Archive for 8月, 2014

(1)広島県の豪雨による災害は、死者、行方不明者が百名に近く、学校などの避難所で過ごしている人は何千世帯にもなるという未曾有の災害です。でも、国会の野党(主に民主党)は、安倍首相の動向について文句をつけていました。「ゴルフを止めて、官邸に戻ったのは当然だが、すぐまた長野の別荘に戻ったではないか」と言うと、首相は、「荷物を取りに戻っただけだ」と応じ,民主党は更に「荷物なら人に頼めるではないか」と責めていました。国会議員はなんとまあ間が抜けた問答をしているのであろうか、と私は呆れてしまいました。

(2)火山と台風の島国である日本列島はどこに住んでも安全ということはないでしょうが、建築方法が未熟であった時代はともかく、現代では災害を小さくする方法はあるはずです。長年政権を担当しながら、防災に知恵を絞らないできた自民党の責任は大きいと思います。まず、なぜ各地の自治意識が育たないのかを考察する必要があるでしょう。1つには、選挙で当選した地方議員たちが、自分は“選良”だぞという意識があるので、“威張る”のです。そして、各地方の役人たちは、“長いものには巻かれろ”で、追随してしまうからだと私は思います。

(3)8月27日には、TBSのラジオ番組に久しぶりで元長野県知事や国会議員を勤めた田中 康雄氏が出演していました。長野県の“脱ダム宣言”をして、当時のマスコミが大騒ぎをした人物です。相変わらずかなり理屈っぽい話し方でしたが、共感を覚える点は多くありました。1960年代には、公共事業はその土地の業者にとっては大きな利権が絡んでいたでしょうから、知事が「ダムは造らない」などと言い出したら、猛烈な反発をしたであろうことは容易に想像出来ます。

(4)民主党が自民党から政権を奪取した時は、“コンクリートから人へ”という党の方針に沿って、“八ツ場ダム”の即時中止を宣言しました。現場の実情を見もしないで重大な決定をすることに私は不安を感じた記憶があります。方針は良くても、方法論にはもっと慎重さが必要です。結局、民主党は未熟さから破綻が生じて自民党に政権を取り返されてしまいました。第2次安倍内閣が強固なのは、民主党に絶望した選挙民の意識が強く働いた結果だと思います。

(5)その自民党も、地方都市が災害に見舞われて景気が悪くなると困るので、新しい大臣のポストでも作って対応させようと考えているようですが、姑息な手段のように思えます。広島の災害復旧には、5階建てくらいの頑丈な集合住宅を建てて、今回くらいの山崩れや土石流では、人命に関わるような被害を出さないようにすべきです。日本人は、個々の技術は優れていても、それを統合した都市計画のようなものを作ることはとても下手です。役所の縄張りとか、因習に阻まれてしまうからでしょう。

(6)政府は少子化対策を強化して、何とか人口の減少を食い止めることばかり考えているようですが、あまりにも知恵の無い話です。そもそも、日本列島に1億2千万人もの人間が住むこと自体に無理があると私は思います。人口が半減すれば、物の売れる数が減るのは確かです。しかし、大雑把に言って、日本の人口の半分か以下である大韓民国、イギリス、ドイツなどは経済が破綻しているでしょうか?むしろ日本よりもしっかりしていると思います。

(6)日本も韓国と共同で、EUのように、“東アジア統合体”を提案すべきだと思うのです。そして、北朝鮮にも参加を呼び掛けるべきです。しかし、安倍内閣にはそんな気持ちは無いようです。一部の政治評論家の見解では、安倍首相のもくろみは、父方の祖父、岸 信介(元首相)のA級戦犯の解除しか念頭にないとのことです。そうした人物を首相にしていることを国民はもっと強く意識すべきだと思います。(この回終り)

(206) <人権大国への道 終章 2 >     

2. 人権大国への入り口 原発の廃止

 安倍政権と経済界は、国民の意向を無視して、原発の再稼働へ向けて前のめりになっている。経済成長のために、直接的にはいわゆるアベノミクスのために、原発エネルギーが不可欠だと考えているからだ。安倍政権が、原発を再稼働させ、ベースロード電源とするというエネルギー政策を決定するに先立って行われたパブリックコメントでは、「脱原発」が95%に達し、「原発の維持・推進」は1.6%、その他が3.2%だった。政府はこの結果を完全に無視して原発推進のエネルギー政策を決めたのである。これについて茂木経産相は「数ではなく内容に着目した」と語っている。民意を完全に黙殺したこの発言に、安倍政権の傲慢な独善性があからさまに顔をのぞかせている。

 原発の抱える危険性については、(203)(204)「原発の脆弱性と放射能の危険性の再認識」で詳述した。基本的には、核エネルギーを人間の力で制御することに無理があるのだろう。

< 福井地裁判決が問いかけるもの >

 関西電力大飯原発3・4号機について、今年の5月に福井地裁で、住民が求めた運転差し止めを認める判決が出た。判決は運転差し止めの理由につて、福島第一原発の過酷事故を踏まえ、人権の保護を判断基準として挙げ、まず、「生存を基礎とする人格権は憲法上の権利であり、法分野において最高の価値を持つ」と述べ、差し止めの基準は、「(規制委員会)の基準への適否ではなく、福島事故のような事態を招く具体的な危険性があるかどうかである」と断定している。その上で、大飯原発では関西電力の想定を超える断層地震が起きる危険があり、使用済み核燃料プールについても対策が不十分であると指摘している。そして「関電は、原発の稼働が電力供給の安定性につながると主張しているが、極めて多数の人の生存そのものにかかわる権利と、電気代の高い低いの問題とを並べた議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」と結論づけている。

 この判決について、読売新聞は社説で「ゼロリスクにとらわれたあまりにも不合理な判決」と批判した。正力松太郎以来、原子力利用の旗振り役をつとめてきたこの新聞には、オッペンハイマーやスティムソンが抱いた恐れはないらしい。核エネルギーは、人間が自然の摂理に挑み、それを破壊した科学であり、リスクはこれまでの科学とは桁が違う。ゼロリスクでなければ使ってはならないのは当然だろう。安倍政権は、原子力規制委員会の安全審査を通れば原発を再稼働する方針であるが、規制委員会の田中委員長は「新しい安全基準を満たしても、絶対安全とは申し上げていない。」と発言しており、リスクに対していったい誰が責任をとるのか。
* 人格権とは、人権と同じだという考え方もあるが、幸福追求権など、人権から生ずる私法的な側面という考え方もある。

