Archive for 4月, 2015

蟷螂の斧 ⑤ 私にとっての沖縄                

 日本がアメリカを盟主とする連合国軍に無条件降伏してから今年の8月で満70年になる。私は7月に86歳になるから、無条件降伏の時満16歳、旧制中学の4年生であった。私が沖縄を強く意識したのはその年の4月の初め、日本軍の沖縄守備隊が、上陸したアメリカ軍に対して最初の総攻撃をかけ、(後からわかったことだが)甚大な損害を出した直後の頃で、私達は、学年の初めとあって勤労動員の工場から学校へ呼び戻されて数日間の特別授業を受けていた。担任の教師が、戦局はますます急であり、お前らはお国のために滅私奉公しなければならない、軍関係の学校へは積極的に志願するようにというようなマンネリ調の話をしている時、となりの席からB-29が撒いた伝単(宣伝ビラ)が回ってきた。ビラには、「これは沖縄で捕虜になった日本兵です」という説明のついた数十人の集合写真と、列を作ってアメリカ兵から何かもらっている住民達の姿が写っていた。私の目は写真と説明文にくぎ付けになった。入学以来たたき込まれてきた軍人勅諭や「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓で凝り固まった頭ではとうてい理解できなかったのである。教師に見つかって散々ぶちのめされ「非国民として憲兵隊へ引き渡す」と脅された肉体的苦痛もさることながら、私の頭には、「これは本当に日本軍なのか、沖縄の人間は本当に日本人なのか。こいつらには大和魂はないのか」という疑問が渦巻いていた。中学校では学徒動員でほとんど学習の機会を与えられなかったから、それが私にとって沖縄との最初の出会いだったと思う。

 それから4か月で日本は無条件降伏し、アメリカ軍が進駐して来た。我々にとって絶対的な存在であり“蹶然立って米英を撃滅せよ”と命じた最高司令官の大元帥陛下が占領軍司令官のマッカーサーを訪ね、戦争遂行の最高責任者だった東条英機陸軍大将が拳銃自殺に失敗して進駐軍につかまるという醜態をさらし、東久邇宮内閣が”一億総ざんげ”という責任逃れの大号令をかけ、”尽忠報国″だ“突撃精神”だと生徒を煽った教師たちが一夜にして平和主義者に豹変するなど、“大和魂”を振りかざしていた大人たちの”腑抜け“ぶりをいやというほど見せつけられて”人間不信に陥り、秋田に逃避して、食い物だけは何とか保障された生活の中で、何で負けたのか、これからどうやって生きていけばよいのか思いまどった。自国の政府に欺かれ、敵国の宣伝ビラで真実を知ったという事実は、これからは自分の頭で考え、判断しなければまた騙されるということを教えてくれたが、何しろ中学校ではほとんど何も勉強していないので、もう少し勉強しなければ判断のしようもないと思って上京した。

 東京に帰って学費と食うためにアメリカ軍の水耕農場で通訳のまねごとをして働く中で、空腹でふらつく日本人労働者を蹴り上げるアメリカ兵達を見てみぬふりをし、野菜のpacking工場から連れ出される若い女性の悲鳴を聞こえないふりをして見過ごす自分も、全く同じ”腑抜け“だと思わざるをえなくなっていった。ようやく、伝単の中の日本兵捕虜や沖縄の人達の心の中の苦しみに気付いたのである。同時に、「いのち」を脅かすような「環境」を作りださないことが人間社会の根源であり、そのためには何をしなければならないかを考えるようになった。沖縄には「生命どう宝」という言葉があるという。そういう意味で沖縄は私にとって「いのち」を考える原点になったと言えるかもしれない。

  アメリカ占領軍による統治は、冷戦の激化と朝鮮戦争のおかげで、日本本土では意外に早く6年8か月で終わった。しかしこの時、サンフランシスコ平和条約によって、沖縄は本土から切り離され、異民族統治がさらに20年も続くことになった。早期講和は朝鮮戦争が誘因であったから、アメリカの狙いは平和条約ではなく、同時に調印された日米安保条約とそれに伴う行政協定(後の地位協定)であった。基地に関する詳細は国会の承認を必要としない行政協定に盛り込まれていたが、それは、アメリカ側の全権であったジョン・フォスター・ダレスが「アメリカが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保するのがアメリカの目標である」と考えていたからであった。( 戦後史の正体:孫崎亨 )そして、その最大の被害者が沖縄であったことは言うまでもない。

