Archive for 3月, 2014

(191) <人権大国への道>

Author: 松山 薫

(191)< 人権大国への道 >     2014−3−29

所与の条件 ③ 国土と隣国

(3)隣国−2 中国—2 戦後の日中関係

< 日中関係を律する二つの文書 >
 
 太平洋戦争の終結で、日清戦争以来50年にわたる日本と中国の敵対関係は終った。1945年、ポツダム宣言の受諾によって、日本は敗戦国となり、中国は戦勝国として国連常任理事国となった。しかし、中国では抗日統一戦線を組んで戦った蒋介石の国民政府軍と毛沢東の中国共産党(中共)軍が再び内戦に突入し戦況は一進一退を続けたが、4年後の1949年10月、毛沢東が北京に入り中華人民共和国の建国を宣言して決着した。蒋介石は台湾に逃れ中華民国を名乗った。1952年日本はサンフランシスコ講和条約によって主権を回復したが、この条約には、中華人民共和国も中華民国も調印しなかった。  

 日本はこの年、アメリカの仲介で中華民国と日華平和条約を結び、国交を樹立したが、この時蒋介石総統は、「以徳報怨」の一環として日本に対する賠償請求権を放棄した。一方、中華人民共和国とは、日本がアメリカの中国封じ込め戦略の拠点とされたことから、20年間にわたり、政治的には空白期間が続いたが、“政冷経熱”と言われる状態の下で、日中貿易は徐々に規模を拡大した。

 1960年代に入り中国とソビエトがイデオロギーや核戦略で対立を深めると、アメリカは中ソの離間を図って中国に接近し1969年、中ソ対立が国境での軍事衝突に発展すると、1972年2月にはニクソン大統領が北京を訪問し、米中共同声明によって事実上中華人民共和国を承認した。こうした動きの中で日本も、同年9月、田中首相が中国を訪問し、中華人民共和国との国交を正常化するとともに、中国側の言う、「一つの中国」の原則に従って、台湾の中華民国とは民間の経済関係だけを残して国交を断絶した。

< 日中国交正常化の両国政府共同声明 > (抜粋)

日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つこと を切望している。戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は、両国関係の歴史に新たな一頁を開くこととなろう。
 日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。また、日本側は、中華人民共和国 政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する。中国側は、これを歓迎するものである。
 日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である。両国間の国交を正常化 し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである。
1.2.3.4 項 省略
5.中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
6.日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
 両政府は、これらの諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
7.8 項 省略

 この宣言にあたり、対日賠償請求権を放棄したことについて、中国の周恩来首相は、「中国人民は、馬関条約(下関条約)による巨額の対日賠償によって苦しんできた。日本の人民に同じおもいをさせたくない」と語ったという。これは、日本国民もまた中国人民と同様、日本軍国主義指導者による被害者であるという所謂 “周恩来テーゼ” につながる考えである。周恩来は、これによって長年の中国民衆の日本に対する「怨」を沈静化するしか方法がなかったのだろう。前回述べた日露戦争終結時の賠償問題に対する日本の国民感情を考えれば理解できる。中国の対日賠償権放棄に対し、日本は累計3兆円に上る円借款をはじめ技術協力・経済援助でこれに報いた。また、稲山嘉寛経団連会長(新日鉄会長)ら親中派経済人によって日中貿易は1980年代に今日に至る拡大の基礎が築かれたた。中国では「水を飲む時には、井戸を掘った人のことを思え」という教えがあるという。国交正常化にいたる20年の政治空白の間に、井戸を掘った人達、松村謙三、岡崎嘉平太、古井喜美、宇都宮徳馬、池田大作らを中国は長く古い友人として遇した。

 この共同宣言に基づき、日中両国は1978年平和友好条約を締結し、戦後33年にして、日本と中国は平和友好関係へ歩みだすかに見えた。それからさらに35年、現在、両国の関係は、戦後最悪の状態にある。 そのほぼ中間点にあたる1995年、村山談話が発表された。この談話は、戦後半世紀を経て、この国が、初めて、自らの責任において先の戦争の責任を総括した極めて重要な文書である。

     < 村山内閣総理大臣談話 > (抜粋)
  いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国 の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらたに痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを 通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。
 
 この談話の中では、「植民地支配と侵略によって、多大の損害と苦痛を与えた」主体が「わが国」となっていて明確でない。この点が、戦争責任が誰にあったのかについての歴史認識をめぐる重大な分岐点なのである。つまり、日本国民全体なのか、軍国主義指導者なのかという点である。

 この談話の発表に先立ち、衆議院は終戦50年に当たり「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」を採択している。決議に当たっては、自民党議員の多くが欠席した。その10年後の2005年には、「50年決議」から「植民地支配」や「侵略戦争」などの文言を削除した「戦後60年決議」が採択された。何故削除したのか。それは、村山談話をよく読むと、責任の主体がおぼろげながらわかるからである。60年決議にあたっても、自民党の安倍晋三幹事長代理ら10人が議場を退席した。「植民地支配」や「侵略」を削除してさえ、何故賛成できなかったのか。それは、先の戦争は日本の侵略ではなかった、むしろ、欧米のアジア分割支配に対する防衛戦争であったという考えがあるからである。この10年あまりの日中関係の悪化は、村山談話を否定し、日本の過去の戦争を正当化しようとする勢力の台頭の中で進んできたと私は考えている。

 日本国総理大臣が署名した「日中共同宣言」、「村山談話」を、自国の都合でないがしろにするというのでは、国家としての信用は成り立たない。(M)
       

(1)「“2020年の東京五輪”は返上しましょう」などと言うと、第2次大戦中のように、“非国民!”と言われそうですが、まずは私の言い分を読んでください。私は昨年(2013) の10月のブログでも、「東京オリンピックを迎えるもの」という題で、山積する問題点を指摘しました。今回は、もっと積極的に“返上しよう”という提案です。

(2)まず指摘したいのは、直接にオリンピック開催に関係する政治家たちの言動です。使途も返却期限も明確でない五千万円もの借金をして、都知事を辞めることになった猪瀬知事もその一人です。2014年3月には、選挙違反の罪名で略式起訴されました。罰金で済むだろうと言われていますが、五輪担当知事としては不適当な人物だったことは確かです。上には上がいるもので、みんなの党の渡辺代表は使途不明の8億円の借金をしていることが判明して大騒ぎになっています。

(3)都知事選で当選した舛添知事は如才なく振る舞っていますが、かつて自民党を飛び出した経緯もあって、政府与党の支持も万全とは言えないようです。そこへきて、組織委員会委員長になったのが失言で有名な森 元首相とくれば、「この人で大丈夫か」と心配した国民は少なくなかったと思います。案の定、“浅田真央選手は大事なところで転ぶのだよ”などと余計なことを言いました。浅田選手はソチ五輪ではメタルを取れませんでしたが、3月26日から日本で開催の世界選手権では、ショートプログラムで1位となり、3日後のフリーの成績が期待されています。彼女は、“今頃後悔しているのは森 元首相のほうではないでしょうか”とやんわり反論していました。

(4)招致運動としては、多少の誇張は許されるでしょうが、“ウソ”は言うべきではありません。日本文化では「ウソも方便」などと言いますが、日本諺学会会長(日英言語文化学会会長も兼任)である奥津 文夫氏は近著『折々の随想集—日英のことばと文化』の中で、「『嘘つき』は英語では liar と言うが、You are a liar. というのは、かなり強い非難や軽蔑の意を含み、相手の人格の根本にも触れる表現ともなるので、禁句だと心得たほうが良いようである」と述べています。

