Archive for 7月, 2012

「責任者出てこい!」と言いたくなる話
(1)ファミレスなどで、注文したものと違うものが出されたりして、しかもウエイターの応対が悪かったりすると、「責任者を呼びなさい」と言いたくなります。今回はこれに似た話が政治の世界ではありがちなことを問題にしたいと思います。

(2)今年(2012年)の6月には、国会の「福島原発事故に関する調査委員会」(黒川清委員長)の最終報告が出て、今回のこの事故は、「人災」だと断言しました。(この員会の構成についてはインターネットで、「福島原発事故調査委員会」で検索すると、詳しいことがわかります。)以前にも、菅元総理が参考人として国会で証言していましたが、どうも自己弁護の言い訳が多かったように思います。しかし、この最終報告については、やっと自分の対応の失敗を認めざるを得ないところまで追い込まれたようです。やはり権力のある機関が、「責任者出てこい!」と言わないとダメなようですね。

(3)6月10日の読売新聞が報じているところでは、事故当時に官邸(つまり政府)が過剰に介入して、必要な対応が遅れたことを指摘しています。「その結果東電は単なる官邸指示の伝達役になった」とのことですが、そのために、東電の政府を軽く見る態度が増長したと私は思います。そしてさらに、多くの国民の政治不信に繋がった政府の責任は重いのです。この報告書が示す事実は、今後も長く参考にすべきものです。

(4)「責任者出てこい!」と言われないうちに、のこのこと出て来るのは、森本防衛大臣です。アメリカへ行って、オスプレイの安全性を確かめるために、「自分が乗ってみる」などと言い出しました。この人は中高生の頃“確率”というものを勉強しなかったのでしょうかね。自分が一度乗ってみたが事故は起こらなかったということで、この航空機の安全性が証明出来ると考えているとしたら、“おバカさん”としか言いようがないですね。そんなことをするよりも、鳩山元代表のしりぬぐいをするために沖縄の住民と話し合うのが先でしょう。

フジテレビの“27時間番組”に思うこと
(1)最近のフジテレビのやり方は、全くえげつないですね。日本テレビの人気番組「エンタの神様」を奪い取る形で、次々と新しいお笑い番組を作り出しています。もっとも、「エンタの神様」もいろいろな不祥事を起こしていましたから、こういうのを「目くそ鼻くそを笑う」と言うべきなのでしょう。

(2)日本テレビがかなり前に始めた“24時間テレビ”を真似した”27時間テレビ”(この企画そのものは別の会社のようですが)を先日フジテレビで放映していました。タレントを喧嘩させたり、相撲を取らせたり、エログロナンセンスのおしゃべりをさせたりと、制作意図には何も方針がありません。あるのは、タレントを走らせる“100キロマラソン”のような、“演出された感動の押しつけ”だけです。

(3)電力不足が心配されている時期に、こんな番組を徹夜で放送するとはどういうつもりでしょうか。「面白くなければテレビではない」がフジテレビのモットーのようですが、私は、「面白いだけがテレビではない」と声を大にして言いたいと思います。(この回終り)

<英語との付き合い27>

Author: 松山 薫

(101) < 英語との付き合い ○27 >

新しい仕事への挑戦—2

 私が残る人生でやらなければならない仕事は、成人のための英語再学習法の構築だった。
私はかねがね、我々日本人が学校で英語を学び、それを基盤として仕事で使えるような英語を身につけるには、どうすればよいのかを、国際放送英語ニュースの現場で自分の体験や、先輩の教え、同僚、後輩たちの悪戦苦闘を通じて考察し、当然のことながらそこには一定の法則性があることに気づいていた。同時に世界が急速に国際化へ向かって進み始めた状況から、いずれ、いわゆる英会話のレベルでは間に合わなくなり、英対話が必要になる日が来るだろうと考えていた。
 
 そんな折、協会(NHK)が、職員に対し、国際放送開始30年の記念事業を募集したので、これを機会に、みんなの体験とチエを集めて、“英対話への道”を構築し、NHK出版協会から本にして出す計画を立案し、英語ニュース班会にはかった。しかし残念なことに、多忙などを理由に、過半数の賛同をうることが出きなかったので、「それなら、自分が1人でもやってみせる」と啖呵をきったところ、その後何人かが個人的に協力してくれることになった。私には、やらねばならぬ責任が生じたのである。 
 
 私の観察では、毎年何人か英語ニュース班に配属されてくる新人の多くが、基本的な語彙やその使い方を十分にわきまえておらず、政治・経済・社会・国際などの基本的な知識にも欠けていた。そこで、私は、何人かの新人に、私が選んだ1,000語の基本語彙と例文の表を渡し、それが彼等のnews writingにどのように現れるかを観察したところ、効果は極めて大きかった。また、基本的な政治・経済・社会・国際関係などの知識の不足に対しては、部内で組織した研究会で、次のような考えを述べて努力を促した。

 「本当に有用な知識というものは、漫然と新聞や資料を読んでいても身につかない。漫然たる知識は、いわゆるflowの知識で、雑学コンテストの点数を上げたり、床屋政談のネタを探すには役立っても、物事を判断する際の基盤になるstockの知識にはならない。stockの知識を身につけには、何かひとつ、幹になる事項をえらび、それを追求することを通じて、枝を伸ばし、葉を茂らせるような方法をとることが必要である。」勿論、私たちの新人時代のような徒弟制度的な押し付けは出来ないから、個人の努力に待つしかなかったが、努力したかどうかで、2~3年たつと差は歴然としてくる。

