Archive for 11月, 2014

前回のタイトルに「英語の学びと教育(6)」と書きましたが、これは「英語の学びと教育(5)」の誤りでした。今回がその(6)です。前回は単語の学び方について述べましたので、今回は文法の学び方を取り上げます。

英語学習者の多くは文法を難しいと考えているようです。文法と聞いただけで頭が痛くなるという人もいると聞いています。たぶん、学校で文法をきちんと教えられなかったか、教えられたとしても、その文法がよく分からなかったのでしょう。しかし文法は決して理解が難しいものではありません。すべての言語はそれを母語とする人たちによって自然に習得されるものですから、その文法は、人間の理性に反する学習を強要するものではありません。ただ、私たちにとって外国語である英語は、子どもの母語の無意識的な学習とは違って、ほとんどが意識的な学習となります。私たちはまず偉大な言語の前に(すべての言語は人間の創りあげた偉大な所産です!)心を開いて、子どものように謙虚に立ち向かう心構えが必要です。人間の話す言語の文法は、普通の頭脳を持っている人間ならば、ごく自然に理解されるような仕組みになっています。文法の基本はけっして難しいものではありません。

私たちの文法の学習を難しくしているのは、近年の英語教育における文法の位置づけをめぐる考え方の混乱です。それが大きな躓きの原因となっています。その混乱とは、日本人の英語学習にとって文法は必要不可欠なものであるにもかかわらず、それがまるで無用であるかのように言う人が現われ、それを信じる人たちが増えたことです。学校で文法ばかりやっているから英語が話せるようにならないのだ!コミュニケーションのための学習には文法は不要だ!などの、理性に反する感情的な声に同調する人が増えてきたのです。なぜそのようなことになったのでしょうか? その経緯はおよそ次のようです。

以前は(1970年代終わりまで)高等学校用英語教科書に「文法・作文」とうのがあって、みっちり文法が教えられていました。ところが1977年の学習指導要領改訂を契機に、英語教育の目標として「外国語(英語)によるコミュニケーション能力の育成」というのが前面に押し出され、その結果「文法・作文」の検定教科書が廃止されてしまいました。おそらく、この決定に関わった人たちが、伝統的な英語教育現場において文法の授業が過重な地位を占めている事態を異常なものと見なし、これを改善する必要があると考えたのでしょう。そのような話を、当時の関係者から非公式に聞いたことがあります。コミュニケーションを重視する英語教育には「文法」という名の授業は不要だとその人は言いました。日本人教師には文法の好きな人が多く、その結果、コミュニケーションの目的を忘れて文法だけに力を注ぎ過ぎているというのです。こうして文法の授業がなくなったことで、高等学校の現場に大きな混乱が生じました。

高等学校の授業から文法教科書を追放したことは、現場の教師たちの意向を無視した無謀とも言える処置でした。英語を外国語として学ぶ日本人に文法が必要なのは自明のことです。そして多くの教師は文法を教えることに自信を持っています。その結果、高等学校ではコミュニケーションの授業の一部を割いて、文法はいろいろな形で(表向きは「オーラル・コミュニケション」で中身は「文法」など)教えられました。そして現在もその混乱は続いています。1980年以降に高校生であった読者は、文法の検定教科書はすでになくなっていて、代わりに副教材の文法解説書や問題集を使ったと思います。そしてそれらの授業は学習指導要領の意図に反する、いわば「もぐりの授業」でしたから、教える教師も生徒も「必要悪の授業」という後ろめたさを免れません。そういうことから、文法は何か怪しげなもの、厄介なもの、という観念が刻印されてしまったのです。これは教師にとっても生徒にとっても非常に不幸な事態でした。

もし文法が難しくて理解できないと嘆く人がいたら、多くの場合、それは文法の教え方が間違っているか、教えられる文法そのものが間違っているか、のいずれかです。生徒の落ち度ではないのです。生徒は文法の説明を聞いて分からないと思ったら、即座に質問してください。質問せずに分からないと言うのはいけません。文法は適切に説明されれば必ず分かるはずのものなのです。分かるはずのものを分からないままに放置するのは、学習者としての責任を放棄することです。分かるまで徹底的に追求しましょう。分かれば文法は面白く、楽しいものになります。すべての英語学習者は文法の面白さや楽しさを味わう権利があります。筆者はそう信じています。次回にはいくつかの例によって文法の楽しさを味わいたいと思います。(To be continued.)