(5)招致運動の時、安倍首相は、「福島原発の放射能はコントロールされている」という趣旨の“ウソ”の発言をしました。放射能問題はそれから半年後の現在でも解決していません。現場の作業員は、それこそ命がけで働いていることは認めますが、政治家たちの発言は東京電力の幹部たちの発表を受け売りしているだけですから信用出来ないのです。

(6)招致理由の1つには、「東京は世界で最も安全な都市の1つだ」というのがありました。私は、「世界で最も危険な都市の1つだ」と言いたいのです。寒い時期には火災があると必ず死傷者が出ます。電車への飛び込み自殺も多くて、毎日のようにどこかの線で2時間3時間と電車が止まります。自殺者は全体的には減少傾向にあるようですが、東日本大震災の被害者の自殺は増えていると報じられています。被災地の復興も問題山積なのです。

(7)7月のオリンピック期間中に自殺が皆無になるとは思えませんし、台風の襲来は予期せざるを得ないでしょう。首都圏や南海地方の大型地震も話題になっていて、各地域で災害マップが作られ、それに基づいた避難訓練も実施されています。さらに、通り魔的な殺人事件も各地で起こっています。銃ではなくても、刃物で無防備な通行人を襲えば数十人の死傷者が出るのです。

(8)暗い裏道にも街灯や防犯カメラを設置するとかして日本の各都市をもっと安全にすることが急務です。そして、少子高齢化の地域の防災を強化するとともに、各地の行政が、“心のケア”ができるような予算と人材を配置することのほうが、“東京五輪を開催すること”よりよほど大事なことだと私は考えます。(この回終り)

今回のタイトルを見て、読者の中には、楽しんで語彙を拡張できる方法があるなんて、とても信じられないと思った方もあるかもしれません。筆者はあえて言います。そういう学び方があるのです。むしろ語彙は楽しんで覚えなければ長続きしません。テストのための勉強ならば、ある限られた数の語を覚えることができれば、目標を達成することができます。しかしその努力の報酬はさほど大きくはありません。なぜなら、テストのために覚えた語彙の大半は、それが終わった後に記憶から失われてしまうからです。ですから、いつもテストだけのために勉強している人は、語彙を学ぶ楽しさを決して味わうことはないでしょう。いくら覚えても、その大部分が失われるとしたら、楽しいはずがありません。学習の目標はテストの先まで見通していなければなりません。英語語彙の学習は、母語の場合と同じように、生涯続くものなのです。そうだとしたら、学ぶことの楽しさを知らない人が続けられるものではありません。

ここで英語の語彙と言うとき、聴いたり読んだりするときに理解できる語彙(passive or receptive vocabulary受容語彙)と、話したり書いたりするときに自分で使用できる語彙(active or productive vocabulary使用語彙)に分けて考えることが必要です。なぜなら、多くの場合、受容語彙は使用語彙よりもずっと大きいからです。いくつかの資料によると、教育のある英語母語話者は5万から10万くらいの受容語彙を持ち、その使用語彙は1万から2万の間と推定されています(注)。外国語として英語を学ぶ私たちは、ふだん英語をほとんど必要としない環境に生活していますので、母語話者と同じ大きさの語彙習得を目指すことは現実的ではありません。私たちはそれぞれの学習目的に応じて、必要とされる語彙のおよその大きさをあらかじめ知っておくとよいでしょう。そしてテストを目標とするのではなく、自分自身の目標がどこまで達成されたかを判定する資料としてテストを利用するのです。そのようにすれば、テストに振り回されずに、自己の主体性を確保することができます。

さらに外国語としての英語学習では、「耳で聴いて理解できても、綴り字を見て意味や発音が分からない語」や「綴り字を見ると分かるが、耳で聞いて理解できない語」、あるいは「口では正しく言えるのに、綴りを書くことができない語」などの現象が生じます。これらは母語の習得過程でも起こるのかもしれませんが、外国語の学習ではこうしたことは珍しくありません。そこで学習者が単語を覚えようとするときには、目的に応じて、次の(a) から(d) までの4種類の活動を意識することが必要です。

受容活動:(a) その語を聴きとり理解するリスニング活動;(b) その語の綴りを見て理解するリーディング活動

使用活動:(c) その語を使って発話するスピーキング活動;(d) その語を使って語句や文を書くライティング活動

つまり、ある単語を覚えようとするときに、ちょっと立ち止まってその語を受容語彙のリストに入れるか使用語彙に組み入れるかを考え、これら4種類の活動の中から必要と思われるものを選び出して実行するのです。言うまでもなく、その活動は覚えようとする単語だけを取り出すのではなく、それを有意味なコンテクスト(語句や文)に入れて行うことが大切です。

さて英語の語彙は膨大であり、学習者が覚えなければならない語彙もかなりの大きさです。適当な大きさの辞書を選んで一冊覚えることを決意する人もあると聞きますが、たいていの人はそうしたいとは思わないでしょう。丸暗記に関しては、人間はコンピュータには遠く及ばないことが最初から分かっています。人間は自分に必要な情報だけを取り出して記憶することを得意としているのです。まず現在の自分の獲得目標とする語彙リストを眺めてください。それは基本3,000語のリストであったり、大学受験のための5,000語のリスト、あるいはビジネスに必要な8,000語のリストであったりするでしょう。すると、そのリストのすべての語に同じだけのエネルギーを注ぐ必要がないことが分かります。つまり、覚えやすい語と覚えにくい語とがあるということです。そこで、語彙リストを覚えやすいものと覚えにくいものとに分類すると、どこにエネルギーを集中すべきか、どこでエネルギーを節約できるかの見通しを得ることができます。それができれば、気分的にも、語彙の拡張を楽しんでできるようになるはずです。次回にはそんなことをもっと具体的に考えてみたいと思います。(To be continued.)

(注)このことに関してはいくつかの資料がありますが、ここでは主としてLongman Dictionary of Language Teaching & Applied Linguistics, Third Edition (2002)を参照しました。

          
所与の条件 ③ 国土と隣国 
             
(3) 隣国−2 中国・台湾−1 戦前・戦中の日中関係

 戦争の半世紀 : 日本は近代国家になってからおよそ50年の間に5回の戦争を戦ったが、そのすべてに中国が深く関わっている。

 ⅰ.日清戦争:1894年(明治27年)7月からおよそ9ヶ月間のこの戦争は、朝鮮半島をめぐる日本と清国の争いであった。日本は勝利の後、下関条約(馬関条約)によって、清国の朝鮮への内政干渉を排除するとともに、遼東半島・台湾・澎湖諸島の領有権と3億円(日本の国家予算の2倍以上)の賠償金を得た。遼東半島は三国干渉によって清国に返還したが、見返りに賠償金の追加として4500万円を得た。清国は賠償金を西欧列強からの借款によってまかなったため、ロシア、ドイツ、フランス、イギリスが見返りに租借地や鉄道の敷設権など各種利権を得て、清国は半植民地状態に陥り、辛亥革命を呼び起こして、秦の始皇帝以来2千年に及ぶ中国の王朝政治は終った。

