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 < 桐英会ブログ投稿終了にあたっての御挨拶 >

 桐英会ブログの投稿者として健筆をふるってきた土屋澄男君が、去る11月5日不慮の事故により急逝されました。浅野博君に続く土屋君の逝去により、桐英会ブログの投稿メンバーは、私一人となったため、桐英会ブログとしての存続は維持出来なくなりましたので、私の投稿も本稿をもって終了することにいたします。7年有余にわたるご愛読に厚く御礼申し上げます。
 
 また、ブログ管理者として常に激励してくれた田崎清忠君、裏方として支えてくれた御子息譲治さん、本当に有難うございました。

 この国は今、戦争に巻き込まれるかどうかの瀬戸際に立っていると思われます。先日の予算委員会審議で、安倍首相は与党議員の北朝鮮対策についての質問に答えて「東京が攻撃された時のために、実践的な避難訓練を考えねばならない」と答えました。これを聞いて、私はいやでも、空襲警報が鳴り響く真夜中に、防空壕に飛び込んで、近づいて来るB-52の爆音に息をひそめた戦争中の日々を思い起こさずにはおられませんでした。数知れぬ犠牲の上に不戦を誓ったこの国が、とうとうこんなところまで来てしまったのかという無念の思いにかられます。

 北朝鮮の核武装にどう対応していくのか。国民は難しい選択を迫られることになるでしょう。前回の投稿の末尾で、私の安全保障論について稿を改めて詳述することをお約束しましたが、果たせなくなりました。人生最後の本として現在執筆中の「戦争を知らない人たちへの遺言状」の中で、この国の未来を考えていただく一つの参考として私の提案を詳述したいと考えております。

                   2017-12-2
                               松山 薫

< 社説 読みくらべ 10. 最終回 >

社説よみくらべ 10.日馬富士引退

 横綱日馬富士が、平幕力士貴ノ岩への暴力行為の責任を問われて11月29日に引退した。これを受けて11月30日、12月1日、大手5紙と幾つかのブロック紙、地方紙が社説を掲載した。

 各紙社説の見出しは次の通り。

讀賣新聞    綱を汚す愚行の代償は大きい
朝日新聞    相撲協会 厳しい視線を自覚せよ
毎日新聞    これで落着にはできない
日経新聞    引退での幕引きは許されない
産経新聞    これで「幕引き」とするな
北海道新聞   暴力体質を一掃せねば
信濃毎日新聞  横綱の暴力 責任は重く
中国新聞社説  これで決着とはいかぬ
南日本新聞   先ずは全容解明が急務だ

 横綱の権威を汚したのだから引退は当然と言った論調が目立つ。また、日馬富士の引退で一件落着ではないという点では各社ともほぼ一致している。では、1.何故相撲界で深刻な暴力事件が多いのか 2.どうすれば根絶できるのか、について各社社説の主張を見てみよう。

1.について、朝日新聞は「一般社会の常識・感覚から遠い角界の体質と相撲協会のガバナンスの欠如」を挙げており、毎日新聞は「相撲部屋という狭い社会が暴力の温床になっている」としている。日経新聞は「正しいと信ずるなら、実力行使もかまわないという体質がしみ込んでいるのではないか」と述べ、産経新聞も「暴力に対する力士ら相撲関係者の感度の鈍さを物語っていないか」と疑問を投げかけている。また、北海道新聞は「角界には暴力体質が残っている」と指摘し、中国新聞も「相撲界では”かわいがり”や”指導”に名を借りて、暴力を許容してしまう体質が根深く残っているのではないか」としている。

2.については各紙とも、事件の全容の解明を求めるとともに、相撲協会の体質改善が急務だとしている。
  読売新聞は、全力士が厳しく身を律するとともに、相撲協会が内紛を克服し、一枚岩とならなくては信頼回復はおぼつかないと述べている。朝日新聞は、協会の組織改革が必要であり、具体的には理事13人のうち10人が元力士という構成を改め外部理事を半数にするなどの改革、また億単位のカネで売買され、弊害の源とされた年寄名跡の改革も必要だと述べ、横綱の品格云々を超え、協会そのものが問われていると指摘している。毎日新聞は、「力士のいざこざは部屋同士で」と考えるなら、暴力に対する認識が甘い、狭い社会が暴力の温床となる構造は容易に変えられない、今回の現実を協会全体の教訓とすべきだとしている。日経新聞は、暴力や暴言が心身に及ぼす悪影響をなくすため協会は踏み込んだ対策をとるべきであり、伝統ある競技を発展させるため、これが最後のチャンスと肝に銘じて暴力根絶に立ち向かって欲しいと希望している。産経新聞は、すべては協会の統治が行き届かず、関係者の身勝手な行動を許している協会執行部の責任であり、土俵を汚す現状を心から恥じて欲しいと述べている。北海道新聞は、暴力行為の再発防止策が何度も打ち出されながら、何故体質が改まらないのか、協会は厳しく検証し、今度こそ実効性のある対策を打ち出さなければならないとしている。信濃毎日新聞は、内輪の理屈で事は収まらない、大相撲の将来を揺るがす事態であるという認識を共有し、確執を超えて問題解決に取り組んでほしいと要望している。中国新聞は、一刻も早く暴力の温床をつまびらかにし、力士の一人一人が意識を変えなければファンの心が離れるかもしれないと警告している。また南日本新聞は、協会の管理能力はお粗末に過ぎる、混迷を深めた責任の一端は協会にあるとして、協会はまず暴力事件の全容解明に全力を挙げるよう要望している。  

さて私の意見です。

  私は、傷害を伴う暴力事件があったことを確認した段階で、相撲協会は、日馬富士を解雇すべきだったと思う。事件が発覚してから引退発表まで2週間、相撲協会は何をしていたのか。真相がわからなかったというが、被害者から警察に傷害の被害届が出て、頭頂をホチキスで数針も縫合している写真が流布されており、日馬富士は初めから暴行の事実を認めている。協会の対応には、暴力というものに対する相撲界の認識の甘さが露呈している。大相撲が国技(national sport)であると自認しているならば、協会のあり方が国民全体に影響を及ぼすことを自覚して、暴力行為に対しては厳罰をもって臨むべきだったろう。

  日馬富士の会見を見ていて、問題の深刻さを自覚していないのでははいかと感じた。日馬富士の師匠である伊勢が浜親方(元横綱旭富士)は、引退会見の席上、人前もはばからず、何回も涙をぬぐっていた。”泣いて馬しよくを斬る“のかと思ったら、会見が始まると、記者団の質問にいらだちを隠せず、”お前たちに書きたてられて、俺の愛弟子は引退に追い込まれたのだ”という不満をあらわにした。長年育てた弟子への愛情に目がくらんで、問題の本質を見失っているとしか私には思えなかった。

  暴力は、何故許されないのか、とり上げたすべての社説が自明の理として掘り下げていないのが、私には気になった。程度の差こそあれ、暴力がはびこっているのは相撲界だけではない。暴力の象徴的存在である暴力団が警察庁の度重なる根絶の声明にもかかわらず、一向になくならないのは何故なのか。学校ではいじめで自殺する子供が後を絶たない。会社でのパワハラや大学でのアカハラにも暴力を伴うものが少なくない。家庭でのDVの警察への相談件数は毎年増加している。相撲界での暴力事件は、こうした暴力に甘い社会全体の風潮の上に発生しているのではないか。

 戦時中、暴力が社会を支配していた頃、絶対に生徒を殴らなかった先生が一人だけいた。中学の同期会に卒業後30年経って初めて参加した時、その先生に再会して、わけをたずねた。先生は私が旧制高等師範学校の後輩であることをご存じだったようで「人は殴って変わるのか。君も教師をしたことがあるならわかるだろう」と答えられた。また「殴った方は忘れても、殴られた方の心の傷はずっと、もしかしたら一生残るのだよ」と言って私の目をじっと見つめ、盃に酒を注いでくださった。その時私はふと、私が米軍の伝単を見ていて、担任の教師に”非国民“と呼ばれて殴り倒されたことを憶えておられるのではないかと感じた。

