Archive for 1月, 2012

最初に「語彙」(vocabulary) の自己評価から始めましょう。語彙の学習についてはこのブログですでに書きましたが、ここでは見方を変えて、学習者各自の獲得する英語語彙の自己評価という観点から述べることにします。語彙の研究者によれば、語彙知識は3つの次元から成ります。第1に「語彙の広さ」、つまり、どれだけ多くの語を知っているかということ、第2に「語彙の深さ」、つまり、それぞれの語についてどれだけよく知っているかということ、第3に「語彙の流暢さ」、つまり、語をどれだけ速く認知し使用することができるかということです。そういうわけで、語彙についての自己評価も、それら3つの観点からなされる必要があります。

 まず「語彙の広さ」について考えてみましょう。中学と高校で学ぶべき語数は学習指導要領によってその目安が示されています。中学で1200語、高校で1800語、合わせて3000語です。語のカウント方法については、中学校学習指導要領解説に「綴りが同じ語は、品詞にかかわりなく1語として数え、動詞の語尾変化や、形容詞・副詞の比較変化などのうち規則的に変化するものは原則として1語とみなす」と書かれています。つまり、規則変化する語を除き、語の形が違えばすべて別の語としてカウントするわけです。したがって派生語はすべて別の語としてカウントされます。今年4月から使用される中学校検定教科書は、この方式でカウントされます。来年4月から使われる高校の新しい教科書については、このカウント方式に従うものもあり、そうでないものもあるようです。

 ところで中学校学習指導要領の語彙カウント方式は、あくまで初歩の学習者を考慮したもので、一般に用いられるカウント方式とは違っています。英語のネイティブ・スピーカーはもちろん、中級以上の英語学習者や英語使用者も、動詞の不規則な変化形を別の語としてカウントすることはないと思いす。たとえばsee / saw / seenは同じ語の異形です。また、派生語の多くも1つの語としてカウントするのが普通です。careful / careless / carefully / carelessly / carefulness / carelessnessはみな違っていますが、これらは一定の派生ルールに従って形成されていますから、すべてcareの派生語として扱うことができます。すると、高校までに学習すべき3000語という語彙リストは、活用形・変化形や派生形を含めるかどうかで大きく違ってきます。

 大学入試問題はどうでしょうか。それは学習指導要領のカウント方式で作成されるのでしょうか。それを判断する資料が存在しないので断定はできませんが、多くの大学は変化形や派生形をひっくるめて1語とする一般のカウント方式によっていると考えられます。それが英語使用者の常識となっているからです。大学入試センター試験は、基本的に高校までの到達度をみるテストですので、語彙に関してはすべての高校教科書を調査して慎重に選定しているようです。しかしそこでも変化形や派生形は原則的に1語としてまとめる一般のカウント方式によっていると考えられます。ですから、たとい教科書に出ている単語を全部覚えたとしても、受験生は試験でいくつかの未知語に遭遇してまごつくことになりかねません。なぜなら、高校までの教科書で3000語に出合ったとしても、そこにはトピックに関連した特殊な語も含まれていますので、基本3000語に含まれるべき語がかなり抜け落ちている可能性があるからです。1種類の教科書だけで勉強した高校生にはそういう抜けが生じます。語彙に関しては、受験生は教科書だけに頼るのは危険です。

 自分の語彙サイズを知るにはどうしたらよいでしょうか。もっとも簡便な方法は、「基本3000語」のリストでどれだけの語を知っているかを自分でチェックすることです。ただし、この場合にチェックできる語彙知識は、単語の綴りを見て、その代表的な意味または定義を知っているかどうかをチェックするだけです。「基本3000語」の語彙リストにはいろいろなものがありますが、『JACET 8000英単語』というのが信頼できるものの一つです。これは大学英語教育学会が作成した「基本語リスト」に基づいており、1000語ずつ8つのレベルに分けられています。これによって「レベル3」(3000語)までの語をチェックするわけです。ただしこのJACETの語彙リストは、活用形や変化形は基本形のもとに1つにまとめてありますが、派生語はそれぞれ別の語として扱っていますので、これで3000語をカバーできたからといって大学入試センター試験に安心というわけにはいきません。少なくとも「レベル4」(4000語)まではチェックする必要があります。また、各自の語彙サイズを簡単に知ることのできる「英語語彙サイズ測定テスト」というのが専門家によって研究されており、近く実用化される見通しです。(To be continued.)

< TPPを考える ④−3 各論−1 農業 >

TPP交渉は24の作業部会で21分野にわたって行われるようだが、このうち我々の生活に最も影響のありそうな下記の4つの分野について、賛否の意見を紹介する。前回述べたが、TPP賛成論を詳述した本が見当たらないので、賛成論の多くは、④−2でふれた経団連の「通商戦略に関する提言」及び別添「TPPを通じて実現すべき内容」から拾った。 

① 農業  ② 医療  ③ 保険・金融  ④ 政府調達 
  (付)紛争処理

① 農業 

☆ 基礎資料
* 農産物の平均関税率: 日本 12% アメリカ 6% EU 
  20% 韓国 62%(2000)
* 日本の個別品目関税率 コメ 778% (ミニマムアクセス輸
  入米年間 77万トン。約半分はアメリカから輸入)バター 
  360% サトウキビ 356%  小麦粉 250%(小麦は国家輸
  入関税0で内外価格差は税金で埋める)       
* 補助金など:日本 4.6兆円 アメリカ 2.2兆円 UE 8.9兆
   円   
* コメ農家一戸あたり耕地面積: 日本1.7ha (北海道10.6ha)
  目標10ha ) オーストラリア 100ha(500haの5年に一度の
  輪作)アメリカ 300ha
* 食糧自給率 (カロリーベース) 日本 39%  オーストラリ
   ア 173% アメリカ 129% フランス 111% ドイツ
   80% イギリス 65% 韓国 50% (2009)
* 日本の農林水産物年間輸入額:7兆1千2百億円(2010年)
* 日本の農林水産物年間輸出額:5千億円前後  目標 1兆
   円(2020年)
* 日本の食糧備蓄 コメ 1.4ヶ月 小麦1.8ヵ月 大豆 2週
   間 飼料 1ヶ月
* 農産物輸出禁止国 ロシア、インド、パキスタン、インドネシ
   アなど7カ国(2010)
* 農林水産業のGDPに占める割合 日本 1.5% イギリスと
   ドイツ 0.9% アメリカ 1.1% フランス 2.0% オーストラ
   リア 2.7% 韓国 3.1%