ⅱ.日露戦争:日清戦争から10年後の1904年(明治37年)2月から1年7ヶ月にわたるこの戦争は、朝鮮半島とその北にひろがる中国東北部(満洲)をめぐる日本と帝政ロシアの争いであった。日清戦争後の日本に対する三国干渉の主導国として清国に恩を売ったロシア帝国は、満洲で利権を拡大し、シベリア鉄道の延長権や、日本から返還させた遼東半島の旅順、大連の租借権を得て、渤海湾、黄海の制海権を強化した。さらに、朝鮮王朝が閔妃の画策でロシア寄りの政策を取るようになった結果、ロシアが満洲から朝鮮半島北部への圧力を強めたのに対して、日本は国土防衛の最前線を脅かされたとして、満洲はロシアが朝鮮は日本が支配するという線でロシアと交渉を重ねたが、決裂して開戦した。
 日本軍は、鴨緑江を越えて満洲に侵入した主力と、旅順を攻略した乃木第三軍が合流して奉天を占領し、陸上の戦闘は終った。さらにロシアは最後の決戦であった日本海海戦で完敗したうえ、国内では第1次の革命運動が持ち上がったため、アメリカの仲介による講和を受け入れた。日本はこの戦争で100万人近くを派兵し、20億円近い戦費(国家予算の5分の3)を遣い、20余万の死傷者を出した。このため、ポーツマス講和会議では、ロシア軍の満洲からの全面撤退、遼東半島の租借県の譲渡、樺太全島の割譲、30億円の賠償、などを要求したが、結局得たものは、朝鮮半島における日本の優越権、ロシア軍の満洲からの撤退の他、遼東半島の租借権、それに樺太島の南半分などで、賠償金は得られなかった。ロシアが強気だったのは、ロシア陸軍が、満洲及び本土の縦深を活かした戦略的後退によって、なお50万の大軍を擁していたのに対し、日本陸軍はほとんど戦闘余力がなかったからであった。三国干渉以来、軍備増強の増税に耐え“臥薪嘗胆”を重ねた国民は、納得せず、小村寿太郎全権代表の帰国にあったては、暴動を警戒して戒厳令が敷かれた。

 ⅲ.第1次世界大戦:1914年‐大正3年、つまり今から丁度100年前に始まり4年間続いたこの戦争に、日本は直接の利害はなかったが、ドイツの租借地山東省膠州湾の青島(チンタオ)にある軍港がイギリス商船隊の安全を脅かすという理由で、日英同盟に基づきドイツに宣戦を布告した。日本軍は、青島を攻略するとともに、南太平洋のドイツの植民地、マリアナ、カロリン、マーシャルの各諸島を占領した。戦後日本は、ドイツが南洋諸島に持っていた権益を引継ぐとともに、中華民国の袁世凱政権に対しては、いわゆる「21ヶ条の要求」を突きつけ、ドイツが山東省に持っていた権益の委譲、関東州の権益の延長、南満洲鉄道の権益延長など得た。この大幅な譲歩に対して中国民衆の不満が高まり、中国は、日本の要求を受け入れた5月9日を「国恥記念日」としている。

 ⅳ.満州事変から日中全面戦争へ:「21ヶ条」の受諾は、中国民衆の間に広範な抗日運動を引き起こし、1919年5月4日の北京天安門広場における学生ら数千人によるデモをきっかけに「五四運動」が起きた。「21か条」の撤回を求める[五四]運動に、国民革命軍の北方軍閥討伐がからんで、日本は在留邦人の保護などを名目に3次にわたり山東半島に出兵した。その間、第2次出兵の際に国民革命軍兵士によって日本人居留民9人が惨殺され(済南事件)、両国民の敵対感情が高まって満州事変へとつながっていく。満州事変は、1931年(昭和6年)9月18日、瀋陽(奉天)北方の柳条湖で日本の所有する南満洲鉄道のレールを中国軍が爆破したという口実で始まったが、これは日本軍(関東軍)のでっち上げ事件だった。日本軍部に満州事変を起こさせた動機は、「革命後のソ連が弱体なうちに、満洲全土と内蒙古を占領しておけば、ソ連はしばらくは出てこられない」という参謀本部中堅将校らの楽観的な見通しによるものだった」と加藤陽子東大教授は分析している(戦争の日本近現代史 講談社現代新書)。満州事変は、日本が太平洋戦争の敗戦まで15年間にわたる戦争の泥沼にはまり込んでいく端緒となった。
  柳条湖事変を起こした日本軍は、瞬く間に満州の主要拠点を占領し、翌年の1932年には、清朝最後の皇帝であった溥儀を執政として傀儡国家満州国を樹立した。これに対し、国際連盟はリットン調査団を派遣し、調査団は日本側にもある程度配慮する報告書を提出したが、「日本は一時、満洲から撤退する」という一項があったことから、日本はただ一カ国、報告書の採択に反対して1933年に国際連盟を脱退した。
  孤立を深めた日本は、日本、満州、支那の一体化によって米欧列強に対抗し、“大東亜共栄圏”を建設するという方策の下に、中国のナショナリズムの中核である蒋介石の国民政府軍を壊滅させる方針を立てた。こうした状況の中で、1937年(昭和12年)7月7日、北京近郊の盧溝橋付近で演習中の日本軍と国民政府軍の間で、偶発的な小競り合いが起きた。日本軍はこれを奇禍として、華北から華中、華南へと戦線を広げ、100万を超える兵力を派遣した。これに対して中国側は、国民政府軍と中国共産党のゲリラが「抗日統一戦線」を組んで対抗し、この戦闘の中で、「南京虐殺事件」や「重慶戦略爆撃」など、後に日本の戦争犯罪とされる事件が起きた。

 ⅴ.太平洋戦争:国際連盟を脱退し、世界の孤児となった日本は、「大東亜共栄圏」を画策する一方で、社会主義国家となったロシア(ソビエト連邦)に対抗するため、反共独裁国家のドイツ、イタリアに接近し、1940年に日独伊三国同盟を結成したが、このことがドイツと対立していたイギリス、オランダ、フランスそれにアメリカとの対立を決定的にした。1939年ドイツがポーランドの侵攻して第2次世界大戦が始まり、ヨーロッパ戦線でドイツ軍が猛威を振るい、ソビエトに侵攻した後、1940年12月日本がアメリカに宣戦を布告して太平洋戦争が勃発した。日本は中国戦線に加えて、東南アジア、南太平洋まで戦線を拡大し、世界は、日・独・伊3国を中心とする枢軸国と英・米をなどの連合国とが全面対決に突入した。
1941年−昭和16年~1945年)から4年間のこの戦争で、日本は、アジアの盟主たらんとしたのだが、結局、米英中3カ国によるポツダム宣言を受け入れて無条件降伏した(ソビエトは追認)。中国は戦後秩序の中で、国連常任理事国として、再びアジアの中心国となった。敗戦によって、日本は日清戦争以来拡張してきた領土のすべて(台湾、朝鮮、南樺太、南太平洋諸島)と事実上の植民地であった満洲国を失った。この15年戦争で、日本人310万人の命が失われたが、アジア全域では、正確な統計はないが、中国を初め、インドネシア、フィリピン、タイ、マレーシア、シンガポール、ビルマなどで、少なくとも1000万人以上という膨大な犠牲者を出している。

