。今は父も他界し、その手帳もどこかに見えなくなってしまいましたが、不思議なご縁で先生とお近づきになることができ、私は宿題をさぼる劣等生でしたのに、田崎先生は、私にとりまして生涯の恩師となり、先生のご家族ともども、皆様にご親切に接していただいて幸せに感じております。 このたびの、語学の分野での優れた功績に対し、田崎先生が叙勲を受けられましたことを、先生から授業を受けることのできたすべての生徒が誇りに思っています。田崎先生のより一層のご活躍とご健勝を心よりお祈り申し上げます。 おめでとうございました。 |
先生の英会話教室にときめいた
隈部美奈子さん(昭和53年~ NHK文化センター田崎教室受講生田崎教室受講生)
当時、NHK文化センター青山の田崎先生の英会話教室は、申しこみでさえ不可能な大盛況でした。ようやく受講生になれたその日から、嬉しくて、楽しい、そして、私にとっては厳しい英語会話教育を受けることになりました。戦前の女学生だった私は、それは少女のような新鮮なときめきの日々だったことが、今想い出としてよみがえって参ります。 時々、宿題もありました。答案用紙に赤ペンで、「良くできました」「お見事です」e.t.c…など。先生のペンの跡を何度も見ながら、ノートは1冊、2冊と増えていきました。 もうすっかり歳を重ねた私ですが、1年に1度、先生からいただく年賀状が、当時の青山を懐かしく思い出させてくれています。東京会館での祝賀会でお会いして以来、今回お会いできるこのたびの会にお誘いいただいてうれしく存じております。 本日は、誠におめでとうございました。 |