Archive for 12月, 2013

(178)年末所感

Author: 松山 薫

(178)年末所感 < 教育はどうなる >

 今年は私にとって随分長い一年だった。夏の酷暑で夫婦ともども体調不良となり、病院通いが続いた上、ねじれ解消で国会がまともに機能せず、巨大与党のやりたい放題となって、精神衛生上も極めて悪い年だったからだ。あまり振り返りたくないが、歴史に学ぶことを信条としている以上、そうもいかない。

 体調が悪くなって天井を見て寝ていると、どうしても若い元気な頃のことを思い出す。30台から40台にかけて随分選挙の応援演説に駆け回った。選挙演説はどうしても絶叫お願い調になりがちなのだが、あまり効果はなさそうなので、別の方法を考えてみた。まず「皆さん!今皆さんが一番関心のある問題はなんですか? 私は占い師じゃないから、恋愛など個人的な問題はだめですよ。政治、経済、社会といった分野でどうでしょうか。ハイ、そこの方。」といった具合で、問題を挙げてもらい、持っていった模造紙の四隅にひとつずつ問題を四つ大書する。模造紙の真ん中には大きな丸を書き入れ、4隅の問題と直線で結ぶ。「さて皆さん、この真ん中にある丸の中に、私が4隅の問題に通底する核心の言葉を書き入れます。その前に、貴方だったらどんな言葉になりますか?どうぞ。」大抵誰も発言しないから、私が記入して、見回すと聴衆の目は間違いなくこちらを注視している。そんな大見得を切って大丈夫かと心配してくれた友人がいたが、勿論これにはタネも仕掛けもある。ただ、それはそれとして、社会的に広がりのある問題が必ず直接、間接あるいは間々接につながっていることは間違いない。

 前置きが長くなったが、この一年について、この方法論を適用してみたい。先日の朝日新聞に「読者の皆さんが選んだ2013年の重大ニュース」というのが載っていたので、これを拝借する。全部で20項目なので、1位「楽天田中投手開幕24連勝」5位「アルジエリアで人質テロ」15位「参院選自公圧勝」20位「カネボウの美白化粧品でマダラ」の4項目を選ぶ。さて、真ん中の丸に入れる言葉は?

 私が選ぶその言葉は「不満」だ。英語ではfrustration。心理的要求が外部の条件によって妨げられる状態つまり欲求不満。聴衆の反応は多分、「ウーン、なるほどなあ。フーンそうかなあ。よくわからん。」に3分される。「通底」つまり、「底」の部分が重要だから、表面的な現象だけを見ていては理解できないだろう。聴衆の顔を眺めていると、今日集まった人達の社会意識のレベルがわかる。そこで、レベルに合わせ、4つの問題のどれかと候補者の主張を結び付けて、演説の本題に入るのである。

 ところで、この方式を続けている中で、聴衆の関心と私の視点の間にはいつもかなりづれがあることがわかった。前にも述べたようにニュース選択の基準は ① どれだけ多くの人に、どれだけ大きな影響を及ぼすか ② どれだけ多くの人が、どれだけ強い関心をもつか であるが、私の視点が ① を重視するのに対して、聴衆の関心は ② に傾くことが多かった。前述の「読者が選んだ2013年重大ニュース」でもそれを感じた。全部で20項目もあるのに、私が極めて重大だと考える「安倍内閣の教育改革」が抜けているのである。私の基準なら少なくても3番以内には入る。社会を変えるものは短期的には政治、長期的には教育だと思うからである。

 そこで、安倍政権が国民の無関心をよいことに、この一年に次々と打ち出し、ほとんど国民的議論もないままに決めようとしている「教育改革政策」を列挙し、これらが何とどう「通底」しているのかを考えてみたい。私が真ん中の丸に入れる言葉は、多分、カタカナで7文字になるだろう。

1. 教育委員会制度

中央教育審議会は12月13日、現在は合議制教育委員会にある地方教育行政の最終的権限を地方自治体の長へ移す改正案を文科相に答申した。中教審は当初、首長に権限を移す案に一本化して答申する予定だったが、委員の間に、「首長が今まで以上に学校現場に介入しやすくなる」という意見が強く、現行どおり教委に最終権限を残す案もあったことを併記した。政府与党との協議を経て、通常国会に法案を提出する予定。
* ”口元監視“の大阪府教育基本条例・学校活性化条例が全国に蔓延か

2. 教科書検定制度 

文科省は11月15日、小中学校の教科書の検定基準を来年度の検定前に改定する方針を明らかにした。新しい基準では、〇 教育基本法の目標に照らして重大な欠陥があれば不合格〇 申請図書の作成に当たり、教育基本法の目標をどう具体化したか明示させる 〇 共同採択について構成市町村の協議ルールを具体化。この方針は、自民党の「教科書検定のあり方特別部会の「教科書法」制定の議論を下敷きにしており、その中間報告は「検定基準の
近隣諸国条項」の見直しなどを提言している。また、採択については、沖縄県竹富町の例に見られるように、構成市町村や自治体が学校に押し付ける傾向が強まっている。
* 気がつけば国定教科書

3.大学入試制度

政府の教育再生実行会議は11月31日、次のような大学入試改革に関する提言を安倍首相に提出した。大學の入学試験は「達成度テスト」とし、結果は点数ではなくランクで表示する。大學入試センタ−試験をベースに、思考力なども考慮し、複数回実施も考える。TOEFLなどの活用を推奨。面接・論文・高校時代の活動記録なども合わせて入学者を選抜する。あわせて高校在学中に基礎的な学力を測る試験を実施することも提言。文科省は中教審の審議を経て、5~6年かけて実施することを検討する。文科相は、「企業の入社試験がモデル」と述べた。
* 企業至上主義の平成版 “富国強兵”制度のための尖兵養成

