Archive for 4月, 2012

< 英語との付き合い ⑲ >

NHK(2)LISTENING特訓

 何しろニュースのド素人が一匹迷い込んできたのだからデスクも扱いに困ったのだろう。最初にやらされたのが海外からの日本向けの英語の国際放送のモニターだった。

 国際局の隣に、報道局の外国放送受信部があり、そこで録音したテープを借りてきて聴くのである。内容を全て書き取ってデスクへ出せという。つまり、今で言うshadowingとdictationだが、listeningの練習はやったことがなかったから、かろうじて地名や人名などの固有名詞が耳に残るだけで、提出するものは白紙同然であった。そういう状態が3ヶ月くらいも続いたある晩、突然内容全体が分かるようになったのである。まさに、わが耳を疑った。「listeningの練習は、原子炉の臨界に似ている」と言った人がいる。つまり、核燃料の供給を続けても、ある段階までは核分裂は起きず、臨界に達して突然発電が始まるのと同じだというのである。人にもよるだろうが、私の場合はまさにそうだった。

 モニターはこれで終わりかと思ったら、ソルボンヌ大学出身の副部長に呼ばれ、フランス語のニュースを聞いて内容を要約して持って来いと言われた。しかも、芝の愛宕山にあった受信所へ行って徹夜でモニターして、朝要約を出してから帰宅せよというのである。高等師範学校でドイツ語とラテン語の講義に出たことはあったが、フランス語には全く縁がなかったので「無理です」と断ったが、「いいからやれ」という業務命令だ。同時に、アラビヤ語ニュースのモニターもやれという。もはやド素人に対する“いじめ”で「オレをここから追い出そうとしているのではないか」と疑ったが、これにはわけがあった。

 振り返ってみると、このモニター特訓で得たものは大変大きかったと思う。まず、英語放送がある日急に聴き取れるようになったのは、一定期間繰り返し聴くことによって、次のような効果の相乗作用が臨界点に達したためだと考えられる。もし強制されなかったら、途中であきらめていたに違いない。

① 語彙 : ニュースの中で繰り返される用語の意味が体感的に理解できるようになり、学校では習わなかった語彙が格段に増えたこと。例えば、come into forceとかlevel offといったよく使用される多くのphrase がcontextから瞬時に理解できるようになったり、studyは研究するではなく、検討するであり、learnは学ぶではなく、知るという意味で使われるというようなことも分かってきたこと。
② news style : 英字新聞や雑誌などはたまに読んでいたが、ラジオのニュースのスタイル(文体)は、それとは大きく異なることが分かってきた。要するに、頭から聞きながら理解できるように配列されているのである。
③ speed : 従って、慣れてくると、大変聴き取りやすく、1分間に150~180語のreading speedは全く気にならなくなってきた。はじめは、のっぺらぼうに聞こえていた文章が、
いわば、chunkとして耳に入るようになってきたこと。
④ 類推力 : ニュースは森羅万象を取り扱うから、使用される語は数万に及ぶといわれるが、 常時使用されるのは10分の1程度で、つまり、10分の9が身につけば、残りは十分に
  類推できること。
⑤ 知識 : ニュースの内容はどんな外国語でも、日本語の新聞や放送と同じなので、世界情勢についての知識が身につけば、そこからも類推が出来ること。例えば、BBC放送では中東問題がつねに重要視されていたので、中東情勢について勉強しておくと内容が理解できることがある。

同時にそれまでにある程度の英語の学習をしていたことが、基盤になった。学校で習った英語は決して無駄ではなかったのである。

 最初は、全くちんぷんかんぷんだったフランス語放送も2週間程度モニターしているうちに、なんとなく内容の大筋は理解できるようになった。地名や人名の他、単語にも英語と共通の語源を持つ語があることが理解を助けた。アラビア語の放送の内容は最後までわからなかったが、中東問題を重視してるのはBBCとおなじなので、たまには類推できることもあった。特に中東からのニュースが多い夜間は、雑音が少なく短波放送特有のfadingも弱いので、昼間の放送に比べて格段に聴き取りやすい。それが夜間特訓の利点だった。

 4ヶ月近くにわたったこのモニター特訓からは、同時に、取材は、分からないでは済まされない、最後までくらいつく根性が必要だということも学んだ。この特訓のあと、BBC, VOA, RADIO AUSTRALIA などの style bookを渡されたが、、まさに水が沁みこむ様に自然に理解できた。最初からstyle bookで勉強せよと言われていたら、こうはいかなかっただろう。結局急がばまわれということだ。(M)

「学制改革の問題」を考える
(1)野田首相は4月9の国家戦略会議で、東大などの秋入学移行に伴い、教育体系の見直しを平野文科大臣に指示したと報道されました。これより少し前には、学制(6・3・3制)の見直しも考えていると野田首相は述べたことがあります。この首相の言うことはどこまで本気なのか、すぐには信じるのをためらいたくなります。

