Archive for 6月, 2015

前回に述べた文化の衝突についての考察は夫婦の間だけではなく、同じコミュニティーに住む人々や、世界のいろいろな地域に住む人々との付き合いにも当てはまる面があると考えられます。もちろん夫婦と他人とでは全く同じではないでしょう。しかし夫婦はもともと他人であったものが、婚姻という制度によって、二人が一体であることを公に認定されたものです。ですから婚姻を解消すれば、二人はまた他人に戻ります。最近は、日本でも離婚は珍しくなくなりました。そういうわけで、夫婦の間で起こる文化の衝突の問題は、二人がもともと他人であったことから生じる問題ですから、それらは自分と関わりのあるすべての隣人との間に生じる問題とも共通点があると思われます。

具体的な問題に入る前に、「隣人」とは誰のことかを考えてみましょう。それは文字通りには「となり(または近所)に住む人」のことです。しかし多くの場合、文字通りの意味よりも、「自分と関わりを持つ人」や「自分が関心を持つ人」のような意味に使われます。特に現代のグローバル化した社会に住む人々にとっては、後者の定義のほうが受け入れやすいと思われます。なぜなら、コミュニケーション技術のめざましい発展の結果、今日では世界中のあらゆる人々とのコミュニケーションが可能になってきたからです。そして「隣人」という語句と結びつけて、新約聖書の中の、よく知られる「善きサマリア人」の話を思い出す人も多いのではないでしょうか。それは次のような話です。

あるときナザレのイエスは、ユダヤ教の律法学者から「私の隣人とは誰ですか」と問われ、一つの譬え話によって、その人の隣人とは誰かを説明しました。その個所を聖書から引用します(注)。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこでイエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカによる福音書10:30-37<新共同訳>)

この譬え話はクリスチャンだけでなく、「隣人とは誰か」を考えるすべての人々になるほどと思わせる話です。以前の中学校の英語の教科書には、この話をリーディングのテキストとして取り上げたものもありました。この聖書の話で注目したいことの第一は、「私の隣人」には国籍や民族は関係がないということです。追いはぎに襲われたこの「ある人」は、どこの国の誰かは書かれていません。たぶんユダヤ人でしょうが、はっきりとは分かりません。つまり何びとであろうとかまわないのです。私の隣人となる人の民族や国籍は、隣人である資格とは何ら関係がないのです。

第二に注目すべきことは、「私の隣人」とは初めから隣人として決められているのではなく、追いはぎに襲われた人を見て憐れに思ったサマリア人のように、自分の意志によって関わりを持つことを決めた人のことです。イエスはその律法の専門家に、「行って、あなたも同じようにしなさい」と言っています。つまり、隣人とはあらかじめ決められている人のことではなく、自分が積極的に関わりを持とうとする決意をしたときに、はじめて「私の隣人になる」ということです。一方、このサマリア人の前にその場所を通ったユダヤ教の祭司とレビ人は、追いはぎに襲われた人を見たけれども、関わりを持つことを避けました。なぜ彼らがそうしたのかここには書かれていませんが、とにかく助けようとしなかったのです。二人ともユダヤ教の律法には詳しかったはずなので、そういう場合にどうすべきかの規則(申命記22:4参照)は知っていたと思われます。彼らはサマリア人のような「憐みの心」を持っていなかったのです。それで、見て見ぬふりをして通り過ぎてしまいました。

最後に注目すべきことは、この話を理解するためにはクリスチャンである必要はないということです。なぜなら、これは地上のあらゆる人々に共通する価値観に基づいているからです。つまり、「私の隣人とは誰ですか?」という問いに対して、誰もが「あなたが主体的に関わりを持とうとする人または人々のことです」と答えることができるのです。ついでながら、聖書は別の個所で、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ7:12)と言っています。これは黄金律(golden rule)と呼ばれる普遍的な道徳律と考えられています。

しかし、この黄金律を現代の世の中でそのまま適用することは必ずしも容易ではありません。さまざまな壁にぶつかります。たとえば、自分に敵意を持った人たちと関わるとき、この道徳律は有効でしょうか。一部のクリスチャンはこの黄金律はあらゆる場合に当てはまると考えるかもしれません。しかし多くの人は、自分を憎む人、あるいは敵意を持つ人と向き合うときには、どうしたらよいか分からないというのが普通でしょう。私たちのここでのメインテーマは「文化の衝突」ということでした。二つの敵対する文化が衝突するとき、私たちはどのように対処したらよいのか―これが私たちの考えるべき次の課題です。

(注)これは有名な譬え話なのでよくご存知の方も多いでしょう。簡単な注釈にとどめます。(1)ここでイエスに質問した「律法の専門家」とはユダヤ教のラビ(教師)のことで、この時代のラビたちは細かい律法規則についての議論に熱中していました。彼らは律法の精神を置き去りにして、「安息日に許される行為の範囲」などの形式的な細則の取り決めに没頭し、その実行を人々に強いていました。(2)「サマリア人」はユダヤ人と異民族との混血民族で、イエスの時代のユダヤ人は彼らを劣等な民族として嫌っていました。旅をするときにも、彼らは遠回りをしてサマリア人の住む土地を避けて通るほどでした。しかしナザレのイエスはサマリア人の土地をしばしば通り、そこで伝道もしています。この話の中の善き隣人がユダヤ人の憎むサマリア人であったことに、この人の行為が民族や国家を超えた普遍的価値に基づくものであることを示しています。(3)追いはぎに襲われた人を見捨てて立ち去った「祭司とレビ人」はいずれもユダヤ人で、「祭司」はユダヤ教の指導的立場にある人、「レビ人」はレビを祖とするイスラエル12支族の一つに属します。彼らは祭儀をつかさどる人たちでした。