4.全国学力テストの公開

文科相は11月29日、来年4月の全国学力調査(小学校6年生、中学校3年生全員について数学、国語、理科の3教科)の学校別結果を教育委員会の判断で公表できるようにする実施要領を発表した。2007年の第1回からの公表禁止を転換する。実施要領では 〇 平均正答率のみの公表は禁止 〇 分析結果や課題の解決法も併記する 〇 学校別平均正答率の一覧や順位付けは禁止 〇 学校との事前相談が必要 〇 個人情報保護や地域事情に配慮 などを定めている。テスト結果の公表には学校の序列化を招くとして批判が強く、文科省が7月に行なった調査では全教委の70%が公表に反対している。
* 「国連子供の権利条約」の日本の競走教育への警告を無視した国際的非常識

5.道徳教育の教科化

文科省の有識者会議「道徳教育の充実に関する懇談会」は、12月26日、現在は正式な教科ではなく、副読本を用いて年間35コマ程度実施されている小中学校の道徳の時間を、「特別な教科」とし、検定教科書を用い、評価は数値ではなく記述式で行なう、家庭への働きかけを強めるなどを骨子とした最終報告書を文科相に提出した。文科省は2015年度からの一部実施を検討する。 
*“ コントロールしてると嘘をつくシンゾウ“ (朝日川柳) 修身教科書に、”嘘つきは泥棒の始まり“とあった。国民の口と耳をふさぎ、次に奪うのは心か命か

6.英語教育 

5年後から段階的に実施するという文科省の「英語教育改革実施計画」によると、現在小学校5年生から週1コマ教えられている「外国語活動」を3年生からに早め、5年生からは正式教科として週3回程度の増やす。中学校からの英語の授業は原則英語で行ない、目標は「英検準2級程度。高校卒業時の達成目標を「英検準1級」程度に引き上げる。文科相は「文法や読解中心の受験英語からグローバル社会で活躍できる人材の育成に変わる必要がある」と述べた。
* 小・中・高・大‐総英会話学校化。出来損ないのspeaking-robot が大量生産されるだけ
        
 では皆さんよいお年をと言いたいところだが、恐るべき事態が進行していると思うので、では皆さん来年も安倍政権の強権的暴走に気をつけましょうと言わざるをえない。 (M)    

(参考) < アーカイブ 教育問題私見シリーズ >
(2013−4−20 教育問題私見 ① はじめに )
(2013−4−27 ② 安倍教育改革への根本疑問 )
(2013−5−2  ③ 安倍教育改革の段取り )
(2013−5−9  ④ 教科書検定 )
(2013−5−17 ⑤ 道徳教育考 1 )
(2013−5−25 ⑥ 道徳教育考 2 )
(2013−6−1  ⑦ 子供の学びの力 1 石切り山の人々 )
(2013−6−8  ⑧ 子供の学びの力 2 )
(2013−6−15 ⑨ 不幸な予感
(2013−6−22 ⑩ 教育は誰のために )
(2013−6−29 ⑪ 教師像あれこれ)
  
                  以上

A : 前回は学習者の側に立って、「レストランでの会話のようなものは学校で学ぶべきなのか」という疑問を提示することで終わりました。教える側に立てば、この問いは「レストランでの会話のようなものを学校で教えるべきなのか」ということになります。先生方の中にも、こういう疑問を持っている方が意外に多いのではないかと思います。まず賛成の立場の人たちに訊いてみます。

文科省はたぶん教えることに賛成するでしょう。文部科学大臣の名で公示された現行の学習指導要領(注)には、中学校・高校での英語活動について細かな指示がなされており、その中に、「次に示すような言語の使用場面を取り上げるようにすること」と明記されています。

[言語の使用場面の例] a 特有の表現がよく使われる場面:あいさつ;自己紹介;電話での応答;買物;道案内;旅行;食事;手紙や電子メールのやり取り(高校のみ)など。 b 生徒の身近な暮らしにかかわる場面:家庭での生活;学校での学習や活動;地域の行事;職場での活動(高校のみ)など。 c 多様な手段を通じて情報などを得る場面(この項目は高校のみ):本、新聞、雑誌などを読むこと;テレビや映画などを観ること;情報通信ネットワークを活用し情報を得ることなど。

以上はすべて言語の使用場面の例として挙げられているものですが、学習指導要領にこのように書かれている以上、検定教科書の作成者はこの表を無視するわけにはいきません。無視すると検定で不合格にされる危険があるからです。その結果、その扱い方は教科書によって違っていますが、できるだけ多彩な言語活動を行わせようと教科書著者たちは苦心をしています。教科書を見ればそのことがよく分かります。これによって、学校でも多彩なコミュニケーション活動が可能になると文科省は考えているのでしょうか。おそらくそうでしょう。少なくとも、「もっと役に立つ英語教育を」という世の中の声に応えているという自負はもっていることでしょう。

他方では、このような教育に反対する人々(かなりの数の英語教育専門家を含む)がいます。その論拠は大きく3つあります。第1に、英語は日本人の生活言語ではなく、外国語だということです。私たちは日本に住むかぎり、日常生活において英語を使用する必要はほとんどありません。買物も、電話も、レストランでの食事もすべて日本語で済ませることができます。街に出て英語を話す必要が生じるのは、外国人に英語で何か尋ねられたときくらいのものです。上記の表の中の「道案内」がいちばん起こりそうな使用場面でしょう。生徒の身近な暮らしに関わる場面として学習指導要領は「家庭での生活」を挙げています。しかし留学でもしないかぎり、そんな英語は普通の日本人には必要ありません。

第2に、日常的な生活言語には決まり文句(定型表現)が多いことが挙げられます。それらは初級の学習者にとっては大変な学習負担になります。前回のレストランでのウェイターと客のやりとりがそうであったように、発話のほとんどは定型表現でした。たとえばウェイターのMay I take your order? / How would you like your steak? など。これらの問いに対する客の反応の多くも定型表現でした。客は料理やサラダをメニューの中から選ぶ必要はありますが、発言の多くは単語を一定の型にはめて言うだけのことです。こういう英語表現をなぜ中学生が学校で学ぶ必要があるのか、前回のQ1の中学生のように、疑問を感じる生徒もいるのではないでしょうか。

