Archive for 2月, 2015

( 番外 ) < 確定申告の憂鬱 >          
 毎年2月に入ると憂鬱になる。税金の確定申告書を書かなければならないからだ。最近は加齢による視力の衰えも重なって、心の憂さがつのる。どうせ出すのだから早く書いてしまえばよいとはわかっていても、あの煩雑さを考えると、なかなか取り掛かる気にならないのである。先日新聞の投書欄で「確定申告 簡単にならないか」という79歳の主婦の投書を読んで「あゝ、みんな同じ気分なんだなあ」と妙にホッした。

 政治とは畢竟「税金の取り方と使い方」だと思うから、確定申告は年に一度税金について考えざるを得なくなるよい機会だとは思うのだが、とにかく憂鬱だから、つい後回しになる。申告期間が始まると、タレントなどが一日税務署長などに扮して「申告はお早く。e-taxもありますよ!」「税金はとられるものではなく納めるもの」などと提灯持ちをつとめるので、つい、「あんたら自分で申告書を書いたことあるの?」「e-taxは準備がたいへんなんだよ」「罰則があるんだから納税じゃなくて徴税だよ」などと毒づきたくなる。

 憂鬱になる理由の第一は前記の投書にもあるように、申告の煩雑さだ。サラリーマン時代は企業が年末調整で代行してくれたし、企業主だった頃は税理士任せだったから申告書書きとは無縁だった。それで、個人で確定申告をすることになった最初の年は、なじみの税理士さんに頼んだのだが、戻ってくる税金よりも手数料の方が高かったので、2年目から自分でやることにした。

 その時はじめて、収入と所得とは違う概念だということを知った。収入から経費や各種の控除を除いたものが所得で、それに5%から40%の累進税がかけられるという仕組みになっている。私の場合は年金以外は印税が主たる収入だから、経費を計算するためには、その印税を得るために使った書籍代とか通信費、文房具代などの領収書を保管しておかなければならない。引出しひとつをそのための専用にしているので、そこへ1年間領収書を放り込んでおく。確定申告書作成の仕事は、これらを分類整理して総額を計算することから始まる。先の投書の主が嘆いているように、これが結構大変なのである。まず、領収書の大きさが千差万別で、大きさごとに重ねなければならないし、文字もバカに小さくて天眼鏡で見なくてはならないものもあり、その上今年からは消費税が内税であったり、外税であったりして計算機に打ち込むのにやたら時間がかかる。その上、3回くらい験算しておかないと後で税務署につっこまれることになりかねない。事業主だった時、若い税務署員が調査に来て預金通帳を全部調べられたことがある。帰り際に「こんなことやってるヒマがあったら、巨悪に立ち向かえ」と言ってやった。

 消費税の8%は半端だから、10%にすれば業者はまた内税に戻るだろうし、一円玉が増えて困るということもなくなる。そうなると2年後の確定申告は若干楽になるななどと考える。生きていればの話だが。それに、10%にする時は食料品などには軽減税率を適用すると公明党は言っているが、軽減っていったい何%にするつもりなのか。まさか、8%据え置きが軽減だというのではあるまいな。与党内では品目の線引きでもめているようだが、食料品はすべて0%にすべきだろう。イギリスなどではチャンとそうしているから出来ないはずはない。やらないのは、財源が減るのと、とりやすいところかとるという江戸時代とかわらぬ“お上”の発想によるのだろう。

 問題は社会保険費の財源をどうするかだが、富裕税として所得税と相続税の累進性を大幅に高めるのが一番良いとトマ・ピケティも言っている。もともと、食料品など必需品の消費税は逆累進性が高いし、、一種の税金である健康保険料、介護保険料などが他の先進諸国に比べて高すぎるのが問題なのだ。重大な社会問題になっている所得格差や貧困率を少しでも縮めるためには、ピケティさんの言うようにしろと言いたいところだが、「格差が拡大しているかどうかは一概に申し上げられない。」などと言っている人物が政権を握っている限り、絶望的だ。

