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11月初旬に、橋田壽賀子が「戦争と平和」を描く最後のTVドラマという触れ込みで、日本人のアメリカ移民を題材とした「99年の愛」という作品が放映された。以前に同じ橋田作品でブラジル移民を扱ったTVドラマ「届かなかった手紙」を見たことがあるので、今回も連続5夜視聴した。普段は時代劇以外あまりTVドラマを見ることはないのだが、NHKにいた頃、何回か海外移住者の取材をしたことがあったので、興味を覚えたのである。「99年の愛」は、島根県からアメリカのシアトルへ移住した日本人農民一世の苦闘を、現在は農場を経営している2世、3世の回顧を通して描く物語で、「届かなかった手紙」と同じsituation設定である。10時間にわたる物語のテーマは、戦争は人間を鬼にする人類最大の不幸であるというメッセージであると感じた。戦争という殺し合いの中で、悪魔になる人間も、平和という環境の中では友人になりうる。人間の本性は、悪でもなく、善でもなく、まさに環境が人間を変えるのだと思う。敗戦直後、東京調布飛行場跡に出来た占領軍の水耕農場で働いて、すさまじい人種差別を体験し、やがて職場で多くのアメリカ人と友人になった私にとって、「差別のあるところに平和はない」というネルソン・マンデラの言葉が、実感として理解できるし、同年代の橋田さんの思いも共感できるものだった。
移住問題を取材していて私が最もショックを受けたのは、1962年に京都の東本願寺で親鸞聖人700年の大遠忌がおこなわれた際の取材で廣島などに里帰りをかねて帰国したブラジル移民一世の人達に会った時だった。皺の多い顔というのは時々見かけるが、一世の老人達の顔は、皺の中に顔があるとしか形容できないものであった。皺の中に光る目をみて、私は胸が詰まって、まともに話を聞くことが出来なかった。小泉純一郎元首相が在任中ブラジルを訪問した際、予定になかった日系人の農場を視察し、開拓の苦闘の歴史を聞いて号泣した。私が京都で会った人達と同じ顔を見て、思わずカメラの前であることも忘れて、感情が爆発したのだろうと私は思う。日本政府の移住政策は最初から棄民の色合いが濃いものであった。明治以来の富国強兵政策で、農村は下級兵士の供給源として機能する一方、地租によって収奪され、疲弊していった。二・二六事件を扱った立野信之著「反乱」の中で、妹の身売りを知って内務班のベットですすり泣く部下の姿に、直属上官の将校が決起を決意するくだりは、深く心に突き刺さる。太平洋戦争中の満蒙開拓義勇軍や戦後のドミニカ移民にもみられるように、ろくに現地を調査することもなく、国民を海外に送り出し、後は自己責任でとういう、まごうかたなき棄民政策もあった。横浜の大桟橋で、移住船の出港を取材したことがある。ドラが鳴り、「蛍の光」に送られて遠ざかっていく船にハンカチを振って嗚咽する親類縁者の姿は、時代を超えて胸にしみた。日本人の海外移住は1885年(明治18年)のハワイ移民が最初であるが、ハワイの丘にある一世達の墓は、太平洋を眼下に、はるか日本を望んで建っているという。(M)