< ○ 賛成意見  ● 反対意見 >  * 基礎資料参照

○ 日本のGDPにおける第1次産業の割合は1.5%であり、
  1.5%を守るために他の98.5%を犠牲にするのか。(TPP推進
  派の中心人物前原民主党政調会長の外相時代の発言)
● 農業がGDPに占める割合は先進国ではどこでも低い。*
● 日本の農業がGDPに占める割合は1.5%ではない。関連産
  業を含めて10%台である。*
○ 経済産業省の試算では、TPPに参加しないと日本の輸出額
  は8兆6千億円、国内生産が20兆8千億円減ることになる。
○ 内閣官房の試算によるとTPPに参加した場合のGDPの増
   加は2.4~3.2兆円。
● 農業は国の基本であり、食糧安全保障の根幹である。日
  本の食糧自給率は40%前後で先進国中最低。TPPに加入す
  れば13%まで下がる。*
● 世界人口の膨張で食糧危機が目の前に迫っている現在、自
  前の食料がなければ、国民は飢餓状態になるおそれがつよ
  い。
● 日本の食糧備蓄は驚くほど少なく世界的な不作が起きたとき
  対応できない。*
● 長期的に見て食糧価格は上昇を続けている。特に、中国の
  食生活の改善による輸入量の激増がそれに拍車をかけてい
  る。エネルギーと食糧の値上がりで、日本の外貨準備はどん
  どん減り、買いたいものも買えなくなる。自給率向上は急務で
  ある。*
● 世界的に食糧が足りなくなれば、カネがあっても買えなくなる
  かもしれない。*
● 農林水産省の食糧安保マニュアルによると、供給国の輸出
  規制によって穀物及び関連製品の輸入が大幅に減った場
  合、夕食の献立は昭和20年代と同じ、ご飯一杯、焼き芋1本
  というレベルになるという。
○ TPPに加入すれば、アメリカ、オーストラリアなど日本にとって
  重要な食料供給国による輸出制限を禁止し、安定供給を確
  保できる。
○ 日本の農業はもはや産業として成り立たなくなっている。TPP
  参加は根本的改革を論議するよい機会である。
○ 農地は食糧生産のための公共財であるという農地解放の理
  想は、農民の我欲によってゆがめられ、規模拡大の足かせ
  になっている。
○ 農民が農地を個人財産と考える状況の中で、金儲けのため
  の転用、休耕地、耕作放棄地などが増え、農地解放直後600
  万ヘクタールあった農地は、460万ヘクタールまで減ってし
  まった。しかも、この中の10%近くが耕作放棄地である。
○ 農協などの既得権益者は、政党の集票機関となり、補助金に
  よって潤い、改革を怠ってきた。
○ 日本のコメ農家の年間所得464万円のうち、コメの売り上げ金
  は37万円に過ぎない。 これを消費者の負担による戸別補
  償で補っていくような政策をいつまで続けるのか。*
● 農業の再生はTPPとは関係なく、国土保全の観点も含めて議
  論、実施すべきだ。
● 国土の12%に当たる水田が失われれば、国土保全機能(洪
  水防止、土砂崩壊防止、土壌浸食防止、河川水・地下水保
  全)機能が壊滅する。
● 経団連の言う農業の競争力強化、成長産業化は農村・地域
  社会の崩壊につながる。アメリカの要求による大店法の改正
  で商店街はシャッター街になった。
● 沖縄のサトウキビ、北海道の酪農、甜菜(ビート)などは、地
  域の基幹的な産業であり、関税で守らなければ地域経済が
  壊滅する。北海道では17万人が失業する。
● 水田面積を10haに集約したところで、米、豪とは桁違いだか
  ら、太刀打ちできない。*
○ 農業産品の関税率は異常に高い。これでは、諸外国の理解
  は得られない。*
● コメの関税、788%というのは見せかけで、ミニマムアクセス
  米の価格を基準にすれば200%程度だ。
● 人口の多い(世界10位)日本は、世界有数の食糧輸入国で
  あり、その大市場を世界の農業生産国が狙っている。一方、
  地形的に戸別の耕地面積が小さく生産性の低い日本の農業
  産品は高価格であり、関税をかけなければ市場をほとんど外
  国製品に奪われる。
● 農林水産省の試算では、国産米の90%は輸入米になり、生
  産減少額は2兆円にのぼる。
○ 日本人の好む短粒米の世界市場は小さいから、800万ドンの
  国産米の90%が輸入米に取って代わられることはありえな
  い。
● 売れるとなれば長粒米からの転作は容易であり、400万トン
  の生産能力のあるカリフォルニア米の産地では既に準備を進
  めているという。数年を経ずしてカリフォルニア米が日本市場
  を席巻するだろう。
● 日本は、増え続けるアメリカの余剰農産物(特に小麦)のはけ
  口になっている。
● 農業への補助金は先進国共通で、日本だけが突出している
  わけではない。*
● 農業を犠牲にして関税を0にすれば工業製品の輸出が増
  えるのか。日本の製品は消費者ニーズに応えるという点で既
  に韓国などに負けているのだ。
○ 農業の成長産業化を目指すには、生鮮品、加工食品に
  対する関税、非関税障壁を撤廃することにより、輸出を促進
  することが重要である。
● 輸出できる日本の農産物葉きわめて限られている。外国でブ
  ランド米やりんごに高値がついたのは局地的且つ一時的な
  現象であった。政府の輸出目標ですら1兆円に過ぎない。*
● 輸入食品の安全性(残留農薬、添加物、遺伝子組み換え)を
  確保できるのか。原産地表示によって守られている食の安
  全・安心が脅かされる。
○ TPP諸国の間では、国内で発生した食品、製品の事故情
  報を共有するから、消費者がそれらの情報を入手し、当局
  が迅速、適切な措置を講ずることができる。
○ 生鮮品。加工品を輸出する際、動植物検疫が障害になること
  がある。例えば、アメリカやオーストラリアにおいては、生鮮
  野菜、生鮮果実の広範な品目が原則輸入禁止になっている
  が、これらは非関税障壁として撤廃を要求できる。
○ 日本の畜産はほとんど海外からの穀物資料に依存してい
  る。飼料用穀物の輸出規制をさせないためにもTPP参加は
  必要である。
● 日本の文化はコメの文化であり、コメなくして伝統文化は守れ
  ず、国家としてのアイデンティティを失う。
● 日本の風土はコメつくりに一番あっている。コメを主食にすれ
  ば、一億人の人口を十分に養うことが出来る。