(212) < 人権大国への道 終章 >

 
5.  私の安全保障論   ① 平和への原点

 安全保障を即軍備に結びつけるのは根本的に間違っている。前回引用したユネスコ憲章が言うように、相互の信頼関係が欠けていれば、軍備はやがて戦争に結びつく可能性が高いことを、歴史が示しているからだ。では軍備は不要なのか。必要だとしたら、それを戦争に使わないためにはどんな条件が必要なのか。戦争の原因には、国境紛争、民族紛争やそれへの介入、国際関係における力の不均衡、対外戦略の誤り、軍国主義や覇権主義、極端なナショナリズムなど様々あり、それへの対応を考えることが平和への条件であるが、それが論理の遊びにならないためには、結果としての戦争がもたらす現実をしっかりと知っておくことが不可欠であり、それが平和への原点であると私は考える。

 戦後の55年体制の中で、護憲政党として常に改憲政党自民党の対抗勢力であった日本社会党がやがて凋落の道をたどった最大の原因は、憲法9条に寄りかかるだけで、平和への条件ついての議論を怠り、国民に安心感を与える安全保障政策を示すことができなかったからだと私は考えている。

 このような護憲派の欠点を、はやくから危惧していたのは先月亡くなった国際政治学者の坂本義和・元東大教授だった。坂本さんの業績を偲んで酒井哲哉東大教授(国際関係論)は次のように述べている。「坂本は1959年『中立日本の防衛構想』で論壇にデビューしたが、これは日米同盟とその根底にある勢力均衡論に対する批判であると同時に、(日本社会党などの)非武装中立論に対する批判でもあった。坂本は両者への批判として中立諸国部隊からなる国連警察軍の日本駐留による安全保障政策を提唱した。」 *この坂本提案については次回<平和への道筋>で触れる。

 私が最後に読んだ坂本論文は今年の「世界」3月号に掲載された“「いのち」を生かす、たたかいの研究”であった。没後にこの論文を読み返してみて、これは、自らの生命の限界を悟った坂本さんが、半世紀に及ぶ平和研究の根源にある思いを吐露する国民への遺言状であると感じた。

 この小論文の冒頭で坂本さんは、「国際政治論では、戦争とは国家と国家の武力による戦いといわれる。だが、実際に戦争するのは「国家」ではない。人と人が殺し合いをするのだ。これが戦争をした人間の生々しい体験である。戦争と平和の問題を語る時、この国家とヒト(人間)の区別は決定的に重要である。だからこそ、この区別は意図的に不明確にされ、多くの国民が欺かれてきたのだ。」と述べ、その一例として、安倍政権とそれに連なる人々を激しく論難している。そして最後に「平和」とは、決して平穏な状態を意味するのではなく、「いのち」を生かすための絶えざる「たたかい」のプロセスであると述べている。

 私より二つ年上の坂本さんは、敗戦の年には18歳の旧制高校生で、翌年に兵役を控えて、国のために死ぬことを覚悟していたというから、敗戦後は、これで空襲がなくなるという安ど感とこれから何を目標に生きていけばよいのかわからないという虚脱感に襲われ、生きる目的をはっきりさせたいという思いで東大法学部へ進み、そこでの先生たちとの出会いが、平和研究へ進むきっかけになったと語っている。

 自らの命が尽きかける時、坂本さんの思いは、戦争によって、言い換えれば国家によって殺されていった人たちの「いのち」命への限りない哀惜の情と、そのような状況に追い込んだ者達への憤りに満ちていたのではないか。冷静な人に見えた在りし日の坂本さんの、思いがけない激情に触れて、私は息をのむ思いだった。間もなく世を去る残り少ない戦争体験者の一人である私にも同じ思いがあるからだ。