蟷螂の斧 ⑨ <メディアのいつか来た道>

3.いつか来た道とメディアの今

 前回は戦時中及び占領期の検閲について述べたが、日本のメディアはこれらの言論弾圧に何故これほど従順であったのか。それは、“権力に弱い”と言われる日本人の国民性に由来するものではないかという疑問を私はぬぐうことができない。作家の司馬遼太郎は「日本には農村的現実主義というものがあるだろうと思います。これが今まで日本を保ってきたものだと思うのですけど、つまり、庄屋さんが言うことだからしょうがないとか、最善の考え方ではないけれど実際問題として周囲がそうなっているんだからまあいいだろうという現実主義です。」(対談集 歴史を考える 文春文庫) また、映画評論家の佐藤忠男は「敗戦前の日本についに一つも戦争反対の暴動が起こらなかったと同じくらい、敗戦直後のアメリカ軍の占領下におかれた時代に、どうやらひとつも反米テロが生じなかったことが、いまだにふしぎに感じられます。」(草の根の軍国主義 平凡社)とそれぞれ述べている。さらに、評論家の田原総一朗は”日本のメディアの特異体質“として門奈直樹立教大学教授の次のような見解を引用している。「ヨーロッパのジャーナリズムは権力と戦って言論・表現の自由を獲得しているのだが、日本のジャーナリズムは明治以来、権力の許可の範囲内での言論・表現が当たり前で、いわば検閲、管理なれしていた。メディアは権力におもねらざるをいないという体質が基本的にあるのですよ」(日本の戦後 講談社)。 この見解はなにもジャーナリズムに限らず、日本人全体について言えることではないかと私は思う。

 権力の監視を重要な役割とするジャーナリズムにあっては、これはかなり深刻な欠陥なのではないか。権力はそのような欠陥を知悉したうえで、様々な仕組みや手段で、民主主義の根幹である言論・表現の自由に介入しようとする。それは、権力が自己保存、増殖を願うからには当然のことであるとも言えるだろう。これに対抗するのは容易なことではない。

1. まず、私がNHK在職中に体験した事実を含め、その仕組み・手段の一端を挙げてみよう。

① メディア同士の対立を煽り、その一方を援助する。
② メディア内部に権力の分身を送りこみ、監視、報告させる。
③ メディア内部の分身を昇進させ、反権力・批判勢力を押さえる。
④ そのために、企業内ジャーナリストの限界(企業・家庭・昇進第一主義など)を利用する。
⑤ 人事権を利用して、権力に批判的な記者らを配置転換し孤立ささせる。NHKでは、リクルート事件で多くの社会部記者が地方へ飛ばされた。
⑥ メディアに便宜を供与し、(それとなく)見返りを求める。応じなければ、便宜供与を打ち切る(と脅す)。
⑦ 外部機関にメディアの報道を逐一監視、報告させ、公式、非公式に圧力を加える。NHKについては、その際、放送法や国会の予算審議権、総務省の監督権を利用する。
⑧ 監視した結果をちらつかせて、権力に批判的な識者のTV・ラジオ出演や、新聞への執筆を押さえるよう自己規制させる。
⑨ メディア内部から政権党の議員を生み出し、特にメディア対策に当たらせる。そのために、政・財界の人脈、閨閥を利用する。
⑩ 閉鎖的・特権的な記者クラブ制度を利用する。権力寄りの記者らとの懇談と称する内輪の会合で、会見では明らかにしなかった点についてレクチャーしたり、オフレコを利用して、一部の者に特ダネを流す。
⑪ 記者の自宅への出入りを、玄関まで、書斎まで、寝室までなど差別して手なづけ、ミイラ取りをミイラに仕立てる。NHK在勤中、同じ部の元某大臣の番記者だったニュースデスクが、某大臣の政務秘書官になった。   
⑫ 内閣官房機密費を利用する。     
⑬ 財界・企業を通じて特定のメディアへの広告の出稿を減らす。

