Archive for 3月, 2013

(136) 北の核—5

終章(1) ケネディの警鐘

 北朝鮮がどの程度の核兵器を保有し、どこに、どのように配備をしているのか、或いはまだ配備していないのかは、さだかではない。しかし、核兵器開発の歴史をふりかえってみると、開発開始からすでに20年を経ている北朝鮮が、相当数の核兵器を近い将来、実戦配備する可能性は極めて大きい。そうなった場会、私の耳には、葬送曲が聞こえてくると思う。誰にとっての? 多分、北朝鮮自身及び韓国、そして日本にとってであろう。私は、戦前・戦中の体験から、核兵器保有国となった北朝鮮が核戦争へ向かって暴発することが、ないとは言えないと考えている。

 太平洋戦争後これまでに、核兵器が「意図的に」使われそうになった事例は、明らかになっているだけで、最低4回はある。最初は朝鮮戦争の際の連合軍司令官マッカーサーで、彼は、北朝鮮軍・中国志願兵部隊の補給基地になっていた満洲への原爆攻撃を作戦の選択肢として本国に提案し、解任された。

  次ぎは、1962年のキューバ危機である。これについては多言を要しないと思うが、キューバのカストロはフルシチョフ首相にアメリカへの先制核攻撃を迫り、世界は米ソの全面核戦争の危機に直面した。アメリカのケネディ大統領は、その前年の国連総会で次のように警告している。「地球の全ての住人は、いずれこの星が居住に適さなくなってしまう可能性に思いを馳せるべきである。老若男女あらゆる人が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている。か細い糸で吊るされたその剣は、事故か、誤算か、狂気により、何時切れても不思議はない。」 まさに人類の運命が核によって左右される時代になったと宣言したのである。

 らに、ケネディの後任であるジョンソン大統領、その後任のニクソン大統領がベトナム戦争を有利に終結させるため核兵器の使用を検討したことが、アメリカの公文書によって明らかにされている。つまり、事態打開のため、核兵器を使用したいという誘惑は常に存在する。また、ケネディがこの演説で触れた「事故」や「誤算」による戦争、いわゆる偶発核戦争(accidental nuclear war)の危険は現在も想定外とは言えない。

 北朝鮮についてはケネディのいう「狂気」が問題だ。核による戦争の抑止というのは、少なくとも関係国が正気で、合理的な思考の範囲内で行動することが前提になる。しかし、北朝鮮の現国家体制は、戦前・戦中の日本のそれに酷似し、「狂気」による暴発の危険性をはらんでいると、戦中派の私は感ずるのである。

 かって日本は、ロンドン軍縮条約や国際連盟からの脱退、ファシスト国家との3国同盟の締結などによって国際社会から孤立する一方、アジアの盟主と称して大東亜共栄圏の創生という独りよがりな妄想を描き、全く勝ち目のない戦争へ突入した挙句、悲惨な敗北を重ね、挙句の果ては、国民の犠牲を省みない本土決戦を企てるなど常軌を逸する行動をとった。

 こういう国に外からどんな圧力をかけても通じない。かえって強権体制の下に国民を結束させることになる。むしろ国民は強権体制を国家の強さだと錯覚し、自国に圧力をかけ経済制裁などで国民を貧窮に追い込んだ外国を鬼畜と思い込み、それに敢然と立ち向かう政府の下に欣然と結集するのだ。

 私の頭には今も戦時中の“愛国”標語がいくつも刷り込まれている。「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」と国家窮乏の責任を押し付けられ、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と叱咤され、「神州不滅」「七生報国」「大和魂ダテじゃない」「進め1億火の玉だ」と戦争に駆り立てられ、いつしかそれが自分たちが生命を賭けて進むべき道だと錯覚するようになっていった。こうして国民を戦争に駆り立てた指導部は、それによって自縄自縛となる。戦争
をしなければすまない状況に追い込まれていくのだ。特に指導者が未熟な場合は、そうなる可能性が高いだろう。

 どれをとっても、今の北朝鮮に当てはまる。私には、先軍政治の思想統制の下にある北朝鮮の人達の気持ちや生き方がなんとなく理解できる。特にかつて日本が朝鮮半島を植民地として強権支配した歴史を考えれば、何とか夢からさめてほしいと願わずにはいられない。狂気を狂気と感ずることのない狂気の中で、必勝の信念に燃え、一致団結して無謀な核戦争に突入する日が来るかもしれないと、軍国主義、つまり先軍政治下の狂気を知る私は慄然とせざるをえないのである。(M)

 

幼い子どもにとっての母語は、大人にとっての外国語と同じです。その言語を耳にしても、その意味は全く分かりません。むしろ、大人の場合よりも難しいでしょう。なぜなら、赤ちゃんは言語がどんなもので、それが何のために必要であるかを知らないからです。大人はこのことに関して、自分の母語習得とその使用経験から、言語がどういうものであり、それが何のために用いられるのかをよく知っています。ですから、もし大人が幼児の用いる「学びの力」を同じように利用することができれば、どんな言語も容易に学ぶことができるはずなのです。