 坂本さんを理想主義者であるとして批判した高坂正尭京都大学教授の求めに応じて3時間にわたって対談したあと、坂本さんは「彼は、空襲をまぬかれた京都育ちのせいもあるかもしれないが、話をしていて、この人は『戦争の傷』を骨身にしみて経験していないという印象を禁じ得なかった」と語っている。50年にわたって平和を追求した政治学徒坂本義和の原点が戦争体験であることを物語るエピソードだ。

 開戦の翌年4月、中学校の生徒になったばかりの私は下校の途中東横線渋谷駅のプラットフォームで爆音を聞き、見上げると青空に見慣れない大きな飛行機が一機飛んでいた。坂本さんはそれを大塚の高等師範付属中学の教室の窓から見ていたという。東京を初めて空襲したドーリットル飛行隊のB−25爆撃機であったことを後で知った。それから4年後、敗戦の年の5月25日の夜、坂本さんは、駒場の一高の寮でB−29の大空襲に会い、雨のように降り注ぐ焼夷弾の中で、愛着のあった校内の建物が見る見るうちに焼け落ちていくのを、ただ黙って見ているしかなかったと回想録に記している。

 私は戦争中、グラマン戦闘機の機銃掃射と空襲による火災で3回殺されかけたと前に書いた。そのうち、敗戦の年の5月末の体験は最も深く心に残っている。23日か25日の夜、麻布にあった中学校の校舎で宿泊要員をしいてB−29の大空襲に会った。九死に一生を得て世田谷の奥沢にあった自宅へ歩いて帰る途中、目蒲線の沿線では焼跡がまだうすい煙を上げていた。その中に、黒焦げになった材木と見分けがつかないような遺体がいくつもいくつも転がっていた。やっとの思いでたどり着いた自宅も丸焼けだった。私以外の家族を疎開させ、この家にとどまっていた親父も死んだと思って焼跡を死に物狂いで探したが、見つからず、その場にへたり込んだら、とめどなく涙が流れた。親父が避難していた親類の家に泊まって翌朝、後片付けのため学校へ行かねばならなかったが、同じ道を通るのはどうしても避けたかったので、遠回りになるが、池上線の沿線を徒歩で目黒へ向かった。しかし、ここはもっとひどかった。息が詰まるような焼死体の臭いのなかを鉄兜を目深にかぶり、手拭で猿轡をして、まっすぐ前だけを見て歩こうとしたが、いやでも目を覆いたくなるような遺体が目に入った。どのようにして学校へたどり着いたのか覚えていない。私は、この無惨な光景を忘れない。この光景が、私の反戦・平和への原点であり、生きている限りこの原点が揺らぐことはない。

 ところで、昨日衆議院が解散され、総選挙が行われることになった。いったい何のための選挙なのかという論調が多いが、私は重大な選挙であり、“目くらまし選挙”であると考えている。安倍政権がこの2年間、一強多弱の国会を背景に民意を無視して強行してきた“国のかたちを変える”ような決定を、選挙で勝って、洗礼を受けたとして、民意にすり変えるための選挙であることは間違いない。かりに絶対安定多数を得れば、今後4年間の国会運営はやりたい放題になるから、この2年で骨格を定めた集団的自衛権の行使容認、特定秘密の囲い込み、武器輸出の原則自由化、原発のなしくずし再稼働、原発の積極的輸出それに教育委員会の政治支配などなどを肉付けする具体策を策定し、推し進めるだろう。そのことは、安倍晋三が首相になった時に出版した“新しい国へ「強い日本を取り戻すために」”を見れば明らかだ。この本は、第一章「私の原点」から最終章「新しい国へ」まで全8章で構成されているが、経済問題に触れているのは1章だけで、他はすべて自らの目ざすナショナリズムを基調とした国造りの作法を説いたもので、すでにそのいくつかはこの2年間で実現させている。