2.次に、安倍政権の下で明らかになった言論介入とみられる最近の事例のいくつかを挙げる。

① 2013-11-26 衆議院総選挙を前に、自民党がテレビ朝日に対し、「報道ステーション」の番組作りに偏りがるとして”公平中立な番組作りに努めるよう特段の配慮を求める”要請書を秘密裡に送ったことが明らかになった。TV朝日は要請書の内容を明らかにしていない。
② 2014-1-25 NHK会長に、安倍首相の”お友達”の一人、籾井勝人三井物産元副社長が就任し、就任会見で「政府が右と言っているものを、我々が左というわけにはいかない」と報道機関の責任者としての資質を疑わせる発言をした。これに続いて、”お友達“の作家百田尚樹氏と哲学者長谷川三千子氏が経営委員に任命された。
③ 2014-7-3 NHKの「クローズアップ現代」で国谷裕子キャスターが、集団的自衛権に関連してゲストの菅官房長官に「憲法の解釈を簡単に変えてよいのか」などと質したところ、番組終了直後に同伴した秘書官が、いったいどうなっているのかとかみついた。国谷キャスターは「すみません」と言って涙を流したというが、そのあと、官邸サイドからNHK上層部に「君たちは現場のコントロールもできないのか」というクレームが入り、上層部は”誰が中心になってこんな番組をつくったのか」という犯人探しが始まったという。
④ 2014-7-15 安倍首相のシンパである評論家の娘婿のNHKプロデューサーが、会社役員名義で安倍首相の政治団体へ寄付をしていたことが明らかになった。
⑤ 2014-11-18:首相が出演したテレビ朝日の番組で、街頭インタービューでのアベノミクスについての街の声に対し、「全然声が反映されていない。おかしいじゃないですか。」と抗議する。
⑥ 2014-11-20:自民党がテレビ朝日「報道ステーション」に対し、公平中立を求める
文書を出す。法政大学の水島広明教授は「政権与党が個別の番組に注文を付けるなどとは前代未聞。一種の威嚇と言えるだろう」とコメントしている。
⑦ 2015-4 NHKラジオ第一放送で長年毎朝放送されていた「ビジネス展望」が番組改編で「社会の見方、私の視点」に代わった。数人の比較的現状に批判的で、将来を見据えた論者の交代制であった前者にくらべ、後者は30人の玉石混交の出演者にかわり私にとっては、味の薄い聞くに値しない番組になってしまった。この番組については昨年、都知事選中の原発問題の取り扱いをめぐって出演者と局側で意見が対立し、出演者の大学教授が番組を降りるという事例があった。
⑧ 経済問題で辛口のコメントをするエコノミストの森永卓郎によると、在京のTV局では最近強い意見を言う人は求められていないように感ずるという。TVで大もての元NHK社会部記者池上彰について森永は「彼は天才だ」と評している。
⑨ 2015-3-27:テレビ朝日の「報道ステーション」にたびたびコメンテーターとして出演していた元通産官僚の古賀茂明が番組の途中で突然「私は今日で最後だ」と述べ、政権に睨まれないよう局側の都合で辞めさせられるのだと示唆した。そしてさらに「私は菅官房長官をはじめ官邸の皆さんにはものすごいバッシングを受けてきた」と述べ、古館キャスターと激しい言い争いとなった。菅官房長官は直ちにバッシングを否定し、局側は政権に謝罪するとともに、コメンテーター室を設けて、発言を事前に厳しくチェックすることになった。一部メディアは「電波ジャック」として古賀をバッシングした。古賀事件より先、「報道ステーション」のチーフプロデューサ―が配転、形は栄転。
⑩ 2015-4-17:自民党の情報通信戦略調査会(川崎二郎会長)はテレビ朝日とNHKの経営幹部を呼んで、テレビ朝日の「報道ステーション」と「クローズアップ現代」について事情聴取を行った。池上彰は「これが欧米の民主主義国で起きたらどんなことになったやら」と評している。
川崎二郎会長の父、川崎秀二・元厚生相はNHKの出身。
⑪ 2015-4-28:ドイツの新聞記者が、滞日中に書いた日本政府の対中、対韓政策を批判する記事について外務省がフランクフルト総領事館を通じて、ドイツ本社に抗議したことが明らかになった。山田健太専修大学教授は、外務省がよいことだけ宣伝させようとするのは逆効果だと批判している。
⑫ 2015-6-19号の週刊ポストは「マスコミ特権は世界の恥だ」とう特集の中で、メディア各社の社長や会長と安倍首相の料亭などでの60回におよぶ会食のリストを掲載しているが、大手各紙や在京TV局の社長、会長がすべて含まれている。中でも断トツの回数は読売新聞の渡辺恒雄会長である。慶応大学の鈴木英美教授は「欧米では考えられないことだ」とコメントしている。
⑬ 同じ特集の中の「なんで新聞・TVにはこんなに政治家の子女がいるのだろう」として、10人の政治家の名前を挙げている。50年前に私がNHKで体験したことが今も続いているのだ
⑭ 新聞業界の目下の緊急課題は、消費税の軽減税率の新聞への適用だ。
⑮ 朝日新聞社告によると、今年3月期の決算で営業利益が23.4%減ったという。「慰安婦問題」での誤報で、読売新聞や文芸春秋、一部週刊誌などの猛烈なバッシングを受けたこと、ネット上の罵詈雑言による部数減、広告の出稿減などがひびいたのだろう。

 1.「仕組み」と 2.「事例」を照らし合わせてみれば、おのずから“メディアの今”が透けて見える。

 欧米各国政府やユネスコの資金援助で活動している「国境なき記者団」が毎年発表している「報道の自由度ランキング(180か国)」2015年版によると、日本は昨年より二つ下がって61位となっている。ドイツ12位、イギリス34位、フランス38位、アメリカ49位、韓国60位。(M)

< 参考書籍等 >

* 昭和の戦争とメディアの責任 : 中央公論特集  2005年1月
* ニュースで伝えられないこの国の真実 : 辛坊治郎   KADOKAWA
* 安倍官邸と新聞 二極化する報道の危機 : 飯室勝彦  集英社新書
* 国家の暴走 安倍政権の世論操作術 : 古賀茂明  角川新書
* NHKと政治支配 ジャーナリズムは誰のものか : 飯室勝彦  現代書館
* NHK 危機に立つ公共放送 : 松田浩  岩波新書
* NHK 鉄の沈黙は誰のために : 永田浩三  柏書房
* 桐英会ブログ <2012-4-21 NHK(1) 暗い予感> <2012-6-30 NHK(11)公共放送と政治> <2012-7-7 NHK(12)NHKと政治 >

次回は 4.いつか来た道へ戻らぬために  7月4日(土)

 

 

文科省は6月5日、「生徒の英語力向上推進プラン」なるものを発表しました。その中には、2019年度から全国の中学3年生を対象に、新しい形式の英語テストを導入するという新奇なプランも入っています。翌朝の多くの新聞がそのことを取り上げて報道しました。本稿は、このプラン全体が官僚による机上のプランであり、実際には教育現場には機能しない、あるいは、かえって害を与えるかもしれない、と警告を発する目的で書かれています。まずウェッブサイトにより、文科省の言い分を要約するところから始めます。

文科省は昨年、高校3年生約7万人を対象として、その英語力を4技能別に測定する抽出調査を実施し、その結果を今年3月に公表しました。それは惨憺たるもので、高校3年生で中学生またはそれ以下の英語力しか持たない生徒が、約80%にも及ぶことが明らかになりました。4技能別では、「読む」で72.7%、「聞く」75.9%、「書く」86.5%、「話す」では87.2%にも達していました。つまり、高校3年生のうち、期待される英語力を獲得している者は、せいぜい20%くらいしかいないということです。「書く」や「話す」では15%にも達していません。

日本人の英語力向上に熱心な文科省関係者はこの結果に愕然としたことでしょう。なぜなら、国は「教育振興基本計画」(2013年6月閣議決定)において、「2017年度までに、中学3年で英検3級程度以上、高校3年で準2級~2級程度以上の英語力を持つ生徒の割合が50%に達することを目標とする」と決めていたからです。高校3年生対象のこのたびの調査から、文科省が早急に対策を講じる必要があると考えた(または、対策を講じるように上から命じられた)としても不思議はありません。なお今年7月には、中学3年生約6万人を対象とした同様の調査が行われることになっていますが、その結果も上記の到達目標(英検3級程度以上の生徒が50%)を大きく下回るであろうと予想されます。