 ところが、ほとんどすべての子どもの母語習得が成功するのに対して、大人の外国語学習はたいてい失敗します。なぜなのでしょうか。その理由はいろいろと挙げられますが、現在いちばん説得力があると考えられているのは、人間の生得的な「言語習得装置(LAD)」が、3歳頃をピークとして、その機能が低下し始めるという仮説です。だから大人は、新しい言語の習得に失敗するのだというのです。しかしこれには疑問があります。それは、大人になってから始めた外国語の習得に成功する人が、少数ながら存在することです。そういう人を例外とするという考えもありますが、それよりも、生得的な言語習得のメカニズムは3歳以後も保存されているのに、多くの大人は何かの理由でそれが利用できなくなっている、と考えるのが正しいのではないでしょうか。

 私たちは、大人が外国語学習に失敗する最大の理由を、各自が所有している「気づきの力」を発揮していないからだと考えます。なぜそうなるかは、①大人の先入観、②集中力の欠如、③根気の欠如(効率主義)、④脳機能の特化、という4つの要因が特に重要であるように思われます。これらを分析すれば、どのようにすればこれらの障碍を克服できるのか、あるいは克服できないのか、が明らかになるでしょう。予想としては、これらのすべてを克服することはできないかもしれないが、学習の前途に横たわる障碍が何であるかを正確に認識できさえすれば、それらの多くは乗り越えられるように思われます。

 そこでまず①から始めます。一般に、大人は有害な先入観や偏見に捕われており、それらが正常な学習を妨げていると考えられます。英語を学ぶ日本人の場合には、その先入観は英語という言語についての偏見から、学習者としての自己認識に至るまで、多岐にわたります。生まれたばかりの赤ちゃんは違います。彼らも、完全に白紙で生まれてくるわけではありません。すでに祖先からの遺伝子を受け継いでおり、それによってハードウェア—としての身体の設計図は予め与えられています。そして母の胎内で、生きて行くのに必要とされる事柄の学習がすでに始まっています。赤ちゃんの学習は誕生時にはかなり進んでいると考えられます。しかし大人とは違って、まだ言語が使えるようになっていません。その学習はまだ始まったばかりです。ですから赤ちゃんにとって、周りで飛び交う人の声は、初めのうちは何の意味も持ちません。ただひたすら耳を澄ませて聴くだけです。赤ちゃんは虚心坦懐に聞こえる通りに聴くことに徹しています。大人のような先入観や偏見がないので、赤ちゃんはひたすら聴くことを楽しんでいるのだろうと思います。

 また、大人は自分の母語を知っていますので、新しい言語の学習に際してさまざまな予測をします。学習言語が英語であれば、それはいったいどんな言語なのか、学ぶのが難しいか易しいか、どこの国々で話されている言語か、世界でどの範囲で通用しているか、自分はそれを学ぶことによってどんな利益を得るかなど、いろいろなことを考え、自分なりの見解を持とうとします。その見解はしばしば学習者の誤った信念となって、自身の学習を妨害します。そういう例はいくらでも挙げられます。一方赤ちゃんは、言語がそこに在るから学ぶというだけです。彼らの母語習得においては、学習の動機というのはまったく問題にもなりません。彼らは、たまたま地球上のその場所で生まれて、そこで使われている言語を学ぶのです。そしてそれを学んで、そのコミュニティーの一員となることに本来的に動機づけられているのです。

 またこういうこともあります。学校で英語を学んでいる生徒や学生たちは、英語が好きだとか嫌いだとか、英語が嫌いなのはあの先生のせいだ、あんな先生には教わりたくない、などと勝手なことを言います。それが妥当な批評の場合もあるかもしれませんが、まったく見当はずれのこともあります。まだ十分に自律を達成していない学習者の学習は、そういう勝手な自己判断に左右されがちです。赤ちゃんはたぶんそんなことは考えません。自分の母親がどんな言葉遣いをしようが、どんなに無知であろうが、赤ちゃんは決して批判をしません。すべてを素直に受け入れます。大人に赤ちゃんの従順さを期待することはできないでしょうが、自分のこしらえた誤った判断で自分自身を縛ってしまうことは、多々あるように思われます。(To be continued.)