 学校教育の欠陥の故とは言いながら、戦時中沖縄についてあまりにも無知であった私は、戦後になって沖縄戦の真相が明らかになるにつれて、そのあまりの悲惨さに、再び心を揺さぶられ、自分なりに沖縄を知ろうとするようになっていった。そして、17世紀初頭の薩摩藩による琉球王国侵攻以来、明治政府による「琉球処分」、沖縄を本土決戦準備のための捨て石とした太平洋戦争、その沖縄を切り捨てたサンフランシスコ条約、密約による嘉手納基地での核兵器の貯蔵、復帰後も続く基地の押し付けと300年にわたって続いて来た本土による差別の歴史を知った。私が安全保障問題を記者としての柱にしようと考えたのには、沖縄の問題もあったと思う。 

今回、辺野古での海上滑走路の建設をめぐって、菅官房長官が沖縄県の反対を押し切って“粛々”と進めると述べたことについて、翁長知事が「上から目線のもの言いである」と批判した時、これは、沖縄を差別し、負担を押しつけてきた我々本土の人間が言うべきことであったと思った。その3日後に国会の場で、挑発的に「粛々と」と言ってのけた安倍首相の無神経ぶりには、いつものこととはいえ、激しい憤りを感ぜざるを得なかった。         

 安倍首相のこの挑発的なもの言いの背後には、本土の人間の間に、安全保障上の問題だから政府にまがせるべきだという考えが広く存在することがある。だが、本当に沖縄に基地を集中させ、海兵隊を常駐させることが必要なのか。ダレスが言ったように、アメリカにとって便利だということに過ぎないのではないか。沖縄では、辺野古を含むキャンプ・シュワブに軍港を作る計画があり、そのため米軍は辺野古の滑走路に固執するのだともいわれる。それは、100年をこえる沖縄の半永久的なfortress化に他ならない。 (沖縄読本 仲村清司 )元航空自衛官で民主党政権の防衛相をつとめた森本敏は、「沖縄のアメリカ海兵隊施設は日本の西半分のどこかであれば軍事的には問題ない」と述べていたという。(東大教授 高橋哲哉)
* 行政協定では、基地を施設と称している。

 日本の安全保障上、海兵隊基地が必要だと考える人達は、少なくとも沖縄基地の半分程度を西日本に移すよう主張すべきではないか。本来は保守派である翁長知事が、安倍首相との会談で「辺野古への押し付けは理不尽である」と述べたのは、沖縄に基地の74%を押しつけて恥じない本土の人間の身勝手への抗議でもあると私は感じた。厚木基地への米軍機の進入路の真下に35年間住んで、深夜や低空での飛行はしないという約束などはどこ吹く風と飛び回る米軍機の騒音にさらされて来た私には、沖縄の人達の心情がある程度はわかる。普天間が世界一危険な飛行場だから移転させるというなら、人口の密集する大都市のど真ん中にあって大惨事を招きかねない厚木基地はどうするつもりなのか。

 沖縄の基地問題に触れることは、アメリカの”虎の尾”を踏むことだという。たしかに、“虎の尾”を踏んで放り出された総理大臣がいた。それ故か、安倍政権の政策構想完全版と銘打った250ページに及ぶ「新しい国へー強い日本を取り戻すために」には、沖縄問題にはほとんど全く言及がない。忘れたわけではないだろう。前轍を踏まぬよう用心したためなのか。或いは、基地問題の現実から対米従属の姿が浮かび上がってくるのを恐れたのではないか。

 先日、公園へ散歩に行こうと川沿いの遊歩道を歩いていると、向こうから市議会への立候補者と運動員がゾロソロ歩いてきた。私は既に投票する候補者を決めているので、黙って通り抜けようとしたら候補者が握手を求めてきたので一応手を握ったら「市の発展のために全力投球するので是非よろしくお願いします」という。つい昔の癖が出て「それで、厚木基地はどうするの?」と訊ねてみた。「それは、国の政策の問題ですから」と逃げるので「沖縄では議員達が先頭に立って基地返還運動をやっているよね」と追い打ちをかけると、手を引っ込めて無言で去って行った。市のど真ん中に広大な面積を占め、空を爆音が覆うような状態では、市の発展などはありようがないだろう。

 独立国の中に外国軍隊とその基地が100年も存在することになりそうな異常な事態について、事なかれ主義の政治家達、選挙権を放棄し、おまかせ民主主義に身を委ねる多くの国民、これでは、「日本をアメリカの世界戦略の前進基地として、望むだけの期間、自由に使う」というジョン・フォスター・ダレスの呪縛は100年たっても解けけそうもない。(M)

