Archive for 5月, 2014

<人権大国への道>

所与の条件 隣国—4 

ロシア ① ロシアへの不信感

 ロシアに対しては日本人の多くが不信感や警戒感を持っているように思う。

その淵源は多分江戸時代中期にさかのぼる。長く鎖国を続けた(1639~1854)江戸幕府には、帝政ロシア(1721~1917)についての知識はほとんどなかったようだが、1785年の蝦夷地調査でロシアの南下を知った幕府は、警戒を強めるようになった。1792年には、日本の漂流民大黒屋光太夫らを伴い北海道の根室に来航して交易を求めたロシアの使節団を追い返している。光太夫は紀州の船乗りで、1782年米を積んで江戸へ向かう途中、時化にあってカムチャツカ半島へ漂着し、仲間とともにシベリアへ渡った。カムチャッカ、シベリアでは多くの仲間を失いながら、イルクーツクなど各地を転々として暮らしたが、やがて酷寒のシベリアを旅してぺテルブルグに至りエカテリーナ2世に帰国を懇願して許された。光太夫以前にもかなりの日本人漂流者がシベリアへ渡ったが、帰国は許されなかった。彼らは日本との交易に備えて日本語教師として利用されていたのである。ロシアの周到な準備がうかがえる。光太夫が特に帰国を許されたのは、彼の苦難に満ちたシベリア横断の旅や毅然たる態度が女帝を動かしたからだという。幕府は10年間をロシアで過ごした光太夫を江戸に留め、ロシアの内情を聞きだして「北槎聞略」にまとめた。江戸時代中期の終わりころ、寛政年間のことである。(大黒屋光太夫 吉村昭 新潮文庫)

幕末に至って幕府は伊能忠敬に蝦夷地の測量を命じ、これを間宮林蔵が引き継いだ。幕府の隠密でもあった林蔵は、1809年、国禁を犯してシベリアへ渡り、アムール川(黒竜江)をさかのぼって清国の役所のあるデレンに至り、この地方にはロシア人よりも中国人が多いことを確認している。ちなみに、アムール川左岸は1858年の愛暉条約により、沿海地方は、1860年の北京条約によってロシアが清国から獲得したもので、いずれも清国の混乱に乗じた不平等条約といわれる。これによってロシアは、不
凍港であるウラジオストクを獲得した。

同じ頃(1855安政元年)、幕府はロシアと和親条約を結び、千島列島の択捉島とウルップ島の間に国境線を設けた。樺太については、意見がまとまらず従来通り、日本人、ロシア人、アイヌなどの混住の地として残された。樺太の帰属については、明治維新後の1867(明治8年)の樺太・千島交換条約で、樺太全島をロシア領に、ウルップ島以北の千島列島(クリル諸島)の18の島を日本領とすることにより一応決着した。

ロシアは18世紀、上記のエカテリーナ2世の頃から貿易など海洋進出のための不凍港を求めて南下政策を開始し、ヨーロッパではクリミア半島を確保して、黒海から地中海への出口を得る一方アジアでは、ウラジオストクを獲得してさらに旅順を狙った。こうした動きに、生まれたばかりの明治新政府は警戒感を強め、満州・朝鮮を緩衝地帯としてこれを食い止めようと図った。その際一つの焦点となったのが遼東半島・旅順であった。日本は日清戦争の結果遼東半島の領有権を得たのも束の間、ロシアを初めとする3国の干渉で、返還させられたばかりか、ロシアに租借権を奪われてしまった。“臥薪嘗胆”石にかじりついてもロシアを撃てという国民世論が沸騰した。日本政府は世界一の陸軍国との戦争に慎重であったが、シベリア鉄道が旅順まで延長され兵力輸送が容易になれば万事休すとみて、日露戦争に踏み切った。勝つには勝ってなんとか南樺太の割譲を受けたものの、ロシアは賠償金をびた一文払わす、新聞はポーツマス講和条約を”屈辱条約“と書き立てたので、国家財政が枯渇して耐乏生活を強いられていた国民は再びロシア憎しで固まった。

一方ロシアでは、日露戦争の末期に起きた革命運動が、次第に社会の底辺へ広がり、第1次世界大戦中の1917年ロマノフ王朝が倒れ、内戦を経て、1922年、史上初の共産主義国家ソビエト連邦が誕生した。これに続いて、世界の各地に共産党が誕生し、この年の7月には日本共産党が結成された。日本共産党は天皇制の撤廃を唱えたから、政府は治安維持法の基づき、特高警察を使って共産党を弾圧し、1928年(昭和3年)3月15日、1600人が検挙され、厳しい取り調べを受けた。この時の拷問の様子を小説「1928・3.15」に書いた小林多喜二も後に特高の拷問を受けて死んだ。
この3・15事件を、政府は、異論を排除して国内世論を統一し、戦争へ向かう踏み台としたとされる。こうした恐怖政治の中で、共産党に対する大衆のアレルギ—が高まり、権力に都合の悪い者は、アカのレッテルを貼られて社会から葬り去られた。このような社会の趨勢は、とりもなおさず、世界共
産党の中心であったコミンテルン(国際共産主義連合)やその後身であるコミンフォルム      への、そしてその中核であるソ連への国民の警戒心を高めていった。              

そのソ連と、日本政府は太平洋戦争開戦に先立ち、1941年4月に「日ソ中立条約」を結んだ。日本はアメリカと、ソ連はドイツとの戦いに後顧の憂いをなくすためだった。この条約には相互不可侵が決められているが、日本の敗色が濃厚になった1945年2月、ソ連のスターリンは、クリミヤのヤルタでアメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチルとの秘密会談し、対日参戦を約束した。それを知らない日本政府は、ソ連に条件付き降伏の仲介を依頼したのである。

ソ連は4月、中立条約を延長しないことを日本に通告、国境に待機した174万の大軍が、8月9日まず満州、蒙古、朝鮮へ、11日明け方から樺太、千島へ侵攻し、日本が降伏を通告した15日以降も攻撃を継続、拡大した。この無法な侵攻とその後のソ連軍の非道な振る舞いは、日本人の対ソ感情を決定的に悪化させた。私の家内は、樺太で生まれ女学校3年生まで育った。ソ連軍の南下が伝えられ、真岡郵便電信局での女子職員の集団自決などが相次ぐ中で、15日大泊から引き揚げ船に乗ったのだが、遅れて次の船に乗って家族の半分は、留萌沖で潜水艦に撃沈され帰らなかった。海岸に打ち上げられた遺体を引き取ることも出来なかったという。潜水艦の国籍は不明とされたが、ソ連のものに間違いないだろう。引き上げの様子はかつてこのブログの投稿の一部として載せた。<アーカイブ 2010−10−30付記>

