Archive for 10月, 2011

学習意欲の心理学(序)

Author: 土屋澄男

前回書いた文章の中に、「英語が上達しない原因は、多くの場合、記憶の欠陥よりも経験と時間の不足にあるように思われます」というのがありました。言語の習得には、多くの経験とそのための時間が必要だということについては、ほとんど異論はないと筆者は考えています。もちろん、どんな経験をするか、その中身は何かについては、いろいろ議論があるでしょう。また時間については、どれだけの時間が必要なのか、それはまとまった時間がよいのか、分散した時間がよいのかについても、かなりの議論があるでしょう。しかし、とにかく言語の習得に経験と時間が必要だということは間違いありません。経験と時間では、経験するためには時間が必要であり、時間がなければ経験もできないわけですから、特に日常的に使用されない外国語の学習においては、まず時間を確保することが絶対に必要です。そして学習者は、目標を達成するまで、必要な時間を確保するために最大限の努力をしなければなりません。多くの日本人学習者が英語学習に失敗する原因は、時間を作る努力が不足しているためだと言ってよいでしょう。そしてそれは学習意欲の問題とも大いに関係します。そこで、これから数回にわって、学習時間の捻出と学習意欲に関係するいくつかの問題について、やや詳しく考察しようと思います。

 まず学習時間の問題から始めます。多くの日本人が、中学・高校の6年間の英語学習に加え、2年ないし4年間の大学での学習を経験しながら、なぜ英語が使えるようにならないのか。これはこれまでにも幾度か発した問いですが、その大きな原因の一つは、明らかに、学習時間が不足しているためです。学習内容も問題でしょうが、それよりも学習の総時間数が不足しているのです。日本人が英語を使えるようになるためには、いったいどれくらいの時間が必要なのでしょうか。そのことを考えるために、いま筆者の手許にカナダのバイリンガル教育について調査した文献(伊東治己著『カナダのバイリンガル教育—イマ—ション・プログラムと日本の英語教育の接点を求めて—』渓水社 1997)がありますので、それを基にして考えてみましょう。

 そのデータによると、カナダのオンタリオ州では、英語を母語とする生徒たちが初等学校4年生から中等学校修了時までの10年間に達成すべきフランス語の到達目標が、分かりやすく記述されています。そのうち基礎レベルは必修ですが、中級・上級のプログラムは、基礎レベルに加えて生徒が選択できるようになっています。そして、それぞれのレベルに到達するために必要な授業基準(10年間の授業時間数)が明確に定められています。各レベルの10年間の累積授業時間は次のようです。

 基礎レベル1,200時間 / 中級レベル2,160 時間 / 上級レベル5,070時間

上記のオンタリオ州のフランス語授業時間数は、日本の学校における英語授業時間数とは大きな違いがあります。日本では、中学1年から大学2年までの8年間、週4時間ずつ年間35週の英語授業を受けたとして、その合計時間数は1,120時間になります(それくらいが平均授業数と考えられます)。今年から小学校5・6年生に週1時間の「外国語活動」という授業が始まりましたので、それを加えると、日本の学校英語教育の総時間数はちょうどオンタリオ州のフランス語「基礎レベル」修了の時間数に相当することになります。日本の大学生が中級レベルに達するには、さらに約1,000時間の学習が必要になります。

 話はそこで終わりません。カナダは英語とフランス語を公用語とするバイリンガル国家ですから、英語を母語とするカナダ人のフランス語学習と、完全な外国語環境で英語を学習する日本人の授業数を単純に比較するわけにはいきません。学習環境が非常に違うからです。また、英語母語話者のフランス語学習と日本語母語話者の英語学習を単純に比較することもできません。なぜなら、英語とフランス語の言語の違いよりも、英語と日本語の言語の違いのほうがずっと大きいからです。つまり、日本人の英語学習は、カナダ人のフランス語学習に比べて、格段に不利な条件にあります。幾人かの研究者の試算によると、日本人の英語学習は、英語話者のフランス語学習よりも少なくとも2倍の学習時間を必要とします(3倍以上必要だとする人もあります)。2倍だとすると、私たちは英語の基礎レベルの学習に2,000時間以上、中級レベルに達するのに4,000時間以上を必要とすることになります。これは大雑把な計算ですが、真実からそれほど遠くはないように思われます。では、日本にいて英語の中級レベルに達するには、私たちはどのようにしてその時間を生みだしたらよいでしょうか。学校でその時間を保証してくれないとしたら、その努力を何によって支えたらよいでしょうか。そこで学習意欲の心理学が始まります(To be continued.)

< 原発論争に備えて ⑥ >

⑥ 原発と格差社会

“ We are the 99%. ” という声が世界を覆い始めている。これは日本の原発問題と無縁であろうか。私は分かちがたく結びついていると考える。なぜなら、いずれもが、サプライサイドの利潤を優先した産業社会のひずみの現れであると思うからだ。
 
格差が拡大した原因として一番大きいのは、新自由主義の影響だろう。新自由主義に基づくサプライサイド・エコノミックスでは、供給の拡大によって経済全体のパイを大きくすれば、全体が潤うことになっていた。資源小国である日本が、パイを大きくするための仕掛けが、原発立国であった。経団連の会長が言うように電力は産業のコメであり、政府、財界は、電力を半永久的に生み出す核燃料サイクルに産業の発展、ひいては、この国の将来をかけたのであった。そのため、原発が持つ危険性にはあえて目をつぶり、安全神話を作り上げて、国益の名の下に、この小さな地震列島に80基近い原発を作る計画を立てたのである。確かに、電力の30%を原発でまかないながら、日本は世界第2のGDP大国になった。だが、大きくなったパイは、果たして公正に分けられたのであろうか。

新自由主義は、サッチャーからレーガンにつながり、首相として日本でこれを受け継いだ小泉純一郎は、つねづね「格差があって何が悪いか」と主張していたのだから、格差が広がるのは当然の帰結であった。彼が5年半にわたる首相の座を降りた2006年のOECDの報告書は、日本の勤労世代の貧困率がアメリカに次いで世界第2位になったと述べている。

  “努力すれば報いられる。努力しなければ報いられないのは当然だ。”というのが新自由主義者の考え方である。しかし、努力すれば必ず報いられるといえるほど、世の中のしくみは単純ではない。努力は大切である。しかし、それだけでは成果には結びつかない。成果を挙げた人は皆、大きくは歴史の流れ、反面教師を含めて人との出会い、自分の能力と仕事のマッチングなど運に恵まれたことを自覚しているはずだ。私は歴史に足跡を残した100人を超える人達の伝記を読んでそう確信している。