以上を読んでお気づきだと思うが、TPPをめぐって先鋭化した農業についての賛否はかみ合わない。叩きあいのような意見の対立は、国や社会のあり方についての根本的な考え方の違いに根ざすものだからだと思われる。(M)

“日本の国際化”の現実とは?
(1)年が明けて“政治問題”も大詰めの感がありますが、私が関心を引かれたのは、東大が提起した“九月新学年開始”の報道です。相変わらずテレビの報道は底が浅いですが、私が聞いた範囲ではラジオでも同じでした。特に、TBS の“荒川強啓デイキャッチ”では、「日本文化では、桜の季節に入学や卒業を祝う習慣が定着している。会社が新入社員を迎えるのも同じだ。9月開始では、そういう情緒が失われてしまう」と嘆いていました。“国際化”ということを論じる時に、もちろん“独自の文化を無視しろ”とは言いませんが、私は感情と論理は区別して考えるべきだと思います。

(2)私が筑波大に勤務していた30年以上も前に、9月入学に関連した経験をしたことがあります。親の勤務の関係で海外の高校生活を過した生徒たちの帰国が増えてきていました。当時の文部省も九月入学を認めていたのですが、「夏休み中に補習授業をして他の在学生と同じ条件にせよ」という話でしたから、根本的な問題解決を図る意図は全く感じられませんでした。

(3)英語圏からの帰国子女が多かったのは確かですが、独、仏、西などが得意という学生もいて対応は簡単ではありませんでした。「実質はとにかく、形式だけは揃えてすませる」という悪習が強かったのです(現在でもそうでしょうが)。今回の“九月新学年開始”問題については、一人の大臣(古川国家戦略担当大臣)の「国家公務員も9月に入省させる」との発言はありましたが、政府がどういう方針を出すのかは現時点では分かりません。

“英語聞き取りテスト”のねらいは何か?
(1)50万人以上もの受験者がある入試センター試験は、毎年何らかのトラブルが生じます。特に英語は“聞き取りテスト”がありますから、監督者は大変です。テレビ報道では、監督者の手落ちを責める見解が優勢ですが、それだけで済まされる問題ではないでしょう。入試センターは、“聞き取りテスト”の効果を検討すべき時機になっていると私は思います。それと同時に、センター入試を実施せざるを得なくなった事情を明らかにして、大学入試のあり方を根本から再考すべきだと考えます。

(2)英語の聞き取りテストを、正解が1つだけというような客観テストで実施しても、試験後の効果を期待すること自体が無理なのだと私は思います。聞いたことの要点を述べるとか、内容についての賛否とその理由を述べるとかの方法であれば、受験後の効果もかなり期待出来るのではないでしょうか。文科省は、「それでは採点の客観性が保てない」と言うでしょう。入試センターは大学を信用していませんし、大学はセンターを信用していないという不信感の中では犠牲になるのはいつも受験生です。こんなことはいい加減に止めるべきです。(この回終り)

前回、大学入試センター試験のことにふれました。それは高校修了時の学力の到達度を測るテストですから、学習者が英語の基礎をどこまで習得したかを自己評価するために、これを利用できると考えたわけです。その場合の最大の問題点は、この英語のテストで測られる言語技能がリスニングとリーディングだけで、スピーキングとライティングが含まれていないことです。問題作成にはそういう配慮もなされていることが分かりますが、ペーパーテストではしょせん本当の発表能力をみることはできません。しかしリーディングと語彙・文法の基本的知識・技能に関してはよく練られた問題が作成されており、これによって高校修了までに期待されている英語力のおよその到達度は判断できると思います。

 では、学習者の自己評価にこれはどのように利用することができるかを考えてみましょう。まず、このテストで何点とれば基礎レベルの英語力を獲得していると判定できるでしょうか。これはなかなか難しい問題で、万人の一致する答えは得られそうにありません。このテストで100点満点に換算してそれに近い点(90点以上)をとった人は、このテストに含まれる基礎的英語力に関して合格とすることに異論はないでしょう。では80点、70点ではどうかとなると、いろいろな意見が出てくるでしょう。筆者の意見を述べる前に、まず大学入試センターから公表されているデータを見てみましょう。

 大学入試センター発表による一昨年と昨年の結果をホームページで見てみます。英語は筆記試験200点満点、リスニングテスト50点満点で集計されています。そのうち筆記試験の結果は次の通りです。

平成22年度 ①受験者数512,451 ②平均118.14 (100点満点では59.07) ③最高点200 ④最低点0 ⑤標準偏差39.96 (100点満点では19.98) 

平成23年度 ①受験者数519,538 ②平均122.78 (100点満点では61.39) ③最高点200 ④最低点0 ⑤標準偏差41.24 (100点満点では20.62)