第3に、中学・高校は英語の基礎段階にあるのだから、レストランでの英語表現を学ぶ前にやるべきことが沢山あるという考え方があります。まず、語彙と文の基本構造に関する知識を身につけることが先決だという考えです。英語による日常会話というような活動は、学習の基礎が終わった段階で、そういう知識を必要とする人が学べばよいというわけです。急いで付け加えますが、中学生にレストランの場面はふさわしくないという意味ではありません。外国映画の中にもそういう場面はしばしば出てきますし、それによって外国人の食文化を学ぶことができます。中学校の英語の授業の中にそういう場面があっても悪くはありません。ただ、そこに出てくる英語を重要項目として扱う必要はないということです。映画などのレストランの場面を見せて、英米の食事文化を実質的に体験させるというのであればけっこうなことです。問題なのは、紙の教科書によって、レストランで使う英語表現を教え込もうとすることです。

「時間と費用の無駄の猿芝居」
(1)猪瀬都知事が辞任するまでの都議会の1か月以上にわたるあり方にやきもきした国民は少なくないと思います。議会というものは、開催するだけで(閉会中でも)税金が使われるものです。猪瀬知事にもそれは分かっていたはずですが、「選挙後の生活費に」という名目で、五千万円も徳州会グループから無利息、無期限で借金できる人ですから、税金のことなど頭に無いのでしょう。

(2)猪瀬知事は、12月19日の辞任の記者会見で、「不徳の致すところ」と認めて、謝罪しました。そこで、会見を終われば良かったのに、記者団も都議会と同じような質問を繰り返すものですから、猪瀬知事も同じような弁解を繰り返すことになりました。議会であれほど追及されても本当のことを言わない人物ですから、記者会見で追及しても同じことになるのは容易に分かることです。「記者団も頭が悪いなあ」と思わせる一幕でした。

(3)市民団体などが前都知事を告発しているようですから、後は公職選挙法違反ということで、警察や検察の追及に期待するよりないわけです。どこまでやってくれるかは未知数ですが。一方、議会が終わってほっとしているのは安倍首相でしょう。早速、閣議の了解を得て大事なことを次々と決めています。法律的には許されることですが、国会でも十分な説明をしない首相に、「国民に分かるように説明する」ことなどとても期待出来ません。“秘密法案”のごり押しで、内閣支持率が10%ほど落ちたことで、多少の反省はしているようですが、どこまで本心なのかは分かりません。早速、武器輸出禁止の原則を破って、韓国軍へ銃弾を送るという例外を作ってしまいました。

「2013年の漢字は「輪」
(4)今年(2013)の漢字は、「輪」と発表になりました。でも私ならば、「危険」の「危」を選びたいと思います。猪瀬前都知事は五輪招致活動の時は、「東京は世界で最も安全な都市の1つ」と言っていましたが、果たしてそう言えるのでしょうか?男性のストーカー行為による残忍な殺人事件とか、通り魔的な殺傷事件は毎日のように起こっていますし、人身事故で電車が止まるようなことも毎日繰り返されています。その大部分は飛び込みによる自殺だと言われています。遺族は身内を失うばかりでなく、莫大な損害賠償を要求されるのです。

(6)前回の東京オリンピックの際に造った橋やトンネルはすでに老朽化して、悲惨な事故も起こっています。今回の五輪招致で、あわてて施設を急増すれば、後で困ることになることは、前回の私のブログで指摘しました。ところで、12月21日の「東京新聞」では、第一面に、「国民負担追加の恐れ」「東電除染 国が全額肩代わり 株売却益を皮算用」といった活字が躍っていました。

(7)「東京新聞」は、権力批判の強い新聞の1つですから、佐藤栄作元首相であれば、「新聞はウソを書くからけしからん」と新聞記者たちを追い出すところでしょう。安倍首相はそこまではやりませんが、やろうと決めていることは、もっと恐ろしいものです。

(8)この日の「東京新聞」は、歴史学者 久保 享氏の「秘密保護法 言わねばならないこと」という記事を第一面に載せています。久保氏は、「2001年の情報公開法」などから今日までの経過を説き、「今回の秘密保護法は、公文書公開に逆行している」と訴えています。国会で形ばかりの説明で終わっても、両院で絶対多数を有していますから、首相にとって怖いものは無いわけです。怖がるのは国民の方です。

(9)日本の政治家が外交交渉が下手なのは、第2次大戦の敗戦で思い知らされたはずですが、「のど元過ぎれば…」で、また同じ過ちを繰り返すのではないでしょうか。「集団的自衛権の行使」など首相が言うのを聞くと、そんな思いが強くなります。「この道はいつか来た道…」にならないことを祈るばかりです。(この回終り)

(174) NHKはどこへ行く

Author: 松山 薫

(174)NHKはどこへ行く

 今月5日、特定秘密保護法案が参議院の特別委員会で強行採決された翌朝、NHKの朝7時のラジオのニュースを聞いていて「え!何で?」と首をひねった。頭は当然このニュースで、「自民、公明の賛成多数で可決され本会議に送られることになりました。各地で法案に反対する声があがっています」という内容のリードだった。ところが聞いていると、ニュース本文には、各地で法案に反対する声があがっているという部分は全く放送されなかったのである。私はNHK国際局報道部にいた頃、数年間、海外向けの日本語ニュースの編集にたずさわったことがあるが、こんな変なニュースの編集を自他ともに経験したことはない。重要ニュースは、本記、反響、雑感という組み立てになる。時間枠の関係で雑感を削ることはありうるが、リードで謳った反響の部分を本文で全部落とすというのは異様である。上層部からの指示か、整理部編集デスクの自己規制か。或いは単なる凡ミスであったのかもしれない。しかし、NHK在職中リクルート事件を体験し、政治の圧力に屈していく上層部の情けない姿を見ている私には、単なるミスとは思えず、今後政府の伝声管的な役割がますます強まっていくのではないかという危惧をぬぐえなかった。

 特定秘密保護法が成立し、報道に一層政治の圧力が加えられかねない情勢になって、この国の大手メディアの中で、一番弱い輪がNHKであることは明らかである。テレビやラジオの放送が政府の免許事業であること、放送法によって縛られていること、予算が国会承認事項であることから必然的に生ずる政治への弱みがあるからだ。中でも最も弱いのは税金が投入されている国際放送である。民主党時代の原口総務相は政府の主張をもっと反映させるよう申し入れて顰蹙を買ったし、自民党の領土問題に関する特命委員会は日本の主張を浸透させるため国際放送への税金の増額を来年度予算で要求するとしている。

