Archive for 9月, 2011

「日曜日のテレビ番組」を見て考えること
(1)日曜日は、特に午前中は繰り返しがとても多いのですが、人によって起きる時間が違いますから、それはある程度やむを得ないでしょう。しかし、繰り返しが多い割には、それぞれのコーナーの時間的な制約は厳しくて、コメンテーターなどはゆとりのある話しが出来ない場合が少なくありません。このあたりのバランスをもっと考えてほしいものです。

(2)昼の定番としては、長寿番組で人気もあるNHK の「のど自慢」があります。どこかの民放では、アナウンサーの音痴ぶりを放送する“お笑い番組”をやっていましたが、私には不快感しか残りませんでした。面白ければ何でも番組になると考えている制作者の安易な態度は頂けません。「のど自慢」は、合格か不合格かを判定するわけですが、大震災の被災者が出演するような場合は、全員合格にして、後で優秀者を3名くらい発表するということを考えてもよいでしょう。津波で命を落とした母親に捧げる娘の歌が不合格では可哀そうだと思います。

(3)「ウチ来る!?」(フジテレビ系)は視聴率でも健闘している番組ですが、ゲストのタレントや俳優が案内するレストランで話をするのはともかく、何軒ものレストランを“はしごをして歩く”のはなぜでしょうか?しかも、行く先々の店で、ゲストの先輩や友人が現れて、話が盛り上がるので、食べる方はおろそかになります。どうしてトーク番組と食事を組み合わせなければいけないのか私には分かりません。司会の中山秀征は、そつのない司会ぶりだけに、残念に思います。(こういうローカル色の強い番組は中継局によって放送時間などの扱いが異なります。)

(4)「噂の東京マガジン」(TBS 系)は文字通り東京中心の番組ですが、取り上げる問題は時宜を得た深刻なものが多くあります。最近はお寺や神社の問題が多く、神主や僧侶までもが金儲けに走っている様子がよくわかります。じれったいのは間に入る区や市の役人の態度で、「法的には問題がないので…」と言葉を濁すのが普通です。官僚というのは上から下まで、「先輩の誤りを認めない」という姿勢に徹しています。しかも自分は3,4年で職場が変わりますから、うまく逃げられるわけです。こんな状態では良い社会になるはずがありません。

(5)ところで、「噂の東京マガジン」は、中心になる森本毅郎氏の発言は信頼できます。NHK 出身ですが、、「日立の世界ふしぎ発見!」の草野仁氏もそうです。二人ともかなり年配者であることも確かですが、アナウンサーとしての基礎力が違うのではないでしょうか。民放では様々な番組に引っ張り出されることがあって、本当の実力が発揮できなくなるのだと思います。草野氏もタレントの相撲大会に出たりしていますが、止めた方がいいでしょう。視聴者が安心して見られる番組を増やしてほしいものです。(この回終り)

記憶が脳の中に新しい神経回路のパターンを作り上げることであるとすれば、私たちはどのようにしたらそれを効率的に成し遂げることができるでしょうか。そのことを考えるには、人の神経回路の特質を知る必要があります。神経回路とはいったいどういう性質のものなのか、そしてそれはどのようにして変化するのかについて、ある程度の基本的な知識が必要です。このことをあまり専門的な用語を使わずに説明するのは難しいのですが、先に紹介した本の著者・池谷裕二氏は、脳の記憶方法とコンピュータの記憶方法の違いを分かりやすく解説していますので、その部分を引用させていただきます。

 「コンピューターはアドレス方式とよばれる方法で記憶します。つまり、記憶する場所があらかじめ用意されているのです。しかも、その場所は数多くの小部屋からなり、順に部屋番号(アドレス)が決められています。記憶する事象はその小部屋に個別に格納され、ふたたび記憶をよび出すときには、部屋番号を指定し、その内容を取りだすという非常に能率的な方法をとっています。おのおのの小部屋は互いに完全に独立しているので、収納や取りだしの過程で妙な間違いはおきません。

「一方、脳では、記憶は神経回路にたくわえられるのですが、じつは、同じ神経細胞がほかの記憶にも使われます。なぜなら、ひとつの神経回路にひとつの記憶しか貯蔵できなかったとしたら、記憶の容量はかなり限られてしまうからです。これでは、回路と同じ数の情報しか覚えられなくなってしまいます。ですから、記憶容量を確保するためにも、脳はいろいろとやり繰りしながら、神経細胞を使い回さなければなりません。(図19略)その結果として、ひとつの神経回路にはさまざまな情報が同時に雑居してたくわえられることになります。当然、こうしてたくわえられた情報は互いに相互作用してしまいます。人の記憶が曖昧である理由はまさにここにあります。」(『記憶力を強くする』143ページより)

 後半の説明はこれでもちょっと難しいかもしれません。次のように考えたらよいでしょうか。ここに一つの神経回路があるとして、そこには多数の神経細胞(ニューロン)がシナプスによって連結し、ネットワークを作っています。記憶はその回路に一定のパターンが作られることです。そしてその同じ回路を使って幾つもの記憶パターンが作られます。このように一つの神経回路にはいくつもの記憶パターンが作られ、それらは複雑に入り乱れて錯綜することになります。池谷裕二氏の説明はそのことを言っています。そういうわけで、一見、記憶装置としてはコンピュータのほうが正確で効率がよいように思えます。しかし脳のほうは「同じ神経細胞がほかの記憶にも使われる」ので、一つの神経回路にたくわえられる記憶情報は互いに作用し合います。これが人間の記憶の一大特徴なのです。つまり、それによってまったく異なる記憶情報を関連づけることが可能になるのです。平均すると、一つの神経細胞はおよそ1万個の他の神経細胞と繋がっているので、記憶は曖昧で乱雑になりがちです。しかしこの仕組みこそが、コンピュータとはまったく異なる脳の特質であり、そこから人の創造性や独創性が生まれてくるというわけです。