(135)<北の核ー4>

Author: 松山 薫

(135)北の核—4

< 核拡散とダブルスタンダード >

 1945年にアメリカが原爆を保有してからこれまでの70年足らずの間に、核兵器保有国( nuclear powers, nuclear haves ) は、国連常任理事国の米、英、仏、露、中の五ヵ国と、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮の4カ国、合計9カ国に増えたとみられている。このうち水爆を保有しているのは、国連常任理事国の5カ国である。このように核兵器が拡散していく中で、大国のエゴとダブルスタンダードが顕著に見られた。

 最初の核兵器保有国となったアメリカは戦後間もなく、バルーク案という核兵器の国際管理案を提案した。しかし、これは事実上ソビエトの核保有を封じ、アメリカの核の独占を図るものであったから、ソビエトはこれを一蹴して4年後の1949年に核保有国になった。これに対抗するため、アメリカは、イギリスの核兵器開発を援助し、イギリスはソビエトに3年遅れて1952年独自の核兵力を持った。それから8年後、ヨーロッパにおける米英の影響力の拡大に対抗してフランスのドゴールは、独自の技術で1960年、核戦力( force de frappe )を創設し、米ソの核戦争に巻き込まれるのを嫌ってNATO軍の統合司令部から離脱した。

 一方、欧米勢力による核兵器の独占に反撥した中国は、軍事同盟を結んでいたソビエトからの援助で核兵器の開発を急いだ。ソビエトとしては、中国に核兵器を持たせることで、アメリ
カに2正面作戦を強いる思惑があった。しかし、国境紛争で中国と対立したソビエトは、突然核兵器の技術援助を打ち切り、この時毛沢東は、「中国人民はパンツをはかなくても原爆を持つ」(パンツは誤訳でズボン)と叫んだと伝えられる。そして中国は1964年原爆を、1967年には水爆を持った。

 このような核拡散の歴史を見ると、5大国は自衛のためという国益を口実に、核兵器を覇権を求め、勢力を維持、拡大する道具として使ったことは明らかである。これで、他の国(non-nuclear nations, nuclear have-nots)に核兵器を持つなと強制しても説得力はない。このような5大国のエゴは、1968年、つまり、5大国全てに核兵器が行き渡ったあとで、核拡散防止条約( the Nuclear Non Proliferation Treaty = NPT)を締結することで、よりあらわになり、NPTは、5大国の特権的地位を半永久的に認める典型的な不平等条約であるとされた。このため5大国は、条約の中で、“誠実に”核軍縮につとめることを約束したのだが、その後核廃絶に向かって努力したとは到底思えないのが現実である。

 中国との国境戦争に惨敗したインド、インドとの間にカシミール紛争を抱え3回戦火を交えたパキスタン、アラブ諸国に包囲されているスラエルはNPTに加盟せず、やがて核兵器を保有することになった。また、北朝鮮は2003年にNPTを離脱し、2006年には最初の核実験を実施した。この間、アメリカはNPTに加盟していないインドに対し、特例を設けて、核燃料を輸出している。また、イスラエルの核兵器製造にはフランスが秘密裏に、全面的に協力した。これに対して、アメリカは、アメリカにおけるユダヤ人社会の影響力に配慮して、曖昧な態度をとった。イスラエルもアメリカを刺激しないよう核兵器の保有を明言しない政策を採っているが、すでに200発前後の核兵器を持っているといわれる。こういう状況だから、核には核をという国が次々に出てきても不思議はない。

 核の拡散は日本にとっても他人事ではない。 平和憲法と非核三原則を持つ日本は特別な配慮でプルトニウムの貯蔵を許されており、既に原爆1000発分のプルトニウムが蓄積されている。このような日本が、かつての西ドイツと秘密裏に核武装の相談をしたことが明らかになっている。1947年の廣島平和宣言以来核廃絶を訴えている日本もまた、ダブルスタンダードの批判を免れ得ないのである。日本の反核団体がパキスタンの原爆実験に抗議したとき「アメリカの核の傘に隠れている人達が偉そうなことを言うな」と逆に批判されたという。日本政府もまた、国連軍縮会議に毎年“究極の“核兵器廃絶を提案している一方で、アメリカの核戦略に影響を与えるような核軍縮案には反対や棄権を繰り返している。 未曾有の原発事故を起こしながら、なお原発を捨てきれない人達に中に、核武装の可能性を残しておくことが、日本の安全保障にとって必要だと主張する意見もある。(M)

前回は、赤ちゃんが周りの人々の発する言葉を聞いて、それを理解するために必要な「気づき」の例を4つばかり挙げました。では、赤ちゃんはどのようにして話すことを学ぶのでしょうか。話すことは聞くことよりもはるかに難しそうです。最近の研究報告によれば、チンパンジーは人間の言語をかなりの程度まで理解し操作できるようになるが、話すことはできないということです。人間の赤ちゃんもまず聞くことができるようになってから(1歳の誕生日前後)、言葉らしきものを話し始めます。幼い子どもが話すようになるためには、少なくとも次の事柄に気づくはずです(Gattegno『前掲書』pp. 133–136参照)。