(2)意地悪く勘ぐれば、「どうせすぐには出来っこない」というのが本心ではないかと思いたくなります。近頃のテレビ番組のように、少しずつ話題を提供して、「本番は後で」というのに似ているのです。「秋入学」の問題はもう少しじっくり考えたいと思っていますので、いずれ取り上げたいと考えています。

(3)原発問題の今後を考える重要な会議の議事が記録されていなかったという失態が政府側にありましたが、私は議事録の問題では、国会の本会議や委員会の「速記録」は止めたらよいと考えています。速記録のために、司会者はいちいち、質問者、答弁者の名前を呼び上げて、答弁が始まるまでに10数秒も浪費しています。テレビカメラで記録しておけば、アメリカの公聴会(a public hearing)のように、いちいち発言者の名前を呼ぶ必要もないはずです。

(4)議事録の偽造の危険性は、紙の場も、映像の場合も同じです。管理をしっかりしておけばいいのです。速記録を止めると、速記者の失業の問題が生じますが、時代の変化によって失業し、転職した人たちは沢山います。もうとっくに速記者の失業は予測しておくべきだったのです。

(5)学制の問題に戻りますが、私は学生時代に加入していた英語クラブで、「6・3・3制の是非」を英語で議論したことがあります。敗戦後間もない頃で、多くの日本人が、「6・3・3制はアメリカの学校制度を押しつけられたもの」と考えていました。ところが、実際はアメリカでは州によって教育制度が違っていて、しかも6・3・3制は主流ではなかったのです。当時の6・3・3制の長所としては、中学生から高校生への心理的、身体的な変化は、とても大きいので、中学と高校で分けることは望ましいという意見がありました。私はその考え方には賛成でした。ただし、この考え方が現在でも通じるとは必ずしも思いません。                      

(6)話は変わりますが、20数メートルの高さから飛び降りるバンジージャンプ(bungee jump)をするのに初めての人は、飛び降りるまでに5分、10分と時間がかかります。何分経っても出来ない人もいます。そこで、簡単なクイズ10問に答えてもらった場合と、難問で1問も答えられなかった場合で、実行するまでの時間にどのような差が生じるかを調べた番組をフジテレビが放送していました。多少の例外はありますが、ほとんどの人が、全問正解した場合のほうが、飛び降りるまでの時間がずっと短くなりました。しかし、全問不正解の場合は、とても長く時間かかるとのことでした。厳密な意味での実験ではありませんが、“成就感”というものは、とても重要だということは分かります。

(7)ところで、政府与党は何をやっても野党から責められるので、“成就感”が得られないのでしょうが、政治家は、野田首相のように「不退転の決意で」とか、「政治生命を賭して」と言うだけではダメなのです。実行力こそ国民の信頼を得る唯一の道だと知るべきです。そして、いつでも同じ問題ばかりを繰り返す野党にも国民の批判があることも確かなのです。(この回終り)

さて教材の選定ですが、これからリスニングの学習を本格的に始めようとする人は、まず英語の音をしっかりと捉えるトレーニングから始めるとよいでしょう。リスニング教材の多くは、CDなどの音声教材とそのスクリプト、および日本語訳・語句の解説などを載せた印刷教材から成っています。教材は未知語の少ない易しい教材を選ぶことが重要です。未知語は多少あってもかまいませんが、それらは前後の関係から推測できる程度のものが望ましい。しかしキーワードを知らないと、何回繰り返して聴いても分からないことになりますので、できるだけ易しい教材から始めるのが成功のコツです。CDを手に入れることができれば、中学・高校で使用されている検定教科書を活用するのも一つの方法です。自分が以前に学校で使用したものでもかまいません。

 リスニングの困難点は、筆者らの分析によると、次の5項目に分類できます(『新編英語科教育法入門』研究社、第11章リスニングの指導)。

(1)音声の識別ができない。(2)語彙と文法力が不足している。(3)スピードについていけない。(4)話題についての背景的知識が不足している。(5)音声言語は話す人の出身地、年齢、教育程度、職業などによりさまざまな変種があり、その多様性に対応できない。

これら5項目のうち、(5)については学習者の豊富な英語使用経験を必要とするので、これをリスニングの基礎トレーニングに含めることは難しいと思われます。そうすると、(1)から(4)の項目がリスニングの基本的な問題点であり、これらを克服することが基礎的なリスニング学習の具体目標となります。

