Archive for 2月, 2014

英語の発音というとthとlとrの発音をやかましく言う教師がいます。筆者の知っているアメリカ人教師にもそういう人がいました。クラスの全員ができるようにしようと、徹底的にこだわる人もいました。しかし結局は徹底できないことを知って諦めたようです。たしかにこれらは日本人にとっては難しい発音です。しかしどういうわけか、これらの発音が簡単にできてしまう人とそうでない人がいます。同じ先生に指導されても、すぐに要領を飲み込む人と、何回注意されてもそうならない人とがいるのです。筆者は長年の経験からそのことを知りました。原因は簡単には説明できないのですが、外国語の発音習得には大きな個人差があることはたしかです。大勢のクラスでは、特定の発音の訓練にこだわり過ぎるのは賢明ではありません。

そういうわけで、学習者はthやlやrの発音に過度にこだわる必要はありません。なるべく早く身につけてしまうほうがいいにきまっていますが、そういうことが不得手な人は、それらを後回しにしてかまいません。自分なりにそれらの音が出せればよしとします。何とかしたいと思う人は、密かに(自分の部屋にこもって)自分自身を相手にして練習してください。案外簡単にできるようになるかもしれません。できなくても落胆する必要はありません。できないのはあなただけではないのですから。それに、英語の学習には他にすることがたくさんあります。thやlやrの音が多少ヘンでも、英語のできる人はたくさんいます。それに、他のことをやりながらでも発音の練習はできます。発音に関しては、前回にも言ったように、一度に完璧な発音を目指すよりも、長い時間をかけて少しずつ改善していくのが賢いやり方なのです。

さて、英語の音を楽しむ最良の方法は音読です。音読については、わが国の英語教育の理論家も実践者もほぼ一致してその効果を認めています。筆者もかつて『英語コミュニケーションの基礎を作る音読指導』(研究社2004)という本でそのことを強調しました。幸い、最近は中学校でも高校でも音読が重視されています。(2011年度から始まった小学校の「外国語活動」では、音声による学習が中心なので、文章を読んだり書いたりする学習は原則としてしないことになっています。)音読とは、書かれた語句や文章を声に出して読むことです。独りで音読するときには自分に聞こえる程度の声で読めばよいのですが、他の人に聞いてもらうときには声の大きさを少し大きくするなどして調節する必要があります。それは朗読と呼ばれます。以下の記述では特にことわる場合は別として、両者を厳密には区別しません。

それでは、なぜ英語学習に音読が大切なのでしょうか。それは音読が英語の運用力、特に口頭による発表力を身につけるために非常に有効な基礎練習となるからです。運動選手の基礎トレイニングのようなものです。学校の授業では、通常、教科書のテキストの構造や意味を理解する活動が優先します。その後にそのテキストの内容について問答をしたり、要約したり、ディスカッションをしたり、重要語句を使って文章を作るなど、いろいろな活動をします。しかしテキストが複雑な構造をしていたり、内容が抽象的であったりする場合には、テキストの理解をするだけで授業が終わってしまうことがあります。復習をしないでいると、せっかく理解したはずのそのテキストについて、時間が経つとほとんど何も思いだせなくなります。こういう授業にはどんなにたくさん出席しても、学習したものが実際には使いものにならず、ほとんど無駄同然となります。このことは、これまで多くの英語学習者が実際に経験したことです。

音読の効用は次の4項目にまとめられます。

(1)英語の音声システムを身につけるのに役立つ。つまり、英語の発音と話し方の訓練の場を提供する。

(2)語句や文の構造をすばやく認知し、その知識を使って正しい文を作り出す文法能力を高める。

(3)英語表現の基礎となる重要な語句や文章を脳に蓄積する。私たちが話したり書いたりするときには、脳に蓄積されたそのような知識を利用する。

(4)音読からさまざまなスピーキング活動(読み語り、オーラル・プレゼンテーション、スピーチ、ディスカッションなど)に発展させることができる。

そのようなわけで、有意味な語句や良い文章の音読が楽しめるようになることは、英語をマスターするための第一歩と言ってよいでしょう。「でも」とおっしゃる方がおられるかもしれません。「教科書の音読なんて退屈で、それで英語が楽しくなるなんて信じられない」と。そういう人が音読を楽しむにはどうしたらよいでしょうか。次回は「音読の楽しみ方」について話します。(To be continued.)

(183) <人権大国への道>

Author: 松山 薫

(183)< 人権大国への道 >

 所与の条件 ③ 国土と隣国 

1.国土の特徴

 日本の国土の特徴を挙げれば次のようになるだろう。

ⅰ. ユーラシア大陸の東の端にある

 * 大英帝国は、この地域を the Far  East ( はるかな東・極東)と呼んだ。
 * ユーラシア大陸を載せるユーラシアプレートの東端にあり、太平洋プレート、北米プレート、フィリピン海プレートとの4つのプレート(岩板)の接合部分にある。
 * 北極を中心に流れる偏西風の通り道にあり、エルニーニョ現象の影響を受ける。

ⅱ.南北に伸びる弓状の島国である

 * 北海道の宗谷岬から沖縄の波照間島まで、直線距離で約2900キロ。
 * 長大な海岸線を持つ。約3万キロで、世界第6位。(1位カナダ、2位ノルウェイ、
  3位インドネシア)
 * 島の数は大小6852あるとされており、そのうち無人島が6415。
 * 列島を縁取るように暖流の黒潮と寒流の親潮が流れている。
 * 亜寒帯から亜熱帯にいたる多様な気候におおわれる。
 * 季節による寒暖の差が著しい。雨季(梅雨)がある。
 * 南西太平洋で発生する台風の影響を受ける。

ⅲ.国土面積は 38.7万平方キロで、世界で62番目と狭隘である。ロシア(1位)の45分の1、アメリカの(3位)と中国(4位)の25分の1

ⅳ.山が多く、平地が少ない。河川は急流となる

 *  国土の73%が山地。
 * 耕作可能地は約600万ヘクタール。               
 日本を訪れた外国人は川を見て”滝”だと言う。

ⅴ. 最も近い隣国は、韓国、北朝鮮、中国、台湾、ロシア(極東)である。

これらの事実からどんなことが生ずるのか。

ⅰ.* 外国の侵略を免れ、独自の文化を育むことができた。
* プレート境界型地震と呼ばれる大地震に襲われる。
  
  * 偏西風の蛇行やエルニィーニョにより、異常気象に見舞われる。
  * 中国の大気汚染の影響を受けやすい.(嘗てはソビエトや中国の核実験による放射能雨が降った)。
ⅱ.* 宗谷岬から波照間島まで自転車で走ると走行距離は4000キロをこえる。
* 長大な海岸線を持つので、安全保障上、上陸作戦に対する防御地点を定めにくい。
* 国際海洋法条約で認められた日本の排他的経済水域(EEZ)は国土面積の12倍にあたる405平方キロと、世界で6~7番目の広さがある。その海底には、化石燃料のメタンハイドレ‐ド、石油、天然ガスの他、マンガン、ニッケル、コバルト、レアアースなどの希少金属、それに海底熱水鉱床があるといわれる。
 * 多様な動植物が生息する。沿岸、近 海は世界有数の好漁場。
  * 海流の流れの変化により、沿岸・近海漁業に大きな影響が出る。
  * イネの生育に適している。
  
