Archive for 6月, 2016

< 統計数字の裏に見えるもの ⑧ GDP >

調査とか統計の数字は、前提条件に問題のあるものも多いから、そのまま信ずるわけにはいかないが、
社会の動きを知る上で欠かせないものの一つではある。今回は GDP(国内総生産)をとり上げる。

1.日本のGDP (2015): 528兆5千8百30億円 

2.GDP上位10カ国 (2015)<米ドル換算>: 1.アメリカ 17947千億ドル
  2.中国 10983千億ドル 3.日本 4123千億ドル 4.ドイツ 3358千億ドル
  5.イギリス 2849千億ドル 6.フランス 2422千億ドル 7.インド 2091千億
  ドル 8.イタリア 1816千億ドル 9.ブラジル 1773千億ドル 10.カナダ 1553千億ドル 11.韓国 1377千億ドル 12.ロシア 1325千億ドル

* GDP the Gross Domestic Product (国内総生産): 国内で生産された価値の合計
* GNP the Gross National Product (国民総生産): 国民が国の内外で生産した価値の合計
* 経済成長率 : GDPの一定期間内の変化率
* 名目と実質 : 名目値は、実際に市場で取引されている価格に基づいて推計された値。実質値は、
  物価の上昇、下落分を取り除いた値。名目値ではインフレ・デフレによる物価変動の影響を受けるため、経済成長率を見る時は、実質値で見ることが多い。
* 日本のGDPの内訳 :  民間消費支出 約60% 民間設備投資 約17% 
政府支出 約21%  貿易収支 約1%
(アメリカのGDPは民間消費支出が70%超)
 
安倍政権は今月初めに閣議決定した”骨太の方針“で 2020年頃に名目GDP600兆円達成という目標を設定した。600兆という丸い数字は参議院選挙用のスローガンだろうが、経済学者や専門家の間では、可能、不可能の両論があるようだ。私自身には成否を判断する能力はないが、目標達成のためにムリを重ねれば副作用が大きいだろうし、成功しても庶民の暮らしが目に見えてよくなることはないだろうと思う。

アベノミクスなる経済政策では、年2%のインフレによって、早く買った方が得だという消費マインドを刺激し、消費の拡大で企業の在庫を減らし、在庫を補うための設備投資を増やすという好循環をよびおこし、経済を成長させることになっているが、消費も設備投資も一向に上向かない。むしろ、異次元のバズーカとかマイナス金利といった異常な金融政策の破たんが迫っているのではないかと心配されている。そうなれば地獄だから、次は、財政出動、つまりはバラマキとなる。失われた20年あるいは30年といわれるリセッションの間に自民党政権は赤字国債の発行による10兆円規模のバラマキを何回も実施して景気のテコ入れを図った。その結果、今日の国家負債1000兆円超(国民一人当たり800万円を超える借金)という非常事態を招いたのである。

それでも、多くの国民は、パイ(つまりGNP,GDP)が大きくなれば、一人一人の分け前も多くなるという淡い期待を抱いたが、期待は裏切られた。公正な分配が行われなかった結果、GDP増加による富は、一部の大企業と富裕層に集中し、庶民は報われなかったのである。

私はかねてからGDPという経済指標に疑問を持っていた。日本のGDPが1968年に当時の西ドイツを抜いて世界第2位になった時、国民の多くは喜び、誇りに思っただろう。また、2010年に     中国に抜かれて第3位に落ちた時にはがっくりきただろう。だが、GDPの増加が、直接国民一人ひとりの豊かさや幸せと結びつくものなのかどうか疑問だった。この疑問は前述のような形で答えが出た。

もう一つの疑問は、GDPという指標そのものについての疑問だ。              

 マクロ経済の最も重要な指標とされてきたGNP(国民総生産)が1990年代の初めにGDP(国内総生産)に代わった。理由は国内での生産をより明確に把握するためと説明されたが、経済に弱い私にはよく理解できなかったので、自分なりに調べているうちに、GDPというのはかなり問題のある統計指標なのではないかという疑問を持ったのである。