 逆に言えば、成功しなかった者が努力しなかったわけではない。運に恵まれなかった結果であることも多い。だから、再びチャレンジできるチャンスを保証する必要がある。それをしなければ、一旦生まれた格差は、生涯続くだけでなく、次世代まで連鎖していく。日本のセィフティーネットが世界的に最低水準だといわれるほどに貧弱であることが、再チャレンジを極めて困難にし、パイの公正な分配を阻害して、格差を広げている。

 福島原発の事故によって、原子力を産業のコメにすることは難しくなった。特に、日本が国連安保理常任理事国の五つの核保有国以外に世界で唯一認められている、使用済み核燃料の再処理による核燃料サイクルは、国内外の厳しい視線で、事実上不可能になったと思われる。核燃料サイクルが不可能になれば、原発にたよる産業政策は根本的に見直さざるをえなくなる。パイはもはや大きくならないのではないか。そうならなおさら分配の公正さやパイの質が問われることになる。

日本におけるこのような事態が、先進諸国の財政危機と過度な投機が生んだ世界経済の暗転、ドルを垂れ流して生き延びてきたアメリカ一極支配の終焉、インターネットを武器に格差是正をもとめる世界的な平準化志向、という歴史的転換の時期に、また、世界人口が70億人に達し、資源、食糧の絶対的不足とその争奪戦の予感の中で、起きたことは、多くの日本人に今後どう生きていくかを考えさせることになったと思う。(M)

「番組の改編期」に考えること
(1)10月は番組が変わる時期で、新しい番組が出来たり、消える番組があったりで、そのすべてを追うのは困難です。“島田紳助”が消えてから、“さんま”と“ビート・たけし”の出番が増えたような印象を受けます。“さんま”はともかく、“ビート・たけし”は滑舌が悪くて早口ですから、聞きにくいですね。しかも、“笑いを取ろう”(これは業界用語でしょう)としますから、会場の視聴者の笑い声とダブって余計聞き取りにくくなります。映画監督としては、欧米でもかなり認められている才能があるのですから、そういう仕事に専念してもらいたいと思います。

(2)新しいと言えば、NHK の朝の「テレビ小説」が変わりました。題は「カーネーション」で、服飾デザイナーとして有名な小篠(こしの)一家の歴史に基づいた話です。私は服飾には関心がありませんが、このテレビ小説を見ようと思ったのは、最初に出ていた子役がとても上手だったからです。昔から、「子供と動物にはかなわない」と大人の演技者は言ったものです。今後も回想場面などで見られるかも知れませんが、すぐに消えてしまったのは残念です。

(3)動物と言えば、土曜日の「天才!しむら動物園」が長寿番組ですが、TBS も似たような番組(「夢!どうぶつ大図鑑」)を始めたようで、22日の夜は2時間の特番でした。しかし、前に放映した場面の寄せ集めが多くて、独創性は見られませんでした。「二匹目のどじょうを狙う」のは、野田総理にまかせておいて、テレビ番組はもっと独自性を発揮しないとテレビの将来性はないでしょう。無理な注文かも知れませんが。

(4)総理の“どじょう”と“金魚”の話は、国際性が無いという批判を奥津文夫さん(日本ことわざ学会会長)から伺いました。“どじょう”(loach)という語は英語圏の人たちでも知らないことが多く、知っていても、良い連想はしないというわけです。外国におもねることなく、国の方針を発信することは難しいですが、総理としては勉強してもらいたいことです。

(5)平野復興担当大臣が、「津波が来ても逃げなかったバカがいる」と講演で言ったことで物議を醸しています。「親友について語るなら許されることで、マスコミの報道がいけない」などと強引な弁護論も聞かれますが、私はやはり軽率な失言だと思います。大臣は公人なのですから、思ったことを何でも口に出すべきではありません。
(6)私はこの報道があった夜、NHK の「ラジオ深夜便」で、三木克彦(ラジオの聞きかじりですから文字は不正確です)の「花は遅かった」という歌を聞きました。入院している彼女を見舞うために彼女の好きな花を探していたら遅くなってしまって、病院に着いた時には息を引き取っていた、という悲しい歌です。ラジオのアンカーの解説によると、歌の最後に“バカやろー”と叫ぶところがあって、レコード会社では、“これはまずいであろう”と削ることにしたら、ファンからはこの台詞がある方の要望が強く、結局残すことにした、とのこと。言葉遣いは時と場合によります。心して遣いたいものです。(この回終り)

<原発論争に備えて ⑤ >

⑤ 「“それでも”原発は必要だ」という意見について

 “それでも”と言うのは、当然のことながら、原発が、<原発論争に備えて③>で述べたような人間の生命や生活の根本に触れる深刻かつ広範な被害を生んでいるにもかかわらず、“それでも”という意味である。それでもあえて必要と言うのであれば、それなりの説得力のある論拠が示されなければならない。
 
 そこで先ず、原発を容認するいくつかの意見を紹介する。

〇 エネルギーの安定供給は社会と経済の基盤です。今日本
  がなすべきことは、原発事故を招いた構造的原因を徹底的
  に究明し、より安全性を向上させた上で原発を維持すること
  です。選ぶべき道は脱原発ではありません。原発の安全性は
  飛躍的に高まっています。再生可能エネルギーとともに、国
  際社会において原子力関連の技術革新・高度な管理システ
  ムを牽引していくことこそ日本の国益になります。
  ( 桜井よし子、田久保忠衛)
〇 再生可能エネルギーの全量固定買取制度は、産業政策にも
  エネルギー政策にもなっていない。高所得者が一戸建てに太
  陽光発電を設置し、集合住宅に住む低所得者が高い電力を
  買わされる。それが容認できるのか。既に導入したドイツでは
  技術革新は起こらず、半分以上は中国製の太陽光パネル
  で、産業振興にもなっていない。電力は産業のコメ、電力がな
  いと半導体も作れない。自然エネでは半導体は作れない。夢
  を語ることとビジョンを持って進むことはちがう。(米倉経団連
  会長) 米倉会長はまた「場合によっては原発の新設もありう
  る」と述べている。
〇 エネルギー安全保障と2酸化炭素問題を解決しないといけな
   い。原子力が有力な選択肢 であることに変わりはない。
   (佐々木則夫東芝社長)
〇 原発がなくなれば、電気料金は月2~3千円上がるだろう。
  企業の国際競争力が低下し、多くに人が職を失う。再生可能
  エネルギーをやったとしてもたかが知れている。原子力に代
  わるエネルギーはないと思う。
  (藤原正司民主党参議院議員・電力総連顧問)
〇 原発について私は、20年なら20年と期間を区切って徐々に
  止めていく、その間は安全性を高め、代替エネルギーの導入
  で経済全体に大きな影響を与えないようにし、さらにこれを新
  たな強みにしていくような、「電源のベストミックス」を提案して
  いくべきだと考える。
  (前原民主党政調会長。野田首相も同じことを施政方針演説
  で述べている)。
〇 原発を維持することは、「核の潜在的抑止力」になっており、
  原発をなくすことはその「潜在的抑止力」をも放棄することに
  なる。(石破元防衛相)
〇 生活の糧を発電所から得ている人が、関連企業を含めれば
   相当数にのぼる。町の予算の60%は発電所関連の収入
   だ。(岸本玄海町長)