 私は、この二つ、つまり、基本的な語彙の習得とstockの知識の涵養を、英対話の基盤を作るための基本とすることを、協力してくれる仲間に説得し、了解を得た。そして、これを最後にNHKを退職し、残る30年の人生をかけて英対話習得法の構築に立ち向かうことになった。

 ところで、前にこのブログに書いたが、私自身は、60年安保闘争でデモ隊が国会構内に乱入し、警官隊と流血の衝突を展開した悲惨な現場を取材して、同胞相撃つ悲劇を避けるために、安全保障問題を研究することの必要性を痛感した。そして、それは今に至るまで、国内、国際問題に対する私の判断の基盤になっている。

 昨年3月11日、福島原発の事故が報じられた際、津波の被災者には申し訳ないが、原発事故の方が影響は深刻化すると判断し、直後に書いたブログで、あきれるほど鈍い政府の対応を批判した。真実を隠しているとしか思えない政府、東電の記者会見、それをまともに追及しない記者達に対し、TVに向かって思わず「何ヤッテルンダ!」と叫んだ。ウランの濃縮度から考えて、原子炉が核爆発を起こすとは考えられなかったが、圧力容器、格納容器が何らかの損傷を受けた場合、放射能が大量に漏れて重大な環境汚染が広がると直感したのである。
また、1999年に東海村で起きた臨界事故の際、中性子で犠牲者がでたことが頭に浮かび、原子炉が中性子爆弾化する恐れがないのか心配になった。中性子爆弾というのは冷戦時代にヨーロッパ戦線でソビエトの戦車軍に対抗するためアメリカが考え出した戦術核兵器で、核爆発を抑え、大量の中性子を発生させて戦車の搭乗員を殺傷する。原子炉でメルトダウンが起き、再臨界で大量の中性子が発生して放射性物質とともに外部に流れ出れば、発電所の人達は死に絶え、原子炉は制御不能に陥る。

風向きによっては、被害が東京、神奈川にも及ぶ可能性が強いと判断し、家内と、ここに留まるか、どこかへ避難するか相談した。お互い老い先短い身ではあるし、避難先で持病が悪化した場合は悲惨なことになると考え、最悪の場合にはここで死ぬ覚悟をした。政府の無策によって、放射性物質が流れる方へ避難してしまった浪江町の人達には大変すまないが、今回私達は偶然助かった。しかし、東海地震で浜岡原発が重大な損傷を受けた場合、今度こそ、生存の可能性はないと考えている。(M)

英語学習と「訳」(10)

Author: 土屋澄男

私たち一般の日本人の場合には、母語である日本語の習得が進み、その言語によって自己のアイデンティティーがほぼ出来上った後(10歳以降)に、英語を外国語の科目として学校で学ぶことになります。その場合には、新しい言語の学習プロセスは次の2の点で母語である日本語の習得とはまったく違います。

1)学習プロセスのほとんどが意識的になされること

2)すでに習得している日本語の知識を利用したり、逆にそれによって妨害されたりしながら進行すること

 第1の、学習プロセスが意識的になされるということは、日本語を意識せずに英語を学ぶことはほぼ不可能であり、学習の過程でほとんど常に日本語が介在するということです。それは幼児における母語の無意識的な習得とは根本的に違う形の学習プロセスです。かつてクラッシェンは「習得」(acquisition)と「学習」(learning)を判然と区別し、前者は意識下で(または無意識的に)行われるプロセスであり、後者は意識的になされるプロセスであるとしました(The Input Hypothesis: Issues and Implications 1985)。意識の点では、クラッシェンの言うとおり、私たちの英語学習は幼児の母語習得とは大きく異なります。

 しかしクラッシェンは、「習得」と「学習」の区別を強調した結果、発話の能力は「習得」によるのであって、意識的な「学習」によって得られる知識は発話をモニターする、つまり発話の形式を整えるだけの役にしか立たないと考えました(モニター仮説)。つまり、「学習」をいくら積み重ねても「習得」には至らないというのです。これは研究者の間に大きな議論を呼びました。筆者は次の点で、クラッシェンの仮説は言語習得の事実の一面しか捉えていないと判断します。大人の第二言語学習は、幼児の言語習得とは異なる種類の「複合型バイリンガリズム」の達成を目指す、新しい形の言語習得なのです。すなわち、私たち日本人が達成を目指す英語能力は、英語を母語とする人たちの獲得する単一言語の使用能力とはまったく違う種類のものなのです。私たちの脳は英語の学習によって、おそらく、日本語と英語の二つの言語システムが複雑に混在し、それらが前頭葉における何らかのコントロール・システムによって制御されるような「複合型バイリンガリズム」の能力を獲得することになるのです。

 第2の、学習者がすでに習得している日本語の知識が英語学習に影響を及ぼす問題は、母語の「転移」(transfer)の問題として、古くから心理言語学や第二言語習得研究で取り上げられてきました。転移とは、簡単に言うと、新しい言語(L2)を学ぶときに母語(L1)がどのように影響するかということです。その影響には二つのタイプがあり、一つは「積極的転移」(positive transfer)と呼ばれ、L1の知識が新しいL2の学習を容易にするもの。もう一つはL1がL2の学習を妨害する「消極的転移」または「干渉」と呼ばれるものです。これまでの言語転移の研究は、言語間の音韻、語彙、統語構造、談話構造、語用論などの比較研究を盛んにし、数々の興味ある事実を明らかにしました。さらに興味深いことに、L2の学習がL3やL4の学習に転移したり、L2の学習が逆にL1の学習に転移したりすることも認められています。

 ここでこれまでになされた転移の問題をすべて取り上げることはできませんので、日本人が英語を学ぶ場合に、母語である日本語が英語の学習にどのように影響するかを示す典型的な例を取り上げてみましょう。英語を学び始めて最初につまずく文法項目として「冠詞」と「名詞の複数形」があります。これに加えて、日本語とは異なる表現法(We have ~)を挙げてみます。

Teacher(テーブルの上のリンゴを指して):This is an apple. That’s an apple, too. We have two apples on the table.

