Archive for 8月, 2016

Author: 松山 薫

< 統計数字の裏にみえるもの ⑩ 幸せの指数 >

1.1人当たりGDP (2015 ドル換算:名目)

 1.ルクセンブルグ(101994)2.スイス(80675)3.カタール(76576)4.ノル     ウェー (74822) 5.マカオ(69309) 6.アメリカ(55805) 7.シンガポー   ル(52887) 8.デンマーク(52114)9.アイルランド(51350) 10.オース   トラリア(50961) 14.イギリス(43700)20.ドイツ(40996) 22.フランス   83675) 26.日本 (32485) 30.韓国 (27195) 75.中国 (7989)     188.スーダン (220)

  * GDPには不確実な要素が含まれている上、PPP計算の過程で最貧国      のGDP値に大きな差異が出てくるという指摘もある。

2.人間開発指数 ( human development index‐HDI 2015 )

  1.ノルウェー 2.オーストラリア 3.スイス 4.ドイツ 5.オランダ 6.ア  メリカ 7.ニュージーランド 8.カナダ 9.シンガポール 10.デンマーク   17.日本
  
  国内の不平等などを加味したIHDI(inequality-adjusted human        development index)では、1 位から5以下では変わらず、イギリスは16位、フランス18位、日本19位で、アメリカは25位となっている。

* HDIは、GDPが人々の幸福度とは直接関係のない経済指標であることから、環境汚染対策費や軍事費などを差し引いた指標を創ろうという研究の中で作成されるようになった。  

3.国連世界幸福度報告(2016)

  1.デンマーク 2.スイス 3.アイスランド 4.ノルウェー 5.フィンランド
  6.カナダ 7.オランダ 8.ニュージーランド 9.オーストラリア 10.ス    ウェーデン  22.シンガポール 29.ウルグアイ 33.タイ 35.台湾     53.日本 58.韓国 83.中国 84. ブータン

  * 国連幸福度は、ⅰ.1人当たりGDP ⅱ.社会的な支援 ⅲ.健康寿命 ⅳ.社会的自由―人生の選択肢の幅  ⅴ.寛容さ  Ⅵ.汚職の少なさ を指数化したもので、総合ランキングが毎年3月20日の「国連幸福の日( the International Day of Happiness)」に発表される。
  * 日本は、米・ミシガン大学の「世界価値観調査」では43位、英・レスター大学の “ the World Map of Happiness ” では90位にランクされている。( 人口減少社会という希望 広井良典 )

GDP世界3位の経済大国で、1人当たりGDPでも26位の日本が、幸福度指数では53位とか90位まで落下するのは何故なのか。 一方、GDP世界77位、1人当たりGDPが日本のちょうど半分で48位(15748ドル)の南米ウルグアイが、幸福度では29位と、はるかに日本を引き離して上位を占めているのは何故なのか。

国連の幸福度指数を構成する6項目のうち、3.健康寿命では日本は世界のトップクラスにあり、1人当たりGDPでも上位にある。だから、幸福度が急降下する原因は 2.社会的な支援 4.人生における選択肢の幅 5.寛容さ それに6.汚職の多さ にあることになる。私には思い当たることが多々あり、このシリーズでそれを指摘してきた。

“世界で最も貧しい大統領”と呼ばれたウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領は、今年来日するに当たり「日本の人々は人として達成感を得ているのだろうか。人生は短いし、スーパーで多くの物は買うことはできても、人生における時間は買えないのだ」と述べて、「日本人は幸せなのか」と問いかけ、「成長を求めるな。幸せを求めよ」と助言している。長いゲリラ闘争と投獄の中で苦悩の末「暴力では社会は変わらない。社会を変えるものは、人々の意識だ」と悟り、大統領に選ばれた人の言葉は重い。ムヒカ前大統領は今、元上院議員の夫人と共に、農村に住んで薔薇の栽培にいそしんでいるという。日本人に経済成長至上主義とは別のパラダイムを目指してベクトルを変える勇気があるのかどうかを問うているのだ。
* ベクトル : ものやこころが動いていく方向  パラダイム : ある時代に支配的なものの見方、考え方