 (1)子どもは自分の身体に音声を作りだす部分(肺からの空気の流出によって活性化される器官)があることに気づく。

(2)彼らは自分の発する音声を自分の耳で聞くことができることに気づき、自分の意志によって、その二つの活動を関連づける。

(3)彼らは口から音声を発する活動と、それを耳で聞く活動が同時にでき、その二つの活動を区別することができる。

(4)彼らは口から発する音声を故意にいろいろと変化させ、耳でとらえる音声を意識的に変化させることができることに気づく。

(5)彼らは自分の意志によって、発する音声をいろいろと変化させ、それらが自分の意志に合致するかどうかを判断することができる。

(6)彼らはその活動の監視を、聞くときに関わっている自己(the self)の管理下に移す。こうして彼らは、聞くことと話すことの活動をたえず監視し、フィードバックすることができる。

(7)人が言葉を発するときには喉、舌、唇、歯、歯茎、口蓋、頬の筋肉などの身体部分を使用する。子どもはそれらの身体部分で作り出されるすべての音響スペクトルを探査することができ、その記録を脳にたくわえる。

(8)子どもはこれを遂行するための内的規準(inner criteria)を持っていて、それによって自分の作り出す音声のすべて(それぞれの音、音調、音色、強さ、長さ、音の連ね方など)に充分に気づくようにする。彼らは同時に、そのような研究に必要なのは自分自身だけであることを知っている。

(9)彼らは、他の人が何かの理由で発する音声(それはしばしば赤ちゃんの発する音声をまねたもの)を聞いて、それが自分の出し方を知っている音声であることを認知する。こうして子どもは、自分が上手に音声を作ることができることを発見すると共に、他の人も同様に音声を作ることができると知る。

(10)彼らは自分の出す音声から、他の人たちが出す音声へと注意を転換することができる。彼らはそのとき、それらを理解することはできるが、まだ自分で発することはできない。

(11)彼らは他の人たちの出す音声を分析する道具を創り出し、それらを注意深く使用することに専念する。その結果、耳から聞こえてくる音声が自分自身の出すものとは少し違っているが、結局は同じ音声であるという結論に達する。(このことは、彼らの発する音声が練習不足のためにまだ充分な正確さに達していないことを考慮すると、完全に納得できることである。)

(12)彼らは話すことを学ぶのに多くの時間を必要とする。彼らはまず、耳から聞こえてくる音声の客観的な特性を見出す必要がある。また、次々に現れる語の意味を探り当てなければならない。語の選択は恣意的なので、子どもは知覚を通して、それぞれの語の伝える意味を推量しなければならないのである。

 物事を正しく行うためには、私たちは慎重に、注意深く、徹底的に行わなければなりません。学習はすべてそうです。幼児の母語学習もそのように行われます。それぞれの一手を支配するのは「気づき」です。そしてその「気づき」が、以前そこにあったものを、新しいものへと統合します。こうして過去は現在に、現在はやがて訪れる未来に統合されます。話はやや飛躍しますが、人類の進歩もそのようにしてもたらされました。そこにはもちろん益となる遺産だけではなく、負となる遺産も含まれます。私たちは最近になって、そのことに気づき始めました。負の遺産を減らし、益となる遺産を増やすために、人間はさらなる「気づき」を必要としています。

 これまでの「気づき」はいちいち括弧付けにしましたが、ここまで来ればもうその必要はないでしょう。それは決して特殊なものでなく、私たちの日常の活動の中で頻繁に訪れるものです。私たちは何かに気づくことなく物事を学ぶことはないのです。そして自分が気づくことによって学んだものは、容易に失われることがありません。いちど自転車の乗り方を覚えると、しばらく乗らなくても、忘れてしまうことがないのに似ています。 (To be continued.)

(134) 北の核—3

< 運搬手段と核戦略の変遷 >

 核兵器の運搬手段 (nuclear delivery vehicle) は、最初は戦略爆撃機(strategic bomber)であった。廣島原爆(Little Boy)が4トン、長崎原爆(Fat Man)が5トン弱 もあったので、大型の爆撃機が使用された。つまり、B-29やMirage-4が原爆を抱いて四六時中上空に待機していたのである。これでは兵器として敵の攻撃に対して極めて脆弱であるうえ、万一自国や友好国の領土に墜落した場合深刻な被害が予想される。事実、1968年には水爆4個を搭載したB-52がグリーンランドに墜落してそのうち一個が海中に沈み、未だにどうなっているかわからないという事件が起きている。

 そこでミサイルが開発された。原形はナチス・ドイツがロンドン攻撃に使用したV2ロケットである。米ソともに、戦後いち早く多数のV2ロケットを押収し、技術者を連行して、ロケットの開発を進めた。つまり、基本構造的にはミサイルはロッケットと同じものなのである。

 ミサイルには、飛翔距離、使用目的、誘導方式などによっていろいろな種類がるが、核戦略に大きな影響を与えたのは先ず、液体燃料から固形燃料への転換である。V2ロケットのブー
スターが液体燃料であったため、初期のミサイルは液体燃料を使用していたが、液体燃料は、ミサイルを地上の発射台に直立させたまま注入する上、注入に時間がかかるので、その間に敵
襲を受けやすい。このため固体燃料ミサイルが開発され、大陸間弾道弾(ICBM)としては、1962年にアメリカがミニットマンを実戦配備した。現在はほとんど固体燃料が使われている。
  