 さらに悲惨を極めたのは北満に入植していた開拓団の人達だった。日本軍に見捨てられ、ソ連軍に追われながら祖国へ向かって満州の曠野をさまよった日本人の姿を、日本人会会長であった高碕達之助(満州重工業総裁、帰国後通産大臣)は次のように記している。「奥地から逃げてきた日本人が、疲労困憊の姿で足を引きずっている。髪は乱れ、着物はよれよれになった足袋裸足の婦女子。子供には晴着を着せているが、それも雨ですっかり濡れはて、泥にまみれて見る影もない。これを満州人が嘲笑的な面持ちで眺めている。そのあまりにもみじめな光景は、到底正視できるものではなかった。」(満州の終焉 実業の日本社)開拓団の人々にとって黒ずんだ緑の軍服に自動小銃を持ったソ連兵は、悪魔に見えたことだろう。

もう一つ、ロシアに対する日本人の心証を悪くした歴史的事実にシベリア抑留がある。満州に駐留していた日本軍(関東軍)の兵士数十万人(厚労省調べで57万5千人、50~75万の諸説)が、降伏後最長10年にわたりシベリアに抑留され、森林伐採や鉄道建設などの労役に服せられた。酷寒のシベリアにおける飢餓状態での労役で”枕木一本・人ひとり”と言われるほどの犠牲者(厚労省調べで5万5千人。6万人という説もある)を出した。関東軍の将校であった私の義兄も3年間抑留された。その間の事は死ぬまで一言も漏らさなかったが、多くの部下を失った自責の念とともに、口に出すことのできない多くの出来事があったのだろう。<アーカイブ 2011−8—13 軍人だった先輩たち >    

日本の敗戦後まもなく始まった米ソの冷戦の中で、アメリカの世界戦略に組み込まれた日本にとって、ソ連は日米安保条約における仮想敵国であった。その上、いわゆる「制限主権論」という手前勝手な理屈で東欧諸国を支配し、“プラハの春”を戦車で押しつぶしたソ連の悪行を多くの日本人は忘れていない。

このように歴史的に積み重ねられてきた不信感や警戒感は、容易に消し去ることができない。それは韓国人や中国人が日本の植民地支配や侵略に対して持つルサンチマンと同質のものだろう。プーチン・安倍の個人的信頼感なるものや戦略的互恵関係でにわかに消え去るようなものではない。ロシアやロシア人は今でも、日本人にとって知られざる国、知られざる国民であると思う。高碕達之助は満州から帰った後、日中国交正常化のために井戸を掘った。そうした地道な努力、人的交流の積み重ねが、ロシアとの間でも積み重ねられて行くことを期待したい。  (M)

(1)2014年5月8日には、日本のある大学職員が3Dプリンターで作成した拳銃を所持していたということで逮捕されたと報道されました。私は、「ああ、やっぱり」と妙に納得をしました。この年の1月7日の東京新聞を読んだ記憶があったからです。この日の東京新聞は第3面で、3Dプリンターのことを大きく報じていました。他の新聞も何らかの報道をしていたのかも知れませんが、私がたまたま読んだのが東京新聞でした。

(2)その見出しだけを拾いますと、「3Dプリンター世界経済変える」、「個人の人形表情まで」とあって、最後に「危険物の規制が課題」とありました。その後、世界の経済にどのように影響したのかは、私には分かりませんが、実際に発射できる拳銃が作れることは確かだったのです。そんな危険なものが作れるならば、東京新聞が指摘していたように、“何らかの規制が必要”なことも確かなことだと思いました。

(3)悪意のある人間は次々と新しい方法を考えて儲けようとしますから、それまでの法律では取り締まれないことが多くなってきています。私は「新しいものはすべて規制せよ」と主張するつもりはありませんが、特に政治家たちは、新しい社会の動きに敏感に対応すべきだと思います。ジャーナリストも、“集団的自衛権”のような大きな問題ばかりでなく、細部にまで気を配って論じて欲しいものです。

(4)ジャーナリストと言えば、私の手元には、原 寿雄『ジャーナリズムに生きて—ジグザグの自分史85年』(岩波現代文庫、2011)という書物があります。60年も前に、神奈川県立川崎高校で教えたことのある“教え子”が送ってくれたものです。ご本人も卒業後は一貫して女性の人権のための活動を続けていると聞いています。

(5)原氏の本の帯には、「『全てを疑え!』『いい答はいい質問から』をモットーに生きたあるジャーナリストの足跡」とあります。私は「日英ことばのエッセー」(その6)では、阿川 佐和子『聞く力』に言及しながら、“聞くこと”の在り方を考えました。その後は、池上 彰『伝える力』(PHP、2007)も読みましたが、その意図は、『聞く力』とも共通点が多いと感じました。

(6)しかし、テレビの画面では、相変わらず“愚問”と言ってもいいような質問が見られます。例えば、フィギュア—・スケートの浅田 真央選手の場合などは、「1年くらい休みたい」と発言したために、ラジオやテレビの番組は、彼女を出演させては、「今の心境は?」、「今後の予定は?」と繰り返していました。こういうのは、“記者魂”などと言えるものでは到底ないでしょう。“ゴシップ”専門の週刊誌に任せておけばいいのです。「ゆっくりお休み下さい」というのが、多くのファンの気持ちだと思います。

(7)5月25日の「時事放談」(TBSテレビ、午前6時~45分)では、自民党元幹事長の野中 広夢氏が出演して、安倍首相に厳しい注文をつけていました。それは、「自分は話し合いの門戸を開放しています」というだけではダメだ。中国へも自ら出掛けて行け」というわけです。中国の要人が「会わない」と言うならば、「話し合いを拒否しているのは中国だ」と世界中に印象づけることになる、というわけです。私も安倍首相の動向には大きな矛盾があると感じている一人です。“おかしなパフォーマンス”にばかり力を入れないで、実効のある行動をすべきです。(この回終り)

前回に8種類のフレーズを挙げましたが、これらのうち英語学習者にとって重要なのは、名詞句、動詞句、形容詞句、副詞句の4つです。なぜなら、これらはセンテンスを構成するときに必要不可欠な要素だからです。何かを叙述するセンテンスはどうしても「主語」と「述語動詞」が必要です。たとえばDogs barked.(犬が吠えた)のように、最低でも2語は必要です。ある特定の一匹の黒い犬が吠えたのならばThe black dog barked.となります。ここには「特定のもの」であることを示すtheと、「黒い」という意味の形容詞が付いています。下線部の3語が主語部分の名詞句となります。犬がどんな風に吠えたかを述べようとすると副詞が必要です。たとえばThe black dog barked fiercely.(その黒い犬は猛烈に吠えた。)のように。下線部の2語が述語部分の動詞句となります。