 元日経新聞記者でメディア研究者の松田浩氏は、今月4日の朝日新聞文化欄に“政権のNHK支配監視を。露骨な人事、情報統制の発想”というタイトルで、最近の経営委員4人の任命に象徴されるNHKの危機的状況を憂えている。毎日新聞によるとこの4人は安倍首相のいわゆる”お友達“であるという。NHKのトップである会長は、これら4人を含む12人の経営委員会が選ぶが、翌5日の定例記者会見で現会長の松本・前JR東海副会長が、1期で退任する意向を明らかにした。新聞報道によると抗議の辞任だという。原発やオスプレイについてのNHKの報道が偏向しているという安倍政権からの批判と会長職をめぐる暗闘に嫌気がさしたらしい。後任は、籾井勝人前日本ユニシス社長に決まった。「この国のために役に立てるならうれしい」と語ったという。言うべきことが違うのではないか。「国民に真実を伝え、国民の知る権利を守る放送のために努力したい」せめてこれくらいのことを言ったらどうか。つまりは、安部政権の傀儡なのか、或いはジャーナリスティックなセンスがないのかいすれかだ。国民の多くは真実を知りたいと願って受信料を負担しているのだ。安倍政権の放送介入は第一次安倍内閣の時代に放送担当の菅総務相(現官房長官)が冨士フィルムホールディングの古森重隆社長を経営委員長に送り込んだ時から始まっている。

 私はかねがね、公共放送の経営委員長と会長がいずれも財界人であることには違和感を持っていた。前記の松田浩氏は、「NHKの歴史は政府・与党の介入の歴史だ」と述べているが、政権と一体の財界の意向が放送内容に反映しないと思うほうがおかしいだろう。NHK職員のトップである会長には、放送メディアに関しての十分な知識とジャーナリストとしての体験を持つ人物がふさわしいと私は考えている。私がNHKに入った当時の会長は、元朝日新聞記者の野村秀男で、元毎日新聞記者の阿部真之助、元朝日新聞記者の前田義徳と続いた。野村秀雄は、暴力番組追放に蛮勇を奮ったし、阿部真之助は、何とかNHKの中から会長を育てたいと考えていた。また、前田義徳は、辞任に当たり今の放送法制は、政府の介入の余地が大きいと警告して去った。それぞれに批判はあったにせよ、いずれも気骨あるジャーナリストであったと思う。

 前田義徳の後任に田中角栄が送り込んだのは、自分が39歳で郵政大臣に就任して以来の腹心である小野吉郎元郵政事務次官だった。ところが、この人物は、あろうことか、リクルート事件で逮捕され、保釈中だった田中角栄を局車で自宅に見舞ったのである。リクルート事件を必死に追っていた社会部や政治部の一部を中心に、憤激の声があがり、NHK労組(日本放送労働組合−日放労)は、小野会長の辞任を求めて全国で署名運動を展開し、2日間で100万人の署名を集めて小野を辞任に追い込んだ。これを機にNHK内では内部からの会長選出を求める機運が高まる一方、自民党政権内には日放労とその委員長である上田哲社会党議員に対する反撥が強まった。

 その時、反上田日放労の先頭に立ったのが自ら自民党大平派(宏池会)だと名乗っていた派閥記者の島桂二で、報道局長、放送総局長として”粛清”をすすめ、日放労退治に成功して会長に上り詰めた。自己顕示欲の強い島はスキャンダルで失脚し、同じく派閥記者の海老澤勝二が会長を継いだ。海老沢は入局当初から、田中角栄の右腕と言われた橋本登美三郎が、生地の茨城県出身者で作った青雲西湖会のメンバーであった。海老沢もまたスキャンダルで失脚した。つまり、自民党は内部昇格を求めるNHKの事情を巧みに利用して、自家薬籠中の派閥記者を会長に据え、彼等の失敗をこれ幸いと財界人に切り替えたのである。( アーカイブ 2012−6−30 公共放送と政治 )

 政治の介入を許す体質を克服するためにはどうすればよいのか。それは、NHKが報道機関として存在するための最大の課題であると思うし、26年間の在職中常に私の頭から離れることはなかった。私の結論は、報道にたずさわる者には、「個の確立」が必要であり、それあってこそ、圧力に屈することなく、真実に迫ることが出来るのではないかと思う。前回紹介した“Nothing but the Truth”の女性記者がそれを体現している。しかし、彼女は自らの属する新聞社にも、無関心な国民にも見放された。「こんなことになるのだったら、あんな記事は書かないほうがよかった」と彼女が後悔する場面がある。それでも彼女が刑務所行きを選んだのは「真実こそすべて」という強烈な信念があったからだ。

 そういう記者やプロデューサーがNHKに数多くいるとは思えないが、いないわけでもないことは、(アーカイブ 2012−7−7 NHKと政治 4冊の本)で紹介した。そういう人達を孤立させず、組織として守るのは日放労の責務だと思う。 政治やNHK経営から加わる圧力を撥ね退ける盾としての日放労の役割は大きい。それが出来ないようでは報道機関の労働組合としての存在価値はない。日放労が組織を挙げて立ち上がる時、国民世論が喚起される可能性がある。禍を転じて福となすというが、今回の「秘密保護法」をめぐる世論の動向が、その可能性を示しているように思う。(M)

Q1 : (中学3年生女子)英語の教科書には会話体の文章がたくさん載っています。でも会話の場面が外国のレストランだったり、外国人の家庭だったりして現実味がありません。教科書の会話場面は私たちのような普通の中学生にも体験できるものにしてほしいです。

Q2 : (高校3年生男子)これまで英語の教科書で対話や会話のサンプルをたくさん習いましたが、あれは外国に行く時には役に立つのかもしれませんが、僕には今のところ関係ありません。覚えた文章はほとんど忘れてしまいました。学校はなんであんな無駄な勉強をさせるのかと、いつも疑問に思っています。

A : 中学・高校の英語教科書を見ると、どれもかなりの数の会話テキストを載せています。それらは、AとBの対話という形で話し手が特定されていないものと、話し手が記されて人物が特定されているものと、2つのタイプがあります。前者は主として問答や対話のパターンを類型的に示すことを目的としており、A とBには誰でも当てはまるようになっています。たとえば次の例のようです。

(例1) A: What are you doing?  B: I’m just watching a bird up there.