両年度の結果を比べてみると、100点満点に換算した場合の平均に2.32の差、標準偏差に0.64の差がありますが、いずれも問題作成者が目標としていると思われる平均の60点に近く、その差はわずかです。また標準偏差も両者共20前後で、ほぼ同じ値を示しています。50万人という大きな受験者数からして、得点は正規分布に近いものと推測されます。正規分布ならば、受験者の68%が40点から80点までの範囲内にいます。しかしこのデータから言えることは、個々の受験者が50万人中のどのあたりの得点を得たかということだけで、何点取れば高校までの基礎学力が身についているかを判断することはできません。65点を取った人は自分が平均より少し上だということは分かりますが、それ以上のことは分かりません。受験者の平均値は、高校生の卒業時の学力の実態を表しているでしょうが、それが基礎レベルのあるべき英語学力ではありません。到達度テストで望ましいのは、多くの受験者が満点を取ることです。

 しかし、こういう試験に平常心でのぞむことはなかなか難しいことです。そこで、個人の英語力の自己評価という観点からは、このテストで80%以上正解した人は合格としてよいのではないかと筆者は考えます。つまり、英語の基本的な語彙と文法の知識、およびリーディングの技能に関しては、80点以上を基礎レベルに到達していると判断するわけです。本当は90点以上としたいところですが、試験というのは受験者の身体的・心理的条件に左右されることがありますし、受験会場の環境的条件などの影響を受けることもあることもあります。統計的には、80点以上の得点者は受験者の16%くらいと推定されます。

 では70点台はどうでしょうか。その人たちは高校までに学習した基礎的な英語知識のほとんどを身につけてはいるが、どこかに欠陥があることを示しています。ですから自分のおかした誤りを点検し、自分の知識のどこに欠陥があるかを確認し、自分でその欠陥を補修する努力をする必要があります。自己評価とは、自分を他と比べて相対的な位置を確認するだけではなく、基礎レベルの達成という目標に対して自分が立っている位置を知ることなのです。

 大学入試センター試験の英語で70点未満の人は、率直に言って、高校までに学んだ事柄を再学習する必要があると思います。まずは①語彙、②文法、③リーディングの正確さ、④リーディングの速さ、の4つの点に関して自己診断を行ない、中学・高校の教科書を使って再学習するようお薦めします。次回から、その場合の学習法と評価法について少し詳しく述べます。(To be continued.)

TPPを考える ④−2 総論の対立

 TPP参加の事前交渉が今週17日に始まった。TPPは、加盟国の全ての貿易品を対象として、10年以内に関税を原則撤廃することを目指す他、サービス貿易での非関税障壁の撤廃をも目的としている。交渉の前提として互いに例外品目を設けることの出来るEPAやFTAとは次元の異なる協定であり、国民生活の広い分野に影響を及ぼし、社会のあり方にもかかわるから、総論、各論の両面から慎重な検討が求められる。

TPPについての現・野田政権の総論は④−1でふれた「包括的経済連携に関する基本方針」に集約されており、要点は次の通りである。

* 世界経済の中で、日本の相対的地位は趨勢的に低下している。
* 主要貿易国の間の経済連携において、日本の取り組みが遅れている。
* このままだと貿易・投資環境で世界に遅れ、将来の雇用機会が失われる。
* よって「国を開き」「未来を拓く」決意を固めTPPに参加したい。

 この総論は、日本経団連が2011−4−11に発表した「わが国の通商戦略に関する提言」
及び別添の「TPPを通じて実現すべき内容」と軌を一にしている。また、朝日、読売、日経など大手各紙の論調も自由貿易推進の立場からTPP参加を支持している。

一方、私が読んだ7冊の本(④−1.に「間違いだらけのTPP 東谷暁」を加える)では、TPPについて、次のように総括している。

* 「日本は既に、貿易収支の黒字から資本収支の黒字に依存する債権大国になった。成長経済から成熟経済に移行し、債権大国として生きていくことを選択すれば、TPPやFTAなどアメリカ主導の市場囲い込み行動に追随する必要もなくなる」 
“2012年‐資本主義経済大清算の年”(同志社大学大学院浜矩子教授ら共著)
* アメリカにとって最も忠実なパートナーであり、かつアメリカを支えるだけの貯金を持っているのは日本。これまでもアメリカは日本にアメリカを支えるよう水面下で要求してきたが、これからはもっと露骨になるのではないか。・・・アメリカの政府文書を読めば一目瞭然だが、(アメリカ経済を救うため)日本が明確にターゲットにされている。その典型がTPPである」“グローバル恐慌の真相”(京都大学大学院中野剛志准教授ら共著)
* アメリカの現在を支えているのはもはや、自動車などの工業製品ではなく、金融や投資などのサービス産業である。したがってTPPにおけるアメリカの狙いもここにある。この分野におけるアメリカの要求を受け入れれば、国としての政治的独立が侵される事態が予想される。”間違いだらけのTPP “ (フリージャーナリスト東谷暁著)

 私はあえて“TPP反対”の本だけを選んで読んだわけではない。80万冊を収容するという藤沢ジュンク堂の書架を何回も探したが、TPP反対の農協を攻撃する本はあっても、全体を見通してのTPP賛成の本は見つからなかったのである。ネットでMAZONの広告を探したら1冊だけあったが、書評に”TPP本には珍しく賛成の立場。但し学生レポートのレベル“とあった。この奇妙な現象は、何を物語るのか。(私の考えは最終章の「TPP私見」で述べる)
 
 さて以上のように、TPP協定に関しては、具体的な項目についての賛否以前に、TPPそのものについての総論で、意見は真っ向から対立している。この7冊を含めて、これまでに新聞、TV, 雑誌、書籍などから私が拾い集めた総論についての賛否の意見を紹介する。    ○ 賛成 ● 反対