私は、“それでも原発が必要”と主張するには、先ず論理的に次の要件が満たされる必要があると考える。

1.電力は決定的に不足しているし、将来も不足する。
2.これを解消するために.原発に代わりうるエネルギー源はない。
3.近い将来、絶対安全な原発を作ることは可能である。
4.それまでの間、福島原発のような事故は起きない。
  福島原発の事故は、1000年に一度の天災によって引き起こされたもので、予見しうる将来このような天災はない。
5.万万一、想定外の事故が起きても完全に制御できる。
6.原発はテロやミサイルの標的になることはない。なっても100%防げる。
7.核のゴミの処理は安全かつ採算の取れる範囲内で行なうことができる。
 
前述の7つの意見はいずれもこれらの要件を満たしたうえでの主張であるとは思えない。
私自身は、これらの要件を満たすことは不可能であると考えている。だから、脱原発論者なのである。

また、原発問題は、たんに経済問題であるだけでなく、人間社会の倫理にも深く関わっていると思うが、これらの意見からはその点が抜け落ちている。
原発惨害をもたらした政府と東電に対して、立ち入り禁止の警戒区域に含まれる浪江町の50代の主婦は、一時帰宅した後、「誰もいない道を走ってごらん。そうすれば、自分たちのしでかしたことの大きさを感じられるから」と語っている。前述の意見は、人生そのものを破壊されたこの主婦の根源的な問いに答えているとは思えない。

ドイツで脱原発を決める際の理論的よりどころとなった「より安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」は名称が示すように、倫理問題を含めて脱原発について次のような報告書を作成している。
1.原発の安全性は高くとも、事故は起こりうる。 2.事故が起きれば、他のどんなエネルギー源よりも危険である。3.次世代に放射性廃棄物処理などを残すのは倫理的に問題がある。4.より安全なエネルギー源がある。 5.温暖化問題があるので化石燃料は解決策ではない。6.再生可能エネルギー普及とエネルギー効率の改善で、段階的に原発ゼロの向かうことは、経済にも大きなチャンスになる。

ところで、原発をどうするかについては、およそ次のような段階的意見がある。

〇 反原発    原子力と人類は共存できない。直ちに廃止。 
           大江健三郎、内橋克人
〇 脱原発    原発を可及的速やかに廃止。 
           最初の菅直人、M 
〇 脱原発依存  直ちに廃止は無理、段階的に。
            後の菅直人、
〇 卒原発    将来的に原発から脱却。   
           吉村山形県知事、嘉田滋賀県知事
〇 減原発    野田内閣の方針。 
           ベスト・ミックス 新設を認めることも
〇 原発維持   原発に代わりうるエネルギー源はない。 
           経団連、桜井よし子
〇 原発推進   新興国の需要に応える必要がある。  
            原発輸出企業       

< 世界の原発 > ( 2011年初頭 日本原子力産業協会 )
運転中   436基 前年度より 4基増
               ( アメリカ104 フランス58       日本54  ロシア32 韓国21 インド20 英19 )
建設中    75基 ( 中国30 ロシア11 インド8 ) 
計画中    91基   ( 中国23 ロシア13 日本14 )                        

< 各国の原子力政策 >
○ 脱原発   ドイツ  2020年までに現在ある17基の原発廃止。
   スイス  2034までに5基の全原発を廃止。
○ 原発凍結 イタリア 国民投票で原発計画再開を凍結。現在はゼロ。
○ 原発推進  アメリカ、フランス、中国、インド、ロシア、ベトナム、トルコ

人間社会の倫理、普遍性のある論理に基づき、現状と未来を考え、原発をどうするかについて十分な議論が展開されるよう願っている。自分自身を含めてのことだが、それが、戦後60有余年の間に骨がらみになった病根を克服し、個人としても、国家としても自立するための道だと思うからである。(M)    ( 日本の病根 ①~⑤ 参照 )

これまで数回にわたって記憶の話をしてきましたが、本題に戻ります。そもそも記憶の話になったのは、平泉試案の中の「それ(外国語)は膨大な時間をかけて習得される暗記の記号体系であって、義務教育の対象とすることは本来むりである」という考え方がいかに誤解に基づくものであるか、そして、これによって多くの学習者がさらなる誤解に導かれる危険のあることを指摘したかったためです。記憶は人間の偉大な脳の働きです。人間の脳は、コンピュータとは違って、物事をディジタルな形にしてそのまま保存することには向いていません。しかしそれぞれの情報をコンパクトな形にして保存し、他のさまざまな情報と連合してネットワークを作り、コンピュータでは絶対に作ることのできない新しい意味世界をつぎつぎに作りだす能力を持っています。外国語を学ぶということは、自分の母語とは異なる言語システムをその中に取り込むことによって、母語だけでは作りだすことのできない新しい意味世界を創造することにつながります。言語が単なる「暗記の記号体系」と考えるのは、そのような可能性を完全に否定することになります。人はみな言語の学習に必要な記憶力を備えていることは明らかであり、そのことは各自の母語の習得によってすでに証明ずみです。