 では、脳の神経回路が変化し、新しいパターンが生じるのはどういう場合でしょうか。第1に、シナプスに強い信号が送られる必要があることが分かっています。弱い刺激ではシナプスが繋がらないのです。シナプスは神経細胞どうしの「すき間」ですが、そこでは一方の神経細胞から伝わってくる電気信号を化学信号に変え、それを次の神経細胞に伝え、そこで再び化学信号を電気信号に変えるという、複雑な作業がなされます。最近の脳科学はその詳細なメカニズムを明らかにしつつあります。そのような複雑なシステムに変化をもたらすためには、一定の強さ以上の刺激が必要なことが分かっています。そしてその強さは、脳の他の部分から送られてくる信号が関係していることも分かっています。私たちは自分に強い興味のある事柄や、自分が感動した事柄をよく記憶します。それは、脳に新しい記憶パターンを作るためには意志や情動の強いインパクトを必要としているからです。意識や意志の座は前頭葉にあります。人は自分が覚えようとしたものだけを記憶します。もう一方の情動(恐怖、驚き、快楽、悲哀など)は、海馬のすぐそばにある「扁桃体(へんとうたい)」と呼ばれる直径1センチほどの球形をした部位から生まれます。人でも動物でも扁桃体が活動すると海馬の記憶活動が活発になることが知られています。そういうわけで、海馬の神経回路に新しい記憶パターンを作るためには、強い意志的・情動的インパクトが必要なのです。ぼんやりしている間にいつのまにか新しい記憶パターンが出来上がるということはないのです。(To be continued.)

<原発論争に備えて③>

Author: 松山 薫

< 原発論争に備えて ③ >

③ 福島原発事故の被害

 福島原発事故の被害は、地震、津波の被害と重複している部分があって被害額などははっきりしませんし、事故が収束したわけではなく、また、半減期の長い放射性物質の影響は極めて長期におよびますから、今後どんな被害が明らかになるかわかりません。そういう前提のもとで、事故から半年の間に明らかになった被害を(1) 国民の健康・精神的被害(2) 国土と海の汚染 (3)食物への影響 (4)その他 に分類して、まとめてみました。

(1) 住民の健康・精神的被害

一般の人の年間被爆量の上限は 1ミリシーベルト。 (ガンが増えるなど人体への被害が出るとされる)生涯累積被爆量 100ミリシーベルト 国際放射線防護委員会 

* 放射能からの避難で故郷を離れ日常生活を破壊された人
  の数避難対象者 8万5千人 福島県 5万5千人 (内他県
  へ転出者3万4千人) 9月中旬2万5千人避難中。
* 福島県の10歳~15歳の子供1150人の検査(3月)では、甲
  状腺被爆が45%。 政府は問題ないとするが、基準の見直し
  を求める声も。
* 福島県は全県民の被爆量生涯調査を開始。
* 福島県民の半数以上が大いに不安を感じ、子供を持つ家庭
  は半数以上が大いに不安。県民の3分の1が移住を希(朝
  日新聞調査)
* 福島第1原発作業員(8月末) 17,000人、内3,000人が
  10ミリシーベルト超の被爆。100ミリ超は111人。130人所
  在不明。 
* 最大の問題は放射線に被爆したという精神的影響
   (PTSD)。(長崎大学長滝重信名誉教授)

(2) 国土と海の汚染

* 原発から20キロ圏(警戒区域)の年間積算量は最大 500
  ミリシーベルト。
* 放射性物質は東北地方から中部地方まで15都県に拡
   散。(国立環境研究所試算)
* 放射能に汚染された土地 福島、宮城、栃木、茨城の8000
   平方キロ以上。汚染土壌の体積は東京ドーム80杯分。(朝
   日新聞調べ。政府の発表はない)。
* 除染が必要なのは福島県全域面積の7分の1, 2000平方
   kmに及ぶと試算 (東大森口祐一教授)。
* ストロンチウム 福島県内11箇所から発見 62キロ離れ
   た福島市でも。
* 100キロ圏の土壌汚染は8% 最高はセシウム3千万ベク
   レル/平方メートル。(文科省6月調査)。
* 原発から120キロの茨城県ひたちなか市で基準の3分の1
   のセシウム137検出。
* 内閣官房参与の小佐古東大大学院教授が、校庭の20ミリ
   シーベルトは1ミリシーベルトにすべきであるとして抗議の
   辞任。
* 校庭の年間積算20ミリシーベルト基準は保護者のクレーム
   により毎時1マイクロシーベルト以下に変更。
4. 福島県では校庭の使用が制限され、運動会も、延期、中
   止、体育館で開催など。
* 除染は国の責任で実施。経済性無視してもやる。(細野野環
   境相)費用は東電が負担。
* ゴミや汚泥の焼却灰は関東地方の1都6県で1万9千トン
   (25メートルプール35杯分)。
* 汚染焼却灰は各地で満杯になりつつある。中間保管地は周
   辺住民の反対で容易に見つからず、最終処分場所は決
   まっていない。横浜市では、市の海岸埋め立てに市民が反
   対して、計画を撤回。埋め立てた場合、何百年も監視がつ
   づけられるのか。千葉県松戸市では、焼却灰の持込をめ
   ぐって秋田県小坂町と争いになった。従来の協定を破棄。
   神奈川県川崎市では7月で焼却灰が1200トン溜まったが行
   き先未定。10万ベクレル以上の場合の処分方法は未(環境
   省)
* 福島第一原発建屋内の高濃度汚染水 10万トン(9月中
   旬)。
* 福島第一原発内の汚染がれき コンテナ79個分。 
* 汚染水を処理した残りカス 25メートルブール4杯分以上。
* 海の放射能汚染 1.5京ベクレル (京は兆の1万倍)。 (日
   本原子力研究開発機構)
* 流出汚染水 520トンの放射線量4700テラベクレル
   は、 国の基準年間放出量の2万倍。
* ストロンチウム 原発近くの海水 基準の240倍。
* 原発沖合い3キロの海底泥からストリンチウム90。(濃
   度基準ナシ)
* 福島原発沖34キロのセシウム137、基準値の2倍。
*  原発事故処理費 農・漁業の補償費を除き、汚染水、汚染
   土壌の処理に6兆円から20兆円かかる(日本経済研究セン
   ター)」