そこで、今回の文科省による「英語力向上推進プラン」の公表になったと考えられます。その主なポイントは次の3つです。

(1)前回の目標数値をさらに引き上げ、2024年度までに、中学卒業時に英検3級程度以上、高校卒業時に準3級~2級程度以上がそれぞれ70%に達するようにする。この目標を達成するため、各都道府県は教員や生徒の英語力に関する数値目標や授業内容、教員研修計画などを盛り込んだ「改善ブラン」を作成し、達成状況などを毎年公表するよう求める。

(2)中学3年生全員を対象として、「読む・聞く・書く・話す」の4技能を測定する新テストを実施する。実施は2019年度以降、複数年に1度とする。そのための試行テストを今年7月と来年、中学3年生の一部に実施する。

(3)高校生については、2019年度開始予定の高校基礎学力テストなどで、4技能別の英語力を測定することを検討する。

これらはいかにも文科省のエリート官僚が考えそうな机上のプランです。というのは、官僚というのは中学・高校で優秀な(少なくとも同学年の上位20%以内の)成績を収め、一流大学またはそれに準じる大学を卒業し、難しい公務員試験に合格したエリートたちですから、成績の悪い生徒たちのことはほとんど分かっていません。また、そういう生徒を産み出す学校のシステムのこともよく理解していません。彼らの考案する教育プランはほとんど常に、実際の教育現場で直面している問題から遊離し、単なる机上のプランになりがちです。このことは、これまでの数々の学習指導要領の改訂にもかかわらず、文科省が作成した英語教育プランがほとんど、あるいはまったく、現場の実践に機能していないことで証明されています。

このたび文科省の公表した「英語力向上推進プラン」に関しては、筆者は次に述べる3つの論拠から、その実施に強く反対し、撤回または再検討をお願いします。

1.数値目標について:文科省が全国共通の到達目標を数値で示すことにどんな意味があるのでしょうか。70%というのは誰のための目標で、どんな根拠のある数値でしょうか。それは文科省の内部的な目標であって、公表すべき性質のものではないように思われます。この数値目標の提示は教育現場の多様性を無視するもので、無用の混乱を引き起こすことになるでしょう。日本の国土はさほど大きくはありませんが、経済的にも文化的にも、地域差は厳然として存在します。比較的に裕福層の多い都会とそうでない地方の都会では異なります。また都会から遠く離れた山村や漁村では、住民の暮らしは都会とは大きく異なります。人々の外国語の必要度も異なります。そういう地域差を考慮せずに、全国一律の数値目標で縛ることには問題があります。

2.新テストについて:中学3年生全員を対象とした4技能テストを実施すると言いますが、生徒のコミュニケーション能力は、全国一斉テストで測れるほど単純ではないと考えられます。4技能別のテストにすることは、従来のペーパーだけのテストよりも数段の進歩ではあります。しかしそれが真に妥当なものである保証はありません。ここで特記しなければならないのは、中学3年生というのは英語の基礎固めの途上にあることです。指導される語彙や文法もまだ実用からはほど遠い状態にあります。この段階で4技能別に各生徒の英語力を客観的に測定することには無理があり、詳細は省略しますが、さまざまな問題が生じることが予想されます。

3.テスト中心指導の弊害について:そしてもっとも警戒すべきことは、文科省が行う全国規模のテストというのは、学校教育をこれまで以上に、教師と生徒をテスト中心の指導・学習にのめり込ませることになることです。テストを頻繁に実施することは、必然的に、一人一人の生徒の学習課題を解決することよりも、その結果を比較する指導に重点が置かれます。いわゆる「成果主義教育」です。それと同時に、テストの結果を示す数値が独り歩きをする危険も無視できません。その危険はこれまでに実施された数々の文科省主催の全国一斉テストで明らかです。学校も教師も生徒も、そして保護者も、全国一斉テストの結果には非常な関心があります。人々は学校で行われている教育の内容よりも、テストの結果に関心を集中させます。そして他と比較してクラスの平均値がどうのこうの、学校や地域の学校の平均値がどうのこうのと論評します。たしかに、テストは生徒の学習の実態を知る上で必要なものです。文科省が英語教育の実態を知ろうとするのは当然のことです。しかしテストを学力向上の手段として使うならば、教育の「成果主義」を助長することは避けられません。なぜ文科省の行うテストは抽出調査ではいけないのでしょうか。一斉学力テストのこうした危険をも顧みることなく、今回の「英語力向上推進プラン」なるものを公表した文科省の真の意図は、それを実施することによって、全国の公立学校を自分たちの完全な支配下に置くことを狙っていると推測するほかありません。そうだとすれば、それは戦後日本の民主的教育の否定につながる危険なファッショ的プランであると断じざるを得ません。

異文化の出逢うところでは、多くの場合、衝突が起こります。衝突は時に深刻な事態に発展します。私たちの周りを見渡すと、そのような事例は枚挙にいとまがありません。ここでは、私たちの身近な問題をいくつか取り上げて考察することにします。まず結婚生活について。

六月最初の土曜日、筆者の所属しているキリスト教の教会で結婚式が行われました。新郎新婦は同じ教会の会員です。青年会で出合って交際するようになり、結婚にまで進展したのでした。最近の教会は高齢者が多く、葬式はたびたび行われていますが、結婚式はめったにありません。多くの会員たちが出席して若いお二人の前途を祝しました。筆者も最高年齢者の一人として出席しました。教会は葬式も悪くないけれど、やはり結婚式は楽しく、若々しい雰囲気が満ちていていいものだと思いました。ところで結婚というのは、同じ日本人どうしの結婚であっても、二人の育った家庭の文化は相当に違っているのが普通です。二人の生きてきた足跡も個性も異なります。そこには必然的に文化の衝突が起こります。