(参考書類等)
* 戦後史の正体 : 孫崎亨  創元社
* 沖縄読本 : 下川祐治 仲村清司 著・編  講談社現代新書
* 沖縄「県外移設論を受け止める」 : 高橋哲哉 これからどうする 岩波書店
* 新しい国へ <強い日本を取り戻すために> : 安倍晋三  文春新書 
* 人間と国家 (上・下) : 坂本義和  岩波新書

私たちはたまたま自分の生まれ育った土地の言語と文化を身につけるので、他の文化に関する情報を手に入れなければ、それらについて知ることができません。その場合には自分の文化を相対化することができないので、自分の身につけた文化が絶対的なものと錯覚します。これはたいへん危険なことです。この世界で自分だけが正しく、他はすべて間違っていると考えるからです。そういう危険な状態にある人は、おそらく現在もこの地球上に沢山いるに違いありません。中東やアフリカ諸国には、そういう土地や国が至る所に存在するようです。実は日本も、昭和の初めから第2次世界大戦の終わりまでは、ほぼそういう状態でした。その頃の日本は、現在の日本にとって不可解な国、北朝鮮に似ていたかもしれません。筆者は15歳まで、そういう状況の中に生きることを余儀なくされていました。

筆者が生まれたのは1930年(昭和5年)でしたが、ちょうどそのとき、日本は戦争に向けてまっしぐらに突進していました。生まれた翌年1931年9月、柳条溝の満鉄爆破事件をきっかけに満州事変が勃発し、日本軍は満州を占領して満州国をつくりました。小学校に入学したのが1936年4月でしたが、その翌年の7月に日中戦争が始まり、日本は中国との全面戦争に入りました。そして小学校6年生の1941年12月、日本は中国のほかにアメリカ、イギリス、フランス、オランダなどの連合国との全面戦争に突入しました(注)。大戦はけっきょく4年後の1945年8月の敗戦まで続きました。そのとき筆者は15歳でした。つまり、筆者がこの世に生れて来てから15年間は戦争に次ぐ戦争で、平和というものの味を知らずに育っていたことになります。

小学校に入って開いた国語教科書の第1課は「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」でした。桜は今も日本のシンボルです。しかし戦時中のそれは今とは違っていました。それは、パッと咲いてパッと散るのが大和魂(やまとだましい)の原点だと徹底的に教育するための伏線だったのです。お国のために命を捨てる、いたずらに命を惜しまない——これが日本男子の生きる道だと、耳にタコができるほど教え込まれたものです。「お国のために」がやがて「天皇陛下のため」になりました。中学校では校門の脇に「御真影(ごしんえい)」なるものが設置され、登下校の際にそこを通るとき、それに向かって最敬礼をするように言われました。「御真影」とは、その中に天皇陛下のお写真が置かれている小さな社(やしろ)のようなものです。最敬礼を怠ると、見張っていた教師にとがめられました。運悪く厳しい見張りに見つかって、ぶんなぐられたという生徒もいました。

日本が戦争に負けて、そういう時代が遠い昔話になったことはほんとうに喜ばしいことです。しかし、そういう時代が再び来ないという保証はありません。歴史は私たちに、人間が戦争という野蛮で愚かな行為を繰り返してきたことを教えています。戦争を起こさないようにするために必要なのは、地球上のすべての人々が互いに尊重し合うという文化の教育が普遍的に行われることです。それはもちろん容易なことではありません。不可能だと考える人が多いかもしれません。しかしそういう教育が徹底して行われるまでは、地球上から一切の戦争が消え去る時代は決して来ないでしょう。それがどんなに難しいことであっても、その希望を将来につなげていくことのほかにどんな方法があるでしょうか。

文化の教育は、学校教育や社会教育などあらゆる機会をとらえてなされなければなりません。その中でもとりわけ重要なのは外国語教育です。他の言語と文化を学ぶことによってのみ、私たちはその言語と文化を身につけている人々と理解し合う可能性が高まるからです。その点で日本の学校で行われている外国語教育はきわめて貧弱です。問題はいくつかありますが、特に2つのことが改善される必要があります。1つは「外国語」の中身が「英語」に偏っていることです。制度上は英語以外の外国語も選択できることになっていますが、実際に教えられているのはほとんど英語です。これではいけません。2つめは現在の指導目標が「コミュニケーションのための英語」に偏っていることです。それは目標の一部にすぎません。伝える内容がなければ、いくら英語が使えても役には立ちません。コミュニケーションは伝達の手段であって目的ではないのです。外国語は内容のある文化の教育が大きな地位を占める必要があります。