○ * 資源に乏しく加工品の輸出にたよる貿易立国の日本
     とって、自由貿易は生存基盤。日本は自由貿易によっ
     て豊かな国になった。
  * 新興国の進出によって日本の貿易収支は赤字になりつ
     つある。輸出増は経済成長・雇用の確保に不可欠。
  * 日本企業の海外進出、海外での活動に有利。
  * 自由貿易を推進すべきWTOは袋小路に入って機能不全
     に陥っている。
  * TPPは、APEC全体を包含するFTAAPを目指す開かれ
     た組織である。参加しないと孤立する。
● * 日本はすでに貿易立国ではない。(輸出依存率は12%。
     韓国は50%)
  * 自由貿易論が立脚しているデビット・リカードの比較優
     位論は既に破綻しており、完全自由競争の行き着く先
     は、少数の勝者と多数の敗者を生む荒涼たる世界で
     ある。
   * ものづくり偏重とその輸出からの脱却が急務。外需頼み
      の経済を改めるべきだ。
   * 日本はいまや債権大国であるから、貿易外収入を活用
      せよ。2008年の貿易収支が4兆円の黒字であったの
      に対し、所得収支の黒字は16兆円であった。
  *  たまりにたまった外貨準備をもっと活用せよ。
  *  TPP参加によって増加するGDPは年間わずか2700億
      円という試算がある。
  *  海外の日本企業はいまや多国籍企業或いは無国籍企
      業で国民の利益にはつながらない。
  * 自由化交渉は、WTOやFTAの方が日本の利益を守りや
     すい。
  * WHOが行き詰まったのは、大国の無理な注文のせいで
     ある。
○ 日本はTPPに参加して「第三の開国」を目指すべきだ。
● 日本の関税率は相対的に低く、既に十分に開かれている。
    鉱工業製品の平均関税率(アメリカ 3.3% 日本 2.2%)
○   EPAやFTAで実現できなかった日本の要求をTPPで実現
    できる可能性がある。
●   交渉には互いに譲歩(offer)が必要だが、開国の進んで
    いる日本には、国民の生活に深刻な影響を与えるもの
    を除くと、offerできるものがほとんど無い。
○   アジアの成長を呼び込める。
● 中国、韓国、インド、インドネシアなどが入っていないTPP
    でアジアの成長を呼び込めるのか。
○   貿易の拡大により経済の活性化を図ることが出来る。
●   安い商品の流入によるデフレの深刻化が進み、回復不能
    のスパイラルに陥る。
○   国内産業の空洞化を防げる。
●   空洞化の原因は円高。
○   日米同盟を経済面から深化。
● * アメリカの輸出倍増計画、雇用増大に利用されるだけ。
  * アメリカ的弱肉強食的社会慣行が蔓延し、社会格差がさ
     らに広がる。
○   各分野で競争原理の導入が必要。
●   歴史的、風土的に、独自の習慣や規制があることは当然
    だ。すべての規制を取り払おうとした構造改革の悲惨な結
    果を見よ。
○   今後の交渉次第で不利な点はカバーできる。
●   もともと日本の交渉力は弱い。連戦連敗だったかつての日
    米交渉の結果を考えよ。
○   早期に参加してルール作りに加わらないと不利になる。い
    わゆるセンシティブ品目についても意見が言えなくなる。
● * 内容がわからないのに参加して、不利だとわかれば脱
    退できるのか。
  * ルールは既に大方決まっている。全てを自由化の
    テーブルに載せるのがルールだ。
○   世論の体制派TPP参加に賛成。大手各紙も賛成論だ。
●   調査に判らないと答えている人が多い。内容がわかるに
    つれて賛否の差が縮まっている。

○●の前に○×を付していくと、現時点における自分の考えが明確になっていくのではないかと思います。

 ところで、世界経済は、実体経済を伴わない金融資本の暴走によってリーマンショックに続く第二の危機に直面しており、世界恐慌の崖っぷちに立っているという説もある(「グローバル恐慌の真相」)。また、日本経済に打撃を与えている”歴史的円高“は、予見しうる将来に1ドル50円まで進むという説もある(「2012年‐資本主義経済体制大清算の年」)。世界恐慌に対応するための列強による経済のブロック化が、第2次世界大戦につながったという根強い考え方がある中で、TPPや日・中・韓FTAが、世界全体にどのような影響を与えるのかも検討すべき重要課題だろう。(M)

まず学習計画の自己評価から見てみましょう。学習計画には、長期的な計画から今から取りかかろうとしているタスクの計画に至るまで、さまざまなレベルの計画が考えられます。それらすべてを羅列すると長大なリストになります。そのようなリストは研究者にとっては必要でしょうが、学習者にとっては必ずしも役に立つとは思われません。むしろあまりにも煩雑で、自己評価など自分にはとてもできそうにないと感じることでしょう。学習計画には下記のような長期的、中期的、短期的の3つくらいあることを頭に留めておけば充分でしょう。その中で常に頭に置いておくべきものは短期計画です。

長期計画:自分が将来どんな英語力を身につけたいかという長期的展望に立って英語学習を計画することです。これから英語の学習を始めようとする小学生や中学生では、そこまでは展望できないかもしれません。英語を学び始めてしだいに英語の学習が楽しくなり、将来は英語を本格的に勉強したいとか、英語を身近な言語として使用するような職業につきたいという願望が生じたときに、そのような長期計画を構想する必要が生じるでしょう。就職や進学を控えた高校生や大学生にとっては、これは真剣に検討すべき課題になるはずです。

中期計画:中学生ならば中学卒業までに、高校生ならば高校卒業までに、大学生ならば大学卒業までに、どの程度の英語を身につけるべきかという目標を頭に描き、その目標に達するためにどんな学習をなすべきかを計画するわけです。計画を具体化する場合には、3年または4年分の計画を詳細に作成する必要はなく、各学年の初めに1年分の計画を立てるのがよいでしょう。筆者の経験から、人は自分自身の将来について、1年くらいの計画ならば無理なく具体的にイメージできるように思います。年間計画を頭に描くことができたら、次にそれを学期またはシーズンごと、月ごとの計画へと分割し、いつも目に見えるところに書いて貼っておくとよいでしょう。