まず生活習慣がかなり違います。いくつか例を挙げると、朝起きる時間が違います。一方は早起きなのに他方は遅い。朝食に夫は和食、妻はパン食などというのはよくあることです。最近は二人とも仕事を持っていることが多いので、出勤時間や帰宅時間が違うのは普通のことです。そのため二人で家事を分担する若いカプルが多くなっています。その場合には文化の違いを否応なく経験させられます。料理の好みや作り方、お皿の並べ方、洗い方、片づけ方がいちいち違うのです。そういうことに無頓着な人はいいのですが、気にする人も多いのではないでしょうか。そういう違いを数え出したらきりがないほどです。夫婦喧嘩などというのは、そういう些細な違いから始まるケースが多いのではないかと思います。それらはすべて一種の文化の衝突です。

戦前の日本の伝統文化では、家事はすべて女性に押しつけることになっていて、女性がそれを承知してくれればそれで済みました。ただしその場合には、夫が家事の権限をいっさい妻に委任することが前提でした。夫が自分の文化に固執すれば、そこには必ず紛争が生じました。嫁と姑の間に確執が生じたのは、姑が嫁のすることにいちいち口を出したからです。しかし日本が戦争に負けて、男性の権威は失墜しました。女性はもはや男性の言いなりにはならなくなりました。男女平等の世の中になったのです。都会の女性は、姑のいる家に入ることを好まなくなりました。それでも古風なしきたりを主張しつづける人たちがいましたし、今もいます。そしてそれは、たいてい、家庭内の紛争に発展します。若いカプルの離婚率がどんどん上昇する背景には、家庭内の文化をめぐるそのような紛糾があるのではないでしょうか。

夫婦はこういう文化の衝突をどのように処理したらよいでしょうか。その解決には、あらゆる場合に言えることですが、まず当事者間の冷静な話し合いが重要です。冷静に話し合うためには、両者が対等な立場になければなりません。一方が他を支配したり、軽蔑したりしているときには対等な話し合いはできません。結婚した当初から、そのような対等な話し合いの文化を家庭の中に創り上げることが望ましいのです。筆者自身は、自分の育った家庭にそのような文化がまったく感じられず、家長である父親の権限が無制限に認められていたので、家長以外の家族はみなストレスをためていて、時に家長への反乱の嵐が吹き荒れることがありました。そういう家庭に育ったものですから、結婚してからも、どのようにして平等で民主的な家庭を築いたらよいのか分からず、大いに苦労したものです。

夫婦間に平穏を保つためには、とにかく、一方が他方を抑圧するのはよくありません。人はだれでも他人に抑圧されることを好まないのです。抑圧された人は必ずストレス(暗く余剰なエネルギー)を心の中にため込み、何かの機会にそれを発散することを欲します。あるときはストレスをため込んで死にたくなるほど悩んだり、また何かの折に爆発したりします。抑圧するほうも、相手が不機嫌な気分でいることに気づきますから楽しくありません。そのことがストレスとなって、ますます自分をコントロールすることが難しくなります。人間関係というのは、概してそういうものです。夫婦のぶつかり合いというのは、結局は文化と文化のぶつかり合いです。真面目に対処しようとすれば衝突は避けられません。

夫婦を長く続けるためには、喧嘩は上手にしなければなりません。喧嘩をしながら夫婦というのは成長するものなのです。愛があれば喧嘩などしないと言う人がいますが、そうでしょうか。たしかに愛は大切ですが、愛があれば何でも解決するものではありません。なぜなら、人間の愛というのはあてにならないものだからです。今日は愛していても、明日はどうか分からないのです。私たちが生まれながらにして持っている「人を愛する」という性質はたいへん貴重なものですが、それは環境と自分の気持ちしだいで変化します。むしろ、夫婦の愛は喧嘩をしながら成長していくものです。本気で喧嘩をして、はじめて相手がどんな人かが分かってくるのです。「私たちは喧嘩をしたことがありません」という夫婦がいますが、私には信じられません。そういう夫婦は衝突をうまく避ける技術に長けているだけで、両人の愛はあまり成長していないのではないかと思います。

感情は変化しやすいものです。それに対して理性はあるていど一貫性を持っています。もし私たちが、生まれながらの愛の本能によってではなく、それを理性に照らして磨きあげることができれば、愛も一貫性を持ち、より変化しにくいものに成長します。著名な精神分析学者エーリッヒ・フロムは、その著書で「愛はアート(技術)である」と言っています(注)。その意味は、愛というのは私たちに生得的に与えられているDNAのプログラムに従って自然に発達するものではなく、他の人々との交流を通して、意思と努力で磨き上げられるものだということです。人は自分とは異なる人々や異なる文化と真剣に向き合うことによって、自分自身を知ることができ、そして相手を深く理解することができるのです。

(注)エーリッヒ・フロム(Erich Fromm 1900-80)はユダヤ系ドイツ人として活躍した精神分析学者・社会心理学者です。1933年ヒトラーが政権を取ったのを嫌って米国に移住しました。彼が戦時中に書いたEscape from Freedom (1941) は、戦後日本でも翻訳出版され(日高六郎訳『自由からの逃走』現代社会科学叢書1951)、戦後の混乱期にある日本の知識人に大きなインパクトを与えました。The Art of Loving (1956) は彼の代表作の一つで、「愛はアートである」という思想についてはここに詳しく説明されています。日本語訳が出ていて(鈴木晶訳『愛するということ』紀伊国屋書店1991)、ロングセラーになっています。

蟷螂の斧 ⑧ <メディアのいつか来た道>

2.メディアが煽った戦争

 私の小学生時代の愛読書の筆頭は、田河水泡の「のらくろ」だった。街をうろついていた黒いのら犬がひょんなことから軍隊に入り、失敗を繰り返しながらも手柄を立て昇進していくシリーズの漫画物語を、金持ちの坊ちゃんから借りて回し読みした。「のらくろ」は布表紙で一部1円という高価な本であったが、創刊号は50万部以上売れたという。