前回に挙げた上記以外のフレーズついては、以下に述べる理由で、それらの名称を使わなくても済みそうです(ただし「前置詞句」の名称だけは残しておくと便利です)。

<代名詞句>英語には「人称代名詞」のほかに、「指示代名詞」、「不定代名詞」、「疑問代名詞」というのがあって、それらがフレーズを作って全体として名詞の働きをすることがあります。たとえば、each other, one another(お互い)、something like that(そのようなこと)、that one(あのもの、あれ)、what else(他に何か)など。しかしこれらは結局、センテンスの中では名詞句として機能しますので、「名詞句」の一部として扱うことで何の不都合もないと考えます。

<前置詞句>これは「前置詞+名詞(句)」の形をしたフレーズすべてを指します。センテンスの中では、形容詞句または副詞句として機能します。したがってこれらは、「形容詞句」および「副詞句」の中で扱うことができます。

<接続詞句>これはand, or, butなどの等位接続詞によって結ばれるフレーズのことですから、結ばれる語句の機能によって名詞句、動詞句、形容詞句、副詞句のどれかに分類できます。たとえばboys and girlsは名詞句、by train or by busは副詞句です。

<間投詞句>このフレーズの多くは慣用句で、個人の使用する間投詞句の数は非常に限定されています。したがって、これは文法の問題というよりも表現法の問題として扱うのがよいと思われます。

そこでまず名詞句(Noun Phrase)の構造について少し詳しく見てみましょう。それは大きく次の2つの型に分けられます。

名詞の前に冠詞や形容詞などが付く型e.g. a book, a big book, a very big book, the small book, this book, that book, these heavy books, etc.

名詞または①の名詞句の後に形容詞句が付く型: e.g. that big book on the desk(机の上のその大きな本), a book written by an unknown writer(無名の作家によって書かれた本), those three books lying on the floor(あの、床に置いてある3冊の本), etc.

いずれの場合も名詞が中心語になり、その前か後ろに修飾語句(形容詞、形容詞句など)が付きます。一般に冠詞や単純な形の形容詞の場合には①の型が使われ、2語以上の複雑な構造をもった形容詞句の場合には②の型になります(注)

さて日本人学習者にとって習得が非常に困難なのは上記②の場合です。つまり、形容詞的な修飾語句が名詞の後に置かれる場合です。この型の名詞句が日本人に難しい理由は、日本語には修飾語を後置する構造が欠けているからです。英語では名詞に付く修飾語を後ろに置くことによって、文をいくらでも長くすることが可能になります。それに対して日本語では、名詞の修飾語を常に前に置かなければならないので、修飾語をあまり長くすると文が理解しにくくなります。翻訳をするときには誰もがこのことを実感します。たとえば次のような英文はごく普通に見られるものです。

Do you see two young men waving to us in front of the porch of that green building?

しかしこれを日本語にすると、「あの緑色の建物のポーチの前で私たちに手を振っている二人の若い男が見えるでしょう?」のように、修飾語句が異常に長くて不自然な感じになります。そういうわけで、私たちは日本語で不慣れな英語の修飾構造(特に後置される場合)についてもっと研究する必要がありそうです。(To be continued.)

(注)1語の形容詞でも常に後置されるものがあります。たとえば -thingや-bodyで終わる語の場合です。Is there anything interesting in today’s paper?(今日の新聞に何か面白いことありますか。)/ We need somebody intelligent for this job.(この仕事に誰か頭のいい人が必要だ。)のようになります。

(番外)< 厚木基地騒音訴訟と集団的自衛権 >

 厚木基地騒音第4次訴訟で、自衛隊機の夜間飛行差し止めの判決が出た。
 厚木基地(500万平方米)の4分の3は、我が住む町、神奈川県綾瀬市にある。綾瀬市と隣接の大和市にまたがるこの基地は、太平洋戦争中、帝都防衛の海軍航空基地として運用が開始され、県央の中心都市厚木の名前が冠されているが、厚木市とは直接関係はない。”大和基地“と名付けようとしたところ、「戦艦大和」と同じでは恐れ多いということで、こうなったという説もある。敗戦後、占領軍最高司令官のダグラス・マッカーサーがコーンパイプを咥えて降り立ったあの飛行場である。

 占領後、アメリカ軍に接収され、アメリカ太平洋軍の重要拠点である横須賀海軍基地の後方支援施設として空母艦載機の着陸訓練場として使用される一方、航空自衛隊の対潜哨戒機の基地としても使われている。自衛隊の対潜哨戒機P3Cはプロペラ機、P1はターボジェットなので、機体が大きい割に騒音はそれほどひどくない。したがって騒音対策という面からみれば、米軍機が従来どおり野放しでは、ほとんど効果はない。

 私は、昭和53年(1978)に、この基地から4キロほど離れた神奈川県住宅供給公社の分譲住宅へ引っ越してきた。何でそんなところに住んでいるのだと言われそうだが、まあ、体よく騙されたのだと思っている。住宅公社の見学会で、大変気に入ったのである。川沿いの台地の上に、250世帯全8棟のこじんまりした団地が鬱蒼とした緑の森に囲まれており、「グリーンハイツ」の名前にふさわしいと思ったし、通勤にも支障はない。価格も割合安かった。それから3か月ほどたったある晩、窓をビリビリ震わせるような轟音に見舞われて飛び起きた。米軍機のNLP(夜間着離陸訓練)が始まったのである。改めて住宅公社のパンフレットを見ると、目立たぬところに、虫眼鏡で見なければならないような字で、“近くに厚木飛行場があります”と添え書きがあった。見学会は、空母が長期航海中に実施されたのである。忙しさにまぎれて、自分でよく調べなかった不明を恥じるのみ。

 とにかくこの騒音はすさまじい。その上、米軍機が新型に代わるたびにひどくなる。騒音訴訟の実地検証に訪れた裁判官が「恐怖を感ずる」と言ったという。ところが政府は「受忍の限度内だ」と主張するのである。老朽化してきたこの団地を建て替える時には、高層にして、上半分を防衛庁をはじめ国家公務員の宿舎にしたらどうかと思いたくなる。