 たしかに機械的な記憶力にすぐれた人がいて、そういう人は外国語だけでなく、学校でのすべての教科の学習で有利なように思えることがあります。しかしそれは従来の学校教育が記憶力を重視することから起こったことであって、それぞれの教科の学習に真に必要な力(たとえば観察力、分析力、総合力、想像力、思考力、感じる力、生きる力など)を伸ばす教育が行なわれる場合には、機械的暗記力のようなものはその重要性がずっと下がるはずです。もし学校の英語の授業で、電子辞書やパソコンなどを自由に使って一つのタスクを完成するというような授業が行なわれるならば、生徒たちは単語の機械的な暗記よりも、利用できるすべての道具を使ってタスクを遂行することに熱中するでしょう。もちろんテストもそういうテストになりますから、教科書の何ページから何ページまでを覚えるというような必要はなくなります。今年の春の入学試験でケイタイをこっそり使って不正をした事件が起こり、世間を騒がせました。しかしこういうことが起こるのは、そもそもそういうテストのやり方に問題があるのであって、その科目で真に必要な能力を探り出すことに徹するならば、そういうテストは意味を持たなくなるかもしれないのです。

 記憶力に関するもっとも大きな問題は、筆者の見るところ、学習者自身が自分の記憶力を過小評価することです。周りの記憶力のすぐれた人々と比較して、自分は駄目だと感じ、自信を失ってしまうことです。何事でもそうですが、自信がないと、できることもできなくなります。筆者は以前、自分の教えている生徒について調査したことがありますが、英語学習から落語した人のほとんどは、自分の能力に自信のないことが分かりました。自分は英語を学ぶ能力に欠けていると思ったら、そこで力が抜けてしまいます。しかも英語の場合には、自信喪失の原因の多くは単語が覚えられないということにありました。自分はどうしてこう記憶力がわるいのだろうか、と嘆くわけです。もっとも、そういう嘆きを経験したことのない人はいないかもしれません。人はみな自分を他人と比較するものであり、他人と比較すれば、そういう感情は必ず生じるものだからです。ですから、自分を他人と比較することを止めなければなりません。英語学習への成功の道は、他人との比較によって自信を失うことから自分を守ることが重要です。人はみな、生物学的に、生きていく上で必要な記憶力を生来与えられているのですから。

 記憶力を鍛えることはもちろん大切です。すでに見たように、記憶を獲得するためには強い意志と情動の働きが重要です。また、脳の記憶部位は次々に刺激が与えられることによって活性化されます。使われない脳の部位は退化します。ですから、目覚めている間にできるだけ多くの英語にふれて脳を活性化することが記憶の向上につながります。そして夜はしっかり眠るのです。しかし英語が上達しない原因は、多くの場合、記憶の欠陥よりも経験と時間の不足にあるように思われます。経験とは、たくさんの英語に触れて、その中に自己を投入することです。進歩が自覚されるためには、少なくとも毎日2時間は英語に触れることが必要でしょう。英語に触れるとは、英語を聴いたり話したり、読んだり書いたりする活動を行なうことです。そのためには時間を生み出す工夫をしなければなりません。英語をものにしたいのならば、他のことを犠牲にしても、毎日そのための時間を作りださなければなりません。英語の達人と言われる人たちは、例外なくそれを実践した人たちです。

Author: 松山 薫

< 原発論争に備えて ④ >

④ 再生可能エネルギーの可能性を考える

 30数年前、NHKの同僚が中南米へ取材に行った際に、現地の新しいエネルギー源に興味を引かれ放送で紹介したことがある。多分日本で初めての「バイオマス(さとうきびエタノール)」の放送であったと思われるが、ほとんど反響はなかった。同じ頃、私は子供達を連れて八幡平へスキーに行った際に珍しい発電所を見学した。岩手山の中腹にあった地熱発電所である。こういった自然エネルギーを含む再生可能エネルギーはあるにはあったが、「ついに太陽をとらえた」という原子力エネルギーが、政・財・官・学一体となった大キャンペーンで国の政策として推進され、まさに日の出の勢いの原発に押されて影が薄くなっていった。しかし、今度の原発事故で形勢が逆転しかかっている。逆転の切り札は菅前首相の置き土産である「再生可能エネルギー特別措置法」である。特措法が来年7月に発効すると10年前のドイツのように劇的な変化が起きるという予測もある。果たして再生可能エネルギーが原子力にとってかわる可能性はあるのだろうか。

<再生可能(renewable)エネルギー>というのは、

「資源が枯渇することのないエネルギー」で、一般的には、太陽光、太陽熱、風力、波力、地熱、小水力、バイオマス( biomass : トウモロコシ、サトウキビ、廃木材などから作るバイオエタノールなどのアルコール)、バイオガス(家畜の糞尿から発生するガス)、木質バイオマス発電(間伐材、廃材、端材などを燃やした熱で発生させた蒸気で発電)などをさし、おおまかに、自然エネルギー、新エネルギー、クリーンエネルギーなどと呼ばれることもある。一般的には、大規模なダムによる水力発電は含まれない。また、新エネルギーには、このほかに、燃料電池( FC : fuel cell水素の化学反応によって発電)、蓄電池( battery 例えば最近普及しつつある電気自動車 EV のバッテリーには一般家庭二日分の電気が貯められる )がある。

< 再生可能エネルギーの現状 >
★ 世界のエネルギー事情  (電気事業連合会 2010)
         日本             世界
  天然ガス   29.3%         21.3%
  原子力    28.6           13.5
  石炭      25.0           40.9
  水力       8.5    15.9
石油      7.5 5.5
  自然エネ    1.1    2.8

★ 世界の自然エネルギーの市場規模 (経産省)
  2009年 太陽熱、太陽光、風力、燃料電池、蓄電池 
 30兆 円 2020年 86兆円予測 (その時点の自動車産業
全体の半分)。