ここで現行の外国語学習指導要領の問題点を指摘しておきます。現行のものとは違って、1977年改訂の学習指導要領では、異文化理解の教育に重点が置かれていました。そこに書かれていた外国語科の目標は次のようでした。

「外国語を理解し、外国語で表現する(基礎的な)能力を養うとともに、言語に対する感心を深め、外国語の人々の生活や物の見方などについて(基礎的な)理解を得させる。」<注:括弧内の語句は中学校の目標に加えられているもの>

この学習指導要領は、外国語教育の主要目標が外国語の理解能力・表現能力の養成だけではなく、それと同時に言語と文化の教育であることを明確に示しています。この目標は、それ以後のどの学習指導要領よりも、その点で優れたものです。

ところが次の1989年(平成元年)の改訂においては、「外国語で積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育てる」が目標の中に入れられました。さらに1998年の改訂では、「聞くことや話すことなどの実践的コミュニケーション能力(の基礎)を養う」が加えられ、その後の学習指導要領はそのラインを継承することになりました。こうして、コミュニケーション能力養成が英語教育の中心目標となり、言語と文化についての教育は残念ながら大きく後退してしまったのです。私たちはここでもう一度、外国語の学びにおける文化の重要性について再認識する必要があります。

(注)筆者よりも10歳ほど年上の大野 晋博士(国語学者、学習院大学名誉教授 1919−2008)は、1941年12月8日の太平洋戦争勃発時にラジオの大本営発表を聞き、その際に感じたことを次のように書き遺しています。

「明治時代以来、この小さい島国を唯一の完結した世界と信じて生きて来た日本人。ことに軍人は自分の国、自分の文化、自分の言語を相対的な存在として見るすべを知らなかった。国の内部で銃剣によって実現できたやり方を、そのまま世界に対しても貫くつもりなのが軍部だった。突っ走りはじめてしまったこの暗黒の塊りは坂道をころげて行くしかないと私は思った。」(大野晋『日本語と私』河出文庫138頁)

私たちはたまたま生まれ育った土地の言語と文化を身につけます。そしてそれを自然なものとして感じます。そういうわけで、自分と異なる言語や文化に接すると、どれも不自然で奇妙なものに感じます。放っておくと、それらに対する偏見を助長することになります。しかし少し考えてみると、それは無知による偏見であることが分かります。人は生まれたときには地球上のいかなる言語、いかなる文化をも習得することができる力が与えられており、たまたま生まれ落ちた土地の言語と文化を身につけるにすぎないのです。ですから、自分のものとは異なる言語や文化を知ることによって、人は己の言語や文化が絶対的なものではないことが分かります。

言語の相対性はすでに取り上げましたので、ここでは文化の問題に集中します。まず「文化」(culture)という用語を定義しておきましょう。しかしその定義は意外に難しく、万人が一致するようなものはないようです。辞書を見ても、文化の定義は辞書の数だけあります。そこで、ごく標準的と思われる定義を日本語と英語の辞書から一つずつ選び、その内容と記述の仕方を比較してみます。日本語の辞書からは『広辞苑』(第2版)を、英語の辞書からはLongman Dictionary of Contemporary English (LDCE) を選びます。

『広辞苑』:人間が学習によって社会から習得した生活の仕方の総称。衣食住を初め技術・学問・芸術・道徳・宗教など物心両面にわたる生活形成の様式と内容とを含む。

LDCE : the customs, beliefs, art, music, and all the other products of human thought made by a particular group of people at a particular time.(特定の時期の特定の人間集団によって作られた慣習、信念、芸術、音楽、その他すべての人間による思考の産物)

上の2つの定義は、いずれも「人間社会における物質的・精神的生活様式の総称」という内容では一致しています。しかし両者はまったく同じではありません。違うところを3点だけ指摘します。第1に、『広辞苑』では「社会」という、内容がやや漠然としている用語を使っているのに対して、LDCEでは「特定の時代の特定の人間集団」と限定しています。このことから、後者のほうが前者よりも、文化の多様性や相対性を明確に意識している定義であると言うことができます。文化を特定集団の産物とすることによって、この地球上には多数の異なる文化が存在することを含意しているからです。