 今でも引きずっている疑問点は次の通り。

* GDPは、20世紀の大量生産経済を前提とした指標であり、21世紀のITやネットを基盤とするサービス産業が経済の中心になった時代には対応しきれないのではないか。
* GDPは、様々な統計データを寄せ集め、利用しやすいように処理し、統合したものである。
  したがって、何を統計データに含めるのか、どのように処理するのか、それをどのようにしてGDPという一つの指標にまとめるのかの各段階で恣意的な選択が行われうるのではないか。
* GDPは生産の総計額だが、生産額はそれぞれの国の通貨によって計算されるから、そのままではGDPの算出には使えない。そこでPPP( the purchasing power parity )つまり、購買力平価を用いて換算されるが、生活条件の異なる国の購買力が果たして正確に比較できるのか。
* 第3次産業つまりサービス業、特に現代の社会で大きな役割を占めるようになった金融業やIT産業などの生産価値をどのように計算するのか。パナマ文書で明らかになったように、これらの分野では何十兆、何百兆円もの裏取引が横行しているとみられているが、実態がわからないから、当然GDPには算入されていないだろう。GDPには大穴があいているのではないか。
* 財政危機に苦しむギリシャでは統計機関が政治家の指示でGDPの数字を操作してきたという。日本でもかつて、月例経済報告の数字を改ざんした閣僚がいたし、その人物は今でも自民党の要職にあることを思えば、突出した財政危機の圧力の下でGDPが政治家の思惑で操作される危険性が無いとは言い切れない。

 にもかかわらずGDPは重要な指標として使われ、“GDPが大きいことはいいことだ”と無条件に、或いは無邪気に信じられている。私が<統計数字の裏にあるもの>の冒頭で、「統計数字には前提条件に問題のあるものも多いから、無条件に信ずるわけにはいかない」としつこく断り書きをくり返しているのはそのためである。

国民的作家といわれた司馬遼太郎は、評論家の萩原延寿との対談で、萩原が「日本人は頼るものを持たなければ生きていけない。だから戦前で言えば天皇、最近ではGNPに頼る」と述べたのに対し「まったく、頼るなあ」と笑いながら答えている。 だから、日本のGDPが中国に抜かれて3位に落ちた時、GDPの成り立ちや人口比を考えれば当然のことなのに、多くの人たちがかっくり来たのだろう。もうそろそろ、いや、なるべく早く、GDP依存症から抜け出した方がよいと私は思う。(M) 

* 次回の<統計数字の裏に見えるもの ⑨ 労働組合組織率>は7月30日(土)>に投稿予定です。
* 1人当たりGDPについては、このシリーズの最終回 < ⑩ 幸せの指標 >で取り上げます。

前回に続いて、「ゆとり教育」の第三の問題、すなわち、その実施によって教育現場にもたらされたさまざまな混乱について述べます。(なお、ここでの議論は旧文部省も関係しますが、煩雑を避けるため、すべて文科相に統一します。)

1998年、新学習指導要領の公示前に開かれ、その骨格を定めた教育課程審議会の答申には、「幼児児童生徒に自ら学び自ら考える力を育成することを重視した教育を行う・・・」という文言があります。そのような教育は、確かにこれからの子どもたちに重要でしょう。そしてその目玉として新設されたのが「総合的な学習の時間」でした。しかしこの授業を具体的にどう展開していくかは、ほとんど、現場の学校と教師の工夫・裁量に任されました。この授業の名称、具体目標、内容もすべて「各学校において定める」というのです。一般の学校教師にとっては、これは青天の霹靂のような出来事だったのではないかと推測します。この授業をどうするかで学校現場が混乱するのは当然のことでした。