 自民党は前回の選挙でも、憲法問題や原発問題を意図的に避けて、経済問題を前面に押し出して争点隠しを行った。今回も争点は”アベノミクス〝の功罪だとしている。昨夕行われた安倍首相の解散記者会見でも、冒頭の15分間の説明のすべては、“アベノミクス”の成果を強調することに費やした。そうなると野党側もアベノミクス批判を展開せざるを得ないから、必然的に経済問題が最大の争点化して、他の重要問題が隠され、前回の総選挙と同じことになる。前回同様野党に対抗軸となる有効な経済対策政策が打ち出せないことを見越しての解散だから、選挙は低調になり、投票率は低くなる。そうなれば、比較的固い地盤を持つ自民、公明両党に有利なことは明白である。つまりは、前回同様、自民・公明への絶対投票率2割か3割、つまり有権者10人に2人か3人の賛成で、安倍政権が信任されてしまうのである。

 失業していた時のことを思い出すと、今日の生活に困窮していれば、明日を思う余裕はないし、とにかくカネが欲しい、人のことはかまっていられないから、「カネだけ」「今だけ」「自分だけ」の“3だけ主義”に陥るのはやむを得ないと私は思う。安倍政権は自らそのような状態を作りだしておいて、それを利用して、国のかたちを変えようとしていると私には思える。“敵は本能寺”の目くらまし選挙だ。そうさせないためには、この2年間安倍政権がなにをしてきたかの全体像をしっかり踏まえたうえで、
投票に行くしかない。今度の選挙では、“既成事実に弱く、すぐ忘れる”といわれる国民の性向が    問われている。(M)

< 参考書籍等 >
*「いのち」を生かす、たたかいの研究: 坂本義   和 「世界」2014年3月号 岩波書店
* 人間と国家 或る政治学徒の回想(上・下):   坂本義和  岩波新書
* 酒井哲哉 坂本義和の平和論: 朝日新聞 「ニュースの本棚」
* 戦争の条件: 藤原帰一  集英社新書
* 新しい国へ: 安倍晋三  文春新書

次回は12月6日(土)に <5.私の安全保障論 ② 平和への道筋 > を予定しています。

英語の勉強というとひたすら覚えることだと思いこんでいる人が多いようです。その証拠に、英語が難しいと言う人に「何がいちばん難しいですか」と尋ねると、多くの人が「単語を覚えるのが難しい」、または「文法が難しい」と答えます。「文法」というのは「文法規則」と言い換えてもよいでしょう。筆者が教師をしていたときに調査をしたことがありますが、やはりそのような結果を示しました。しかしよく考えてみると、そういう調査はあまり意味のないことだったのかもしれません。なぜなら、英語を学ぶことは英語の単語と文法を覚えることだと昔から言われており、生徒たちは英語を習う前から、それを英語学習の公理として受け入れてしまっているからです。

英語に限らず、外国語を学ぶときには、単語と文法規則を覚えることが大切であることは言うまでもありません。単語と文法規則を知らなくては、相手の言うことが理解できませんし、読むことも書くこともできません。しかし、英語の学習はもっぱら単語と文法を学ぶことだと言うのは誤りです。それは公理とは言えません。なぜなら、私たちが英語を学ぶとき、どんなに努力しても、英語の単語と文法の規則をすべて覚えることは不可能だからです。英語の単語数は無限ではありませんが、どんな大きな辞書でも、実際に使われているすべての単語を収録してはいません。また文法規則も、そのすべてを掲載している文法書は存在しません。さらに重要なことは、たとえ多くの単語や文法規則を覚えることに成功したとしても、それらを使って自由に発話したり読んだり書いたりすることはできないからです。単語と文法規則はただ丸暗記しても、それらの使い方を知らなければ、ほとんど役には立たないのです。

これまでどれだけの英語学習者が、何年も学校で学んだのに自由に英語が使えるようにならないと嘆いたことでしょうか。それは、英語を暗記科目として、ただひたすらに英語の単語を覚え、文法規則を暗記しようとしたことにあるのではないでしょうか。たしかに最近の学校の授業では、多くの先生方がいろいろと工夫をして、生徒に英語を少しでも使わせようと努めています。公開授業では、そういう工夫がなされた素晴らしい授業を拝見することがあります。しかし生徒のほうは、教室で習った英語を教室外で使ってみる工夫をしているのでしょうか。彼らは独りになると、ただ単語と文法規則を覚えようとするだけではないでしょうか。語彙や文法規則についての知識は自分で使ってみて、はじめて自分のものになるのです。