第2に、『広辞苑』では文化を「人間が学習によって社会から習得したもの」としているのに対して、LDCEのほうは、「特定の時代の特定の人間集団によって作られた(る)もの」と書いています。これは大きな違いです。『広辞苑』の定義は、文化は人々によって習得されるものであるとしています。それは、文化が過去から現在に受け継がれてきた伝統の所産であることを含意します。これはいわば文化の静的な捉え方です。他方LDCEでは、文化が特定の時代の特定の人間集団によって作り出されたものであると定義することによって、それを動的に捉えています。したがって、それは今後も人々によって改変され、また新しく作り出されることを含意しています。これは未来志向の定義と言えます。

第3に、それぞれの定義に例として挙げられている語に注目します。『広辞苑』では「技術」、「学問」、「芸術」、「道徳」、「宗教」の5つが挙げられ、LDCEでは ‘customs’, ‘beliefs’, ‘art’, ‘music’ の4つが挙げられています。面白いのは、前者に挙げられている「道徳」と「宗教」が後者には欠けていることです。これはおそらく、日本ではこれらを特記すべき文化の様式・内容とみなすのに対して、英語ではそれらが ‘customs & beliefs’ の中に必然的に含まれるものと考えるのでしょう。わざわざ特記するほどのこともないということです。

また『広辞苑』に「技術」と「学問」が挙げられ、LDCE に ‘music’ が挙げられているのも興味深いことです。「音楽」は日本文化では「芸術」の1部門と見なされているのに対して、英語の ‘art’(または‘arts’)は、ギリシャ・ローマの時代からの流れで、「芸術」のほかに「技術」や「学問」をその中に含むことが常識となっているのです。なお「科学技術」に関連する文化は、西欧では ‘civilization’ という別の用語で区別することが多いようです。

上に挙げたものは、数多くの定義の中の2つの例にすぎません。「文化」という用語をひとつ定義するのにも、それぞれの人間集団に固有の文化によって微妙な違いがあります。世界にはほとんど無数と言ってよいほど多くの人間集団が存在し、それぞれが固有の文化を形成しています。そして近年のグローバル化した経済は、それぞれの人間集団が孤立して生きていくことを困難にしています。好むと好まざるとにかかわらず、人々は異なる人間集団に働きかけ、問題を出し合い、互いに話し合い、利益を分かち合う必要があります。その場合にはまず理解し合うことが必要ですが、それが簡単ではありません。たとい互いに通じ合うことのできる言語があるとしても、文化の違いのために、また、それぞれの文化によって育まれた偏見のために、互いに深く理解し合うことが容易ではないからです。

他の文化を知ることは楽しいことも沢山ありますが、そればかりではありません。時として、私たちは理解しがたい文化の壁をどう克服するかの問題に突き当たります。単に言語だけの問題ではありません。21世紀の今日において、人々の交流が盛んになるにつれ、自分たちと異なる人種に属する人々や、異なる文化の中に暮らす人々に違和感を持ったり、時に露骨な不快観や敵意を抱いたりする現象が普遍的に見られます。多くの場合、それらは国の政治と関係していて、解決をいっそう難しくします。しかし文化の学びを考える場合には、これは避けることのできない問題です。文化の異なる者どうしが互いに理解し合うためには、どのような条件設定が必要でしょうか。そのとき、私たちの学んでいる英語はどのように役に立つでしょうか。また役に立たないでしょうか。次回には私たちの英語の学びを、どのようにして文化の衝撃を和らげ、相互の理解を深めることに役立てるかについて考えてみます。

蟷螂の斧 ④ < 兵隊検査の思い出 >

 戦前の修身教科書の6年生の巻に、「国民の義務」という項目があり、第一は兵役、第二は納税、第三は議員の選挙となっていて、最も大切な義務である兵役については次のように述べている。

 「我が国民中、満17歳から満40歳(戦争末期は17歳から45歳)までの男子は、皆兵役に服する義務があります。満20歳(戦争末期は19歳)になると必ず徴兵検査を受け、体格の完全で強健なるものの中から、現役兵となって陸軍、海軍に入ります。もし国に一大事が起こった時は、現役にある者はもちろん、其の他の兵役に服する義務にある者も、召集に応じて出征します。かうして、兵役に服し国の防衛に当たるのは、我等国民の最も大切な義務であると共に、又大きな名誉であります。」