 作者の田河水泡は、もともとアバンギャルドの画家で、生活のために漫画を描き始めたのだが、昭和7年、講談社の「少年倶楽部」に「のらくろ」の連載を始めるに当たって次のように述べている。「社会の組み立てに何か納得がいかなかった。富の分配が不公平で、金持ちと貧乏人が両極端に立っている。『のらくろ』は貧乏人の立場から話を組みたてようと考えた。」

 彼の考えは大恐慌の後の沈滞した社会の大衆の間に共感を呼び、「のらくろ」は今でいうキャラクター商品としても広まっていった。漫画は、子供たちの間で圧倒的な人気を得て、およそ10年間続き、いわばホームレスだったチビな野犬は”猛犬聯隊“の大隊長・少佐にまで昇進した。猛犬聯隊が退治するのは、はじめのうちは、猿や象、それに蛙などであったが、やがて豚になった。この豚が”チャンコロ“と呼ばれていた支那兵(中国兵)にあてつけたものであることは、子供でも分かった。

 この10年間は日本が、5.15事件から満州事変そして太平洋戦争へと急激に軍国主義への傾斜を強めて行った時期である。「のらくろ」が、新兵の供給源であった農村の次・三男の間に軍隊は”平等社会“”実力社会“という幻想を植え付けるのに貢献したことは間違いないだろう。田河水泡は戦後「今にして思えば、侵略戦争のお先棒を担いでしまった」と述懐していたという。

 小学生時代が終わろうとする頃、太平洋戦争が始まった。緒戦の日本軍の華々しい戦果に、日本中が沸いた。私の小学生時代の最後の思い出は、卒業目前の翌年2月、難攻不落と言われたシンガポールのイギリス軍が降伏し、全校生徒から募集した記念ポスターで、一等賞になったことだった。「東亜の牙城ついに陥つ」と真ん中に筆で大書し、銃剣に日の丸をつけた兵士たちが万歳をする絵をあしらったポスターは、廊下の突き当り正面に掲げられた。

 「東亜の牙城」などという言葉を小学生が自分で思いつくわけはない。それは新聞の見出しからとったものだった。新聞の一面には毎日、このような勇ましい見出しが躍っていたのだ。もちろん私は、記事の中身は読んでいない。多くの人達が、見出しだけで内容を推測してしまう。それは今でも変わっていないのではないか。最近では、週刊誌の見出しがおどる新聞の下段大広告や電車の中吊り広告で世論が形成されていくのではないかとさえ思える。

 中学校に入った頃には、「のらくろ」を卒業し、同じ講談社が出版する「見えない飛行機」とか「浮かぶ飛行島」「新戦艦高千穂」など、今でいうSFまがいの戦争小説を読みふけった。これらの冒険小説に通底するのは、欧米諸国への敵意である。西洋人のスパイが現れ、「アジアの曙」を実現せんとする日本の軍事機密を盗もうと暗躍する。私たちは西洋人とみるとスパイではないかと思うようになり、、近所から西洋人が消えて行った。

 「のらくろ」やこれらの冒険小説は明らかに、国防の重要性とそのための戦争の正当性を、知らず知らずのうちに次代を担う青少年の心に植え付けていった。評論家の加藤秀俊は、これらの少年大衆文化は、戦争の日常化という機能を果たしたと指摘している。
 
 太平洋戦争の敗色が濃くなって、まわりの大人たちが次々に出征して行き、学徒出陣で同じ勤労動員先の工場から大学生達がいなくなると、徴兵年齢の引き下げもあって、いやでも次は自分たちの番だと思わざるを得なくなっていった。その頃はやった歌に「麦と兵隊」がある。

 “友を背にして道なき道を、行けば戦野は夜の雨、「すまぬ、すまぬ」を背中に聞けば、「馬鹿を言うな」とまた進む、兵の歩みの頼もしさ”

 “腕をたたいてはるかな空を、仰ぐ眸に雲が飛ぶ、遠く祖国を離れ来て、しみじみ知った祖国愛、
友よ来て見よ、あの雲を“

 これは、中国戦線に従軍した作家火野葦平の「麦と兵隊」が映画化された時の主題歌である。私は勇壮な軍歌よりも、哀調を帯びたこの曲が好きだった。多摩川の土手にひとり寝そべって、空を行く雲を目で追いながら、時々この歌を口ずさみ、やがて自分にも来る戦場での日々と祖国に殉ずる時を想った。しかし、頭を冷やして考えれば、他国の土地を軍靴で踏み荒らし、そこを祖国とする人々を戦禍にまきこみながら、”聖戦”という美名の侵略戦争の真実を知らされず、知ろうともせず、手前勝手な感傷に浸っていたというほかはない。

 「麦と兵隊」など「兵隊3部作」が大ベストセラーとなり、戦後も「花と竜」などで有名作家になってがらも、自らの戦争責任を問い続けたという火野葦平は、敗戦から15年後の昭和35年、自宅で自ら命を絶った。

 新しいメディアのラジオもまた、戦争遂行の有力な手段として使われた。私がNHKに入った頃の国際局報道部には、戦争中に当時の海外放送「ラジオ・トウキョウ」にたずさわっていた人達がかなり残っていた。彼らは、大嘘の代名詞になった「大本営発表」を850回以上垂れ流し、情報局の検閲を受けた同盟通信社のニュース原稿をラジオ用に書き直して放送、これを英文にしたRADIO TOKYOのニュースを作成、放送した。さらに、“TOKYO ROSE”たちの読む原稿の作成にもあたった。

 私は泊まり勤務の夜に、これらの先輩達に、かなり執拗に当時の様子を聞いた。勿論私は先輩達の責任を追及したり非難するために訊いたのではなく、内幸町のこの同じ放送会館で、戦争中どんなことが行われていたかを知って、再びそのような事態を招かないために何をすべきかを考えるために、直接体験者から実体を聞きたいと思ったのだが、なかには「検閲も知らない青二才が、何を言うか!」と怒り出す人もいた。

