Archive for 7月 16th, 2011

< 日本の病根 ③ > 松山 薫

③ 経済は誰のために

 私は、1929年、つまり第1次大戦後の世界大恐慌の年に生まれた。父は銀行員であったが、当時、上役の机の上には履歴書がうず高く積まれていたという。お前の代わりはいくらでもいるから文句を言わずに働けという無言の脅しであった。失業者があふれる中で、辞めれば即一家心中という恐怖にかられ、大家族を支えるために、ただひたすら働いていたのだろう。父の遺影を見るたびに、苦労をかけたなあと思う。それから80年経ち、私が父の亡くなった年齢に近づいた2008年、リーマンショックによる世界同時不況が起きた。自動車業界を中心に、派遣切りや雇い止めが急増し、路上生活者が目立つようになった。不況に企業が雇用調整をするのは当然だと説くTV評論家の顔が、親父の銀行の上役と重なり、働く人達にとっての経済の仕組みが基本的に何も変わっていないことを痛感させられる。

文春識者が挙げた経済に関する現代日本の病根は次の10項目である。
財政破綻  地方の疲弊  少子高齢化  世代間の不公平  社会保障制度のひずみ 犯罪的経済人の跋扈  不公平・不公正税制  富の偏在  女性差別  若者の雇用不安

 政治と経済は根っこのところで結びついているから、政治的な対米従属性が経済的従属性に結びつくのは当然である。戦後日本はアメリカ頼りで経済復興を果たしてきたが、それはまた、アメリカ経済を補完する役割を果たすことでもあった。よく考えると、それはさまざまなところに現れているのだが、顕著な例として挙げられるのが、1990年代の初めに日本がアメリカに約束した10年間で630兆円に上る公共投資である。これは、アメリカの対日貿易赤字を縮小するための日本の内需拡大を狙ったものであったが、今日の財政破綻の一因になったことは明らかである。またこれらの投資に当たっては、地方自治体が事業主になるので、地方財政を圧迫することにもなった。北海道夕張市の財政破綻はその一例である。その夕張市では総合病院が破綻して、個人の医師が後を引き継いでいたが、救急患者の受け入れを拒否して、患者が死亡するという事件が起きた。救急患者を受け入れる予算が全く無かったからである。

 現在日本の財政赤字は、中央、地方合わせて800兆円を超え、もはや財政再建は不可能に近ずきつづある。これを何とか民間の活力によって再建しようと試みたのが、小泉構造改革であった。その政策の理論的背景には、小泉首相と同じ劇場型政治家と知られるアメリカのレーガン大統領のレーガノミックスの生みの親、エリック・フリードマンの新自由主義、市場原理主義の考え方があった。規制を撤廃し、企業の自由を最大限に保証して、すべてのものを市場を通して取引するという考え方である。”聖域なき改革”を旗印に、抵抗勢力を仕立てては、次ぎ次に規制緩和、撤廃を推し進める政治手法に、国民は喝采を送り、小泉政権は5年半も続いた。しかし、この改革の結果残ったものは、アメリカ的格差社会、不平等社会であった。フリードマンの考え方を推し進めれば、こういう結果になることは。アメリカの先例を引くまでもなく、世の中は一握りの経済的強者とその他大勢の弱者から成り立っているのだから、当然の帰結ではなかったか。中でも、医療、福祉、教育、労働条件など、人間が生きていくための基盤となる社会的インフラまで市場原理、つまり” カネモウケ“の対象にしたことから、経済的ひずみが拡大し、夕張のような悲劇が起きた。春秋の筆法を持ってすれば、この不幸な患者は、フリードマンに殺されたことになる。

 いつの世にも、誤まった政策の犠牲者は庶民である。働きたくても働く場のない人達は勿論、
働いている人達の多くも常にやりばのない不安や不満を抱えている。特に日本では労働組合の力が弱いから、その不安や不満を代弁してくれるものがない。労働法学者の藤田若雄(元東大教授)は、「労働組合を持たない労働者は本質的には奴隷と同じである」と言ったが、従業員は企業に身も心も捧げることを求められ、“karoshi”という日本語がOEDに掲載されたりすると、あながち誇張した言葉とも思えない。最近の九州電力やその子会社による”やらせメール”などから、一層その感を深くする。多分悩みながらも、結局は”長いものには巻かれろ”ということになったのではないか。もし悩みも良心の呵責も無く会社ぐるみで”やらせメール”を送ったのなら、それはもはや評論家佐高信のいう“社畜”と化したとしか言いようがない。

 昭和大恐慌から更に80年をさかのぼれば、坂本龍馬が生きていた時代である。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」の中で最も私の印象に残ったのは、竜馬が苦界に身を沈めた女性に「ワシの願いは皆が笑って暮らせる世の中をつくることなんじゃ」と語りかける場面であった。我々の社会にとって、龍馬の願いは、見果てぬ夢に終るのであろうか。(M)