(3) 食物の汚染

食品衛生法の放射線量暫定基準値 (9月中に改訂予定)
放射性ヨウ素1kgあたり飲料水、牛乳300ベクレル 野菜類 2000ベクレル。セシウム 飲料水、牛乳 200ベクレル、野菜類、穀類、肉類 500ベクレル 食品安全委員会の生涯被爆 100ミリシーベルトから計算。 キログラムあたり500ベクレル以上は廃棄指示 農水省

* 汚染された食べ物: 飲料水、コメ、野菜、牛乳、牛肉、しい
   たけ、マツタケ、茶、たけのこ、ゆず、梅、山菜類、野生動物
  (猪、鹿、鴨、雉)淡水魚(鮎、ヤマメ、うぐい、わかさぎ)など。
* 森林汚染 福島県は70%が山林、落ち葉にセシウムが蓄
   積。園芸用腐葉土など。
* えさ汚染牛 2,570頭が沖縄以外の全国へ出荷 基準に超
   えるセシウム汚染肉流通。
* 給食にも基準値超の牛肉使用ケース。
* 畜産農家の損害は860億円と推定。
* コメは、17都県で検査。福島の1件を除きいずれも基準地値
  以下(9月)。流通の段階で独自に検査するところもあり、農家
  は不安をぬぐえない。
* 6月に入り、福島、茨城沖 こうなご、しらす、わかめ、ひじ
   き、うににセシウム。こおうなご、しらすなどの表層小魚から
   あいなめ(50メートル)、エゾイソアイナメ(100メートル)など中
   層、底魚への食物連鎖が心配(専門家)
* 8月現在の農水産物の輸出 りんご −80%、ブドウ
   −50% 鮭 −86%。
* 日本産食品の規制35カ国。 (4月末)
* 農林水産物の被害は6月末で2兆円超。(農水省)

(4) その他風評被害など

* 福島への旅行客 68万件キャンセル(4月末)。
* 松島(宮城県)への観光客 4月は51万人が13万人に減。
* 外国人の国外退去 1万人以上 住宅の解約 語学、技術学
   校生の中途退学。
* 東京都外国人登録者 1万人減。
* 来日外国人の数 前月比 4月−62.5%、5月−50.4%。
* 海水浴場、河川、湖の環境省基準セシウム リッター50ベク
   レル以下で、茨城、千葉の海水浴場はいずれも基準に以下
   だったが、閑古鳥が鳴いた。 
* 高校卒の求人 福島県で前年比 −15%。
6. 避難先での子供への放射能いじめ 大文字焼きで岩手の
   薪を拒否。愛知県で福島産花火の打ち上げ中止。
* 日本の国際信用の低下
  * 日本の技術力、危機対応能力への信頼の低下
  * 汚染水の海への放出への非難 (ロシア、韓国)
  * 32カ国の在京大使館一時閉鎖。
* 計画停電による国民生活の不便、生産活動の低下。
* 被災地の地価大幅値下がり。買い手つかぬところも。

● 不信を招く原因
* 政府の対応が場当たり的。 (小佐古内閣参与ら)
* 放射線量の測定方法が不統一。
* 放射能分析器が不足して検査が行き届かない。測定器に
   よって検査値にばらつきがある。
* 食品衛生法の暫定基準値は、急遽3月17日に決めたが急ご
   しらえの感が否めない。
* 基準値に科学的根拠がない。(人体実験をしない限り本当の
   ところはわからない)  
* 内部被爆と外部被爆の総量で健康被害の基準ナシ。
* 政府の除染方針 2年で住民の被ばく線量を半減。学校、通
   学路では60%減。地域指定、実施主体、予算が明確でな
   い。
* 東電、政府の隠蔽体質。東電の官僚体質。(156ページの
   賠償請求説明書)

 政治家は”クニが負担する”などとかっこよいことを言っているが、結局は国民が負担するということ。土地ころがしの末の バブル処理の際、金融機関につぎ込んだ公金のうち最終的に10兆円が消えたことを忘れてはならない。政府はとりあえずの復興財源として所得税の10%引き上げを考えており、その中から自治体へ交付金を出し、除染の費用などに当てる考えのようだが、除染の費用だけで2兆円という試算もある。また、東京電力は15%の電力料金値上げを検討しているという。いずれにせよ、結局は国民が尻拭いをするわけである。便利な生活を求めて”原発安全神話”を信じ、電気をむさぼったツケは大きい。

● 前記のデータは、私が3月11日以来つけている「原発災害日録」から抜粋したもので、 これらが被害の全貌ではありません。ここから派生する2次的、3次的な被害もありますし、今後想定外の被害が出てくる可能性も大きいと思います。野田内閣は、来年2月以降の早い時期に原発再稼動を目指しており、その頃へ向けて原発の是非をめぐる論議が盛んになることを、私は期待しています。我々は原発の専門家ではありませんから、技術的なことはよくわかりませんが、原発の存在が我々の社会や生活にどんな影響を及ぼすのかは、論議に直接参加して、或いは論議を読んだり聞いたりして自分で判断しなければなりません。「原発論議に備えて」がその際の参考資料としてお役に立てば幸いです。(M)