(例2) A: Who’s that boy?  B: Which boy do you mean?  A: I mean the boy sitting on the bench.

こういうテキストは「文型練習」(パタン・プラクティス)の一種で、問答をしながら新しい文型や文法項目(例1では現在進行形、例2では -ing形の後置修飾)を練習するためのもので、通常の会話の練習とは違っています。こういう形の口頭練習は英語の授業では以前から広く行われています。

これに対して、たいていの会話は話し手が特定されています。それが一般的な会話のテキストです。次はどこか外国のレストランでの会話です。

Waiter: May I take your order?

Guest: Yes, please. I’ll have steak with a baked potato and a green salad.

Waiter: How would you like your steak?

Guest: Well-done, please.

Waiter: OK. What kind of dressing would you like on your salad?

Guest: Thousand Island, please.

Waiter: All right. Anything else?

Guest: No, that’s all. Thank you.

(Based on the text in Sunshine English Course 3, p. 22)

これは現在使われている中学校用教科書のテキストの一部を筆者がアレンジしたものですが、このようなレストランでの会話を学習テキストとして中学生に提示するのにはどんな意義があるでしょうか。ここで少し考えてみたいと思います。

こういう外国のレストランでのウェイターとの会話は、そのほとんどが定型表現(決まり文句)からできていています。この会話が始まる前には、客はたぶんテーブルに案内され、メニューを渡され、何を注文するかを考えます。やがてウェイターがやってきて、上記のような会話が始まります。ウェイターの話す英語はほとんど定型表現ですから、英語の母語話者ならば、自分の店のメニューを覚えさえすれば何とかなります。客は自分の注文する料理をメニューから選ぶ必要がありますので、メニューの英語が理解できなければなりません。そしてウェイターのHow would you like your steak? の問いに対して、次の (1) ~ (3) の3通りの答え方を知らないと返事ができません。知ってさえいればさほど難しいことはありません。

(1) Rare, please. (2) Medium, please. (3) Well-done, please.

さて、ここでQ1の中学生が問題にしているのは、こういう会話を日本人中学生がなぜ学ばなければならないのかということです。こういう会話はレストランに行くときには必須のものでしょうが、レストランの外ではたいして役に立つとは思えません。もし来週の授業を英語しか通用しないレストランで実施するということであれば、生徒はみなメニューの読み方や料理の注文の仕方に関する英語を必死になって学習するでしょう。しかし学校の授業ではとうてい不可能です。そのように考えると、この中学生の不満に深く同情せざるを得ません。こういう授業が高校卒業まで続くと、Q2の生徒のように、なんで自分と関係のない外国のレストランなんかが教科書に出てくるのだ、とぼやきたくなる気持ちになるのでしょう。先生はおそらく、そのうち君も外国に行ってそういう知識が役に立つこともあるよ、と説得しようとするでしょう。しかしそれは本当でしょうか。そもそも、そういう会話は学校で学ぶべきものなのでしょうか。次回にはこの問いを考えます。(To be continued.)

(173) 特定秘密保護法‐2

Author: 松山 薫

( 173 特定秘密保護法−2 これからどうなる )

< NOTHING BUT THE TRUTH 真実こそすべて >

  多くの国民の反対の声を押し切って「特定秘密保護法」が成立し、1年以内に施行される。それによって国民はどのような影響を受けるのか、まだ誰にも予測はできないだろう。しかし、起こりうるひとつの類型を示すアメリカ映画がある。ブログ仲間の田崎清忠さんから知らされて、この映画“ NOTHING BUT THE TRUTH 邦題 合衆国の陰謀”を見てそう思った。政府の圧力によって記者が悲惨な目に会い、報道機関が自己規制に追い込まれていく危険性、それを助長する国民の無関心が事件の経過とともに見る者の心に迫る。

 事実をベースにした*この映画の主人公はアメリカの新聞社に勤める若い女性記者である。彼女がある日偶然アメリカ大統領暗殺未遂事件をめぐる政府の重大な秘密に触れ、これを記事にしたことから、情報源の秘匿をめぐって権力との壮絶な戦いが始まる。

 政府は大統領暗殺を企てたのはベネズエラ*であるとしてアメリカ空軍がベネズエラの基地を報復爆撃するが、ベネズエラに潜入したCIAの女性agentは、ベネズエラが関与した証拠はないという報告を上層部にあげていた。たまたま女性記者の幼い息子と、このCIA agentの娘がクラスメートであったことから、物語は二人の女性と二人を追い詰めて情報源を吐かせようとする権力の戦いとなる。

 政府は、このような極秘情報の漏洩は国家を危機にさらすとして特別検察官を任命し、大陪審を開いて女性記者に情報源を明かすよう迫るが、彼女は頑強にこれを拒み、拘置所に収容された。一方、CIA agentの女性は、記者に報告書の内容を漏らしたのではないかという疑いをかけられ、屈辱的な査問を受けた上、CIA長官に「君の報告は間違っていたのではないか」「君が情報をリークしたのではないか]と問い詰められ、命を賭けた国家への忠誠心を疑われた悔しさで、激昂してCIAをやめた。権力の非情と一人の女にもどった彼女の泣き崩れた顔が、国家と人間の関係を鋭く浮き彫りにする。護衛をはずされた彼女は、やがて右翼の男に襲われて死ぬ。映画では暗殺者がCIAの手先であったことを暗示する。