国連の幸福度指数では84位(1人当たりGDP 128位 2848ドル)のブータンは「幸せの国」と呼ばれることがある。そのブータンでは、今、国民総幸福量 GNH(gross national happiness)という概念の整理が行われているという。

GNHでは、(個人の幸せではなく)「社会的幸福」が経済社会発展の(優先的)究極的目的であり、それは,基本的必要(衣食住、安全な水、教育、人間の安全と尊厳)の充足によって支えられ、次の四つの開発の実現によって達成されるとしている。

ⅰ.環境保全・文化の保護と振興・持続可能で公正な社会経済発展・良い統治
ⅱ.現代および将来世代の持続可能性を保障する自然、社会、人間、経済諸    資源の責任ある利用
ⅲ.人間の歴史的経験・智慧・現代技術を用いて練り上げる幸福の技術 
ⅳ.生態系の多様性、コミュニティの活力、ワークライフバランス、心理的によい  良い生き方を基盤とする公正で持続可能な社会の実現 
  * GNHの説明は、伊東光晴著 「脱成長への構想 人口減少下の経済」      による。

ブータンの目指す方向には異論はないが、方法論には問題があるように思う。今年ブータンを訪れた女優の鶴田真由は、道行く人たちが皆な「自分たちは幸せだ」と話していたと語り、「幸せは自分の心の中にある」と気づかされたと述べているが、私には、何となく違和感がある。

私は、それぞれに異なる個性の個人、個人の幸せの積み重ねが社会全体の幸福につながっていくと考えている。ブータンが目指す国造りの指針と、私が目ざす「自由・公正・人権」を尊重する「人権大国」とは、何処が同じで、何処が違うのかは私自身まだ整理できていない。私の違和感は、戦前・戦中に画一的全体主義とそれを正当化する精神主義の教育を徹底的にすりこまれ、戦後はそれに反発して西欧的pragmaticな教養を身につけようと努めたアジア人である私の中の個人と社会あるいは国家についての相克する思いを反映しているのかもしれない。
* pragmaticな考え方 : 多様な価値観を認める多元主義、人間は間違うという可謬主義、そして、知識や思想は問題解決の道具であるとする考え方

ところで、「一億総活躍時代」を標榜する安倍政権は、このところ求人倍率が高水準で推移していることをplay upしているが、内実はどうなのか。日曜日の朝には新聞に折り込みの求人広告が沢山入ってくる。7月17日(日)の朝刊には7枚の求人広告が入っていた。これらの広告には約200の企業が出稿しており、このうち、高度の資格を要する医師、看護師、レントゲン技師などを除く求人は174社あったが、そ内容はいわゆる単純労働であり、上位3位の搬送・送迎のドライバー38件、介護補助28件、警備・清掃22件で合計88件、全体のおよそ半数を占めていた。 時給は神奈川県の最低賃金である905円から1000円程度、一日8時間週20日働いて月16万円、月給の場合も18万~20万程度である。その多くは非正規雇用であるが、内閣府の「幸福度調査」にると、非正規労働者で「現在は幸せ」と思っている人は、男性で5人に1人、女性で4人に1人しかいない。そのうえ、車の自動運転は既に実用の段階に入ろうとしておりこれらの職種は遠くない将来ロボットに置き換えられ可能性が高い。2025年問題と言うらしい。アメリカでは労働人口の60%に当たる1億人が職を失うという説もある。日本に当てはめると4000万人である。”一億総活躍“とは裏腹に、今でさえ食うや食わずの賃金で単純労働に黙々と従事しているいわば底辺の労働者の「暮らし」が根本的に成り立たなくなる日が来るかもしれない。