ではどのようにして自分で英語を使う経験を積んだらよいでしょうか。まず新しい単語や文法規則に出合ったならば、それをいろいろなやり方で使ってみることが大切です。覚えることと使うことを別々にするのではなく一体化するのです。つまり、使いながら覚え、覚えながら使ってみるのです。以下は単語の学び方の例です。(文法については次回に取り上げます。)

語は大きく2つの種類に分けられます。冠詞(a, an, the)や前置詞・接続詞(in, of, on, with, as, if, etc.)のような語を「機能語」(function words)といいますが、これらは常に他の語や語句と連動して用いられる語なので、それだけを取り出して覚えることは難しいのです。たとえ辞書に書いてある定義などと結びつけて覚えても(たとえば<in=の中に>のように)、その知識はほとんど役には立ちません。これらはフレーズやセンテンスの中に入れてはじめて意味をなす語だからです。機能語だけを他の語から切り離して覚えるというようなことは、たぶん、学校でもしたことはなかったでしょう。しかしこれらの語は数が限られており、出現する頻度が高いので、中学校3年間の英語学習でだいたい使えるようになるはずです。もしそこで躓いたとおっしゃる方があれば、中学校用の教科書で再学習することをお勧めします。

機能語に対して、それ自体がある意味を表わす語を「内容語」(content words)といいます。内容語は名詞、形容詞、副詞、動詞のいずれかです。これらの多くは単独で意味を持ちます。単語1個で発話の単位となることもあります。たとえば “When will you leave here?” に対して、 “Tomorrow.” のように1語で答えることができます。機能語は数が限られていますが、内容語の数は特定できません。なぜなら、私たちの世界が広がるにつれて、新しい語がどんどん追加されるからです。学習者が単語に苦労すると言うとき、それは主としてそうした内容語のことです。以下に内容語の学び方の例を挙げておきますので、参考になさってください。大切なことは、使いながら(頭の中でその語が使われる場面を想像し、口で言ったり手で書いたりしながら)覚えることです。

(1)語の品詞(名詞、動詞、形容詞、副詞の区別)を確認する。

(2)意味を確認する。ただし多くの語は多義的なので、辞書でどのような意味に使われるのかを確認する。

(3)多義的な語については、一度に全部の語義を記憶しようとせずに、その語と出合うたびに一つずつ使い方を覚えるのがよい。多義的でない語は、たとえば<computer:コンピュータ>のように、英語と日本語を対にして覚えることもできる。

(4)その語を声に出して発音してみる。特にアクセントに注意する。

(5)語を覚えるときは単独で覚えるのではなく、必ずその語を含むフレーズやセンテンスで覚える。その場合には、語のアクセントだけではなく他の語との関係から生じる強勢や抑揚のパタンに注意する。かならず声に出して言ってみることが重要である。

(6)その語を含むセンテンスまたはダイアログ(対話)を自分で作成し、それが実際に産出される場面を想像しながら言ってみる。最後にそれをノートに書いて記録する。

4.人権大国の基盤を創る 
           
④ 貿易立国(物)から観光立国(人)へ

 内閣府が先月(10月18日)発表した「人口、経済社会等の日本の将来像に関する世論調査」によると、東京一極集中を「望ましくない」と考えている人は48.3%と全体の半数近くに上った。また、都市部にすむ現役世代である20~50代の48.7%とほぼ半数が、地方へ移住してもよいと答えた。移住してもよいと答えた人は、20代では52.3%、30代が57.6%%と半数を超えている。都市へ都市へと流れていた日本人の意識は確実に変わってきたのである。