 さて、私憤はこのくらいにして、この訴訟が、今論議されている集団的自衛権との関係で持つ重要な意味について考えてみたい。

 安倍政権は、日米安全保障条約を真の軍事同盟にするためには日本が集団的自衛権の発動を可能にすることが不可欠だという。日米安保条約については、もともとアメリカ議会などに、日本がfree-rideする片務条約であるという批判があった。これに対する、締結時の日米両政府の反論は、日本は米軍に基地を提供することで十分に義務を果たうるというものだった。かつてはソ連、今は中国、北朝鮮に対するアメリカ軍の不沈空母(中曽根元首相)の役割を果たしている上、これに伴う米軍維持費として年間4000億円もの負担をしているのである。安保条約の実務協定である日米地位協定では、従属国並みに基地の治外法権を認めているから、何があっても日本側は手が出せないのである。アメリカにとってこんなにありがたい同盟国がほかにあるのか。それにも拘らず、湾岸戦争以来、アメリカの要求は、“Show the Flag!”から”BOOTS on the Ground !” そして“Fight Together !!!” とエスカレートしてきた。アメリカの日本防衛義務と基地貸与はバーターであったはずだ。それがだめだというなら、日米安保条約は成立の原点に返って、基本的に考え直すのが本来の筋だ。

 厚木騒音訴訟の原告団の中には、日米安保条約に賛同する人たちもいる。また、騒音に悩みながらも政治的な運動であるとして参加を見合わせた人たちもいる。基地周辺住民の中には、日常に埋没して基地の存在にすら無関心な人たちも多い。しかし、40年近くに及ぶ、騒音訴訟という大衆運動によって、基地を抱えることの重大な意味に気付いた人たちが多いことも確かである。綾瀬市は、基地対策調整金、交付金を年間10億円程度受けている。しかし、一旦有事となれば、基地と抱き合い心中の危険がある。多額の金銭的優遇を受けている原発の立地自治体と立場は同じだ。同じ日に判決が出た大飯原発の再稼働差し止め訴訟と同じく、人格権としての生存権を脅かされているのである。

 戦争では敵国の基地をたたくことが、戦略上の重要な選択肢となる。集団的自衛権の発動による日米共同作戦で、厚木基地が米軍機や自衛隊機の発進基地になれば、当然相手国の報復攻撃を覚悟しなければならない。米軍基地があるだけでも、攻撃目標にされる恐れが強いのに、日米共同作戦となれば、相手国に絶好の攻撃の口実を与えることになるだろう。

 ”基地だけではだめだ。一諸に血を流せ”というアメリカの要求が、自衛隊員の戦死を意味するだけではなく、基地周辺の住民の犠牲にもつながりかねないことを、自覚する必要があるだろう。その分、自衛隊の基地がないアメリカは、共同防衛によって失うものはなく、アメリカは防衛義務のみ、日本側は防衛義務+基地貸与と維持運営費という、アメリカが得をする片務条約になるのである。鋭い直観力で知られる経済評論家の森永卓郎は、“ 集団自衛権貴方ならどう呼ぶか”という朝日新聞の問いかけに対して「日本がますますアメリカの意のままになっていくのではないか。・・・ますます属国になっていくように感ずる。」と答えている。 (M)

これまで「語彙の文法」について述べてきました。しかし語彙の文法を知っていれば文章が作れるわけではありません。語は他の語と密接に結びついてフレーズ(phrase句)を作り、一つのまとまりのある単位を形成します。そこで今回は「フレーズの文法」に移ります。

フレーズとは結局のところ、2つ以上の語が集まって形成する、1個の品詞に相当する語群のことです。しかしフレーズは主語と述語を欠いているので、センテンス(sentence文)とは違います。センテンスは通常いくつかのフレーズから成っています。具体的な例を挙げてみましょう。次のセンテンスの中のフレーズに注目してみてください。ここにはいくつのフレーズが含まれているでしょうか。

All the pupils in this class like playing soccer.(このクラスの生徒はみなサッカーをするのが好きです。)

易しい問題のようですが、答えは必ずしも簡単ではありません。少なくとも次の3通りの答えがあります。

(a)2個:all the pupils in this class / like playing soccerの2つ;①主語pupilsを中心とする名詞句と、 ②動詞likeを中心とする動詞句。

(b)2個:all the pupils in this class / playing soccerの2つ;①主語pupilsを中心とする名詞句と、②動詞likeの目的語の役目をする名詞句。

(c)3個:all the pupils / in this class / playing soccerの3つ;①主語pupilsを中心とする名詞句、②直前の名詞句を修飾する形容詞句、および③動詞likeの目的語となる名詞句。

これら3通りの答えはいずれも正解です。

では先に挙げた「2つ以上の語が集まって形成する、1個の品詞に相当する語群」という定義にしたがって、フレーズを分類してみましょう。その前に語の品詞をおさらいしましょう。それは次の10種類でした。

(1)名詞、(2)代名詞、(3)動詞、(4)助動詞、(5)形容詞、(6)副詞、(7)冠詞、(8)前置詞、(9)接続詞、(10)間投詞。

これに対してフレーズの品詞分類では次の8種類のフレーズが認められます。

(1)名詞句、(2)代名詞句、(3)動詞句、(4)形容詞句、(5)副詞句、(6)前置詞句、(7)接続詞句、(8)間投詞句

語の品詞分類と比べてみると、フレーズの分類表からは2つの項目が抜けていることが分かります。ここには助動詞と冠詞がありません。これらがフレーズから抜けた理由は次のようです。助動詞はたいてい動詞を伴って動詞句を作るので、それは動詞句の中に吸収されたのです。また冠詞というのは、英語ではa(an) とthe しかないので、フレーズを構成することはありません。

では品詞別フレーズの例を2つずつ挙げてみましょう。その機能が分かるように、最初にフレーズを、その後にそれを用いたセンテンスを提示します。

<名詞句> a clever girl(利口な女の子):Mary is a clever girl. ② something to eat(何か食べる物):Can I have something to eat?

<代名詞句> each other(お互い):The people helped each other. ② one ~ the other(片方~もう一方):I have two foreign friends. One is from China; the other from Indonesia.

<動詞句>① take care of(~に気をつける):Please take care of your health. ② should follow(~に従うべきだ):You should follow his advice.

<形容詞句>① nice and warm(暖かくて気持ちがよい):It’s nice and warm in this room. ② singing and dancing(歌い踊っている):At the festival we saw a lot of people singing and dancing on the street.

<副詞句>① at any moment(いつでも):An accident could happen at any moment. ② all of a sudden(とつぜん): All of a sudden he got angry and hit me on the face.

<前置詞句>(注1)① on Sundays(毎日曜日に):They go to church on Sundays. ② after school(放課後):We play soccer after school.

<接続詞句>(注2) ① A and B(AとB):The boys and girls were playing tennis. ② either A or B(AかBか):You can get there either by train or by bus.

<間投詞句>(注3) ① Good heavens!(おやまあ!):② Shame on you!(みっともない!)