ⅲ.* 土地の価格が異常に高い。
   * 安全保障上必要な「縦深」がない。 列島を貫く山地が急峻で、大量の兵力を迅速に異動させることが困難である。
ⅳ.* 活火山が富士山を初め108あり、噴火の被害が予想される。
  *洪水が多発し、甚大な被害が出る。
  * 耕地面積は宅地転用などで、約460万ヘクタールに減っている。その内約40ヘクタール近くが耕作放棄地。
* 耕地が細分化される。(一戸当たりの耕作面積は1.8ヘクタールでアメリカの100分の1、オーストラリアの1860分の1)
ⅴ.* 古くから、人的、文化的な交流があった。戦争や植民地化の歴史もある。

 日本人はこのような国土の上で生き、このような隣国に囲まれて生きていくことを宿命づけられているのであり、このような自然の条件に適合し、これらの隣国と良好な関係を築くことが、持続可能な社会を構築していくために必要であると私は思う。(M)

(1)2014/年1月24日に召集された通常国会では、「2月8日以後の大雪の被害についてどういう対策をしているのか」という質問が出ました。安倍首相は、官僚が用意したと思われる文章をすらすらと読み上げて、「このように万全の策を講じています」と答えました。しかし、その間にも、数千台の車が雪の中で立往生していて、3日も4日も車中で過している人たちがいたのです。孤立した村落も多く、食料の補給もままならぬ状況が現在(2月21日)も続いています。首相の認識の甘さを露呈した一幕でした。

(2)野党は法制局長官に憲法解釈の問題を質問していました。そのやり取りに業を煮やした安倍首相は、「法制局長官は私が任命したのです。私に質問をすればいいではないですか」という趣旨の発言をしました。このことは、その後、いろいろコメントされていますが、問題は“内閣法制局長官”の任務は何かということになります。首相はなにかにつけ、「皆さんによく説明する」と言いますが、“建国記念日”に勝手な声明を出す暇があるならば、“誠意ある説明”をもっとしてもらいたいものだと思いました。

(3)戦後の歴代内閣によって解釈には変遷があったようですが、法制局長官の任務は、「内閣が法律をきちんと守っているかどうかを判断すること」なのです。“法の番人”という言い方もあります。人選は総理大臣がしますが、“お友達”を指名すべきではないのです。分かりやすく譬えてみましょう。通常の車の運転では運転する人がアクセルもブレーキも操作しますが、初心者の路上運転などでは、事故を起こす危険のある時は、指導員がブレーキをかけることができます。法制局長官の存在は、この指導員の役目と似ているのです。安倍首相の考え方は、「そんな指導員のいる教習所は止めて、別の教習所に移ろう」と言っているようなものです。

(4)憲法の第十一条は、「基本的人権の享有」として、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」とあります。安倍首相の考えるように、「憲法を変えやすくする」というのは、大変に危険です。「それは“立憲政体”を理解していないからだ」という指摘があります。

(5)“立憲政体”は広辞苑にも載っていますが、憲法の下で、政府が統治権を行使するに当たって、国民の政治的自由を保障するために、「立法」「司法」「行政」をはっきり分離して考えることとなっています。政府は“行政府”ですが、裁判所によって、常に監視される立場にあるわけです。裁判所は、衆院や参院の選挙について、「違憲状態」とは言いますが、「全ての選挙をやり直せ」とは言いません。国中が大混乱になるからでしょう。そのために、政府は真剣に選挙制度を変えようとしません。各党でそれぞれ思惑が違うので、意見を集約することが困難なのは分かりますが、もっと努力すべきだと思います。

(6)安倍首相は本心では、中国や韓国と首脳会談をするのを嫌っているのに、ロシアのプーチン大統領とは喜んで会談しています。それでは考えが甘過ぎると思います。ロシアと外交交渉をするならば、日本が第2次大戦で無条件降伏をしてから、旧満州に攻め入って、多数の日本兵をシベリアへ連行して強制労働をさせたこと、本来日本の固有の領土であった、北方四島を占拠したことなどの責任を問うべきです。「あの頃のソ連と現在のロシアとは違う」といった言い訳を認めたりすれば、中国の覇権主義にも抗議できなくなるでしょう。問題は山積しているのです。(この回終り)

英語が好きになる近道の一つは英語の音を楽しむことです。その楽しみ方はいろいろあるでしょうが、小学生や中学生では、英語の歌が好きになって英語を学ぶことが楽しいと言う生徒が多いようです。2011年度から小学校5,6年生で「外国語活動」という授業が導入されました。そこでは毎回楽しい英語の歌を聴かせて歌えるようにしてはどうでしょうか。英語を学ぶことが好きな生徒がきっと増えるでしょう。それに加えて、絵本を見せながら、外国の童話や民話を英語で(ときどき日本語を交えて)聴かせたら、もっと多くの子どもたちが英語を学ぶことに興味を持つことでしょう。小学校では、中学校でやっているような発音や単語や文構造のややこしい規則を説明したりしないように、先生方にはくれぐれもお願いします。英語はまず聴いて楽しむことが重要です。

ところで、新聞やテレビなどでよく見る「音楽を聞くように英語を聞き流すだけで英語がどんどん好きになる」という広告は信じてよいでしょうか。この広告が長続きしているところをみると、きっとその教材は売れているのでしょう。売れているから信用できるわけでもありません。一般的に言って、英語学習者ができるだけ多くの英語を耳からインプットするのは大切なことですから、自分の学習段階に合致したレベルの英語を聴くことは望ましいことであり、その学習を継続すれば必ず効果があるはずです。効果が出れば英語が好きになるのは自然のことです。この理屈に従えば、この広告の教材によって効果が期待できるのは、その教材のレベルが学習者のレベルに合致している場合です。使ってみて合致していないと思ったら止めるべきです。こういう広告は健康食品やサプリメント剤の広告と同じで、その効果を期待しすぎてはいけません。すべての人に一様の効果が期待できるものでは決してありません。