 当時、新聞社や通信社、それに放送局(NHKのこと)の原稿は、新聞紙法によって情報局に検閲されていた。新聞紙法には、「国軍存在の基礎を動揺させるような事項」「軍事・外交上重大な支障をきたすような事項」「社会の不安を惹き起こすような事項」など13項目の禁止事項を含む検閲基準があり、これに触れれば忽ち責任者が呼びつけられて、削除、訂正を求められ、場合によっては新聞や雑誌は発売禁止となった。何ら具体的性のない主観的な判断でどうにでも解釈できるような検閲基準に触れないためには、やばいことは書かないのが、自分にとっても、仲間にとっても、協会にとっても当然のことだったと多くの先輩たちは語った。私はここに「忖度による自己規制」の典型を見た。

 しかし、メディアは、これらの法律がるから戦争に協力しただけではなかった。戦争を商売に利用したのである。新聞は、大本営発表で号外を打ち、次の日に本紙でこれを詳報するという手口で発行部数を伸ばして行った。歴史探偵を自称する元文芸春秋編集長の半藤一利によると、日露戦争では、大阪朝日新聞が戦前の11万部から戦後は30万部へ、東京朝日が7万から20万、大阪毎日が9万から27万、報知が8万~30万、万朝報が10万から25万へと3倍前後部数を増やした。その後日本がほぼ10年ごとに繰り返した戦争は新聞にとってまたとない拡販のチャンスとなり、自由主義社会では珍しい大部数を発行する現在の巨大新聞が生まれたのである。一方、反戦平和を貫いた「平民新聞」は、新聞紙法に触れ、くり返される弾圧によって廃刊に追い込まれた。

 戦後同盟通信は、占領軍によって共同通信社と時事通信社に分割されたが、日本放送協会(現在のNHK)も大手新聞社も、講談社などの大手出版社なども、一部の幹部が追放されただけで、組織は生き残り、今の新聞社の体質に影響を与えたことはまちがいないだろう。ナチスにかかわったドイツの新聞社がすべてつぶされたのとは対照的であった。

 敗戦によって日本のメディアは占領軍(GHQ)の検閲下に置かれることになったが、これに対しても従順だった。今度はGHQが、メディアを占領目的遂行のための道具に使ったのである。GHQの検閲本部はNHKの隣の富国生命ビルにあった。国際局の先輩たちの話では、窓から富国生命ビルの同じ高さの窓を見ると、Wacが着替えをしているので、慌てて首をひっこめたが、拳銃弾を撃ち込まれたという。ここに私は武力を伴った言論弾圧の典型を見た。(M)

< 参考書籍等 >

* 戦争肯定への傾斜 「のらくろ」 : 加藤秀俊  朝日ジャーナル 
* 日本人は何故戦争へと向かったのか「メディアと民衆の熱狂」 : NHKアーカイブ 
* そしてメディアは日本を戦争に導いた : 半藤一利、保坂正康  東洋経済新報
* ラジオ・トウキョウ 戦時体制下日本の対外放送 : 北山節郎  田畑書店
* 日本の戦後 (上) 大新聞は何故戦後の弾圧を総括しないのか: 田原総一朗  平凡社

次回は <メディアのいつか来た道 > 3.いつか来た道とメディアの今  ( 6月20日 )

(1)国会の開催中は、原則として、午前9時から午後5時頃まで審議が行われます。ご苦労様なことですが、多額の税金を使ってわけですから、当然のことと言えます。午前12時から1時間ほどは昼食休憩になります。その間に何が行われているかは、記録も何も無いので、知るすべがありません。しかし、私はその間に議員たちがどんな話し合いをしているかに興味があります。そこで、これはそういう場合の話し合いの架空実況中継です。

(2)まず自民党議員たちの話です。仮に、A氏、B氏、C氏としておきます。
A「野党、特に民主党の連中は頭が悪いね。安倍首相があれほど説明しても分からないんだから」。B:「いや、分からないふりをしているんだろう。本当に頭が悪かったら、あんな質問は出来ないはずだ」。C:「“維新の会”もおかしな連中だね。“反対のためのお反対はしません”などと、妙なお世辞を言ったりして」。
A「あわよくば、公明党みたいに、政権のはしくれに入り込むことを狙っているのではないか?今の時代、野党で過すのはつらいことだからね」。

(3)A「橋下さんの“大阪都構想”ってなん何だったんだろう?“二重行政を排して無駄を省く”なんて言ってたけれど、東京都だって、二重行政”だ。都民税、市民 / 区民税は要求されるし、大きな河川や道路は国の管轄で、都は手を出せない。橋下さんにはもっと勉強して貰わないと困るね。B「知事や市長として、絶大の支持を受けたから、いい気になったと思うね。

(4)C 「市民にももっと利口になってもらわないとね。養老 猛司の『バカの壁』という本はずいぶん売れたそうだが、独善的だとの批判も多いようだね。もっとも、市民があまり利口になっても我々は安住出来ない恐れがある」。A 「そうなんだよ。国民は適当に保守的で、適当に従順なのが一番いい」。B 「とにかく、安倍首相に任せておけば、安泰だからね。野党も結束なんか出来っこないし」。

(5)民主党議員たちの言い分:D、E、F 各氏。D「何だろう、さっきの首相の答弁は?“国民に分かりやすく説明する”と言いながら、我々にもさっぱり分からない。E「具体例を示せと要求すると、“個々の事例については答える立場に無い”と逃げる。“一般論としては・・・”の繰り返しだ。F「ということは、“例外もあり得る”ことを認めているわけなのにね。
(6)F「それと比較的に若い保守系議員たちは、戦争体験も無いから、“やられたら、やり返す”という論法には弱い。そして、その結果がどうなるか、ということまで想像力が及ばない。G「安倍首相は、そのあたりをうまく計算して、特に若い人たちを挑発している。総選挙の参加開始年齢を18歳に引き下げる案も同じような発想からだろう」。

(7)E「とにかく、20年後になって、“あの時にもっと強く反対しておけば”という後悔だけはしたくないね。“安倍首相の歩む道は、いつか来た道”であることは確かなんだから。(この回終り)