 また、ミサイルをどのように目標に誘導するかについては、いくつかの方式がある。
ICBM( Intercontinental Ballistic Missile )は文字どおりballを投げた時のように慣性によって放物線を描いて飛ぶ。この場合一旦大気圏外に出て再び大気圏内へ猛烈な速度で再突入するから、核弾頭を摩擦熱からまもるカプセルの開発が必要になる。その点が衛星を発射した後は燃え尽きるロケットと異なる。さらに、巡航ミサイル(cruising missile)・トマホークなどのように、ミサイルに組み込まれた電子機器の指示に従って目標まで飛ぶものがある。1万キロ以上を慣性誘導で飛ぶICBMではどうしても目標への誤差が生ずるし、電子誘導は長距離には向かない。

 そこで考えられたのが、潜水艦に電子誘導ミサイルを積んで相手国に接近し、攻撃する方法である。在来型の潜水艦は、ディーゼルエンジンへの空気の補給のため時々海上に浮上しなければならず、その時に攻撃される脆弱性があったが、小型原子炉を積んだ原子力潜水艦であれば、潜水航続距離が飛躍的に伸びる。1958年、アメリカの第一号原潜”ノーチラス号“の北極直下潜航横断は、核戦略に大きな変化をもたらすことになった。長期間の隠密行動が可能になり、やがて、巡航ミサイル搭載のポラリス潜水艦が生まれた。

 これらの核攻撃に対して、防御する側は、まず先制攻撃(preemptive attack)を考える。
現在でも中国を除き、先制核攻撃を否定している核保有国はない。そこで、先制攻撃を受けても、核兵器の一部を温存し、第2撃で相手を壊滅させる抑止力を持とうとする、いわゆる相互
確証破壊(mutual assured destruction)と名づけられた恐怖の均衡戦略である。

 核兵器温存のために、トラクターや列車にミサイルを乗せた移動基地や、地下基地が建設され、さらに、敵ミサイルの襲撃をいち早く探知し、これを空中で打ち落とすABM(Anti-Ballistic
Missile Missile)が生まれた。この防御網を打ち破るために開発されたのが、多弾頭(multi-warhead)ミサイルである。ICBMの弾頭に数発の小型核爆弾を搭載し、途中で分散させて別々の目標を攻撃させる。

 こうなると、まさに“いたちごっこ”である。軍備競争は、どんな新兵器を開発しても、相手がそれを上回る兵器を持てば無用の長物となるから、競争はとめどなく拡大する宿命を持つ。核兵器、核戦略の消長はまさにそれを物語る。核戦略という机上論で膨大な人的物的資源や国の財源をつぎ込み、産軍複合体を肥大させながら、人類共滅への道を進んでいるのでな
ければ幸いである。(M)

子どもの母語習得における「気づき」について考えてみましょう。しかしこれはそう簡単ではありません。第一に、私たち大人は自分が幼い頃にどのようにして言語を学んだのかについて、ほとんど思い出すことができません。そして子どもが言語習得という一大事業をどのようにして成し遂げるのかは、誰が考えても不思議なことです。第二に、幼い子どもにたずねても、彼らは自分の言語学習について何も報告してはくれません。そもそも彼らは、自分の「気づき」について報告する手段を持たないのです。おそらく彼らは、自分たちが気づいていることにも気づかないでしょう。

 言語学者たちの多くも子どもの母語習得の過程で何が起こっているかに関心を持ち、そこで起こっている事実を記述しようと試みています。そしてこれまでに多くの興味ある発見がなされています。しかしまだ子どもの言語習得の全体像を描けてはいません。いちばん難しい問題は、子どもの言語習得環境が決して理想的なものとは言えないにもかかわらず、普通の子どもがみな学校に上がる前の数年間に、母語の文法システムの大半を身につけてしまうことです。特に、彼らの幼いときに身につける文法感覚は実に強固なもので、いったん身につけると、それは終生失われることがありません。それに対して成人の外国語学習者の多くは、どんなに努力しても、子どものこの能力にはかなわないという感じがします。なぜなのでしょうか。

 実はこの問題は、「言語習得におけるプラトンの問題」として古くから多くの言語学者たちが挑戦してきた難問なのです。これを解く鍵として、言語学者チョムスキーが提示した仮説がよく知られています。彼によると、子どもは生まれつき「言語習得装置(Language Acquisition Device)」なるものを備えていると考えます。その生得的な装置を使って、子どもは地球上で使われているどんな人間の言語をも習得が可能だと言うのです。確かに、子どもは何らかの言語習得のための特別な能力を与えられているのでしょう。この点では言語学者や心理学者の意見は一致しています。しかしその中身は何なのでしょうか。チョムスキーの言う「言語習得装置」がそれに当たるものなのかどうか—これについての議論はまだ決着してはいません。