 人間の生存にかかわる問題と、経済的な損得を同じ次元で論ずることは許されないという福井地裁の判決は、至極当然かつ合理的だと思う。だから、原発の存否は、人間社会のありようを問う文明論の問題であるという細川護煕元首相の考え方を私は支持する。福井地裁の判決が、「原発の運転停止により多額の貿易赤字が出て国富が失われる」という原発推進論に対して「豊かな国土と、そこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻せなくなることが国富の喪失である」と反論していることは、この判決がよって立つ文明論を明確に示している。 民主党政権の大飯原発再稼働にさいして日本ペンクラブが反対声明を発表した時、ペンクラブ会長で作家の浅田次郎は、「無条件廃炉ですか、雇用がどうなるとか、夏のピーク時の電力事情だとかはどうなんですか?」という質問に対し、
「関係ない。みんな関係ない。これは人類の歴史にかかわる問題だから」と答えている。私も同感である。

 このような立場からすると、原発再稼働は、一内閣が勝手に決めるような問題ではない。絵に描いた餅のような無責任な避難計画の下で、原発周辺の国民は生命、財産を奪われる危険にさらされるのである。国のかたちにかかわる原発の存廃は、本来国民投票で決めるべき問題だろう。しかし、この国には本来の意味の国民投票法がない。先日成立した国民投票法は、憲法改正に限定されており、それ以外の国民投票については「間接民主制との整合性の確保その他の観点からされに検討を加え、必要な措置を講ずる」と先送りされた。ではなぜ憲法についてだけ、国民投票を急ぐのか。より緊急性のある原発の存廃についての国民投票のほうが先ではないか。

 ドイツは福一事故の後、原発廃止を決めた。現在、全発電量の4分のⅠが再生可能エネルギーでまかなわれている。電気料金の値上げや送電設備の不備などいろいろ問題はあるようだが、2022年の全原発停止へ向けて着実に進んでいくよう期待している。ドイツの原発廃止決定には、メルケル首相の諮問機関である「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会の報告」が重要な役割を果たしがが、この報告が強調している「自然の尊重と未来世代への責任」には経済効率を超える文明史的な意義がある。また、「脱原発」を標榜する緑の党が、結党当時の超理想主義的な組織原則を改め、20年近い苦難を乗り越えて、政治勢力として定着したことも寄与した。

 残念ながら、同じ敗戦国でも、ドイツに比べて日本人は「すぐあきらめて、すぐ忘れる」傾向が強いように思われる。その原因は「自分の頭で考える」ことが少ないからではないか。とは言っても、自分の頭で考えるには相応の知識が必要である。しかし、知識を得る努力は大事だが、全ての問題について十分な知識を持つことは、誰にとっても不可能だろう。そこで私は自分の知識だけでは判断に迷う問題については、判断の基準を「人権の尊重」具体的には「四つの自由」<201 3年3月~4月>に置いているわけである。

 持続可能な社会への入り口に立つために、原発の存廃についての国民の判断と、今後の創造力が試される。 私の判断は述べたので、これからは創造力につい順次私見を述べたい。(M)

参考書籍等
* 関西電力大飯原発3・4号機運転差し止め訴訟 福井地裁判決文
* 原発、いのち、日本人: 浅田次郎、辻井喬他   集英社新書
* 原発破局を阻止せよ!: 広瀬隆  朝日新聞出版
* 原発の、その先へ (六ヶ所村ラプソディー): 鎌中ひとみ  集英社 
* 脱原発の大義: 諸冨徹 他  農文協ブックレット
* これからどうする 未来のつくり方: 鎌田慧 他  岩波書店編集部
* <2014−3−15> 原発事故3周年 これからどうする 「原発を問う50問」

‘* 次回の投稿は9月13日(土)<人口減少は人権大国へのチャンス>を予定しています。

<訂正>前回の記述の中に、「アメリカの大学キャンパスでは、友人と別れる時などに、 “Have a nice (good) time!” という言葉がよく聞かれます」というのがありましたが、口語英語の権威であられる田崎清忠氏のご指摘により、この個所の英語を “Have a nice day!” に改めます。普通に別れる時にはこれがほとんど固定した慣用表現になっているというのがその理由です。そういうわけで、niceの代わりにgoodを使うことはほとんどないようです。田崎氏のご指摘に感謝します。

<補足>(1)上記に関連して、筆者が挙げた “Have a nice/good time!” は、ピクニックやパーティーなど、特定の目的のために出かける人に向かって言う言葉です。日本語の「言ってらっしゃい」に相当するかもしれません。辞書にも Have a nice time at the party! [LD] の例が載っています。この場合にはniceもgoodも使えます。

(2) 別れの挨拶ではなく、普通の会話の中にもhave a nice/good timeの表現はよく出てきます。 たとえばDid you have a good time in Spain? [OA] / We had a good time at the party. [LD] /など。これらの例ではgoodだけではなく、niceや他の形容詞も使うことができます。たしかに前者のDid you have a good time in Spain? ではgoodかniceが普通ですが、We had a good time at the party. の例では、それらに代わってgreat, super, wonderful, lovely, brilliantなどの形容詞がよく使われます。ただし、辞書によればbrilliantはイギリス英語のようです。

(3)OALD の niceとgoodの項目を見ると、それぞれに ‘Vocabulary Building’ というコラムが設けられていて、英語学習者はその場にぴったりの面白い形容詞(口語ではたとえばgreat, super, wonderful, lovely, brilliantなど)を工夫して使うように奨励しています。いつもnice/very niceやgood/very goodでは漠然としていて変化に乏しく、面白みがないということでしょう。しかし「その場にぴったりの」形容詞を選ぶことは簡単ではありません。「形容詞+名詞」のいろいろな組み合わせを研究する必要があります。以下にOALDのコラムに載っている例をいくつか紹介します。

a(n) exciting/entertaining/absorbing movie

a(n) absorbing/fascinating/informative book

a(n) pleasant/enjoyable/fun (informal) trip

a skilful/talented player (N.B. skilful(英)=skillful(米)

a(n) cosy/comfortable/attractive room (N.B. cosy(英)=cozy(米))

delicious/tasty food

pleasant/perfect/beautiful weather

expensive/fashionable/smart clothes

useful/helpful advice

etc.

今回はこれで終わり、次回は動詞makeを中心とした表現法を研究する予定です。

前回に続いてhaveの語義と用法(4)~(7)を説明します。これらが脳の中にしっかりとインプットされれば、この動詞の本質がほぼ理解でき、自分の使用レパトリーの中に組み入れられると思います。その知識はさまざまな場面での言語使用の経験によって、haveという動詞の持っている広い概念を自分のものとすることができるでしょう。なおここで用いたhaveの分類法は、小西友七編『英語基本動詞辞典』(研究社1980)を参考にしました。

(4)心の中にアイディアや感情を抱く: “I have an idea.” または “I’ve got an idea.” という表現にたぶん出合ったことがあるでしょう。「いい考えがある」というように、何かのアイディアや感情が心に思い浮かんだときに使う表現です。この場合のhave (またはhave got) は「心の中に抱く」という意味です。これにもイギリス口語英語ではたいていhave gotを使います。

