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■田崎清忠(1930-2009) 略歴

◆Graphic History of Kiyotada Tazaki

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1930年 出 生 東京・羽田空港そばの穴守神社付近生まれ。

爆音を聞きながら産湯。現在に至るも飛行機が好きである理由。

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1937年 小学校 東京都北区豊川小学校に入学。

4年生のときに柳田小学校に転校。のち、この小学校は空襲により焼失。

 

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1943年 中学校 東京都立航空工業学校航空機科に入学。同級生に、後年「サイマル・インターナショナル」社長となった同時通訳村松増美氏がいた。
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1944年 戦時中 第二次世界大戦の最中であったため、
航空工業2年生のとき理研小台工場に勤労動員。

敵艦攻撃用特殊爆弾の製造。B29の爆撃により、工場内で働いていた女子挺身隊(女子大学生)が悲惨な死を遂げた状況を目撃。「戦争はダメ」と密かに気が付く。

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1945年 終 戦 3月の空襲で家が全焼。母の実家(茨城県古河市)に避難。

8月15日終戦を迎える。戦後の日本では飛行機の製作が認められない
ことになり、飛行機設計の夢破れる。

NHKラジオ「カムカム英語」(*1) の熱心な生徒となる。

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1947年 飛行機設計
から
英語に転身
戦火で焼失した航空工業学校から茨城県立古河工業学校機械科に転入学。

興味を持った英語を武器に進学を決意。工作機械設計の授業中には、机の下に隠した英語の本を読む。

小野圭次郎「英文解釈法」を43回読み丸暗記して受験に備える。

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1948年 東京高師
を目標に
東京高等師範学校文科3部英語科に入学。英語教師を目指す。
 

当時の教授陣には、福原麟太郎、福田陸太郎、成田成寿など学会最高のスタッフが揃っていた。

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1952年 卒 業

 

卒業論文のテーマは、ロスト・ジェネレーション(Lost Generation)の代表的作家スコット・フィッツジェラルド(Scot Fitzgerald)
 

当時はRevival of Interestと称して米国における作家業績の見直しが行われていた時期なので、論文執筆のための資料に乏しく、日比谷のCIE図書館に日参して論文を書き上げた。

就 職
そして
録音機との
遭 遇

卒業して、母校茨城県立古河第一高等学校に奉職。
時を同じくして東京通信工業(Sonyの前身)が「録音機」発売。

校長を騙して一台を校費で購入。広沢虎三の浪花節を録音して授業中に生徒に聞かせ、教頭に叱責される。しかし録音機についての勉強が後に「英語科視聴覚教育」を出版し、テレビ番組制作の素地となった。

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1955年 母校教育大に
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東京教育大学付属中学校・高等学校教諭。

同時に東京教育大学文学部、慶応義塾大学商学部、千葉大学留学生過程、東洋女子短期大学などの非常勤講師を兼任。

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1956年 留 学 フルブライト法により米国ミシガン大学英語研究所に留学。
 

当時最先端の構造主義言語学と視聴覚教育を研究。

米国滞在中、「コミュニテイ・アサインメント」としてワイオミング州に派遣され、アメリカ大西部の文化と生活を研究。

その後、ワイオミング州をさまざまな形で日本に紹介した功績により、
1977年8月ワイオミング州名誉州民となる。

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1957年 帰 国 帰国。付属中学・高校に復帰。
英語教育に関する著作活動を開始。

第一作は、「英語科視聴覚教育」(大修館)。

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1961年 テレビ番組講師 NHKテレビ英語会話講師。以後16年間番組担当(1977年3月まで)。
 

番組担当開始後は、毎年夏休みを中心に米国取材。最終的には全米50州すべてを訪問取材した。

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1966年 横浜国大 横浜国立大学教育学部英語科に転任。専任講師。


最新の視聴覚理論と応用言語学を駆使して、
様々な教材開発や教育機器開発 (*2)に従事。

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1968年 助教授に昇任 同大学助教授に昇任。
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1973年 ホノルル市長杯
弁論大会
ホノルル市長杯全日本青少年英語弁論大会(*3)審査委員長(ECC主催)就任。現在に至る。
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1976年 高円宮杯
弁論大会
高松宮杯(現在は高円宮杯)全日本中学校英語弁論大会(*4)審査委員長(日本学生協会基金主催)就任。現在に至る。。
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1977年 受 賞 NHK「放送文化基金賞」を受賞。

テレビ放送に最新の教育理論を導入した功績。

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1978年 ラジオ番組講師 ラジオ・文化放送「百万人の英語」番組講師。「唐人お吉」、「アメリカ彦蔵」をはじめ、さまざまな特別番組を制作・放送。

併せて日本YMCA同盟の顧問的業務も担当し、電話による英語プログラムも製作した。

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1996年 国大退官 横浜国立大学を定年退官(3月)。
東京純心に奉職 東京純心女子大学現代文化学部に奉職(4月)。英米文化学科長、現代文化学部長、副学長を歴任。
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1999年 通訳検定
試験委員長
東京商工会議所主催の「英語ビジネス通訳者認定制度委員会」委員長に就任。
2001年まで。
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2000年 学 長 東京純心女子大学学長に就任(2008年まで)。
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2008年 退 任 学長職を退任。悠々自適の生活開始。ウルトラライト(*5)組み立てを構想中。
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2010年 叙 勲 秋の叙勲において、「瑞宝中綬章」を綬章。
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2012年 NPO法人 NPO法人「海外文化センター」設立。理事長に就任。
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現 在
継続中の業務

①日本学生協会基金筆頭理事


②かながわ民間教育連盟理事


③高円宮杯全日本中学校英語弁論大会審査委員長(中学生対象)


④ホノルル市長杯全日本青少年英語弁論大会審査委員長
(高校生・大学生対象)


⑤NTT東日本関東病院国際化ワーキンググループ特別顧問

⑥NPO法人海外文化センター理事長

     
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