近代国家はおしなべて軍事力と経済力によって力を保持しようとしています。日本もかつてそのような考えにとらわれて、自分たちが世界の中でどのような地位にいるのかを客観的に分析する能力もないままに、無謀な戦争に突入しました。その結果、1945年8月、人類史上初の原子爆弾を広島と長崎に投下されて、降伏せざるを得ませんでした。この2発の原爆が日本の降伏をどれだけ速めたかの議論はいまだに決着していませんが、日本が窮地に追い込まれたこの時期に、非人道的な原爆がほとんど無差別に使用されたという事実は、永久に消えることはありません。そして戦後の日本は、これまでの70年間、自衛に必要なもの以外の軍事力を放棄し、もっぱら経済力の向上に専念して世界有数の富裕国家の仲間入りをしました。

その間、1989年にベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦が瓦壊し、米ソの冷戦は終結しました。その結果、米国のみが抜きんでた軍事力と経済力を誇る超大国となりました。20世紀の最後の10年間には、EUの統合という歴史的進展もあり、世界は平和の希望に向けて一歩前進したかに見えました。ところが21世紀に入ったとたん、超大国である米国に予想外に強力な挑戦者が現れました。2001年9月11日の事件は、そうした挑戦者の明確な意思表示でした。米国大統領ブッシュはその挑戦者たちをテロリストと呼び、彼らの挑戦をまともに受けて立ちました。彼はテロリストたちを徹底的に壊滅すると宣言し、かなりいい加減な理由をつけてイラクに侵攻しました。これによって、1990年代に描いた私たちの世界平和の夢は一瞬にして遠のきました。

新しく超大国のリーダーとして選ばれたオバマ大統領は、イラクからの米軍の撤退を決めましたが、その戦争によってもたらされたイラク国土の荒廃は、中東から北アフリカまでのアラブ全域に混乱をもらし、米国の軍事力・経済力をもってしても、もはや手の施しようのない状態となりました。こうして米国の超大国としてのイメージは急激に降下することになりました。しかも中国の経済力と軍事力の急激な上昇は、米国の覇権を脅かし始めています。このような情勢の中で、外交的に行き詰っている米国に追従して、その行くところどこまでも従うと、子犬のようにしっぽを振っているのが日本の現在の政権です。首相は「この道しかない」と言って前回の選挙を勝ち取りましたが、この言は独裁的指導者がしばしば用いる常套句であり、国民は警戒しなければなりません。現代の複雑化した世界においては、選択できる道は決して一つではありません。他にもいくつかあるのです。

その選択肢の一つが「文化の力」です。この言葉を筆者が知ったのは、青木保著『多文化世界』(岩波新書2003)でした。彼はその著書の中で次のように言います。「軍事力をもって世界を制するという考え方は、どう見ても新世紀にはふさわしくありません。新しい時代には、さまざまなかたちで国家や地域や社会が協力しあいながら、一つのグローバルな世界を創り上げていくことこそが期待されています。」(116頁)このような考え方が現在の私たちの求めものであり、多くの国々の欲する経済力も、文化の力によって必然的に産み出すことができるものです。

日本には、軍事力よりも大切にしなくてはならない文化的なパワーがたくさんあるのではないでしょうか。この前の戦争に負けて平和を享受している間に、日本は多くの伝統文化を再興し、育ててきました。柔道・剣道・相撲・茶道・華道・書道・座禅・俳句・短歌・囲碁・将棋・能・歌舞伎など、数えればいろいろあります。また戦後に顕著に現れた新しい文化として、科学技術の台頭があります。すでに日本人のノーベル賞受賞者が科学の分野において21人(受賞時に外国籍の人を含む)にも及びます。文学の分野でも2人が受賞しました。そして戦後の日本にはマンガやアニメの独自の文化が創り出され、世界の人々を魅惑しています。今朝の新聞でも、中国で封切られた映画「STAND BY ME ドラえもん」の興行収入が、中国でのアニメ史上最高の滑り出しを見せているとのことです。これらの文化をさらに洗練されたものにすることによって、日本は文化の力を行使して、平和で豊かな生活を維持することができると筆者は確信しています。

日本独自の文化であっても、世界の人々との交流の中で、それぞれが多文化的要素を取り入れて、より洗練されて魅力的なものに鍛えられていきます。例として最近の「大相撲」を取り上げてみます。相撲は古くから日本人に馴染んできた国民的スポーツです。一時、相撲界に発生したスキャンダルのために消滅の危機に瀕したことがありましたが、最近また復活の兆しを見せています。今年の春場所と夏場所は連日満員の盛況でした。大相撲の特徴は他の近代的なスポーツと違って、日本独特の文化がその中に織り込まれており、日本以外では真似ができない、特殊な形式を持ったスポーツのように思われます。ところが近年、この相撲界に異変が起こっています。現在の横綱が3人ともモンゴル出身者です。今年五月の夏場所では、同じモンゴル出身の関脇・照の富士が優勝し、たちまち大関に昇進しました。この分では、幕内で活躍するモンゴル力士や外国人力士が次第に増加し、やがて横綱・大関陣はすべてモンゴルと他の外国出身力士が占めることになりそうです。

日本文化が産んだもっとも日本的なスポーツと考えられているものが、日本人以外の力士によって成り立っているのは皮肉な現象です。このことを残念に思う日本人も多いことでしょう。NHKの相撲放送解説者の一人である北の富士さんも、夏場所千秋楽のあとで、「日本人力士にもっとがんばってもらいたいね」と言っていましたが、おそらく多くの日本人相撲ファンも頷いたことでしょう。しかし相撲は勝負の世界ですから仕方がありません。強い者が昇進するのです。見方を変えると、大相撲の伝統文化がしっかりと庶民に根付いているために、観衆は力士の国籍を問わないということなのでしょう。外国人力士が増えれば必然的に相撲の取り口も多彩になり、外国人のファンも増えるわけですから、それだけ多文化的色彩が濃くなり、相撲の魅力が増すことになります。これは伝統的な文化の力を示す一つの例だと思われます。