短期計画:これは現在取りかかっている学習課題(タスク)をいかにして遂行するかの計画です。タスクにはいろいろなものが考えられるので、一概にこのような計画がよいと一般化することは難しい。中学生や高校生の場合には、学校で使っている教科書の1レッスンまたは1単元をどのように学習するかについての準備と計画づくりということになります。あるいは、進学塾や英会話スクールでの授業も含めて、今週1週間の英語学習計画というのでもよいでしょう。現在多くの中学生や高校生が学校での授業以外に進学塾や英会話スクールなどで英語を学んでいますが、それらの授業を自分自身の心の中で統合しようとする意識がないと、インプットされた知識が互いに無関係にばらばらに脳の中に点在することになり、いざ使う時に有効に利用されない危険があるます。どこで学ぼうと、英語の知識と技能は1つのものとして統合されることが重要であり、そうするには学習者の意識が大きく関係します。そういう意味で、週ごとに学んだものを思い返して意識的に整理をしておくことが大切です。

 さて、これから取り組もうとしている学習課題について計画を立てるには、自分の現在の英語力を適切に評価しておく必要があります。英語学習を始めて間もない中学生ではその必要はないでしょうが、高校生、大学生、また学校をすでに卒業している再学習者の場合には、これは非常に重要なことです。では、どのようにして自分の英語力を評価したらよいでしょうか。まず自分の全体的英語力がどのあたりの位置にあるかを知るために、学校の成績や、英検などの外部テストの結果を参考にします。それらを総合的に見て、高校修了時までに期待されている英語力(つまり「基礎レベル」の英語力)に自分が到達しているかどうかを判断するわけです。

 たまたま先週末(1月14日、15日)に大学入試センター試験が全国一斉に行なわれました。この中の一つの試験科目である英語を、高校までの基礎的英語力を判定するのに利用するというのはどうでしょうか。この試験には国立大学だけでなく私立大学の大部分も参加しており、英語の受験者数は50万人を超えています。これだけの規模で行なわれる一斉試験は日本では他にありません。この試験を利用すれば、受験生だけでなく一般の学習者も、自分の英語力がおよそどの辺にあるかを知ることができます。ここで出題される問題は高校卒業までに学習すべき事柄に限定されていますので、高校までの教科内容を充分に学習した人は満点に近い点が取れるようになっています。過去の試験結果については平均点や標準偏差が公表されていますので、それによって自分の相対的位置を知ることもできます。ただし、このテストはリスニングとリーディングが主体で、スピーキングとライティングは含まれていませんので、これによって判定できるのは高校卒業時に期待されている英語力のすべてではないことに注意する必要があります。(To be continued.)

< 旧友松平康隆君のこと >

 元旦に救急車で病院へ運ばれて検査を受け、5日に検査結果を聞きに行って夕方帰宅しTVのリモコンを押すと、偶然、バレーボールの松平康隆君が大晦日に亡くなっていたことを伝えていた。彼は、旧制都立城南中学の同級生であった。私が三途の川の手前で引き返してきた数時間前に、彼は一足先に渡って行ってしまった。

 中学5年間の内、3年近くは勤労動員で、登校することは稀だったが、たまに学校へ行くと、50音順に座るので、松平君はたいてい私の直ぐ前の席にいた。4年生の春休み直前の登校日のことだったと思う。彼が突然振り向いて「おい、一緒に海兵(海軍兵学校)へ行かんか」と言った。既に戦局は非となり、軍部が中学校に対して生徒を軍の学校へ入れるよう要請していたらしく、同級生の中から予科練や少年戦車兵学校などに志願する者が増えていた。「どうせ間もなく戦争に行って死ぬんだから、(兵隊になって)殴られるより(将校になって)殴る方がいいよな」という単純な動機で、私は同意した。視力不足で海兵へ行くことは考えていなかったが、なんとなく彼と一緒ならうまくいくかもしれないと思えたのである。春休みにもう1人の友人と3人で、お茶の水で開かれていた受験準備講座に通った。しかし、彼は結局兵学校は受験しなかった。目の不自由な母親をひとり残して行くことを躊躇したのではなかったかと思う。

 戦争が終わって直ぐ彼は自分で排球部(バレーボール部)を立ち上げた。草野球のボールさえない極端な物資不足のなかで、たまたまバレーのボールがひとつだけ手に入ったからだという。彼にとってはまさに運命のボールだった。城南中学バレー部は東京大会で優勝し、卓越した技能を認められた彼は、慶応大学でもキャプテンとなり、さらにに日本鋼管に入社して生涯をバレーボールとともに歩むことになった。

 私は故あって敗戦直後はほとんど学校へは行かなかったし、卒業後同窓会にも顔を出さなかったので、松平君と再会したのは、30数年ぶりに参加した同窓会の席だった。彼は既に全国的な有名人になっていたが、幹事の話では、どんなに多忙でも同窓会には必ず出ていたという。
酒を酌み交わしながら、彼が「お前、英語が大嫌いだっただろう。どうして英語の教師になったんだよ」ときくので「カネがないから仕方なかったんだよ」と答えると「そうだ。兄弟が多かったんだよな」と言って笑った。その時は“よく憶えていたな”と思っただけだったが、次の同窓会の前に、長年幹事をしていた親友から、「松平もお前に会えて喜んでいたよ。今度も必ず参加しろよ。」とう手紙が来た時に気づいたことがある。その手紙には、松平君がかなり前に1人息子を小学校の修学旅行中に不慮の事故で亡くしたことが記されていた。

 それを読んで私の思いは一挙に勤労動員中の中学時代に飛んだ。工場への勤労動員中の昼休には、よく車座になって雑談したり、時には職長らのY談を聞くこともあった。そういう折、長男の私が“兄弟が多いからオレはいつも貧乏くじを引くんだ”と愚痴っていたのを聞いて、一人息子だった彼は“なに、贅沢言ってるんだよ”と思っていたのではなかったか。そして1人っ子だった愛息を失ったことが一層兄弟というものへの思いを強くしたのではないかと気づいたのである。
 