〇 太陽光発電の現状 (世界全体 2008年) 設備 1億3
千 425万kw/h
(内訳) ドイツ 40% スペイン 25% 日本 16% アメリ
カ 8.7%。イタリア 3.4% 韓国 2.7%
〇 風力発電は世界的に導入が進んでいる。
  * 世界 2010年 3580万kw/h 原発35基分 5年前に比
べ3.3倍。10年で17倍。 (世界風力エネルギー協会) 
* 世界の風力発電のシェア アメリカ 22 中国 16 ドイ
ツ 16 スペイン 12 インド、イタリア、日本は1.3%で
13位。
  * 日本の風力発電 1683基 北海道 266 青森 200 
 鹿児島 106 秋田 104 稼働率 25%~30%。現在は
赤字のところが多い。
* 三菱電工 洋上風力発電 2015年 年間 200基受注見
込む ヨーロッパで普及。 
〇 小水力  ダムではなく川や水路から水を引き入れ水車を回
し、また水を元に返す。水力発電のうち商業ベースに乗りにく
い出力1000kw/h以下のもの。全国に19、000ケ所ある。出
力合計 500万kw/h 設備費 1kw/hあたり200万~300万円
かかる。1000kw/hで20億円程度かかるが50年程度もつ。量
産で価格下落の可能性。
〇  バイオマス 日本では、10年前から、政府の「バイオマス・
 日本」計画によって200あまりの事業が実施されたが、多
    くは 赤字で、効果は上がっていない。
〇 バイオガス ドイツでは5,000ヶ所で実施中(2009)、日本で
   は北海道に30ヶ所ほどある。国内の家畜糞尿年間9千万ト
   ン。44億kw/hの能力あり、1kw/h 20円~30円で売電可
   能といわれる。
〇  地熱 日本はアメリカ・インドと並ぶ「3大地熱資源国」のひ
   とつ。
〇 地中熱 地下10メートルより深いところの温度は、その地の
   年平均気温より1~2℃高いところで安定している。つまり夏
   は低く、冬は高いので、地中にパイプを敷設して不凍液を流
   し、これを地上に上げて空調に使う。東京スカイツリーに設
   置。アメリカや中国で普及している。
〇 家庭用燃料電池は、工事費別で270万円かかる。国の補助
   が105万円ある。10月17日に家庭用燃料電池「エネファー 
   ム」が発売される。
〇  電気自動車のバッテリーは、外付け可能のものが開発され
   ている。家庭の電源から充電できる。

< 再生可能エネルギーの問題点 >
★ メリット
  * 資源が枯渇しない。
  * 戦略物資としての需給操作に左右されない。地政学的リ
     スクもない。
  * 石油(年間輸入額20兆円)のように投機による価格変動
     の影響を受けない。
  * 環境にやさしいものが多い。
  * 地域分散型で地域経済に貢献する。
  * 地域分散型なので大規模停電が避けられる。
  * 世界的に普及率が上がっていてコストが低下中。
  * 日本の技術力を生かせる。新産業の創設につながる。国
     連の予測によると、自然エネルギー産業で働く人は、
     2006年の233万人から2030年までに少なくとも2千万
     人増える。
  * 原発のような深刻かつ広範囲な災害をもたらすリスクが
    ない。 
★ デメリット
  * 発電コストが高い。産業の競争力が低下する。 環境省
    の試算では、太陽光発電は買い取り価格を36円に設定
    しても採算が取れない。
  * 設備コストが高い。
    現在は 家庭用の太陽光パネルの設置費が370万円程度
    かかる。(内 国、自治愛の補助70万円)15年ローンで
    月2.6万円支払い。太陽光発電設備 昨年出荷 100万
    キロW 家庭用が80%、技術開発、家庭用パネルの量産
    によるコストダウンが必要。
  * 電力供給の安定性に欠ける。
     電気は原則貯められないので、需要と供給を均衡させる
     必要がある。原子力は定格なので現在は火力で調節
     している。再生可能エネルギー安定供給にはスマート
     グリッドの開発が必要。
  * 風力発電は、風力発電には低周波障害、倒壊の危険が
     伴う。天候 風向き 騒音 強風に弱い。 定格出力が
     決まっており強風時はロックすることも。雷の被害。 日
     本は欧米 に比べ 平地が少ない。 洋上発電 建設コス
     ト、メンテナンスコストがかかる。 強風による倒壊。
  * バイオマスは、大規模な森林破壊、食糧生産との競合が
     問題。
  * 小水力発電には水利権交渉が必要。
  * 地中熱利用はコストが問題。
  * 地熱発電の適地の多くが国立、国定公園内にあり、景観
    への影響、温泉の枯渇も気がかり。 

< 発電コストについて >

1kw/hの電力を生み出すのにいくらかかるかについては、前提条件の違いなどによりいろいろな試算がある。

* 発電コストについて 環境省エネルギー白書 (1kw/h)
   原子力 5~6円  LNG 7~8円  水力 8~13円 
   風力 10~14円 太陽光 49円
   但し、原子力には開発促進費や再処理、最終処分の費用
   は含まれておらず、これを含めると 10~11円と言う試算も
   ある。また、9電力会社電気料金の計算そのものに問題
   があるという指摘もある。さらに、東電では、賠償費用を料
   金に上乗せすることになる。
* 原子力による電気料金試算  1kw/h
  日本学術会議 5.9円  電気新聞(業界紙) 20.2円  
  大島立命館大教授 12,2円  地球環境産業技術研究機
  構  原発稼働率  60%~80%で12.5円~8.1円
  (9月現在の稼働率は 20.6%)
* 原発を停止し再生エネで代替した場合 月 943円~2290円
   増という計算
* 原子力発電コスト: 9電力会社は、地域独占企業であり、コ
   スト計算の上に利潤を上乗せして決める「総括原価方式」
   をとっているため絶対赤字にならない。結果は第三者の
   チェックなしに放置されてきた。この方式に枝野経産相は、
   見直しを指示。
* 電気料金の中には、原発事業への膨大な宣伝を行なってき
   た電気事業連合会への支出をはじめ、原発立地自治体な
   ど立地3法の交付金、電力会社による寄付のばら撒きなど
   が含まれていない。
* 原子力発電のコストには再処理工場の費用 2兆2千億円が
   含まれていない。
* 日本の産業用の電気料金は割高で、フランス、アメリカ、韓
   国の2倍という指摘も。

★ 発電コストについては、10月13日、原子力委員会が見直しを決めた。原子力については電源3法交付金(今年度1318億円)、事故による損害・補償(福島原発事故の試算は5兆7千億円)の費用などを含めてコストを見直す。但し、事故の確率や除染の費用をどの程度に見るかによってコストは大きく異なる。今年末までに、他のエネルギー源についても試算をやり直す予定。