 つまり、私の憂鬱の第2の理由は,極めて「不公正」な税制とその決定のあり方、それに絡む利権や見返りとしての政治献金などの巨悪なのである。

 年金以外の収入である印税は、60代から70代にかけて、毎年1冊、10年間で10冊の本を書き上げた、文字通り鏤骨砕身の結果であるからピケティさんの言う gである。税率は10%だ。一方今年は株がだいぶ値上がりしているので、数年前に50万円で買って塩漬けにしておいた沖電線などの株を売ったら65万円になっており、NISAだと15万円の利益には税金はかからない。この15万円は r である。r は g の数倍になることもあるというピケティ理論の一端を実感した。

 こういう不公正税制は、毎年、年末に決定する税制大綱で決まるのだが、決めるのは自民党税制調査会と政府の税制調査会である。党税調は、選挙を意識した族議員と業界団体のなれ合いの場であるし、内閣府の政府税調は、有識者の雑談会で、日本の税制の決定過程の透明度は先進国中最低だといわれる。この伏魔殿で何がどう決められているのか庶民には知る由もないのである。

 「格差は不公正な税制の結果である」と喝破したピケティさんのおかげで、先に引用した「資本主義の終焉と歴史の危機」の著者である水野和夫日大教授や三木義一青山学院大学教授らを座長とする民間税調が誕生した。健闘を祈るが、鉄桶のような既得権益の壁をどこまで崩せるか。また、“公平・公正な社会の実現”を謳って来年からいわゆるマイナンバー制(またの名を国民総背番号制)が導入されるが、既得権層の資産がどれだけ把握出来るのか。“クロヨンあるいはトーゴーサン”といわれる所得の捕捉率はいまだに是正されていないのである。その上、資産を持つものや儲かる企業は海外にカネを貯めこんでいる。“Tax Haven” は今や花盛りだという。先日(2月24日)の連ドラ「マッサン」で久しぶりに”非国民”というイヤな言葉を聞いたが、tax haven に逃げ出す連中は文字通りの”非”国民ではないか。などと鬱屈を発散させながら、なんとか確定申告書を書き上げ、証憑書類をまとめ上げた。

 とにかく税金について考え始めると腹の立つことばかりだから、憂鬱になる。出来上がった確定申告書は、すぐに近くのポストに放りこみ、ああ、せいせいした。と思ったら、政府の補助金(税金)を受けた企業から政治献金もらったという政治家が現職の閣僚だけで4人はいるというのだから、あきれるほかはない。庶民の苦労をよそに、法網をくぐって税金を食い荒らす巨悪の尻尾がちらつく。(M)

< 参考書籍等 >
* アベノミックス批判 : 伊東光晴  岩波書店
* トマ・ピケティ「21世紀の資本」に佐藤優が迫る : AERA 2015−2−23
* 主権者として税制を決めよう : 三木義一 これからどうする  岩波書店

近年になって、英語によるコミュニケーション能力を獲得することが私たち日本人の英語を学ぶ主要な目的だと考えられるようになりました。「英語を6年、8年やって、それで英語が使えないなんて、学校の英語教育はいったい何をやっているのだ!」という怒りの声があちこちから上がりました。その言い分がわからないわけではありません。社会は英語でコミュニケーションができる多くの人材を必要としてきたからです。しかし、英語教育の目的が英語によるコミュニケーション能力の育成にあるというのは、自明のことでしょうか。

このことに関連する近年の議論の中で特に注目すべきものは、いわゆる「平泉試案」をめぐって当時の参議院議員・平泉渉と上智大学教授・渡部昇一との間でなされた論争です。これは雑誌『諸君』を媒体として、いわば公開でなされた論争でしたので、多くの人々の目に触れるところとなり、一般市民的なレベルでの論争にまで発展しました。この論争については、これまで多くの論評がなされました。最近も、この論争を踏まえて英語目的論を展開している鳥飼玖美子の著作が新たに加えられました(注1)。しかしそこでも、「なんで英語をやるのか」という根源的な問いに対する明確な答えは提出されていません。