 世界一になるために過酷ともいえる練習を課しながら、なお多くの選手たちに父親のように慕われたという彼の指導者としての存在感は、亡き1人息子への鎮魂の思いを胸に秘めて先頭に立つ彼の姿から生まれたのではなかったか。愛息は父のチームが、オリンピックで金メダルを取ることを誰よりも強く願っていたという。

 猛練習と言えは、こういうこともあった。何回目かの同窓会の時、当時茅ヶ崎方式英語会の会員集めに苦労していた私は、多忙とは知りながら「一度茅ヶ崎に講演に来てくれないか」と頼んでみた。二つ返事で引き受けてくれた松平君が「で、どんな話をすればいいんだ。バレーと英語じゃあまり縁がないなあ」と言うので、「バレーも英語も、Practice makes perfect.だろ」と答えると、「ああそれなら話せる」と乗り気になったが、この講演は日程の都合などで実現しなかった。今も心残りである。

 ミュンヘン5輪で日本チームを世界一に導いた後、TV番組に出演しているのを見ていた時のことだ。司会者が「なにかモットーのようなものがありますか」と訊ねると、彼は即座に「『自分等のことは自分がやる』ということですね。これは選手達にも日頃からよく言い聞かせています」と答えた。この言葉は、我々が城南中学に入学した時の校長訓話の一節だった。星一雄校長は入学式で、「君達は小学校で『自分のことは自分でやれ』と教えられてきたと思うが、中学生になった今日からは『自分等のことは自分がやる』という気概を持って欲しい」と述べた。私もこの言葉が事あるごとに脳裏に浮かんだ。しかし、実行することは時として自分の一生をかける決意を必要とするほど困難なことだった。

 彼は、バレー協会に「思い残すことは何も無い」と伝えて世を去ったという。一筋の道を、人生をかけて歩んだ人間でなければ、なかなか言えないことだろう。(M)
 
 

英語学習の自己評価

Author: 土屋澄男

英語学習を進める中で、自分が何を学んだか(学習内容)だけではなく、どんな学びをしたか(学習方法)について考え、自分の行なったことを内省し、正しく自己評価することが大切です。自己評価というと、学校のテストや外部のテスト(たとえば入試の模擬テスト、英検、TOEIC、TOEFLなど)を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかしそういうテストは、合格したかどうか、どれだけ点がとれたかどうかに関心が集中しがちで、自分の英語力が進歩しているかどうかを総合的に判断する資料にはなっても、それによって自分の学習プロセスを分析してみるようなことはあまりしません。

 そうではなくて、もっと詳しく、自分が実行している学び方がはたして機能しているかどうか、自分の学習法のどういう点に長所または欠陥があるか、どうしたら改善できるか、などに意識を向けるのが自己評価です。つまり、自分の行なっている学習プロセスを意識に上らせ、そこに含まれているさまざまな活動ついて考え、それらが学習目的にかなっているかどうかを意識的に評価するわけです。このような意識の使い方を「メタ意識」と呼ぶことがありますが、こういうことは、成功する学習者が(そのプロセスを言語的にうまく表現できるかどうかは別として)必ず行なっていることであり、あらゆる種類の学習に共通していると考えられます。本稿は英語学習におけるそのような意識の使い方について述べようとするものです。ただし、読者は高校生以上の英語学習者を念頭においています。初級レベルの学習者には少し難しいかもしれません。

 最近の第二言語習得の研究はそろって「メタ意識」(これを含むより大きな概念として「メタ認知」という用語がよく使われている)の重要性を強調しています。それは、これまでしばしば述べた「自律的学習者」(autonomous learners)の持つもっとも重要な特質とされています。英語学習者はみな、自分の言語技能を効果的に獲得するために、どのように学習を進めたらよいかを知りたいと思っているでしょう。ある人々は学習のすべてを学校の先生に頼ろうとします。しかし学校は必ずしも一人ひとりの生徒の要求に対応できるものではありません。しかも厳しい時間の制約がありますので、授業だけで目標を達成することはほとんど不可能です。どうしても、学習者自身の自主的学習に頼らなくてはならない部分が大きいのです。これまでの考察で、日本人の多くが長年の英語学習を経験しながら、基礎レベル修了程度の英語力にも達しない人が多いことが明らかになりました。他方では、高校卒業までに英検準1級に合格する人があり、TOEIC 650点以上をマークする人もいます。このような違いはもちろん個人の学習環境の違いにもよるでしょうが、学習者自身の自律性(autonomy)の違いによるところが大きいと考えられます。自律性がどのような構成要素から成るかは研究者によって違っていますが、筆者は次の4つの構成要素から成ると考えています。

 1.学習の計画を立てる:たとえば、数頁の英文テキストを読んでその内容を日本語で要約するというタスク(課題)を実行するとします。するとこのタスクには①テキストの内容を理解するという活動と、②内容を日本語で要約するという二つのタスクが含まれていること、そして①の活動は②の活動を行なうためのものだから、②の活動をスムーズに進めるために①の活動をどのようにしたらよいかを、タスクを始める前に考えておくことが重要です。

2.学習ストラテジー(方略)を選択し使用する:テキストの内容の要点をつかむための読みは、細かい部分にこだわらずに、まずテキスト全体が何について述べた文章であるかを出来るだけ早く見つけることが大切です。そのあとでキーとなる語句を発見するようにします。最初から辞書を引きながらテキストを詳細に検討するようなストラテジーは目的からはずれています。

3.学習をモニターする:タスクを遂行する途上で最初の計画を変更しなければならない事態が生じたときに、それに臨機応変に対応できるかどうかは非常に重要です。たとえばテキストを読み始めたところ、未知の語がいくつもある場合にはどうしたらよいでしょうか。キーとなる語句の意味が分からなければ要旨はつかめません。そこで辞書を引かなければならない。しかし安易に辞書に頼ると時間ばかりかかって全体を見失ってしまう。タスクを遂行する中で、さまざまな事態の対処に適切な判断ができるようになる必要があります。  

4.学習を評価する:これは一つのタスクが終わった時点でなされる活動です。それは①学習の計画は適切であったか、②選んだストラテジーは適切であったか、またそれらを適切に使用できたか、③タスクを遂行する途中での学習についての判断は適切であったか、の3つの観点からなされます。そしてその知識は、次に同じようなタスクを行なうときに利用されます。(To be continued.)