                以上

平泉試案の中の「それ(外国語)は膨大な時間をかけて習得される暗記の記号体系であって、義務教育の対象とすることは本来むりである」という部分を取り上げて、それがいかに誤解に基づくものであるかを述べました。いかなる言語も単なる「暗記の記号体系」ではありません。しかしすでに示唆したように、筆者は外国語学習に暗記が無用であるとは考えておりません。学習者は各自自分に与えられた記憶力を最大限に活用すべきです。特に単語の大部分は、言語学者・ソシュールのいう「恣意的な記号」ですから、それらはそういうものとして記憶しなければなりません。これはかなりつらい努力を必要とするものですが、外国語を使えるようにするためにはその努力を怠ることはできません。そしてその努力は、義務教育の対象とすることがむりであるほど困難なものとは思えません。すべての人は、各人に与えられている記憶力を活用することによって、自分が必要とするレベルの習得に達することが可能だと筆者は考えています。それが義務教育の目的の一つです。平泉試案は外交官のような国際的に活躍できるレベルの達成を考え、そのために一部の優秀な者たちだけを選抜してエリート教育を施すことを提案したのですが、それは義務教育修了後の問題です。義務教育はすべての人の可能性を引きだすことに専念すべきです。

 では、どのようにしたら私たちは各自の記憶力を高めることができるのでしょうか。記憶は古くから心理学の関心事でした。たとえば19世紀末にエビングハウス(1850—1909)の見出した「忘却曲線」は、現在でも多くの記憶文献に引用されています。彼は3つのアルファベットの組み合わせから成る無意味語をたくさん被験者に覚えさせ、その記憶がどのように忘れられていくかを調べたのでした。それによると、忘却は最初が急速で、初めの4時間で半分近くが忘れられ、その後時間がたつにつれて、ゆっくり下がっていくというものです。ですから、覚える数があらかじめ決まっている単語の暗記のような記憶テストでは、テスト前の4時間以内に集中的に覚えるのが効果的だということになります。エビングハウス以後、近年の脳科学は記憶のメカニズムについて新しい事実を次々に明らかにしてきました。記憶は脳のどの部位でどのようになされているか、また記憶されたものは脳のどの部位に蓄えられているかなど、かなり明らかになっています。しかし、そのような現代脳科学の記憶に関する研究を詳しく知るには、かなり専門的な知識を必要とします。ありがたいことに、最近はそういう知識を一般の人々にも分かるように説明してくれる本が書かれています。たとえば、池谷裕二『記憶力を強くする 最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方』(ブルーバックス、2001)がその一つです。以下に、記憶についての最新の研究が明らかにしている事実を、筆者なりにまとめてみます。

 まず記憶にとって重要な脳の部位は「海馬(かいば)」と呼ばれます。それは脳の中の奥深いところに格納されています。それは大脳皮質の奥の、脳の中心近くに置かれることで、外界からの損傷を受けないように大切に保護されているかのようです。人の海馬にはおよそ1000万個の神経細胞がありますが、これは人の脳全体の神経細胞が約1000億個であることを考えると、それほど大きな数ではありません。海馬は進化論的に下等な動物でもよく発達していて、その脳に対する割合は下等なほど高いと言われています。つまり、人では大脳皮質が非常に発達しているので、海馬の割合は他の動物よりも小さいわけです。しかし海馬の神経細胞は、他の脳細胞とは異なる注目すべき特質が見られます。脳の神経細胞は生まれたときにもっとも数が多く、歳をとるにしたがって減っていきますが、海馬の中の「歯状回(しじょうかい)」と呼ばれる部位の神経細胞だけは、分裂して増殖する能力があることが分かっています。そしてそれは、生まれたときにはまだ完成されておらず、誕生後2年または3年後に完全な形になります。私たちが幼児期の記憶が曖昧であったり、ほとんど思い出すことができないのはそのためだと考えられています。

 記憶とは、脳科学の表現では、神経回路のパターンが変化することです。「覚えていない状態」から「覚えている状態」に変化するのは、神経細胞の繋がり方が変化し、新しいパターンを作り上げるからです。そしてその変化した状態が持続することが重要です。一時的に変化してもそれが持続しなければ記憶は保持されません。海馬の神経細胞はそれを可能にしています。しかし海馬は記憶の貯蔵庫ではありません。それは記憶すべきものを取捨選択し、記憶貯蔵庫(側頭葉)に送りだしているところなのです。そこで私たちの次の関心事は、どのようにしたら海馬における神経回路の変化を効率よく起こすことができるのか、そしてその変化を持続させるにはどうしたらよいのか、ということになります。(To be continued.)

「こんな人/ もの要らない」の考察
(1)テレビ画面を見ていると、「こんな人/ もの要らない」と思うことがよくあります。まず、衆参両院における、施政方針演説についての与野党の質問とその答弁です。施政方針は大事ですから、あるべきものですが、それについての質疑応答は、あらかじめ書いた文書を読んでいるだけですから、時間と経費の大きな無駄です。文書にして、またはインターネットで配信すれば、視聴者は新聞などで読むことができます。

(2)委員会などもそうですが、議員の数に応じて時間を割り振りますから、議員数の小さい野党などは、僅かしか質問時間が与えられません。与党の議員など時間を持てあまして、予告していないことを話題にして、議場が混乱することがあります。予告と根回しが必要な日本文化では、“議論”が育つはずがないのです。議員としての資格が平等であるならば、質問時間も平等に与えるべきだと思います。

(3)テレビ番組ではどうでしょうか。9月の朝の「とくダネ!」(フジテレビ系)では、野田総理の施政方針演説を取り上げていましたが、「やじが多かった」という報道に、司会の小倉智昭は、「それは当然でしょう」と発言していました。コメンテーターならばともかく司会者が、与野党の立場を明確にするのは行き過ぎでしょう。この司会者は、博識で趣味も豊かですが、好きい嫌いが激しく、それを口に出してしまうので、視聴者としては不快感を覚えることがあります。「こんな司会者要らない!」の代表です。