 半世紀にわたる戦争の歴史の中で、勝利を重ねた日本と日本人は、中国に対する優越感とその裏返しの侮蔑感を持つようになった。私の親父の世代は当時の中国人(支那人)を常にチャンコロと呼んでいたし、漫画に現れる支那の兵隊は例外なく菅笠を被り雨傘を背負っており、指導者たちは一様におかしな泥鰌髭を生やしていた。私たち子供は”チーチーチナポイ、マーチキリッポーチラリコパイポー,今じゃチナポイ”というような意味不明の歌を歌って支那を馬鹿にした。一方中国では、これらの戦争を通じて日本に対する怨の感情が沈潜していった。アジア太平洋戦争が終った日、中国国民政府の蒋介石総統が行なった「抗日戦争勝利の演説」は、「以徳報怨(徳を持って怨みに報ずる)演説」と呼ばれている。

 こうした歴史を知らずして、現在の日中関係を理解することはできない。同時に、不幸な両国の軋轢の時代にあっても、人間同士のつながりの中で、両国の友好のために努力した人達がいたことも忘れてはならないだろう。中国の作家魯迅は、彼が日本留学中、仙台医専で出合い、つたない日本語で書いた講義ノートを毎回丁寧に添削してくれた藤野厳九朗教授を生涯忘れなかった。魯迅は自伝的小編「藤野先生」の中で、「わが師と仰ぐ人の中で、彼は最も私を励ましてくれた一人だ。・・・辛抱強く教えてくれたのは、新しい医学が中国へ伝わることを期待していたからだ。」と書いている。また、実業家の梅屋庄吉は、中国建国の父と言われる孫文の志に共感して生涯親交を結び、30年にわたって私財を送り続けて、その額は現在の価格にして1兆円にも上ったという。(M)

英語学習初級レベル(中学生レベル)では、基本語と呼ばれる2000語くらいの語彙を一つひとつ丁寧に覚えていくことが大切です。前回に述べたように、動詞のtakeは「とる」や「連れて(持って)いく」と覚えても、それで覚えたことにはなりません。それはtakeの学習の始まりに過ぎません。英々辞典OALDを見ると、この語はなんと42項目に分けて説明されています。それはtakeの意味が42通りあるというのではなく、この語の使用されるコンテクスト(主語や目的語にどんな語が来るかなど)によって、それがどのような意味になるかを示したものです。他の多くの学習辞書もだいたいそれくらいの数に分類して説明しています。この桐英会ブログの投稿者の一人である浅野博さんらの編集したAdvanced Favoriteの英和辞典では、takeを32(他動詞29、自動詞3)の項目に分けて解説しています。

さらに辞書をよく見ると、takeの項目はそれだけでは終わりません。どの辞書もtakeを中心として作られる成句(熟語・慣用句)を取り上げて説明をしています。Advanced Favoriteが動詞takeで取り上げているものを列挙すると次のようです。(意味と用法は辞書を引いて確かめてください。)

be taken ill [sick] / have what it takes / I take it (that)… / take after a person / take against… / take a lot out of a person / take apart / take away / take away from… / take back / take down / take…for~ / take in / take it from me / take it or leave it / take it out of a person / take it out on a person / take it upon oneself to do… / take off / take on / take oneself off / take out / take a person out of oneself / take…out on a person / take over / take that! / take to… / take up / take a person up on… / take…upon [on] oneself / take up with a person / What do you take me for?

わあ!こんなにあったら覚えきれないと思われるかもしれません。単語は一つひとつ覚えるものだと思っている人は、きっと絶望的な気持ちになるでしょう。しかしちょっと待ってください。こういう成句は覚えるものではないのです。英語の専門家でも、これだけの成句を丸暗記している人はいないと思います。文章の中で使われていればその意味を推測することはできるでしょうが、上のリストを見ただけではお手上げです。これらの語句はコンテクストが与えられて初めて意味をなすものなのです。

そういうわけで、学習者はtakeを「とる、連れていく、持っていく」と覚えて安心してはいけません。次々に新しい用法のtakeに出逢います。そのときには労をいとわずに辞書を引いて確かめてください。そういう学習は面倒くさいと初めは思うかもしれませんが、やっているうちに何とも言えない楽しみを感じるようになります。それは「新しい自己を発見する楽しみ」とも言えます。卓球やテニスをやったことのある人は誰でも経験しますが、初めのうちは球が自分の意図する方向に飛んでいきません。幾度も失敗を重ね、その都度反省し、素振りで自分のフォームをチェックし、球を打つ強さや方向をコントロールすることを学びます。やがて自分の意図する球の打ち方ができるようになり、練習試合をして自分の進歩が確認できると、実に愉快な気分になります。単語の習熟もそれに似ています。時間はかかりますが、その途上で味わうことのできるこの自己充足の楽しみを、途中で投げ出すのは賢いことではありません。

ところで語彙を増やす方法として、以前から2つの方法があると考えられてきました。一つは単語帳や単語カードを使って、語形と意味を結びつける暗記学習です。これはあらゆるテストの対策に欠かすことのできない学習法であり、それなりに効果はあります。しかしこの方法はすでに見たように限界があります。まず意味の複雑な語にはこの方法は使えません。また、この方法は忘却の法則を免れません。せっかく覚えたものの多くが短期間に失われます。そうならないようにするには、常に多くの英語に触れるようにすることが必要です。

一方、多義的な意味を持つ語に関しては、学習者自身による長期にわたる語彙研究と言語使用経験(特に多量の英文を読む経験)を必要とします。英文を読んでいる間にたまたま出逢った単語を無意識的に記憶するという効果を重視する研究者もいますが(注)、筆者の経験では、そのようにして覚える数は実際にはさほど多くはないように思います。むしろ、英文を読んでいて、それまで漠然としていた単語の意味が明確にイメージされるケースが多く、そういう経験を積むことが語彙を増やすために大きな効果があると考えています。(To be continued.)

(注)「意図的学習」(intentional learning)と「偶発的学習」(incidental learning)に関する専門家の議論をまとめると次のようです。前者を重視する人たちは、語彙の大部分は意図的に覚えようとして獲得されるものであって、コミュニケーション活動(読書を含む)を行っている最中に意図せずに(つまり無意識のうちに)記憶されるとは考えていません。ある実験によると、読書によって偶発的に覚える語は予想以上に少なく、たとえ覚えたとしても、それは理解のための語彙(受容語彙passive vocabulary)であって、自分で使える語彙(使用語彙active vocabulary)とはならないことが示されています。語彙習得における偶発的学習を重視する人もいますが、それに意識がどう関係しているかが明らかではなく、最近は記憶にかかわる意識の働きが重視されるようになり、この立場の研究者の旗色は良くないようです。読書をする場合に記憶される単語というのは、動詞takeの学習プロセスに見たように、すでに出逢ったことのある単語の知識が明確化または拡張化される場合に起こるように思われます。

(番外) < 原発事故3周年 これからどうする? > 

 福島第1原発の過酷事故から3年が過ぎた。原発事故を誘発した東日本大震災3周年の3月11日、安倍首相は内閣記者会との会見を行い、約20分にわたって震災復興の状況を説明したが、原発事故にはほとんど触れなかった。また、日本人記者も原発事故については全く質問せず、外国人記者が汚染水について質したが、安倍首相の答弁はまさに通り一遍のものだった。原発事故は風化してしまったのか。或いは風化させようとしているのか。私は、絶対に風化させてはならないと考えている。