<例文>We’ve got a few ideas for the title. [OA](題名にはいくつかのアイディアがある。)/ I’ve got it! We’ll call it ‘Word Magic’. [ditto](そうだ!「ワードマジック」にしよう。)/ He had the strong impression that someone was watching him. [ditto](彼は誰かが見ていると強く感じた。)/ Have you any doubt about his guilt? [LD] (=Do you have any doubt about his guilt?)(彼が罪を犯したことに何か疑問がありますか。)/ I’ve got no idea what to do. Have you? [ditto](僕にはどうしたらよいか分からない。君はどう?)/ I had a feeling we were being followed. [ditto](私たちは尾行されているという感じを私は抱いた。)/ It’s her own fault — I have no sympathy with her! [ditto](それは彼女の責任だ—僕は彼女に同情なんかしないよ!)N.B. [ditto]=[同上]

(5)時間・困難・病気などを経験する:アメリカの大学のキャンパスでは、 友人と分かれる時などに、 “Have a nice (good) time!” という言葉がよく聞かれます。週末にはこれが “Have a nice weekend!” になります。日本の学生たちはこういう言い方をしないので、直訳しても仕方がないでしょう。この場合のhaveはexperienceの意味で、広い意味で「(いろいろなことを)経験する」ということです。私たちは「よい時」(a good time)を経験することもあれば、「つらい時」(a hard time)を経験することもあります。また誰もが病気や怪我や老いを経験するものです。そういうときに使う動詞はほとんどhaveまたはhave gotで済ますことができます。

<例文> I went to a few parties and had a good time. [OA](いくつかのパーティーに行って楽しく過ごした。)/ I’ve got a headache. [ditto](頭が痛い。)/ I was having difficulty in staying awake. [ditto](目を覚ましているのに困難をおぼえていた。)/ She’ll have an accident one day. [ditto](彼女はいつか事故にあうだろう。)/ I’ve got a bad cold now. [LD](今ひどい風邪をひいているんだ。)/ I have bad colds every year. [ditto](僕は毎年ひどい風邪をひく。)

(6)何かを受け取る:「手紙を受け取る」「ギフトをもらう」などに使うhaveです。この意味ではhave gotはあまり用いません(ただし「今受け取って持っている」の意味では用いることがあります)。

<例文>I had a letter from my brother this morning. [OA](今朝兄から手紙をもらった。)/ Can I have a bill, please? [ditto](お勘定お願いします。)/ How many lessons have you had so far? [ditto](これまで何回レッスンを受けましたか。)/ We have orders coming in from all over the world. [ditto](私どもは世界中からご注文をいただいております。)/ I had some good news today. [LD](今日はいい知らせがあった。)/ We must have your answer by Friday. [ditto](金曜日までにぜひご返事をいただきたい。)/ I had a shock when I saw the size of the bill. [ditto](勘定書の額を見て私は愕然とした。)

(7)ある行為をする:have a talk(話をする)やhave a rest(休憩する)など、「have (a) + 名詞」が一つの動詞のような意味を表わします。この形の慣用表現は英語にはたくさんあります(注)。またhave breakfast / lunch / dinner(朝食・昼食・夕食をとる)などもこの表現に含めてよいでしょう。なお、この項目のhaveの代わりにhave gotを使うことはありません。

<例文> I had a swim to cool down. [OA](ひと泳ぎして涼しくなった。)/ Have a look at this. [LD](これを見て。)/ She had another sip of her tea. [ditto](彼女はお茶をもう一口すすった。)/ He always has a cigarette with his coffee. [ditto](彼はいつもコーヒーと一緒にたばこを吸う。)/ Have another drink, Mary. [ditto](もう一杯どうぞ、メアリー。)

(注) have a talkは「話をする→話す」という意味ですから、talkという動詞1語でも表わすことができます。例えば  “We had a talk.” を “We talked.” と言い換えることができます。しかし両者は同じではありません。前者のほうが口語的表現(形式ばらない話し言葉に用いる表現)です。それが話し言葉で好まれる理由は、そのほうが英語のリズムを取りやすいからだと考えられます。後者(We talked.)では述語動詞が1個でぶっきらぼうな感じになります。このような「have (a) + 名詞」の表現は英語には非常に多く、慣用的な口語表現の一つになっています(ただしhaveの代わりにtakeが使われることもある)。次に主なものを列挙しますので、それぞれについて、日常場面での短いモノローグ(またはダイアローグ)を作って言ってみてください。(e.g. I think I’ll have a bath before I go to bed.)

have a bath / have a shower / have a wash / have a shave / have a drink / have a smoke / have a chat / have a talk / have a look / have a dance / have a swim / have a walk / have a run / have a sleep / have a rest / have a try / have a quarrel / etc.

(205)< 人権大国への道 終章 > 1

1. 総論

 桐英会ブログへ投稿を始めて丸3年、2百数十回の投稿を経て、ようやく終着点へ辿りつこうとしている。こんなに長くかかったのは、私が目指す「人権大国」とそこに至る道程は、私が生きてきた85年の歴史の中から芽生え、醸成されたものであるから、まず、それについて書く必要があった。また、この2年間は、この道程に逆行するような動きが目立ち始め、黙って見過ごすことが出来ず、投稿を重ねたからでもある。ただ、私は悲観しているわけではない。一時的な停滞や逆行があっても、歴史の流れは、一部の策動によってとどめることはできないと考えているからである。

 私はこの間ずっと、「新しいパラダイムを求めてベクトルの変更を急ぐよう」主張してきた。パラダイムとかベクトルなど一般にはあまり聞き慣れない外国語を用いてきたのは、私の求める「人権大国への道」が、単なる夢物語ではなく、社会学的に整合性のある主張であると考えているからである。
 * パラダイム:ある時代に支配的な考え方  * ベクトル:動いていく方向

①  何故バラダイムの変更が必要なのか

 いま世界には、新自由主義による金融資本主義の過当競争の結果、グローバライゼーションという
怪物が出現し、猛威を振るっている。グローバライゼーションがもたらした悲劇的様相については、先に4人の方の所論を紹介したが<2014−6−21>、マクロ経済学者は、このような人権無視の金融資本主義は、今や終焉を迎えつつあると言う。その所論を私なりにまとめると次のようになる。

 資本主義がいつから始まったかについては諸説あるが、利子を取ることが容認されるようになった
12世紀から13世紀にかけてという説が有力である。資本を投下して利潤を得ようとすると、資本を
投下する主体と、それを受け入れて利潤を生みだす周辺(frontier)が必要である。また、利子率が2%以下では資本は増殖できない。つまり、資本を投下する者とその資本によって利潤を生みだすfrontierそれに2%以上の利子率、この三者が資本主義を支える不可欠の要素である。

 初めに資本投下を主導したのは、人類史上初の株式会社である東インド会社を設立したオランダであった。オランダにおけるfrontierは東南アジアであり、そこで生産される香辛料などであった。やがて、海洋国家スペインが南北アメリカ大陸に植民地を拡大し、これをfrontierとした。この後、オランダとスペインはイギリスに敗れて、イギリスが7つの海を支配するようになると、イギリスは世界各地から石炭、石油、綿花、鉄鉱石、非鉄金属などを安い価格で持ち出し、産業革命に成功して膨大な富を蓄積した。これによってイギリスは世界の市場を支配するようになる。