(4)思い込みが激しいと言えば、「アッコにおまかせ!」(TBS 系)の和田アキ子もそうです。「島田紳助騒動」があった時の放送では、“芸能界のご意見番”と言われている和田アキ子が、一言もこの問題に触れなかったので、「どういうわけか?」という疑問が視聴者から寄せられたのです。実はその日の「アッコにおまかせ」は、普段と違って録画放送だったのです。テレビ関係者は平気で“うそ”をつきますから、こういうことになるのです。生放送か、録画放送かを視聴者に断らない番組も“こんなもの要らない”の1つに入ります。この問題は「私のテレビ批評(その42)」でも少し触れました。

(5)2011年の7月中旬で、テレビはアナログ放送が終了して、デジタル放送に切り変わりました。締め切り間際には視聴者からの質問が殺到したとのことですが、「あなたのテレビは見えなくなります」という強迫めいたメッセージばかりで、詳しい説明はほとんどありませんでした。“お役所”は、まだまだ“上から目線”で、説明責任を果たそうとする姿勢が見られません。「そんな“お役所”と“お役人”は要らない!」という声を大きくする必要があるでしょう。(この回終り)

< 原発論争に備えて ② 放射線 > 松山 薫

② 原発事故と放射線

 原発論争に備えて① で紹介したNHKの討論番組の中で「これほどの被害が出ているのに、まだ原発が必要だというのは理解できない」という意見がありました。「これほどの被害」とは具体的にどんな被害なのかを、事故から半年を機に②と③に分けてまとめてみました。

原発では、原理的、構造的に原爆のような爆風や熱線を伴った核爆発は起きないとされており、原発事故の被害は主として放射線によるものである。放射線というのは放射性物質(放射能)から出る目に見えない粒子線などで、α線、β線、γ線があり、広義にはX線なども含まれる。世界で初めて放射線を発見したのはドイツの物理学者ウィルヘルム・レントゲンで、1895年のことであった。彼は、目には見えないが、物質を透過するこの不思議な線をX線と名づけた。この発見を知って、不思議な線が何から出ているのかを突き止めたいと考えたのがフランスのマリア・キュリーであった。キュリーは、わすかに放射線を出す8トンもの瀝青ウラン鉱を大鍋で煮詰め、4年近くかかって1902年に世界で初めて10分の1グラムの放射性物質を取り出すことに成功し、これをラジウムと名づけた。キュリー夫人は66歳の時、原因不明の病気で死んだが、放射線の影響による白血病ではなかったかといわれる。

 放射性物質には、ラジウム、ウラン、トリウムなど自然界に存在するものと、人工的に作られる放射性ヨウ素、セシウム、ストロンチウム、プルトニウムなどがある。放射性物質から出る放射線は、生物の遺伝子を傷つけ、大量の放射線(7シーベルト以上)を浴びれば、生物は死に至る。1999年に東海村で起きた臨界事故では、7シーベルト以上の放射線を浴びた2人の作業員が死亡している。放射線は少量でも遺伝子に突然変異を起こしガンなどを発生させる。放射性物質は放射線を発しながら壊れて別の元素に変っていくが、元の元素が半分の量になる時間を半減期と言い、放射性ヨウ素131(甲状腺ガン)は8日、セシウム137(土壌になじみやすい→埃、作物)30年、ストロンチウム90(白血病・水溶性→魚介類)29年、プルト二ウム(生殖器、肺)は2万4千年であるが、中にはウラン235のように数億年かかるものもある。半減期の短いものほど短期間に多くの放射線を発する。半減期を早める方法はない。つまり、放射線による被害を避けるためには、近づかないか、除染しかない。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、国際原子力機関とOECDの原子力機関が定めた国際的な事故評価尺度のレベル7、つまり1986年にウクライナのチェルノブイリ原発で起きた事故と同じ史上最悪レベルの原発事故である。チェルノブイリ事故で大気中へ放出された放射性物質は520万テラベクレル(テラは1兆倍)、福島では57万テラベクレルで原爆168個分という計算もある。また福島第一原発から海中に放出された放射性物質は5京ベクレル(京は兆の1万倍)に達する。(数値はいずれも、原子力研究開発機構が原子力安全保安院に報告した計算上の推計値)

 福島原発からの放射性物質の放出は、まだ止まったわけではなく、原子炉や使用済み核燃料棒(4546本)を保存するプールの冷却が計画どおり進まなければ、増え続ける。また、福島原発では、施設内に12万トンに上る放射能汚染水が溜まっており、これに含まれる放射性物質は80万テラベクレルと推計されている。この一部が海へ流れ出したほか、敷地内に保存しきれなくなった低濃度の汚染水を海中に放出した。さらに、現在は圧力容器から漏れて格納容器の下部に溜まっていると見られる溶融した核燃料が、底を突き破り、地下水と反応して水蒸気爆発を起こし放射性物質を大量に放出する可能性もないとはいえないだろう。原子炉の温度を100度未満にする冷温冷却が予定どおり進んでも、それから廃炉までは数十年と言う長い危険な道のりが待っており、放射線で高濃度に汚染された原発敷地は、半永久的に存在し続ける。(M)

< 原発論争に備えては ② 原発事故と放射線 ③ 福島原発事故の被害 ④ 自然エネルギーの可能性 ⑤ それでも原発は必要か‐安全な原発はありうるか ⑥ 便利な生活と豊かな生き方 の順序で掲載する予定です。私自身の立場は脱原発です。>