 まず音声のトレーニングについて考えてみましょう。英語が聞き取れない原因の一つは、明らかに、英語の音声がきちんと聞き取れないことにあります。なぜそうなるのでしょうか。目で見ればすぐ分かるような簡単なテキストでも、耳で聞くと分からない。これは多くの人が経験することです。その主な原因は、中学・高校で英語を学んだ日本人の多くがもっぱら目を使って英語を学んできたからです。まず教科書を予習するときに、生徒は印刷された教科書のテキストを目によって理解しようとします。学校の授業でも、多くの先生方はまず教科書を開かせ、テキストの字句や内容を理解させようとします。先生が声を出してテキストを読むことはありますが、そのとき生徒は目でテキストを追っています。テキストの意味が分かった後で、音読のテープを聞いたり、それをモデルにして音読したりする練習はしますが、それが授業中に徹底的になされることはほとんどない。たいていは時間切れで、先生が最後に「家でよく読んでおきなさい」と言って、練習の大部分を家庭学習に回します。もちろん、最近はもっと音声を大事にする先生方が増えてきましたが、筆者の得ている情報から推測すると、多くの先生方(中学校では約半数、高校では7割から8割)が従前とあまり変わらない、もっぱら目を使う授業をしているようです。

 英語の音声がきちんと聞きとれるようになるためには、英語の音声特徴を自分の脳にしっかりと刻みこむことが必要です。東北大学・川島隆太教授の言葉では、「脳の中に『英語回路』のネットワークをつくる」必要があるのです。それができないと、英語を聞いても英語として聞こえません。McDonald’sの綴りを目で見ればすぐにそれと分かるのに、耳で聞いても「マクダー...としか聞こえません」と、かつて筆者が教えていた中学生が不思議そうに質問したのを思い出します。その生徒にその語を発音させると、まるで日本語を言うように、「マクナルズ」と各音節を等間隔に発音しましたので、その生徒が英語を聞いても分からない原因を知ることができました。彼の脳の中には、英語音声をキャッチできる英語回路がまだつくられていなかったのです。

 脳の中に英語回路のネットワークをつくるためには、英語をひたすら聞くだけではなく、自分でそれを言ってみる練習が必要です。前記の川島教授の実験によると、脳の中に英語回路をつくるには音読が最適だといいます。これは私たちの英語学習経験とも一致しています。学校の授業で行なう音読練習はたいてい中途半端に終わりますので、それを自力で徹底して行なうことが必要になります。それは孤独な練習ですが、次のような順序で行なうと変化に富み、退屈することがありません。ぜひ実行してみてください。

①テキストを見ながら音読モデルを数回聴く。②チャンクごとに区切り、モデルにならって音読する。③モデルを聴きながら、それをなぞるように音読する(シャドウイング)。④テキストを見ずにシャドウイングをする。⑤テキストを見ずにモデルを聴き、チャンクごとに区切って復誦する。⑥テキストを見ずにモデルを聴き、センテンスごとに区切って復誦する。 (To be continued.)

貿易商社(4)決別 (NHK(1)の前)

 NHKの受験番号は600番台で試験場では私の後ろにもかなりの人が座っていたから、受験者は千人近かったと思う。採用は若干名だということなので、成功の可能性はゼロに近いと感じた。ところがここでもまた運が味方してくれた。振り返ってみると、このブログに書いて来たように、旧制中学、高等師範学校、静岡県教員採用試験、そして貿易商社さらにNHKと、全ての試験で、実力よりも運が大きく合格に寄与してくれたのである。

 英語を含む筆記試験の顛末は「茅ヶ崎方式英語会」の公式HPに詳しく書いたから興味のある方はそれを読んでいただくとして、面接試験でも人に恵まれた。3人の面接官の中に藤根井さんという人事部長がいた。彼は元政治部記者で、将来の会長と目されている実力者であった。私が面接の椅子に座るとすぐ、藤根井人事部長が「自分の長所と欠点を簡潔に言ってみよ」と問うてきた。私は間髪をいれず「決断は早いが、判断が甘い」と答えた。これは、まぎれもなく、教師廃業、失業を通じての実感であった。あとで報道部長が「藤根井さんが君の答えに感心していた。『決断が早いか遅いかは生まれつきだが、判断は経験によって磨かれていく。決断が遅い奴は記者には向いていない』と言っていた」と教えてくれた。
 
 面接試験のあと、NHKが依頼した調査会社が自宅周辺と、浜松の高校で身辺調査をしたらしい。自宅周辺の調査の内容は大家さんが教えてくれたが家族関係が対象だった。それからしばらくして、あの事件以来関係がギクシャクしていた社長が、話があるというので近くの喫茶店へ同行した。社長はじっと私の顔をみつめていたが、ややあって「君はアカなんだってなあ。俺をだましたわけか」と言った。聞いてみると前日に興信所の調査員が、私のことについて聞きたいと面談を求めてきたので、一旦は断ったところ、前の学校で聞いてきたことを教えるから、現在の状況を教えて欲しいというので話を聞いたというのである。調査員は「前の学校の校長は『あいつはアカだ』と言った。一方、英語科の主任は『そんなことは全くない』と否定したが、本当はどっちなのか知りたいと言っていたという。つまりNHKは思想調査をしていたのである。