 暴力は人間の性(さが)なのか。そうだとしたら、暴力をふるった者には厳罰をもって臨むしかないだろう。それは個人であれ、国家であれ同じだと私は考えている。(M)

 

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< 社説よみくらべ 9 >

9.日米首脳会談

 アメリカのドナルド・トランプ大統領は、アジア5か国外遊の最初の訪問国として日本を訪れ、11月6日午後、安倍晋三首相とおよそ30分間首脳会談を行った。その後、午後3時(つまり、夕刊には記事が間に合わない時間)から、両首脳は30分間の共同記者会見に臨んだ。質問者は国内・国外各二人ずつで、質問は、会談の意義、北朝鮮問題、日米貿易、拉致問題、テキサスの銃乱射事件の5点であった。

 各社社説の見出しは次の通り。

讀賣新聞   強固な同盟を対「北」で示した
朝日新聞   中ロ巻き込む外交を
毎日新聞   試される非核化の構想力
日経新聞   日米主導でアジア安定への道筋を
産経新聞   同盟の絆で国難を突破せよ 中国念頭に海洋戦略一致も大きい
北海道新聞  直言できる蜜月関係こそ
河北新報   平和的解決共有してこそ
中日新聞   戦略的外交を展開せよ 米大統領のアジア歴訪
中国新聞   「蜜月」だけで大丈夫か
南日本新聞  親密強調だけでいいか
沖縄タイムス 沖縄の不安置き去りに

 総じて全国紙が肯定的な評価をしているのに対して、ブロック紙、地方紙の論調が厳しい。京都新聞の社説は中日新聞と同じだから、共同通信の配信原稿だろう。また、沖タイ以外の社説は、トランプ大統領と拉致被害者、被害者家族との面会をとり上げ、一応評価しているが、それが今後被害者の救出につながるのかについての見解は見当たらない。

読売新聞社説は、北朝鮮情勢が緊迫度を増す中、日米の強固な結束を内外に示した意義は大きい。両首脳は、北朝鮮に対して「国際社会と連携し、あらゆる手段を通じて最大限圧力をかける」方針で一致した。しかし、最終的に外交手段で北朝鮮に政策転換を迫るには中国の積極的関与が欠かせないし、不測の事態に備えた抑止力強化も大切。もう一つの焦点であった経済問題では大統領は対日貿易赤字にこだわったが、貿易収支の数字だけをあげつらうのは時代錯誤であり、首相が「2国間貿易だけでなく、アジア太平洋地域での高い基準つくり」を強調したのはもっともであるとしている。

朝日新聞社説説は、会談では、両首脳が互いの絆の強さを改めて示した。両者は北への圧力の強化で一致したことを強調したが、圧力は対話のための手段であり、そこへ導く粘り強い努力が日米双方に求められるとしている。そのためには、日米の認識を韓国、中国、ロシア、アジア各国とどう調整していくかが重要で、とりわけ中国の協力は欠かせない。その際留意すべきは、両首脳が共通のアジア戦略として掲げた「自由で開かれたインド太平洋構想」であり、中国の「一帯一路構想」に対抗するものと受け取られないようにすべきであると警告している。

毎日新聞社説は、両首脳の会談は5回目で、日米首脳がこれほど緊密に連携した例はない。率直に議論できる関係は評価されよう。北朝鮮に米国が国際社会と共に経済的、外交的圧力をかけ、これに日本が同調するのは当然だろう。だが、圧力の先にどんな解決策があるのか示されただろうか。軍事衝突は絶対に避けなければならない。解決には中国の協力が不可欠だが「アジア太平洋構想」には「一帯一路」をけん制する狙いがある。必要以上に中国を刺激することは避けるべきだ。日米関係と日中関係などのバランスをとりながら、どう「危機」を克服していくかが、安倍外交に問われている。と論じている。

日経新聞社説は、ゴルフ接待には賛否両論あるが、シンゾ―・ドナルド関係が日米同盟をより強固にしたといってよいだろう。日米が主導して「自由で開かれたインド太平洋戦略」を推進することで一致したのは、アジアの平和と繁栄に資すると評価し、インドやオーストラリアなども巻き込み強固な枠組みに育ててほしいと期待を示している。北朝鮮問題で有事もありうる状況を考慮すれば、トップ同士のパイプは太いに越したことはない。米国政府内には宥和を志向する向きがあるが、両首脳が、対話より圧力に軸足を置くことを改めて確認したことは重要だと会談の結果をほぼ全面的に肯定している。

産経新聞社説は、両首脳が日米同盟の揺るぎない絆を世界に示し、北朝鮮問題をはじめとする難局を乗り越えていることを確認したのは、大きな成果だとして、個人的な信頼関係に基づく緊密な意思疎通と協力により、危機の克服に全力であたってほしい。北朝鮮問題や国際秩序を脅かす中国の行動をコントロールするには日米同盟の結束が欠かせないし、外交努力を有効にするためには同盟の抑止力、有事べの対応力を高めるのとが必要であり、高性能の米国兵器の輸入を含め防衛力を質的、量的に拡充するという約束を実行することが重要だとしている。

北海道新聞社説は、両首脳は北朝鮮への圧力を最大限高めていることで一致したが、圧力はあくまで北朝鮮に核放棄を促す手段のはずだ。圧力自体が目的化して緊張が高まれば、破局につながりかねない。トランプ氏にある程度自制を促すのも首相の役割だったはずだが、そんな場面はなかったようだ。北朝鮮問題で関係国が一致するためにも「トランプ一辺倒」の外交でよいはずはない。トランプ氏は国際協調に反する行動を続けているが、国際的な批判を招く態度を改めるよう忠告するのも、信頼の厚いという首相の役まわりではないか。と”蜜月関係”のあり方に疑問を呈している。

河北新報社説は、個人的関係が深まることは歓迎すべきことには違いないが、安倍首相は、北朝鮮に対する軍事的選択肢も排除しないとするトランプ氏の立場に支持を表明した。これには疑問が残る。どんな軍事的オプションであれ北朝鮮から反撃を受ける公算は大きい。害をこうむるのは韓国と日本である。
圧力を強めつつ、いかに対話の道を探るかについてトランプ氏と共通認識を深めてほしかった。北朝鮮が核を持つ動機が米国から体制保証を得るためだとすれは、緊張緩和の糸口は「対話」だろうと論じている。

中日新聞社説は、北朝鮮が圧力一辺倒で核・ミサイル開発を断念する可能性は小さい。首相がトランプ氏に同調するのは「日米同盟の揺るぎなき絆」を誇示するためだろう。だが、朝鮮半島有事となれば、日本も甚大な被害を受ける恐れがある。交渉による平和解決を買うまで目指すようトランプ氏に説いたのだろうか。首相はトランプ氏の要請に応じて、防衛装備品の購入を増やす意向を示したが、やみくもな防衛力増強が、地域の不安定化を招くことに留意しなければならない。としている。

中国新聞社説は、安倍首相はトランプ大統領とゴルフを楽しむなど、個人的な親密さを見せつけた。ただ「蜜月」ぶりを強調するだけで課題山積の現状を打開する道筋は開けるのだろうか。両首脳は北朝鮮が政策を変更するまで圧力を最大限にまで高めていくことで一致したというが、北朝鮮はどう考えているのか。金一族の支配を米国に認めてほしいだけなら、話し合いの余地があるのではないか。圧力一辺倒で追い詰めれば暴発を招くだけだろう。対話の道を常の開けておく必要がる。と述べている。

南日本新聞社説は、会談が日米同盟の結束を北朝鮮にアピールしたのは間違いないだろう。だが、圧力強化一辺倒で北朝鮮が核・ミサイル開発を止め、実用段階に達しようとている核兵器の廃棄に応じるとは思えない。安倍首相に求められているのは、威圧的な発言を繰り返すトランプ氏への全面的な追従ではない。首脳同士の濃密な絆を強調するならば、安倍首相にしかできない働きかけがるはずだ。細心の注意を払いながら不測の衝突を回避し、あくまでも国際協調による解決に導く役割が求められている。と論じている。

