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前回の「学びを楽しむ」で述べたことをもう少し具体的に考えてみましょう。初めに楽しみながら英語らしい音を身につけるにはどうしたらよいか—その理論と実践について、今回と次回に述べるつもりです。

言語はそれぞれ独特の音の響きを持っています。それを「言葉のメロディー」と言う人もいます。英語には日本語と違う独特のメロディーがあります。まず英語を話す人と日本語を話す人では、外から見える口や唇の動きが違います。69年も前の話になりますが、戦争(第2次大戦)が終わって連合軍の兵士と共にハリウッド映画が日本にやって来たとき、中学生だった私はよく学校の授業をサボって映画を見に行きました。そしてそこで気がついたことの一つが俳優たちの口の動きでした。ハリウッド映画に出てくる女優たちは概して口が大きくよく動き、熱を込めて話しだすと口が横に裂けて両耳に達するほどになることに驚異をおぼえたのを思い出します。英語を話すときにはああいう風に口と唇を動かさないといけないのだと思ったものです。その後本気で英語を学び始めて、英語を話すときには日本語を話すときよりもしっかりと口を動かして発音することが必要だと分かりました。

小学校高学年や中学生にもなると、子どもたちは日本語の音声に慣れ切ってしまうので、他の言語を聞いてそれをそのまま真似することが難しくなくなっています。外国語の音声をそのまま真似をするという点では、幼い子どもたち(たとえば幼稚園の子どもたち)のほうがずっと上手です。なぜなら、彼らのほうが日本語の音韻体系の枠に嵌められていないからです。小学校高学年くらいになると、ほとんど完全に日本語の音韻体系にがんじがらめになっていて、日本語の体系から外れた音は認知できませんし、その音を日本語の音と対比して分析しないかぎり、無意識的には模倣することが難しくなっています。その程度には個人差がありますが、大人はたいてい英語の音を聞いてもそのまま捉えることができず、それに近い日本語の音に置き換えて認知し、その置き換えた音を口にしようとします。一般に、成人した人々の話す言語は自分の母語の音韻構造に束縛されており、彼らはいわばその支配下にあるのです。しかもそれは音韻だけでなく、他の語彙や統語の構造に関しても同じことが言えます(注)

例を挙げてみましょう。皆さんハンバーガー店でおなじみのMcDonald’sという語は、英語で発音されても「マクドナルド(ヅ)」とは聞こえません。「マッダー」のようにしか聴き取れないかもしれません。よく聴き取れない音は真似ることはできません。それが「マクドナルド」のことだと言われても信じられないくらいです。ためしにアメリカ人に「マクドナルド」と日本語式に発音して聞かせてごらんなさい。たぶん通じないでしょう。むしろ「マッー」のように「ダ」を強調して言うと通じるかもしれません。

なぜそんなことになるのでしょうか。その理由は第1に、両言語の音節構造が全く違うからです。英語ではこの語は3音節(Mc-Don-ald’s)ですが、日本語では6音節(マ-ク-ド-ナ-ル-ド)になります。第2に、英語では強く発音される音節と弱く発音される音節が決まっていて、この語は-Don-の音節だけが強く発音されます。そして重要なことは、他の音節が非常に弱く短く発音されることです。これに対して日本語では「マクドナルド」の一つひとつの音声がほとんど等しい長さと強さで発音されます。そして第3に、英語では弱音節の母音は実際には発音されません。この語を発音記号で表記すると[m∂kdαn∂ldz] のようになりますが、2つの曖昧母音/∂/は記号通りには発音されません(特に2番目は常に無音です)。また子音の/k/は、次の強勢のある/d/に飲み込まれて実際には発音されません。語尾の連続した子音群も、弱くて聞こえないほどです。

以上のMcDonald’sの例で見るように、英語と日本語の発音のシステムは非常に異なっているので、大人の日本人が英語の音韻体系を習得するのは至難の技なのです。その難しさはたぶん一般に考えられている以上です。それならば、日本人には英語の発音を完全に習得することは不可能なのでしょうか。そんなことはないのですが、これまでこの技能の獲得に挑戦した多くの日本人学習者の経験からすると、その獲得に成功した人はそれほど多くはないようです。むしろいくら努力しても成功しなかった例のほうが多かったかもしれません。ですから、一般の学習者は完璧な発音技能を目指すよりも、むしろ長い時間をかけて自分の発音を改善していくほうが賢明でしょう。それにはやはり英語の発音を気楽に楽しむことが必要です。音楽を楽しむのと同じで、言語の音を楽しむ方法はいろいろとあります。次回にそれらのいくつかを紹介します。(To be continued.)

(脚注)地球上に住むすべての人間は、各自の母語習得の過程において、しだいに母語に固有の音韻・語彙・統語の構造に縛られていき、成人になって母語習得が終了した後には、他の言語の構造を簡単には受け入れられなくなっています。したがって外国語を学ぶときは、自分の母語とは異質の言語構造を自分の中に取り入れていく努力が求められます。それはある意味でつらい努力ですが、それに成功すれば、自分の母語構造の束縛から自分自身を開放し、より自由な思考と表現を産む力を得ることができます。この観点から、他の言語を学ぶことの効用は、単にその言語を用いる人々とのコミュニケーションを容易にするだけではなく、自己の思考の幅を広げ、言語表現の豊かさを養うことに貢献すると言えます。