 第1次世界大戦の結果、イギリスから世界の覇権を受け継いだアメリカは、第2次世界大戦を連合国の盟主として勝利に導き、ゆるぎなき資本主義国家を形成したかに見えた。しかし、その時、すでに世界には、利潤を最大化すべきfrontierは残り少なくなっていた。民族自決の波によって植民地は独立し、原材料などを安く買いたたいて持ち出すことは出来なくなっていたのである。よって利潤は減少し、利子率は2%を割りこむようになった。投資する側は、労働賃金を削って利潤を確保せざるをえなくなる。つまり、労働者側がfrontierになっていくのである。当然労働者側の反発が強まった。

 そこでアメリカの資本家が考え出したのが、空間にfrontierを作り出すことだった。つまりITによって金融資本の利潤増大を図ったのである。ウォール街は、債権の証券化など、様々なデリバティヴを開発することによって世界の余剰資金を電子・金融空間に呼び込み、莫大な金融資産を創り出した。今や世界の金融資本(140兆ドル)は実物経済(75兆ドル)の2倍近くに達する。このような巨大な国籍なきマネ—が、瞬時にして世界を駆け巡り、莫大な利潤を上げるグローバライゼーションの時代が来たのである。

 しかし、肥大した金融資本が無限に2%以上の利潤を生むことはありえない。そのfrontierである実物経済が拡大しないからである。日本の不動産バブルのごとく、アメリカの低所得者向け住宅バブルのごとく、バブルははじける。アメリカのサマーズ元財務長官は、金融資本主義によるバブルは3年ごとにはじけるという。

 その場合、労働者はリストラや賃金引下げ等の余波を受けることになるが、国家もまた不良債権の処理によって大きな損害を受ける。それは財政赤字となって積み上がり、国家財政の悪化、赤字国債の大量発行となって国家財政を悪化させる。先進諸国は軒並みこのような悪循環に陥っており、各国の国債の利率は2%以下となり、いつか、何らかの信用不安が発生すれば国家財政は破たんする。経済成長至上主義をとる限りこの悪循環、悪夢から抜け出すことは不可能なのである。

 アメリカ主導のITによる資本主義のグローバライゼーションの結果、マーストリヒト条約によって
成立した国民国家は、国境をこえて徘徊する巨大な金融資本に翻弄されることになった。またそれによって生じた貧富の格差は、資本主義が育てた中産階級を消滅させることになり、中産階級を基盤とする民主主義もまた危機に瀕することになった。中産階級はもやや、資本主義を擁護する理由がなくなったのである。かくて、資本主義は終焉に近づいている。

 このような考え方が現在大勢を占めているわけではない。また資本主義の終焉がいつ訪れるかも定かではない。しかし、私は歴史的にみて、この考え方は正しいと思うし、金融資本主義終焉の時期もそう遠くはないと考える。したがってベクトルを変更し、持続可能な新しいパラダイムを目指す必要があると主張してきたのである。

② 何故日本はベクトルの変更を急がねばならないのか
 先進資本主義諸国は、グローバライゼーションによって、軒並み成長の鈍化、格差の拡大、国家財政の悪化に見舞われ、ひとたびリーマンショックのような信用不安に襲われれば、デフォールトの危機に直面する状況になっているが、マクロ経済の専門家は、とりわけ日本が最も早く資本主義の終焉に向かう可能性が強いと見ている。それは、前章<所与の条件>で詳述したように、人口の急激な減少に加えて、世界の人口爆発と後進国、途上国の生活水準の向上(平準化)によって予想される交易条件(輸出品と輸入品の単価の比率)の悪化、それに伴う利子率の低下に直面しているからである。それは拡大する貿易赤字に端的に表れている。日本はもはや、構造的に原材料を輸入して加工する”物づくり“では生きていけない国になりつつある。 つまり、日本にとっての海外市場というfrontierはすでに縮小しつつあり、これによって利潤をえることは難しくなっている。このため、資本は労働者をfrontierとして賃金抑制を図り、ブラック企業が跋扈する悲惨な状況になってきた。このような状況から、日本資本主義の終焉は近いとマクロ経済学は警告する。 アベノミクスなる経済政策が成功するかどうか、ミクロ経済について判断する知識は私にはないが、例え成功してもそれは短期間のことで、少し長い目で見れば歴史の流れに呑み込まれてしまうだろう。

 人間はいつの時代にも、今住んでいる社会が一番良いと考えるらしい。士農工商の身分制度が厳しく、“百姓は生かさず殺さず”の扱いを受けていた江戸時代でも、結構みんな世の中に満足していると本居宣長が言っている。現代においても北朝鮮の人民は、外から見ているほど自分たちをみじめだとは思っていないだろう。戦時中、全く自由のない生活を強いられてきた我々世代にはなんとなくそれが分かる。
 だから、このままでは、やがて行き詰まるとわかっていても、社会を急激に変えようとすれば、大きな混乱が起きる。次のパラダイムへのソフトランディングのために、少しずつ、なるべく早くへクトルを変えていかなくてはならないと私は考える。(M)

( 参考書籍等 )

* 資本主義以後の世界:  中谷 巌  徳間書店      
* 2012年 資本主義経済大清算の年:  浜 矩子 高橋 乗宣  東洋経済
* 資本主義の終焉と歴史の危機:  水野 和夫  集英社新書
* 経済学の犯罪:   佐伯啓思    講談社現代新書
* 99%のための経済学:  佐野 誠  新評論
* 「脱成長への構想」:  世界 2014年3月号   岩波書店
* 始まっている未来:  宇沢 弘文  内橋 克人 岩波書店 
* 社会を変えるには:  小熊 英二  講談社現代新書

* 桐英会ブログへの私の投稿は、次回から隔週土曜日ということにさせていただきます。
  次回の投稿予定は8月30日で<人権大国への道 終章 2.持続可能な社会の構築 ①
原発廃止が創造原理への入り口>を予定しています。 松山

(1)女子高校生が同級生を殺害したというニュースは、確かにショッキングなものでした。テレビのワイドショーでは、殺人を犯した女子高生について、その生育環境などをいろいろ議論していました。しかし、警察は捜査の必要上でしょうが、容疑者に関しての情報は一部しか公表しませんから、テレビ番組では、“ああでもない、こうでもない”と、ほとんどが推測に基づく議論になっていました。

(2)それも必要なのかも知れませんが、もっと人間の“性(さが)”と言うべき本質的問題として私は考えたいのです。人類の進歩の歴史は、いろいろな分類方法や学説があるようですが、百万年くらい前までは、“ナウマン象”(これは広辞苑にあります)のような巨大動物と戦っていたようですから、人間にも野獣的な本能が備わっていたと推測出来ます。だいぶ前ですが、私は長野県の野尻湖を訪れたことがあって、そこで、「このあたりでは、ナウマン象の骨などが発掘されている」と聞いて、日本民族の祖先も巨大な野獣と戦っていたのだという妙な感慨を覚えました。