今回は英語学習のストラテジー(方略)についての誤解を取り上げます。「学習ストラテジー」(learning strategy)という用語は第2言語習得や外国語学習の研究分野で非常によく用いられる用語なので、ここでも使わせてもらいます。それはいろいろに定義されますが、もっとも普通には、「学習者が学習上の問題に対処するときに用いる対処の仕方またはその特性」」を意味します。学校や塾に行って英語を学び始めた子どもたちは、学習を効果的に進めるために、それぞれいろいろなストラテジーを発達させます。その中には、英語の学習にとって必ずしも有益とは言えないものも含まれています。たとえば、単語の発音を自分なりのカタカナ発音と結びつけて記憶するなど。また、英語の学習は単語の暗記だと考えた子どもは、そういう学習だけに力を注ぐことになります。あるいは、授業では発音の練習をするけれども、その結果がテストや評価にまったく加味されないということがあります。すると、学習者は発音の学習に必要なストラテジーを作り上げる必要がなくなります。大学生になってもモデルがないと自分で自信をもって発音できないという人が多いのは、おそらくそのためでしょう。頭を空にして、口先だけでモデルをまねるといったストラテジーをずっと用い続けるのは危険です。今年から全国の小学校で「外国語活動」という時間(週1単位時間)が5年生から設けられました。子どもたちはそこでどんな英語の学習ストラテジーを発達させるのでしょうか。これは興味ある問題です。

 日本の英語学習者の間に広く用いられているストラテジーのいくつかを取り上げて検討してみましょう。まず英語学習は一にも二にも暗記だという考えがあります。かなり前の話になりますが、かつて「平泉・渡部論争」というのが英語教育界を賑わせました。1974年4月、当時の自民党参議院議員であった平泉渉氏から、「外国語教育の現状と改革の方向」と題する試案が自民党政務調査会に提出されました。この試案の特色は、それが政府与党の知性派と目される政治家から出されたもので、わが国の教育行政に大きな影響力を持つものだったということです。事実、これはその後の学習指導要領の方向に大きな影響を与えました。近年の学習指導要領に掲げられている「コミュニケーション能力の育成」という目標も、元をたどればこの平泉試案に行きつきます。そしてこの試案に対して反論したのが渡部昇一氏(上智大学教授)でした。この二人によってなされた論争は「英語教育大論争」と呼ばれ、日本の英語教育史において注目すべきものとなりました。この論争に関する議論は本題から外れますので触れませんが、この論争のきっかけとなった平泉試案の中に、「それ(外国語)は膨大な時間をかけて習得される暗記の記号体系であって、義務教育の対象とすることは本来むりである」という一文があります。これはこの試案の根本をなす外国語習得観を示すものなので、見過ごすことはできません。ほんとうに、外国語は膨大な時間をかけて習得される暗記の記号体系なのでしょうか。

 もしこのブログの読者の中に、この考えに全面的に賛成なさる方があるとすれば、残念なことです。その方は外国語学習について大きな誤解をしているからです。なぜなら、いかなる言語も、単なる暗記の記号体系などではないからです。誰も自分の母語を暗記の記号体系などと考える人はいないでしょう。もしそうであったら、ほとんどの人は母語の習得に失敗していたでしょう。外国語についてもそうです。むかし中学校の生徒だったころ先生から聞いた話ですが、コンサイスの英和辞書(筆者の中学生時代に一番人気のあった辞書)を一冊暗記しようと決意した人がいました。その人は最初のページから覚えていき、覚えてしまったページを引き裂いて食べたというのです。その人が辞書を全部食べ終わったとき、英語をみごとに習得できたかどうかは聞いていません。きっとお腹をこわして寝込んでしまったのではないでしょうか。話をした先生はそういう努力を推奨したかったのでしょうが、そんなことで英語が習得できるわけがないのです。私は「そんなにまでして英語をやるのはいやだな」と思ったことを覚えています。そもそも記憶システムは人間の知的能力(認知能力)の一部であって、生きていくのに必要な記憶力はすべての人に備わっています。そうでなければ母語の習得は不可能です。母語だけではありません。外国語もそうです。平泉試案には、「(外国語は)数学のような基本的な思考方式を訓練する「知的訓練」でもなく」と書かれていますが、それも誤解です。外国語は、数学と同じように、基本的な思考方式を訓練する「知的訓練」以外の何物でもありません。そして数学も外国語と同様に、高度な記憶力を必要とする教科です。どんな学習も、それが知的な活動であるかぎり、記憶力を必要としないものはありません。外国語学習にはたしかに記憶すべき事柄がたくさんありますが、記憶力だけが重要なのではありません。(To be continued.)

「震災復興と社会問題」を考える
(1)新内閣の評価については、“ああでもない、こうでもない”という憶測が大好きなテレビ番組に任せることにしますが、映像の面白さというか、有難味もあることは確かだと思います。野田氏が民主党代表と決まった時に、民主党の議員たちが集まっている会場で、それまで代表選を争った5名と菅首相が登壇しました。皆が深刻な表情なのに、菅首相だけは満面に笑みを浮かべていました。

(2)「私が辞める時は、責任を若い世代に引き継いでもらう」と言っていたのですから、その重さを考えたら、笑ってなどいられないはずです。辞めるに際して、「やるべきことはやった」などと言うくらいですから、この人には責任とか危機とかを感じる能力が欠如しているのでしょう。9月6日の朝日新聞では、単独インタビューに応じていますが、文面で判断する限り言い訳が多く、「そこまで知っていたなら何故公開しなかったのか」という疑問が私には残りました(「福島の核燃料、仏が引き取り打診」など)。その後は他の各紙のインタビューにも応じていますが、紙上ではこの前首相に対する批判的な声が強くなっているようです。

(3)東日本大地震で特に被害の大きかった東北6県では、「伝統のお祭りが復活した」とか「さんまが豊漁で、津波で破壊された漁港に初めて水揚げされた」とかの報道が連日のようになされています。そこには、自衛隊、警察、消防などを始め、現地の人々による必死の努力や各地から集まったボランティアの人々などのお陰で、喜ぶべきことであるのは否定できません。しかし、次のような見方もできるのではないでしょうか。