 こうした地方志向の青年層の人達の中には、帰農を考えている人もいるだろう。国連家族農業年の目標にあるように、この国の食糧安全保障と国土保全を担うこれらの人達に、政府や自治体は、抜本的な支援体制をつくる必要がある。同時に、帰農する人達にもそれなりの覚悟が必要だと思う。私は学校を出てすぐ新潟の山間地の高校の教師になったが、表面的には“先生、先生”とたてまつられながら、実はそれは完全なよそ者扱いの裏返しでもあった。下宿のおばあさんには、「土地の娘を嫁にもらい、家を建て、3代ここに住まなければ、土地の者とはみなされない」とはっきり言われた。何十年、何百年にわたり、その土地を支えてきた人達からすれば、これは当然のことである。だから、その土地に根を下ろそうとするならば、まず、生活の基盤として3代100年にわたって住む住居建設に着手することから始めなければならないと私は思うのである。そして、その一環として内外の観光客を泊める場所を確保する。

 この国は、観光資源に恵まれており、ユネスコの世界遺産は富士山などの自然遺産、和食−日本の伝統的食文化などの無形文化遺産など18件に上る。四季折々に移り変わる風景、都会にいてはわからないその美しさを地方に住んでみて実感できた。この風土に長く根付いてきた祭りや漆器、陶磁器、細工物などの工芸品、長い歴史を物語る神社や仏閣、城郭、それに海や山、川で楽しめるスポーツやレジャーなどなど観光客を惹きつける固有の資源は山ほどある。国土の7割は山林だから森林浴の適地も多いし、無人島は6500以上もあり、以前は人が住んでいたところもあるから、そこでキャンプをはるのも悪くない。

 それにも拘らず日本を訪れる観光客はようやく1000万人を超えたところで、8300万人のフランス(人口は日本の約半分)はもとより人口5千万人のお隣の韓国より少ないのである。政府も2030年に3000万人を目ざしているようだが、目標が小さすぎるのではないか。

 日本を訪れる外国人の悩みは、物価が高いこと、特に宿泊費と交通費が高いことだろう。だから外国人観光客は一部の富裕層が中心になってしまう。観光立国には、もっと手軽に泊まれるところを増やさねばならない。箱根には、年間9000人が訪れる個人経営の宿泊施設がある。農村に3代100年住宅を建て、一部屋を観光客を泊められるようにするという提案は、この隘路を解決するためのものでもある。
 
 一方交通費については、高速道路の路肩あるいは左側の一車線を自転車専用道路として、稚内から沖縄まで自転車で旅行できるようにする。同時に自転車を収容できるバスを運行させる。人口の激減に伴い、やがて車の保有台数は半減して、4車線以上の高速道路は無用の長物と化し、維持費もままならなくなる。その頃には電気自動車や燃料電池車が実用化されているだろうから、自転車で走行しても排気ガスを吸い込む心配はない。また、既に5万円を切るものも出回っている電動アシスト自転車を活用すれば、幼児や高齢者にもかなりの距離のサイクリングが可能になる。これが私の考えるエコツーリズムである。

  キューリー夫人伝の中で印象に残っているのは新婚旅行のくだりだ。ソルボンヌ大学で知り合ったマリーとピエールの新婚旅行は、お祝いにもらった自転車でのサイクリング旅行だった。二人はフランスの田園地帯を気の向くままに走り、夜は村の安宿に泊まって相客や宿の人達と談笑したり、二人でこれからの生活や将来の夢を語り合ったという。8トンもの瀝青ピッチを鉄鍋で煮詰めてわずか1グラムのラジウムを取り出すという気の遠くなるようなマリーの仕事を支えたピエールの献身的な協力は、その時に結ばれた絆の上にはぐくまれたものだったのだろうと私は感じた。エコツーリズムの極致はサイクリングツアーではないかと私は思う。

 ただし、観光を利潤追求の手段にすると結局自然破壊につながりかねない。千年杉で有名な屋久島で、縄文杉までの徒歩5時間をロープウェイやケーブルカー、観光自動車道路などを作って手軽に行けるようにして観光客を呼び込もうという計画が持ち上がった時、元朝日新聞記者の三島昭男は、「7千2百歳の遺言」の中で、自然に対して振り下ろされた文明の斧であると怒りを込めて告発している。