このような ‘teacher talk’ は英語学習の初期に現れるもので、必ずしも自然な発話ではありませんが、先生は生徒たちにそれぞれの文の意味を理解させ、それらを口に出して言えるように指導します。これらの文には、“an apple” や “two apples” のような日本語には現れない文法形式と、“We have ~” という日本語とは異なる表現形式を含んでいます。先生はいろいろな方法でこれらの文を生徒に理解させようとしますが、それらの形式を正しく表出できるほど深く理解させることは簡単ではありません。じじつ、「冠詞」や「複数形」のように日本語に欠落している文法形式は、学習がずっと進んだ段階までエラーが続くことが知られています。 “We have ~” についてはどうでしょうか。このような表現を、日本語をまったく介さずに深く理解することは可能なのでしょうか。そのことを「訳」と関連して掘り下げてみたいと思います。(To be continued.)

“ボタンの掛け違い”の話
(1)このところ、最初ボタンを掛け違ってその結果として大事になる事件が多いようです。滋賀県大津市の中学生が自殺に追い込まれて、「いじめがあったのではないか」という疑問に教育員会も学校も「そんなことはない」としらばくれたために、県警が教育委員会や中学校に家宅捜索に入るという前代未聞の大事件になってしまいました。その後遺族に訴えられて、大津市は示談に応じるような姿勢を見せ始めましたが、後の祭りでしょう。

(2)私の限られた経験ですが、戦前から小学6年生くらいになると、“いじめっ子”と呼ばれる生徒が数名いて、下級生たちはとても怖がったものです。しかし、彼等には子どもながらに“仁義”があって、先生には従順でした。ですから、下級生が6年生にいじめられたと先生に訴えれば、先生はすぐにその6年生を探し出して叱ってくれたのです。それでも下級生たちはなるべくそういう上級生を避けるようにしていました。

(4)ところで、東京電力は、「電気料金を値上げするのは会社の権利だ」などと言っていましたが、さすがに政府もすぐには値上げを認めませんでした。最近の決定では8.5%程度で収まるようですが、庶民にとっては辛い数字です。なにしろ政府にしても、東京電力の示すデータしか資料の持ち合わせがないのですから相手の言うことを信じるよりないのです。最初にボタンを掛け違えても、最後は何とか辻褄を合せてしまうという異例の事態です。

(5)“ボタンの掛け違い”の見本のような実例は野田首相でしょう。小沢一郎や鳩山由紀夫が、あからさまに消費税増税に反対を表明していたのに、話し合いや説得を後回しにして、自民党や公明党と与野党合議を進めてしまったのです。そのために離党者が次々と出て、自分の身さえ危なくなってしまいました。この人物は、「敵でも味方でも話し合えば理解してもらえる」と信じているバカなほどのお人好しか、または、国民の期待の裏をかく策士なのでしょう。いずれにしても、浮かばれないのは庶民です。

(6)鳩山由紀夫と言えば、この人ほど物事の順序をわきまえない人物も珍しいですね。のほほんと育った良家のお坊ちゃんでしょうから無理も無いですが、今度は原発再起動反対のデモ隊に参加して激励したりしています。政治家の行動としては許されることですが、離党もしないで自分の党に反対する行動は不可解です。沖縄の基地問題で世論を混乱させたことで党代表を辞めた責任などとうの昔に忘れてしまっているのでしょう。

(7)こんな人物が党内にいても、優柔不断な野田首相は決着をつけようとしません。最近の各社の世論調査では、「支持する政党はない」とする無党派層が急増しているようです。総選挙があっても投票しない人たちが増えたのでは、選挙の意味も無くなります。これこそ日本の最大の危機だと思います。(この回終り)

(100)< 原発をめぐる国民的議論について>

  ”脱原発”か”原発維持か”をめぐって、政府主催のいわゆる国民的議論が始まった。これは、政府が、来月末にも長期エネルギー政策の改定を発表するのに先立ち、政府が示した2030年における原子力発電の割合の3選択肢について、国民の意見を聴くというプロセスである。しかし、期間があまりにも短いこと、3選択肢方式の是非やその内容の決め方、意見集約の方法とその取り扱いなどに問題があるとして、政府の決定に民意の衣をまとわせるための ”やらせ“ あるいは ”ガス抜き“ ではないかという批判が噴出している。
  
 まず、期間が短いことについて、古川国家戦略担当相は、原発論議は昨年3月の原発事故以来続いており、今回は締めくくりの意味での議論をお願いするもので、全体を通してみれば短くないと反論している。しかし、これはおかしな論理だ。政府が3選択肢を決定したのは6月末のことであり、これについての意見を訊くのであれば、期間は1月ほどしかない。社会のあり方に重大な影響のある選択について、本当に国民の意見を汲み取る意志があるのかどうか疑われても仕方ない。