< 再生可能エネルギー普及の努力 >

〇 再生可能エネルギー特別措置法 (2011年8月成立
  2012年7月施行)
  「脱原発」を宣言した菅直人首相の置き土産で、太陽光、風力、バイオマス、地熱、小水力による発電を、固定価格で買い取る。価格は第3者委員会で決定する。
  電気料金への上乗せ制限があり、電力会社に買い取り拒否権があること、送電網の不備などの問題点あり。経産省では、これによって、10年後には、現在の最大2.3倍 3500万kw/hの発電が見込めるとしている。電力会社は、発電会社の求めに応じて自然エネルギーを自社の送電線に接続することを義務付けられるが、安定供給に支障がある場合は除外が可能という抜け道がある。
  ドイツでは2000年に導入され、世界最大の太陽光発電国となった。一方スペインでは、買い取り価格と高くしすぎて失敗した。
〇 発・送電の分離 日本独特の9電力会社による送・配電一体の地域独占体制の見直し。
  日本では戦前は発・送電とも自由競争であったが太平洋戦争の直前、統制令によって日本発送電のもとに一本化された。戦後1951年に占領軍によって、現在の9電力(沖縄を入れると10社)体制になった。
〇 メガソーラー計画 自然エネルギー財団(孫正義)全国の耕作放棄地に太陽光パネルを設置する構想。年間売り上げ3兆円が目標。
〇 メガソーラー計画 電気事業連合会 2020年までに全国30地点で14万KWを発電。
〇 ジャパン・スーパーグリッド構想 自然エネルギー財団 2兆円をかけて日本周辺海域に2千キロの高圧送電網の建設を提唱。
〇 スマートグリッド(smart grid 利口な碁盤目→IT制御の送・配電システム)。次世代送電網と呼ばれる。スペインは、マドリード郊外に国全体の供給コントロールセンターがあり。コンピュータ制御している。規模は東京電力と同じくらい。水力と自然エネで35% 火力32%、原子力22%の送・配電を実施している。
〇 神奈川県の黒岩知事は、選挙公約として任期中の年間で200万戸の太陽光発電パネル設置構想を発表したが、見通しの甘さからあえなく撤回。

<再生可能エネルギーの他に、原子力発電に代わるものとして天然ガスを挙げる人もいる>

● シェールガス( shale gas, shale は頁岩 )
新しいエネルギー源として注目されている。 深い岩盤の間に溜まっている天然ガスで採掘が難しかったが近年モービルなどが採掘に成功した。カナダ、南米、オーストラリア、ポーランド、中国などに埋蔵されており、現在の天然ガスの使用量で数百年分あるとされる。最大の埋蔵地域は中国で、米国メジャーと中国との間で採掘交渉が進んでいると伝えられる。地球温暖化ガスの排出量が多いという指摘もある。
● 天然ガスは、原油と異なり供給量が増えているし、安定供給が見込める。硫黄分が少なく、
改良型火力発電で燃やせば、温暖化ガスも減る。日本近海にも埋蔵されている深海の天然ガスの開発も期待できる。燃焼ガスと廃熱を二重に使うコンバインドサイクル発電で効率のよい発電が出来るという。 (M)

                    

 
  

言葉で説明できる「宣言的記憶」に対して、言葉では説明できない潜在的な記憶(非宣言的記憶)とはどんなものかを考えてみましょう。まず、言葉を持たない動物たちの行動の多くはそういう記憶にたよっていると思われます。アリやミツバチはずいぶん複雑な行動をしますが、その多くは、進化の過程でかれらのDNAの中にすでに組み込まれている潜在的な記憶によると考えられます。そういうものを以前は本能と呼んでいましたが、本能というと、まったく学習という概念を排除することになるので、現在ではあまり用いられません。いろいろな動物の行動を注意深く観察すると、かれらもまた、さまざまな学習をすることが見えてきます。たとえば、アリやミツバチはヒトのような言葉は持っていませんが、仲間どうしで何らかのコミュニケーション手段を持っていて、それによって新しい行動を生み出すことができると考えられています。そのコミュニケーションの手段は、進化論的に高等な動物ほど複雑になり、ヒトはついに言語という最高のコミュニケーション手段を持つにいたりました。

 しかしヒトも動物ですから、言葉によらない記憶のメカニズムによってコントロールされる行動というのがいろいろとあります。いちばん分かりやすい例は反射行動です。熱い鍋に手を触れると、「アチチ!」と反射的に手を離します。若い頃にはそんなことはあまりなかったのですが、最近、筆者はよく手にやけどをします。歳をとると反射が鈍るらしいのです。脳科学は、この反射のメカニズムをほぼ明らかにしています。まず、反射の神経回路が脊髄にあることを突きとめました。そしてその反射を適切に遂行するために、小脳がその調節にあたっていることも突きとめました。小脳の中の反射弓に調節用の回路が組み込まれていて、さまざまな反射の動作特性やそのタイミングを常にコントロールしているのです。運動の中枢は小脳だという俗説がはびこっていますが、これは運動の調節に小脳が非常に重要な役割を担っているという意味で、小脳に運動機能が集中しているわけではありません。ヒトの言語の使用には発声に関係する筋肉運動のコントロールが伴いますから、当然のことですが、この反射による運動機能の洗練は言語の学習とも関係します。

 さて、脳科学は言語の無意識的なスキルの使用をどのように説明するでしょうか。結論を先に申し上げると、言語の学習とその使用スキルはヒトに特有な高度な精神活動と関係するので、動物ではそのような高度な機能を解明する実験システムを設計することが難しく、今のところ、その神経メカニズムをシナプスのレベルまで完全に理解するところまでは行っていません。しかし言語の学習とスキルに関する心理学的モデルはいくつか提案されており、どれが説明妥当なモデルであるかどうかを脳科学によって検証するという試みがなされています。ここでは、以前に紹介したことのあるアンダーソン(J. R. Anderson 1983)のACT Model (Adaptive Control of Thought Model) にもう一度登場してもらいましょう。

 ACT Modelによると、人間の認知活動は、外界からの刺激を受けて短期間だけ機能する「作動記憶」と、2種類の長期記憶(「宣言的記憶」と「手続き的記憶」)に基づいて行なわれます。第1段階として、外から入ってくる情報を作動記憶で認知し、必要なものを記憶します。するとそれが宣言的記憶のスペースに送られ、そこで知識として保持されます。次にそのスキルを実行する場合には、その保持された知識が宣言的記憶から作動記憶に取り出されます。そしてそれが試行錯誤的に実行されると、そのノウハウの知識が手続き的記憶のスペースへ送られて保持されます。こうして第2段階に進みますが、この段階ではスキルはまだ完成されていないので、実行に際していちいち宣言的記憶が参照されます。そのために余分な時間がかかります。時間に余裕があるときはよいが、聞いたり話したりする場合には瞬時に反応する必要があるので間に合いません。しかし学習者はスキル使用の経験を積むことによって、いちいち宣言的記憶を参照する必要がなくなり、手続き的記憶だけで処理することができるようになります。これが第3の習熟段階です。そのプロセスは「自動化」と呼ばれますが、それは一度に達成されるものではなく、多くの経験と時間を必要とします。

 以上のことから言えることは、結局のところ、言語スキルの習熟にもっとも必要なのは経験と時間だということです。そして学校で学ぶ外国語の授業にいちばん欠けているのがこの2つの要素です。ですから、それらは私たち学習者が自分の責任で作り出さなければなりません。学校では授業時間やクラスサイズなどの制約のため、せいぜい、スキル学習の第2段階くらいまでしか到達できないからです。(To be continued.)