 私は今日までいかなる政党にも属したことはないし、自分では、ただの是々非々主義者だと思っているので「何がアカで何が黒だか私は知らないが、大勢に順応しない人間を、そういういいかげんな言葉で社会から抹殺しようとする理不尽なやり方には断固抗議します」と述べて退を立った。私はこれで、この会社にはいられなくなったと思うと同時にNHKも駄目だろうから再び失業することを覚悟した。その上こういうレッテルを貼られては、再就職はほとんど絶望だと思わざるをえず、暗然たる日々が続いていた或る日、NHKから採用通知がきたのである。藤根井さんのバックアップがあったと思わざるをえない。一番喜んでくれたのは父だった。「よかったな」という一言は、昭和の大恐慌時代から戦中・戦後にかけての食糧難時代、下積みの銀行員として、上役に脅されながら、大家族を背負って黙々と働き続けた人間の重い、重い言葉だった。
 
 しかし、社長はNHKの求める退職証明書に判を捺さなかった。折角拾い上げて厚遇してやったのに後足で砂をかけて出て行くのかという思いもあったろうし、丁度英語が必要な大型商談が進行中だったことも事実である。だた、私はもはやここに留まる気はなくなっていた。3週間近くのすったもんだの末ようやく退職を認めさせ、京橋の会社を出て銀座4丁目の四つ角に来た時に服部時計店の大時計が正午を指していたのを憶えている。信号待ちをしながら、温かく自分を迎えてくれ、1年近く親切に接してくれた社員の人達に別れの挨拶をすることもできず、自分だけがよりよいと思われる大企業へ抜け出していく後ろめたさを感じずにいられなかった。(M)

NHK (1) 暗い予感  松山薫

 ようやく手にした退職証明書を持って、当時は日比谷公園近くの内幸町にあったNHK本館の人事部へ出向いた。辞令をもらうと「本給13,600円」とあった。実際には時間外手当や休日、深夜勤務手当てなどを含めて貿易商社の18,000円くらいにはなったが、まさに、N=日本H=薄給K=協会の名にふさわしい給与で、家庭教師分をどこかで稼がないと、家族を養っていけなかった。

 国際局の職場へ案内されると、退職が1ヶ月近く遅れたので、同時に採用された人達は既に皆働いていた。中途採用者は、共同通信やジャパンタイムズの記者、アメリカ大使館の広報担当者などでニュースのド素人(とデスクが言った)は、私だけだったようだ。

 私がNHKの体質に疑問を持ったのは、入局第一日のことだった。国際局報道部のソファに腰掛けてぼんやりしていると、デスクの1人がやって来て「君はKさんの引きだったね」とささやいた。Kさんのいうのは政界にも太い繋がりのある実力者理事で、会長候補の1人だった。私がキョトンとしているとデスクは。「ァ、いいんだ」と言って立ち去っていった。私は何か暗い予感がした。そのうち、国際局にはコネ採用が横行していることが分かって来た。ここを窓口にして、コネ採用し、国内各局へ配置換えしていく例が枚挙にいとまないくらいあった。多くが政治家のコネであったが、当時の郵政省からの天下りもあった。だいたい国際局長というのが郵政省電波管理局長の天下り先だったのである。

 笑い話のようなこともあった。ある朝のTVのニュースショウに出演した文豪が、「うちの○○が、亡くなったKさんの引きでNHKに入ったんだが・・・」とこともなげに語った。Kさんというのは私の場合にデスクが述べたKさんと同じ人で、存命中であった。次の日、キャスターをつとめていたアナウンサーに会ったら「イヤー本当に参りました」と言っていた。しかし、このような事態は笑い事では済まされない。国際局アジア部のアドバイザーをしていた中国文学者の東大教授が部内の機関紙に、「受信料で成り立つNHKは、全ての面で公正でなければならず、卑しくもコネによる採用などがあってはならない」と書いたのである。

 一般論ではあったが明らかに現状に対する警告であった。結局私は、組合運動を通じてNHK経営のこのような体質と対決することになっていった。(M)