何のために英語を学ぶのか、また英語を学ぶ価値は何なのかついては、古くからさまざまな議論がなされてきました。『「なんで英語やるの?」の戦後史』(寺沢拓敬著)という本が昨年出版されました(注2)。「教養か実用か」の議論は長いあいだ続いていて、現在も続いています。そもそも「なぜ英語を学ぶのか」という問いは、「(私たちは)なぜ生きているのか」という問いに似て、万人が「そうだ」という共通の答えを出すことが困難な問いです。その答えは、個々の人間が生涯を通じて自分自身に問いかけ続けていくもののように思われます。

しかしこれまでになされた議論の多くは、国民教育という視点から、日本人一般が英語を学ぶ価値は何かという、鳥瞰図的な議論でした。したがって、多くの場合、それらは学習の主体である個人の学びの視点を欠いていたように思います。たとえば、平泉試案には「わが国の国勢的地位、国情にかんがみ、わが国民の約5%が、外国語、主として英語の実際的能力をもつことがのぞましい」という一文がありますから、この提案が国の文教行政という観点からなされていることは明らかです。その提案に続く議論も、ほとんどそういう観点からなされました。

私たちの以下の議論は、それとは違い、子どもから高齢者に至るさまざまな年齢の英語学習者が、学びの途上で感じる興味や価値についてです。いくらグローバルな世界になってきたからと言って、すべての日本人が英語によるコミュニケーション能力を必要とするわけではありません。日本で生活するかぎり、一般の人々はそれほど高度な英語の運用力を必要とはしません。誰もが英語をいくらか知っていることは必要でしょう。しかし必要のレベルは、個人によって大きく異なっています。それは一律にあるレベルに達していないといけないという固定したものではありません。そういうわけで、英語を学ぶ目的や価値は決して一様ではなく、きわめて多様です。一人ひとり違ってよいのです。

現在、日々英語を使って仕事をしている人、あるいは英語をしばしば必要とする人は多いでしょう。グローバルに活躍している外交官、政治家、実業家、アーティストなどは常に英語を必要としています。しかしそういう人たちも、学びの過程では、英語を学ぶさまざまな価値を知ったに違いありません。なぜなら、英語を自由に使えるようになるためには、長期にわたる学びの継続を必要とするからです。誰もが初歩から始めます。「コミュニケーション能力」の獲得は遠い先の目標ですから、それだけで学びを支え続けることはできません。

では英語の学習者は学習過程でどんな学びの価値を見出すでしょうか。人が学びに価値を見出すためには、最初に「気づき」があり、学びの対象に興味をもつことが重要です。まずは項目だけを挙げ、次回からこれらの項目を順次見ていくことにします。(ただし項目の順序は変更されることがあります。)

(1)英語という言語の形式(音韻、書記、文構造など)に興味をもつ。(2)英語という言語の意味構造(語彙、成句など)に興味をもつ。(3)英語を通して言語の働きに興味をもつ。(4)英語を通して他の人々の文化(生き方、考え方など)に興味をもつ。(5)英語を通して人々との交わりに興味をもつ。(6)英語を通して日本語や日本文化を客観的に見ることに興味をもつ。(7)英語を使って自分の考えを他の人々に知ってもらうことに興味をもつ。

(注1)鳥飼玖美子『英語教育論争から考える』(みすず書房2014)は、「平泉試案」をめぐる平泉渉と渡部昇一との論争を詳しく紹介した後で、著者自身の英語教育論を展開している。著者はこの本をまとめるにあたって、論争の当事者である平泉渉・渡部昇一の両者に直接インタビューを行ったほか、当時の文部省関係者へのインタビューによってそれを傍証しようとしている。この論争に興味のある読者には大いに参考になるだろう。著者は本書の後半で、これからのグローバル市民に求められる能力は「異文化コミュニケーション能力」であり、それは「相手に配慮しつつ、自らの考えを論理的に主張し、折り合うことのできる能力」だと述べている。しかしこの能力を現在の英語教育の枠内で実践することには限界があると言う。そのためには、国語教育の抜本的改革を必要としているからである。