実施後に文科省も現場の混乱を知り、いくつかの対策をとりました。たとえば2003年12月には学習指導要領を一部改訂し、「教科と総合的な学習の時間との関連を強める」という文言を目標に加えたりしました。これはおそらく、実施早々、総合的な学習の時間が教科とまったく別のものでは困るという現場の意見を捉えたものと思われます。また2009年3月の改訂では、高校における「総合的な学習の時間」は大幅に変更されました。あまりにも高校現場の混乱が激しかったからでしょう。参考までに、そこに記載されている高校の「総合的な学習の時間」の総括目標を次に記します。

「横断的・総合的な学習や探求的な学習を通して、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに、学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的、協同的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにする。」

中教審や教課審の専門家たちの議論を踏まえたものであるだけに、なかなか立派な文言が並んでいます。こういう教育が日本のすべての学校で実現できたらさぞすばらしいことだろうと誰もが思うでしょう。まさにユートピア的教育目標です。しかし現場の先生がこれを読んで、「よーし、やってやろう」と勇気を奮い起こす人がどれだけいるでしょうか。多くの先生方はそういう教育に関心はあるでしょうが、そのような教育を受けたこともなく、もちろん実行したこともなく、どういう指導をしたらよいのかをイメージすることすら難しいのではないかと思われます。

一般に中学・高校の指導は教科が中心であり、教員は教科指導の専門家であることが求められます。ですから、教師の日常は自分の担当する教科指導の研究と準備、およびその事後処理に追われています。そこに自分の担当する教科とは別に「総合的な学習の時間」が入り込んできて、いったい誰が歓迎するでしょうか。中教審の答申はこれからの教育のあるべき姿として尊重されるべきですが、それをいかに学校現場で実践につなげるかはまた別の問題です。それを考えるのが文科省です。その場合に、当然のことながら、現在のカリキュラムを変えることなく、それぞれの教科指導の実践の中で行うという穏やかな方式も考えられたはずです。しかし実際はそうはせずに、一般教科とは別の「総合的な学習の時間」を新設するという、多くの人々にとって未知の方式を選びました。なぜその方式にこだわったのか。筆者の推測では、教育現場に疎い文部官僚や教課審委員らのアイディアであったように思われます。こういう大きな教育改革は、現場から盛り上げるという、地道な努力を積み上げるべきです。

最後に「ゆとり教育」のもう一つの混乱の例を挙げます。指導内容の精選の名においてなされた指導事項の削減に関する問題です。「ゆとり教育」のピーク時の学習指導要領改訂(1998年)では指導内容の3割が削減されたのですから、問題が起こらないはずがありません。たとえば外国語科(英語)の場合には、「ゆとり教育」が始まってから、教科書で使用できる語数が削減されていました。具体的には、実質的な「ゆとり教育」が始まる1982年までは、中学から高校までの6年間で最大4,700語まで使用できました。ところが「ゆとり教育」が始まった1980年代からは、指導要領改訂のたびにその数が削減され、そのピークに達した1998年/99年の改訂では、使用語数がなんと最大2,700まで削減されたのでした。これには驚きました。筆者はたまたまその改訂時に、ある高校用英語教科書の作成に関係していました。そこでこの使用語数制限にはたいへん悩まされました。

検定教科書を作るときには、従来も語彙の選択には苦労していました。この語を使いたいけれど、それを使うと制限語数を超えてしまうということがしばしば起こるからです。教科書は題材によって使用語彙が大きく異なります。頻度の低い語でも、このトピックではこの語を使わざるを得ないということがしばしば起こります。逆に、教科書の編集が終わりに近づいて使用語リストを作成してみると、大学受験には必須と思われる語が一度も使われていないということも起こります。教科書編集には語彙の問題は常に大きな問題ですが、文科省が教科書の使用語数に関して奇妙な制限をつけることは止めてほしいと思っています(注)。思い切って教科書編集者の良識に任せてみてはどうでしょうか。