音を楽しむ活動はたいてい話すことと連動しています。同じ歌をいつも聴くだけでは退屈するでしょう。子どもたちに英語の歌を聴かせていれば、彼らは自然にそれを歌うようになります。筆者が子ども(4,5歳)のとき、どういうわけか新しい蓄音器がわが家に持ち込まれました。私は気に入った幾枚かのレコード(その一枚は東海林太郎の「赤城の子守唄」でした)を繰り返し聴いて、それらをソラで歌えるようになっていました。遊びに来た伯母がそんな私を褒めたので、いい気になって何か歌ったのを覚えています。たぶんそのおかげで、小学校の「唱歌」(現在の「音楽」)の評価はいつも「優」でした。子どもはそういう風にして、言葉のメロディーを身につけていくものなのでしょう。英語のメロディー(注1)も、母語話者は子ども時代に多くの歌や詩文に触れることによって、その特徴を脳の中に刻みつけていくのだと思います。日本の小学校からの英語教育に意義があるとすれば、英語の歌や詩文にたくさん触れさせることによって、英語に特有の発声の仕方、リズム、抑揚などの特徴を脳に記憶させることだと筆者は考えています。

40年以上も前の話になりますが、筆者が中学校の教師をしていたとき、いろいろな歌を生徒と一緒に歌って楽しみました。その体験を通して、英語のメロディーは理屈で理解させるよりも、こうして歌で体得させるほうがずっと効果があると思いました。前回ハンバーガーでおなじみのMcDonald’sの発音のことを書きましたので、それと関連して今回はOld MacDonldの歌(注2)をご一緒に歌ってみましょう。歌詞は易しいのですが、リズムを取るのはけっこう難しいと思います。しかしちゃんと歌えると気分のよいものです。ぜひ皆さんの歌のレパトリーに入れておいてください。

Old MacDonald had a farm, E-I-E-I-O! / And on his farm he had some chicks, E-I-E-I-O! / With a chick, chick here, and a chick, chick there, / Here a chick, there a chick, everywhere a chick, chick, / Old MacDonald had a farm, E-I-E-I-O! (マクドナルドのところには農場があってね / 農場にはヒヨコがいてね / こっちでピヨピヨ、あっちでピヨピヨ / ここでも、あっちでも、どこでもピヨピヨ / マクドナルドのところには農場があったんだ)

次に、英語の音を自分の口から出す楽しみがあります。上に挙げたような歌をうたうときにはこまかい発音には目をつぶり、大きなリズムの流れを楽しむのがよいでしょう。こういう歌は中学生よりも小学生のほうが、はやく上手に歌えるようになるのではないでしょうか。中学生は細かい発音を気にする傾向があります。あまり細かい発音のことを気にしては歌う楽しさが失われ、しまいには歌うことが苦痛になります。歌は気楽に楽しむのが一番です。何回も歌っているうちに、細かい発音にも気づきます。「英語の音を楽しむ」についてはまだ触れるべきことがありますので、この話題は次回に続きます。(To be continued.)

(注1)「英語のメロディー」というのはあまり使われない用語ですが、英語に特有の総体的な音声特徴をこのように言うことがあります。言語学者や音声学者が言語音声を研究対象とするときには、言語を構成する母音・子音などの音素の記述と共に、「ストレス(強勢)」と「イントネーション(抑揚)」のパターンを特に重視します。しかし言語音声には、これらの他にもいろいろな特徴が見られます。たとえば呼吸法や発声の仕方、声の出し方(音声器官の用い方)、口の開け方、声の大きさ、話す速度、間の取り方など。それらが混然一体となって一種の音楽的なメロディーをつくり出すわけです。そしてそれは個人による違いもありますが、言語によっても、それぞれ特徴的な違いがあります。そして同じ英語でも、イギリス人とアメリカ人の話す英語のメロディーには、かなりの違いがあるように感じられます。

(注2)Old MacDonaldの歌詞は5番まであり、1番ではchicksがchick, chickとなきますが、2番ではducksがquack, quack、3番ではturkeysがgobble, gobble、4番ではpigsがhoink, hoink、5番ではcowsがmoo, mooとなきます。歌詞の中のE-I-E-I-Oは、童謡などによく使われる「はやしことば」です。(久埜百合監修『うたって遊ぼう小学生の英語の歌」(小学館)を参照)

(番外) ポピュリズム

Author: 松山 薫

(番外)< ポピュリズム >

 最近関心を集めた4つの選挙、名護市長選、東京都知事選、大阪市長選、それにタイの国民議会選挙、これらの選挙名を模造紙の四隅に書き入れ、真ん中に大きな丸を書いて、これらの選挙に通底する文字を書き入れるとすればどんな言葉になるだろうか <アーカイブ年末所感2013・12・28>。私なら”ポピュリズム”と書き入れる。

 ポプュリズムとは、一般に「大衆迎合主義」と訳されているが、政治学的には、次の二つの源流があるという。(日本型ポピュリズム 大嶽秀夫 中公新書)
1.19世紀末にアメリカで農民が職人や労働者と連合して人民党を創設して行なった「下からの運動」 
2.ラテンアメリカでアルゼンチンのペロンらカリスマ指導者が扇情的なスローガンあるいは大衆迎合的な政策を使って大衆動員を図った「上からの運動」

 この分類によると、名護市長選挙とタイの議会選挙は1型、東京都知事選と大阪市長選は2型となる。

 Ⅰ型の名護市長選挙では、戦う相手は ”裏切り者”の仲井真知事とその代理人、さらには彼等を支える安倍政権であり、タイの選挙ではインラック首相と彼女を陰で操るというタクシン元首相である。こういう選挙では往々にして相手を誹謗中傷するnegative campaign が横行し、真の争点についての論争の影が薄くなる。名護市長選挙では、安倍政権と自民党が見えも外聞もない札束攻勢をかけたので、一層この傾向があらわになり、「アメリカ軍基地を沖縄に置くことが本当に必要なのかどうか」という本質的な議論がかすんでしまった。また、
タイの国民議会選挙の方は、対立がエスカレートして、最大野党のボイコットで選挙が中断されている。

 タイの選挙で興味深いのは、都市部の富裕層や中産階級を中心とした少数派の野党勢力が、タクシン派与党を支える多数派の農村部の有権者と同じ一票では不公平だと主張していることだ。社会に対する貢献度や有権者の質を問題にしているのである。つまり、一種の制限選挙論でポピュリズムへの反撃と見ることもできる。