沖縄タイムス社説は、両首脳とも軍事力行使に伴うリスクについては語らず、外交努力による解決への言及がなかったのが懸念される。記者会見では、沖縄の基地問題に関することは一切出なかった。首脳会談の日に合わせるように、辺野古新基地建設の埋め立てのための新たな護岸工事に着手した。揺るぎなき同盟の絆は、いびつな沖縄の犠牲の上に成り立っているのだ。日米首脳会談は沖縄の不安には何も応えておらず、とても納得できないと、怒りをあらわにしている。

さて、私の意見です。

 日米首脳東京会談の評価は、今日から始まるトランプ大統領の中国訪問、周金平主席との会談の結果を見ないと定まらないと思うが、トランプ氏は韓国滞在中、北朝鮮との対話に触れていることから考えても、5か国歴訪を終わった時点で、安倍首相の「圧力一辺倒」の北朝鮮政策が浮き上がってしまうことも考えられる。

 米・露・中など大国は、これまで、核の拡散について、さまざまな”ダブル・スタンダード”を駆使して、自国の利益を図ってきた( 桐英会ブログ 2013年3月~4月 北の核 1~7)。 そもそも、これら大国が、北朝鮮に対して核を放棄せよと要求しても、倫理的、論理的に正統性が無い。たとえは、中国は、アメリカが中国の核開発施設を先制攻撃しようと計画した時、毛沢東が「中国人民は、パンツ(ズボン)をはかなくても原爆を持つ」と叫んだ。そういう国が、北朝鮮に「核を持つな」と言ったところで、目くそ鼻くそを笑うたぐいのものでしかない。

 核大国の自分勝手に、国連加盟国の多くが反発を強めている。それが国連総会における「核兵器禁止条約」の採択であり、この条約の採択に努力したICANへのノーベル平和賞の授与という形で現れた。
今後もこの動向は続くだろうし、続いてもらいたいと思う。

 私は、結局北朝鮮の核・ミサイルの保持は既成事実化していくだろうと思う。イギリス王立安全保障研究所のマルコム・チャルマース副所長は、北朝鮮に核保有を認め交渉するしかないと、次のように述べている。「北が危険なのは、国家存亡の危機だと受け止めれば、米韓側の通常兵器に対抗する目的でも核兵器をつかいかねないからだ。破滅的な人的被害を韓国、おそらくは日本にもたらす軍事行動か、それとも北を事実上の核保有国として容認し、そのリスクを管理していくか。アメリカの安全保障専門家の多くは、北が自殺的な行動をとらない限り、後者の方がましだと考えている」(11月6日朝日新聞所載)。

私もそうなるだろうと考えているのである。そうなった場合、日本も核武装すべきだという議論が強まるだろう。私は反対である。ではどうすればよいのか。私の意見は別の機会に詳述したい。(M)

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Author: 松山 薫

< 社説よみくらべ 8 >

8.総選挙の結果について

 第48回衆議院議員総選挙は、10月22日、超大型で強い台風21号の余波による全国的な荒天の下で投票が行われた。465議席の内わけは、自民党が284、立憲民主党 55、希望の党 50、公明党 29、共産党 12、日本維新の会 11、社民党 2、 無所属 22 となった。投票率は戦後2番目に低い 53.68%だった。

各社社説の見出しは次の通り。

讀賣新聞    自民大勝 信任踏まえて政策課題進めよ
朝日新聞    政権継続という審判 多様な民意に目を向けよ
毎日新聞    日本の岐路 「安倍一強」継続 おごらず、国民のために
日経新聞    安倍政権を全面承認したのではない
産経新聞    自公大勝国難克服への強い支持だ 首相は北対応に全力挙げよ
北海道新聞  与党勝利 白紙委任したのではない
河北新報    自公が3分の2 「敵失」の勝利に慢心するな
中日新聞    安倍政権が継続 首相は謙虚に、丁寧に
京都新聞    野党のこれから 自らの足場を固め直せ
中国新聞    安倍政権勝利 「1強」のおごり捨てよ
南日本新聞   「与党」大勝 民意に耳を傾ける謙虚な政権運営を
沖縄タイムス  反辺古 民意揺るがず

 自民党圧勝の原因については、野党の分裂や、準備不足による「敵失」による勝利とみるものが多く、安定志向の有権者が、「政治の安定」を掲げた与党に「他の党よりはまし」ということで投票したのであって、選挙期間中の世論調査の結果を見ても、安倍政権への信任とは言い難いとしている。また、日本の憲政史上最長政権になりうる安倍政権の今後の課題として、憲法改正、デフレ脱却、消費税と社会保障制度のありかた、財政の再建、北朝鮮への対応などが挙げられており、森友・加計問題についても取り上げた11紙(除沖縄タイムス)中、読売、産経以外の9紙が、ひきつづき解明を求めるており、政権の運営に当たっては、安倍政権と与党が、驕りを排し謙虚な姿勢で臨むよう求める論調が圧倒的に多い。

読売新聞社説は、わが国は今、いろいろな課題に直面しており、現在の野党に国のかじ取りを任せるわけにはいかない。政策遂行の総合力のある安倍政権の継続が最も現実的な選択肢であると有権者が判断した結果だろう。ただ公示直後の世論調査で内閣支持率が不支持率を下回ったことを見れば首相は、自
らの政策や政治姿勢が無条件で支持されたと考えるべきではない、と述べている。また、安倍政権の今後の最重要課題として「憲法論議を活発にするよう」主張している。

朝日新聞社説は、有権者は安倍首相の続投を選んだが、選挙結果と民意にはズレがあるとして、選挙結果は、野党が負けたというのが実態で、負けた原因は野党第1党だった民進党の分裂であり、野党が協力関係を再構築することが民意に応える道であると論じている。その上で留意すべきは立憲民主党の躍進であり、枝野代表が訴えた個人尊重と手続重視の民主主義のあり方は、安倍政権との対立軸になりうろとしている。また安倍首相は改憲に力を入れるだろうが、民意は改憲をめぐって多様であり、政権は選挙結果が白紙委任だと考えてはならないと警告している。

毎日新聞社説は、有権者は「安倍1強」の継続を選んだ。小池氏の劇場型手法に多くの有権者が不安を抱き、自民党をよりましと判断したのではないか。安倍政権にとって喫緊の課題は、北朝鮮危機への対応だが、トランプ政権の軍事的圧力傾斜に同調して不測の事態を招かぬよう、細心の注意が必要だとしている。さらに、安倍首相の最終目標が憲法改正にあることは明白であるが、安保法や特定機密保護法の時のように、事を急いだら、国の進路を誤らせると戒めている。

日経新聞社説は、この選挙を一言で総括すれば「野党の自滅」であり、その責任者は、民進党の前原代表と希望の党の小池代表だと断じている。その間にあって躍進した立憲民主党については、リベラルの復権とするのは早計であり、一過性の人気に終わるかもしれないとしている。そして、戦後最長となるかもしれない「安倍一強」政権の課題は、経済の再生という原点であり、「初の憲法改正」という宿願ばかりを追い求め、肝心の原点を忘れるなと忠告している。

産経新聞社説は、北朝鮮危機と少子高齢化という国難を乗り越えるという安倍首相の呼びかけに国民は強い支持を与えたとして、さらなる圧力の強化と共に、ミサイル防衛の充実にとどまらず、敵基地攻撃能力の導入、防衛予算の増額への政治判断を求めたいとしている。そして憲法9条は自衛隊を縛り、国民を守る手立てを妨げるとして、公約である憲法改正への努力を止めるなと提言している。