 安倍政権は「原発依存度は可能な限り減らす」としながらも、原子力エネルギーを「重要なbase-load電源 」と位置づけ、原子力規制委員会の安全審査をパスしたものから原子炉の運転を再開させる方針である。原発の新増設については、「今のところ考えていない」として将来の新設に含みを持たせている。 九州電力川内原発の1号機と2号機はこの夏にも再稼動されるという見方もでており、今、日本の原子力発電が、turning pointにあるのは確かだ。NHKが昨年3月に実施した意識調査によると、再稼動に賛成15.9%、反対35.5%,どちらともいえない45.8%と国民の意識も揺れている。原発そのものについても、「今が、脱原発のチャンスだ」「このまま、なし崩しに原子力発電が増えていくのは困る」「原発は必要だ」「原発依存はやむをえない」と意見は錯綜している。貴方はどんなご意見ですか。それはなぜですか。

● 原発を問う50問

1. 安倍政権の方針は、時期も、削減目標も不明で、問題の先送りに過ぎない。
2. 原子力エネルギーがなければ、経済成長が鈍り、生活水準が落ちる。
3. 日本だけ原発を使わなければ、日本の産業の国際競争力が落ちる。
4. 経済成長優先はいつか行き詰まるのだから、早めの政策転換が必要。
5. もう一度過酷事故が起きれば日本経済は壊滅する。
6. 避難計画もできていないのに、再稼動とは人命軽視もはなはだしい。
7. 経済成長より命や環境が大事。
8. 原発事故が再び起きるとは考えにくい。
9. 日本の優れた原子力技術を信用すべきだ。
10.絶対安全な原子炉はないというのが世界の常識だ。
11. 福島の事故原因もハッキリしないのに、何故安全といえるのか。
12. 原子力規制委員会が世界で最も厳しい安全基準によって安全性を担保するから大丈夫。
13, 世界最高水準の安全基準というが、誰がそれを保証するるのか。
14.人智には限界があり、想定外の事故を想定しないと、悲惨な結果をまねく。
15.技術的に安全でも、人為ミスは起こりうる。東電のこの3年間が証明している。
16.日本が地震国,火山国であることを忘れず、南海トラフの巨大地震や富士山の噴火などの影響をもっと重視すべきだ。
17.原子力規制委員会は、安全神話を作り出した保安院と同じ穴のむじなだ。
18.原子力安全規制委員会とは、政府に再稼動にお墨付きを与えるための審査機関だ。
19.原子力ムラの体質は変わっていない。ムラの中核である東電の隠蔽体質は救いがたい。
20.原子力を利用しなければ、天然ガスの輸入が増えて電気料金が高騰する。
21.天然ガスや原油の輸入量が増え、円安と相まって、国富が海外に流出している。
22.再生可能エネルギーの開発、発送電分離で、料金の逓減が期待できる。
23.再生可能エネルギーだけで、日本の電力は賄いきれない。
24. 政府・財界は、原発維持のため、一体となって、再生可能エネルギーの開発を妨害している。
25.Best Mixを考えるのが一番現実的。
26.原子力エネルギーは、廃炉や事故処理に費用を考えれば、決して安くない。
27.現在49基の原発全部が止まっていても、電力不足は起きていない。原発なしでOK.
28.人口の激減で、電気の使用量も減っていくから、原発はいらなくなる。
29.再稼動は、電力会社の救済策であり、エネルギーの確保とは無関係である。
30.東電の救済策は、11兆円では済まず、事故の後始末は結局電気料金の値上げと増税で
   国民が負担することになる。
31.原発を推進した財界や経産省に、原発事故にたいする真摯な反省が見られない。
32.資源の少ない日本にとって、核燃料サイクルは必要だ。
33.核燃料サイクルの原型炉「もんじゅ」の有様を見れば、サイクルは実現不能。
34.核のゴミ(放射能廃棄物)の処分場がない。トイレなきマンション。
35.使用済み核燃料は、地下深くの岩盤に保存して、放射能の逓減を図る研究が進んでいる。
36.除染による低レベル放射線廃棄物の処分場さえ、引き受け手がない。
37.福島原発の廃炉がうまくいくかどうかもまだ分からない。アメリカ政府原子力規制意委員会のヤッコ前委員長は、数々の困難が予想されるとしている。増え続ける汚染水は結局海に流すしかなく、風評被害や国際的な批判を招くことになる。
38.すでに5000トンも溜まっているプルトニュムをどうするのか。
39.プルトニウムの蓄積は、核兵器製造への国際的疑惑を生む。
40.核兵器保有の潜在能力を保持することは、安全保障上必要。
41.福島原発の廃炉に40年もかかるのだが、現場作業員は足りるのか。
42.溶融燃料の取り出しは、大災害につながる恐れがある。使用済み核燃料の保存プールは、全国的に近づいている。使用済み核燃料プールは、地震の際に特に危険。
43.放射能は見えない悪魔のようなもので、何時また顔を出すか分からない。
44.放射線量と健康被害の関係に付いて、本当のところはわからないのではないか。
45.温暖化ガスを出さない原子力発電は、地球環境保全のためにも必要だ。
46.原発は一旦爆発すれば、回復不能な環境破壊を惹き起こす。
47.自然エネルギーの中にも、環境破壊につながるものがある。
48.原子核を破壊して取り出す原子エネルギーは、人間を含む自然と両立し得ない。
49. その他 (                           )
50.原発を認めるかどうかは社会のあり方にかかわる問題であり、国民投票にかけるべきだ。

以上の意見を総合して、国民投票では、下記の内から(  )を選ぶ。

1. 政府の計画でよい。
2. 再稼動は認めるが、将来の上限を決   める必要がある。
3. 再稼動は認めるが、必要数の上限と   それにいたる期限を決める必要があ
   る。
4. 再稼動は認めるが、最小限にとどめ、    期限を決めて計画的に原発を全廃
    する。
5. 再稼動は認めず、なるべく早く全原発   を廃炉とする。

私の選択: 〇 そう思う △ どちらとも言えない × そうは思わない

1.(〇)2.(△)3.(△)4.(〇)5.(〇)6.(〇)7.(〇)8.(×) 9.(×)10.(〇)11.(〇)12.(×)13.(〇)14.(〇)15.(〇)
16.(〇)17.(〇)18.(〇)19.(〇)20.(×)21.(×)22.(〇) 23.(△)24.(〇)25.(×)26(〇)27.(〇)28.〇)29.(〇) 30.(〇)31.(〇)32.(×)33.(〇)34.(〇)35.(×)36.(〇)37.(〇)38.(〇)39.(〇)40.(×)41.(〇)
42.(〇)43.(〇)44.(〇)45.(×)46.(〇)47(×)48.(〇)49.( )50.(〇)

結論 ( 4 )     (M)

前回に挙げた動詞takeの意味について考えてみましょう。中学生の使う単語カードには「take=取る」のように書いてあるのを見たことがあります。しかしそれで間に合うのは実例のほんの一部で、他はそれだけの知識では理解できません。ある中学校用教科書では、各学年の巻末単語リストのtakeの項目に次のように書いてあります。

1年用:動詞①(行動を)とる、行う;動詞② 持っていく、連れていく。

2年用:動詞①(行動を)とる、行う、持っていく、連れていく;動詞②(時間が)かかる;動詞③ 買う。

3年用:動詞①(行動を)とる、行う、持っていく、連れて行く、take off 離陸する;動詞②(時間が)かかる、買う。

上の単語リストがあれば、前回の例文の大部分は理解できるでしょう。そして同じ「とる」の訳語が当てはまる場合でも、その意味するところが少しずつ違っていることにも気がつくでしょう。たとえば次の各文のtakeは「とる」と訳して理解はできますが、普通の日本語としては(  )内に示したような表現が使われます。