 私が観光に興味を持ったのは、NHKに入って間もなくのことだった。配属された国際局報道部の仕
事は日本の出来事を海外へ伝えることだったが、ナマの情報をそのまま伝えても、海外の聴取者には理解できないことが多い。そこで背景の説明が必要になるのだが、自分にはその知識がほとんどないことにいやでも気付かされた。いちいち調べていたのでは放送時間に間に合わない。そこで思いついたのが、似通った仕事である運輸省通訳案内業(英語)の試験を受けることだった。半年くらい地理、歴史などの勉強をして試験には受かったのだが、成績は自己採点でも散々なものだった。地理の試験では、日本の白地図に、50ほど黒点が打ってあり、観光地の名前を書き入れるのだが、半分くらいしかわからなかった。歴史の問題は「京都の都城としての地理的条件について述べよ」といった問題で、自分の本籍地が京都盆地の一角にある亀岡というところで、行ったことはないが、どんなところか調べたことがあったので、なんとか答えをでっち上げた。

 そのあと、3日間の研修旅行に参加して、ベテラン通訳の指導を受け、彼らの該博な知識と日本の良さを外国人に伝えようとする熱意に感銘を受けた。上野から日光へ向かう途中、バスの窓から5寸ほどに伸びた緑の畑が見えた。講師のベテラン通訳は、「この畑の作物は何だと思いますか?」と問いかけた。都会育ちの新米通訳の中には答えられない人もいた。「そうです。小麦です。ところが、外国人観光客に質問されて“Japanese green onions “と答えたガイドがいました。見ていればわかりますが、小麦畑はこれからずーっと続きます。とうとう外国人から”Japanese people live on onion? ”と皮肉られてしまいました。彼が面目を失っただけではありません。外国人に日本人は嘘つきだという印象を与えてしまったのではないかと思います。」

 研修を終わるにあたって、講師の一人が「観光通訳はウソで誤魔化してはいけない。かといって知りませんでは済まない。だから、常に外国人の質問を想定して研鑽をつんでください。それでも文化や風習の違い、それに言葉の問題もあって、なかなか真意や誠意が伝わらないこともある。苦労の多い仕事だと思います。しかし、外国人観光客の皆さんが、“たいへん興味深かった。生涯の思い出になるだろう。有難う!”と言って手を握ってくれた時、仕事への生きがいを感じます、どうか、皆さん一人でも多く仲間になってください。」と別れの挨拶をした時、私は、この教訓をこれからの仕事に生かさねばならないと思った。 もっと日本のことを広く、深く知らねばならない。英語によるコミュニケーションという難題にも立ち向かわなければならない。それによって、外国へ事実を正確に伝えねばならない。 私にとって、この研修が、国際放送のスタッフの一員としての使命を自覚する原点となった。

 ユネスコ憲章前文は言う。「相互の風習と生活を知らないことが相互不信を生み、それがあまりにもしばしば戦争につながった。政府間の取り決めによる平和は永続する平和ではない。平和は、失われないためには、人類の精神的連帯が必要である」と。つまりは、人と人の絆、人間同士の信頼関係こそが安全保障の基盤であると宣言しているのである。いつの日にか、ロシア極東から朝鮮半島そして日本列島から中国大陸、モンゴルを貫くサイクリングロードが建設され、アジア諸国民交流のシルクロードとしての役割を果たす日が来ることを私は願っている。(M)

< 参考書籍等 >
* 七千二百歳の遺言 : 三島昭男  リサイクル文化社  7200歳というのは縄文杉の推定樹齢。この本の末尾には「日本の森林浴100選」が紹介されている
* キューリー夫人伝 : ド—リー 桶谷繁雄訳  講談社