 私たちはこの問題を、人間に備わっている「気づき」の特性によって説明しようとしています。母語の習得がある程度完了してからの外国語学習では、しばしば自分自身の「気づき」に気づかされます。日本の小学生や中学生の英語学習はまさに「気づき」の積み重ねといった感じではないでしょうか。たとえば “It’s a lovely day, isn’t it?” という一文をとっても、それが日本語の「良い天気ですね」という文との違いを意識せずに学ぶことはできません。この意識の用い方の違いが母語習得とは大きく違うところです。しかし、私たちはみな母語の習得を経験したことは確かな事実ですから、少し想像力を働かせるならば、記憶の奥深くに埋もれている幼児期の「気づきの経験」に想いを馳せることは可能のように思われます。

 この世に生まれてきた赤ちゃんは、周りの人々の発する、自分にはまったく理解できない音声を耳にして、たとえば次のような「気づき」に導かれるはずです(脚注)

(1)私たちは、周りに飛び交う人々の発話の音声の中から「語」に相当する一定のパタンを認識し、それを他の音声パタンと区別することができます。赤ちゃんは、そういう力が自分の中にあることに気づきます。

(2)「語」というのは、事物や行為やイメージなどの概念の集合を表わします。「イヌ」という語は特定の犬を指すのではなく、様々な犬の集合体に付けられたものです。言語を使うことができるためには、すべての人は「語」の表わす概念を理解しなくてはなりません。赤ちゃんは、そのような概念に気づき、それを操作する力が自分の中にあることに気づきます。

(3)私たちは語を一定の規則にしたがって配列して発話をします。そこで必要になるのは、語と語の関係に関する知識です。関係は目には見えない抽象概念ですが、赤ちゃんはそのような抽象的な関係を操作する力が自分にあることに気づきます。

(4)物理的な音はすぐに消えてしまうので、人が話す語の繋がりを聞いて意味を理解するためには、その繋がりの処理が終了するまで、しばらくそれを自分の中に保持する必要があります。人はみなそのような力が与えられています。赤ちゃんもその力を利用します。そして他の人の発する有意味な語の繋がりを、自分自身に関連づけることができることに気づきます。

(脚注)参考文献:Caleb Gattegno, The Science of Education, Part 1 : Theoretical Considerations, Chapter 6 Forcing Awareness, Educational Solutions, 1987.

(133) 北の核—2

② 核兵器開発の歴史—② 核爆弾

  核兵器とは、原子核の反応を応用した核爆弾とその運搬手段(delivery vehicle)とを結合したもので、核反応には、核分裂(nuclear fission)と核融合(nuclear fusion)がある。核分裂を利用したものが原子爆弾(atomic bomb, A-bomb)、核融合を応用したものが水素爆弾(hydrogen bomb, H-bomb)である。

 物質を構成する原子は、陽子と中性子からなる1個の原子核とそれを取り巻く電子でできているが、この原子核が割れるのではないかという仮説を思いついたのは、ユダヤ人の科学者らで、第2次世界大戦が始まる前年の1938年の暮れのことだった。この仮説は翌年物理実験で確かめられ、その際膨大なエネルギーが出るものと推計された。これを知って、爆弾に応用できるかもしれないと考えた科学者の中にオッペンハイマーがいた。ただ、爆弾に応用するには、分裂を連続的におこす連鎖反応(chain reaction)が必要で、原子核が分裂しやすいウラン235が適合した。しかし、ウラン235は天然ウラン鉱にはわずか0.7%しか含まれていない。爆弾にするにはウラン鉱石からウラン235だけを取り出して純度を80%以上に高める濃縮(enrichment, enriched uranium)が必要になる。アメリカ政府はオークリッジに巨大な濃縮工場を建設し、濃縮ウランの製造にとりかかった。同時に、ウラン235の濃縮が難しい作業であることを見越して、黒鉛の原子炉でウラン鉱の大部分を占めるウラン238から核分裂物質プルトニウムをつくり出す工場をワシントン州ハンフォードに建設した。

 一方、オッペンハイマーを所長とするロスアラモス研究所では、多数の科学者や技術者達が、ウラン235をどの程度の量集めれば連鎖反応が起きる量、つまり臨界量(critical mass,
criticality)に達するかについての研究や、臨界量のウラン235を爆発しないよう二つに分け、急激に合体させて爆発を起こす装置、つまり、引き金についての研究などに当たった。

 その間、 ロスアラモス研究所では、ハンガリー生まれの亡命ユダヤ人物理学者エドワード・テラーらが、ウラニウムやプルトニウム爆弾より安上がりで、爆発力の大きい水素爆弾の製造を推奨した。水素爆弾は、二つの重水素を融合させ、その際発生するエネルギーを利用するもので、引き金には原子爆弾を使用する。原子爆弾の周りを重水素で包み、核分裂による超高温と高圧力を発生させて核融合を引き起こすのである。重水素の量を増やせば爆弾の威力はどんどん大きくなる。