 一方、2型の選挙では、政策論争よりも、弁舌を含めたいわゆる〝タマ“のよしあしが選挙結果を左右する。都知事選挙は、争点がなんであるかが争点になるという中で、その傾向が一層強くなった。若い人達にはほとんど記憶がない細川候補が亡霊のごとく現れたが、TVに映し出される顔も亡霊じみていて、東京オリンピックまで知事をつとめると82歳になるというのでは、いかに当代随一のポピュリストと言われる小泉元首相が助太刀を買って出ても当選は初めから無理だった。宇都宮候補は人柄が地味すぎる上、共産党アレルギーもあり、無党派層の票を細川候補と分け合うことになったから、これが精一杯のところだろう。そこで、舛添候補が漁夫の利を得て圧勝するのは初めからわかっていた。この人物の経歴
を見ると、多分にオポチュニスト的な傾向がありそうだから、都知事の椅子も、次へのステップかもしれない。オポチュニストとポピュリスト、どこかで通ずるものがある。

 都知事選挙では、いつの間にか第4の候補に祭り上げられた元空幕長の田母神候補が、60万票の支持を得た。若者中心のネット右翼が支持母体だというが、それに石原信者や自衛隊関係者が加わっての結果で、予想外とは考えないほうがよいのではないか。この人物も、次の参議院議員選挙で維新の会か自民党の比例代表として国会へ出ることになるだろう。このようにして元自衛隊幹部が国政の中枢に数を増していくことの影響と、発足以来60年を超え、社会のいたるところに根を張ってきた元自衛隊員や自衛隊関係者、そしてその家族の影響力が相まって、戦前、戦中の在郷軍人会や戦後のアメリカ在郷軍人会のような政治力を持つ日が来ないとは限らない。それを良いことと考えるか、悪いことと考えるかで社会のありかたが変わる。

 さて最後は、来月23日に行なわれる大阪市長選挙である。小泉元首相に並ぶ若手随一のポピュリストが影響力の低下の中で最後の賭けに出たとする見方が一般的だが、ポピュリストに必要な大義名分がない。本人は大義があると言っているが、結局、独り相撲の上、裸の王様で終る公算が強い。

 ところで、都知事選挙では、前日の大雪の影響も加わって、投票率は46.14%と過去3番目の低さだった。候補者が事実上一人になりかねない大阪市長選挙はもっと低くなるだろう。最低どれだけの票を獲得すれば「有権者の代表」にふさわしいと言えるのであろうか。「民主主義という不思議な仕組み」(佐々木毅 ちくまフリーマー新書)によると、世論調査では一番多い回答は60%で、70%、50%がこれに続いている。 もし、50%以下の選挙は無効と法律で定めておけば、選挙の姿は大きく変わるまた、候補者個人についても、有効投票率ではなく絶対得票率(有権者総数に対する得票率)に下限を設ければ、選挙の姿は大きく変わる。ちなみに、東京都知事になった舛添候補の絶対得票率は19.5%、であった。(M)

前回の「学びを楽しむ」で述べたことをもう少し具体的に考えてみましょう。初めに楽しみながら英語らしい音を身につけるにはどうしたらよいか—その理論と実践について、今回と次回に述べるつもりです。

言語はそれぞれ独特の音の響きを持っています。それを「言葉のメロディー」と言う人もいます。英語には日本語と違う独特のメロディーがあります。まず英語を話す人と日本語を話す人では、外から見える口や唇の動きが違います。69年も前の話になりますが、戦争(第2次大戦)が終わって連合軍の兵士と共にハリウッド映画が日本にやって来たとき、中学生だった私はよく学校の授業をサボって映画を見に行きました。そしてそこで気がついたことの一つが俳優たちの口の動きでした。ハリウッド映画に出てくる女優たちは概して口が大きくよく動き、熱を込めて話しだすと口が横に裂けて両耳に達するほどになることに驚異をおぼえたのを思い出します。英語を話すときにはああいう風に口と唇を動かさないといけないのだと思ったものです。その後本気で英語を学び始めて、英語を話すときには日本語を話すときよりもしっかりと口を動かして発音することが必要だと分かりました。

小学校高学年や中学生にもなると、子どもたちは日本語の音声に慣れ切ってしまうので、他の言語を聞いてそれをそのまま真似することが難しくなくなっています。外国語の音声をそのまま真似をするという点では、幼い子どもたち(たとえば幼稚園の子どもたち)のほうがずっと上手です。なぜなら、彼らのほうが日本語の音韻体系の枠に嵌められていないからです。小学校高学年くらいになると、ほとんど完全に日本語の音韻体系にがんじがらめになっていて、日本語の体系から外れた音は認知できませんし、その音を日本語の音と対比して分析しないかぎり、無意識的には模倣することが難しくなっています。その程度には個人差がありますが、大人はたいてい英語の音を聞いてもそのまま捉えることができず、それに近い日本語の音に置き換えて認知し、その置き換えた音を口にしようとします。一般に、成人した人々の話す言語は自分の母語の音韻構造に束縛されており、彼らはいわばその支配下にあるのです。しかもそれは音韻だけでなく、他の語彙や統語の構造に関しても同じことが言えます(注)

例を挙げてみましょう。皆さんハンバーガー店でおなじみのMcDonald’sという語は、英語で発音されても「マクドナルド(ヅ)」とは聞こえません。「マッダー」のようにしか聴き取れないかもしれません。よく聴き取れない音は真似ることはできません。それが「マクドナルド」のことだと言われても信じられないくらいです。ためしにアメリカ人に「マクドナルド」と日本語式に発音して聞かせてごらんなさい。たぶん通じないでしょう。むしろ「マッー」のように「ダ」を強調して言うと通じるかもしれません。

なぜそんなことになるのでしょうか。その理由は第1に、両言語の音節構造が全く違うからです。英語ではこの語は3音節(Mc-Don-ald’s)ですが、日本語では6音節(マ-ク-ド-ナ-ル-ド)になります。第2に、英語では強く発音される音節と弱く発音される音節が決まっていて、この語は-Don-の音節だけが強く発音されます。そして重要なことは、他の音節が非常に弱く短く発音されることです。これに対して日本語では「マクドナルド」の一つひとつの音声がほとんど等しい長さと強さで発音されます。そして第3に、英語では弱音節の母音は実際には発音されません。この語を発音記号で表記すると[m∂kdαn∂ldz] のようになりますが、2つの曖昧母音/∂/は記号通りには発音されません(特に2番目は常に無音です)。また子音の/k/は、次の強勢のある/d/に飲み込まれて実際には発音されません。語尾の連続した子音群も、弱くて聞こえないほどです。

以上のMcDonald’sの例で見るように、英語と日本語の発音のシステムは非常に異なっているので、大人の日本人が英語の音韻体系を習得するのは至難の技なのです。その難しさはたぶん一般に考えられている以上です。それならば、日本人には英語の発音を完全に習得することは不可能なのでしょうか。そんなことはないのですが、これまでこの技能の獲得に挑戦した多くの日本人学習者の経験からすると、その獲得に成功した人はそれほど多くはないようです。むしろいくら努力しても成功しなかった例のほうが多かったかもしれません。ですから、一般の学習者は完璧な発音技能を目指すよりも、むしろ長い時間をかけて自分の発音を改善していくほうが賢明でしょう。それにはやはり英語の発音を気楽に楽しむことが必要です。音楽を楽しむのと同じで、言語の音を楽しむ方法はいろいろとあります。次回にそれらのいくつかを紹介します。(To be continued.)