I passed him a rope and he took it.(つかむ)/ Will you take your books off the table?(取り除く、どける)/ He took some keys out of his pocket.(取り出す)/ Someone has taken my scarf.(盗む)/ He started taking drugs at college.(服用する、やる)/ Come in; take a seat.(?)/ The bus can take 60 passengers.(収容する、乗せる)/ When did you take your driving test?(受ける)

上の例の中でtake a seatを(?)としましたが、これは一種の慣用句で、これら3語で「座る」または「腰掛ける」という意味です。これを「(座席を)取る」と訳すと、電車の始発駅で座席を奪い合う通勤者たちのあさましい光景を思い起こす人もあるでしょう。もちろんそれは誤解です。英語のそれは単に「座る」というだけの意味です。この場合のtakeは、強いて言えば「占有する、占める」の意味合いで、多くの辞書はそのように書いています。そういう理解があると、 ‘Is this seat taken?’ が「この席はふさがっていますか」という意味であることが容易に理解できます。

以上に述べた事柄から、私たちが英語の単語を理解するプロセスが少し見えてきます。つまり、動詞takeのいろいろな意味を理解するようになるためには、学習者は少なくとも次の3段階の学習プロセスをたどるように思われます。

第1段階:学習初歩の段階では、動詞takeの基本的な意味は「とる」であり、時に「(物を)持っていく」や「(人を)連れていく」の意味に用いることを知る。この知識で当分は間に合うが、やがてこれでは済まなくなる。

第2段階:次の段階では、さらに進んだ教科書や教科書外の英文に触れることによって、takeの3種類の意味(とる、持っていく、連れていく)をそのコンテクストから直ちに認知できるようになる。続いて、takeが別の意味(時間がかかる、買う、その他)にも使われることを知り、それらをtakeの意味ネットワークに組み入れていく。同時に、「とる」という意味のtakeも、そのコンテクストによって「つかむ、握る、占有する」など、微妙な違いが生じることに気づく。しかしそれらの微妙な違いを言葉で述べることは難しく、そこで得られる知識は半ば無意識的な「暗黙の知識」(implicit knowledge)として保存される。したがってその知識は文の理解には役立っても、産出(自分で文を作り出す)にはまだ自信が持てない。

第3段階:さらに学習が進むと、リーディング活動などによるtakeとの多くの接触によって、前段階では暗黙の知識であったものが、よりはっきりとした「明示的な知識」(explicit knowledge)の形を取り始める。この段階に達すると、学習者は産出にもその知識を役立てることができる。そして最終的には文法学者が記述するような、動詞takeの意味に関する包括的な知識(注)に近づく。しかし母語話者と言えども、動詞takeに関する完全な知識を獲得することはめったにない。

知識の獲得とは何と創造的な活動でしょうか。読者はそうは思いませんか。この最後の段階に達するためには、私たちは多量の英文に接触する必要があります。なぜなら、私たちは覚えたり忘れたりすることを繰り返しながら少しずつ前進するのですから。そこでは語彙の「意図的学習」(intentional learning)だけではなく、言語に接触している間に起こる「偶発的学習」(incidental learning)も重要な役割を果たしています。次回にはそのような観点から、語彙を増やすにはどうしたらよいかを考えます。

(注)小西友一編『英語基本動詞辞典』(研究社1980)には ‘take’ の「概説」として次のように書かれています。

「元来この語は単に「手を置く」(put the hand on)、「触る」(touch)という手の行為を表わしたが、次第に物体を「握る、つかむ」などの意に変わり、さらに「自分の行為または意志で、物・事を自分自身に移す」という行為の結果を表すようになった。このきわめて一般的な意味のため非常に広範な種類の主語、さらに目的語をとり、主語・目的語の性格、つまり主語が人か否か、主語の能動性・意図・目的意識・特定の態度の有無、また目的語の物理性・抽象性などからtakeの種々の意味が決定される。例えば、主語が意図して物体を手にとり力を加えれば「握る」、目的語が精神的対象なら意味などを「把握する」、車なら「乗る」、飲み物なら「飲む」などとなる。」(p. 1570)

英語学習の途上で単語を覚えるのが好きだという人は少ないかもしれません。苦痛だと言う人が多いようです。たしかに英語の単語を覚えるのは大変です。しかし大変だからこそやりがいがあるとも言えます。筆者も中学生時代には単語を覚えるのが苦手でした。なぜ苦手だったのかを思い返すと、いくら覚えても忘れてしまうことでした。覚え方にも問題がありました。単語の綴り字とその日本語訳を結びつけるだけの単純な方法でした。そして必死になって覚えるのは定期試験の前でした。そのおかげで試験には合格するのですが、試験が終わると覚えたはずの単語の多くが頭から消えてしまうのです。もう少し正確に言うと、綴り字には見覚えがあってもその意味が思い出せないのです。これではいくら覚えてもキリがないと思いました。その結果、自分は記憶力が人並み外れて弱いのではないかという劣等感のおまけまでつきました。これに似た経験をする人は多いのではないでしょうか。

単語を覚えるのが難しい理由にはいくつかあります。それらのことを理解すれば、これまでのように焦って絶望的になることはなくなるかもしれません。なぜなら、単語学習の苦痛の多くは、一生かかっても登り切ることができないような大きな山を、短期間のうちに征服しようとする焦りから起こるものだからです。そのことは母語である日本語の語彙のことを考えてみるとよく分かります。私たちは誰ひとりとして母語の語彙の山を征服してはいません。おそらく一生かかってもできないでしょう。だからと言って焦ったりはしません。今の知識で、日常の使用は何とか間に合っているからです。これに対して、英語は学習者にとって未知の言語です。その語彙の山は彼らの前に高く聳えています。頂上もよく見えません。どこから踏み入れたらよいのかも分かりません。しかしここで焦ってはいけません。焦る人はその山の麓で野垂れ死にします。ゆっくり時間をかけて、気長に楽しみながら登ることが大切なのです。

単語の学習が難しい理由にはいくつかあります。それが分かればこれから登る山の登山道が見つかるかもしれません。無策に立ち向かっても、この山はとうてい歯が立ちそうにはありません。そこで単語学習の難しさですが、それは第一に、単語の多くが恣意的な記号だからです。つまり、語の形とその意味するものとの間には、必然的な関係がないのです。なぜ「木」のこと日本語では /ki/ と言い、英語では /tri:/ と言うのか、その理由を捜しても無駄です。昔からそういうことになっているとしか言いようがありません。これに対して漢字は表意文字ですから、その語形は意味と関係があります。「木」は木の形を表わし、「山」は山の形を表わしています。しかしそういう文字は世界ではむしろ珍しく、現在では話し言葉の音を文字に変換する表音文字を用いる言語が圧倒的多数を占めます。英語はもととも英語の音をラテン文字で表記することから始まりました。

そういうわけで、表音文字を用いる言語では、音や文字の連なり(綴り字)から意味を類推することは困難です。学習者は少なくとも最初のうちは、単語を一種の記号として覚えるほかに方法がありません。覚えるには相当のエネルギーの消費を覚悟しなければなりません。ここは頑張りどころです。しかし最初の2000語くらいの基礎語が覚えられたらシメタものです。学習が進むにつれて、語幹(語の中心部となる変化しない部分)から派生語や合成語を類推することができるようになりますので、語彙サイズは飛躍的に拡大します。そうなると山の頂が眼前にはっきり見えてくるでしょう。