語彙制限に関連して、1998年/99年の指導要領改訂には特記すべきことがありました。当時の文部官僚で「ゆとり教育」のスポークスマンとして知られた生涯学習局生涯学習振興課長(寺脇研氏)が、ある対談で、学習指導要領というのは「全員に共通して教えるミニマム(最低基準)だ」と明言したというので、私たち検定教科書の編集に携わる者たちが驚いたことがあります。学習指導要領が最低基準だということは、それまで耳にしたことがなかったからです。そうなると検定教科書も新しい基準で審査されるものと私たちは考えました。そこで教科書会社を通して文科省の教科書調査官に問い合わせました。その返事は私たちを落胆させました。「検定教科書は従来どおりの方針で審査する」という返答だったからです。そういうわけで、21世紀最初に中学・高校で使用された英語教科書は、従来よりもいっそう貧弱なものになったと記憶しています。

こうして、1998年/99年の学習指導要領改訂によってピークに達した「ゆとり教育」は、2002年度からの実施を前にして、さまざまな問題を露呈しました。とにかくそれは実施されましたが、さまざまな批判を浴びて、実際には大きく変更せざるを得ない状況になりました。その修復は2008年/09年の現行指導要領ですでに始まっていますが、文科省は今年度末に予定される次の改訂によって、さらに大きな変更を加えようとしています。どんな改訂がなされるのか、われわれはその成り行きを注視しなければなりません。

(注)昔から、大学入試の英語問題を解くには最低3,000語は必要だと言われています。しかしその3,000語というのは、語のカウントの仕方によって大きく異なります。普通は屈折形や派生語はすべて1語と数える「ワードファミリー方式」によります。しかし学習指導要領のカウント方式では、規則的な屈折形を除いてはすべて1語としてカウントすることになっています。1998年改訂の中学校学習指導要領には、語について「別表1に示す語を含めて、900語程度までの語(季節、月、曜日、時間、天気、数(序数を含む)、家族などの日常生活にかかわる基本的なもの)」と書かれています。そうすると、実質的な内容語として使えるものはほんのわずかしか残っていないことになります。これを始めて知った方は「そんなバカな」と思われるでしょうが、本当の話です。こんな奇妙な語彙制限が無意味なことは昔から指摘されていることなのですが、文科省は一向に聞き入れません。実際こんな教科書で高校まで勉強しても、ほとんどの大学入試問題は解けないでしょう。最近の文科省はTOEFLやTOEICなどの外部試験も射程に入れているようですが、今の教科書の語彙制限のもとでは及びもつかないことです。筆者はいろいろ考えてみて、教科書教材における使用語彙は教科書編集者の良識に任せるのが最善の策であるという結論に達しています。

前回末尾に書いたように、文科省は2002年に「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」と称する驚異的プロジェクトを発表しました。ここで筆者が「驚異的」という形容詞を用いたのは、それが単に「驚くべき」というだけではなく、きわめて「あやしい」という意味を含めたかったからです。21世紀の変わり目に「文部省」が「文部科学省」に変わったのを機会に、政府も官僚も、ひとつここで旧態依然たる教育界をあっと言わせるような新しい構想を打ち出したいという意気込みを見せたかったのかもしれません。しかしこの構想はまことに粗雑に出来ていて、とうていまともな構想と呼ぶことのできない代物であることは明らかです。それがいかに誤った前提に基づいた砂上の楼閣的幻想であるかについては、稿を改めてじっくり述べることにします。

さて今回は、前回に引き続き、2002年度から実施されることになった新指導要領の「ゆとり教育」のカリキュラムが、いかに大きな欠陥と危険を内包したものであったかを、いくつかの視点から述べることにします。現在の文科省はそんな過去のことはもう耳にしたくないと言うかもしれませんが、このような誤りを再び繰り返さないために、何が誤りであったかを明確にして記憶しておく必要があると筆者は考えます。