 女性記者の拘留は1年に及び、その間、夫は他の女性に心を移し、息子の気持ちも母から離れ、彼女は親権を失う。最初は記者を守る姿勢を見せていた新聞社も、政府から一日1万ドルという罰金を科されて変心し、弁護士もまた[私が弁護するのは君であって君の主義ではない]と告げて去っていった。彼女の記事を派手に採り上げたTVのトークショウなども何時しか消え、人々の関心は急速に衰えていく。

 孤立無援となった女性記者は、精神的に追い詰められ、些細なことから拘置所内で凶暴な女と言いあらそって暴行を受け、瀕死の重傷を負う。これもまた政府にとって都合のよいことだったが、拘置所を訪れて彼女の変わり果てた姿を目の当たりにした弁護士は、再び彼女に協力する決意を固め、連邦最高裁判所の法廷に立つ。 

 最高裁での弁護士の陳述は、これから冬の時代へ向かうであろう日本の記者やプロデューサーそして報道機関への箴言であると私は思う。

「最高裁はかつて、記者の大陪審に対す証言拒否権を否定し、これによって、政府は記者を投獄できるようになりました。判決は5対4というきわどいものでした。当時判事の一人はこう述べています。『これで政府の力はより強大になる。そして権力を操る政治家達はこれを守ろうとする。犠牲となるのは国民だ』 彼の言うとおり、今政府の力は強大です。彼女も政府に屈服し、情報源を明らかにしていてもおかしくなかった。家に帰るために。しかし、それでは、誰も彼女や彼女の新聞社に情報を明かさなくなる。そして同じことが別の記者や新聞社にも起こり、新聞は機能を失う。つまり表現の自由の失墜です。そんな状況で大統領や軍の不正を見抜くことが出来るでしょうか。国を操る権力者たちには民衆からの信頼など必要がなくなるのです。国民の目を気にしない政府は恐ろしい。私は少し前から彼女の精神に負担がかかり始めていることを感じていました。それで“私が弁護を引き受けたのは君であり、君の主義ではないと告げました。しかし、主義こそ命であることを、彼女は気づかせてくれたのです。」 

  連邦最高栽でも情報源を明らかにすることを拒否し、法廷侮辱罪により2年の実刑判決を受けた女性記者は、拘置所から刑務所へ送られる護送車の中で、一年前のスクールバスでの出来事を涙とともに思い起こしていた。隣に座ったCIAagentの幼い娘との会話。「ママはベネズエラへ行って秘密を見つけたの」「何しに行ったの」「政府のお仕事。私から聞いたって言っちゃだめよ」「勿論」。これが、彼女がジャーナリストとして政府の秘密をかぎつけ、CIAレポートにたどりつくきっかけとなった情報であり、彼女がジャーナリストとしての倫理を貫いて家庭を失い、CIA agentの娘が母親をなくす悲劇の発端となったのである。

蛇足ながら付け加えたい。誰が一体この悲劇の責任を負うべきなのか。私の答えは冒頭に述べた三者であるが、三者の責任は時の流れの中で忘却されてしまう。それはまさに権力の思うつぼなのである。私には、「特定秘密保護法」が成立した日本において、やがて起こりうる事態を暗示しているように思える。(M)

* 2000年代の初め、ベネズエラのチャベス大統領は、アメリカのブッシュ大統領を”史上最低の米大統領”、“悪魔”と呼び、中南米の反米勢力のリーダーと目されていた。
* 2003年の「プレイム事件」:イラクの核疑惑をめぐるブッシュ政権内部の対立から核疑惑を調査し「核はない」と報告した外交官の妻プレイムがCIAのagentであったことが暴露され、その情報源をめぐってタイム誌とニューヨークタイムズの記者が大陪審で証言を拒否し法廷侮辱罪に問われた事件 
 

Q :(中学2年男子)英語の教科書には会話文が沢山のっていますが、僕はストーリーのほうが好きです。理由は、暗唱するときストーリーのほうが覚えやすいからです。先生は会話も暗唱するように言いますが、一人で練習しても会話はなかなか覚えられません。どうやって覚えたらいいのですか。

A : この中学生の質問は、学習者の側からするともっともなことで、教師は案外こういうことに気がつかないのかもしれません。暗記をするときには、ストーリーのあるテキストのほうがずっと覚えやすいことは誰もが経験するところです。英語の教科書に対話や会話のテキストが多いのは、近年の英語教育が「コミュニケーションのための英語」を目指すようになってきたことと関連しています。一時は「コミュニケーション=会話」という公式までできました。しかしその後、それが誤りであることがはっきりしました。読んだり書いたりする英語も話し言葉と同様に、コミュニケーションのための英語であることが理解されてきたからです。

ちょっと脇道にそれますが、「コミュニケーション」という言葉が日本の英語教育界で広く使われるようになったのは、1989年(平成元年)に文科相の名で公示された学習指導要領の影響が大きいと思います。そこに英語教育の目標の一つとして、「外国語で積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育てる」という一句が入れられたからです。そして高校には「コミュニケーションA・B・C 」の3科目が新設されました。こうして全国の中学・高校において、教える先生も学ぶ生徒も、共に「コミュニケーションのための英語」と格闘することになったわけです。

さてこの中学2年の質問者は、学校の授業で会話のテキストを暗記するように言われます。しかし会話は二人以上の人たちで交わされる言葉のやり取りですから、一人で練習してもうまくいかないというのです。たしかにその通りです。会話を練習するならば相手が必要です。一人ではうまくいきません。そして会話というのは一回かぎりの出来事で、それと同じ会話が再び繰り返されることはまずありません。ですから会話のテキストを丸暗記しても、実際のコミュニケーション場面で役に立つわけではありません。たとえば、中学校の教科書に載っている次のテキストを見てみます。

Daisuke: Origami is now popular all over the world.

Mike: Really?

Ms. Wood: Yes. These days I make origami a lot.

Daisuke: How do you get new ideas, Ms. Wood?

Ms. Wood: I exchange ideas with origami fans around the world.

Mike: How do you do that?