(3)人類の性(さが)は、特定の現代人の中に突然現れることがあると私は考えています。そうだとすれば、一般的には男性に多いとされる殺人などを若い女性が実行することがあっても当然のように思えます。もちろん、人類の幸福のためには、そういう事件は起こらないほうが良いに決まっています。そのための生活の知恵が人間には備わっていて、現代社会では、お互いに殺し合うといった争いは避けるように仕組まれています。

(4)しかしながら、そのように仕組まれた歯車が狂って、突然、殺人事件が起こるのです。私の印象に過ぎませんが、殺人事件を起こした場合は、女性の容疑者のほうが、度胸が据わっているような感じがします。和歌山の“毒入りカレー事件”の容疑者などもその例ですが、「状況証拠だけで死刑にしてよいのか」と批判する本まで出ているようで、人間が人間を裁くことの難しさを痛感させられます。

(5)一方、世界各地では、戦争と呼んでもよいような大きな紛争が起こっています。イラクに見られるように、部族間の争いなどは一概にどちらが悪いと言えない気がします。おまけに宗教的な信念の違いが絡んでくるとどちらにも軍配は上げにくくなります。しかも、“自爆テロ”のように、自らの命を捨てることをなんとも思わないような人たちを説得することは不可能に近い感じがします。

(6)アメリカのオバマ大統領は、ついに見かねて、イラクを限定的に空爆する決定をしましたが、“更なる報復”を生むことにならないかと心配です。しかも、いつ日本に飛び火するか分からないのです。“集団的自衛権”を主張する安倍首相はどう判断するのでしょうか?

(7)いろいろな意味での“グローバル化”が進行している現状では、日本だけの景気回復を実現することも非常に難しくなっています。ウクライナ問題に関連した欧米諸国のロシア制裁に抗議して、プーチン大統領は、日本の北方領土を含めた広範な地域で軍事演習を実施すると公表しました。安倍首相はこの大統領と今後どのように話し合うつもりでしょうか?日頃から首相の考え方の狭さを心配している私としては、とても気になることです。(この回終り)

まずよく使われる動詞表現から見て行きましょう。よく使われる動詞というとbe, have, take, make, giveなどです。最初にhave を取り上げます。haveは英語学習の最初に習う動詞の一つですから、これを知らない人はいないでしょう。でもhaveを「持つ」とだけ覚えて、それでhaveの学習は完了したと思っている人がいるようです。たしかにhaveは「持つ」という意味に使われることが多いのですが、日本語の「持つ」と比べると、これはとてつもなく意味の広がりのある動詞なのです。英語の基礎が終わった人は、haveがどのような表現に使われるのかを整理しておくとよいでしょう。haveを制することは英語表現形式を楽しむ第一歩となるでしょう。

ただし、ここでは主として本動詞として用いられるhave に限り、完了形で用いるhave(e.g. I have finished the work.)は助動詞ですからここからは除外します。そして主に「have + 目的語」という単純な形式だけを見てみます。なぜなら、この形が本動詞としてのhaveの基本であり、haveに習熟するためにはまずこの表現形式に習熟することが必須だと思うからです。OALDの “have” を見ると、その語義・用法はなんと33項目に分類して説明しています。こんなにたくさんあっては、よほど辞書を読むことの好きな人でなければ、読み通すことは難しいでしょう。せめて10項目くらいならば読めるのに、と思う人もいるかもしれません。

以下には表現形式という観点から、最も基本と思われるhaveの語義と用法を7項目に分けて述べてみます。これをお読みになれば、中級程度の英語学習者は充分に理解でき、haveを自分の表現レパトリーにしっかり組み込むことができると思います。なお例文の多くはOALD [OA]またはLDCE [LD] からのものです。いずれもUKの出版社のものでイギリス英語を詳しく扱っているのが特徴ですが、アメリカ英語を無視しているわけではありません。

(1)物や財産を所有している:これがhaveの最も基本的な意味です。「何かを手に持っている」だけでなく、「身につけている」「財産として所有している」という意味にも使います。疑問文・否定文は “Do you have…?”, “I don’t have…” ですが、イギリス英語の口語では、所有を表わすにはhave got の形が好まれます。その場合の疑問文・否定文は “Have you got…?”, “I haven’t got…” の形になります(注)

<例文>He has a new car. [LD](彼は新しい車を持っている。)/ She’s (=She has) got plenty of money. [同上](彼女はお金をたくさん持っている。)/ Have you got a job yet? [OA] (もう就職しているの?)/ I’ll have time to see you on Monday. [LD](月曜日にはお会いする時間があるでしょう。)

(2)人や物の一部となっている特徴や性質を持つ:「この家には寝室が3つある」と言うときに、 “There are three bedrooms in this house.” とも言えますが、haveを使って “This house has three bedrooms.” のほうが英語では好まれます。このほうが文の構造が単純で、発音するときにリズムを取りやすいからです。この意味でもイギリス口語英語ではhave got を使います。

<例文>He’s (=He has) got a big nose. (LD)(彼はでかい鼻をしている。)/ She has a good memory. [同上](彼女は記憶力がいい。)/ This coat has no pockets. [同上] (このコートにはポケットがない。)The house has gas-fired central heating. [OA](その家の暖房はガス式のセントラル・ヒーティングです。)/ The ham had a smoky flavour (=flavor). [同上](そのハムはスモーキーな風味がした。)

(3)家族や友人を持っている:アメリカ人男性と話をすると、よく “Do you have a family?” とたずねてきます。彼は同時にポケットから自分の家族の写真を取り出して、妻や子どもの説明を始めます。自分の家族のことを語るのは多くのアメリカ人(特に中年以上の男性)の好む話題のようです。日本語では「私は妻を持っています」とか「2人の子どもを持っています」とは言いませんが、英語ではhaveを使う言い方が普通です。この場合にもイギリス英語ではhave got を使います。

<例文>He’s (=He has) got three children. [OA](彼には3人の子どもがいる。)/ Do you have a client named Peters? [同上](ピーターズという名の依頼人はいますか。)/ She had a wide circle of friends. [同上](彼女には広い範囲の友人がいた。) —To be continued.