  次に、選択肢を0%。15%。20~25%に絞って意見を訊くという方式についても疑問が投げかけられている。この“国民的議論”のプロセスが始まったのに合わせて、NHKは7月14日(土)「どうする日本のエネルギー 脱原発か原発維持か」と題する討論番組を放送した。番組の冒頭で、NHKがあらかじめ依頼したというモニターによる、3選択肢の選択状況が、それぞれ51%、30%、16%、わからない 3% であったことが報告された。その後、参加した有識者や一般聴取者によるおよそ1時間の討論が行なわれ、これを聞いた後でのモニターの判断が、44%、35%、17%、4%に変ったことが明らかにされた。単純に考えると、原発エネルギー0%の意見の人のうち5%が、15%説へ、1%が20~25%説へ、1%がわからないへ流れたことになる。

 NHKがこのようなモニター調査を行なったのは、政府が8月初旬に実施予定の討論型世論調査を意識してのことだと思われる。難しい問題について3選択肢を示して判断を問えば、極論を避けるという心理が働いて、真ん中の選択肢に回答が集まりやすいのは当然である。したがって、このプロセスは、もともと、野田政権が考えている落としどころ15%へ世論を誘導する仕組みであると疑われても仕方ないだろう。盛夏の電力不足が心配される時期に意見を聞くことにも、当然疑問が出ている。3選択肢の間で判断が揺れる最大の要因が電力需給の見通しにあるからだ。であれば、判断を求める前に、電力不足が本当に起きるのかどうかを徹底的に論議すべきだろう。

 さらに、3選択肢の内容について、経済界から経済成長率と電力使用想定量との整合性がないという批判がでている。15%という選択肢は、老朽原発を当初の指針である40年で廃炉にしていけば、何もしなくても達成できる数字なのである。従って、15%という政府の落しどころでは、成長率は現状の1%程度に留まり、年2%という政府の経済成長率見通しを達成しようとすれば、この指針を完全に反故にするか、原発を新設しなければ整合性はない。

 ところで、実際に意見聴取会が始まってみると、電力会社の意見を代弁する発言者が相次ぎ、参加者から”やらせ“ではないかという疑問の声が挙がった。この会合の企画は、政府が大手広告代理店に依頼したということだが、政府のチェック機能が全く働いていないのでは、税金を使った茶番劇である。だいたい「原発を止めたままでは日本の社会は成り立たない」と公言している首相の政府が、0%の選択肢を国民に議論してくれというのは、脱原発派にも一応顔を立てて“ガス抜き”をした上、何とか、落しどころで現状を切ぬけたいという魂胆が見え見えで、国民を馬鹿にした話であると取られてもしかたないだろう。そのうえ、こうしたいい加減な意見集約の結果をどのように、エネルギー改定の決定に反映させるのかも明らかにされていないのだから, ”国民的議論“という mere formality と受け取られるわけだ。        

 政府は何故、原発エネルギーの是非について国民の声にもっと真剣に向き合おうとしないのか。首相官邸周辺の金曜夜のデモは回をおうごとに参加者が膨れ上がり、全国に波及しててきた。団地の知人もこれに参加し「すごい人とすごい熱気に驚いた。孫達に、原発のない安心して暮らせる未来を残さなければという思いを強くした」と伝えてくれた。多くの人が、この国の将来を考えて参加しているのである。

 大江健三郎氏らが呼びかけた10月16日の“さようなら原発10万人集会”には17万人(警察関係の推計7万5千人)が参加した。会場の代々木公園ではメーデーの集会などが行なわれ、自分でも参加したり取材したりしたことが何回もあるが、これほどの人が集まったのは見たことがない。

 デモや集会は民意ではないと言った学者がいる。デモや集会が民意の全てを代表するものでないことは当然だろう。しかし、デモや集会が、間接民主主義を補完する重要な手段であることは確かである。問題はそれが、どのような世論をどのような程度で代表しているかであり、それを見極めることは政治にとって極めて重要な意味を持つ。

 私は、こんな杜撰な意見聴取計画で国民の意見を聴いたことにして原発論議を”締めくくる“という神経を疑うとともに、もはやこの政権には国の舵取りを任せておけないのではないかという危機感を持たざるをえない。原発の是非は国のあり方にかかわる重大な問題であり、総選挙の争点とすべきものである。それも、一回の総選挙ではなく、2回、3回と回を重ねて慎重にnational consensusを導き出すプロセスが必要だと私は思う。(M)

英語学習と「訳」(9)

Author: 土屋澄男

バイリンガルの「等位型」と「複合型」の区別に関して、筆者は以前次のように述べました。「比較的に単純な<等位型>は習得の過程ではあり得るのかもしれないが、習熟した段階では二つの言語は複雑に絡み合っているらしい」と。これは筆者の個人的経験に基づく推論で、科学的に証明されているわけではありません。個人のバイリンガルの脳の中でそれぞれの言語が別々に存在するのか、それとも重なりあったり混ざりあったりして存在するのかは、今のところ実験によって完全に証明されてはいないからです。しかしこの問題はおもしろい話題をいろいろ提供してくれますので、ここでもう少し考えることにします。