英語のリスニング力をつけるには、言うまでもなく、たくさん聴くことが大切です。それでは、ある種のリスニング教材の宣伝文句にあるように、ひたすら聴いていれば力がつくものでしょうか。たしかに、それで力がついたという人はいるようです。おそらくその人は、リスニング学習の意欲が高く、教材がその人の要求にちょうど合っていたからだと思われます。まったく合っていなければ、効果はないはずです。たとえば、聴き取れない英語はいくら聴いても分かりません。したがってインプットはできません。しかし、最初はほとんど分からなくても、何度も聴いているうちに、いろいろな知識を手がかりに少しずつ分かってくるということがあります。これは大切なことです。それには学習者が手がかりとして利用できる知識を持っていることが前提ですが、そういう努力を続けることのできる人は成功します。つまり、リスニング力の向上を目指す人に大切なことは、まず学習意欲と継続的努力、既存知識の利用、そして適切な教材の選択ということになります。

 まず、英語学習に成功するには強固な学習意欲が重要なことは、すでにこのブログでも述べました。なんとしても英語を聴き取れるようになりたいという強い意志を持つことは、長期にわたる努力を支え続けるのに必須のことです。むかしの汽車は石炭を焚いて走っていましたが、学習意欲について話すとき、筆者はいつも石炭がまっ赤に燃えているあの機関車を思い浮かべます。人が何かに向けて走り続けるとき、きっとあの機関車の罐(かま)が赤々と燃えていたように、その人の心の中にまっ赤な火が燃えているのに違いありません。石炭に相当するものが何であるかは人によって違うと思いますが、英語を聴き取るという目標に向かって、心の中に赤い火を燃やし続けることが必要なことは、誰もが経験的に知っていることです。

 次に重要なのは継続的努力です。日本に住んでいる私たちは、特別な環境にいる人を除いて、日常はほとんど日本語を使って生活しています。学生たちは学校の授業では英語を使う機会があるでしょうが、それ以外に英語を使うことはめったにないと思われます。ESSに入って一生懸命に英語を使おうと努力している人は、それだけ英語を使う時間を増やすことができますが、それでも母語話者のように四六時中英語を使うことはできません。そこで次善の策として、毎日時間を決めて英語リスニングの学習を実行されるようお薦めします。そしてその学習を楽しむようになることが長続きのコツです。

 次に、教材の選定に入る前に、一つ知っておくべきことがあります。先に触れたように、英語を聴いて理解するためには、自分の持っている多くの知識を動員しなければなりません。いま筆者の念頭にあるのは、高校教育を終えて6年くらいの英語学習経験のある人です。その方々は英語についてすでにいろいろな知識をお持ちです。語彙についてはたぶん2000語から3000語くらいは知っているでしょう。しかし知っていると言っても、語の綴りを見て意味が分かるのと、それを耳で聴いて分かるのとは違います。単語の綴りを見れば分かるのに、その単語を耳で聴いても分からないということがよく起こります。文法についても同様です。書かれたセンテンスを見ればその構造を解析できても、耳で聴いただけではできない。こういうことがなぜ起こるかというと、日本での英語教育のやり方が、全般的に、音声よりも文字に偏っているからです。リスニングができるようになるためには、書物の中に閉じ込められている英語を、生きたことばに蘇らせなければならないのです。その具体的な学習法については次回に述べます。

 それと同時に、英語についての知識だけでなく、自分を取り巻く世界についてのあらゆる知識を動員する必要があります。例をあげましょう。次は今年のセンター試験 Question No.22 の音声スクリプトの冒頭部分です。これを耳にした瞬間に、あなたは自分の知識を動員できるでしょうか。そしてそのことが、音声だけでこのスクリプトの内容を理解できるかどうかを決定します(そういう意味で、これは今年のリスニング問題の中で最も難度の高いものと思われます)。

You have reached ISSC, the international Student Support Center. Our business hours are Monday through Friday, 8 am to 6 pm.

この部分を聴いてISSCが何であるかを理解し、この音声が電話の自動案内であることを知った人にとっては、この問題は容易だったでしょう。しかしISSCって何だ?と一瞬心に戸惑いを覚えた人は、パニックに陥ったのではないでしょうか。この問題は、センター試験として適切かどうかには疑問がありますが、リスニングに既存知識が重要な役割をはたすことを示す好例です。 (To be continued.)

中国要人の失脚について
(1)ある中国要人の失脚のことを毎日新聞(4月11日朝刊)で読みました。テレビではどんな報じ方をするのかと興味を感じてテレビを見たのですが、私の見た限りではこのことを報じた番組はありませんでした。独裁者や独裁政党の支配する国ではありがちなことだと思いますが、民主主義国家としては、こういう動きには警戒心を持つべきだと思うのです。

(2)日本の民放テレビは概して危機意識が希薄です。なにしろ、デフレ対策が必要だという時に、“どこに安い店があるか”とか“いかに安く買えるか”といった番組ばかり流すのですから。食料の自給率はどうなるかといった国策に沿った意識など頭にないわけです。これでは政府が外交に弱腰だなど責めることは出来ないでしょう。