(注2)寺沢拓敬著『「なんで英語やるの?」の戦後史—<国民教育>としての英語、その伝統の成立過程』(研究社2014)は、国民教育、すなわち義務教育である中学校教育における「外国語(英語)」が、必修科目として位置づけられるようになった経過を詳述している。周知のように、わが国では敗戦後の1947年に新しい学制が敷かれ、小学校から中学校までが義務教育となり、中学校の新しい教育課程には「英語」が選択科目として設けられた。この時点で、すべての国民が中学校から英語を学ぶことになったわけである。しかしこの科目は20世紀の終わりまで選択科目のままに据え置かれ、2002年になってようやく必修科目に変更された。寺沢のこの本は、実質的に必修科目であった「英語」がなぜ55年ものあいだ選択科目に留め置かれたのか、またそれが必修科目として認定されるまでにどのような経緯があったのかを、教育社会学的視点から詳細に分析したものである。この本の一部に、「平泉試案」をめぐる論争に触れた個所がある。この論争が中学校における英語の必修化に及ぼした影響について、著者は次のように述べている。「新学制発足時には、必要な人間だけが必要に応じて学ぶべきだとされた外国語科が、1970年代の平泉・渡部論争では、ごく初歩的な次元ではあるものの、「すべての『国民』が学ぶべきもの」へ進展したと言える。さらに言えば、この時期に英語教育の<国民教育>の基礎づけが一応の完成を見たという可能性さえ示唆される。」(同書84頁)

(218) <人権大国への道>

Author: 松山 薫

< 人権大国への道 > ( おわりに ) 蟷螂の斧といえども

 私は、1950年代の初め連合軍の日本占領が終わる頃から顕著になったいわゆる“逆コース”、つまり戦前へ逆戻りさせようという政治の動きが強まる中で教師になり、1958年教育を政治に従属させようとする「勤務評定制度」に反対し、口を封じられるくらいならと思って教師を辞めたのだが、その間最大のショックは、前年に岸信介が総理大臣になったことだった。日本の満州侵略の中心人物のひとりであり、東条内閣の閣僚として開戦の詔勅に署名した人物がこの国の最高指導者として復活するというありえないような現実に、強い怒りを禁じえなかった。この怒りは当時多くの国民に共有されたものだったと思う。評論家の田原総一朗によると現在は読売新聞社主筆になっている渡邊恒雄は「東条内閣の閣僚が総理大臣になるというのは、ヒットラー政権のゲーリング(空軍総司令官)やヘス(副総統)が総理大臣になるみたいなものじゃないですか。そんなことが許せるわけがない。」と語っていたという。(日本の戦後:上)

 またこの時、自由党と民主党の保守合同で誕生した自由民主党は、日本に議院内閣制が生まれてから初めての総裁公選を行ったのであるが、この選挙は札束とポスト予約が乱れ飛ぶ文字通りの金権選挙の先駆けとなった。民意とは全くかけ離れたコップの中でのカネまみれの総裁選びで総理大臣が決まる有様が恒常化するにつれて、私は首相公選論者になった。

 さらに私にとって許せなかったのは、岸信介が強硬な憲法改正論者であり、満州時代から続く極め付きのマキャベリストであることだった。自民党結党時に岸が中心になってまとめた「自主憲法」制定のためには、まず衆議院で3分の2を獲得する必要があり、そのために小選挙区制の導入をはかった。だから私は小選挙区制には常に懐疑的であった。

 310万人の死者とさらに多くの戦傷者、それに数倍する彼らの家族や友人達、外地に置き去りにされた人達や全てを失った引揚者、そして焼夷弾と原爆で焦土と化した国土と焼け出され飢餓線上をさまよった国民、この国の歴史始まって以来の悲劇を生んだ戦争の最高責任者のひとりが、民意に反して再びこの国の最高指導者になる。それは、筆舌に尽くしがたい庶民の犠牲の上に訪れた戦後民主義を根底から覆す悪夢だと私には思えた。

 物心ついて以来朝から晩まで十数年にわたり、愛国心と軍国主義、聖戦完遂と神州不滅神話を骨の髄まで叩きこまれ、軍国少年になりきっていた私は、しばらくは敗戦という現実が信じられず、昨日までは腐敗堕落の象徴であった自由と民主主義を教える教師達に反発し、何がどうなっているのか、何を信じてよいのか、これから先どうなっていくのか全くわからなくなった。同世代の若者の多くも同じ思いであったろう。秋田の山奥に引っこんで自分なりに思い悩んだ末、やっと納得した自由・民主・平和という新たな価値観を、頭から否定するような岸復活と腐敗堕落した政治、こんな不条理がまかり通る社会に、煮えたぎるような憤りを禁じ得なかったのである。