Ms. Wood: I use the internet. (Sunshine English Course 1, p. 85)

この場面に登場するのは、日本人の生徒Daisuke、アメリカからの留学生Mike、およびカナダから来たALT(外国人英語指導補助教員)のMs. Woodの3人です。先の中学生が言うように、こういう会話のテキストを一人で暗記するのは容易ではありません。そしてそのような必要があるとは思えません。特に暗記しなくてはならないほど重要な内容があるわけではないからです。筆者にはこういうテキストを丸暗記するように強要する先生がいるとは信じ難いことです(もしいるとすれば、筆者の知らない何か他の目的があるのでしょう)。英語学習に暗記は必要なことですが、他人がした一回限りの、しかもさほど重要な内容があるとは思えない会話を暗記するのは、間違いなくエネルギーの浪費です。そういう先生にはこのブログの記事を見せて説得してください。

それよりも、この中の会話に使えそうな表現を記憶するのが賢明です。たとえば、all over the world; these days; Really?; How do you do that? などの語句は頻度の高いものですから、覚えておいて使えるようにしておくと便利です。会話のテキストは、話し言葉に現れるこのような表現を学ぶのに利用するとよいのです。 ‘Origami is now popular all over the world.’という文は、OrigamiをSoccerやFigure skatingなどに変えてすぐに応用できます。「それってどうやってやるの?」という意味のことを言いたいときにはHow do you do that? と言えばよいことを知れば、いざというときに役に立つでしょう。教科書に載っている会話のテキストというのは、丸暗記するためにあるのではなくて、使用頻度の高い定型表現をコンテクスト(前後関係、文脈)の中で記憶するためにあると考えてよいでしょう。

(172) 特定秘密保護法成立

(168)< 言論の自由 > の続き

< 法案審議をめぐる発言 ● 私の独白 順不同 >

* 安倍首相: この法律の必要性と恣意的運用を防ぐための重層的な構造を国民に丁寧に 説明していく ● 重層雲に雲隠れ。そのうち雷鳴が轟き、稲妻が走る 
* 菅官房長官: 参議院審議打ち切り直前に突然“第三者チェック機関”として内閣府に「情報保全監察室」を設けると発言、説明もなく強行採決 ● いたち男の最後っぺ
* 森雅子法案担当相:答弁がぶれにぶれて聞くに堪えず ● 席の後ろからひそひそ助言したのは元警察官僚たち
* 石破自民党幹事長:(反対デモについて)「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思う」 ● 国会の野次(不規則発言)もテロか
* 中谷元・特別委自民筆頭理事:国にとって大事な情報、秘密はしっかり守らないといけない。ご家庭でもクレジットカードの暗証番号は太人に知られないようにまもっているのと同じ。● 国と個人をわざと混同した「戸締り再軍備論」以来の幼稚なトリック
* 町村信孝元文科相: 国が潰れてしまう時に、人権も報道の自由もないだろう ● 国破れれば国民もなし。昔、軍部もそう言っていたな 
* 自民党幹部: この法案は消費税なんかと違うんだ。強行採決したって国民はすぐ忘れてしまうよ ●“金、金、金、金、この世は金だ” それ以外はどう もよい国民多数
* 公明党川口代表:衆院での強行採決に同調した上「参議院での審議時間も十分確保されているので、(6日)の会期末までの採決は可能」と発言 ● 鵺的政党の本領発揮。 対話」がすべてと説く大作先生とは政教分離か 
* 海江田民主津代表:11月26日は、巨大与党が暴走を始めた日として記憶されねばならない ● 暴走の号砲を許したのは誰
* 瀬谷・元全国地方銀行協会長(自民参考人):私はこういう問題には全く不案内だが、秘密を守ることは必要だと思う。ただ権力が民間企業にたずさわるものまで処罰の対象にするのは疑問だ。● 素人なら参考人になるな。公聴会へ行け
* 衆議院本会議傍聴者 : “ 恥を知れ ! ” ● 恥を知る者は強し、されど知らない 者も強し 
* 西山太吉: 見ててごらん。(米国)との了解事項なんかは全部隠されて秘密国家になるよ ● 隠すことも了解済みの隠蔽同盟 
* 清水勉弁護士: 秘密漏洩罪の操作は警察がやる。公安警察が強化される ● 公安警察といえば、特高警察のまたの名だったな 
* 日本ペンクラブ声明: 強行採決は未来への反逆  ● 国民反逆罪をつくれ 
* 馬場浪江町長:福島公聴会の翌日に強行採決とは! ● いつもの手です
* 朝日新聞WEB論座: この法案を成立させることはこの国の戦前、戦中の歴史に何も学ばなかったことと同義 ● 学んだのは痛い目に会った戦中派だけ
* 菅原文太: 国民が小さくなって暮すことになる ● 民を脅すやくざ国家
* 佐藤和良いわき市議 : 原発の情報が秘匿される ● 原子力機密ムラの再生
* 古郝荘八牧師 : 国旗国家法が出来た時、政府は強制しないと言っていた。今では君が代を歌わない教師が処分されている ● 野中宏務官房長官が国会でついた大嘘  
* 澤地久枝 : 政府がどんなことでも秘密に出来る法律は前代未聞 ● だから、前代未聞のことが起きる 
* 藤原帰一東大教授:国家に知られたくない個人情報を持つ権利も奪われる ● 精神的四つん這い兵隊検査の復活
* 久保利明弁護士: 首相が第3者というのは、社長が、自分の会社に対して第3者を名乗るようなもの ● 裁判官と検事が同一人。もはや西部劇
* 前田雅英教授 : 国家機密を漏らした罪の懲役の上限が10年は決して重くない ●10年経って出てきたらどうなる。想像力不足
* 大石泰彦教授:人々の自由がまずあり、それを守るのが政府だ ● 逆コースから始まり、70年で逆転現象へ
* 佐高信 : 法案が通ったとしてもそれで終りではない。息の長い抗議行動を ● それが出来てりゃも一寸ましな・・・
* 内田樹神戸女学院大学名誉教授:安倍政権は経済発展に都合のよい形に社会全体を設計しなおそうとしており、その流れの中にこの法案を位置づける必要がある ● 金じゃ、金かね、金、金かねじゃ
* 岡留安則・元「噂の真相」編集長:法律は権力によっていくらでも拡大解釈される。この法律は戦後最悪の悪法 ● それより前の最悪は治安維持法
* 森孝博弁護士(自由法曹団):国民は、軍事・外交・原発などの社会問題に深入りすることに萎縮し、政府発表を信ずるしかなくなる ● NSC=大本営 明日は72年前に太平洋戦争が始まった日。午前6時開戦を告げぬ最初の発表が日本放送協会のラジヲで流された。歴史に学ばなかった日本の政治家たち
* 滝井繁男元最高裁判事:法律は一度できたら独り歩きする。テロ防止の目的で、秘密の範囲が無制限に拡大する恐れがある。● 行き着く先は市民の相互監視とチクリ
* 大田昌秀元沖縄県知事:国民をがんじがらめにしていく動きのひとつといえる。参議院の審議では根本的な問題点を突き、良識の府らしい姿を見せて欲しい ○ 参院選挙違憲判。少数者の、少数者による、少数者のための選挙で生まれた異形の政権
* 春名幹男早大客員教授:この法律ができれは、(ジャーナリスト)は、逮捕覚悟で報道することを迫られることも出てくるでしょう ● アメリカでは実際に起きたが、日本のサラリーマン記者にはムリ 
* 小林よしのり: わしは、国民も信じられない。国家の将来を自分で判断するつもりなら正しい情報が必要だ。なのに“一市民には関係ない”という政府の言い分を多くが信じている ● めしいたる民世におどる
* 高畑勲監督: 安倍政権を生み出してしまったのがほかならぬ私たち国民自身であることに愕然とせざるをえない ● だから言ったじゃないの。この国民にしてこの政府
* 朝日新聞見出し(1925−3−8) 世論の反対にそむいて治安維持法可決さる。必死の反対も空しく  ● 歴史のアナロジー 