幸せであるために何よりも大切なものは、一人一人の「いのち」であり、「いのち」を支える「暮らし」である。「いのち」を鴻毛の軽さに比した戦前・戦中を紙一重の差で生き残り、敗戦そして戦後の荒廃と復興の時代を生きてきた私は、平和こそが「いのち」と「暮らし」を支える不可欠の基盤であると確信している。平和こそ、人権の基本であり、国連の唱える「人間の安全保障」の基盤なのである。だから人権の基本である「いのち」と「暮らし」を阻害するものと勇気をもって戦うことも必要になる。私と同じ年ごろに戦中・戦後を生きた国際政治学者の坂本義和・元東大教授は、一昨年亡くなる直前の最後の論文で「平和とは決して平穏な状態を意味するのではなく、「いのち」を生かすための、絶えざるたたかいのプロセスに他ならない」と言い遺こしている。

戦後の七十余年、平和な時代が私の「いのち」と「暮らし」を守ってくれたことに感謝し、今後も末永く平和のうちに、より多くの国民が、より高い幸せ指数のもとで生きられることを願って、このシリーズを終わりたい。

* 「人間の安全保障」は、「欠乏からの自由」「恐怖からの自由」「尊厳ある人   間生活」によって成り立つとされる。
* 「いのち」を生かす、たたかいの研究( 坂本義和 世界 2014年3月号 ) (M)

* 次回は、<統計数字の裏に見えるもの>のシリーズを終わるにあたっての< あとがき 「私の生きたかった社会」 >を9月24日(土)に投稿する予定です。

文科省は2020年度から小・中・高の順に実施する学習指導要領の改訂を今年度中に行うことにしています。8月1日、「中央教育審議会」が審議まとめ案を公表したことで、その改訂の概要が分かってきました。文科省はこれを基にこれから学習指導要領の作成作業に入るのでしょうが、さっそくいくつかの問題点が浮かび上がっています。特に小学校英語教育に関して、慎重に考えなくてはならない問題がいくつも出ています。

まず中教審のまとめ案の概要を記します。その一つは、現在小学校5,6年生で行われている「外国語活動」が「外国語科」という教科に格上げされ、時間数が毎週1コマから2コマ(45分×2)に増えます。そしてその内容も、現在の「聞く・話す」中心の活動から、「読む・書く」の領域も加えて、中学校で行われているような四技能育成の指導に変わります。それに伴って授業では検定教科書が使用されることになります。それと同時に、英語教育は小学校3年から始まります。すなわち、小学校3,4年で毎週1コマ(年間35コマ)の「外国語活動」が行われ、そこで現在の5,6年と同じような「聞く・話す」活動を中心とした指導が行われます。つまり、小学校3、4年で英語を聞いたり話したりすることに慣れさせて、5年生から本格的な教科としての英語を学ばせようというのです。

小学校英語教育に関する以上の概要を耳にして、小学生の子どもを持つ親たちは、いよいよ小学校で本格的な英語教育が始まるらしい、これからの世の中で英語はますます必要になるのだから、これは非常に良いことだ、と好意的に受け取るのではないかと思われます。文科省も、人々のそのような意向をバックに、このような大胆な小学校教育の改革を進めようとしているのでしょう。しかし英語教育の専門家の立場から眺めると、ここで気になることがいくつも出てきます。以下に最も重要と思われる問題点を三つにしぼって指摘します。

第一に、小学校5,6年で英語を必修教科とすることに関連する問題です。英語を現行の「外国語活動」として教えるのと、「教科」として教えるのとではまったく違います。当然のことですが、「教科」として教えるためには教師は専門家でなければなりません。現行のように、「学級担任の教師又は外国語活動を担当する教師」では絶対にダメです。小学校だから教科の専門家でなくてもよいという言い訳は許されません。子どもたちにとっては、英語を教科として学ぶことは、彼らのその後の人生に決定的とも言える大きな影響を及ぼす可能性があります。十歳前後の子どもの脳はまだ柔軟ですから、もしここで失敗したら、それを取り返すことが難しくなるかもしれないのです。ここでは最善の教育がなされなければなりません。その教育を保障するために、英語は熟練した専門家が担当する必要があるのです。