(3)毎日新聞によると、その中国の要人は、「重大な規律違反」で、「党の役職を停止された」ばかりではなく、「その妻は殺人容疑で追及されている」とのこと。こうなると、あやしい人物は完全に抹殺されてしまうわけです。中国政府による説明は一切なく、この報道以後は中国のインターネットも規制が強化されたとのことです。日本にも、そう遠くない昔に“言論統制”をした時代があるのですから、国民はもっと関心を示すべきだと思います。

(4)私は、1926年の“満州事変”以後は、日本ではむしろ新聞が軍部に協力し、自主規制で言論の自由を封殺した歴史を書物で学んだことがありますから、テレビ番組が当時の新聞と同じ愚を繰り返すことを心配するのです(今ではインターネットで日本の言論封殺についてある程度知ることができます)。数年前(2006年)には、小林多喜二(1903−1933)の『蟹工船』がブームになったことがありました。ブームだから読むというのではなく、“歴史に学ぶ”ということは簡単なことではないことも学んで欲しいと思うのです。小林多喜二は、正に当時の“特高警察”(特別高等秘密警察)に抹殺された”犠牲者の一人だったのですから。

(5)ここまで書いた時に、北朝鮮による衛星打ち上げのロケットが発射直後に失敗したらしいという報道が飛び交いました。しかし、民放各局の対応はまちまちで、平常番組を続けたり、バラエティ番組を報道番組に切り替えたりしていました。政府による明確な報道が遅れたことも一因でしょうが、臨機応変の対応が弱いのが民放局です。コマーシャルは止むを得ないとしても、やはり“危機”への対応はもっと柔軟にやって欲しいと思います。そのくせ後からは、嫌と言うほど同じことを繰り返すのですから。

(6)それと、ゲストがコメントをしている間、どうして目まぐるしく画面の動画を繰り返すのでしょうか。現地の特派員の報告と画面が全く合わない局がありました。テレビの制作者には、“落ち着いて人の話を聞く”という習慣がないのでしょうか。背景の動画を作るだけの時間と労力をもっと報道の質を高めることに使って欲しいと強く要望したいと思います。

(7)国会ではAIJ事件に関連する証人喚問も始まりましたが、私の聞いた限りでは、少数野党のほうが質問が鋭くてよいと思いました。政府与党にはこの問題に関する管理や指導の責任があったはずですから、野党に時間を多く与えるべきだと思います。しかも証人は肝心な質問には、「訴追の恐れがありますから、その質問への答は保留します」と逃げてしまうのです。“国会は少しも進歩していない”という印象を新たにした中継でした。(この回終り)

貿易商社(3)退社へ

 今回と次回は、1年足らずで私がこの会社を辞めることになった経緯なので、英語とは直接関係がない。

 印刷業界の会社は、凸版印刷や大日本印刷などを除くと、ほとんど中・小・零細企業である。社長は1人で企業の命運を担っているのでどうしてもワンマンになりやすい。中・小・零細企業には同族企業が多く、経営者が世襲であることも珍しくない。世襲の場会、名君が生まれた時はよいが、暴君の場合は家臣つまり従業員は悲惨なことになる。この貿易商社の社長は2代目だか3代目だったが、商才もあり、悪い人ではなかった。だが、酒好きが玉に瑕だった。酒が入ると人が変る。
 
 私が新潟で大酒飲みになっていたことを知った社長は、夕方からしばしば私を銀座のバーや小料理屋へ連れ出した。そこへ通産の役人や、得意先の印刷会社の役員などを呼んで接待するのである。酒が回ると大型の財布から千円札を取り出してひらひらさせながら、「誰かこの男と腕相撲をして、勝ったらこれをやるぞ」と叫ぶ。当時私は腕周りが35センチあり、たいてい負けることはなかったが、これではていのよいタイコ持ちではないか。看板近くになると待たせておいた運転手つきの車で先ず私を終電車に間に合うように国電の駅まで送り、「今日はご苦労さん。おかげで話がうまくいった」とねぎらうのである。終電車でうたた寝すると終点の大宮駅まで連れて行かれる。大宮駅では、到着と同時にベンチの争奪戦が始まり、あぶれた場合はプラットホームに新聞を敷いて寝ることになる。始発前には駅員がおこして回る。これも月給のうちと思って我慢していたが、それで朝は8時半に出勤せよというのだから、28歳だった私も、さすがに段々体調がおかしくなってきた。
 
 ところで、私は、社長の「好意」で、週一回、社長の2人の息子の家庭教師をして追加の給与をもらっていた。多くの入社希望者の中から私を採用したのは、家庭教師をさせることも、目論みの中に入っていたようだ。社長の自宅へ行くので、奥さんとも顔なじみになった。初めは歓待してくれたが、段々奥さんの態度が変ってきた。社長が毎晩のように銀座のバーなどに通うのは、お前のせいだというのである。否定したら逆上したので、その後は面罵にも黙って耐えた。それで、母の病気を理由に、3度に1度は社長の誘いを断るようにしていたが、社長から「君のおかげで業績が上がっている」と言われると、そうそう断るわけにも行かない。なにしろ、コレポン以外の本業の方は半人前以下なのである。