(注)have gotについて:haveとhave gotをどう使い分けるかは、英語を母語としない私たちにとってかなり厄介な問題です。日本の学校英語ではhave gotの形を特に意識的に指導することはないかと思います。しかし筆者の個人的経験では、ロンドン近辺で “Do you have a pen?” というような英語は聞いたことがなく、みな “Have you got a pen?” と言いました。OALD(2000年版)のhaveの欄外コラムに、 “have you got / do you have” の見出しでこの点に関してかなり詳しい説明がなされています。要約すると次のようです。(挙げられている例文の多くを省略しますので、詳細は原文にあたってください。)

①イギリス口語英語では、have gotを現在における所有(など)を表わす動詞として普通に用いる。その否定文・疑問文はI haven’t got… / Have you got…? のようになる。よりフォーマルな場面ではhaveも用いるが、その場合の否定文・疑問文は、たとえばI have no appointment. / Have you an appointment? のようになる。ただし過去形hadは一般動詞と同じように使われ、否定文・疑問文を作るにはdidn’t/didが使われる。

②アメリカ英語では所有を表わすのにhaveを使い、一般動詞と同様に、その否定文・疑問文にはdo/does/did を使うのが普通である。have got の形は疑問文では使わないが、肯定文・否定文では使用することがある(所有しているものが他のものと違うことを特に強調する場合)。

③イギリス英語もアメリカ英語も共に、haveが習慣や慣例を表わす場合にはhave got を使わない。一般動詞と同様にdo/does/didを使って否定文・疑問文を作る。たとえばWe don’t often have time to talk. / Do you ever have headaches? など。

(番外)<集団的自衛権集中審議を聞いて> 

 ③ 野党の責任、国民の責任

 集中審議の中で、集団的自衛権の行使容認に踏み切った理由として、安倍首相ら政府側は「我が国を取り巻く国際環境が厳しさを増したこと」を繰り返し強調した。日本を取り巻く安全保障環境は本当に厳しさを増しているのか。増しているとしたら具体的に、どのように、どの程度増しているのか、どうしてそうなったのかについて、基本的な認識に関する議論はまったく聞かれなかった。先に元自民党総裁である河野洋平元衆議院議長が述べたように、安倍政権が中国を潜在敵国あるいは仮想敵国と意識して安保政策を進めていることは周知の事実である。国会で或る国を仮想敵国と名指しすることの重大性は理解するとしても、野党側の工夫次第で議論は十分成り立つし、政府側を追い詰めることも出来る。

 この集中審議について言えば、野党側が政府の設定した土俵の上で踊らされているだけのように感じた。もともと、日本維新の会、次世代の党、みんなの党は集団的自衛権行使に賛成だし、民主党と結いの党は佐高信らの言うユ党(ヤ党でもなくヨ党でもないその中間的存在)だから必然的にそうなるのだろう。安倍首相は、維新の会、次世代の党、みんなの党などを“責任野党”という耳慣れない言葉を使ってもち上げた。健全野党というのは聞いたことがあるが、責任野党というのは何のことなのか。多分重要政策で政権に同調する党ということなのだろう。それでは翼賛政党と変わりがないのではないか。
健全野党というのは、政権・与党を批判し、それに代わる政策と提示し、実行しうる政党のことだ。
野党第1党の民主党は、集団的安全保障の行使に賛成なのか反対なのかさえ決められない有様であり、健全野党が存在しないことが、この国にとっての悲劇なのである。

 ラジオ放送では確認できなかったが、民主党の海江田代表の質問中、安倍首相が自席から「まったく抑止力を認めないのか。さすが民主党だ。]と野次ったという。国民の多くが抱いている不安、疑問を代弁し、民主、共産、社民の泣き所をついた野次だ。

 国民の多くが抱いているであろう不安、疑問を列挙する。
* 抑止力として軍備が必要であり、外交も軍備があってこそ効果をあげられる。
* 自国だけで国が守れない以上、集団的自衛権を行使して他国と協力するのは当然である。
* アメリカは日本と価値観を同じくする長い間の同盟国であり、まずアメリカと集団的自衛権
  を行使するのが望ましい。
* アメリカが”世界の警察官“たりえなくなったからには、日本が応分の協力をすることは当然だ。
* 日本とアメリカが防衛協力を強めることで、他国は容易に日本に手を出せなくなる
* 或る程度の防衛費の増額は国を守るためにやむを得ない。
* 日本を取り巻く国は、話せばわかる国ばかりではない。万が一に備えることは必要だ。
* 世界各地で武力紛争が起きている現在、日本だけが局外にいるわけにはいかない。
* 軍備がなければ、”憲法護って国滅ぶ”という状況になりかねない。

健全野党たらんとすれば、これらの不安、疑問に具体的に答えなければならない。

 アジア太平洋戦争に至る滔々たる流れの中で、極めて少数ながら戦争に反対した人達がいた。しかし彼らの多くは”非国民”売国奴”として過酷な弾圧を受けたり、社会から隔絶されていった。戦争への流れを主導した者達に重大な責任があるのは勿論だが、これを支えた国民、特に有権者(20歳以上の男子)にも責任の一端はあると私は思う。勿論、戦争を主導した側の”一億総ざんげ論“などは罪の上塗りに過ぎないが、浅野さんが先のブログ(アーカイブ 2014−7−30)で指摘したように、国民の自省がきわめて不徹底であったことも間違いない。

 小選挙区制という致命的欠陥のある選挙制度と、憲法違反あるいは憲法違反状態の一票の格差の下で、絶対得票率が20%前後しかない政党が国会で圧倒的多数を占めるという異常な状況のなかで、代議制民主主義は形骸化し、ひと握りの権力者達が、国の運命ひいては国民の生命を意のままに動かそうとしている。このような権力構造をこのまま続けさせるのかどうか。有権者の判断と行動が問われる。

 自民党の場合、このような権力構造を支えるのは末端の地方議員である。国会議員の地盤は都道府県会議委員の地盤の上に成りたち、都道府県会議員の地盤は市区町村議会議員の地盤の上に成り立つ。自民党の石破幹事長が「統一地方選に勝って、政権奪取を完成させる」と言っているのは、そういう意味だと私は思う。来年春に行われる統一地方選挙の帰趨は今後の日本の行方に大きな影響を持つことになるのである。ところが、地方選挙への関心は極めて低く、投票率は年々低下して20%台になることも珍しくない。国民はこれでよいのだろうか。

 私は、地方議員の政務活動費を一斉に調査する市民運動を提唱したい。兵庫県の”号泣県議“のでたらめな活動費の使途が問題になったのをきっかけに、他の兵庫県議、愛知県議、都議会議員らの活動費についての疑惑が浮上している。これは多分、全国的な問題だろう。市民オンブズマンなどの県議会等に要求し、調査が不完全な場合は
それによって、自分たちの選んだ議員達が政務活動として何をしているのか、なにをしていないのかが明らかになり、考えられないような税金の無駄使いが明らかになるだろう。同時に、真剣に地方自治のために献身している議員も見つかるだろう。それを次の統一地方選挙に反映させることが出来れば、地方自治改革、選挙民としての覚醒の第一歩として役立つのではないかと思う。

 今年は850万人の命を奪ったとされる第一次世界大戦が始まって100年目になる。自ら考え、判断し、行動することを怠り、”お任せ民主主義”に身をゆだねていると、気が付いた時にはもはや手遅れになっていることを、戦争の世紀であった前世紀の歴史は教えている。(M)