 それから半世紀、いわゆる55年体制の一党支配を続ける自由民主党政権の下で、日本は物質的には豊かになったが、それとともに“カネじゃカネカネすべてはカネじゃ”という物質万能の風潮が国民の間に浸透していった。一方、安保条約という軍事同盟を通じて、日本はアメリカの世界戦略に深く組み込まれ、世界の憲兵としてふるまうアメリカの補助憲兵の役割を担わされるようになり、その役割はフランスやドイツさえ反対したイラク戦争への加担で決定的となった。“逆コース”以来のこの国の50年間の歩みを、反戦平和の立場で見続けてきた私は、とうとうここまで来てしまったのかというやるせない思いに駆られた。だから、民主党の政権奪取は、まさに感慨無量であり、なんとかこれでいつか来たへの道への逆もどりに歯止めがかかるのではないかという淡い期待を持ったが、危惧した通り、この未熟な政党は、国民の期待を裏切り、その反動で、私にとっては悪夢の再来のような第2次安倍政権の誕生をもたらしてしまった。小選挙区制は、もろ刃の剣であった。

 祖父である岸信介をこよなく尊敬するという安倍首相は、「戦後レジームからの脱却」を旗印に、明白に戦後の民主主義体制を否定し、それを支えてきた平和憲法を改正しようとしている。自由・民主・平和を価値判断の基準として生きてきた私としては、まさに不倶戴天の相手である。たとえ、蟷螂の斧であろうとも日本を戦争に加担させないために最後まで戦う。 

 とは言えど、一強多弱の政治体制が簡単に崩れるとは思えず、私自身は明日の命もわからぬ老残の身となった。そこで、50年後の日本を想定し、自分の思いを「21世紀に生きる人達への戦争体験者の遺言状」として書き残すこととした。それが、今回をもって終了する「人権大国への道」である。

 最後にもう一度繰り返したい。戦争とは、互いに己の正義を振りかざし、限りなく残虐な行為を繰り返す人間同士の殺し合いである。東京を空襲し絨毯爆撃で市民を焼き殺したB−29が撃墜された時、日本軍は落下傘で降下したパイロットの首を刎ね、全裸にして川へ捨てた。我々軍国少年は、その白い首のない遺体に雨あられと石の投げつけ、鬼畜米英撃滅を叫んだ。どちらが鬼畜だったのか。どちらも鬼畜だろう。人間は環境によって変わるが、戦争とは人間を鬼畜にする最悪の環境である。

 幼い頃満州で敗戦となり、家族とともに日本へ引き揚げてきた作詞家のなかにし礼は、若者に呼びかける「平和の申し子たちへ」という詩のなかで、戦争とは「醜悪と愚劣、残酷と恐怖」以外の何物でもないと次のように述べている。「集団自衛権の閣議決定によって、日本の誇るべき宝物平和憲法は粉砕された。・・・日本は長い歴史の中のどんな時代よりまがまがしい暗黒時代へもどっていく。そしてまたあの醜悪と愚劣、残酷と恐怖の戦争が始まるだろう」。なかにし礼はこのように述べ、「平和とは戦争を憎むことだ」と語っている。

今回の「イスラム国」による日本人人質殺害事件が起きるひと月前、アフガニスタンで現地に溶け込んで30年にわたり医療や灌漑事業に取り組んできた日本人医師の中村哲は、次のように警告していた。
「戦争の実態を知らぬ指導者たちが勇ましく吠え、心ないものが排外的な憎悪を煽る。“経済成長”が信仰にまで高められ、そのためならなんでもする。武器を売り、原発を復活し、何時でも戦争ができるよう準備するのだという。それが愛国的で積極的な平和であるとすれば、これを羊頭狗肉という。アフガンへの軍事介入は、欧米諸国による集団的自衛権の行使そのものであり、その惨憺たる結末を我々は見てきた。危機が身近に、祖国が遠くなってきた。」