(4)もしも3.11 の大災害がなかったならば、東北6県には何も問題がなかったのでしょうか。多くの農山村及び漁村では、働いている人々が高齢化して後継者不足に悩んでいるはずです。それに加えて、少子化、医者不足などの問題があって、これは東北地方に限らず日本全国の大問題でしょう。バブル景気頃までの国の政策は、「米は余っているから作るな。その代わり金をやろう」というものでした。田畑は一度休ませてしまうと、なかなか元へは戻らないようです。山林の保護もそうです。大雨ですぐに洪水になるのは、山林の手入れが十分でなかったからだと指摘されています(日本の地形は、“手入れ”といった人為的なことでは救えない特殊性もあるようですが)。

(6)大震災以前の問題を少しも反省しないで、「景気回復を第一に」と言う閣僚たちに私はあきれています。アメリカもその点は同罪です。不景気の現象として、「新築の家が売れない」というのがありました。家を建てるために次々と新しい土地を開発していけば、自然との衝突になることは明らかです。破壊された自然は簡単には元に戻りません。日本の政党もこういう点を十分に考えて今後の政策を考えるべきでしょう。(この回終り)

< 松下政経塾 > 松山 薫

 茅ヶ崎市の海岸に創設された松下政経塾に新首相の野田佳彦ら第一期生が入熟したのは1980年のことであった。次の年に茅ヶ崎方式英語会を設立した私は、募集ビラを配りながら何回もこの塾の前を通った。正門の奥に屹立する40メートル近い尖塔は、余人を寄せ付けない雰囲気があったが、記者根性が頭をもたげ、ここで何が行なわれているのか、そのうち見聞してみたいと思った。その後、たまたま英語会の会員の中に政経塾の関係者がいたので、下調べのつもりで色々聞いているうちに、見学したいという気持ちがスッと消えていった。それは松下政経塾には「五誓」といって塾生が守るべき教えがあり、毎朝全員で唱和すると聞いたからである。私は直ぐに、海軍兵学校で行なわれていた「五省」や「軍人勅諭」を思い出した。「五誓」にしろ「五省」にしろ内容には取りたてて言うべきことはないのだが、それを毎日全員に唱和させるという行動規範に、私が最も嫌いな全体主義的な匂いがした。

 ほとんど本能的な全体主義への嫌悪感は、やはり戦争体験に由来する。中学校に入学した時に渡された軍事教練の教本の冒頭に「軍人勅諭」があった。くねくねした万葉仮名で書かれ、「ひとつ軍人は忠節を尽くすを本分とすへし」などの「五訓」で終るかなり長文の勅諭を我々は必死になって憶え、唱和した。これを憶えなければ兵隊になれなかったのである。陸軍の内務班では、毎日これを唱和させられ、憶えられない初年兵は古兵に殴りまわされて、歩兵銃の引き金を足の指で引き、銃弾を顎から頭へ貫通させて自殺した者もいた。

 政経塾の「五誓」唱和を聞き、本家の松下電器(当時)にも社歌があって、毎日斉唱させられているのではないかと想像した。数年前のある朝、サインペンのインクが切れていたので、近くのスーパーへ買いに行ったところ、まだ開店前だった。外から、全面ガラスを通して店内が見え、レジのおばさんたちが店長の方を向いて社歌らしきものを斉唱しているのが見えた。「おばさんたち随分口がでかいなァ」と思って眺めているうちに、ふと、店長は口のあけ方で会社への忠誠度を測っているのではないかと思えてきた。日本株式会社と言われる独特の社会体制の中ではありえないことではないだろう。寡聞にして私は知らないが、アメリカやフランスにも社歌を斉唱するような風習があるのだろうか。「自由と規律」のイギリスのパブリックスクールやフランスのリセでは「五誓」のようなものを唱和するのだろうか、ドイツのヒトラーユーゲントやソ連のコムソモールではどうだったのか。

 そういうことで見学はやめたのだが、数年たった頃、英語会の茅ヶ崎校が教室と事務所を借りている市の中心街の小さなビルに、政経塾2期生の市会議員が事務所を構えた。小さなビルで毎日顔を合わせるし、亡くなった父親が私と同年齢だということもあって、だんだん親しくなり、お互いの事務所でお茶を飲んで話をするようになった。市会2期目はトップ当選し、間もなく県会議員になった。県会の欧州視察旅行の際には、スイスのチョコレートを大量に買ってきて「親父さん、みんなで食べて下さい」と渡してくれ、私もだんだん息子のような親しみを感ずるようになっていった。彼の目標は一日も早く国会に出ることであったが、その焦りと坊ちゃん育ちの人のよさ、脇の甘さが身を滅ぼすことになった。選挙資金の調達のため、選挙ゴロに引っかかって、脱税事件を起こして2年の有罪判決を受け、政治生命を失った。まだ30歳前だった。彼の事務所には、選挙のたびに政経塾の後輩達が自分の将来の選挙の実習をかねて応援に集まってきたが、彼等の話を聞いていて、どうしても出てくるエリート意識と選挙をなめているとしか思えない言動になじめないものを感じた。私自身長くNHK労組の役員をしていて、委員長だった上田哲の選挙運動に何回か駆りだされ、裏選対の仕事をしたこともあったので、「松下政経塾出身」という金看板を打ち出せば勝てると思っているらしい彼等の考え方や、「先生、先生」と呼びながら集まってくる下心ある人達に簡単に乗せられてしまう脇の甘さに違和感を覚えた。つまり彼らは、典型的なエリートの「上から目線」と「ひよわさ」を漂わせていたのである。