単語の学習が難しい第二の理由は、それらの意味の多面性にあります。つまり、それぞれの語がいろいろな顔を持っているのです。単語を覚えることは語形と意味(form—meaning)を結びつけることだと考えられています。ですから単語カードはたいてい語形と意味が対(つい)になっています。たしかに英語の単語と日本語の単語が意味的に対応している場合もあります。たとえばpianoは「ピアノ」、violinは「バイオリン」、musicは「音楽」でよいでしょう。しかし多くの単語は多義的で、1対1には対応しません。中には、使われる場面によって意味が微妙に変化していき、その語の中心的な意味が何なのかを捉えることが難しいものもあります。使用頻度の高い動詞などはたいていそうです。たとえばtakeという動詞を例に取ってみます。この動詞の中心的な意味は何でしょうか。次にいくつかの例文を挙げますので、それらからtakeという動詞に共通する概念(中心的な意味)が何なのかを考えてみてください。

Shall I take a gift to my host family? / A boy took us to our room. / I passed him a rope and he took it. / Will you take your books off the table? / He took some keys out of his pocket. / Someone has taken my scarf. / We took the room at the hotel for two nights. / He started taking drugs at college. / Come in; take a seat. / I take a walk (a bath, a shower, etc.) every morning. / It takes about half an hour to get to the airport. / The bus can take 60 passengers. / How many subjects are you taking this year? / When did you take your driving test? (From Oxford Advanced Learner’s Dictionary)

動詞 ‘take’ を覚えると言っても、上記の例文を見ると、それは簡単なことではないことが分かります。単語のこのような意味の複雑な構造を人はどのように学習し、記憶し、そして実際に処理しているのでしょうか。それが私たちの取り組むべき次の課題になります。(To be continued.)

(187) <人権大国への道>

隣国 (1) 韓国・北朝鮮—2

 韓国・朝鮮人の歴史認識から生ずる日本に対する「恨(ハン)」の感情の根源は、言うまでもなく日本帝国による韓半島の植民地化(いわゆる日帝36年の支配 * 総督府設置からだと34年余り)にある。日本よりも文化的に優位にあったと自負する国が、李王朝末期の混乱に乗じて植民地化された屈辱感は100年やそこらで消えるものではないだろう。したがって両国は、歴史観に発する問題について、ことごとく衝突するのである。具体的には * 教科書問題 * 竹島(独島)問題 * 慰安婦問題 * 靖国問題 * 労働者の強制連行 * 日本海の呼称(東海)* 創氏改名などの皇民化政策 * 文化財の持ち去り など多岐にわたるが、ここでは当面の問題として竹島と慰安婦を取り上げ歴史的経過と最近の動きを記し、<人権大国への道>の後段で述べる自論の基礎資料としたい。

① 竹島の領有権問題

 島根県は2月22日を「竹島の日」と定め、今年も内閣府政務官を迎えて県主催の式典を実施し、島根県知事は、政務官に対し、政府主催の記念式典を開催するよう要請した。韓国朝野は強くこれに反撥した。これ先だって、文科省は、「竹島は日本固有の領土」とする教科書作成指針を決めている。

 2月22日というのは、日露戦争中の明治38年1月桂内閣が竹島を日本領とすることを閣議決定し、これに基づいて島根県が隠岐島庁へ編入した日である。当時はリャンコ島と呼ばれていて、2つの小島と37の岩礁からなり、周囲は好漁場である。日本列島および朝鮮半島からの最短距離はいずれも250キロ前後。日本の領土の範囲を定めたサンフランシスコ平和条約では、韓国側の要求にも拘らず、竹島は日本が放棄すべき領土には含まれなかった。韓国は平和条約発効の3ヶ月前に一方的に日本海の公海上に李承晩ラインを設定して日本漁船を拿捕し、1954年には竹島に武装警備員を配備して現在に至っている。日本政府は、この問題を国際司法裁判所に韓国と共同提訴しようとしたが、韓国側は「独島(竹島)について領土問題は存在しない」として拒否した。

 日本が竹島を自国領に編入した明治38年は、5月に日本海海戦が行なわれた年である。そこで、この島を日本領に編入したのは当時の日本海軍の要請によるのではないかという推測がある。もともと、日本帝国による韓半島の領有は、ロシア帝国による満州の支配が、韓半島に及び、日本の存立を危うくするという当時の日本政府の認識に基づき、韓半島を緩衝地帯にするという国家目標にそうものであった(1890年‐明治23年 山縣有朋首相の外交政略論)。このため日本政府は、満洲はロシアが、朝鮮は日本が支配するという方針で対ロ交渉を進めたが、”談判が破裂 ”して日露戦争が始まった。両国の最後の決戦となった日本海海戦を前に、日本海軍はバルチック艦隊を迎え撃つため対馬海峡からウラジオストクまでの海域を南から北へ7つに分け、7段階でこれを全滅させる作戦を立てた。その4段目の戦闘海域を鬱陵島近海と定めたが、そこにリャンコ島が含まれていた。他国の領海で戦闘を行なったといる国際非難をさけるため、急遽この島を日本領に編入したのではないかというのである。(日露戦争史 3 半藤一利 平凡社)

 そうなると、韓国側から言えば、ロシアに対抗するため日本に頼らざるをえなかった当時の状況のもとで、この小島の帰属について抗議するような選択肢はなかった。それに乗じて日本は勝手にこの島の領有権を掠め取ったということになる。

 それぞれに言い分がある上、領土紛争は国民感情を刺激し、武力抗争を触発する危険性があるから、両国が冷静になって平和的解決を探る必要がある。外務省で条約局長、欧亜局長をつとめた東郷和彦(敗戦時の外務大臣東郷茂徳の孫)は、竹島を日韓両国の「平和と協力の島」として活用するよう提案している。(歴史認識を問い直す 東郷和彦 角川書店)

② 慰安婦問題と河野談話

慰安婦関係調査発表に関する河野官房長官談話(平成5年−1993−8月4日)

 いわゆる慰安婦問題については、政府は一昨年十二月より、調査を進めてきたが、今般その結果がまとまったので、発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、且つ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、其の場合も、甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は,強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお,戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別にすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理なども、甘言、弾圧による等、総じて本人たちの意思に反して行なわれた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与のもとに、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、従軍慰安婦とて数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。またそのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

 我々は、このような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を長く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰りかえさないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払ってまいりたい。

 日本政府はこの談話に基づき、民間の拠金5億円をもとに「アジア女性基金」設け、元慰安婦への償い金の支給を始めた。アジアという名称は、慰安婦問題が、韓国に限らず、中国、インドエネシア、マレーシア、フィリピン、ビルマなど日本軍が進出した地域全体におよんでおり、インドネシアでは宗主国オランダの女性も慰安婦にされたという記録があるからだ。また、政府が直接賠償しないのは、賠償問題は1965年国交回復の際の日韓請求権交渉で解決済みという立場だからだ。しかし、韓国側は個人への賠償は未解決だとして日本政府による賠償を求めており、償い金を受け取った元慰安婦はほとんどいなかった。元慰安婦は全員80歳をこえている。このため、日本政府は民主党政権時代に、償い金を全額政府支出とするなどの案を韓国側に示して交渉していたが、政権交代で安倍内閣が成立して頓挫した。