 敗戦の時、私は満16歳であったから、徴兵検査を受けたことはない。ただ、志願すれば14才から兵隊になれたので、どうせ戦争に行くなら将校にたりたいと思い、視力不足から主計将校を養成する陸軍経理学校を受けることにした。徴兵検査ではないが、兵隊になるための検査だからこれも一種の兵隊検査だろう。第一次試験である身体検査の会場は、我が中学に近い麻布の南山小学校であった。

 身体検査の重点項目は3つだったらしい。検査場では全員越中ふんどし一丁の姿だ。最初はいわゆるM検(マラ検査?)である。全裸になって軍医の前に足を広げて立つ。手の甲に口を当てて息を強く吹くと軍医が陰嚢を片手でギュッと握る。これは徴兵検査では性病のチェックだったようだが、16才で性病はないだろうから、脱腸の検査だった。たしかに、鉄砲かついで行軍中脱腸になったのでは、兵隊として使い物にならない。

 次は、痔の検査である。軍医に背中を向け、四つん這いになり、尻をたかくあげる。軍医が両方の尻をぐっと割り、肛門をのぞく。この検査の前に、ふんどし一丁で寒風吹きすさぶ校庭に1時間も立たされているので、痔のけのある者はみんな脱肛している。軍医が検査をしやすくするためらしい。

 痔も行軍の大敵だ。中学の数学の先生は痔もちだった。授業中に痛くなると教室の柱に尻を押しつけて我慢していた。戦争末期の根こそぎ動員では、30代半ばか40近いこの先生にも召集令状が来た。それから数か月後、先生は中国戦線で戦病死した。中学の軍事教練で行軍の訓練中、「落伍したら八路軍の便衣隊に殺されるぞ」と叱咤した教官の教えが現実になったのだと思った。先生は母の知り合いだったので報告すると「あの三郎さんが」と言って涙を流した。

 最後は視力検査だ。わざと薄暗くした教室の壁に越中ふんどしが垂れ下げてある。これを持ち上げると視力検査表が現れる。合格基準は裸眼視力0.3以上だったと思う。夜中に月を眺めたりしてなんとか基準をクリアできるだろうと思っていたのだが、部屋が薄暗かったため、0.1がやっとというわけで不合格となった。確かに、視力が弱いと日本軍が得意とした夜襲などでは後れを取るだろうし、メガネをかけていたら雨中や泥濘の中での戦闘、渡河作戦などには足手まといだから、教室を暗くしていたのは納得できた。同級生の一人が合格して軍服姿でやってきた時には、やれやれコイツに殴られることになるのかと落ち込んだが、そのうち戦争が終わってしまった。

 どうしてこんな野蛮な検査をしたのか。それは、絶対服従という軍隊生活の最初の通過儀礼であったからではないかと思う。そしてこれは、野間宏の「真空地帯」や五味川純平の「人間の条件」に描かれたような常軌を逸した暴力が支配する初年兵の内務班生活に引き継がれていった。たしかに、いちいち命令に疑問を呈したり、反論していたら戦争にならないから、命令には絶対服従が必要なのだろう。軍人勅諭には「上官の命令は朕の命令と心得よ」とあるから、抗命は大罪となった。自衛隊法でも命令服従の義務をさだめている。軍隊とは典型的な縦社会であり、横のつながりによって成り立つ民主主義社会とは相いれない存在であると私は思う。だから、この国に軍隊がないことを、私はずっと誇りに思ってきた。

 ところで、人口減少が進む日本で、ひとつのエポックとなる2018年問題というのがある。2018年頃から18歳人口が減り始め、大学や予備校などの存立が脅かされるというものだが、18歳から志願できる自衛隊についても同じではないかと思う。ゲームやPC,スマホなどの影響で、高校生の6割が近視だというから、隊員の確保は大学や予備校以上に難しくなり、22万人体制の維持は困難になるのではないか。

 そうなるとやがて、徴兵制度が検討の対象になってくる可能性がないとは言えない。徴兵制度は憲法18条の苦役からの自由によって禁止されていると安倍首相は言うが、その憲法を改正しやすることに情熱を燃やしている人物の言うことだから注意を要する。自民党の改憲草案にも、現行憲法と同じ18条の条文があるが、兵役が奴隷的拘束なのか、自己の意思に反した苦役なのかは、解釈次第でどうにでもなるのではないか。冒頭に掲げた修身教科書のような視点に立てば、兵役は奴隷的拘束でも、意に反した苦役でもなく、誇るべき義務となり、兵隊検査に合格して初めて一人前の男として認められることとなる。