“どれが本番だ?”という問題
(1)TBS のラジオで平日の朝6時半からキャスターもしている元 NHK の森本毅郎氏が、正月明けの第1声で、「年末年始のテレビはつまらないね」と言ったので、わが意を得た感じになりました。森本氏は、“言葉の使い方が薄っぺらだ”と言うのです。“何でも「絆」と言えばそれで終わりだ。言葉というものはそんなものではないだろう”とも述べていました。私は全く同感です。なお森本キャスターは、テレビでは TBS の“噂の東京マガジン”で、種々の社会問題に冷静な判断をすると定評があります。

(2)年が明けてからの番組も、例によって小出しにしながら、視聴者の興味を引っ張って(と制作者が勝手に思うだけでしょうが)、“本番は、今週木曜日の夜9時から”などとなるのです。そうでなくても、“結果”を長く引っ張る番組が多いのです。典型的な悪い例は、日本テレビの“芸能界特技王決定戦”でした。1月7日(土)の夜9時から3時間かけての放送でしたが、その種目は、“ピアノ演奏・剣道・アームレスリング・けん玉”といった妙な組み合わせでした。

(3)お笑いの芸能人が、漫才やコントばかりではなく、単なる趣味を越えた“特技”を持っていて、その技を競うというのなら、それなりの意義があることだと思います。しかし、こんなに種類の違う競技を、ちょっと見せてはコマーシャルを挟み、試合結果を引き延ばしながら、他の対戦を加えてだらだらと続ける“演出”にはうんざりしました。民放ではコマーシャルが入るのは止むを得ませんが、視聴者をいらいらさせるような方法でコマーシャルを挟むのは、出来るだけ避けて欲しいものです。コマーシャルそのものも嫌われるでしょう。

(4)“演出”と言えば、NHK の“朝のテレビ小説”は、暗い戦時中の場面が終わって戦後の復興期になりました。いよいよ主人公糸子が本領を発揮する場面ですが、私が気になるのは、“ナレーション”を主人公の糸子にやらせていることです。主演の俳優は、書かれた脚本の内容をいかに演技で見物人に分からせるかが問われているのです。それなのに、この“テレビ小説”の場合は、主演の女優が自分の気持ちをしゃべってしまうのですから、なんともしっくりしません。

(5)話題は変わりますが、吉本興業が「そろそろ島田紳助を復帰させたい」と言っているとの報道が流れました。私は反対です。あれほど堂々とテレビ画面に向かってウソをつき、正式な謝罪もしないタレントを復帰させようとは、虫が良すぎると思います。視聴率の稼げるタレントだけを使い回して、必要な人材を育てようとしない姿勢は決して褒められたものではありません。プロ野球で、他球団から金に飽かして選手を集める某球団のやり方と似ています。結果はファンからも見放されてしまうことになります。(この回終り)

< ベクトルをかえる年 >

旧臘29日、鎌倉の鶴が丘八幡宮で、新年の運勢を占うおみくじを引いたら「凶」と出た。一瞬”え!”と絶句したが、直ぐ、「いや、この御託宣は当たるのではないか」と考えざるをえなかった。心の中では、今年は、自分にとっても、この国にとっても「吉」の目が出る可能性はほとんどないだろうと思っていたからである。

私の「凶」は直ぐに現れた。元日の午前4時過ぎ、トイレに行きたくなって起きようとしたら、急に気分が悪くなり、15,6歩歩いたところで意識が薄れて倒れた。持病の狭心症が悪化して、ついに心筋梗塞の発作が起きたのだと直感した。「これで終わりだなあ」と思いつつ意識が遠のき、気がついたら藤沢市民病院救命救急センターのベッドの上にいた。だが私は、しぶとく生き長らえた。発作は致命的なものではなかったのである。「凶」の出現が元日早々であったこと、致命的なものでなかったことは幸いであり、残りのこの1年を心身ともに大切に使い、「吉」にかえるチャンスを与えられたのだと思いたい。

新年早々自分の凶事を書いたのは、どうも、病膏肓に入った日本国の現状と似ているように思えるからだ。年末に、TPPについて少し勉強しておこうと思って、次の6冊の本を読んだ。① 2012年—資本主義大清算の年になる ② グローバル恐慌の真相 ③ TPP亡国論 ④ TPPが日本を壊す ⑤ TPPは国を滅す ⑥ 人口減少社会の設計 
これらの本を読むと、日本はこのままだと、以前このブログで取り上げた病根が死に至る病になりかねないと思えてくる。つまり、まともに生き続けるためには、ベクトルを変える必要があるという理念が6冊共通の底流になっているのである。

 これら6冊のなかで、最も強く私の心の共鳴板に響いたのは、① と ⑥ であった。それはこれらの本が、十分な資料と歴史的底流を踏まえて現状を的確に分析した上で、日本再生のためのパラダイム・シフトの必要性を説き、著者達の考える将来VISIONを明確に示しているからである。

 内容については今後のブログで活用させてもらうつもりだが、著者はいずれも経済学者或いは経済評論家であり、歴史的経過や現状分析については、素人の私が口を挟む余地はほとんどない。また、そこから導かれる将来VISIONも傾聴に値するものであったが、私がこれまでブログに書いてきた考えとは必ずしも一致しない。それは、パラダイム・シフトにかかる時間的なスパンの違いによるものだと思われる。 ただ、パラダイム・シフトには、早くベクトルを変える必要がある点では6冊全てが一致しており、今年がそのためのスタートの年として遅すぎることはあっても、早すぎることはないし、この国には新しい道を見つけ出す能力があるという点でも一致している。(M)
               
* パラダイム・シフト:社会全体の価値観の変更
* ベクトル:動いていく方向