Archive for 6月, 2012

英語学習と「訳」(2)

Author: 土屋澄男

英語学習の経験を積むにつれて英語の知識が増え、脳の中に英語の回路が出来上がってくると、英語の新しい語句や表現をすべて日本語に置き換えて理解する必要はなくなります。たとえば次のような英文は、高校まで6年間の英語学習経験を持っている人ならば、ほとんど日本語を意識しなくても(つまり訳をしなくても)すんなりと頭に入ってくるのではないでしょうか。

     My name is Takeda Koji, and today I will talk about my study-abroad experience in the English Language Program at North Pacific University in Vancouver last year. First of all, I really liked the intensive English classes every weekday. My English has improved a lot. All the teachers were friendly and enthusiastic, and they sometimes stayed late to help us with our projects. I’m truly grateful to Ms. Lee, my advisor, who always responded to my problems promptly. < 2012年度大学入試センター英語筆記試験第5問より>

 この文章を読んで(声を出しても出さなくても)すっとその内容が頭に入ってくるのは、これが自己紹介の文であり、数年英語を学習している人ならば誰でもこれに似た自己紹介を経験したことがあるからです。つまり高校生にはなじみの話題であり、分かりやすい内容です。バンクーバーには行ったことがなくても、外国での英語集中研修プログラムの案内は見たことがあるでしょうし、そのどれかに参加した人の話を聞いたことがあるかもしれません。もしenthusiastic, promptlyなどの語を知らなくても、大意を取ることに支障はないでしょう。文の構造もきわめて単純です。最後の文に関係代名詞がありますが、これはand sheと置き換えることができることを知っていれば、それで躓くことはないでしょう。

 これに対して次の『タイム』の記事は、相当に英語のできる人でも、特に下線部は日本語に訳してみないとピンとこないと感じるのではないでしょうか。この部分を、日本語を介さずにそのまま理解できる人は英語の上級レベルに達している人ではないかと思われます。

     By the time Elizabeth II ascended the throne, the empire her father had reigned over was shrinking, as former colonies cast off British rule, many opting for commonwealth membership instead. The Queen, now head of the Commonwealth, handled the transition with the unblinking ease of someone schooled by childhood experience to appreciate the impermanence of even the most solid-looking edifices. (During World War II, German bombers scored seven direct hits on Buckingham Palace.)  < “60 years of Elizabeth II, Her Royal Majesty” by Catherine Mayer, TIME June 4, 2012 >                               

ちなみに下線部の意味は、概略、「どんな堅固な建造物も永遠ではないということを、子供時代の経験によって教え込まれて理解していた人らしく、しごく平然と」というようなことです。(この部分をきちんとした日本語に翻訳するとなると専門的技術を必要とします。)

 さて、なぜこのような英語が理解しにくいのかを考えてみましょう。まずこのトピックが私たち日本人にあまり身近なものではないということが挙げられます。最近のニュースで英国女王エリザベス2世がことし即位60年を迎え、さまざまな行事がロンドン周辺で行われていることを知っている人は多いでしょう。しかし女王が即位した60年前、かつて不滅と言われた大英帝国はすでに崩壊し、その植民地が次々に帝国支配から離脱してあるものは独立し、あるものは新しい英連邦(the British Commonwealth)へと編成されていった経過について知る人は少ないと思われます。また、第2次大戦中にドイツ軍の爆撃機がロンドンを空襲し、王室のロンドン居所であるバッキンガム宮殿にも被害を与えたことまでは聞いていないかもしれません。文章の理解には、そのトピックの前提となっている事柄の知識をある程度著者と共有している必要があります。

 次に難しいのは、この文章の独特な文体(style)にあります。語彙や文法が難しいということがあるかもしれませんが、単語は辞書を見ればほとんど解決できますし、文法も高校生の手に負えないほどのものではありません。難しいとすれば文体です。この文章は口語体ではなく文語体です。ですから書き言葉に特有の凝った表現法が使われています。こういう文体に慣れていない人は難しく感じることでしょう。このような文については、ネイティブ・スピーカーならばパラフレーズする(他の平易な表現に言い換える)ことによって理解しようとするでしょうが、日本人学習者の場合には、日本語を使って理解するのが簡便で有効です。問題はその日本語の使い方です(To be continued.)