 慰安婦問題についての対立点の一つは、日本の軍や官憲による“強制があったかどうか”だが、先月、国会で石原元官房副長官(河野官房長官の下で慰安婦問題の調査を統括)が「業者による強制はあったが、日本政府、軍が強制的に募集したことを裏付ける資料はなかった」と述べたことから、菅官房長官が「16人の元慰安婦の証言を検証したい。」と発言し、韓国側の感情を逆なでした。

 一体どれほどの数の朝鮮人女性が慰安婦として働かされたのか。東京都立大教授だった塩田庄兵衛は次のように推測している。「朝鮮半島において、女子挺身隊、戦線慰問隊などで動員されたおそらく数万人の女子が慰安婦として戦線に同伴された。このことを体験によって知っている日本人は少なくないはずだ。しかし、朝鮮人、中国人の強制連行の実態は今日では分か
らない。( 朝日ジャーナル 昭和史の瞬間 39 “奪われたひとびと”) 敗戦の日、軍需工場で“玉音放送”を聞き、間もなく教師の指示で帰宅する時、すでに書類を焼却する煙が上がっていたから、中央からの指示があったものと推測される。証拠は完全に隠滅されたと考えたほうが合理的だろう。

 従軍慰安婦というのは戦後の造語らしい。戦争中、中学生の頃、私たちは、兵隊帰りの大人たちが“ピー”とか“ピーや”について面白おかしく話しているのを聞いて、なんとなくその存在を知っていた。(ピーとはprostituteの頭文字だという説がある)
私が従軍慰安婦についてはっきり知ったのは戦後田村泰次郎の(春婦伝)を読み、それを映画化した「暁の脱走」(谷口千吉監督)を見た時だった。映画では、原作の朝鮮人慰安婦は慰問団の歌手ということになっていたが、主役の李香蘭こと山口淑子がp扱いされることに、日本兵の池辺良が同情し、日本軍守備隊を脱走する。背後から二人に浴びせかけられる機関銃弾、暁に染まる稜線にたどり着く寸前に二人は撃ち倒される。それは、戦争が終わるその日の明け方のことだった。非情な幕切れは今でもはっきりと目に浮かぶ。つまり、従軍慰安婦にしても「慰問団」にしても、駐屯地から逃げ出すことは命がけだったのであり、これが強制連行でなくてなんだろうか。

 慰安婦問題について、日本維新の会の橋下代表やNHKの籾井会長らが「慰安婦問題は日本軍だけのことではない」として、日本だけが批判されるのは心外だとしている。橋下代表はさらに、「あれだけ銃弾の雨あられと飛び交う中で、精神的に高ぶっている集団.やっぱりどこかで休息じゃないけど、そういうことをさせてあげたいと思ったら、慰安婦制度ってのは必要だということは誰だってわかる」と述べており、この発言に対して「だったら、自分の娘を慰安婦にしたらどうか」という新聞の投書があった。この投書は、慰安婦というものが、女性の全人格を否定する人権蹂躙であることを言外に指摘しており、同時に、戦争で犠牲になるのはどのような階層の人達であるのかを暗示している。

 前述の元外務省欧亜局長東郷和彦は上掲書の中で、「慰安婦問題」について、特に人権に厳しいアメリカでの深刻な反響にふれ、「安倍政権の対応いかんによっては、この問題は日韓2国間の問題を超え、米国を初めとする欧米諸国と日本との間に計り知れない深刻な対立を引き起こす可能性がある」と警告している。

 なお、靖国問題については、中国のところで述べたい。また、北朝鮮についてはすでに詳しく私の考えを述べた(アーカイブ 2013−3月~4月)。ひとつだけ付け加えると、北朝鮮の国民の大多数は現在の体制を支持し、耐乏生活にも順応していると思う。それは、我々が15年に及ぶアジア・太平洋戦争中、現在の北朝鮮と同じ様な体制下で、“欲しがりません勝つまでは”と”一億一心“となって”米英撃滅“のために”撃ちてしやまん”と体制に順応していた体験から類推できる。日本の撃ちてしやまん相手は、米英とその手先である支那であったが、北朝鮮にとっての相手はアメリカとその手先である日本ということになる。(M)

(1)何を基準にするかで数が違ってきますが、現在の日本には、十数個のドーム型球場があるようです。“球場”といっても、野球だけをやるのではなく、サッカーや陸上競技、コンサートなど利用方法は様々です。私が注目したのは、どのドーム球場も台風や大雪による災害に強いということです。ただし、“東京ドーム”だけは風船のようなもので、内側の空気圧を少し外気よりも強くしてありますから、私の考える活用方法では除外します。

(2)この頃は季節にあまり関係なく、強風や大雨、または大雪などで、農業用ビニールハウスが浸水したり、倒壊したりして、野菜、果実、花などを栽培している農業従事者が大損害を受けます。その結果、国もその補償に大金を使わなければなりません。私は、毎年のように同じことを繰り返すのは知恵のない話だと思います。全国にもっとドーム球場を新設して、そこで、水耕栽培のような方法で農産物を作ることを提案したいのです。ドーム球場の高さならば、何階にも分けて栽培できますから、かなりの耕地面積になるはずです。

(3)冬に比較的晴れ間の多い関東以西の太平洋岸では、屋根を開閉式にして、日光を直接に当てるようにも出来ますが、アクリル・ガラスなどを用いても、暖房の費用を節約できます。無農薬で、美味しい農産物が出来るならば、輸出にも強くなれるでしょう。ところで、次に問題なるのは、日本人の好きな(?)“感情論”です。このことを考えてみます。

(4)「近年は、海外で高校卒の資格を得た“帰国生”が少なくないので、9月入学という制度にしてはどうか」ということが、一昨年(2013)頃話題になりました。生徒ばかりでなく、研究者の受け入れも問題になりました。そこで出て来た反対論が、「卒業や入学は、さくらの花の咲く頃でないと情緒が失われる」という“感情論”です。学校制度を変えるならば、国の予算や、多くの資格試験など関連する事業を全て検討し直す必要があります。それでも私は検討する価値があると考えています。

(5)私は英語教師の経験があるだけで、建築も農業も全くの素人ですが、選挙権のある一国民として、国の政策には強い関心を持っているつもりです。また、「批判はたやすいが、提案は難しい」ことも知っています。“ドーム型農場”の運営を民間会社にまかせると、農民の間から、「先祖代々の土地を手放せ」と言うのか」という感情的な反対論が出ることでしょう。私の案では、そう言う人たちは、これまで通りの農業を続けてかまいませんが、農場が大雨で水浸しになっても、日照りで作物が枯れても、国からの補助は期待すべきではないのです。

(6)会社勤めの人たちが、いつ、どこへ転勤させられても、あまり文句を言わずに命令に従ってきたように、これからの農業従事者は、転勤もあると考えるべきなのです。最近の“TPP交渉”は、アメリカとの交渉がうまくいかないので、農業関係者はやきもきしているようですが、天候に左右されないで、旨い米や野菜を作れるならば、怖いものは無くなるはずです。これまでは、政府から、「米は余っている。田んぼは休耕田にせよ」などと言われて、わずかな補助金で黙ってきたのではないでしょうか?どんな問題も根本的に解決しようとするならば、ある程度の痛みは覚悟しなければなりません。私も今回の提案が一番良いなどとうぬぼれてはいません。より良い提案があれば、喜んで検討させてもらいます。(この回終り)