これまでの我が国の長い英語教育の経験から、入門期の指導は最も重要であり、また教師にとっても非常に熟練を要するものだということで、すべての英語教育専門家の意見は一致しています。これに関しての説得力のある反論を筆者は見たことがありません。現在の中学校における英語教育の最大の問題点もここにあります。入門期指導を適切に行うためには、充分な見識と技能を備え、できことなら豊かな経験を持つ教員を確保することが必要なのですが、それがさまざまな制約から困難であることが、現在の中学校英語の最大の問題点なのです。中学校で解決できていない問題が小学校で解決できるのでしょうか。ほんとうに文科省は有効な解決策を持っているのでしょうか。

第二に解決すべき問題は、小学校と中学校の英語教育を一体化する問題です。これまでにも、小学校に「外国語活動」が導入されることになったとき、小・中の連携ということが議論されました。小学校で英語を学んだ子どもたちが、その学びを中学校の学びにスムーズにつなげるために、小学校と中学校とが充分な連携を行うことが必要だからです。しかし現実には、その連携がなかなか難しい。最大の理由は、小学校と中学校とが一体化していないからです。一般に、中学校に入学してくる生徒集団は複数の異なる小学校の出身者で構成されます。したがって、生徒が受けてきた「外国語活動」の内容は、小学校によってかなり異なっています。そこで中学1年生を担当する教員は、それらの異なる英語学習経験を調整することからスタートすることになります。しかしこれまでの小学校の「外国語活動」は「聞く・話す」に集中し、原則として「読む・書く」を扱わないことになっていましたので、中学校に入学してきた生徒たちの英語経験を調整することは比較的に容易でした。

しかしながら、小学校5,6年で英語を「教科」として学んできた生徒たちはこれまでとは違います。英語を「読む・書く」を含めて毎週2コマの英語指導を2年間受けてきているのです。従来の中学1年の授業を受けるのとほぼ等しい学習経験を持っているものと考えられます。この状況では、従来の小・中の連携では済みません。子どもたちの小学校での英語の学びを中学校のそれにスムーズにつなげるためには、これまでの「連携」をさらに一歩進めて、「一体化」にまで進化させる必要があります。しかし、そういうことが実際に可能なのでしょうか。先に指摘した問題点―小学校英語は英語教育の専門家が担当する―が理想的な形で実現した場合はともかく、そうでない場合には、中学校入門期の指導は混乱を極めることになると予想されます。そうなってしまったら(現状のままではそうなる確率大です)、もう取り返しがつかなくなるでしょう。

第三に解決すべき問題は、新聞報道でも取り上げられているように、小学校における「外国語」の指導時間を確保することです。これが新たに加えられると、3年生以降で年間35コマ分ずつ授業が増えることになります。すると小学校では、これまで限界とされている週28コマ(年間980コマ)を超えます。増える時間数をどう確保するかは、文科省は例によって、学校と教育委員会に委ねると言っています。学校はおそらく土曜日を使うか、夏休みを短縮するかしかないでしょう。こうして文科省は、現在にも増して、小学校を忙しくしようとしています。学校を忙しくすれば、教師も子どもも心の余裕を失います。そうなると、教育現場はかつてのゆとりのない荒れた教室に逆戻りすることになりかねません。そこまでの危険を冒して小学生に英語を教えることが、ほんとうに必要なのでしょうか。

小学校における英語教育を成功させるためには、実施に伴う上の諸問題を解決する確かな見通しを持つ必要があります。それができないと分かれば、文科省は勇気を持って実施を見送る決断をすべきです。見切り発車の小学校英語教育は、日本の小学校教育を破滅に導き、ひいては日本の教育システム全体を劣化させる導火線になることは明らかです。