(脚注)地球上に住むすべての人間は、各自の母語習得の過程において、しだいに母語に固有の音韻・語彙・統語の構造に縛られていき、成人になって母語習得が終了した後には、他の言語の構造を簡単には受け入れられなくなっています。したがって外国語を学ぶときは、自分の母語とは異質の言語構造を自分の中に取り入れていく努力が求められます。それはある意味でつらい努力ですが、それに成功すれば、自分の母語構造の束縛から自分自身を開放し、より自由な思考と表現を産む力を得ることができます。この観点から、他の言語を学ぶことの効用は、単にその言語を用いる人々とのコミュニケーションを容易にするだけではなく、自己の思考の幅を広げ、言語表現の豊かさを養うことに貢献すると言えます。

(1)「東京新聞」(2014年1月7日)の社説は、「強い国って何だろう」と題する社説を載せていました。その中で、デビッド・マッキ—著『せかいでいちばんつよい国』(光村教育図書、2005)のことを紹介していました(この本は、“アマゾン”で購入可能です)。“軍隊の強い国”と“文化の強い国”を対比させた大変に皮肉のきいた寓話です。

(2)軍隊の強い国が軍隊などない弱い国に攻め込みますが、全く戦いになりません。強い国の人々は、弱い国の人々に歓迎され、逆に遊びや料理を教わって喜びます。ここで私は永世中立国スイスのことを考えました。スイスはその面積は日本の十分の一です。そんな小国が、第1次大戦でも第2次大戦でも中立を守って戦禍を受けませんでした。しかし、スイスにも軍隊もあれば、徴兵制度さえあります。ただし、「スイスはどこの国にも侵攻しない」という信頼感を周辺の強国から得ていたのです(1815以来)。1955年にはオーストリアも中立国になっています。

(3)日本でも周囲の隣国からそういう信頼感を得る機会は十分にあったはずです。2回の世界大戦の時とは世界情勢が違ってはいますが、日本はまず過去の過失を反省するところから始めるべきでしょう。こう言うと、今の国会議員の中には、「そんな自虐的な歴史観はダメだ」と言い出す人がいます。それでは、隣国の信頼など得られないと思います。

(4)大国アメリカも“世界の警察”を自任して、多くの紛争に手を出して国力を疲弊させてしまいました。こういう世界情勢は日本にも大きな影響があるのですから、安倍首相のように、“強い国”になることを目指すのでは、他国の理解など得られるはずがありません。安倍首相は中国や韓国に対して、「こちらはいつでも話し合いの扉は開けている」と言いますが、相手が前提条件にしている靖国神社の問題について何も説明しないのではうまくいくはずはありません。

(5)確かに中国の覇権主義はひどいものです。しかし、かつて日本は旧満州に傀儡政権を造り、台湾からは爆撃機を飛ばして、中国各地に戦火を拡大したのです。そのことの反省を明らかにすれば、世界の世論を味方に中国を孤立させることが可能となるでしょう。前に書きました私の見た駅ホームでの喧嘩のように(その40)、「お前やる気が」と言い合っているうちに大喧嘩(戦争)になる恐れは多分にあると思います。

(6)アメリカは、日本の首相がしばしば交代するので、だんだん日本が信用出来なくなったような気がします。口先では、「日本は同盟国だ」とは言いますが、特に政権の右傾化には警戒心をもっていることも確かでしょう。日本の指導者はそういう空気を敏感に読み取って対応すべきだと思います。外交というものは、良い意味でも、悪い意味でも“腹の探り合い”だと思います。悪い意味にばかり取っていたのでは、大きな禍根を残すことになると思います。(この回終り)

(182) 資源枯渇の日本

Author: 松山 薫

(182)< 人権大国への道 >
                           
 所与の条件 ② 地球資源の枯渇と日本

 人類社会は産業革命以来わずか2百年あまりの間に、工業化にともなう大量消費それに二度の世界大戦を含む絶え間ない戦争という浪費によって、地球の資源をあらかた食い潰してしまった。46億年といわれる地球の歴史から見ると、まさに“一瞬のうちに” と言ってよい。これから先どうするつもりなのか。
 
 生産活動の原材料となる主な鉱物資源について、現在の採掘量を基準にすると凡その可採年数は、鉄 67年、銅 39年、金 23年、銀 19年 などとなっている(アメリカ地質調査所などの試算)。これらの数字には当然異論もあるが、いづれにしても、近い将来掘りつくされてしまうことは間違いない。

 また、化石燃料などのエネルギー資源の可採量は、石油が40年あまり、天然ガスが60年余り、原子炉の燃料になるウランが100年、石炭が130年あまりと推定されている(電気事業連合会)。アメリカが期待しているシェールガスの可採年数については諸説あるが、オバマ大統領は”100年分が地下に眠っている”と演説している。いづれにしても、150年後にはすべてゼロになるのだ。

 さらに、非鉱物資源についてみると、食糧の中核であり人類の主食といわれる穀類の消費量は20世紀末の15億トンから10年間で8億トン増えて22億トンに、さらに10年後には5億トン増えて27億トンに達するものと予測されるが、特に飼料用穀物の消費量の増加が目立つ。つまり、穀物をそのまま食わず、家畜に与えて肉にして食うからで、鶏1キロの生産には穀物4キロ、豚肉の場合は7キロ、牛肉は11キロ必要とされる。この傾向は、中国がそうであるように、アジア、中南米、アフリカ諸国の平準化によってますます強まるだろう。そうすると、再び「マルサスの罠」* にはまるかもしれない。将来の食糧危機を見越してFAOは、昆虫の養殖など「昆虫食の将来性」につての初の報告書をまとめた。
* 人口の増加はネズミ算、食物の増産は足し算で、食糧不足がおきる。一人当たりの分け前が減ると疫病や戦争が起き、人口増が抑制されるというイギリスの経済学者トーマス・マルサスの理論