 廣島、長崎への原子爆弾投下で第2次世界大戦が終わり、アメリカとソビエトの冷戦が始まった。ロスアラモス研究所には共産主義に共鳴する科学者がおり、ソビエトに原爆についての情報を流していた。ソビエトはこれによって原爆の製造を急ぎ、1949年にほぼ nominal bombに近い威力の原爆実験を行なった。これに対抗して、アメリカは、水爆の開発を急ぎ、1952年に世界初の水素爆弾の実験を実施した。翌年ソビエトがこれに続き、果てしない核軍拡競争がはじまった。

 水爆=熱核爆弾の威力(yield)は原爆に比べて桁違いに大きく、米ソとも最初の実験は10メガトンであった。( nominal bombの約500発分、TNK火薬1トン爆弾100万発分)。
中部太平洋のエニウェトク環礁で行なわれた世界最初の核実験に立ち会い、島が丸ごと吹き飛ばされるすさまじい光景を目の当たりにした科学者の一人は、「人類は二度と水素爆弾を使わぬことを誓うべきだ」と語っている。

 これまで実施された水爆実験で最大のものはソビエトの50メガトンで、威力はnominal bombの約3000発分、第2次世界大戦で使用された爆薬の10倍にのぼる。核爆弾の威力は勿論爆発力だけではない。熱線や爆風、放射線によって甚大な被害を与える。アメリカが開発した中性子爆弾(Neutron bomb)は、水爆を使った熱核爆弾の一種で、爆発力を極小に抑え、大量の中性子を発生させて、人間(生物)だけを死滅させる。

 核爆弾が、核融合爆弾(熱核爆弾)の時代の入り、人類共滅の危機が現実のものとして認識されるようになった。太平洋戦争が終わって70年近く、多くの人々が戦争の悲惨さを忘れようとしている。今でも時々、太平洋戦争で米軍が使用した1トン爆弾の不発弾が全国各地で発見され、爆発処理のため、周辺住民が避難させられる。一発の水爆の威力が、その百万発分+何十年あるいは何百年も消えることのない放射能汚染であることを忘れてはならないだろう。(M)

<訂正>前回の「直感と分析」を(11)としましたが、(10)の誤りでした。したがって今回が(11)となります。お詫びして訂正します。

 私たちは毎日いろいろなことに気づいているのですが、気づいていることに気づくこともなく日々を過ごしているようです。それでも何とか生きていけるのは、生きていくのに最低限必要なものを記憶して保持するというメカニズムが私たちに備わっているからでしょう。生物としてのヒトはそのようにして生存し続けることができるのかもしれませんが、それでは今日に至る人間の進歩—とくに科学における近年の目覚ましい進歩—は説明できないでしょう。人間は、たぶん他の種の生物とは違って、「自分の気づきに気づく」という顕著な特性を持っているのです。

 しばしば、私たちは自分が気づいたことについて深く知りたいと思うことがあります。たとえばあるとき、ふと「光」というものに興味を持ったとします。暗闇ではまったく何も見えないのに、光さえあれば、私たちの目はいろいろな物を見ることができます。目を閉じれば、それらの物は一瞬にして消えてしまう。そこで、「光とは何か?」「それはどのようにして伝わるのか?」と疑問を持ちます。幸いにして、人は早くからそのようなことに気づき、何世紀にもわたってその疑問を解こうとしてきました。フォトン(光子)という電磁エネルギーの単位が使われるようになったのは20世紀になってからのようですが、筆者は何かの折にフォトンについての説明を読んで、文字通り「目からうろこが落ちる」経験をしました。長年疑問に思っていたことの多くが氷解したからです。

 第二次大戦後の中学4年か5年(旧制)のとき、筆者は生物の授業でメンデルの遺伝法則を学び、非常に興味を持ちました。「親子や兄弟姉妹はなぜ互いに似るのか?」というような素朴な疑問から、自然にこの話題に興味を持ったのだと思います。生物の教科書にメンデルについての記述がありました。メンデル(1822−1884)はオーストリアの人で、自分が司祭をつとめる修道院の庭でエンドウの遺伝実験をし、後世に残る遺伝の法則を発見した。しかしそれが脚光を浴びたのは、彼の没後(2000年)であったというようなことが書いてあったと思います。筆者はこのとき以来この問題に興味を持ち続けていて、1950年代にクリックとワトソンが「DNAの二重らせんモデル」を発表し、その業績によって彼らがノーベル生理学賞を受賞したとき(1962年)、これぞ世紀の大発見と大いに興奮したことを覚えています。この発見は、先人たちの遺伝に関する多くの「気づき」を基礎としてなされた大成果でした。そこには多くの研究者による多くの「気づき」があり、そこで得られた仮説が観察と実験と思索によって深化され、議論され、定式化され、論文としてまとめられ、学会に注目され、ついにはそれが専門外の人々にも理解され利用される知識となったのでした。