日本の学校制度では、大学は英語の学びの最終段階です。もちろん英語の学びは各人の必要に応じて生涯にわって継続するものです。しかし多くの人々にとって、フォーマルな形の英語の学びは大学が最後になります。ここでどんな英語の学びをするかで、人々のその後の人生における英語の関わり方が違ってきます。

まず目的を持って大学で英語を学ぶ人たちは、その後も英語と深く関わりを持ち続けることでしょう。グローバルな世界を相手にする企業家や外交官、政治家、ジャーナリスト、また国際的な繋がりを持つ研究者、英語の教師、翻訳家、通訳者など、英語力を生かすことのできる仕事はいろいろとあります。また、大学では外国語は英語とは限りません。今日の世界は英語が優勢とはいえ、英語だけで世界を渡り歩くことはできません。当然、英語のほかに他の外国語を学ぶ人もいるでしょう。また、そうあるべきです。概して、今日の日本の大学は英語に偏りすぎています。もっと多くの人が英語以外の外国語を学ぶべきではないでしょうか。また高校で英語が嫌いになった人が、いつまでも英語にしがみついている必要はありません。

逆に、大学で英語を学ぶことにあまり興味を持たない人もあるでしょう。中には、そのまま卒業後には英語と縁が切れてしまう人もあるかもしれません。その人たちはおそらく、大学生活の中で集中しなければならない他の事柄に心が捕われてしまって、英語を学ぶ時間を見出すことが難しいのでしょう。それはそれでよいのではないかと思います。先年ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士は、ご自身で「英語はぜんぜんダメだ」と言われていました。それでも世界一流の科学者であることが認められたのです。少なくとも科学の分野では、英語ができることが一流になれる条件ではないようです。日本語だけで、現代科学の最先端の研究が可能なのです。これは現代日本語が、英語に劣らず、科学的思考と記述に有用な言語であることを証明しています。

他方、大学生の大多数はその中間くらいのところで、とくに英語に興味があるわけではなく、卒業に必要な単位を取るだけ勉強し、卒業後も普段は日本語だけで不自由を感じることなく、何かのときに英語を使用する機会が生じるという生活を送ることでしょう。仕事や観光のために海外に出かけるとか、外国から来た人と交流するとか、これからの世の中では誰にでも普通に起こりそうなことです。その時に学校で学んだ英語が役に立つかどうかで、人々は各自が経験した英語学習を評価します。英語はずいぶんやったのにちっとも使えるようにならなかったなど、英語教育に対する評価は概して否定的になりがちです。しかしその場合に、たとえ完全な再学習が必要だと感じる人でも、ゼロからスタートする必要はない(中学校の教科書くらいは分かる)はずで、苦労しながらも既習の英語知識を動員して何とか切り抜けることができるのではないでしょうか。自力で再学習をすることができる能力があるならば、その人の学生時代の英語学習は必ずしも失敗ではなかったと言えます。

最近は日本の大学も変わりつつあります。先日の新聞に(朝日新聞7月26日、27日版)国公立大学の広告特集が二日にわたって掲載されました。そこには東大、京大をはじめ、十数の大学がそれぞれ新聞1ページを使って自己宣伝をしていました。これを読めば現代の大学がどんな教育改革を目指しているのか、特に外国語教育についてどんなヴィジョンを持っているかが分かるだろうと期待して目を通しました。筆者が注目した記事を以下に挙げます。

やはりグローバル時代の要請を受けて、英語教育や外国語教育に力を入れている(入れようとしている)大学が多いと感じます。たとえば東京海洋大学では、来年度から「海洋科学部」を「海洋生命科学部」と「海洋資源環境学部」に改変し、そこではTOEIC 600点を4年次の進級要件とするそうです。神田副学長は「海洋関係者にとって、英語の習得は必須。海洋にまつわる専門的な英語教育はもちろん、外国人教員による英語での専門科目の講義、海外インターンシップなどを実施します。」と語っています。来年からこれらの学部では、英語嫌いの入学者は実質的に排除されることになりそうです。