北海道新聞社説は、今回の自民党の勝利は、野党の敵失に乗じたもので、選挙期間中の多くの世論調査では安倍内閣不支持が支持を上回ったことからも、「安倍1強」への信任ではないし、まして白紙委任ではないと論じ、わけても首相自身が争点とすることを避けた改憲が、国民の信任を得たとは認められないと主張している。北朝鮮情勢については、国民は緊迫ではなく平和解決を求めているという。

河北新報社説は、与党の勝利は、積極的な支持というよりは、他によりましな政党がないという「消去法」によるものだ。首相は改憲に意欲を見せているが、今最優先に取り組むべき課題は、大企業、大都市にもっぱら利益をもたらすアベノミクスの軌道修正だろうと主張し、加計・森友問題もみそぎが済んだわけではなく今後も丁寧が説明が必要だとしている。

中日新聞社説は、結果を見る限り、消費税UP分の使途変更と、圧力に重きを置いた北朝鮮対策は、形の上では有権者の信任を得たことになる。しかし、世論調査では続投を支持されていない安倍首相が勝利したのは小選挙区を軸とした選挙制度によるところが大きいとして、自民党が初めて重点項目とした憲法改正についても、拙速に議論を進めるべきではないと釘を刺している。

京都新聞社説は、立憲民主党が野党第1党になったのは、理念と政策の筋を通したからだ。「草の根の政治」を唱える枝野代表には、公約実現への道筋を示し、「安倍一強」によって拡げられた国民と政治の距離を国民の方へ近づけてほしいと要望するとともに、国会を”まっとうな”議論の場とするための重責を果たしてもらいたいと求めている。

中国新聞社説は、改憲に前向きな勢力が3分の2を超え、改憲への動きが加速しそうだが、反対の立憲民主党が躍進するなど慎重な意見が国民の間に多いことを忘れてはならない。北朝鮮対応は圧力一辺倒では不測の事態も懸念される。対話のドアは常に開けておかねばなるまいと論じ、いずれの課題にもしっかりした説明と慎重な議論が必要だとしている。

南日本新聞社説は、選挙後最大の焦点は憲法改正の行方だ。その際首相がどの政党と連携するのか目が離せない。安倍政権は憲法をないがしろにする動きが目立つ。これをチェックする強い野党が出てくるかどうか。北朝鮮問題には与党も野党もないと思うが、対外危機には政権に支持が集まる傾向がある。首相はその点も織り込んでいるのではないか、と論じている。

沖縄タイムス社説は、沖縄での選挙結果は、自民党が圧勝した全国とは対照的であり、安倍政権の基地政策や強引な国会運営に対する批判にとどまらず、沖縄に対する不公平な取り扱いに対する異議申し立てが、広く県民の間に共有されていることを物語っているとしている。

さて、私の感想と意見です。

 与党圧勝、野党惨敗の戦犯は、希望の党の小池百合子代表と民進党の前原代表だ。二人とも代表をやめるのは当然であり、前原氏は国会議員も辞職すべきだろう。累々たる仲間たちの屍の上に、大将たる自分が腹を切らずになにができるというのか。

これに反して、かろうじて今回の選挙に意義があったとすれば、立憲民主党の躍進だろう。たった一人で結党宣言をする枝野代表を見て、私は、日本の政治家も捨てたもんじゃないと、胸を打たれた。

明暗を分けたものは、政治家として、いやそれ以上に人間としての「いさぎよさ」だろうと私は感じた。司馬遼太郎が言っているように、日本人には「いさぎよさ」を大切にする心がある。

「いさぎよさ」といえば、私は石橋湛山をジャーナリストとして、政治家として高く評価している。枝野代表には「いさぎよさ」だけでなく、軍部絶対の体制の中で、チエを尽くして自らの理念を貫こうと戦ったこの先達を見習ってほしい。大山鳴動して鼠一匹と書いた社説があったが、飛び出した「立民」という鼠が、ドラ猫を噛む日が来るのを多くの国民が待っている。

 社説の多くが、加計・森友問題の解明を求めているが、私も同感である。この問題は単なるスキャンダルではなく、この国の社会の根幹につながる問題だと思うからだ。選挙期間中に明らかになった日産自動車や神戸製鋼の不正事件をはじめ、この数年次々に明るみに出た大企業の反社会的事件は、競争第一主義と勝つために手段を択ばない土壌に根差したものであるからだ。小池代表は、「しがらみの政治」からの脱却を公約に掲げたが、「希望の党」に希望があるとすれば、加計。森友問題の解明に当たって、その公約を徹底的に押し通せるかどうかだろう。

それにしても、今回も、政治家を家業とするがごとき世襲候補の当選が目立った。世襲候補の跋扈とその弊害については、先にこのブログで詳述したが、これこそまさに「しがらみの政治」の象徴ではないか。これから、ひとりひとりの当選者について素性を調べ、いずれ再論したいと考えている。
(M)

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< 社説よみくらべ 7 >

7.総選挙の公示にあたって

 第48回衆議院議員選挙が10月10日に公示され、各紙はこぞって、選挙の意義や争点などについて社説を掲載した。

 各社社説の見出しは次の通り。

讀賣新聞   「安倍政権の信任が問われる」
朝日新聞   「安倍政権への審判 民意こそ、政治を動かす」
毎日新聞   「日本の岐路 ”よりまし”を問う12日間」
日経新聞   「次世代に責任ある経済政策論議を」
産経新聞   「複数の選択肢ないまゝか」
東京新聞   「公示第1声 原発何故語らないのか」 
北海道新聞  「暮らしの視点も大切に」
河北新報   「安倍政治の総括 問われる」
京都新聞   「訴え見極め未来選ぼう」
中国新聞   「政策の深掘り求めたい」
西日本新聞  「政権選択の政策論争こそ」
琉球新報   「沖縄の民意示す機会に」

各紙社説が選挙の争点として挙げているものは次の通り。

読売新聞   政権選択、北朝鮮の脅威、消費税と財源、教育、雇用、政治家の劣化
朝日新聞   安倍一強政治への審判、少子高齢化、原発、米国や近隣諸国とどう向き合うか
毎日新聞   安倍政治、憲法改正、原発政策、普天間基地移設計画
日経新聞   消費税、成長戦略
産経新聞   政権選択、北朝鮮政策、少子化対策
東京新聞   原発、福島の再生
北海道新聞  憲法改正、消費税、北海道の地域経済
河北新報   安倍政権の総括、北朝鮮情勢への対応、震災の風化
京都新聞   政権の選択
中国新聞   安倍首相の政治手法、憲法改正、原発政策、消費税と社会保障の財源
西日本新聞  政権選択、消費税
琉球新報   憲法改正、安倍政治の是非、米軍基地

< さて私の意見です >
 私は、今度の選挙の最大の争点は、北朝鮮をめぐる安全保障問題だと考えている。したがって、総選挙を行う意義を「消費税増税の使途の変更と北朝鮮をめぐる国難について民意を問う」とした安倍政権の問題意識には合点がいく。ただし、北朝鮮問題についてのこれまでの安倍政権の対応には全く同調できない。

 「国難とは大げさな」という意見もあるが、対応を誤れば、日本列島を放射能の劫火が覆うことになりかねないから、国難と言ってもよいのではないか。国難というと私は子供の頃によく歌った「元寇」の歌を思い出す。「四百余州をこぞる、10万余騎の敵、国難ここに見る、弘安四年夏の頃・・・」。

 この時、九州北部に上陸した元軍は、近代装備と集団戦法で、日本の武士団を圧倒し、日本の敗戦は必至とみられたが、”神風”によって救われた。先の大戦の末期にも、国民の多くが”神風”を期待したが、空しかった。だから今回は、国民が力を合わせて、自力で国難を解決するしか方法はない。総選挙はそのための絶好の機会であると思う。 