(注1)ここでの前置詞句は「前置詞+名詞(句)または代名詞(句)」の形をしたフレーズを指します。それらの多くは形容詞句または副詞句の働きをします。なお前置詞の中にはそれ自体がフレーズの形をしたものもあります(たとえばin front of, in spite of など)。

(注2and, or, butなどの等位接続詞によって結合されたフレーズを指します。それらは機能的には名詞句、形容詞句、副詞句、動詞句となります。

(注3間投詞句の多くは慣用句で、そのまま単独で使います。母語話者は多くの間投詞や間投詞句を使いますが、外国語として英語を学ぶ私たちは、目や耳にすることはあっても、実際に使えるものは多くないのが普通です。

(1)私(浅野)も松山さんのブログに刺激されて書きたくなりました。いや、書かざるを得ない気持ちです。TBSのラジオで先日聞いたのですが、日本の都会では様々な理由で“ホームレス”となって、公園や河原で暮らしている人たちが結構いるそうです。そういう人たちが夜間眠っているところへ、10代、20代の若者たちが市販の花火を数百発も投げ込んだという事件があったとのこと。警察に補導された若者の一人は、「あんなことをしたら、ホームレスの人は死んだかも知れないぞ」と言われて、「ホームレスなんか日本の恥だから、死んだほうがましだ」と答えたというのです。

(2)「人間が死んでも構わない」というのは、正に“戦争肯定”の考え方です。若者の残忍性で思い出すのは、平成9年の“酒鬼薔薇(さかきばら)事件”(1997)です。14歳の中学生が小学校低学年の男女生徒を金槌などで殴って、2名が死亡し、3名が重傷を負った事件でした。事件発覚後は警察の対応の遅さが批判されました。今日でも、ストーカーによる殺人事件がよく起こります。東京は世界で最も危険な都会の1つだと思います。

(3)東京新聞(5月17日)には、第1面の見出しが、「汚染水外洋流出続く」とあって、「首相の『完全ブロック』破綻」となっています。つまり安倍首相は“オリンピック誘致”のためには、完全にうそをついていたことになります。首相は東京新聞のような政権批判の強い新聞など見ないでしょうが、この日の東京新聞は“集団的自衛権”についても、分かりやすい解説記事をイラスト付きで載せています。

(4)その見出しには「他国へのケンカ買う」とあります。どういうことかと言えば、直接に日本がある国から攻められたら“個別自衛権”で戦う。しかし、アメリカのような同盟国の艦船が攻撃を受けた場合には、それを救援するために日本も戦うのが“集団的自衛権の行使”になるという説明です。

(5)安倍首相は5月15日の記者会見では、「あなたの家族が危険な目に合っている時に、自衛隊が救出に行けるのです」というような話をしましたが、普段は政治問題にそれほど関心のない人たちは、「それは当然なことだ」と考えるでしょう。しかし、その危険な状態はテロによる攻撃かも知れません。テロリストは攻撃されれば、執拗な復讐を繰り返すはずです。日本の無防備な原子力発電所が攻撃されたら、その被害は甚大なものになるでしょう。

(6)私はだいぶ前に、「戦後間もなく日本はスイスのような永世中立国の宣言をすべきだった」と書いたことがありますが、現在の政治の動きは全く逆の方向に進んでいるのは、大変に危険なことです。そして、そういう危険性を訴えるのは、第2次大戦と敗戦を経験した世代の人間の義務だと考えます。このままでは、そのうちに“徴兵制度”の実施になるかも知れません。親として子供を戦場に送るようなことを許してよいのか、と問いたいと思います。(この回終り)

<番外> 集団的自衛権行使と靖国神社問題           
 集団自衛権の発動という武力行使によって、この国は、とうとう戦争をする国になってしまうのか。もしそうなれば、当然戦死者が出る。戦死者は「国のため尊い命を犠牲にした英霊」として、靖国神社に祀られるのだろう。そのことによって生ずる三つの問題について考えてみたい。

 第一は、「命を賭けても戦え」と命じた者達の責任だ。直接的には、国家安全保障会議4大臣会合を構成する首相と3人の閣僚、特に首相と防衛相は、遺族と国民に重大な説明責任を負うことになる。私は<2014−4−5 靖国神社参拝問題>でのべたように、戦争責任をあいまいにしたところに、戦後の日本に、“草の根軍国主義”(映画評論家 佐藤忠男)が残存し、やがて復活してきた原因があると考えている。私たちは戦争中「天皇陛下の御為に、命を賭けて御奉公せよ(滅私奉公)」と教えられた。天皇が具体的にどのように戦争にかかわったのかについては諸説あるが、実際に戦争を企画し遂行したのは軍人、政治家、官僚であった。彼らは天皇の神としての無謬性を盾に、「袞龍の袖に」隠れて、国民への説明責任を逃れた。いわば、有無を言わせず、国民を戦争に引きずり込み、2百数十万人の戦死者を出したのである。

 再びこのようなことを許してはならないが、懸念されるのは「特定秘密保護法」である。この法律が「袞龍の袖」に代わる恐れは十分にある。戦争や軍事に秘密はつきものであるとして、戦争に至った本当の理由を明らかにしない、或いはすり替えるのである。ベトナム戦争の引き金となったトンキン湾事件を忘れてはならない。

 特定秘密の保護期間は30年であるから、国民を死地に追いやった張本人たちは、その間悠々と余生を送り、真実が明らかになった頃にはあの世へ行っている。私は、アメリカのブッシュJr.前大統領がテキサス州クロフォードの牧場で悠々と余生を送っているのが不思議でならない。彼はCIAの誤った情報に基づいてイラク戦争を起こし、5千人のアメリカの将兵と、その何十倍ものイラクの人達を殺したのである。法律上はともかく、彼の戦争責任者としての罪は万死に値すると私は思う。

 第二の問題は、戦死者が出ることによって、戦争反対の言論の矛先が鈍ることである。戦争中、英霊は絶対的存在だった。戦局が傾いてくると、英霊の出迎えが多くなっていった。私も何回か参列し、葬送の曲に乗ってしずしずと進んでくる白木の箱を上目づかいで見ながら、自分もやがてこの箱に入って帰ってくるのだと、なにか人ごとのように考えていた。その時頭に響いた歌。「なんにも言えず靖国の,宮のきざはし額づけば、熱い涙がこみ上げる。そうだその意気その気持ち、揃う揃う気持ちが国護る。」(西条八十作詞、古賀政男作曲)。そういう気持ちに揃えない奴は”不埒者 ”やがて“ 非国民 ”と呼ばれた。