東京工業大学は以前から文系科目の履修や外国語の知識と教養を重んじていることで知られていますが、ここも国際社会に対応すべく、2019年度までに大学院の専門科目はほぼすべての講義を英語化する予定だそうです。「大学院では英語を母語とする外国人教員による講義を増やしたので、学生は英語での講義に慣れてほしいと考えています。」と三島学長は入学式の英語の式辞で述べました。東工大の学生は学部の4年間でみっちりと準備をしさえさすれば、大学院での英語の授業を受けるだけの力をつけることが可能なのでしょう。

都留文科大学は教員養成を中心とした単科大学です。福田学長の話では、来年4月にはバイリンガル授業を行い、デンマークなどの北欧を中心に学生全員を留学させる国際教育学科を新設するそうです。文科省の審査に合格すると、国際的な教育プログラム「国際バカロレア」(注)に対応した教員養成機関として、学部として日本で始めて認定されるうちの一校になります。「国際バカロレア」は最近日本でも注目されているものですが、それを大学教育カリキュラムの中に大胆に組み入れる試みが注目されます。これが成功するためには大学側の努力も必要ですが、高校でも生徒の英語学習への方向づけがしっかりとなされる必要があるように思われます。

以上のような英語一辺倒の中にあって、東京大学の「トライリンガル・プログラム(TLP)」が注目を惹きます。これは「グローバルリーダー育成プログラム」の一環として2013年度に教養学部に発足したもので、グローバル社会においては高度な英語力は必須だが、英語に加えてもう一つの外国語の高い運用能力を集中的に習得するための教育プログラムだということです。入学時に高い英語力を持つ学生のうちから希望者を集い、前期課程の1年半で履修させます。当初は中国語だけだったのが、本年度からはドイツ語、フランス語、ロシア語が加わったということです。こういうプログラムが他の大学でも増えるといいと思っているのは筆者だけではないでしょう。

最後に京都大学へ行って終わりにします。京大は古くから独創的な研究者を多数生み出していることで知られています。ノーベル賞受賞者は他大学を抜きん出ています。理学部の北川教授が語っています。「ゆったりしたアカデミックな雰囲気が人を育てます。世界で誰もやっていない独創的な研究に挑戦するには、道に迷っても、遠回りをしてもいい、というゆとりある環境が必要です。」と。やはりこういうのが大学らしい大学ではないでしょうか。筆者が今高校生だったら、きっと京大を目指して猛勉強をするだろうと思います。

(注)「国際バカロレア」(International Baccalaureate, IB)とは、国際バカロレア機構(本部ジュネーブ)が提供する国際的な教育プログラムのことです。これは1968年にジュネーブに設立された非営利団体で、もともとは、世界各国から人が集まる国際的な機関や外交官の子どもたちが大学進学に困らないように、世界共通の大学入学資格と成績証明書を与えるプログラムとして開発されました。なおこれは、フランスにおける中等学校卒業と国立総合大学の入学資格を与える国家試験「バカロレア」とは別のものです。

国際バカロレアは年齢別に4つのプログラムを提供しています。そのうち大学受験に関係するものは16歳~19歳を対象としたDP(Dual Language Diploma Programme)です。これは以前、英語、フランス語、またはスペイン語で授業と試験を受ける必要がありましたが、近年その一部をドイツ語や日本語でも可能なプログラムが開発されつつあります。東京学芸大学附属国際中学校が2015年から日本語DP認定校となり、本年4月から「デユアルランゲージDPコース」を開設しています。ほかにも全国で37校(主として私立校)が国際バカロレア認定校になっています。政府は今後も認定校を増やす方針です。

近年、日本でも国際バカロレアのスコアを用いた特別入試を導入する大学が増えてきました。2016年入試では筑波大学、岡山大学など17の大学がこの入試を実施しています。