 「等位型バイリンガリズム」というのは、バイリンガルの脳の中に二つの言語を処理する別々のシステムが存在すること、つまり一方に一つの言語を処理するシステムがあり、もう一方で他の言語を処理する別のシステムがあるということです。これは、0歳から3歳くらいの早い段階で同時に二つの言語を習得するような場合(「同時バイリンガリズム」)にはありそうなことです。たとえば日本に住んでいる夫婦で夫がアメリカ人、妻が日本人の場合、生まれてきた子どもに夫は一貫して英語で話し、妻は一貫して日本語で話すという家庭環境では、子どもが学校に行く頃までに二つの言語を同時に習得する可能性があります。この場合どちらが第一言語で、どちらが第二言語であるかが判然としないこともあり得ると思います。

 かつて筆者が懇意にしていた家族に、そうして育ったバイリンガルの娘さんがいました。彼女は父親がアメリカ人宣教師、母親が日本人で、日本で育ちました。日本の公立小学校を卒業したあと、中学校からアメリカに渡ってアメリカ人の親戚の家からハイスクール(中学・高校)に通うようになり、夏休みに日本に帰って来ました。彼女はアメリカでは日本語をほとんど使っていなかったようですが、日本に帰ってくると、英語と日本語を適宜に切り替えて話しました。時には英語のセンテンスの途中から日本語になったり、日本語から英語になったりしました。その時の様子を見ていて、この娘さんは日本語と英語のコードが時々切り替わるようだと感じたものでした。しかも本人は今どちらの言語を使っているかをほとんど意識していない(つまり自動的になされる)ように見えました。相手によって、場面によって、あるいは同じ場面の同じ相手であってもたぶん何かの理由で、言語コードが自動的に切り替わるという感じでした。このような「コード切り替え」(code-switching)についてはバイリンガリズム研究でも取り上げられていて、どういう場合にどういう目的でコードが切り替えられるかの研究もすでになされています(例Hoffman 1991)。

 「コード切り替え」に関連して、筆者の経験したケースをお話します。かつてアムステルダムを訪れた際に、一日観光バスに乗りました。そのバスの女性ガイドは5か国語(オランダ語、ドイツ語、フランス語、イギリス語、イタリア語)でガイドしました。彼女は筆者の質問に対して、自分のようなバスガイドはオランダでは珍しくないと言いました。都市に住んでいるオランダ人は幼い頃からそれらの言語に接する機会が多く、自然にバイリンガルまたはマルティリンガルになるケースが多いようです。そのよう多言語社会で育った人たちは、幼いときから自然に複数の話し言葉に接し、それらの言語の基本的特徴を身につけますので、その後にそれぞれの言語を意識的に区別して使い分けるように教育を受ければ、ある程度の努力で多言語話者になるというわけです。しかしそういう人たちの多言語使用はバイリンガルの場合よりもいっそう複雑で、「等位型」なのか「複合型」なのかを問うこと自体が無意味であるかもしれません。

 そこで、ここからは「複合的バイリンガリズム」の話になります。これは、バイリンガルの脳の中に存在するのは単一の言語システムであり、それが二つの言語に共通して使用されるという仮説です。しかしこのモデルは単純すぎます。筆者はさらに、成熟したバイリンガルにおいては、AとBの二つの言語システムが脳の中に構成され、それらが複雑に絡み合い、一つの包括的なスーパーシステムによってコントロールされ、AとBのどちらの言語を用いる際にもシステム全体が活性化されるというモデルを仮定します。このことはすでに実験的にその可能性が示されています。以前にもふれましたが、成熟したバイリンガルの言語処理においては、あらゆる場合に(一つの言語しか用いていない場合にも)二つの言語システムを処理しているのと同じ処理機能が働いていることが分かっています(Bialystok et al. 2009)。これは多言語使用者の新しいモデルを示唆する重要な発見です。このラインに沿って、私たちの英語学習を見てみましょう。(To be continued.)

英語との付き合い ○26

< 新しい仕事への挑戦−1 >

 NHKを退職すると決めたのは40代の半ばだったが、実際にやめたのは、妻子と老父を抱え何とか食っていけるメドがついた52歳の時だった。辞表を出し、二度と通ることのないNHKの西口玄関を出て、渋谷駅の方へ歩いていると、向こうからABC放送のベテランアナウンサー、グラハム・ウェブスターさんがやってきた。彼には、退職後もいろいろお世話になるからということで、前もって近くNHKを辞めると伝えてあったので、“ I’ve just quit NHK. “と話しかけると、”Happy retirement ! ” と笑いながら手を差し伸べてきた。happyになるか、unhappyになるか、一抹の不安を感じる一方、これからは自分の意志で生きられるという大きな解放感を味わいながら、駅前のビアホールで人生最後の夢への新たなる挑戦へ向けて乾杯した。

 我が家はわり合い長命な家系らしいので、漠然とあと30年くらいは生きられるだろうと考えていた。その残りの人生でやりたい仕事とやらねばならない仕事があった。それらは、苦労して身につけた英語を”使い倒す“ことを基盤としており、両者は、成功すれば必然的に結びつくはずのものであった。

 やりたい仕事は、20代の終わりに1年足らずではあったが携わった貿易業だった。貿易は面白いかもと気づいたキッカケは、「あんたのところは、一体何を入れたんだ!説明に来い!」という横浜税関のお役人の怒鳴り声だった。前にこのブログにも書いたが、スイスの会社へのorderを私が間違えたため、何に使うのか分からないpunching machineが10台、保税上屋に積み上げられていた。実はこれはノートの右端に一列に穴を開ける機械で、この穴に螺旋を通すspiral deviceとセットで5台ずつ注文したつもりが、穴あけ機だけ10台来たのだから、税関がとまどったのも無理はない。しかも、当時このようなノートは日本にはなかったので、税関の役人を納得させるのに汗をかいた。しかし、この時、貿易は”独創性“がkey wordだと気づいたのである。この方式のノートはその後一時ブームになり、今ではどこでも売っている。