 最近、文芸春秋誌に、「日本に平和のための徴兵制を」という提言が載った。筆者は女性の国際政治研究者である。「日本を戦争が出来る国にしたくないのであれば、本質的には戦争の血のコストを平等に負担する徴兵制を導入して、国民の平和主義を強化するしかない。・・・老壮青を問わず、富めるものも貧しい者も、また男女の別なく徴兵制を施行してコスト認識を変えさせることが、平和のための徴兵制である。徴兵制は兵舎での国民教育や軍人精神共有の場ではなく、戦時には無作為に動員されるものとしての現実味がなければならない。結果として、それはナショナリズムを煽るものではなく抑制するものになるはずだ」という要旨で「戦争するかどうかを政治家や軍人に決めさせるのではなく、国民が決めるためには、これしかないという論法である。

 だが、女性の戦闘要員を含む国民皆兵のイスラエルが4度にわたる中東戦争を戦い、現在もパレスチナのハマスと激烈な戦闘をくり返している事実を見れば、単純に国民皆兵が平和のために役立つとは言えないだろう。それに、“戦争の血のコスト”を国民が平等に負担できるとも私には思えない 核戦争はともかく、在来兵器による戦争は最後は地上戦で決着がつく。要するに銃を持って敵陣に突入するのだ。そのためには、体力や膂力が必須の条件だ。つまり、精兵を選ぶために戦前の兵隊検査、徴兵検査は必要であったのである。そして、これに参戦する兵隊たちが最大の”血のコスト”を払うのは今も昔も変わりはない。ブッシュJr.大統領の誤った判断でイラクに送られ戦死した4,500人の米兵の多くは、各種の特典に誘われて入隊したいわゆる”経済徴兵“の若者達であったという。第31代大統領ハーバート・フーバーの“ Older men declare war, but it is youth that must fight and die. “ という言葉を噛みしめるべきだろう。

「平和のための国民皆兵」などと言うのは、権威主義と暴力が支配する戦時体制の中で生きたことのある私には”たわ言“としか思えないが、国会で徴兵制度について質疑が行われ、この国の代表的な総合月刊誌がこのような提言を掲載するようになってきた社会の風潮に、私は危惧を感ぜざるをえない。保身のためすぐに”右へ習え“をして恥じないマス・メディアとそこで働く人たち、それを巧みに利用して“粛々と”異論を押しつぶしていく権力、これを裏から支える金力、三位一体となってつくりあげた富国強兵への挙国一致体制の下で、日本は日清戦争以来ほぼ10年ごとに外敵を作り戦争をして来た。そして迎えた悲惨な破滅から70年、安倍政権になってからの流れを見ていると、この国はまた同じ体制で同じ道を歩もうとしているように私には思える。

 明日は自民党、安倍政権が権力基盤の総仕上げと位置付ける来年の参議院選挙の前哨戦となる「統一地方選挙」の投票日である。どれだけの蟷螂が五分の魂を見せるのか。(M)

< 参考書類など >

* 日本に平和のための徴兵制を 三浦瑠麗 * 文芸春秋 2014年特集 秋 新戦争論

先日公表された高校3年生対象の英語力調査結果は、近年進めてきた文科省の「コミュニケーション能力の育成」という教育方針が効果をあげていないことを明らかにしました。そこで筆者は、前回の<番外>投稿において、文科省は英語教育に関する従来の方針を転換すべきであると提言しました。すなわち、これまでの「コミュニケーション能力育成」一本槍の目標ではなく、もっと多様な学習目的に対応することのできる、柔軟な施策に転換する必要があるということです。筆者のこの提案に対しては、幾人かの方々から賛同の意を表するコメントをいただきました。

学習者の多様な目的に対応することのできる指導方策の一つとして、筆者はこれまで、「さまざまな学びの価値に気づかせる教育」を提言してきました。それは、学習者が英語の学びの途上で気づく学びの価値に注目します。すなわち、学習者は次々に新しい価値に気づくことによって学びの楽しさを体験し、そうしながら、外国語の習熟という長期にわたる学びを継続していく態勢を自己のうちに作り上げていくのです。前回は、英語という言語を学ぶ経験の中で、「言語の相対性についての気づき」を得ることの重要性、すなわち、それによって生徒たちが自己空間を拡大していくことの重要性ついて述べました。