 英霊に報いるためにという無言の圧力の下で異論は抑えられ、真実が隠されていく。武器輸出3原則は廃止されて、防衛装備移転3原則なるものが閣議決定された。武器が相手のものより優れていなければ、殺されることになるから、禁輸のタガがはずれたことによって、際限ないイタチごっこの開発競争にまきこまれる恐れが強い。戦死者が出れば、人の命には代えられないということで、ますます、質的量的な軍備拡大につながって、”死の商人”が生まれる。これを批判すれば”同胞を見殺しにするのか“という問答無用の非難が浴びせられることになるだろう。

 第三の問題は、戦死者を出すことによって軍人の発言権が増すであろうことである。”我々は国を守るために命を賭けている。軍事問題に部外者は口出しするな。」という風潮が助長されるだろう。 昭和13年、戦争の拡大に備えて「国家総動員法案」が衆議院で審議され、違憲論が唱えられた際、説明員として出席していた陸軍省軍務局の佐藤賢了中佐が、自分の説明に対する議員のヤジに対して「黙れ!」と恫喝した。自衛隊の中にも前々から「政治と軍事は同等である」という考えがあるようだ。(「14歳からの戦争学」 元陸上自衛隊陸将補 松村 劭)こういう風潮を許すと、シビリアンコントロールは失われていく。このような風潮に、国民の間にある“草の根軍国主義”が同調したら、どういうことになるのか。その兆候は、すでに、東京都知事選挙で元航空幕僚長の田母神俊雄候補が60万票を獲得した事実に表れているのではないか。

 草の根軍国主義の復活、ムードに流されやすい国民性、大部数ゆえに国民のムードに逆らえず、権力のチェックというジャーナリズムの本旨を忘れるマスメディア、この三位一体が、集団自衛権の行使を突破口に、英霊という亡霊によって増幅され、やがて、戦争をすることに抵抗を感じない国ができあがっていくのではないか。(M)

動詞には自動詞と他動詞の区別があります。多くの辞書は見出しの後にv.i. (=intransitive verb自動詞)、v.t. (=transitive verb他動詞) などの記号でその区別を表示しています。その区別は原理的には簡単です。目的語をとるものが他動詞で、目的語をとらないものが自動詞です。そんな区別は中学生時代に習ったからだいじょうぶ、と自信のある方も多いかと思います。しかし油断大敵、いろいろな動詞について学んでいくうちに、この区別はそれほど簡単ではないことが分かってきます。たくさんの動詞に出合って、それぞれの語の多様な使い方を経験しながら、時間をかけて学んでいくものなのです。幼児の言語習得でも、動詞は名詞よりも習得がずっと遅れることが分かっています。

まず、主として自動詞に使われる動詞の例を見てみましょう。その代表的な動詞としてcome, go, run, walkを取り上げます(*印はOALDから)。

John came to us yesterday. / Here comes the train!(列車が来た!)/ “Dinner is ready.” “I’m coming.”(「夕食の用意ができました。」「すぐ行きます。」)/ *I think you should go to the doctor’s.(医者に行ったほうがいいと思う。)/ *Go (and) ask your mom!(ママにきいてごらんよ。)/ We ran to the station to catch the train. / *Buses to Oxford run every half-hour.(オックスフォード行きのバスは30分ごとに出ます。)/ * “How did you get here?” “I walked.”

では、come, go, run, walkなどの自動詞が他動詞として使われることが絶対ないかというと、そんなことはありません。たしかにcomeやgoではそういう例はあまり見当たりませんが、runやwalkは時おり目的語をとることがあります。次の例を見てください(例文はOALDによる)。

Who was the first person to run a mile in under four minutes?(1マイルを4分以内で走った最初の人は誰か。)/ I can’t afford to run a car on my salary.(私の給料では車の余裕はないね。)/ They run extra trains during the rush hour.(ラッシュアウアには臨時列車が出ます。)/ The college runs summer courses for foreign students.(大学は外国人学生のための夏期講座を行う。)/ She ran her fingers nervously through her hair.(彼女は神経質そうに髪に指を走らせた。)/ Children here walk several miles to school. / They walk their dogs every day.(彼らは犬を毎日散歩させる。)

次に主として他動詞に使われる動詞ですが、そういう動詞は多数あり、枚挙にいとまがありません。基本動詞のget, give, have, make, takeなどはほとんど他動詞として使います。しかしそれらの動詞も絶対に自動詞として使わないかというと、そんなことはありません。haveが自動詞になることはないと思いますが、他の動詞については自動詞として使う例がいくらもあります。ただし動詞の後に副詞や前置詞を伴う動詞句を含めます(例文はOALDによる)。

getの例>We didn’t get to bed until 3 a.m. / The class got up when the teacher came in. / They got married last year. / How are they getting along?

giveの例>After a month their food supplies gave out.(一か月後に彼らの食糧供給は底をついた。)/ I give up; tell me the answer.(降参、答えを教えて。)

makeの例>How did he make out when his wife was away?(奥さんのいない間、彼はどうしていたのかね。)/ Why don’t you two kiss and make up?(きみたち二人キスして仲直りしたらどうだい。)

takeの例>The plane took off an hour late. / The rebels took to the hills.(反乱軍は丘までたどり着いた。)

最後に、自動詞にも他動詞にも同じような頻度で使う動詞をいくつか挙げてみましょう。たとえばeat, drink, grow, moveなどは自動詞にも他動詞にも使います。日本語でも「食べる」と「飲む」は自動詞にも他動詞にも使います。「育つ」と「育てる」、「動く」と「動かす」は目的語の有無で区別します。次もOALDの例文です。目的語のあるものが他動詞、目的語のないものが自動詞です。

eat, drinkの例>Where shall we eat tonight? / Would you like something to eat? / I don’t eat meat. / Don’t drink and drive.(飲んだら乗るな。)/ In hot weather, you should drink plenty of water.

growの例>You’ve grown since the last time I saw you. (この前会ったときから大きくなったね。)/ The region is too dry for plants to grow.(その地域は乾燥していて植物が育たない。)/ I’ve decided to grow my hair.

moveの例>Don’t move; stay perfectly still.(動かないで、じっとしていなさい。)The company is moving to Scotland. / Let’s move the meeting to Wednesday.(会議を水曜日に移そう。)

< 人権大国への道 >

隣国 3.中国

④ 台湾

 日清戦争の結果、下関条約(馬関条約)によって、台湾は清国から日本へ割譲され、太平洋戦争の敗戦によって中国へ返還されるまで半世紀にわたって日本の植民地であった。

 だから、私の小学校、中学校時代には、日本一高い山は、富士山ではなく、台湾中部にある新高山(3952m)だった。この山は、もともと玉山と呼ばれ、現在もそうなっているから、新高山という名称をつけたのは日本の台湾総督府が行った同化政策の一環であったのだろう。新高ドロップというキャンデーの名前や、「ニイタカヤマノボレ一二〇八」という空母機動部隊へ真珠湾攻撃の日付を知らせる大本営の暗号電文は、われわれ戦中派には忘れることのできない思い出である。