 「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」と孫子は言う。まずそこから始めなければならない。
北朝鮮の核兵器については、このブログに連載した「北の核」(2013-3-9~4-8)で詳述した。現状認識について、安倍首相は「北朝鮮は核保有国である」と述べたが、私も同意見だ。「戦争論」では、潜在敵国が顕在敵国に代わるのは「軍備の充実」と「侵略の意図」であるという。後者についても金正恩は「日本に対する恨みをはらす」と発言しているから、「攻撃の意図」は十分にあると言ってよいだろう。何故、北朝鮮の人達が日本に恨みを抱いているのか。我々はそれを真剣に考え、学んだたことがあるのだろうか。

 これに対して日本のミサイル防衛システムは万全ではないし、軍備はいたちごっこだから、万全にはなりえない。北が日本を攻撃するには、開発中の長距離弾道ミサイルは必要ない。すでに、日本を標的に数百基から千基を実戦配備しているというスカッド(射程800km)やテポドン(1300km)で十分だ。北朝鮮から600㎞~1000㎞にある日本海沿岸には約10分から20分で着弾するが、ここには玄海、美浜、志賀、柏崎・刈羽と、ずらり原発が立ち並ぶ。原子炉や使済み核燃料貯蔵施設を破壊されれば、偏西風にのって放射能物質が、日本列島を覆うことになる。中国の核実験による“死の灰”がそれを証明した。

 安倍首相は、トランプ大統領の親友だそうで、日米同盟の深化や両国間の100%の信頼関係を
抑止力と考えているようだが、これはかえって、北朝鮮に日本攻撃の口実をあたえるものになりかねない。アメリカが北朝鮮に対して軍事オプションを選択すれば、北にはアメリカ本土に届くミサイルはまだ持っていないから、日米一体とみなして、攻撃されるのは日本の米軍基地や都市となる。そうなった場合の被害をアメリカの大学の研究チームは100万人単位になると推計している。
   
歴史に鑑みれば、戦争は当事者の意図を超えてエスカレートしていく。 北朝鮮の壊滅を中国やロシアが座視することはないだろう。アメリカ上院のコーカー外交委員長が指摘しているように、アメリカと北朝鮮の軍事衝突が第3次世界大戦の引き金になるという意見も出てはじめている。

 総選挙で多数はとなった政党による次の政権は、北朝鮮問題をめぐってまさに正念場に立たされることになる。だから、私は、北朝鮮問題こそ、今度の選挙の最大の争点であると考えているのである。

公示の日の朝日新聞に、北朝鮮問題についての評論家の保坂正康氏の論評が載っていた。
日中交渉を打ち切った当時の近衛文麿首相が「非常な失敗だった」と述懐した手記を引用して「
どんな相手であっても交渉の線を残すのが基本であると述べている。

次元は違うが、私も組合役員として何十回もの労使交渉に臨み、交渉の線を残しておけば、どんなにもつれた糸もやがてほどける糸口になることを体験した。ジャーナリストの田原総一朗氏は、安倍首相に訪朝を進めたという。総選挙の最大の争点が政権の選択ならば、次の首相には、国民の運命をかけて、アメリカを説得し、ピョンヤンへ向かう決意を持った人物を選べるような結果を期待したい。(M)
     

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< ブログ再開のお知らせ >  

 松山 薫

胆石症の手術などのためしばらく桐英会ブログへの投稿を休んでいましたが、復調しましたので、”社説よみくらべ“の投稿を再開したいと思います。
総選挙が公示され、各党の公約が発表されていますが、私が一番関心を持っているのは、安全保障問題です。私が安全保障問題を記者としての中心課題として勉強しようと決意したのは、1960年安保闘争の国会デモを取材した時のことでした。デモ隊と警官隊の衝突のさなか、投石で顔面を割られた警察官の姿を見て、同胞相打つ悲惨な状況を避けるにはどうしたらよいのか。国民の大多数が納得できる安全保障政策はないのか、それが課題となりました。
あれから半世紀以上たった今も、残念ながら、私が納得できる安全保障政策を持つ政党は現れていません。一方で、北朝鮮の核・ミサイルをめぐって、北朝鮮とアメリカの常軌を逸した二人の指導者の対立で、偶発戦争や、いずれかの先制攻撃が起きる可能性を否定できなくなっています。そのような事態になれば、日本国民が受ける被害は想像を絶するものになりかねません。
このような現状について、各社の社説がどのように論評するのか、私の意見を付して、投稿しようと考えています。

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今号の第1特集は「英語嫌いを作らないために知っておきたいこと」、第2特集が「再考:教養英語」という編集になっています。今回は第2特集の「教養英語」に焦点をあてることにします。その理由は、第一特集の「英語嫌い」の問題はこれまでも再々取り上げられてきたテーマであり、今回特に目新しい論考も見当たらなかったのに対して、第2特集の「再考:教養英語」というテーマに評者が興味を抱いたからです。興味を抱いた理由は、これが評者のようなold-timerにとって単に懐かしいというだけではなく、そこに言語学習の不変の価値が存在すると思うからです。

第2特集は4つの記事から成っています。これらはいずれも故・渡部昇一氏の薫陶を受けた人たちの文章です。渡部氏はいわゆる「平泉・渡部論争」として1970年代にその名を馳せた人であり、当時英語教育に関係していた人々にとっては今も多くの人々に記憶されている一方の当事者です。とは言っても、あれから40年以上も経った現在では、その論争についての知識をほとんど持たない若い人たちも多くなっているようです。しかし「実用英語か教養英語か」の議論は今もなお潜在的に存在しています。評者自身も、近年の実用英語一点張りの教育を苦々しく思っている一人なので、「教養英語」というと、ひとこと発言をしたくなる人間の一人です。というわけで、この「再考:教養英語」のテーマに興味を抱く英語人はけっこう多いのではないかと考えます。

以下にそれらの記事の概要を紹介しますが、その前にこの雑誌編集部に一つ要望します。それは、毎号のように評者が感じていることですが、第1特集にくらべて第2特集の扱いが粗末に扱われているように思えることです。まず第1特集のあとにいきなり第2特集の記事が続いていて、読者はいつも戸惑うのです。「あれ、これは何じゃ?」と思うのです。第1特集には中扉のページがあって、そこに編集意図が掲載されているのに、なぜ第2特集は「おまけ」のように第1特集の後ろにくっ付いているのでしょうか。確かに編集部の意図は目次に小さく出てはいますが、これは小さくて目に留まりません。そして第2特集の記事も、第1特集ほどではなくても、もう少しスペースを割いてほしいものです。これではほんとに付け足しになってしまいます。

最初は江藤裕之氏(東北大学)の「グローバル化時代の日本の英語教育―平泉・渡部「英語教育大論争」を振り返りつつ」という文章です。江藤氏は「言語は道具に過ぎない」という考え方は言語の本質に対する哲学的洞察に欠けており、そういう考えで学校を知的な場とすることはできないと言い、最近の英語教育が主として経済的・政治的な視点から行われていることを嘆いています。氏は「教養人」を「自らの知見と信念と価値に基づいて判断し行動する人」と定義し、学校はそのための学びの材料を提供するする場であると述べています。そういう意味で、「英語を学ぶことで日本語を意識し、英語により開かれた世界から日本を考えるといった視点から英語教育を再考してみる」ことを提案しています。評者はこの考えを支持し、この言葉を別な表現で、「英語の学びのプロセスを通して、日本語とは異なる世界を、英語による思考法や表現法によって経験する」と常々言うことにしています。

次の織田哲司氏(明治大学)の「ポスト・モダンの英語教育」というタイトルの文章は、「生半可に英語を話せる人材を育成することは、結局のところ英米資本の労働力として使われることを目的としているのではないか」と訝り、ポスト・モダンの時代には、量的なものではなく質的に重要な何かを教える必要があると強調しています。その「質的な何か」とは、AI (Artificial Intelligence) では決して達成できない、人間特有の「知的な精神」だと主張します。それが渡部昇一氏の述べた教養教育だというのです。