第一に問題なのは、当時の中教審と文部省が、子どもたちの生活や学びの実態についての正しい認識を持たずに議論をし、「ゆとり教育」を進めたことです。子どもたちが過度の受験競争に巻き込まれていると言っても、その実態がどうなのかのデータを文部省は持っていませんでした。また、子どもたちがゆとりのない生活をしていると言っても、実際にどの程度そうなのかを検証することもしなかったのです。中教審が1996年に提出した『21世紀を展望した我が国の教育のあり方について』の第一次答申には、「子供たちの生活の現状」というタイトルのもとに、現在の子どもたちがいかにゆとりのない生活を余儀なくされているかが述べられ、学校週5日制と「生きる力」を育成するためのゆとりある教育の必要性が抽象的に説かれています。しかしこの中教審の現状認識は、それを裏づけるデータもなく、子どもたちの実生活を正しく捉えてはいなかったのです。

実は中教審での議論をよそに、日本経済のバブルがはじけた1990年代には、多くの子どもたちはさほど受験や学校の勉強に追われた生活をしていたわけではなかったのです。すでに1977年と1989年の指導要領改訂によって「ゆとり教育」は実質的にスタートしていましたので、子どもたちは学校の勉強からかなり開放されていました。授業は週30時間に削減され、学習内容も削られて教科書が薄くなりました。大学受験も、1990年に第2次ベビーブーマーの高校卒業によってピークに達した後は、しだいに緩やかになっていました。高校・大学への進学率は上昇しましたが、大学の増設や定員増のために、大学受験の難度は逆に低下していたのです。推薦入学制度も拡大したので、高校で普通の勉強をしていれば、大学生になることは容易になりました。必死になって受験勉強をしたのは、限られた有名大学に入りたい一部の者だけだったのです。

1998年の「ゆとり・生きる力」の教育を具体化した新指導要領が、いかに誤った現状認識から導き出されたものであるかを、教育社会学者・苅谷剛彦氏はデータを挙げて実証的に論じています。苅谷氏の著書のひとつ『教育改革の幻想』(ちくま新書2002年)では、たとえば終戦後の1949年と現時点の2000年の中学3年生では、学校外での学習時間(塾などを含む)を比較すると、むしろ今の中学生のほうが少ないというデータを示しています。そうだすると、今の子どもたちが受験に追われてかわいそうだというのは、単なる大人の推測であって、現実はそれほどでもなかったということになります。とにかく1996~97年の中教審の議論は、そういう状況を十分に顧慮してはいませんでした。

第二に問題なのは、文部省の音頭とりで国を挙げて「ゆとり教育」に取り組んでからの1980年代から1900年代にかけて、子どもたちが顕著に勉強をしなくなったというデータが多数存在することです。上記の苅谷氏のデータ分析によると、1950年代後半から60年代初頭にかけて「入学難」と言われた時代の中学生や高校生は、確かによく勉強をしたようです。しかし学校外での学習時間は1975年頃にピークを迎えたあと、多少の振幅をもちながら、2000まで確実に減少している傾向が見られるといいます。また、苅谷氏たちが1979年(「ゆとり教育」のカリキュラムが始まる前)と1997年(「ゆとり教育」が始まって約15年後)に同一高校11校の2年生を対象として行った学習時間調査では、その分布が大きく下方に変化していることが明らかであったといいます。この調査についての苅谷氏の結論は、「つまり、学習時間の分布を見るかぎり、過度な勉強はたしかに減ったが、適度に勉強していた生徒も同時に減っていまい、まったく勉強しない生徒を大きく増やしてしまったのである」(『教育改革の幻想』p.125)というものでした(注)

これらの現象がすべて「ゆとり教育」の直接的影響であると断定することはできません。しかし文部省がそれまでの2回の指導要領改訂による「ゆとり教育」の実践効果をきちんと把握する努力をしていれば、中教審の議論も違ったものになったと思われます。そういう検証作業を行うことを怠っていたのですから、文部省はその責めを免れることはできません。国の行政機関が新しいプロジェクトを掲げて全国的な規模で展開するときには、その実施した結果についてしっかりとした検証が必要であることは当然のことです。文部省はおそらく、そのための調査はしばしば行ったと反論するでしょう。しかし筆者の知る限り、国の機関が行う調査の多くは、その対象がプロジェクトの支持者に偏っており、十分な客観性と信頼性の条件を備えたエビデンスとは見なされないものです。2001年に装いを新たにした文科省は、自己の作成したプロジェクトについて、今後はもっと信頼できる検証方法を確立することが急務です。