 そんな或る日、私が辞めるきっかけになる事件が起きた。社長が大阪の本社へ出かけるというので、いつものように若い女性の事務員が東京駅へ乗車券と特急券を買いに行った帰りに落としてしまった。彼女は泣いて謝ったが、酒が入っていた社長は、どこかへ隠したのだろうと言って責め立て、気の優しい年長の女性事務員に、徹底的に調べろと言い渡した。狭い社内のことで私もいたたまれず、割って入って、月給から弁償することでなんとか落着したが、その際社長ともみ合って腕をねじ上げることになってしまった。当然社長は「辞めろ!出て行け!!」と怒鳴った。まことに“組合なき労働者は本質的には奴隷と同じ”なのである。

 そこで、ひそかに考え始めたのが労働組合の結成だった。ところが、調べてみると、社員の多くが社長の縁者で、うっかりするとこちらの首が危うくなる恐れが強いことが分かった。当時は、個人で加入できる「全国一般」のような労働組合もなかった。

 クモ膜下出血で倒れた母の体調も一応回復してきたので、そろそろ転職を考えないと心身ともにもたないと感じていた或る日、朝日新聞の「NHK戦後初の職員中途採用」という囲み記事が目に留まった。まあ”駄目もと”で受けてみるかと思って願書をだした。職種は国際局の記者と教育局のプロデューサーであったが、教育とは縁を切りたかったので、また英語のお世話になるのかと思いつつも国際局のほうを選んだ。年齢制限の28歳ギリギリのところであった。勿論、社長にも同僚の社員達にも内緒である。(M)

これまで3回にわたって大学入試センター試験のリスニングテストを批判し、今後それをどのように改善すべきかの方向を示唆しました。要約すると次のようです。第1に、英語母語話者の日常会話を題材とした対話スクリプトを30%以下に減らすこと。第2に、日本人高校生の身近な話題についての平易なスピーチや文章をもっと多く取り上げること。第3に、話の中に出る些末な事柄を問うのではなく、スクリプトの中心的メッセージが聴き取れるかどうかを問う問題にすること。第4に、全般的に素直で平易な問題を作成すること。選択肢についても作り方を工夫し、テストの平均値を60%くらいに引き上げること。

 そこで本題の自己評価の問題に戻ります。学習者は自分のリスニング力をどのように向上させ、それをどう評価したらよいでしょうか。しかしこのことを考えるには、そもそも「リスニング力とは何か」、「高校修了段階でどんなリスニング力養成を目指すのか」を明確にしないと、話は堂々巡りをしそうです。筆者がセンター試験のリスニングの中身に異議を唱えるのも、高校卒業者に期待するリスニング力が、筆者とセンター試験問題作成者とで大きく違っていることにあります。センター試験のリスニングテストは、日常的コミュニケーション能力(つまり会話力)を身につけることを第一の目標としています。そのことは、今年のリスニング問題が25問のうち少なくとも16問(64%)で日常的会話を題材としていることから明らかです。

 筆者は最近のブログで次のようにセンター試験のリスニングテストを批判しました。「・・・対話スクリプトの多くが(17種類のうち最初の16)きわめて日常的な内容で、英語をふだん使用する環境で生活する人にとっては容易でも、英語を使用するのがほとんど教室に限られている日本人高校生にとっては、その理解と運用は決して容易ではありません。センター試験のリスニングテスト問題作成者は、おそらく、そのように(つまり、日本人も母語話者の日常使用する英語を学ぶべきだと)考えているのでしょう。しかし筆者の考える英語教育の理念からして、そのような認識は間違っています。」以下に筆者がそのように考える理由を述べます。

 高校卒業者はまだ英語学習の初級を終えた段階にあります。これから中級段階に入るところです。ですから、あらゆる種類の英語を聴き分けることはできません。小・中・高での1000時間程度の英語授業数できることは限られています。初級段階では、古くから言われているように、きちんとした英語を学ぶべきです。「きちんとした英語」という言い方は曖昧ですので、もう少し明確にする必要があるでしょう。それはもちろん、日常生活で使うようなくだけた表現をすべて排除するということではありません。たとえば、中学校の英語学習で日常的な生活で使う英語から入るのは自然なことです。しかし、いつまでも “How are you?” “Fine, thank you. And you?” のような英語ばかりでは芸がありませんし、英語のスピーカーが世界中でそんな挨拶ばかりしているわけでもありません。余談ですが、かつて筆者がロンドンにいたとき “How are you?” と挨拶すると “How do you do?” と返す人が何人もいました。そしてそのようなこともいくらかは知っているほうがよいでしょう。しかしそのような表現をたくさん覚えることが、学校教育の目的ではないと筆者は考えるのです。もっと内容のあることを英語で表現できるようになること——そのほうがずっと重要だと思うのです。英語の叙述文は原則として主語と述語を備えています。ですから、まずそういうセンテンスの構造と表現に習熟することが重要であり、それが英語学習の基本です。もちろん、それぞれのセンテンスがどういう状況で使われるのかを知る必要があります。そして高校段階で重要なのは、そういうセンテンスが集まって一つのまとまりをなす文章やディスコース(スピーチなど)を、はっきりと聴き取れるようにすることです。