次回は11月22日(土)に<人権大国への道 終章> 5 私の安全保障論 ① 平和への原点 を投稿する予定です。

英語を使えるようにするためには学校で教えられることだけに頼ってはならない、と私は前回書きました。しかしそのためには、まず学校外で英語に取り組む時間を工夫して作り出す必要があります。そうして自分で学びの環境を整える努力をするのです。それがなかなか難しいのだ、という声があちこちから聞こえてきます。確かに難しいでしょう。学生も社会人も、現代人はなべて忙しい。やるべきことがわんさとある。しかも、日本で生活しているかぎり英語を使う機会は極度に乏しい。学校や会社で英語を使わなくてはならない時間があればまだしも、それもほとんどない。後になっていざ英語を必要とする事態に直面してあわてる、というのが普通のことになっています。しかしそれから始めたのでは間に合わないことがあります。少なくとも、そういう事態になってもあわてずに、即座に間に合わせることができるように備えておく必要があります。

学びの時間を新しく生み出すためには、今の生活から何かを捨てるか、減らすかしなければなりません。あなたは何を捨てることができますか。何の時間を減らすことができますか。誰もが最初に考えつくのは睡眠を減らすことのようです。しかしこれはいけません。睡眠はただ疲労を取り除くために休むだけのものではないからです。近年の睡眠に関する科学は、私たちに驚くべきことを教えています。それは、目覚めている間に収集した膨大な情報を整理し、保存しておく必要があると判断されたものを長期記憶に送り込むという、非常に重要な活動を行っているのです。私たちは目覚めている間だけ学んでいるわけではありません。学習は覚醒時と睡眠時の両方で進行しているのです。ですから睡眠を減らそうなどと考えてはいけません。むしろ増やすことを考えてください。睡眠時間をたっぷりと取って、毎日質の良い睡眠を取るようにしてください。目が覚めているはずの時間にしばしば眠気をもよおすようではいけません。

目覚めている間に行っている活動から何を削るかは個人によって違います。年齢によっても違うし、たぶん女性と男性では違うでしょう。たとえば筆者のような高齢者から見ると、若者たちがケイタイに夢中になっているのは感心しません。それらをぜったい使ってはいけないとは考えていませんが、道路を歩きながら(時には横断歩道を渡りながらも)ケイタイやスマホから目を離せない人たちを見ると、かなり異常な事態が起こっているように思えます。事実、高校生などには一日中スマホを手放せないという、憂慮すべき依存症状が蔓延しているということです。そういう症状にかかると、自分の使える時間が極度に制限されることになりますから、その影響は甚大だと思います。そういう生徒は学校で教えられる学課のおさらいする時間も、限りなくゼロに近いことでしょう。

仕事に就いている一般社会人の多くは、仕事で必要としないかぎり、英語を使ったり学んだりすることはないかもしれません。しかし経済のグローバル化に伴って、普通の会社員でも仕事の上で英語を必要とする機会が増加しているようです。社員に英語の使用を義務づける会社も出てきました。数年前(2010年)、ユニクロと楽天が社内の公用語を英語にするというのでニュースになりました。その是非はともかく、そのようなことを考えなくてはならない時代になったということです。そういう会社の社員にとって一番の問題は、英語を学ぶ時間を確保することではないかと思います。あわてても仕方がありません。会社の残業を減らしたり、友人との吞み会の回数をへらしたりして、毎週数時間の学びの時間を確保することから始めなくてはならないでしょう。

一方、退職した高齢者は時間に縛られることがないので、しようと思えば何でもできる恵まれた境遇にいます。もう仕事の上で英語を必要とすることはなくなるかもしれませんが、多少でも英語を使ってきた人たちにとっては、停年まで積み重ねてきた英語の知識や技能をそのままにしておくのはもったいないことです。筆者の経験では、言葉は歳を取るほどその面白さが増すものです。ボケの防止もかねて、趣味として英語の学習を続けるという選択があってもよいのではないでしょうか。死ぬまで学ぶことがあるというのは、実に楽しいものです。

さて学びの時間を確保できたら、その時間をいかに有効に使うかを考える必要があります。それをどのように使うかはもちろん個人によって違いますから、一概に述べることはできません。しかしどういう点に注意したらよいかについて知ることは、英語を学んでいるすべての年齢の人々にとって有益でしょう。 (To be continued.)