「ゆとり教育」の第三の問題は、その実施によって教育現場にもたらされたさまざまな混乱です。混乱は実施の効果を限定的なものにします。また時には、マイナスの効果を生むことさえあります。中教審における「ゆとり教育」の議論は総論的なものが多く、そのアイディアを教育現場における実践に結びつけることは簡単ではありませんでした。アイディアが革新的であればあるほど、それを現場の教師たちが消化するのは容易ではないのです。この問題は深刻ですので、次回にいくつかの例を挙げて述べることにします。(つづく)

(注)苅谷氏らの1979年と97年の調査(同一高校11校の2年生)では、学校外で3時間以上勉強したものが16.8%から8.4%へとほぼ半減し、1時間から3時間までの生徒も40.2%から35.0%へと減っていました。また勉強時間が0分の生徒が22.3%から35.4%へと大きく増大していました。このことから、本文で引用した結論が導き出されています。

「ゆとり・生きる力」を標榜する学習指導要領が1998年12月(高校は翌年3月)に文科省から公示されるやいなや、それに対する疑念や反対の声がいくつも上がりました。特に学習内容を3割削減するという点に攻撃は集中しました。21世紀は高度な知識を競う時代であると考えられていましたから、この時期に教える内容を減らすのはもってのほかだという反撃は、当初から予想されていたものでした。先頭を切ったのは和田秀樹氏の『学力崩壊―「ゆとり教育」が子どもをダメにする』(PHP研究所1999)だったと思います。何とも直接的で刺激的なゆとり批判のタイトルです。

和田秀樹氏は精神科医ですが、受験技術に関する本の出版ですでに広く知られていました。同氏の『受験勉強入門』(ゴマブックス1988)や『数学は暗記だ』(同1990)はベストセラーになったと聞いています。この和田氏の問題意識は1996年に出版された『受験勉強は子どもを救う―最新の医学が解き明かす「勉強」の効用』(河出書房新社)によく現れています。受験勉強というのは誰もが人生の一時期に経験することなのに、少なくとも公教育においては悪者扱いされてきました。多くの人は(教師も含めて)それはできれば避けて通りたいがそうはできない「必要悪」のように考えています。しかし和田氏はその考えに真っ向から反対します。受験は子どもにとっての最大の動機づけであり、それは内的動機づけなどよりも、はるかに現実的だというのです。そういうわけで、少子化のために大学受験が容易になり、国の教育方針が「ゆとり」の方向に切り替わったことで、子どもは目に見えて勉強をしなくなったというのが和田氏の論点でした。

一方、1998年12月に新学習指導要領が公示されるとすぐに、理数系の学会が反応しました。学校における指導内容が大幅に削減され、特に数学や理科の授業時間が大幅に削減されるというので、理数系の研究者たちがそれに対する危惧を表明したのです。1999年3月には、日本数学会、日本数学教育学会、日本物理学会、日本物理教育学会、その他の理数系学会が、「算数・数学、理科の時間削減は遺憾である」などとする声明を発表しました。大学生の学力低下が著しいという報道が新聞や週刊誌に取り上げられ、世間の注目を惹いたのもこの頃でした。そして理数系研究者たちによる『分数ができない大学生』(東洋経済新報社1999)という本が広く話題になりました。