 中学生や高校生が学校で学ぶ英語は、日常会話に使われる英語などよりも、彼らが学校の授業で学ぶさまざまな話題に関する英語のほうが、ずっと身近ではないでしょうか。一般に、人々が家族や友人と話すときの言葉と、学校の教室で使う言葉は、はっきり違います。英語の授業では、言語や文化、人間や社会や自然などに関する多くの話題が取り上げられるはずです。そしてそれらについて、先生の話す英語を聴いたり、教科書の英語を読んだり、英語で問答をしたり、感想を述べ合ったり、ディスカッションをしたりします。そしてそこで使われる英語は、日常会話で使われる英語よりも、ずっときちんとした形の英語のはずです。中学・高校で学ぶリスニング活動は、そういう英語を聴き取ることが中心だと筆者は考えるのです。(To be continued.)

“コミュニケーション”とは何だ?という話
(1)国民新党では、亀井静党代表が亀井亜紀子政調会長と共に党を首になって、後任には自見金融担当大臣が党代表になったとのこと。野田首相はそのことを容認して、「連立継続をお願いした」と報じられています。野党はこのことで、何だかんだと政府を責め立てていますが、そんなことより、「中小企業が困っている金融政策は今のままでよいのか」といった政策論をしてもらいたいというのが、多くの国民の声ではないでしょうか。

(2)国民新党の場合も、もっと真剣に話し合って、国民にも分かりやすい結論を出してもらいたかったと私は思うのです。亀井元代表の言っていた、「民主党は、消費税は上げないとマニフェストで約束していたのだから消費税の値上げには反対」という主張のほうが理論的で分かりやすいものです。連立に残った議員たちは、こういう点の説明を一切していません。交渉ごとのすべてを、ましてや途中でばらす必要はありませんが、結論が出たならば、第三者にも分かる説明をしてもらいたいものです。それが、“説明責任”というものでしょう。

(3)国会議員がこういう悪例を示すものですから、他の分野でもコミュニケーション不足の例が続々と出ています。歌手の小林幸子の場合がその1つです。長年一緒にやってきたマネージャー役だった女性社長が、「突然首にされた」と言えば、「いや勝手に辞めたのだ」という声もあるし、身近にある人たちとのコミュニケーションが成立していないのです。テレビや週刊誌などはここぞとばかり報道合戦を繰り広げていますが、問題は一芸能人だけのことではすまないのです。

(4)占い師にマインドコントロ−ルをされていると騒がれた芸能人オセロの中島知子の場合も、出てきたと思ったら一切取材に応じないために、問題の占い師が、顔は隠してですがテレビ画面に出て、「すべて中島の指示だった。家賃や生活費も私が払っていた」と全く逆のことを言い出しました。もともと他人なのですから、それがいやならばさっさと逃げ出せばいいのに、そうしないで今さら文句を言っても始まらないと思うのですが、芸能界もわけのわからない世界です。

(5)そもそも文科省からして、やたらと“コミュニケーション”という言葉を使用していて、高校の英語の科目など、コミュニケーション英語基礎、コミュニケーション英語Ⅰ、Ⅱ、Ⅲなどを並べているのです。そして、目標には、「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、情報や考えなどを的確に理解したり適切に伝えたりするコミュニケーション能力を養う」としています。上記のように、母語の日本語でさえも“コミュニケーション”が満足に行えない者が多い日本人に、「英語でコミュニケーションが出来るようにしましょう」と言ったって、うまくいくはずがないと思うのです。

(6)文科省は省庁の合併で、原発問題まで抱え込むことになって、関係する地元の住民との“コミュニケーション”がいかに難しいかを痛感しているはずです。ですから、「英語でコミュニケーションしましょう」と言う前に、“コミュニケーション”という言葉さえ安易に使えない世相であることをもっと考えてみる必要があるのです。そうでないと、言葉とうものは、普及すればするほど実態のないまま独り歩きをしだします。そうなったら、よけいに修正は困難になるものです。(この回終り)