 また、水資源について、UNESCOは、世界で現在供給可能な水は、4兆2千億立米であるが、2030年には人口の増加で必要量が6兆9千億立米に達し、世界人口の半分近くが水不足に悩むことになるという。水資源は、人間の生存に不可欠であるばかりでなく、生産活動にも不可欠である。農水省の「仮想水*一覧表」によると、牛丼一杯を作るには2トンの水が必要だという。「淡水の欠乏と生態系の衰弱が、国際政治と人類文明を左右する要素の一つとして急浮上してきた。限りある水資源の支配をめぐる争いが、21世紀の国家の命運と国際秩序を決めることになるだろう」という意見もある(水が世界を支配する スティーブン・ソロモン著 矢野真千子訳 集英社)
* 食料等を輸入して消費する国が、仮にその食料を自国で生産するとしたらどれだけの水が必要かを試算して導き出された水資源の量

 水資源は水源地の森林によって支えられている。しかし、アマゾンやボルネオの熱帯林をはじめ、森林の大規模な伐採が続く。UNEP(国連環境計画)は、熱帯林の破壊はすでに取り返しのつかない状態になっているという。熱帯林の破壊はCO2の吸収による大気浄化作用の減退につながり、地球温暖化、生態系の破壊の原因になるという。森林破壊の70%以上は商用伐採であるが、森林資源の豊富な(森林大国ドイツの2倍以上)日本が安い外材に頼り(世界第3位の木材輸入国。自給率27%)地球の森林破壊に一役買っていることを知っておかねばならないだろう。

  食糧も水も金属も燃料も、一国の存立に欠くことのできないいわゆる「戦略物資」である。海外依存度が異常に高い日本は、世界の人口爆発による資源獲得競争の中で、危機的状況にあるという。(90億人の争奪戦 中野剛志 文芸春秋 2013−11月号)また、これらの物資の価格はすでに高止まりしている上、BRICSを中心とした新興国の需要の拡大を期待した投機マネーの流入によって押し上げられやすい。さらに日本への供給先が特定の国、地域に集中しているため、地政学的リスクなど、供給リスクが大きい。( 資源クライシス 桂畑誠治 日本実業出版社)

 陸地の天然資源をあらかた食い尽くしてしまった後、海底に手を伸ばし、さらに国際条約を無視して南極の資源を奪い合い、北極海の氷原が温暖化で縮小し、北極航路が開けたのに乗じて北極の資源を狙い、月や火星の資源にまで手をかけようとしている。それでも天然資源の枯渇は避けられそうもなく、天然資源ではない原子力エネルギーへの依存や、生命の根源である遺伝子の組みかえによる作物を生み出した。人間が自然の一部であることを忘れ、自然の摂理を破壊する”悪魔“の所為ではないのか。原子力エネルギーによって原子爆弾を生み出したロバート・オッペンハイマーは、アラモゴードでの最初の核実験の直後、紫色に立ちのぼるきのこ雲を見ながら「今、われ、死となれり。世界の破壊者となれり」というヒンズー教の聖典の言葉を思い浮かべていたと語っている。

 果たしてこれで持続可能な人類社会の発展は可能なのか。100年後の世代はどうやって生きていくのか。ローマクラブ*が1972年に「100年後に人類の成長は限界を迎える」と警告してから40年が経ち、残された時間は60年となった。今年大學を出て社会人になった若者が、今の私の年齢に達する頃のことだ。
*世界各国の科学者など各分野の有識者100人が集まって資源、人口、環境など全地球的な問題について対処するため1970年にローまで発足した民間のシンクタンク。

 このような状況の中で、資源小国といわれる日本現状はどうか。資源エネルギー庁は次のように概括している。「私達の日常生活や産業活動を支えるための原材料が鉱物資源です。ところが我が国は鉱物資源に乏しく、その大部分を輸入している。また、人間生活を支えるエネルギー資源についても、石油、LPガスは中東、ロシア、天然ガスは中東、オーストラリア、インドネシア、石炭はオーストラリアからほぼ全量を輸入している。」たしかに、昔はかなり埋蔵量のあった金・銀・銅などは、江戸時代から明治・大正時代に掘りつくし、ほとんど唯一の国産エネルギー資源であった石炭の採掘も1990年の夕張炭鉱の閉山で終止符を打った。そのため、現在では、鉄鋼石や銅などの産業用の資源、原子力発電用のウラニューム、レアメタルなどの鉱物資源それに天然ガスを含む化石燃料はほとんど輸入に頼っている。エネ庁の史料によると、国内の鉱山の数は、1970年の246から、2007年にはわずか11に、鉱山労働者の数は3万4千人が850人に減少した。

 そこで、アメリカのシェールガス、サハリンの天然ガスの大増産をあてにしており、尖閣列島周辺海底の天然ガス、南海トラフのメタンハイドレード、太平洋海底のレアメタルなど海底資源の探査もおこなわれているが、アメリカはシェールオイルの輸出を禁止ており,メタンハイドレードは海のものとも山のものとも分からず、尖閣の天然ガスは領有権問題の見通しがつかず、今のところサハリン沖のLPGのみが頼みの綱だが、これにも戦略的な問題がつきまとう。

 では、日本には本当に資源はないのか。私はあると思う。それは年間1000万トンのコメなどの生産能力のある耕作可能地、国土の3分の2を覆う森林、それに積雪によって生ずる豊かで綺麗な水と列島をとりまく世界第6位の広大な海洋(排他的経済水域)、四季折々に変化する豊かな自然環境である。日本人は人口激減をチャンスとしてこれらの資源を十全に活用することによって、この狭い国土の中にあっても、今よりはるかに幸せに暮していけると私は考えている。

 天野祐吉は随筆「CM天気図」で次のように語っている。「『生活は豊かさの“最上限”を求め、生存は安全の“最低限”を求める』と言ったのはだれだったか。今の世の中、生活の最上限を求めて走り続けた結果は、生存の最低限を脅かされると言う事態になった。」・・・「いまや生存の最低限を脅かすようになった経済成長至上主義の仕組みを、この辺で思い切って組みかえていかないと、もう時代はどうにもならないところへきていると思わなくっちゃ。」上述の諸事実を突き詰めると、真実はそういうことになると、私も思う。(M)

この悪い時代の中で、自分に与えられた時間を賢く用いながら英語の学びを続けるにはどうしたらよいでしょうか。それが今回のテーマです。その答えを一言で言うならば、それは「学びを楽しむ」ということです。

