SDとは、なんぞや
NHKの教育番組の番組制作は、SDと呼ばれる大勢の、優秀な学生アルバイトの面々に支えられてきた。SDとは、スタジオの進行を仕切るFD(フロアー・ディレクター)を補助し、講師や出演者の世話や教材の操作等裏方の仕事を担当するAD(アシスタント・ディレクター)のことである。しかし、このSDといいう呼び名は、何の略称なのかについては諸説あり、これという定説がない。 文字通り、スタジオで作業をするから、スタジオ・ディレクターという説や、スタジオの中のステージを取り仕切るからステージ・ディレクター、或いは、ディレクターの補助をするからサブ・ディレクター、また、FDの二番手だからセカンド・ディレクターなど等と言われている。 この記録集に「『初級』は、私のバイブルだった」を書き、「お祝いの会」の司会を務めてくれた寺石容一さんも、SDの一人だった。寺石さんは、彼の名刺に、SDを、Student Directorと印刷して、就活に活用したというが、その一事を見ても、彼がいかに優秀であるかが分かろうというものである。 そこで、ここでは、寺石さん以外の2人の優秀なSDに登場してもらおう。ただ、その内のお一人は、残念ながら、ご本人は登場できない。なぜなら、12年前に、54歳の若さで亡くなっているからである。故・小川邦彦さんである。 小川さんは、前述の寺石さんの前任のSDとして、長年にわたって、田崎先生の「英語会話初級」を支え、同じICUの後輩。寺石さんにその仕事を引き継いで、アメリカ留学に旅立って行った。その後の経緯は省くとして、小川さんは、それから10年後に、「初級」に戻ってくるのである。それも、SDとしてではなく、番組講師として、、、 昭和52年に、田崎先生が、「英語会話StepⅡ」の講師を退任された2年後に、同じ「StepⅡ」の講師として、である、、、なんという縁だろう、小川さんは、田崎先生の仕事を、2年後に引き継いだのである。 今回は、小川さんに代わって、奥様の小川靖子さんに、「田崎先生と小川さん」の記録を綴ってもらった。 もう一人のSDは、「英語会話初級」に視聴者参加の出演者として、6カ月出演してもらった後、SDとして番組制作を手伝ってもらっている。当時の番組担当者が、「できる」と判断して、SDの仕事を頼んだのだろう。澤山俊雄さんである。 澤山さんは、大学卒業後、大手商社に勤められ、その後独立して、現在は長崎市で会社を経営、忙しい日々を過ごしている。その後も、現在に至るまで、田崎先生とのお付き合いは深い。 そのお二人による、「先生と2人のSD」の記録である。 |
(後列一番左)小川邦彦さん (同3人目)寺石容一さん
先生と2人のSD ??
小川靖子(故・小川邦彦氏夫人)
故・小川邦彦氏(昭和44年まで「初級」SD、昭和54年~61年「英語会話Step?供弭峪奸?
この度の「瑞宝中綬章」を授章されたこと本当におめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。 先生が多年にわたり英語教育に携わり、沢山の学生さん達をお育てになりましたこと、今回の授章は当然ですね。主人も先生の影響を受けた一人です。小川は、54歳でこの世を去ってしまいましたが、先生の受章を知ったなら、真っ先に先生のもとへ行って、興奮し、喜んでいる姿が目に浮かびます。 今、私、小川靖子は、67歳になりました。半世紀前の先生と小川が関わった思い出は、夫が大学時代、田崎先生の「テレビ英語会話」のSDをしていた時にさかのぼります。私も一度、録画の様子を拝見したくてNHKのスタジオにおじゃまさせていただいたことがあります。スポットライトをあびている先生は、若々しくてバイタリティーに満ち溢れていました。現場では、先生の冗談が飛び交い、とても和やかな雰囲気で、先生の周りに対する気遣いは素晴らしいものでした。「田崎清忠先生」といえば「テレビ英語会話」というほど有名でした。 私達がアメリカに住むようになった年から、先生は、毎年、いらしてくださるようになりました。先生がアメリカにいらっしゃると、珍しい看板やアメリカならではの品物は必ず写真に撮り、広告などを集めるといった行動力に、主人は刺激を受けていました。 今から35年前、先生と小川で、車でアメリカ大陸横断をしました。話に聞くと、宿が見つからないときは車中で寝たり、スピード違反で捕まったり、そんな時に行動力のある先生は、とっさに警察とのやりとりを録音するといった、どんな瞬間も逃さない!さすが先生でございます。 今でも大事に持っているものがあります。それは、アメリカで貧乏生活していた私に、先生から頂いた素敵なダークブラウンのCOACHのバッグです。嬉しくて、嬉しくて、もったいなくてなかなか使えなかったことを思い出します。 アメリカ生活のことを考えると、私たちにとって、そして今の私にとって、田崎先生の存在は、とっても大きいです。今後もますます、ご壮健で日本の英語教育の発展にご活躍されることをお祈り申し上げます。 |
「英語会話Step?供彁?代の小川邦彦さん (右)マーシャ・クラッカワーさん
先生と2人のSD ??
澤山俊雄さん(昭和48年~50年、「英語会話初級」出演者、SD、現在、会社社長、長崎市)
田崎先生と澤山俊雄さん
先生との初めての出会いは、テレビ「英語会話初級」の番組収録の時でした。当時私は、大学3年生(20歳)で、他の生徒役の方3人と計4名で、約半年間番組に出演させて頂きました。先生の軽妙な、しかし、ツボを押さえた進行に何時も敬服しておりました。時にはスタジオ中爆笑など、教育番組かなとも思えるチームワークの良さでは無かったでしょうか。収録後、時には皆でお酒飲みに行ったり、先生のかっこいいグロリアに乗せて頂いたりと素敵な思い出を頂きました。 生徒としての出演が終わったら、何の因果か先輩SDのバイトを引き継ぐ事になり、今度は裏方として番組作りに変身という貴重な経験を1年間させて頂きました。 偶然にも、その先輩とは長崎で仕事関係で再会でき、奥様ともどもお付き合いする事ができ、人生における出会いに感謝した次第です。先生とも、長崎の純心女子大学の関係で数年前に来崎されたとき、久しぶりにお会い出来、一献頂いたという最近の思い出が残っております。 この時も、ちっともお変わりなく、気さくに話しかけていただき、当時の思い出、そして、私が大学卒業してから商社マンとして海外赴任した時の様子など、お話したのを昨日のように思い出しております。 本来東京にはせ参じ、お祝い申し上げなければなりませんが、所用が重なり、遠方にて失礼させて頂きますが、次回、先生が来崎のおりには、是非お声掛け願います。こうして、先生へのお祝いメッセージを送らせていただく自分に誇りを感じていますし、長崎で再会できた先輩との交流を含め、人との繋がりの大切さを改めて噛みしめております。先生、これからもお体にお気をつけ、お元気でいらしてください。 当時(も)できの悪い生徒だった澤山俊雄より。 |