次は長瀬浩平氏(桐朋大学・桐朋女子高校)の「暗記のススメ」です。長瀬氏は英文学科の大学1年生のとき渡部昇一氏の授業に出て、先生の言われた学習法を忠実に実行したそうです。そのおかげで英文を書く力と同時に、教養を養うこともできたと感謝しています。渡部氏が強調された学び方は、内容の豊かなテキストを読んで、その原文を暗記し、あとで和訳を見ながら復元するというものです。学生はまず授業で読む部分を和訳してきちんとノートに書いて授業に臨み、授業中にその訳をもっと良いものに改善し、その和訳を見て原文に復元するというやり方です。渡部氏の授業では隔週ぐらいに原文復元の小試験が行われたので、学生たちは終わった範囲のテキスト原文を常に頭に叩き込んでおかなければならなかったそうです。こういうやり方がどこででも通用するわけではないでしょうが、長瀬氏の教える大学や高校のレベルの学校ではうまく行くのかもしれません。

最後は古田直肇氏(東洋大学)による「コミュニカティブを装った文法訳読の勧め――原文復元法の可能性について」です。これは先の「原文復元法」を授業の中心に据えた指導をどこででも通用するように具体化したメッソドの提唱です。まず生徒の予習用としてテキストの中で注目させたい箇所の和訳を与え、その部分を本文から抜き出してノートに書き写させておきます。本文から抜書きさせるだけなので答え合わせは簡単です。そうして浮いた時間を原文復元に当てるわけです。具体的には、「教師がチャンクごとの和訳を言って、生徒に英文を音読させる。ペアにしてチャンクごとの日英変換をさせる。ペアワークの後、教師の言う日本語をパッと英語に復元できるか、指名して確かめる。最後に、そうして自分の血肉として英語表現を使えば答えられる質問を英語でして、生徒に英語で答えさせる」という手順になります。

このように訳読法の発想を転換して、和訳を予め与えて生徒に授業の準備をさせておきます。授業では和訳の日本語を英語に変換して徹底的に読ませ、言わせるようにすれば、生徒の英語発言量は飛躍的に拡大します。何度も読んだり言ったり書いたりするうちに、その大部分は自然に身につくわけです。古田氏は謙遜して「コミュニカティブを装った文法訳読の勧め」としていますが、これを「コミュニカティブな活動を目指す原文復元法」とでも名づければ、そんなに卑下することはないのではないでしょうか。これはこれでコミュニケーション活動に通ずる有効な教授法であると言ってよいように思われます。高校や大学の授業だけでなく、中学校でも、各単元のキーセンテンスの和訳を与えて、それを手がかりに英文の暗誦や応用練習にこの「原文復元法」を取り入れている授業は多いと思われます。(おわり)

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今回は、新しい学習指導要領の指導理念として掲げられている「思考力・判断力・表現力の育成」に関連して、英語を中心にそれらの能力がテストや入試においてどの程度測ることができるのかという問題を検討し、現在文科省が中心になって進めている教育改革の方向が適切かどうかを考えます。議論を分かりやすくするために6項目に分けて論述します。

(1)思考力・判断力・表現力をテストで測ることは可能か

文科省は、2010(平成22)年度全国学力・学習状況調査の結果を分析して次のように述べています。

「例えば、資料や情報に基づいて自分の考えや感想を明確に記述すること、日常的事象について、筋道を立てて考え、数学的に表現することなど、思考力・判断力・表現力等といった「活用」に関する記述式問題を中心に課題が見られた。さらに、知識に関する問題においても引き続き課題が見られるなど、知識を活用する力を育成することと合わせ、基礎的・基本的な知識・技能も定着させることが重要となっている。」(文科省初等中等教育局教育課程課登録文書<2011年1月>)

以上のような分析を受けて、今回の学習指導要領が作成されているわけですが、これからの教育が知識・技能の定着と共に、知識を活用する力を活用する力を育成することが課題となる点については、教育の専門家だけでなく、一般の人々にも異論は少ないであろうと思われます。私たちは何事を決めるにしても、これらの力を必要とすることは日常的に実感しているからです。したがってそういう指導は必要であり、その指導の効果を知るための評価活動も適切になされる必要があります。

(2)これまでの思考力・判断力のテストはどのようなものであったか

小・中学生を対象としたPISA調査は、読解力・数学的リテラシー・科学的リテラシーの3分野において、思考力や判断力を含む能力を評価しようとしています。また同じPISAの「問題解決能力調査」では、問題状況を観察し、必要な情報を探し出し、そこから改善すべき課題を見つけてそれを図表や言語や記号などで表現する能力を調べようとしています。わが国の文科省も、「全国学力・学習状況調査」を実施して、知識・技能等を実生活の様々な場面に活用する力や、課題解決のための構想を立て、それを実践し評価する力を見ようとしています(注)。しかしその調査もこれまでは国語と数学に限られていて、外国語はそれに含まれていません。近く同様の調査を英語においても実施すると文科省は言っていますが、果たしてどのようなテストになるのか、どんな問題が作成されるのか、期待と共に不安を感じます。わが国においては思考力や判断力の評価に関する研究はまだ十分に進んでいないからです。おそらくPISA調査などを参考にすることになるのでしょう。重要なことは、これらの調査が思考力や判断力そのものを点数化することではなく、与えられた問題の解決にそれらの力がどれだけ求められるかということです。

(3)英語の入試で思考力や判断力をテストすることは可能か

では思考力・判断力・表現力の育成がこれからの主要な教育目標であるとして、それらの力を入試で測ることができるのか、という問題を考えます。入試は一般に、受験生の答案を点数化したりランクづけしたりすることによって優劣を判定します。記述式テストにすれば、それらの力の一部を測ることはできるでしょう。実際、表現力に関しては、記述式でランクづけをすることが行われています。しかし思考力や判断力はどうでしょうか。国語や数学の分野ではそのような研究がある程度進んでいるようで、大学入試センターが2020年度からの大学入学共通試験で国語と数学に記述式を導入することを決めました。しかし英語に関しては、思考・判断などの力をみることはペーパーテストでは難しいというので、大学入試センターは英語そのものを共通試験から除外することに決めました。ただし、受験者を一定数に限定できる大学の二次試験などではかなりの程度自由な問題作成が可能なので、そういう力をみようとする英語テストはこれまでにもかなり実施されています。しかしそういう入試問題の作成技術はまだ未開発で、本格的な研究はこれからです。

(4)英語による思考力・判断力の評価はなぜ難しいか

ここで言語の使用力に関する根本的な問題に触れる必要があります。その問題とは、日本人が英語で思考し、物事を判断することができるようになるのは、一般に考えられているほど簡単ではないということです。私たちは生まれてからずっと母語である国語によって思考し判断してきました。小学生になって英語を学校で教えられるようになっても、その時間数は非常に限られており、日本語で考えることを英語でどう表現するかに学習の焦点が置かれます。英語を使って思考する域に達するには長期にわたる修練が必要なのです。新しい小・中学校の学習指導要領はそこまで目標とするかのように書いていますが、実際には、それができるのは特別な環境と経験に恵まれたほんの一部の例外的な生徒だけです。大多数の生徒にとって、英語はまだ基礎的知識と技能の習得段階にあり、英語を使って思考することができるまでにはまだ修練が不足しています。高校修了までに英語の基礎を固めることができればよしとする従来の考え方は、今後も大きく変わることはないと思われます。

(5)結論:実践研究を積み重ねることが必要

これからの時代を生きる子どもたちにとって思考力・判断力・表現力が重要であるという教育理念は、多くの人々が肯定的に受け止めているようです。これまでのように学校で知識や技能を蓄えても、それを活用する力を身につけなくては、これからの急速に複雑化する世界では生きていけないだろうという不安があるからです。学校においても、できれば小学校の段階から、思考力・判断力・表現力を育成すような教育を目指すのは時代の要請だと考えられています。しかし、そのような力をどのようにして養成するかはこれからの研究課題です。特に英語においては、このようにすれば必ず成功するというような処方箋が出来上がっているわけではありません。まして様々な制約のある入試において、それらの力を一律の基準で評価しようとするのは適切とは思えません。これからの現場における実践研究が必要です。そういう教育の成果は、新しい教育理念に対する教師たちの理解と熱意にかかっています。今回改訂された小・中学校の学習指導要領はあまりにも詳細な指示が多く、これでは教師たちの創意・工夫の意欲を削ぐことになるのではないかと危惧を感じます。