 あれから30年経った。松下政経塾から初の首相を出し、国会議員38人を擁して、形の上では成功したと言えるかもしれない。しかし、彼等の真価が問われるのは、政権中枢に入ったこれからである。政経塾のあの高い尖塔は何を意味するのか。高い理想と志を示すものであれば幸いだが、高い地位のみを象徴するのであれば、創設者が泣くだろう。

 もっとも私は、政治エリートを塾や学校で育てるという考え方そのものに疑問を持つ。政治家は初めから終わりまで、選挙民の厳しい批判に耐えて成長すべきである。そのためにはやはり、前に述べたような利害得失はあるにしても*、もはや首相公選制を取り入れる以外に方法はないように思われる。5年に6人もの首相が、内輪のたらいまわしで選ばれるという珍現象は世界の笑いものだ。アメリカ国務省の報道官は、記者に「日本の首相は何年間に何人変わったか憶えているか」と質問されて「さあ」と答え、「よくメモしておくんですね」と突っ込まれて苦笑した。翌日、笑ったことを釈明して陳謝したが、「付き合ってられないよ」という本音が見え見えだったし、心の中ではこんなことをいつまでも許しておく日本の国民の政治的未熟さや不可解さへの軽蔑もあっただろう。自分たちのリーダーは自分たちが選ぶと言う当たり前のことが何故できないのか。松下政経塾の塾是や塾訓、五誓の精神を本当に身につけているなら、その出身者にこそ、首相公選制の導入を命がけで果たしてもらいたいものだと思う。(M)    * 2011−7−9「日本の病根 ② 政治の貧困」
    

今回は基本的言語技能(basic language skills)の学習についての誤解を取り上げます。一般に、言語の習得は聴き・話し・読み・書く技能を獲得することであり、それらに習熟するプロセスが言語学習だと考えられています。この理解は間違っていません。しかしその具体的な学習法については、いくつかの誤解があるように思われます。

 まず、これらの言語技能をバラバラに学習するのがよいという信念が一部にあります。聴くことはたくさん聴くことによって、話すことはたくさん話すことによって、読むことはたくさん読むことによって、書くことはたくさん書くことによって習得できると考えるわけです。たしかに、たくさん聴かなければ聴けるようになりませんし、話す機会を多く持たなければ話せるようになりません。しかし私たちはそのような機会をどうしたら得られるでしょうか。母語のように四六時中その言語に触れている環境ではそういうことは可能でしょう。赤ちゃんは一日の大半を眠って過ごすようですが、目がさめている時間の大部分は周りで話されている言語を耳にします。赤ちゃんの心は、生まれつき、そういう話し声の中から一定の音のパタンを拾い上げるようにセットされています。しかし大人は違います。日本語を母語として習得した人は、聞こえてくる音声を素直にキャッチする能力を失っています。しかも言語環境が大きく違います。自分の身の回りに絶えず英語を耳にする環境は、自ら努力して作らないかぎり手に入りません。そこでこれらの技能をバラバラにして、ある時はテープやCDでひたすら英語を聴き、他の時には英語をできるだけたくさん話すようにする、またはもっぱら英語を読む、といった活動に分割することになります。このような学習法の問題点は、それが単調な活動になりがちで、しばしば退屈をもたらすことです。それゆえ非常な努力を必要とします。しかし、英語学習に成功する人は、そのような退屈な活動にも耐えることのできる努力の人だというのは誤解です。成功する学習者は、もっと自然な言語使用場面をシミュレイトするような練習法を工夫しています。

 私たちの日常の言語活動は、ちょっと考えてみれば分かるように、4つの言語技能をそれぞれ単独で行なうよりも、複数の技能を組み合わせて用いるのがむしろ普通です。たしかに、講演会や学校の講義に出席してもっぱら聴くことに費やす活動というのもないわけではありません。終日ひたすら読書をして過ごすこともあるでしょう。しかしそれらはむしろ例外的な活動であって、もっと普通の日常生活では、相手の話を聞いて質問をしたり自分の感想や意見を言う、誰かに話をしてその人の意見を聞く、相手の話を聞いてメモを取る、手紙やEメールを読んで返事を書く、書かれた文章を読んでその概要や感想を他の人に話したり書き送ったりする、などの活動が一般的でしょう。私たちの英語技能の使用も、複数の言語技能を組み合わせて、そのような日常的な言語活動に近づけたほうが自然であり、やみくもな努力も少なく、したがって確実に学習成果も上がります。ただし、そのためには話し相手、文通相手、メール友だちなどが必要です。英語でコミュニケーションする相手は英語のネイティブ・スピーカーとは限りません。英語を第2言語または外国語として学んでいる人たちでけっこうです。英語技能に習熟するカギは、そういう仲間や友人を幾人か得ることです。

 言語技能に関してもう一つ、技能習得順序の問題を取り上げます。母語の習得ではまず聴くことから始めて、次に話すことに進みます。正常な子どもではこの順序がひっくり返ることはありません。また、聴き話すことがかなりできるようになってから読み書きに進みます。これもほとんど議論の余地はありません。それが自然な言語習得の順序だとみなされています。ところが成人の外国語学習の場合には、しばしばこの順序が破られます。そしてそのことがしばしば議論の対象になります。その議論はやや専門的になりますので、ここでは結論だけを述べます。コミュニケーション能力の養成をめざす基礎段階では、この自然な学習順序はできるだけ守ったほうがよいと考えられています。しかしこれは教育する側の論理なので、学習者はあまり気にすることはありません。それよりも、学習者はインプットとアウトプットを意識したほうがよいでしょう。つまり、話すためには聴けることが前提であり、書くためには読めることが前提になるということです。この順序を間違えると、努力しても思うような成果は得られないでしょう。話し言葉と書き言葉の順序に関しても、前者から後者へと進むのが自然ですが、外国語学習環境では耳からのインプットはどうしても制限されますので、その逆の順序<つまり読み書きから聴き話へ進む>の併用も認められると思います。(To be continued.)