 戦争の醜悪、愚劣、残酷と恐怖は、体験してみなければわからないのかもしれない。しかし、体験してからでは遅い。 だから戦争体験者の話に耳を傾けてほしい。それが私の切なる願いである。(M)

< 参考書籍等 >
* 日本の戦後 上 : 田原総一朗  講談社
* 山椒言  中村哲 : 通販生活 2015年春号
* 人生のおくりもの : なかにし礼  朝日新聞 

* 「人権大国への道」はこれで終了し、次回は2月28日(土)に、「運命の出会い ① 杉田玄白と前野良沢」を投稿する予定です。「運命の出会い」は隔週に30回程度続ける予定です。
* 桐英会ブログへのこれまでの投稿を「人権大国への道」を中心に加筆し選択訂正したうえ、樺太引揚者として私よりはるかに過酷な体験をした家内の随想を加えて「21世紀に生きる人達への戦争体験者の遺言状」として残したいと考えています。二度と戦争体験者を出さないためです。

前回は、かつて進学競争緩和対策として実施された東京都の学校群制度を振り返って、入試というものがいかに強固な競争原理に根ざしているかを知りました。教育行政が入試制度を少々いじったくらいでは、進学競争は無くならないのです。それはおそらく、幕末から明治期にかけての文明開化いらい、日本国民にしっかりと根を下ろした文化の一部となっているのでしょう。しかし、当然のことですが、学校での学びは入試のためだけではありません。英語を学ぶのは入試に英語があるからだと考える人は、特に中学生や高校生には多いのではないかと思います。しかし少し考えれば分かるように、入試は当面の目標であって、入試が終わっても英語の学びは続行するのですから、入試が学びの目的とはなり得ません。では英語を学ぶことの本当の目的は何でしょうか。英語を学ぶことにはどんな価値があるのでしょうか。

この問題を考えるために、文科省が告示する学習指導要領に掲げられている 「外国語(英語)」の目標を検討してみましょう。ここに、私たち日本人が英語を学ぶ目的を考えるヒントが与えられると思うからです。中学校および高等学校の総括目標は次のように書かれています。

中学校の目標:「外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、聞くこと、話すこと、読むこと、書くことなどのコミュニケーション能力の基礎を養う。」

高等学校の目標:「外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、情報や考え方などを適確に理解したり適切に伝えたりするコミュニケーション能力を養う。」

上記の中学校・高等学校の目標に共通するポイントを整理すると、①(外国語を通じて)言語や文化に対する理解を深めること、②積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図ること、③コミュニケーション能力(の基礎)を養うこと、の3つになります。そしてこれら3つのポイントを比較してみると、目標の後に書かれている学習指導要領の内容からして、この目標文は③の「コミュニケーション能力を養うこと」に力点が置かれていることが分かります。③がなくてはこの目標は成り立たないのです。つまり、日本の学校で行われる英語教育は、「コミュニケーション能力を養うこと」が中心であり、この目標が達成できなければ英語を学ぶ価値がないということです。これが学習指導要領の考え方であり、文科省をはじめ、現在の多くの英語教師たちに共通した認識となっていると考えられます。

しかし本当にそうでしょうか。たとえば、①の「言語や文化に対する理解を深める」という目標だけではいけないのでしょうか。後で検討するように(次回の予定)、この文言の中には英語を学ぶ重要な価値がいくつも含まれています。または、②の「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育成する」という目標だけではいけないでしょうか。中学校では(小学校も含めて)英語による実際的コミュニケーション技能の養成よりも、コミュニケーションを図ろうとする態度の育成が優先するという考え方もあると思われます。あるいは、上記の①+②の目標の達成だけではいけないでしょうか。そして③も確かに必要不可欠な目標のように思えますが、高等学校修了までに「コミュニケーション能力を養う」と言明するのは正しいのでしょうか。それはあまりにも非現実的な目標ではないのでしょうか。実際にそういう能力を身につけて卒業していく高校生はどれだけいるのでしょうか。