前回、記憶には「宣言的記憶」と「非宣言的記憶(または手続き的記憶)」とがあることに触れました。専門家が使うこれらの用語は分かりにくいと思いますので、もう少し説明を加えさせていただきます。私たちが普通に「記憶」というとき、たいていは宣言的記憶をいいます。それは簡単に言うと、言葉で説明できる記憶です。私たちは記憶の貯蔵庫からいろいろな出来事を取りだして、それらについて語ることができます。それらは「エピソード記憶」と呼ばれるものです。認知症などの脳の病気にかかっている人は別にして、私たちは一つのきっかけ(たとえば「けさの朝食」などのキュー)を与えられると、それに関するいろいろな事柄を思い出して語ることができます。それは私たちの経験に密着しています。外国語を学ぶときには、誰もが持っているこの記憶力を利用することが重要になります。英語の ‘breakfast’ をキューにして、けさの食事について思い出すままに英語で言ってみてください。知らない英単語が必要になったら、そこは日本語を使ってください。中学3年生でもそんなに難しくはないでしょう。自分がけさ経験したことをそのまま語ればよいのですから。不快な経験でないかぎり、人は自分のしたことを語るのを好むものです。

 宣言的記憶には、エピソード記憶と並んで、もう一つ「意味記憶」と呼ばれるものがあります。これは事実の記憶です。必ずしも経験に基づいてはいません。「アインシュタインは偉大な科学者だった」というのは意味記憶です。これは私たちの経験に基づくものではありません。学校で習ったか、本で知ったかして記憶したものです。つまり、意味記憶とは一般的事実として記憶されたもので、自己の経験とは別のものです。辞書に書いてある定義のほとんどはそのような一般的な事実として認められているものです。それらは自分の経験とは結びつかないのでなかなか記憶できません。ですから、辞書を丸暗記するなどは常人のできることではありません。そういうわけで、学習辞典は例文などを示して、その語を読者の経験に結びつけ、エピソード記憶にするように工夫をしています。示された例文が読者の経験に結びつくときは、それは直ちにエピソード記憶として保存されますが、そうでないときには、それは長期記憶のスペースには転送されず、たちまち忘れ去られます。こうして何回出合っても覚えられない単語がいつまでも残るわけです。意味記憶をエピソード記憶にすることがどんなに大切かは、英語学習に真剣に取り組んだことのある人ならばよく理解できるでしょう。記憶とは、ただやみくもに覚えればよいというものではないのです。

 記憶の科学的な研究に期待することがもう一つあります。それは「思い出す」という現象です。どんなに多くのものを記憶しても、必要な情報を記憶の貯蔵庫から取り出すことができなければ何の役にもたちません。心理学では「想起(または再生)」と呼んでいます。記憶力の問題は想起の問題でもあります。ところが、残念ながらこれに関する脳科学の研究はあまり進んでいないようです。その理由は、記憶が脳の多くの部位とかかわっており、特に前頭葉の高次機能とのかかわりがまだ充分に解明されていないためだと思われます。東大の宮下保司博士のクループは、サルに2つの図形の組み合わせを覚えさせる巧みな実験によって、2つの図形がペアになっているという記憶が側頭葉にたくわえられていることを実証し、さらに、視覚信号なしに見たものを想起するためには、前頭葉から側頭葉にいたる信号が重要であることを発見しました(1999年のネイチャー誌に発表)。つまり、これは前頭葉で発生した意識が、記憶の保存場所である側頭葉を刺激して、記憶を再生していることを意味します。こうして脳科学は、古くから心理学の主要関心事であった「意識」の実証研究への道を拓いたわけです。ちなみに宮下保司博士は、今から47年前、筆者が担任した中学3年G組の学級委員でした。

 以上の「宣言的記憶」に対して「非宣言的記憶」と呼ばれるものがあります。これは言葉では説明できない記憶です。それはいわば潜在的な記憶ですから、なかなか捉えにくいものです。しかし聞いたり話したりする言語技能では、そういう記憶がたしかに働いています。私たちは自分では説明できませんが、母語を使って聞いたり話したりするとき、そのノウハウを知っています。そうでなければ言葉は使えません。これは不思議なことです。脳はどのようにしてそれを知るのでしょか。脳科学は、今のところ、反射のような比較的単純な行動についてはそのメカニズムを明らかにしていますが、言語のような人間特有の高度な技能については、まだまだ解明からは程遠いところにあるようです。しかし、いくらか分かっていることもありますので、それについて次回に見てみましょう。(To be continued.)

< 入院の記 > 松山 薫

 今月の初めに、狭心症の検査のため3日間入院した。70代の初めまで、全く病気とは無縁だったが、75歳の時に3回入院したので、今回は4回目である。前の3回の病気は、胆石と膵臓炎で、遠因はいずれも酒の飲みすぎであった。我ながらよく飲んだもので、家一軒分は確実に飲み干した。したがって、今もって団地住まいというわけである。40歳まで貯金は文字どおり1銭もなかったので家など建てようもないし、家は帰って寝るだけの場所だったから、そんな気持ちもなかった。

 そういう生活が確実に身体を蝕んでいたのだろう。報いは退職後にやってきた。やがて血圧が上がりだし、そのうち肝機能が破壊されたらしく、γグロブリンの数値が、常人の何十倍にも跳ね上がった。かかりつけの医師は、はじめ、この数値は間違いだろうと首をひねったが、正確だったのだ。肝機能の低下は、肝臓につながる胆嚢に大量の石、胆石が溜まる結果となって、しょっちゅう七転八倒することになり、手術に至った。この時は20日ほど入院し、一旦退院したあと、傷口が化膿して、また2週間入院した。右腹を12センチ切って、胆石をシャーレ半分ほど取ったのだが、なんと、執刀医が、胆石をひとつ取り残し、それが、膵臓の入り口に引っかかってしまったのだから、たまらない。

