(左から)清水CP、田崎先生、小林昭美さん、山路家子さん、キャンベルさん
楽しきかな「英語会話の旅」 ??
山路家子(昭和37年~、「Teach Me English」FD、語学班)
昭和37年6月、小樽の教育テレビ開局を記念して、現地で、「Teach Me English」の公開録画が行われることになりました。私は、当時、同じ語学班で、別の番組を担当していましたが、ゲストのアメリカ人女性を東京から お連れする必要があり、同性の私がFDとして起用されたのです。PDは、小林昭美さん。講師は、勿論、田崎先生です。アメリカ人女性ゲストの名前は、確か、キャンベルさん。男性ゲストは、米軍基地の ご家族を お願いしたと思います。 そう言えば、キャンベルさんを北海道に連れていく役目なのに、あわや、ということがありました。 羽田空港で、キャンベルさんと話し込んでしまい、ふと外を見ると、飛行機のタラップが、外されようとしていました。(小林さんに聞くと、当時まだYS11はまだ飛んでいなかった時代で、ターボプロップのバイカウントという機種だったようです。小林さんは、飛行機なるものに乗るのが初めてのことだったそうで、飛行機のことについては、よく覚えていたそうですが、実は、私にとっても、飛行機は初体験でした) 大声を上げると、職員が、「お呼び出しをしたのに…」と言いながら、一緒に走ってくれて…。タラップが、再び取り付けられ、無事、搭乗出来た時のドキドキ感は、今も鮮明です。昔、昔のお話です。 公開録画は、海が見える丘の上の学校だったと思います。 番組が終わった後、みんなで支笏湖まで出かけたこと、ジンギスカン料理を楽しんだことなどが、印象に残っています。 若々しい田崎先生の、新しい英語教育メソッドは、教育テレビの大きな推進力でした。番組が始ってまだ1年ぐらいしかたっていませんでしたが、田崎先生の番組は、すでに教育テレビの目玉番組になっていました。公開番組を持って、東へ西へのご活躍だったことを思うにつけ、あらためて、敬意を表します。 |
楽しきかな「英語会話の旅」 ??
大森正憲(昭和39年~45年、英語会話班)
田崎先生とテレビ「英語会話初級」の制作でご一緒したのは、昭和39年から45年に、私が通信教育部に在籍した時代です。当時は、テレビはまだ白黒で、ビデオ収録ではなく、キネコ(キネレコ)収録で、撮り直しや編集は不可の、本番通し一発での収録でした。スタジオ・セットは、通常、4~5杯、この間を、先生にコマネズミのように移動していただきました。先生は、勘の鋭い、アドリブに強い方で、NGはなく、いつも完璧なできでした。 楽しかったのは、「英語会話の旅」で、ラジオの松本亨先生と出版の方と4人で、大坂と大分に公開録音に行った時でし。大阪では、打ち上げ後、田崎先生と二人だけで、夜の十三を冒険散策したのが忘れられません。大分は、湯の町別府でゆっくりくつろがせていただき、大阪局と大分局の方々に、大変お世話になりました。 古き良き時代の想い出です。 |