この最後の点に関する疑問は非常に重要です。中学校の目標では「コミュニケーション能力の基礎を養う」という表現になっているのに対して、高等学校では「コミュニケーション能力を養う」と言い切っているからです。「能力の基礎を養う」と「能力を養う」では大きな違いがあります。週に4時間くらいの授業数で、そんな高い目標が高等学校修了時までに達成できると文科省は本気で考えているのでしょうか。また、学習指導要領の「内容」で指定されている語彙数の制限からして、その目標は達成不可能なのではないでしょうか。実用的な観点からすると、英語の語彙は少なくとも6,000語、望むらくは8,000語以上の受容語彙が必要です。学習指導要領で指定されている最大3,000語(中学1,200語+高校1,800語)では、実用からはほど遠い語彙数です。TOEFLなどはとうてい歯が立ちません。きちんとした基礎ができていない学習者に背伸びをさせて、やたらに実用的コミュニケーション能力を強調することは、外国語の学び方として非常に危険なことです。それは砂上の楼閣になりかねません。

筆者は、これまでこのブログで展開してきた議論から、現在の学習指導要領に掲げられている外国語(英語)の目標が適正であるとは思えません。それは、不可能なことを可能にせよという理不尽な要求を現場の先生方に要求しているように思えます。現在の中学校・高等学校が置かれているさまざまな英語教育条件(特に授業時間数とクラスサイズ)を勘案すると、高等学校段階の目標は、「英語によるコミュニケーション能力の基礎を固める」とするのがよいと考えます。これならば、多くの先生方が達成可能な目標として頑張ってくれると思います。達成できない目標を与えられて、現場は実際にどうしてよいか分からないというのが現在の状況であるように思われます。現実からあまりにも飛躍したこの学習指導要領の目標のゆえに、英語教育現場において多くの混乱が起きているのです。(次回には、英語教育の過程で生じるさまざまな学びの価値について考察することにします。)

資本主義は資産の私的所有に基づく自由競争をその原理としています。資本家は市場の拡大と投資機会を求めて、先を争って世界を駆け巡ります。そこは早いもの勝ちです。生きている人間は空間的にも時間的にも制約があるので自由に動き回ることができませんが、コンピュータにはそういう制約がありません。最近の証券取引所は、なんと百万分の1秒、またはそれ以上の高速で取引ができるようなシステムを開発して競争しているそうです。それはまさに一刻を争う競争原理で成り立っています。そんな競争原理が教育に持ち込まれたら、たまったものではありません。ところが、それに似た競争が教育現場にも見られます。1点を争う入試がそれです(注1)

入試は極端な競争原理が働く場面です。自分の志望する上級学校に入るには、他の者たちとの競争に勝たなければなりません。そういう趨勢が1960年代に始まった日本経済のめざましい成長期に顕著に現れました。多くの人が少しでも名の通った大学や専門学校に進学して、よりよい職を得ようとしました。やがて東大を頂点とする有名大学の序列が出来上がりました。序列の上位にある大学は年々入学が難しくなり、有名大学に入るためには有名高校へ、そこに入るには有名中学・有名小学校と、競争はしだいにエスカレートしていきました。東京では、とりわけ都立日比谷などの数校が有名で、そこに入るために決められた学区を超えてもぐりこむ「越境入学」が増えました。そのような行き過ぎた受験競争と、それによって生じた学校格差を是正する目的で考案されたのが学校群制度でした。

東京都の学校群制度は1967年にスタートしました。それは全日制普通科の都立高校をいくつかの「群れ」に分け、その中で学力が均等になるように合格者を振り分ける入試制度でした。東京都だけでなく千葉県、愛知県、岐阜県など、他のいくつかの県でも実施されました。しかし東京都に関しては、この学校群制度は失敗でした。それによって受験競争が緩和されたわけではなく、学校格差も無くならなかったからです。実施から14年後の1981年を最後として、それは廃止されました。そして1982年からは「グループ合同選抜制度」(注2)というのが実施されましたが、それもやはり不評で、1994年にはそれも廃止され、高校ごとの単独選抜制度に戻りました。