ではこの辺で (M)

Q1 :(中学3年女子)英語の授業ではスピーキングの活動をよくやります。私はそれが得意で、こんど英検準2級に挑戦します。しかし高校入試にはスピーキングのテストがありません。どうしてですか。

Q2 : (高校3年男子)僕はこれまでテキストをじっくり読んで、意味が分かったら音読するという勉強をしてきました。来年センター試験を受けますが、あれは分量がやたらに多く、去年の問題をやってみたら時間が不足して半分ちょっとで時間切れになりました。その対策をどうするか、教えてください。

A : 上のQ1とQ2はいずれも、学校で教えられる教育内容と、その達成度を測定するテスト内容(特に入試)のずれに関して、学習者が感じる困惑と悩みを表わしています。これらは質問というよりも、現代教育への問題提起と捉えることができます。Q1の中学3年の生徒はスピーキングの活動を得意としています。おそらくそこには、英文の音読、暗唱や、英語による問答、ディスカッション、スピーチなどの活動が含まれているでしょう。おそらくこの生徒は、そういう授業を楽しんでいます。こういう生徒はまさに現在の英語教育が目指すものに合致する模範的生徒です。ところが来春受験する高校の入試にはスピーキング・テストがありません。自分のいちばん得意とする分野のテストがないのですから、この生徒の無念さはよく理解できます。入試の制度や方法はすぐには変えられませんが、こういう生徒の願望は何とかしてあげたいものです。そのためには、英語教育関係者が「スピーキングやライティングの項目を含まない学力テストは欠陥テストだ」という認識を共有することが重要です。

もう一方の高校3年生は大学入試の準備をしなくてはならない時期に入っています。今いちばん気になるのは入試センター試験の英語です。そこにはさまざまなタイプの、かなり多量の英文が用意されています。英文そのものはさほど難しくはありませんが、学校の1コマの授業で扱うテキストとは比較にならないほどの分量です。受験生はそれらの英文を読み、決められた時間内に内容を素早く読みとる練習をしなくてはなりません。しかもすべての設問が与えられた選択肢の中から選ぶクイズ形式になっているので、そういうタイプの思考方式にも慣れる必要があります。学校の授業でこつこつと英文を読む勉強を続けてきたこの真面目な生徒にとってこれは脅威です。しかしセンター試験に出題される英文はそれほど難しいものではないので、読むスピードを上げる練習を続けることによって、この生徒の課題はたぶん解決できるでしょう。センター試験は70%~80%の正答を目指すのならば、実力のある生徒はさほど恐れることはありません。

上記2人の生徒の悩みは、教育に携わる者たちに重要な問題を提起しています。それは、現在広く行われている入試のやり方が、学校の生徒たちの学習目標と学習方法をあまりにも均一化しようとしているということです。そのために、上記の2人の質問者のような、やや個性的な学習者たちが排除される傾向があると思うのです。そもそも現代の学校は、これからの社会を生き抜く人間を育成するという大義名分と、できるだけ無駄を省いて教育効率を上げようという経済的見地から、すべての学習者に画一的な学習プログラムを押しつけています。学校教育を担当する行政当局(文科省)が識者の意見を聴取して教育目標を作成し、すべての学校にそれらの目標を全国均一の教育課程(学習指導要領)によって達成させようとしているのです。入試はその一つの現れです。

しかし現実の学習者たちは、それぞれが個性的なやり方で各自の課題に取り組もうとしています。そしてそういう個性は、しばしば画一的教育によって異端視され、時に迫害され(いじめの対象にもなる)、あげくの果て、一斉テストという圧力によって矯正を余儀なくされます。Q1の生徒はスピーキングに英語学習の楽しみを見出し、Q2の生徒は時間をかけてじっくりテキストを読むことに喜びを感じていました。しかし彼らは入試に直面して、自分たちの学習方法が受け入れられないことを知り、唖然とします。この現状を変えるために必要なのは、まず学校と教師が生徒の学習目的や学習方法の多様性をもっと尊重することです。実際のところ、これまで文科省の作成する学習指導要領の目標が満足に達成されたことは一度もありません。このようなやり方では、何でもできるようにしようとして、結局のところ何もできない人間を作り出しています。生徒たちの能力や気質は多様であり、学校における授業時数は乏しいのですから、それぞれの生徒の目的や嗜好に応じて、的(まと)を絞って学習させるのがよいのではないでしょうか。