* 国民の運命を左右する安全保障問題に関して、吉川弘文館の近刊「日本軍事入門 Q&A」は62項目を挙げているが、私は特に次の10項目について考えることが必要だと思う。

1. 戦前の徴兵制について教えてください。
2. 日本に反戦運動はあったのですか。
3. 戦争責任について。
4. 自衛隊はどのように生まれたのですか。
5. 戦後の防衛構想について教えてください。
6. 自衛隊の軍事力は世界でどの程度の規模     ですか。
7. 米軍の軍事力について教えてください。
8. PKOの実態について説明してください。
9. 中国の軍事力について教えてください。
10 .米国は本当に日本を守ってくれるのですか。

これまで英文を構成するときの基礎となる文法の話をしてきました。今度はそこで得た知識をどのようにして具体的な表現に結びつけるかという問題を考えてみます。以前にも述べたように、文法とは有意味な文を作るときにどんな語句をどんな順序に並べるかに関する規則のことです。つまり、伝えようとする内容を言葉による表現形式に結びつけることです。これまでは、文を構成するときの単位となる語彙・フレーズ(句)・クローズ(節)という3つの主要な単位について、いろいろな文例によって考察しました。しかし文法の知識は、「ああ、なるほど」と納得しただけでは実際に文を作る助けにはなりません。それらに関する知識を実際の英語表現に結びつける技術を学ばなければなりません。そしてその技術の主要な部分は、自分が言葉で伝えようとする内容を適切な言語形式に変換することです。

ここで、自分の中にある何かのアイディアや思いを文として構成しようとするときに、私たちが心の中で操作していると思われる事柄を考えてみましょう。つまり、発話したり書いたりするときの心理的プロセスはどんなものかということです。まず表現したいという内容が頭に浮かびます。するとそれをどのような語彙を使い、どのような言語形式を選んで表わすかが次の課題となります。同じ内容を表わすにも、実際に用いる表現形式にはいろいろあり、ひとつの事柄が特定の表現形式と1対1で結びついているということはめったにありません。たいていの場合、多くの選択肢の中から一つを選ぶという心理的操作が必要となります。

ひとつ例を挙げてみましょう。英語を話す人たちの住む町に行って、だれかに時刻をたずねるという場面を考えてみます。まず “Excuse me…” と言って相手に話しかけます。この場合は、話しかけようとする話者の意図とその言語表現が1対1で対応している数少ない例のひとつです。他にも話しかけようとするときに用いる方法はいくつかありますが(たとえば顔の表情やジェスチャーなど)、 “Excuse me…” はこのような場合にいつでも使える言語表現です。そこで時刻をたずねることになりますが、これにはいろいろな言い方があります。OALDの “time” の項目を見ると、次のような時刻をたずねる代表的な表現が載っています。

What time is it? / What’s the time? / (BrE) What time do you make it? / (AmE) What time do you have? / Do you have the time? [BrE=British English; AmE=American English]

最初のWhat time is it? がおそらく最もよく使われる表現です。しかし他のものもよく耳にします(ただし、筆者は “What time do you make it?” が話されるのを聞いたことはないように思います)。これらはみな同じように使っていよのでしょうか。いえ、そんなはずはありません。これらは時刻をたずねるという意味においては同じでも、表現形式が違えば何かが違ってくるはずです(注)。日本語でも時刻をたずねる表現には「いま何時ですか」だけではなく、「いま何時になりますか」や「時間がおわかりですか」、「時計をお持ちですか」など、いくつか違った言い方があります。どう違うかをきちんと説明することは難しいかもしれませんが、とにかく日本語を母語とする人たちはそういう言い方を知っていて、ほとんど無意識的に区別して使い分けていると思われます。英語を母語とする人たちもそうであるに違いありません。

このように実際の言語活動においては、多くの選択肢の中から適切な表現形式を選ぶという操作が、私たちの心の中で常時行われています。上に挙げた例は時刻をたずねるときに用いる、やや慣用的な表現に関するものでしたが、発話したり文を作るときには、どんな場合にも、これと同様な「適切な表現形式を選ぶ」というプロセスが含まれます。したがって熟達した言語使用者は、利用可能な言語形式の豊富な蓄積を所有しており、実際の言語使用に際してその中から最も適切な言語形式を選択するという技能を獲得していると考えられます。

私たちの多くは日本語で生活していますから、英語の母語話者と同じにはなれませんし、そうなる必要もないのかもしれません。しかし英語を深く理解するためには、また自分の思いを言葉として適切に表現するためには、そういうことについての気づき(アウェアネス)を発達させておく必要があります。つまり、何かを相手に伝えようとするときには、その伝えようとする内容をどう表現するかはそんなに単純なことではないということです。また他の人によって表現された言葉の意味を正しく理解しようとすれば、その表現形式の選ばれた理由まで推測することができるようになる必要があるということです。

(注)What time is it (now)? は時刻をたずねるときの最も普通の表現形式です。たいていの場合はこれですみます。しかし英語母語話者は他の言い方も時に応じて使います。What’s the time? の方はやや硬い感じで、これをいきなり発せられると受け取るほうは唐突に感じるでしょう。先生が授業中にWhat’s the time? と発するような場合には、授業の流れの中で生徒はその発言を自然な感じで受け止めるでしょう。日本語にすると「(ところで)いま何時かな?」という感じです。アメリカではWhat time do you have? やDo you have the time? をよく耳にします。特に友人どうしでは普通に使います。What time is it? にくらべてややくだけた口語的な表現なのでしょう。イギリス英語のWhat time do you make it? はアメリカ英語のWhat time do you have? と同じだと思いますが、イギリス人には “do you have” という言語形式に抵抗を感じる人が多く、そのためにこの表現が定着したものと考えられます。

(番外)< 集団的自衛権集中審議を聞いて > 

② 政府答弁の矛盾と欠落

 14時間にわたる集中審議を聞いても、「なぜ今、何のために、何をやるのか?」という疑問は、深まるばかりであった。

 「なぜ今、急ぐのか」については、年末に予定されている日米防衛協力の指針いわゆる”ガイドライン“の改定に間に合わせるためだと見当はついたが、「なぜガイドライン改定に、集団的自衛権の行使容認が必要なのか」についてはまったくわからないままで終わった。

 アメリカ側の反応を見ると、日本政府の閣議決定は有難いが、是が非でも今やってくれというわけではないようだし、政府の挙げた事例では、公明党が言うように、個別的自衛権の範囲内で間に合いそうでもある。そうなると、安倍首相の念願である憲法改正への布石ではないかと思えてくる。つまりこの際、”アリの一穴“を穿っておきたいということである。
 