この本は必ずしも文科省の「ゆとり教育」を正面から批判したものではなく、現在の大学生の数学の学力がいかに低下しているかを経験的に示し、その対策を考えようとしたものでした。しかしこの本の書名が注目を浴び、当時話題となっていた新学習指導要領の授業時数や指導内容の削減とからんで、世間(特に教師や子どもを持つ親たち)の不安をかき立てました。2001年には、この本の著者の一人である西村和雄氏編著による『学力低下と新指導要領』(岩波ブックレット)が出版され、西村氏を中心として「ゆとり教育」への反対キャンペーンが盛り上がることになります。文科省の「ゆとり教育」を標榜する新学習指導要領は、2002年度からの実施を前にして強力な反対キャンペーンに遭遇することになったのでした。

文科省は当然、最初はそれらの勢力に反論しようとました。反論の根拠になったのは国際学力比較調査の結果でした。2000年の時点でのIEA(国際教育到達度評価学会)の調査における数学と理科の日本の成績(中学2年生の順位)は次のようでした。

<数学>1964年:12か国中2位、1981年:20か国中1位、1995年:41か国中3位、1999年:38か国中5位

<理科>1970年:18か国中1位、1983年:24か国中2位、1995年:41か国中3位、1999年:38か国中4位

この表を見ると、多少の順位の上がり下がりはあるものの、日本の中学生の数学の成績は世界のトップレベルにあると言ってよいようです。この調査は小学4年生についても行われていますが、中学生と同じく良好な順位を保っています。文科省の『教育白書』(2000年度版)にも、「わが国の子どもの学力はおおむね良好」と書かれています。

ところがこれで満足するわけにはいかないことが分かりました。それはIEA調査の他の質問紙項目で、日本の子どもたちの学力に問題があることが明らかになったからです。たとえば1999年の調査では、理科が好きな日本の中学生は56%で、この数値は調査に参加した21か国中、イスラエルと韓国の59%に次いで最下位だったのです。それだけではありません。「理科の勉強は楽しい」と答えた生徒は53%で韓国に次いで低く、「理科は生活の中で大切だ」と「将来、理科を使う仕事がしたい」という生徒はそれぞれ48%と20%で、日本の中学生はダントツの最下位だったのです。そしてこれは数学についても同様で、日本の多くの中学生は数学が嫌いで、生活とのつながりを理解していないことが明らかになりました。そしてこの傾向は2000年以降の調査においてもほとんど変わっていません。

この国際学力比較調査の結果によって、文科省は「ゆとり教育」の必要性を説得する根拠を得たわけです。というのは、「ゆとり教育」の目玉とされる「総合的な学習の時間」は、上記の国際的調査で明らかになった、日本の子どもたちの教科に対する関心や態度の改善に役立つはずだからです。この学びが各学校でしっかりと機能するようになれば、「ゆとり教育」は成功するはずだと文科省は考えます。しかし反対論者に言わせると、現場の教師たちに不慣れな「総合的学習」の効果が現れるには時間がかかり、授業数を減らされた数学や理科で生徒の関心や態度を考慮する余裕などあるはずもなく、このままでは確実に日本の子どもたちの基礎学力は低下するというのです。

このような論争から生まれたものは何だったでしょうか。それは世の親たちの感じた「ゆとり教育」への不安でした。自分たちの子どもが受験競争から取り残されるのではないかという不安でした。実際、「ゆとり教育」への批判によって最大の利益を得たのは「受験産業」と「私立学校」でした。親たちは経済的な犠牲を払って子どもを学習塾や予備校に通わせ、授業料の高い有名私立高校に入れ、民間業者の主催する模擬試験を何回も受けさせるなどして、評判のよい大学に入学させようとしました。かくて文科省の「ゆとり教育」の推進は、新指導要領が実施に移される2002年度を目前にして、完全に頓挫することになりました。しかし文科省は自分たちの失敗を認めることはできません。そうすることは文科省の権威を貶めることになるからです。2001年1月、「文部省」は「文部科学省」に看板を塗り替えました。そしてその中身も「ゆとり教育」から他のものに取り替えて、人々の注目を逸らせようとしました。その新しい呼び名が「脱ゆとり」であり、その目玉は「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」(2002年)と称する驚異的な内容のものだったのです。(つづく)