 ところで、私がいつか貿易業に取り組もうと本気で考えたのはずっと後のことで、キッカケは東京オリンピックだった。多くの外国人に話を聞き、意見を交わすうちに、英語を身につけてよかったと思うとともに、自分の夢を実現するための武器としてこれを使わない手はないと思い立った。私の夢は、戦争の根絶であり、そのためには国際連合の強化と日本国憲法の理念を実現することが必要だと考えている。その第一歩として、貿易を通じて世界の人々と交わり、できるだけ多くの知己を作って、まずはUNESCO憲章*への共鳴者を増やすよう努力したいと思ったのである。思えば、これは、国際放送の理念と重なるもので、長年培ってきた国際情勢の知識と分析それに国際理解のknow-howを存分に生かせる道でもあった。

 問題は独創性と有用性のある輸出入品を見抜く眼と資金だったが、それは60歳までに創りあげるつもりであった。当分は、準備活動として外国の新聞や雑誌、大使館などにある資料を読みあさり、commercial attachéからの情報収集にあたりたいと考えていた。貿易商社に勤めていた頃とは時代が変わっていたし、資金が不足なので、最初は雑貨類の輸入から始めことにして、横浜の知人には、家を改築する時に商品の展示室を作ってもらった。また海外へ行く友人・知人には何か面白い情報はないか気をつけてみてきて欲しいと依頼した。昔の生徒で雑貨卸売商として成功していた人物がいたので、その販売ルートに乗せる計画であった。

 しかしこの計画は挫折した。数年あれば最低2倍にはしてみせるという証券会社の口車に乗って預けた虎の子の資金が、バブルの崩壊もあって、アッという間に、半分以下になってしまったのである。このカネはもうひとつの仕事の資金にとっておかねばならなかったので、貿易業の方はあきらめざるをえなくなってしまった。「人間万事塞翁が馬」だと思えばあきらめもついたが、もう少し若ければとそれだけが悔やまれた。(M)

*「UNESCO憲章前文」
 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かねばならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて、世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば、戦争になった。・・・平和は失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれなければならない。

「理解を求める」という話の真意は?
(1)福島県の原発被害地では、東京電力の責任者が、「被害を受けた方々にはご理解を得られるように努力したい」などと言っていましたが、被害を受けた人々に「何を理解せよ」と言うのでしょうか。今のままでは殺人犯に子どもを殺された親に、「犯人の気持ちも理解してやれ」と言うのと同じではないでしょうか。日本人は責任感と共に言語表現能力も失いつつあると思わざるを得ません。

(2)原発の放射能被害はすぐに解決するものではありませんから、被害者には当面の生活費を補償して、完全に安全が確保されるまで、将来にわたって補償を約束する以外に方法はないでしょう。そういうこともしないで、電気料金の値上げを申請するなど、東京電力は全く神経がどうかしています。政府もすぐには認めないようですが、当然でしょう。

(3)放射能被害に関しては“風評”を信じる市民も悪いかも知れませんが、政府がしっかりした方針を示して説明する努力が足りないのです。今日(2012年7月10日)の参議院での集中審議でも、予算が余っているのに震災被災地の支援が十分に行われていないことを野党に突かれて、野田首相は弁解と謝罪に追われていました。これも謝れば済む問題ではありません。

(3)沖縄の基地問題にも同じようなことがあります。垂直離着陸のできるオスプレイのように事故を起こす確率の高い航空機を沖縄や岩国に配備するという報道がありました。森本防衛大臣は、「現地の住民の理解を求めたい」といった発言をしていました。これも意味不明です。沖縄と山口の県知事が早速受け入れを拒否したのは当然です。

(4)森本敏という人は、「“みのもんた”の朝ズバッ!」(TBS系)のコメンテーターとして発言していたことがあります。発言内容は“アメリカべったり”というのが私の印象でした。コメンテーターや評論家としてはそれも許されるでしょうが、防衛大臣として沖縄の基地問題を解決できる人物とは思えません。野田総理の人選は毎度のことながら無責任です。

「自分だけは」という意識の問題点
(1)陽気が暑くなり始めると登山が盛んになります。しかし、高い山はまだ真冬と同じですから、事故が多いのもこの季節です。70歳くらいのグループが雪崩に巻き込まれて遭難する事故がありました。日本人は、「自分だけは大丈夫」という意識が強い人が多いのでしょうか。無鉄砲な若者ではなく、分別のあるはずの高齢者が遭難しているのです。「おれおれ詐欺」の被害も増えているそうですから、ここにも「自分だけは大丈夫」という意識が働いているのでしょう。

(2)そうかと思うと、ある大学では若い準教授の書いた論文がねつ造だったと分かって解雇されました。7月2日の毎日新聞は、「論文の捏造、どうして起きる」という解説記事を載せていました。「書いた論文は自分の業績になるばかりでなく、研究費の多くは税金が使われているので、納税者に報告する義務がある」という趣旨の解説でした。