今回は、言語と深く関連している文化の学びを考えてみます。言語と文化が密接に関連していることについては、人々はそれを当然のこととして理解していると思われます。日本語は日本文化と切り離しては考えられません。「ぼくはウナギだ。」という文を理解するには、日本の文化を知る必要があります。日本語を学ぶことは、すなわち日本文化を学ぶことでもあります。英語は、英米の文化と切り離しては考えられません。Easter というのは「復活祭」のことだと知ったところで、それが何であるかを知らなければ意味がないでしょう(注1)。もっともHalloweenは、最近、日本でも「ハロウィーン」と呼んで、子どもたちが何かをして楽しむ日になっているようです。しかしその由来を知っている人は少ないのではないでしょうか(注2)

このように英語を学ぶことは、イギリスやアメリカなどの英語文化を学ぶことでもあります。以前はそのように考えられていました。ところが20世紀の終り頃から、私たちの英語教育は英語をコミュニケーションの単なる手段とみなし、英語という言語を、それが成り立っている文化から切り離そうとする傾向が強くなりました。その理由は、英語はもはやイギリスやアメリカなどの特定の国で使われるローカルな言語ではなくて、世界中の国々において使用されるリンガフランカになったからだというのです。たしかに、日本人が英語を使う相手も英米人やオーストラリア人やカナダ人だけではなく、フィリピン人やインドネシア人やインド人であるかもしれず、その人々とのコミュニケーションも必然的に英語になるというわけです。

実際に、英語は他のどの言語よりも、世界の多くの地域で通用する言語です。そのため世界のリンガフランカ(意思伝達のための共通語)の役目を果たしていると言えないことはありません。しかしそういう使用目的の言語であれば、英語でなくてもよいのではないでしょうか。たとえばエスペラント(Esperanto)のような人工的に創案された言語でもよいはずです。あるいは、もっと数学的に記号化されたコンピュータ言語のようなものでもよいかもしれません。しかし、それらの言語が英語に取って替わることはないと思われます。なぜなら、そのような人工的な言語には人間らしさが失われてしまうからです。「人間らしさ」とはすなわち「文化」です。実際に、エスペラントが当初予想されたほどには普及しなかったのも、そのような理由からでした。人間は文化的な匂いのする言語を好むのです。

文化は、私たちの使う言葉に人間らしさの味付けをする役目をしています。自然に生育したリンゴはいかにも美味しそうに見えます。事実、食べてみて美味しい。しかし人工的に作られたプラスチック製のリンゴをかじりたいとは誰も思わないでしょう。人々の使う言葉には、それぞれ特有の文化的な味わいがあります。言葉を学ぶときには、自国語の学びも含めて、人々の使う言葉の味わいを感得するのはこの上なく楽しいことです。英語を学ぶのならば、文化を抜きにして学ぶことは賢明ではありません。学びの重点が「コミュニケーション能力の育成」に置かれることはあっても、そこに含まれる文化の学びをも尊重すべきです。もし英語の学びから文化が完全に取り除かれるとしたら、学ぶ生徒たちは、英語を学ぶ重要な価値の一つである文化的気づきを経験できないことになります。そのような英語の学びを筆者は想像することもできません。

そこで次回には、英語の学びの途上で生徒たちが気づくであろう「文化の相対性」の内容について述べる予定です。

(注1)Easter はイエス・キリストの復活を記念するキリスト教最大の祝日です。その由来は新約聖書の四つの福音書(マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝)に記載されています。毎年3月21日以降の満月の次の日曜日(満月が日曜日の場合はその次の日曜日)で、その日をEaster Day またはEaster Sunday と言います。今年(2015)は4月5日がその日に当たります。キリスト教でEaster を祝わない教派はないようですが、Easter の呼び名は異教徒の祭りから来ているという理由で、Easter とは言わずに、単にthe Resurrection (復活祭)と言う教派もあります。なお、キリスト教のもう一つの大きな祝日である12月のクリスマスについては、聖書に根拠がないという理由で、特にお祝いをしないキリスト教の教派もあります

(注2)Halloween というのは「諸聖人の日」(All Saints’ Day)の前夜祭のことで、10月31日に行われます。Allhallows Eve とも呼ばれます。これはスコットランドで始まり、その後アメリカ大陸へのスコットランド移民の間で行われていましたが、近年になってアメリカを中心に日本などにも広がっています。子どもたちがjack-o’-lantern(かぼちゃのちょうちん)を作って遊ぶなどすることで知られています。この祭りの由来はたいへん古く、古代ケルト人が1年の終りに行った催し(魔女の宴会が開かれるという)から来ているようです。