(注)文科省がホームページに掲載している資料(2015年10月22日の教育課程部会における「言語能力の向上に関する特別チーム」参考資料)によると、「思考力・判断力・表現力についての整理のイメージ」として、全国学力・学習状況調査(国語と数学)の基本理念を次のようにまとめています。

・知識・技能等を実生活の様々な場面に活用する力

・様々な課題解決のための構想を立て実践し評価・改善する力など

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大修館書店発行の『英語教育』9月号第1特集は、小・中学校の新学習指導要領告示をうけて、現行学習指導要領下で英語教育にどんな変化が起きたのか、また起きつつあるのかを、いろいろな角度から点検してみようという意図のもので編集されています。そこでは「文法指導」、「リーディング指導」、「ライティング指導」、「英語で授業」などのトピックスが取り上げられ、それぞれに実践者の報告がなされています。

まず文法指導については、佐藤誠司氏(佐藤教育研究所)が「文法指導は変わっていない?」というタイトルで論じています。最近の大学入試では文法問題の比率が徐々に下がっているけれども、全般的に見て中身は「あまり変わっていない」と総括しています。その理由は、教師が「文法の知識をまず頭に入れるそれを応用して英語を読んだり書いたりする」という発想から抜け出せないためだと言います。文法指導の改善は、教師のそういう意識を変えることから始め、「4技能を修得するための文法学習」と「入試の文法問題を解くための文法学習」との間に横たわる大きなギャップを埋めることが重要だと言います。つまり、入試に役立つ「受信用文法知識」と4技能修得に役立つ「発信用文法知識」をしっかり区別して指導することが必要だということです。

英語教師の意識は、リーディングやライティングの指導においても似たような傾向を見せています。転換が必要なのだけれど、教師の意識はまだ根強く古い伝統的指導法に固執しているのです。藤田 賢氏(愛知学院大学)の「リーディング指導の『常識』を見直す」では、従来の文法訳読式指導から総合的なリーディング指導への転換が必要なのだが、それへの変化はまだ始まったばかりで、本格的な取り組みはこれからだと述べています。またライティング指導に関しては、工藤洋路氏(玉川大学)がパラグラフ・ライティングの指導を行っている先生が少しずつ増えて、2~3文の文が書ける生徒の数も多くはなってきているが、そういう生徒も内容的にまとまりのある一貫した文章を書く力が十分ではなく、この点がこれからの指導の課題になっていると指摘しています。

スピーキングはどうでしょうか。「英語の授業は英語で」という文科省の指示により、中学校では英語を使う先生が多くなったと聞いていますが、高校はどうでしょうか。中学校ほどには多くないようです。その最大の理由は、教科書に載っているテキストの内容が抽象的になるためです。これを生徒にとって身近な、より具体的な話題に結びつける必要があります。吉田章人氏(日本女子大附属高校)は、「易しい英語」とは「具体的な表現を用いた英語」であると述べ、たとえ題材が抽象的であっても、その内容の具体的な事物や事例を用いることで易しくすることができるとして、自身の体験を基に具体的に説明しています。このようにすれば、もっと多くの高校の先生方が授業で英語を多用することができるのではないでしょうか。

他に注目を惹いたのはICTとAIの活用に関する記事でした。柏原郁子氏(大阪電気通信大学)の「ICTで拓くこれからの英語教育」と題する記事は大学での実践に基づくものですが、これを一斉授業で行っても効果は上がらず、「学生自身が自分の英語力や興味に応じて教材を選択できる」ようにすることが重要だと言います。柏原氏自身の授業は、「ICTを活用することで、学生の英語力に応じて、リーディング・リスニング・文法・語彙など多岐にわたる分野の教材を自由に選択することができ、英語嫌いの学生でも、英語の学び直しのきっかけをつかめること」を目標にしていると述べています。こういったICTを活用した授業はこれから盛んになることが予想されます。なお従来のITという用語は、近年は世界的にICT(Information and Communication Technology)がよく使われるようです。

また竹内和雄氏(兵庫県立大学)の「AI時代に英語教育は必要か?」では、パソコンで「Google翻訳」を使って夏目漱石『我輩は猫である』の冒頭部分を英訳して見せ、それがどの程度のものかを示しています。今はまだ発展途上にありますが、やがてこういう文学作品も実用に供することができるようになりつつあります。日常の簡単な会話くらいは、現在でも、スマートフォンのGoogle翻訳を使えば103もの言語に対応し、オンライン人口の99%をカバーしているそうです。そうなると、2020年の東京オリンピックなど、スマホを使えばちょっとした外国人とのコミュニケーションは誰でもできるようになると考えられます。そうなると、現在日本で行われている学校英語教育の理念と方法は、根底から考え直す必要がありそうです。

さて、今号の『英語教育』の特集でもう一つ注目したいのはテストと評価の問題です。これに関して、佐藤敬典氏(上智大学)は「テストが測る能力・スキルの変化」という記事の中で、次の2つことを強調しています。第1は、ここ10年間で、4技能をそれぞれ独立して評価するテストから、複数の技能を組み合わせて行う技能総合型テストへの移行が顕著に見られるということです。佐藤氏によれば、「たとえば、読んだ英文の記事の内容を口頭で要約させ、その要約を評価する」など。もう一つは「国際語としての英語」(English as a lingua franca: ELF)の概念が広く認められ、テストにもその考えが取り入れられてきたことです。これら2点は現場の先生方もよく承知しておいて、そのような指導を普段から心がけておく必要があります。文科省は現行学習指導要領でもそのことを強調しています。

しかしながら、総合型テストへの移行に関して、現在、大きな問題が起こりつつあります。文科省が大学入試改革で英語の4技能別テストにこだわっていることです。大学入試で受験生に民間の4技能別テストを強制するということは、最近の総合型テストへと向かう趨勢に明らかに反しています。一方では英語4技能の総合的な使用を強調しながら、他方では4技能別テストにこだわる。これはいったいどういうことなのか。文科省のやっていることは全く理解できません。『英語教育』の今号第1特集の最後に、寺沢拓敬氏(関西学院大学)が「英語教育政策、変わったこと・変わらないこと」と題して今回の学習指導要領批判を展開しています。そこで寺沢氏は、小学校での英語教科化をはじめ、最近の教育改革はかなり抜本的なものであるにもかかわらず、その根拠が不明確であると論じています。評者も同感です。

上記と関連して、今号第2特集は「どうなるポストセンター試験」というテーマで2点の論文が掲載されていて、その最初に斎藤資晴氏(駿台予備校)が「大学入学共通テストの動向」をまとめています。そこでは、英語が民間試験に移行され、「スピーキング」と「ライティング」が大学入試に導入された場合に起きるさまざまな実務的な課題が指摘されています。本誌編集部にお願いします。大学入試は高校生にとっても教師にとっても重大な関心事です。これらの問題点を探り、それらにどう対処していくべきかを、さまざまな観点から考察できるような特集を組んでいただきたいのです。

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大学入試改革という議論の中から、大学入試センター試験の一部(実施が困難な英語)を民間試験に移行するという考え方が生まれ、文科省はそうすることに決めたわけです。しかし先に検討したように、それは良い結果を生むどころか、むしろ、より複雑な新たな問題を生む危険性が高いことが分かりました。なぜこのような混乱が起こってしまったのか。おそらく、これまでの大学入試改革の議論のどこかで、何かが間違ってしまったものと考えられます。もしそうだとすれば、その「何か」をここで突き止めたいと思います。