 私にとってもう一つ忘れられないのは、阿里山という山の名前だ。阿里山は玉山の近くにある山岳地帯で今は国定森林公園になっているという。阿里山という名前は、小学校四年生の国語教科書の次のような話の中に出てきた。

<呉鳳>

 台湾の蕃人には、もと、人の首を取ってお祭りに供える風があった。阿里山蕃の役人になった呉鳳は、何とかして、自分の治める部落だけでも、此の悪い風習を止めさせようと思って,いろいろ苦労した。「人を殺すのはよくない事である。」かう言って、呉鳳はしばしば蕃人に説聞きかせた。しかし、お祭りが近づくと、蕃人はぜひ首を供えなければならないと申し出た。呉鳳は、「去年取った首があるはずだ。一體幾つあるのか。」「四十餘りあります。」「それでは、其の首を大切にしておいて、これから毎年一つづつ供えることにするがよい。」
 蕃人は諭されて、しぶしぶ引きさがった。呉鳳は、情け深い人で,蕃人を非常にかはいがったから、蕃人も次第になついて、後には呉鳳を親の如くしたうようになった。かうして、阿里山蕃だけは、しばらく首取の事も止んで平和が続いたが、外の部落では、毎年祭がある度に首を取って供えて居た。それを見るにつけ聞くにつけ、阿里山の蕃人は心を動かされた。
 四十餘年は何時の間にか過ぎて、もう供える首が一つもなくなった。「今年こそ、新しい首を供えなければならない。」というので、蕃人は其の事を呉鳳に申し出た。呉鳳は、「もう一年待ってくれ。人を殺すのはよくない。」となだめた。翌年も、翌々年も、同じことがくり返された。蕃人は、そろそろ呉鳳の心を疑うやうになった。そうして、四年目には、どうしても呉鳳の言うことを聞こうとしなかった。
 「それ程首がほしいなら、明日の昼頃、赤い帽子をかぶって、赤い着物を着て、ここを通る者の首を取れ。」と呉鳳は答えた。
 翌日、蕃人どもが役所の近くに集まって居ると、果たして赤い帽子を被り、赤い着物を着た人が来た。待ちかまえていた彼等は、忽ち其の人を殺して首を取ってしまった。意外にも、それは呉鳳の首であった。親のようにしたっている呉鳳の首であった。蕃人どもは聲を上げて泣いた。彼等は呉鳳を神に祭った。さうして、それ以来、阿里山蕃には首取りの悪習がふっつりとなくなった。

 四年生といえば、まだ十歳の子供である。日本の領地である阿里山にいた首狩り族に強烈な印象を受けた。ところが五年生くらいから講談社の「少年講談」を読みふけるようになって「エッ?」とおどろいたのは、戦国武将の首実検の様子がたびたび出てくるのである。日本人も高砂族と同じく首狩り族だったのかと愕然とした。こんなことをうかつに教室で口走ったらたちまち先生に知れて、したたか殴られるのがオチだから黙っていたが、阿里山の名前は長く記憶にに残った。余談だが、先日経済評論家の堺屋太一が小学生の頃”一億玉砕!“という戦意高揚標語をみて、「全員玉砕ということは、つまり負けということですか?」と先生に質問して殴られたと新聞のコラムに書いているのを読んで、思わず笑った。

 ところで、このような生々しい話を小学生に教えようとした当時の文部省の意図はなんだったのか、今でもよくわからないが、あえて推測すれば、日本の優れた台湾統治特に教育政策が蛮人をも立派な皇民に陶冶したのだということを教えたかったのではないか。確かに今でもそう考えている人達が台湾にも日本にもいる。

 自他共に許す日本びいきの李登輝元台湾総統もその一人だ。彼は特に4代目総督だった児玉源太郎(後の参謀総長)と彼のNo.2であった民政長官後藤新平(後の東京市長)の治績を高く評価している(日台の心と心の絆 李登輝 宝島社)。だからと言って帝国主義の一環である植民地統治を正当化することはできないだろう。異民族統治に対しては、当然現地人の抵抗があった。1930年、日本人の巡査が現地人を殴打したことに端を発した霧社事件では日本軍や警察の弾圧で700人が死んでいる。

 李登輝元総統によると、台湾の住民は南方系の原住民と中国沿岸部から移住してきた中国人との混血の子孫が多く本省人と呼ばれる。日本の敗戦で台湾が中国に帰属した後、国共内戦に敗れた蒋介石の国民党が台湾に逃げ込み、それに伴って百万人を超えるいわゆる外省人がやってきた。現在2300万人の人口のうち400万近くが本省人と外省人の混血であるという。したがって、台湾人は漢民族ではないし台湾は中国の一部でもないと彼はいう。
     
 台湾には多くの政党があるが、馬英九総統の与党国民党は孫文以来の中国の中心政党であるという意識から、中国との統一志向が強く、一方最大野党の民主進歩党(民進党)は独立志向が強い。世論調査では、住民の80%前後が現状維持を望んでいるという。最近、馬英九政権が中国と結んだサービス貿易に関する協定に反対して、学生を中心に50万人が参加する大衆行動があり、議会を占拠する異常事態になった。この協定で台湾のTV局が中国資本に買収され、言論の自由が侵されるというのが反対の理由である。

 台湾も領有権を主張している尖閣諸島(台湾名釣魚台)について、馬英九総統は棚上げ論だが、民進党は「台湾の領土」であるという立場をとりつつも、日本とは外交的な解決を模索するとしている。なお、親日派の李登輝元総統は尖閣は日本領だと主張している。

 ところで、日本もアメリカも、大陸中国との国交正常化の際に、「一つの中国」という北京政府の主張を受け入れ、国民政府の台湾とは国交を断絶したが、日本は「交流協会」を窓口として緊密な経済関係を維持しており、アメリカは「台湾関係法」によって、台湾の防衛に深く関わっている。中国には、台湾が独立しようとしたら武力行使も辞さないという「反国家分裂法」があり、常時数千発のミサイルが台湾に狙いをつけているという。日本政府は日米安保条約の適用範囲である極東に台湾が入るとしているから、台湾海峡有事の際は、紛争に巻き込まれるおそれがある。

 李登輝元総統によると、東日本大震災にあったっては、台湾の人達は200億円の義捐金や援助金を贈った。アメリカに次いで2番目だが人口割り(アメリカの13分のⅠ)にすれば、ダントツである。日本に対する台湾人の気持ちが表れていると彼は言う。15年ほど前のことだが、台湾の高雄にある出版社から日販を通じて、私の著書の一冊を中国語に訳して販売する翻訳権を買いたいという話があった。高雄というのは、阿里山国定公園への出発点だということで縁を感じ、版権料は全額交流協会を通じて台湾留学生の学費として寄付する旨伝えたのだが、残念なことに、成約の直前になって台湾中部を大地震が襲い(死者、不明者2500人以上)、この出版社も潰れてしまった。(M)

動詞の語形変化は現在形、過去形、過去分詞形、-ing形の4つです。これに原形(元の形)を加えると5つになります。一般動詞(注)はすべてこれら5通りの形をとることができます。たとえばtakeという動詞の変化は次のようです。

原形:take ; e.g. You should take a walk in the morning.