現在の学校で英語を学ぶ中学生や高校生たちの多くは、学校の期末テストや高校・大学の入試テストにパスすること、それに加えて英検・TOEFL・TOEIC などの名の通った外部テストを受けて、できるだけ高い点を取ることに必死になっています。それを奨励する学校もあります。大学生も就活を有利にするため、そういう種類のテストの勉強を必死にやっています。もちろんテストが全部悪いわけではありません。入試のテスト問題のように無視できないものもあるでしょう。また自分の学習達成度の資料を得るため、外部テストを利用することは悪いことではありません。しかし学習のすべてがテストのための勉強にならないように注意すべきです。そうしないと、テストの結果ばかりが気になって(これは一種の中毒症状です)、自分の本来の学びを見失う危険があります。つまり心の余裕を失うのです。これは警戒すべきです。

テストに熱中することが危険なわけには、もう一つあります。すべてのテストは、いかに巧妙に工夫されても、個人の持っている英語力のほんの一部を表わすにすぎません。時にはほんとうの英語力とは全く無関係な数値を示すことさえあります(発音のペーパーテストなど)。テストのほとんどは不完全なものです。現実に生きている個人は複雑怪奇な存在であり、テストで表わされる数値をはるかに超えています。英語学習者はまずこのことを認識してください。テストの結果は、必ずしもあなたの英語力を正しく反映してはいないのです。

さて「学びを楽しむ」ためにはどうしたらよいでしょうか。よく言われることですが、それにはまず自分の取り組んでいる「学びが好きになる」ことです。好きなことをするときには脳が気持ちよく働きます。そうでないときには脳の活動は停滞します。そのことは自分でも分かります。たいてい体の異変となって現れるからです。好きなことをするときには集中できて疲れを感じませんが、嫌いなことをするときには集中できず、すぐに疲れます。それを無理に続けようとすると、頭が重くなったり体がだるくなったりします。英語の学習は長期にわたる忍耐強い努力を必要とします。その学習が嫌いであったり苦痛であったりしては、長続きするはずがありません。

物事が好きになるには、じっと机に座ってどうしようかと悩んでいても事態は好転しません。行動を起こすことが必要です。英語の学びが好きになるには何かをしなければなりません。これは英語に限ったことではありませんが、物事はすべて「できるようになる」と好きになります。英語の学習では何ができるようになることが重要でしょうか。皆さんは次のことがうまくできるでしょうか。こんな初歩的なことなどと言わずに、まあやってみてください。

(1)自分の思い通りに英語の音を出すことができる。これがうまくできるようにならないと英語は好きになりません。ただモデルの音を聞いて真似ができるというのではだめです。自分の意志で、意図した音が出せることが重要です。なぜなら、発音の習得は自分の発声器官を自分の意志によって鍛えることだからです。学校を卒業して英語の発音に自信がないと言う日本人が多いようですが、その人たちはきっと学校の英語の授業が楽しくなかったことでしょう。

(2)英語の語句や文章をすらすら書くことができる。英語をいくら学んでも、英語の語句や文章をすらすら書けない人は、英語が好きになれるはずがありません。まず書写や暗写(暗記した文章をそらで書くこと)ができるようになる必要があります。日本人はお経や名文を書き写すことが好きな人が多く、最近は「天声人語書き写しノート」などというのも出ているようです。この作業をバカにしてはいけません。文字をきちんと書くことができる—これは大切な技能です。あなたはアラビア語の文字が書けますか?英語のテキストに気に入った文章を見つけたら、専用ノートに書き写しておくとよいでしょう。あとで繰り返して見ることができるので、それはあなたの貴重なノートになります。

(3)辞書を使って言葉のいろいろな情報を引き出すことができる。知らない単語や語句を辞書(紙または電子の辞書)で引いて必要な情報を探し出すことができることは、英語学習の基本中の基本です。今の中学校ではあまり辞書の使用を奨励しない傾向がありますが、それは間違っていると筆者は考えています。英語に少し慣れてきたら積極的に辞書を活用すべきです。英語は私たちにとって外国語なのですから、学校の授業では必要なくても、独りで学習するときには辞書なしでは学ぶことができないからです。(To be continued.)

(183) NHK会長の資質

Author: 松山 薫

(183)< NHK新会長の資質 >

 安倍政権は、NHKの国際放送を“強化”するためとして、来年度予算案に交付金の増額を盛り込んだ。NHK国際放送の予算は受信料と国の交付金からなり、交付金の割合は約15%で、監督官庁である総務省の要請に伴う放送の実施に当てられる。

 NHKの国際放送は、この交付金あるがゆえに、常に政府や財界の伝声管になる危険性がある。そうなると、嘗てのモスクワ放送や今の北京放送がそうであるように、時の政権の「宣伝」と受け取られてしまうばかりでなく、国際放送を運営するNHK自体の権力に対する姿勢をも疑われることになる。安倍政権が送り込んだ経営委員らによって新たにNHK会長に選ばれた人物が、国際放送の強化を唱えているが「国際放送は国内放送とは違う。領土問題については政府が右というのに左というわけにはいかない」と述べていることも気になる。政府の立場を伝えるのは当然としても、日本の国民の中には様々な意見があることも同時に伝えなければ、時の政権の「宣伝」にはなっても、国民の声とはならないからだ。

 NHKの国際放送(RADIO JAPAN,the overseas service of the Japan Broadcasting Corporation)は、戦前戦中の「海外放送」が侵略戦争のお先棒を担いだ「宣伝放送」であったことへの反省に立って,国連憲章や日本国憲法の平和・民主・人権の尊重を基本とすることを内外に声明し,1952年に「国際放送」として再開された。

 国際放送番組基準では前文で放送の目的について「諸外国のわが国に対する理解を深め、国際間の文化及び経済交流の発展に資し、ひいては国際親善と人類の福祉に貢献する…」となっている。また、報道番組については、1.ニュースは、事実を客観的の取り扱い、真実を伝える 2.解説、論調は、公正な批判と見解のもとに、我が国の立場を鮮明にする 3.わが国の世論を正しく反映するようにつとめる。とうたっている。上記の新会長の発言は、放送法は勿論この基準3にも違反するのではないか。

 国際放送基準はまことに結構なものだが、現場で働いた体験からすると事実はなかなかそのとおりにはいかないのである。これについて、国際局報道部時代の同僚で、亡き畏友北山節郎氏は、日本ジャーナリスト会議賞を受けた「戦時体制下の日本の海外放送」(田畑書店)で次のように述べている。「報道と宣伝を区別すること、それはジャーナリスムの今日の問題であり、宣伝そのものであった戦時中の報道から真に決別したかどうかを計る物差しだろう。だが、対外報道の仕事の本質は、日本という国家の「宣伝」であることは確かであり、その宿命から逃れることは出来ないのではないかと思うことがある。情報を伝達する「報道」と「宣伝」の差は紙一重だ。大事なことは、メディアが権力から独立して、情報の真実性と「多様性」を確保して伝えることだろう。多様な日本の姿を多様に伝えることにより、対外報道はかろうじて“宣伝”から抜け出ることが出来るのではないか」