 特に質問第一陣に立った自民党佐藤正久議員の発言を聞いていてそう感じた。この議員は周知のようにイラク派遣PKO部隊の隊長で、今は防衛政務官を務める熱烈な憲法改正、日本軍創設論者であるからだ。(文芸春秋2014年6月号「憲法解釈は通過点に過ぎない」)。1時間近い持ち時間の質問は、首相とのおべんちゃらのやり取りばかりで、印象に残ったのは、「自衛隊の殉職者への叙勲が、警察官に比べて軽い」として是正を求めた最後の場面のみだった。武力行使が始まれば戦死者が出るから”金鵄勲章“の準備をせよと言っているのかなと感じた。
 
 だらけた審議の終わり近くに、共産党の議員が質問した。共産党くらいはもう少し突っ込んだ質問をするかもと期待したが、党の主張を一方的にまくしたてるだけで、質問らしい質問は聞けなかった。多分、政府側がまともな答えをしないことを察知して、少ない持ち時間を党の主張の宣伝に使ったのだろう。 遠い昔の国会の予算委員会での火花を散らすような論戦の模様を知っている私にとっては、何ともやり切れないような空疎な時間を過ごした倦怠感だけが残った。

 それでもあえて記憶に残った質疑応答いくつかとりあげてみたい。

* 集中審議中、安倍首相が、集団的自衛権行使の事例として再三強調したのが「朝鮮半島有事の際、避難する日本人を載せた米艦が攻撃された時、日本の自衛隊が応戦する」というケースだ。これについて野党側は事実上ありえないと批判した。アメリカ太平洋軍には、それだけの船舶の余裕はない。現在配置されている揚陸艦4隻は沖縄米軍の輸送で手いっぱいになる。北朝鮮には拉致被害者と日本人妻以外に日本人はいないはずだから、韓国から運ぶということだろうが、韓国にはアメリカの民間人も多数おり、そちらが優先になる。アメリカと日本の間には避難民を運ぶ協定はないから、アメリカの善意に頼る以外にない。

これに対して、安倍首相は「朝鮮半島からの日本人の輸送は、ガイドラインにあるし、訓練もしている」と答えた。しかし、ガイドラインは法律ではないから、両国が予算や行政上の措置をとるわけではない。また、ガイドラインを実施するための周辺事態法を整備する過程で、アメリカ側は日本人救出を法に盛り込むことを拒否したという。

* また、このケースで、日本の護衛艦が発砲すれば、それは、相手国に対する先制攻撃となり、巻き込まれるのではなく、参戦することになるから、報復を招くことは必至であるという批判に対しては、武力の行使は必要最小限にとどめることになっているから、そのようなことにはならないと答えたが、戦争には相手があることであり、どちらかがナショナリズムに押されて理性を失えば、いわゆるゲームの理論による抑止論などは役立たない。戦争の歴史を知ればそんなのんきなことは言っていられないはずである。

* PKO法による非戦闘地域への派遣に代わって、「現に戦闘が行われていない地域」なら自衛隊を派遣できるとしている点について、「現に戦闘が行われていなくても、戦闘が再開されることはありうる。」と民主党議員が質した。これに対して政府側は「その時は直ちに撤退させる」と答えたが、
戦争の常識を疑わせる。古来、戦場では撤退するときに一番犠牲が多くなるのである。
  さらに、こうした戦闘によって自衛隊員に戦死者がでることを覚悟しているのかという質問に対しては、自衛隊最高司令官である首相は、「自衛隊の皆さんは現在でも、身の危険を顧みず、任務を遂行している」と繰り返すばかりで、自衛隊員に対し戦死の覚悟を問う宣誓のやり直しと求めるのかどうかも明らかにしなかった。

* 次に安倍首相が取り上げたのは、ペルシャ湾で自衛隊が他国籍軍と共同で実施する掃海活動で、これは国連憲章第7章に基づく集団安全保障への参加であることを認めた。そうなると、これまで苦心惨憺してまとめあげたPKO法などはまるで意味のないものになる。国連はもともと戦後世界の集団安全保障のために設立された機関だから、その中核は第7章であり、第8章の集団的自衛権は、それに至る暫定措置としてみとめられたものである。そのような関係にあることを政府側は全く説明しなかった。

* こうした点をつかれると、安倍首相は「集団的自衛権行使の3要件」の2番目「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」を強調して他国とともに武力を行使することを正当化し、二日間の集中審議中安倍首相は、おそらく30回以上50回近くこの文言を繰り返した。そしてその根拠として憲法13条の幸福の追求権を挙げ。集団的自衛権の行使は、現行憲法の範囲内で可能であると繰り返した。自主憲法草案の中で、現行憲法の背骨である第97条をすっぽり削除していることとの整合性はどうなるのか。

* さらに、この第1項目にある「我が国と密接な関係にある他国」の「他国」とは具体的にどの国を含むのかという質問に対しては「アメリカは含まれるだろう」と言うだけで、一切こたえようとせず、「密接な関係にある諸国」と「密接な関係のある諸国」はどう異なるのかについても明らかにならなかった。集団的自衛権の行使が、やがて、太平洋におけるアメリカの同盟国による中国包囲網の形成につながっていくだろうと推測される。

 ところで二日間の審議が終わりに近づいた頃、我が団地の上空に耳慣れぬ轟音が近づいてきた。空を見上げると“怪鳥”オスプレイだった。怪鳥はこれまでの米軍機の爆音とは明らかに異なる爆音を残して厚木基地へ着陸していった。沖縄から本土への初飛行である。基地のある綾瀬、大和の両市は、事前に米軍に対しオスプレイの来航反対を申し入れており基地の前には反対の市民が集まっていたが、そんなものはどこ吹く風と予告通りの強行着陸だった。軍隊とはそういうものなのである。沖縄の負担軽減という名目で、これからは日本全土がオスプレイの訓練場となり、現在の日本を象徴する風景となる。

 もう一つ、今の日本の現状を反映する事象にいやでも気づかされた。14時間の放送を聞いている間に、人身事故による鉄道の情報というステブレ(station-break)が5回入った。東横線、東武線、中央線、京王線、総武線での人身事故、つまりは鉄道自殺だろう。これは首都圏だけの数字である。もはや、「人身事故」は日常茶飯事となっているのだ。私がそう感じたのは、2年ほど前、横浜の知人宅からの帰りに、京浜東北線の洋光台駅で「人身事故」に遭遇した時のことだ。10年ほど前に上野駅で人身事故にあった際には、3~4時間不通になったので、その程度は待たされると覚悟したのだが、1時間半で運転は再開された。駅員による手際の良い乗客の誘導、担架などの運びだし、アッという間に集まってきた消防車、救急車、警察車輛を見て、そうか、人身事故対策はすでにマニュアル化されているのだと悟った。国民の幸福を追求する権利つまり国連開発計画の言う「人間の安全保障」は、有効な対策もないまま、とっくに内側から脅かされているのではないか。
(次回 野党の責任、国民の責任へつづく ) (M)

(訂正)前回のブログの8番目のparagraphの最終行に「チ被いたとき」とあるのは「近づいたとき」
    の誤りでした。