大学入試センターが入試改革についての議論で定めた方針は次の2点でした。①国語と数学に記述式問題を導入する、及び②英語をセンター試験から外して「読む・聞く・話す・書く」の4技能テストを含む民間試験に移行する、の2点です。英語をセンター試験から外す理由は、従来のマークシート方式のセンター試験では「読む」と「聞く」しか測れないからだとされています。「話すこと」と「書くこと」のテストを課した場合には、センター試験ではその採点処理を短期間に行うことが不可能なのです。

しかしここで疑問が起こります。国語や数学では記述式問題を導入できるのに、なぜ英語はそれができないのか、ということです。なるほど国語や数学の試験では「話すこと」のテストは行いませんが、「書くこと」に関しては、工夫をすれば英語でもその一部の技能を測ることができるはずです。なぜ文科省や大学入試センターは、英語に関してのみ「話すこと」にこだわるのでしょうか。英語を「話すこと」がそんなに大切ならば、各大学の2次試験で実施すればよいのではないでしょうか。なぜセンター試験に「話すこと」が必須であると、文科省や入試センターの人々は考えたでしょうか。

その最大の理由は、この議論に加わった人々が、英語科は他の教科とは違って、「話す」という活動を教科の中心的な活動であると見なしていたからだと思われます。そうでなければ「話すこと」にそれほどこだわる理由は見当たりません。極端に言うと、文科省と入試センターの方々は、英語から「話すこと」を除外しては、英語テストは成り立たないと考えていたということです。そういう人々が過半数を占めたのかどうかは知りませんが、少なくとも、そういう考えが入試改革に関する議論の席では支配的だったということです。しかし筆者はその考えに疑問を持ちます。それが英語教育関係者の意見を代表する考えとは思えないからです。少なくとも、そのことに疑問を持つ人がかなりいたと思われます。しかしそういう人も、入試改革の公の議論の場では、文科省が出している教育方針に異議を申し立てることを躊躇したのです。

文科省が学校教育において「英語を話すこと」の指導にこだわっていることは、今年3月に発表された新学習指導要領を読むと分かります。そこには英語科における「話すこと」の活動が異常に強調されています。「異常」と言うのは大げさかもしれませんが、少なくとも尋常ではありません。以下にその点を中心に論を展開し、そのことが今回の入試改革問題を混乱させている原因の一つになっていることを指摘したいと考えます。

従来(第2次大戦後から前回の改訂まで)、中・高の学習指導要領は一貫して「聞くこと」「話すこと」「読むこと」「書くこと」の4技能の育成を目指すという目標を掲げてきました。ところが今回の改訂において、「話すこと」の目標が、①「話すこと[やり取り]」、②「話すこと[発表]」の2つの領域に分割されています(注1)。しかしこれら2つの領域の目標を読み比べると、そこには字句の違いが若干あるものの、内容的にはほとんど同じです。その違いは「話すこと」の場面が違うというだけです。つまり、誰かと対話を交わす場面か、自分ひとりで話す場面かの違いです。そこには本質的な違いはありません。それなのに、何のためにこのような大げさな変更がなされたのでしょうか。よく考えてみると、それは文科省が2002年に打ち出した「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」を実現しようとしているためだと考えられます。文科省の官僚は時の政権の意向に従順なのです。

では、「話すこと」の目標を2つに分割するという考え方はどこから出てきたのでしょうか。調べてみると、それはCEFR(セフアール:ヨーロッパ共通参照枠)の枠組みによっていることが分かります。つまり、今回公示された新学習指導要領(外国語)は、このCEFRの基準枠にしたがって作成されているのです(注2)。それとともに、数年後に行われる大学入試もこの新しく改訂された学習指導要領の目標に合わせようというのです。そこで、「話すこと」のテストをぜひ大学入試に導入したいという文科省の強い意向があり、この問題を議論した大学入試センターもその意向を受け入れざるを得なかったということなのです。入試センター試験から英語を外すと決定した裏にはこういう背景があったのです。

ところで、CEFRは日本の英語教育に当てはまるのでしょうか。それを小・中学校の英語科の目標に適用するのは適切な判断だったのでしょうか。筆者はそれを間違った判断とまでは言いませんが、適切な判断ではなかったと考えています。その理由を以下に述べます。

まずEUと日本との英語習得環境の違いを考えてみます。ヨーロッパに行ったことのある人ならば、そこが多民族の居住するオープンな空間であることに気づいたでしょう。筆者の乏しい経験ですべてがそうであると断定することはできませんが、そこは日常的に多言語の飛び交う空間であることは確かです。少なくともヨーロッパの主要都市では、どこに行っても英語を話して不自由を感じることはありませんでした(注3)。話しかけた人が英語を知らないことはありましたが、根気よく探せば必ず英語を使える人を見つけることができました。この点でEUの英語学習環境は日本のそれと大きく違います。ヨーロッパの人々は幼い頃から多民族と交わり、多言語の使用に慣れているのです。したがって、CEFRの評価基準は日本人にはかなり高いレベルの英語力を目指しています。英検3級や2級というレベルではありません。

そういうわけで、英語学習の基礎段階にあたる小・中学生にEUの基準が当てはならないのは明白です。使用レベルが格段に違うのです。日本でも、上智大学など、英語エリートを養成するコースの学生を鍛えるためにCEFRの設定した基準を適用して効果を挙げている大学があります。高校レベルでもいくつかの実験校がそれを利用して実践研究を行っています。それはそれで納得できます。しかし、それを日本人の基礎教育である小・中学校において、官僚主導の学習指導要領によって全国一斉に実践を強要するということには異議をとなえざるをえません。それは異なる言語的・文化的背景から生み出された仮説的実践計画に基づくもので、日本人がこれまで積み重ねてきた経験的事実を無視しているからです。

(注1)今年改訂された中学校学習指導要領では、英語の「話すこと」の目標は次のようになっています(小学校の目標も基本的に同じ)。

*話すこと[やり取り]「ア 関心のある事柄について、簡単な語句や文を用いて即興で伝え合うことができるようにする。イ 日常的な話題について、事実や自分の考え、気持ちなどを整理し、簡単な語句や文を用いて伝えたり、相手からの質問に答えたりすることができるようにする。ウ 社会的な話題に関して聞いたり読んだりしたことについて、考えたことや感じたこと、その理由などを、簡単な語句や文を用いて述べ合うことができるようにする。」

*話すこと[発表]「ア 関心のある事柄について、簡単な語句や文を用いて即興で話すことができるようにする。イ 日常的な話題について、事実や自分の考え、気持ちなどを整理し、簡単な語句や文を用いてまとまりのある内容を話すことができる。ウ 社会的な話題に関してきたり読んだりしたことについて、考えたことや感じたこと、その理由などを、簡単な語句や文を用いて話すことができるようにする。」

(注2)CEFRはCommon European Framework of References for Languagesの略で、EU各国の言語学習指導カリキュラム・シラバスの作成、教材の編集、外国語運用能力の評価のための枠組みを提供するものとして、20年以上の研究・検討を経て、2001年に欧州評議会から発表されたものです。CEFRやそこで開発されたCAN-DOリストは日本の英語教育にも参考になりますが、それが有効に利用されるためには、各学校の教師たちが、それらに対する理解を深めたうえで、自分たちの学校の実情に応じて、卒業までに何ができるようになるかという大きな枠組みから学習目標を設定することが重要です。文科省が一律に基準を示すことによって効果があがるとは考えられません。

(注3)筆者がアムステルダムで観光バスに乗ったときには、ガイドは5ヶ国語(オランダ語のほかに、ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語)を使い分けました。パリの観光バスのガイドは3ヶ国語(フランス語、英語、スペイン語)のほかに日本語も使いました。彼女に日本語で話しかけて、本当に日本語が流暢に使えることを確認しました。観光バスのガイドには外国語習得に熱心な人が多いのでしょうが、街を行く住民に英語で話しかけても、多くの人が英語で応答してくれました。EU諸国における国境の言語的な壁は、日本にいて想像していた以上に低いと感じました。