 人間の膵臓液というのは、牛一頭を完全に溶かす能力があるそうで、入り口をふさがれて溜まった膵臓液が自分の膵臓を溶かし始めたのである。目のくらむような激痛の中、何がなんだかわからないうちに救急車に乗せられて救命センターに運び込まれ、鎮痛剤は打ってもらったものの、2~3時間しか効かず、3日3晩唸りとおした。6人部屋の患者さんたちは大迷惑だったろう。とにかくもう少し遅れたら生きては帰れなかったと後で聞いた。

 膵臓炎の治療というのがまた過酷なもので、1ヶ月間以上文字通り絶水、絶食で点滴だけで生きるのである。10日目くらいからは本当に目が廻る感じになってきた。特に食事時、その匂い、カシャカシャと食器と箸などが触れ合う音を聞いていると、いたたまれなくなるので、つい廊下をぶらぶらすることになる。おかげで病院中の患者の人達と大分顔見知りになった。看護師さんには、文句もいわずによく頑張りますねと褒められた。若い男は一週間で音を挙げて、何か食わせてくれと懇願するという。いつの間にか、同室の患者の間でも、“やっぱり兵隊検査を受けた人は違う”ということになって、若い患者が泣き言を言ったら、「絶食30日」という張り紙を背中に貼って病棟を歩けば、看護師さん達がたすかるよと言われた。

 そういえば、これは病気とはいえないようなものなので回数から省いたが、白内障の手術後に2日間入院したことがあった。このときは、病院に眼科の病室がないため、内科のそれも重症患者の6人部屋の真ん中にほうりこまれた。とにかくもう病室は地獄絵である。痰の吸引がうまくいかず、ものすごい絶叫があちこちで起き、糞尿と吐しゃ物の異臭が充満して、一晩の内に2人が個室へ移された。人間の最後とはこんなに無惨、悲惨なものかと、強烈なぴんぴんころり願望が生まれた。

 さて、今回の入院だが、病気はかなり重い狭心症だからやがて心筋梗塞につながり、ぴんぴんころりとなる。これで願いがかなうかと思ったが、そううまくはいかないらしい。ぴんぴんの後が半身不随ということもありうるわけだ。それで、カテーテルによる心臓冠動脈の精密検査を受けたのである。痛くもかゆくもない1時間ほどの検査であったが、右手首を切開してカテーテルを入れたので、2日間右手を使えなかった。利き手を全く使えないというのは、めちゃくちゃに不便なものである。早い話がトイレにいってもペーパーは使えず、だだ、噴水を5分間も当てて流すという始末になる。まあ何とかしのいだ。

 病院では一日ベットでごろごろしているので、ついうとうとして夜眠れなくなる。退院の日の明け方悪夢を見た。真っ黒な焼け跡がどこまでも坦々と広がっている。人っ子一人いない不気味な沈黙の平原である。この夢にはこれまでにも何回もうなされているし、実はこの光景も実際に見たものなのである。敗戦の年の3月、東京大空襲の後、荒川に住んでいた友人が学校へ来ないので、級友と2人で見に行った時のことだ。付近は真っ黒な平原だった。友人の家のあったところあたりに何か柱のようなものが立っていたので、近寄って見るとそれは、洋服屋をしていた彼の家の3台のミシンが焼け爛れたものだった。彼はついに帰ってこなかった。

 明け方に目がさえて眠れず、隣のベッドの患者の唸り声を聞いているうちに、あの光景が、津波に襲われて平らになった三陸海岸の被災地に酷似していることに気づいた。それはまさにデジャヴュの感覚だった。そのうちまた眠ってしまったらしく、発想は、思わぬところに飛んだ。自分が文科相になって全国の教育委員会に指示を出し、中・高校の今年の修学旅行は三陸海岸を最優先とするよう促したのである。これこそまさに、千万言に勝る教育ではないか!
 
 3日ぶりに帰宅して夜は熟睡した。コンクリートの函のような家ではあっても、やはり我が家の布団はありがたい。 家に帰ってぐっすり眠りたいという被災者の人達の痛切な願いが、一日も早くかなえられるよう祈りたい。(M)

「カメラマンの目と映像」を考える
(1)ある旧友から、「平日の朝は早くから、女子アナウンサーばかり並べて、ニュースや天気予報をやらせているのは何とかならないか」との質問を受けました。確かに、フジテレビ、日本テレビは朝4時から、TBS は5時からなど、女子アナを並べての放送をしています。

(2)私は、彼女たちの勤務条件や契約内容は知りませんが、50歳を超えた女子アナというのは、民放では珍しい存在であることは確かです。フジテレビの安藤優子キャスターくらいの実力者になれば生き残れるのでしょうが、それでも木村太郎氏のようなNHK 出身の“後見人”が時々手助けをしています(夕刻の“スーパーニュース”)。

(3)NHK では、50歳を超えたアナウンサーは、男女共にラジオへ廻すようで、夜の11時から、翌朝の5時まで放送している“ラジオ深夜便”は、特に年配者に好評の番組です。1960年代の歌や音楽を紹介するのに、アナウンサーが、「この歌は中学生の頃、夢中になって覚えたものです」のような話をすれば、聞く方にも親しみが湧くわけです。

(4)民放のテレビ局は、系列のラジオ局を持っているとは限りませんし、年を取ったアナウンサーはどこへ行くのかは私も知りません。デスクワークもそんなに多数の人を必要としないはずです。局の経営者は、「早く“寿退社”をしてくれること」を願っているのではないでしょうか?仕事に関する男女差別は依然として存在しているようです。

(5)もう1つの視点は、「テレビカメラマンの目」です。“カメラマン”というのは差別用語で、”TV camera operator” (テレビカメラ操作者)とでも言わないといけないのでしょう。多くの英和辞典は、“カメラマン”(cameraman) には、PC の記号を付けて、”photogragher” とか、”camera operator” といった用語を与えています。私が“カメラマン”を使ったのは、この分野では、まだまだ男性が多く、彼等は“美形”がお好きだからです。

(6)例えば、高校野球の中継でも、必ず女子応援団の中の“美女”を映しますし、天気予報でも、原稿を読むだけの AKB 48 の美女を起用したりします。私は木原予報士(日テレ)や森田予報士(TBS)の解説の方が分かりやすく、信頼出来ると感じています。(この回終り)