現在形:take or takes (主語が3人称単数のとき) ; e.g. I usually take a walk in the morning ; my brother takes a walk in the evening.

過去形:took ; e.g. I took a walk as usual this morning.

過去分詞形:taken ; e.g. My brother has just taken a usual evening walk.

-ing:taking ; e.g. He is now taking a shower.

一般動詞はすべてこれら5通りの変化をします。現在形と-ing形は、原形を知っていればほとんど自動的に作ることができます(ただし発音や綴りに注意)。難しいのは過去形と過去分詞形です。多くの動詞は次のように、原形の語尾に-ed(または-d)を付けます。それらを規則動詞と呼びます。発音に注意して言ってみてください。

<規則動詞の例>ask—asked—asked(発音に注意) / call—called—called / cry—cried—cried (綴りに注意)/ like—liked—liked / stop—stopped—stopped (綴りに注意)

英語の動詞がすべて規則動詞ならば楽なのですが、そうはいきません。不規則に変化するものも相当数あります。誰もが知っているように、頻度の高い基本的な動詞ほど不規則です。ですから、中学校では不規則動詞の変化を覚えることが学習の一部になります。どの先生も動詞が出てくると、see—saw—seenなどと生徒にしつこく言わせますが、それには理由があるのです。ただし、一度に多くを覚えようとするのは賢明ではありません。ちょっと考えても分かるように、機械的に覚えても使えなければ役に立ちません。一つひとつ時間をかけて、実際に使いながら覚えるものです。次に不規則動詞の例を4つだけ挙げます(括弧内は変化のタイプを表わします。不規則動詞の多くはこれら4つのタイプのいずれかに入ります)。

<不規則動詞の例>come—came—come (A-B-A型) / find—found—found (A-B-B型) / go—went—gone (A-B-C型) / set—set—set (A-A-A型)

ここで疑問が生じます。動詞の変化に現在形と過去形があるのに、なぜ未来形がないのでしょうか。これは考えてみる価値のある疑問です。学校で英語を学んだ方は、willを使って未来形を作ると教わったと思います。たとえばJohn will come tomorrow. のように。しかしこの文のwill comeは未来を表わしますが、comeの未来形ではありません。それは未来を表わす表現法の一部です。英語には動詞そのものに未来形という変化はないのです。ただし未来を表わす表現法はいくつかあります。助動詞のwillを使うのもその一つです。英語で未来を表わす代表的な表現法は次の3つです(日本語訳をつけましたが、日本語にもいろいろな未来表現があることが分かります)。

(a) John will come tomorrow.(ジョンは明日来るでしょう。)

(b) John is coming soon.(ジョンは間もなく来ます。)

(c) John is going to come.(ジョンは来ることになっています。)

ここまでに動詞は5通りに変化すること、その中に現在形と過去形という時制(時に関する特定の文法形式)は含まれているけれども、未来形が入っていないことに注目しました。そして未来を表現するには、英語ではいくつかの異なる表現法があることを述べました。ここまではご理解いただけたとして、次に他の動詞の変化形に注目しましょう。残るのは「原形」「過去分詞形」「-ing形」の3つです。

まず原形ですが、それはどういう場合に使うのでしょうか。その答えは簡単です。原形の動詞が使われるのは次の4つのケースです。英語を少しでも知っている人はすぐに「ああそうか」と納得されるでしょう。よく分からないと思う人は、もうしばらく英語を使う経験をしてからここに戻ってください。

①命令文で:e. g. Come here. / Be a good boy.

②疑問文・否定文で:e.g. Did you see Mary? / No, I didn’t see her today. / She doesn’t come here on Sunday. / Don’t bring her here.

③will, canなどの助動詞の後に:e.g. John will come today. / Can you join us?

③to不定詞を作る:e.g. I’m glad to meet you. / I want to go shopping today.

次に過去分詞形はどういう場合に使うのかを見てみましょう。これも過去分詞形を実際に使ってみたことのある人は簡単に理解できるでしょうが、そうでない人にはチンプンカンプンかもしれません。分からないところは経験を積んだ後で分かるようになります。心配は無用です。必ず分かるようになります。過去分詞形の主な用法は次の4つです。

①「have+過去分詞形」で現在完了形を作る:e.g. John has finished the work. / I haven’t seen him yet.

②「be+過去分詞形」で受動態を作る:e.g. The door was broken. / We were surprised.

③「~される(た)」という意味の形容詞を作る:e.g. a broken door(壊されたドア、壊れたドア)/ spoken language(話される言語、話し言葉)/ We found all the windows broken.(窓がすべて壊れていた。)

④いろいろな分詞構文を作る:e.g. Extremely tired, I sat down on the grass.(とても疲れたので、芝生に腰をおろした。)

最後に-ingとはどういう場合に使うでしょうか。主として次の4通りのケースがあります。

①「be+-ing形」で進行形を作る:e.g. I am taking a walk. / John is swimming.

②「~している」という意味の形容詞を作る:e.g. the rising sun / my friend living in London / We saw a man running out of the door.(男がドアから走り出すのを見た。)

③いろいろな分詞構文を作る:e.g.  Hearing the news, we panicked.(その知らせを聞いて、我々はパニックになった。)/ The bus started at midnight, arriving in Tokyo early in the morning.(パスは真夜中に出発し、朝早く東京に着いた。)

④「~すること」という意味の名詞を作る(動名詞と呼ばれる):e.g. Reading books is my favorite pastime. / My father’s hobby is swimming.

(脚注)動詞の中には特殊な形態と機能を持つものがあります。それらはbe動詞 (am, is, are, was, were), have動詞(have, has, had)および do, does, didです。これらは否定文や疑問文を作るときに一般動詞(普通の動詞)と違っていたり、他の動詞を伴って助動詞の働きをしたりします。これらを「特別動詞」(または「変則動詞」)と呼ぶことがあります。