学校群制度がなぜ失敗したのか、その原因はいろいろありますが、特に次の2つの要因が大きく作用しました。

(1)受験者の志望を無視する制度であったこと:学校群制度が始まってすぐに分かったことは、受験生が自分の志望する高校に行けなくなったことです。これは大きな欠陥でした。たとえば野球の好きな男子中学生が、入学を許可された高校に野球部のないことを知ったなら、彼はその高校には行きたくないでしょう。学校群は複数の高校がグループを作って、合格者はそのいずれかに機械的に割り振られることになるからです。また、自宅の近くに伝統のある都立高校があって、幼い頃から、大きくなったらあの高校に入りたいと思っていた子どもがいたとします。「あの学校に入るためにはうんと勉強しなくてはならないよ」と親から言われ、子どもは一生懸命に勉強します。ところが学校群制度になって、どんなに努力しても自分の望む高校に入れる保証がなくなりました。こんな制度が長続きするはずはなかったのです。

(2)都立高校の魅力が減退したこと:都立高校は公立学校とは言え、無色ではありません。それぞれが固有の伝統と特色を持っています。特に古い歴史を持つナンバースクール(旧制の第一中学、第二中学…など)には独自の伝統があって、自らの出身校を誇りとしている卒業生が数多くいます。そういう伝統や特色が学校群制度の実施によって、すべてではないとしても、その多くが失われることになりました。当然ながら、学校の魅力は半減します。受験者が魅力を感じない学校に行きたくないと言っても非難はできません。モティベーションが低下するのは生徒だけでなく、教える先生もやる気を失います。そして都立高校に代わって、国立大学の附属高校や有名私立高校の株が急激にあがり、受験競争はそういう高校間で激化しました。

この学校群制度の失敗が私たちに教えてくれることの一つは、すべての公立学校は原則として受験資格のあるすべての受験者に開かれたものでなくてはならないことです。と言っても、いくつかの制限は必要です。たとえば通学の便を考慮する必要があります。寄宿舎のない高校では生徒が自宅から通学可能でなければなりません。また、資本主義自由経済には必然的に格差が生じるのと同様に、自由な進学競争にも学校格差という弊害が生じます。進学校と非進学校、エリート校と非エリート校という二極化される格差です。東京都が学校群制度をスタートさせた動機には、公立高校間の格差を縮めるということがあったと思われますが、実際には、似たようなレベルの学校を同一学校群に組み合わせたために、学校間の格差は学校群間の格差として存続することになりました。

ではどうしたら学校間の格差を縮めることができるでしょうか。それにはまず、学校という組織内で意識変革がなされなければなりません。それぞれの学校が、他とは異なる独自の価値を生み出し、特有の学校文化を創り出すことが必要です。そして受験者がその特色を充分に承知して、自分の個性を生かすことのできる学校を選ぶことが大切なのです。そのためには、高校における指導内容も入試も、もっと多様化する必要があります。文科省の公示する現在の学習指導要領は、時として高校の特色を出すのに障害になっています。それぞれの高校の特徴が出せるように、もっと柔軟なものであるべきです。現在のものはあまりにも画一的です。これでは高校現場は窒息してしまいます。英語教育においても、文科省は学習指導要領の改訂によって変えようとやっきになっていますが、効果はほとんど現れません。高校の教育現場が窒息している証拠です。それぞれの高校は他と同じことをするのではなく、自分たちの創意と工夫によって、独自の価値を生み出す努力をすべきなのです。次回からは、教育における「価値の創造」という難しい問題に挑戦することになります。

(注1)近年の入試問題は多肢選択が主流です。そこでは、それぞれの小問に対して、1点から5点くらいの得点が配分されます。なぜ1~5点もの開きがあるのかについて合理的説明がなされることはありません。実際にその配点を変えることによって、合計点にかなりの違いが出る場合があります。それにもかかわらず、合格か不合格は1点差で決まります。ですから1点差を争う受験競争というのは、きわめて不合理な競争を受験生に強いていることになります。

(注2)1982年に東京都が始めた「グループ合同選抜制度」というのは、学区内の高校を2つくらいのグループに分け、各グループの中で受験者が第一志望と第2志望(3校まで)を出せるようにした選抜制度です。グループに分けたのは、特定校に受験者が集中しないようにするためでした。この制度では、それ以前の学校群制度に比べて、受験者の志望がある程度尊重されるようにはなりましたが、それも非常に制約の多い制度でした。そのため、これも1994年に廃止になりました。