(3)私も大学に長くいましたから、採用や昇進の人事にも関わりましたが、論文の独創性を実証するのは至難のことでした。結局は、論文がいくつあるかといった形式的な基準がものをいうのです。最近のように、インターネットであらゆる情報が得られるようになると、そういう情報からの剽窃を発見するのは余計難しいでしょう。結局は当人のモラルを信じるよりなさそうですが、モラル自体が低下している現状ではどうしようもありません。(この回終り)

前回、現代イスラエルの再建にまつわる「復活したヘブライ語」の使用に関する実態調査をお示ししました。ここではその調査結果に基づいて、言語習得と年齢の関係について推論できる事柄をまとめておきます。

 1、0−4歳を最高として、幼い子どもほどヘブライ語の使用率が高いことから、新しい言語環境におけるL2の習得は年齢が低いほど容易であり、成功する確率が高いと予想されます。

2、年齢が高くなればなるほどヘブライ語の使用率が下がることから、新しい言語環境におけるL2言語の習得は年齢が高いほど困難になり、成功する確率が下がることが予想されます。

3、20歳未満の若い人たちではヘブライ語の使用率が80%以上を示しているのに対して、20歳を超えるとその使用率が70%台に低下してしまうことから、新しい言語環境におけるL2言語の習得は20歳を過ぎると困難度がいくぶん高くなることが予想されます。また、30歳台になるとその使用率は60%台まで下がっていますので、習得の困難度はいっそう増加することが予想されます。

4、40歳以上になるとヘブライ語の使用率が50%を割っていることから、新しい言語環境におけるL2習得は40歳頃を境にして急激に困難を感じるようになると予想されます。ですから、L2を母語と同様に使用することのできるバイリンガルになる目標は、40歳を超えると現実的ではないかもしれません。

5、60歳を超えるとヘブライ語の使用率は27%台になります。これは高齢者にとってL2習得が非常に厳しいものであることを示しています。しかしその反面、どんな高年齢になっても、L2の習得がまったく不可能になる年齢というのは想定できません。第二言語習得のもろもろの研究によれば、年齢が高くなるほど習得の個人差が大きくなることが知られています。

 以上にイスラエルにおけるヘブライ語の使用に関する研究を紹介しましたが、それが私たちの外国語としての英語学習に直接関係があるわけではありません。私たちは日本に住んでいて、イスラエル人がヘブライ語を必要とするように英語を必要としているわけではありません。世界中からやって来たイスラエル人にとってヘブライ語は彼らの共通語ですが、私たちにとって英語は日本に暮らすかぎり外国語の一つに過ぎません。しかし真剣に英語と取り組む日本人にとっては、二つの言語に精通するというバイリンガリズムの研究は大いに参考になるはずです。

 バイリンガリズムの話の最後に、その言語環境について考えてみましょう。いろいろな研究者が論じるところによれば、子どもを最も効率的にバイリンガルに育てるためには、次のいずれかの原則をできるだけ厳密に実行することだとされています。

・「一人一言語」(one person, one language)

・「一言語一場面」(one language, one context)

「一人一言語」というのは、たとえば父親がアメリカ人で母親が日本人というような場合に、父親は英語だけで子どもに接し、母親は日本語だけで子どもに接するようにします。両親が協力して一貫してそのように子どもに接するならば、子どもは混乱することなく(習得の過程ではもちろん混用も起こりますが)、比較的にはやく二つの言語を区別して使えるようになるというのです。これに対して「一言語一場面」というのは、たとえば家庭ではもっぱら日本語を使用し、家庭外ではそのコミュニティーの言語(たとえば英語)に浸るというような場合です。そのようにコンテクストによって言語の使用を厳密に管理することができれば、子どもは二つの言語の区別が徐々にできるようになるというわけです。

 日本に生まれ、ふだん日本語だけで生活している大部分の日本人にとっては、「一人一言語」という環境は望むべくもありません。私たちがバイリンガリズムを目指すとすれば、「一言語一場面」の原則で生活できる場を作り出すしかありません。日本にいてもできることはいろいろあります。最良の方法は留学などで外国へ行き、そこで一定期間暮らすことでしょう。若い人たち(とりわけ10代、20代の若者たち)は大胆に計画し、勇気をもって実行に移してください。ただし出来合いの短期語学研修に参加するだけではだめです。高校や大学や大学院の授業に出て単位を取ってくることが大切です。幼い子どもにとって周りの人の言葉を覚えることは生きる営みそのものです。すでに大人になった人もそれくらいの覚悟で自己を没入しなければ、新しい言語をものにすることはできないと考えてください。(To be continued.)

NHK−12 NHKと政治

ロッキード番組と慰安婦番組の改変

 前回述べたように、NHKへの政治介入として最もよく知られているのは、ロッキード事件5周年の番組と慰安婦問題の番組の改変だろう。そこで、最後に、NHKの存立の根幹に触れると思われるこの二つの事件の内容とそれを生んだNHKの体質について、当事者達と、長年NHKを取材してきた新聞記者の著書を紹介しておきたい。これらは決して昔、昔の物語ではない。先ごろ、NHKの経営委員長が在職のまま東電の社外取締役に就任しようとして指弾を浴びた。そもそも、経営委員長と会長がいずれも財界関係者であることに私は強い違和感を持つ。少なくとも会長はジャーナリスムの体験者かジャーナリスムに深い造詣と理解を持つ人物でなければならないと私は思う。