 このように、あらゆる科学の歴史は「気づき」の歴史であると言うことができます。ある事柄についての「気づき」がある人を訪れ、その人の心を占有します。彼または彼女はその「気づき」に気づき、それを客観的な立場から定式化し、他の人々に伝えようとします。そして専門家たちの間で議論され、それが確実な事実であることが認められると、そこに新しい科学が成立します。するとそれは一般の人々にも分かるような形に翻訳され、多くの人々の共有する知識となります。新しい科学はこのような「気づきの気づき」によって生まれます。そして新しい科学が今も続々と誕生しています。

 では、私たちの最大の関心事である言語についてはどうでしょうか。それもすでに19世紀末から20世紀にかけて科学として成立し、研究者たちは言語についてのさまざまな「気づき」を客観的に記述しようとしてきました。しかし研究が進めば進むほど新しい分野への「気づき」が広がり、その扱う範囲は無限に拡大するかのようです。言語研究はいまや宇宙物理学と並んで最も注目されている分野ですが、それらについて私たちの知りたいことは山ほどあるのに、現実の科学研究は私たちの期待にさほど多くは応えてくれません。外国語の学習と習得に関する問題についてはなおさらです。そこにはまだ多くの謎が存在しているのに、それらについての信頼の置ける本格的な「気づき」の研究はまだ始まってもいません。次回には、子どもにおける母語習得の「気づき」についての考察から始めることにします。(To be continued.)

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北の核−1

 北朝鮮が、大陸間弾道弾と核兵器小型化の実験に成功したことから、世界、特に日本は近い将来、重大な局面に立たされることになるかもしれない。そうなれば、国や政府だけでなく、国民ひとりひとりの生き方を問う深刻な問題にもなるだろう。この問題を考える時、核兵器をめぐる歴史を知っておくことは不可欠であると思うので、ここに私なりに概括しておきたい。

核兵器開発の歴史 ① 序曲 
                  
 1945年7月16日、マンハッタン計画によるトリニティと名づけられた世界最初の核爆発実験がニューメキシコ州アラモゴードの空軍演習場で行われた。この時、実験を主導したロスアラモス研究所の所長で、「原爆の父」と呼ばれるロバート・オッペンハイマーは、目もくらむ閃光に続いて爆風が過ぎ去った後「私たちは、世界は前と同じでないことを悟った。我は死となれり、世界の破壊者となれりという思いを抱いた」と回想している。アラモゴードの核実験は、人類の未来が核によって左右されることになる運命の序曲だった。
 
 アラモゴードでの最初の原爆実験にはプルトニウムの核分裂爆弾(fission bomb)が使用された。実験からわずか20日後の8月6日午前8時15分、B−29戦略爆撃機からウラニウム原爆が、廣島に投下された。原爆は中心市街地の上空約600メートルで爆発するよう設定されていた。ウラニウム爆弾は実験なしにいきなり実戦投下されたのである。何故これほど急いだのか。何故爆心がこのように設定されていたのか。さらに3日後の8月9には長崎に2発目の原爆が投下された。この核分裂爆弾はすでに実験済みのプルトニウム原爆だった。

 戦争を早く終わらせるためならば、1発で十分だし、警告を発した上、実験済の爆弾を無人島などに投下する選択肢もあった。上記の事実は、日本への原爆投下が ① 核分裂爆弾の威力を試す人体実験であったこと ② 戦後世界の覇権を争うソビエトを意識した示威行動(show of force)であったことを示している。なお、廣島型原爆の威力は、高性能爆薬(TNT火薬)にして15~20キロトン(1トン爆弾の2万発分)と推定され、後に核爆弾の威力を示す標準(nominal)となった。

 オッペンハイマーは、引き続き威力が格段に大きい重水素を使った核融合爆弾(fusion bomb、thermo-nuclear bomb熱核爆弾)つまり水素爆弾の開発を命じられたが、拒否してロスアラモス研究所を去り、その後核兵器の開発に携わることはなかった。オッペンハイマーに代わって「水爆の父」となったのは同じ研究所のエドワード・テラーだった。オッペンハイマーとテラーがいずれもユダヤ人であったことは、ヒットラーに追われた彼等にとって、ナチスドイツが先に核爆弾を手にすれば、世界がファシズムによって席巻されるだろうという危機感、恐怖感があったことは疑いない。

 亡命科学者らはイギリス、アメリカ政府に対し核兵器の開発を強く要請し、両国にカナダを加えたマンハッタン計画が、1942年9月、レズリー・グローヴス米陸軍准将(後中将に昇進)を責任者として正式にスタートした。最初の本部がニューヨークのマンハッタン工兵管区にあったことからこのように呼ばれる。廣島に世界最初の原爆が投下される3年前のことであった。なおカナダには世界有数のウラン鉱床があり、廣島原爆に使用されたウラニウムはここから採掘されたウラン鉱石から濃縮されたとされる。(M)