 北山氏や私が国際局組合員の代表として日放労(NHK労組)の放送系列執行委員をつとめていた頃の国際局長は、NHKの監督官庁である郵政省電波管理局長の天下り指定席だった。労使交渉においても局側のお説教調が抜けず、自説を押し付けようとするので、私たちは,労働法規に基づき、労使対等の原則を守るよう厳しく要求した。上意下達を旨としてきたエリート官僚にとっては驚天動地のことであったに違いない。同時に私達は、放送内容については、放送法、国際番組基準を守り、国際連合憲章前文*とユネスコ憲章前文*の精神を尊重するよう要求した。

 その後、郵政官僚の天下りはなくなったが、最近では政権と密着した人物、とくに財界人の天下りが目につく。私は<アーカイブ2013−12−21(174)NHKはどこへいく>の中で、NHK経営委員長、会長がともに財界出身者であることに疑問を呈し、会長には放送メディアに関する十分な知識とジャーナリストとしての体験を持つ人物がふさわしいと書いた。。今回の籾井勝人会長(元三井物産副社長)の就任記者会見の記事を読むと、ジャーナリズムとは無縁な人物の天下りの弊害に対する私の心配が杞憂でないことをまざまざと思い知らされる。

 北山氏は別の著書「ピーストーク 日米電波戦争」の中で、BBCのインド向け放送の担当者であった作家のジョージ・オーウェルの日記を引用して、「宣伝放送というのは、嘘をついているのも同然である。何かハッキリした意図も持って放送しようとしても、『修正しろ』とか『放送を禁止しろ』とか、上からわけの分からぬ命令が降ってくる」と記し、オーウェルは絶望感を抱いて退職したと述べている。そして、後書きで北山氏は「上からわけの分からぬ命令が降ってくる時代は、放送への信頼が失われる時であろう。国際放送は未来においてオーウェルの悩みを繰り返してはならない」と警告している。

 NHKを去る前夜、なじみの居酒屋で北山氏としたたか飲んだ。熱血漢の彼は、酔いも手伝って、「もう少し、一緒に頑張ってもらいたかった」と言って涙を流した。もはやこの組織でやる気を失っていた私は「外で頑張るから」と言って別れた。私はこのブログを書くに当たって、時々彼の遺稿を読み返し「北山君ならどう書くだろうか」と自問自答している。

 ところで、最近知ったことだが、国際放送番組基準の改定について、共同通信は次のように伝えている。「国際連合憲章の精神を尊重し、自由と正義とを基調とする」を「編集にあたっては、人権を尊重し、自由と民主主義を基調とする」などが主な変更点で、2011年4月施行の放送法改正、国際放送強化にともなう変更。福地茂雄会長(元朝日ヒール会長)らが提案した執行部案通りという」国際連合憲章の精神を尊重するという1項は、なぜか削除されたのである。国連憲章こそが、国際放送の基盤であると考えてきた私にはショックであった。

 ごく最近、もうひとつへんなことがあった。一昨日(30日金曜日)の早朝のことだ。私は多分もう10年以上前から、6時43分になるとNHKラジオ第1放送のスイッチを入れ,寝ながら「ビズネス展望」という番組を聴いている。月曜から金曜まで、ベテランの経済学者や評論家が交代で、経済問題を中心に約10分間の「時事評論」をやっている。出勤前のサラリーマンや朝食準備中の主婦らになかなか好評だという。この日の朝スイッチを入れると、なじみの番組開始音楽が聞こえず、“皆さんからのお便り”をアナウンサーが延々と読んでいた。
”あれ、今日は土曜日だったか”と我が耳と頭を疑いながら目覚まし時計を見ると金曜日に間違いない。こんなことは初めてだったし、なんとなく嫌な予感がして、起きだしてネットで調べてみると、次のような時事通信の配信があった。

 「NHKラジオ第1放送の番組に出演予定だった中北徹教授(62)が”原発事故のリスクをゼロに出来るのは原発を止めること”などと話すことを事前に伝えたところ、担当ディレクターから“都知事選の期間中はやめて欲しい”と難色を示され、テーマの変更を求められたことが、同教授への取材で分かった。中北教授は同日朝の出演を拒否し、番組を降板した。

 中北教授によると、29日午後にシナリオを作成してディレクターに送付。原発の稼動コストが上昇し、石炭や石油による発電コストとの差が縮小している他、事故の発生確率を減らしても一件あたりの損害額が巨額になる点を経済学者の観点から話すと伝えた。これに対し、ディレクターは“有権者の投票行動に影響を与える”“(脱原発)は選挙が終ってから扱ってほしい”
などと答え、テーマの差し替えを求めたという。中北教授は”特定の立場に立っていない”と主張したが受け入れられなかったとしている。中北教授は”長年出演してきたが、こんなことを言われたのは初めてだ”と話している。

NHK広報部の話 意見が対立する問題を扱う場合、双方の意見を伝えるなど、公平性を確保するよう努めている。今回の番組ではそうした対応をとることが困難だったためテーマの変更を求めた。」

 そうなると、沖縄で選挙がある時は、「ビズネス展望」では基地に批判的な意見は述べてはならんということになるのか。日本には2000近い自治体があり、首長選挙や議会選挙が4年に一度あるとして、毎日3つくらいは選挙があり、規模が小さくなればなるほど有識者の意見は影響力を持つだろうから、この番組では事実上、自分の考えに基づいた意見は言えなくなる。まさに番組の自殺行為だ。

  NHK新会長は、就任会見で、判断はすべて放送法の基づいて行なうと述べた。しかし、この人物が自民党政権の意向に沿った放送法改正の歴史について知っているとは思われないし、現在の放送法についても良くわかっていないようだ。31日の衆議院予算委員会に招致された籾井氏は、放送法の解釈についての野党議員の追及にまともな答弁が出来ず、進退を問われる始末だった。こういう人物がどうして公共放送の編集責任者になるのか。しかも本人は、箍の緩んだNHKのボルトとナットを締めなおすために乗り込んだと公言しているのである。中江教授の件は、こういう恫喝にNHK幹部が自主規制して”わけの分からぬ命令“を現場に下ろした結果ではなかったのか。情けないことだが、現場が考えすぎて萎縮しているという報道もある。いずれにしても、北山君は草葉の陰で泣いているだろう。(M)

< 国際連合憲章前文 >

われら連合国の人民は、 われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、 基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、 正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、 一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、 並びに、このために、 寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、 国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、 共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、 すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、 これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することを決定した。 よって、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。(1945年6月26日)

< ユネスコ憲章前文 >
 この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。
 戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。 相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。 ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。 文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。 政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。
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