① NHKと政治 川崎泰資  朝日文庫

 高野岩三郎から海老沢勝二にいたる戦後のNHK会長が、どのような政治家との絡みで生まれたのかを検証し、その文脈の中で生じた政治介入、特に、ロッキード事件5周年番組改変当時、報道局政治部総括デスクとして体験した介入の内容を、島報道局長との生々しいやり取りをまじえ、詳細に跡付けている。著者は、このあと、ニュースの現場から放送文化研究所へ追われ、やがて大學へ去った。この本の解説で、東京地検特捜検事としてロッキード事件で田中角栄を取り調べた「さわやか財団」の堀田力理事長は、「世の中には、真っ直ぐ生きたい人と、出世やカネモウケのためなら筋を曲げてもへっちゃらな人がいる。また世の中の仕事には筋を曲げてはいけない仕事がある。国民のための報道機関であるNHKは、絶対に筋を曲げてはいけない機関である。」とのべ、著者について、信念を貫いた稀有の人であると評している。

② NHK社会部記者 神戸(ごうど)四郎 朝日新聞

 ロッキード事件の後、報道局社会部長をつとめた著者は、100人を超える社会部員の先頭に立って、”体を張って“ ロッキード取材活動を展開した。しかし待っていたのは、世論調査所への転勤だった。世論調査所では、1982年(昭和57年)次長だった神戸を中心に恒例の「暮らしと政治」の調査を実施することになり、およそ40項目の質問事項の中に「ロッキード事件をきっかけに疑惑を生む日本の政治体質は正されていると思いますか」など5問を設定したが、島報道局長によってロッキード関連の項目は全面削除を命じられた。
著者は、若い頃、子供たちの命を救うため、ソビエトから生ワクチンを輸入するというポリオ根絶キャンペーを通じて「報道機関としてのNHKの存在理由が真に問われるのは、権力者、権力組織にどこまで毅然として立ち向かえるかということだと痛感した」と述べ、この本の最終章で「NHKの体質への危惧」として、会長以下協会首脳部が言論・報道の根本にかかわる基本的な問題について毅然たる態度を示さないため、現場は権力を批判して問題になるようなことは見てみぬ振りをする」と書いている。彼は後に伊豆の海で投身自殺した。島は彼の死を聞いて「あれは気違いだ」と言ったと伝えられるが、上記の川崎は、神戸の死をNHK上層部への諫死であったと評している。私にはこの本が、NHKで働く人達への彼の遺言状のように思える。
私は伊豆にあった書庫を処分する前に、彼が身を投げた城が崎海岸へ行った。上田哲の盟友として社会部の組合分会長をつとめたこともある神戸とは顔見知りであった。城が崎の吊り橋の上から青い海の底を見つめていると、多くの腹心の記者達の将来を失わせることになった自責の念と無念の思いが伝わってくるようで、しばらくは、彼を死に追いやった者達への体が震えるような怒りを鎮めることが出来なかった。

③ NHK 鉄の沈黙はだれのために 永田浩三 柏書房

 2001年の1月に放送されたNHKのETV特集「戦争をどう裁くか」シリーズの慰安婦問題の番組が政治的圧力によって改変された際、担当プロデューサーであった著者が、NHKの中でどんなことが起きたかを時系列的に詳述している。また、彼のもとでデスクをつとめた長井暁(さとる)ディレクターが2005年に改変を内部告発した際には沈黙を守った著者が、この事件をめぐる裁判で、真実を述べようと決意するまでの心の葛藤と、真実を述べた後職場で孤立させられていく過程が、ドラマティックに描かれている。著者は、この本を書いた動機として、NHKと政治との距離のおかしさ、マスメディアの退廃をどうしても見逃がすことが出来なかったと述べている。私がNHKを去って4半世紀も経って、まだ同じことが繰り返されているのかと思うと、暗然たる気持ちなる。

④ NHK 問われる公共放送 松田浩  岩波新書

 この本の冒頭には、「NHKへの政治介入と癒着、自主規制の流れ」という一覧表が載っている。しかもそれは著者が日経新聞の記者としてNHKを25年間にわたって取材した中で知りえた自主規制や政治との癒着のほんの一部に過ぎないこと、また、そうした疑惑に対して一切説明責任を果たさないNHKの閉鎖的、隠蔽体質がどのようにして培われてきたかを取材体験に基づいて具体的に説明している。さらに、著者は、BBCとNHKを比較して公共放送のあり方を論じるとともに、放送への政治の介入を防ぐために、政府から独立した「放送委員会」の設置を提案している。また、日放労が果たしてきた内部チェック機能を評価する一方で、日放労が、上田哲の失脚とともに急速に力を失っていった原因についても触れているが、それはかって私が日放労大会で指摘したことと軌を一にしている。著者は、最後に「NHKの現場に、まだ多くの志を捨てないジャーナリストや制作者がいることに信頼を寄せ、心から期待もしている。」と書いているが、私も今は国民の一人としてそうあって欲しいと願っている。
松田記者はこの本の後書きで、ジャーナリズムの自立に一貫して関心をもってきたのは戦争体験に深く関わっていると次のように述べている。敗戦の時著者は陸軍幼年学校の生徒であった。「敗戦後私が抱いた深刻な疑問は、何故私たち国民は天皇を“現人神(あらひとがみ)”と信じ、中国への侵略戦争を正義の戦争と思い込まされていたのか、ということだった。思い至ったのはジャーナリズムの責任である。そのため多くの国民が命を失い、他国の民衆が犠牲になった。その痛恨の思いが、私のジャーナリスト人生の原点になっている。(M)