<英語との付き合い ○24>

NHK (7) WRITING−2

 絶望的な気分を救ってくれたのは、部内でいうところの”赤字原稿“だった。
英文ニュースの出稿の手順は次のようになっていた。(今はPCを使うから全く異なっていると思う)。ライター(兵隊と呼ばれるヒラの記者)は原稿を、タイプライターで3枚取りしてデスクに提出する。デスクは内容に間違いないか、過不足がないかをチェックして、赤字を入れ、リライターに回す。リライターはデスクやライターに内容を確認しながら英文をproofし、必要があれば赤字でリライトして、デスクに返す。デスクはこれを点検し、OKであれは兵隊に返す。兵隊はこれを読んで納得できなければデスク或いはリライターと話し合うが、この時に意見の違いから喧嘩になることもある。納得すれば、一番上の原稿を保存し、2枚目は編集デスクへ、3枚目はタイピストに渡す。タイピストは原稿を綺麗に打ち直し、輪転機で50部印刷して、編集デスクと20ヶ国語のデスク、関係の部長、局次長、局長、考査室、番組審査委員会などへ配布する。20ヶ国語のニュースは英文ニュース原稿を翻訳して流す。

 このとき保存用となったデスク及びリライターの赤字入りの原稿は3年間保存される。初年兵の原稿は、元の原稿が分からないくらい真っ赤になっている。まさに”赤字原稿“だ。古兵のものは、部分的に赤字が入っている。下士官クラスの原稿には冠詞や前置詞以外にはほとんど手が入っていない。まさにwritingこそが、それぞれの英語力、ニュースに対する判断力を如実に現しているのである。”赤字原稿 ”によって、writingの力が、時間を追って進歩していく現物証拠を確認しえて、私は救われたのである。

 少し慣れてくると、出勤前の午前7時や正午、午後7時のNHKニュースを見ながら、頭の中で英文ニュースにしてみた。出勤すると、編集デスクに置いてある印刷原稿を読んで、自分が頭の中で考えていた英文と比較してみる。その後、“ 赤字原稿“を見て、どんな部分をなおされているかを調べるのである。私のwritingの力は、これによって、伸びていった。頭の中の英文と編集用原稿とがほぼ一致するようになったのは3年後くらいであったかと思う。どんなニュースでも、10分あれば書けるようになるには、さらに5年くらいかかったろう。“桃、栗3年、柿(書き)8年“と言われる由縁である。

 その段階から、編集の仕事が多くなった。つまり、英語力とニュースの判断力がついてきたのである。国際放送の全世界向け英語ニュースは、毎正時から10分間放送されていたが、正味は8分間である。そこに8本から10本のニュースを入れるのが原則であるから、出稿された原稿を相当刈り込まなくてはならない。それにはまた一段上の英語力が必要になる。うかつにcutすれば内容を損なうからである。全文をsummarizeして短くしなければならないこともある。ライターは自分の書いた原稿が、どのように放送されるかをモニターラジオで聞いているから、“肝心のところを切りやがって”ということで喧嘩になる場合もある。午後4時に朝番の仕事が終り、夜勤者と交代すると、出稿、編集のデスク以下全員が会議室に集まってその日のニュースの検討会がある。編集者は、出稿デスク以下兵隊達の十字砲火を切り返さなければならない。そうした中から実戦部隊の指揮官である出稿デスクが育っていく。

 私はNHKに25年余り在籍したが、管理職にはならない道を選んだので、最後まで現場の取材職として働くことが出来、英語に関しては大変よい勉強をさせてもらったと感謝している。(M)

猿も笑う“猿芝居”とは?
(1)“猿芝居”で多くの人が思い付くのは、最近の(2012年5月28日)野田首相と小沢議員の会談でしょう。1週間も前から予告しておいて、テレビでは“評論家”たちが、「こうなるだろう、いや、そうはなるまい」と推測合戦を展開していました。こういう人たちの雇用を確保するための民主党の作戦ではなかったかと皮肉の1つも言いたくなりました。

(2)実際は、雇用問題は非常に深刻で、パナソニックやシャープなども赤字決算で、大量の人員整理をしようとしています。「不景気な時に増税などするな」と主張する小沢氏のほうが筋が通っている気がします。野田首相は再度の会談については、「よく反芻して考える」と言っていましたが、私には首相の顔が牛の顔に見えてきました。首相は民主党の総裁でもあるのですから、党の方針として手続きを経て決めたことに従わない党員がいたら、仲介者などを排して、呼びつけ、問いただせばよいでのではないでしょうか。そこまで強く出られないのは、相手の言分にも一理あると感じているためではないかと言いたくなります。

(3)お笑い芸人の謝罪会見が2番目の「猿芝居」です。「扶養義務がある母親が生活保護を受けていた」と真剣に謝っている芸能人を茶化すつもりはありません。むしろ、彼等を取り上げて得意顔の世耕弘成、片山さつき参議院議員のことを問題にしたいのです。国会議員というのは、大臣などではなくても、国政調査権を有しているのですから、まず、生活保護費の実態を調べるべきでしょう。しかも、何も審議しなくても、議員には税金から高い歳費が支払われていることを自覚すべきです。片山議員などは、芸能人に脅迫めいたことを言われたなどとテレビで涙を見せていましたが、根拠もないネットの書き込みに一喜一憂しているようでは、国政などとても任せられません。

(4)先日のTBS のラジオ番組(Dig)では、「そもそも扶養義務とは何か」という基本問題を論じていました。小さい子供3人を抱えて生活が苦しい母親が市役所の窓口へ行くと、「あなたは結婚しているようですから、夫の収入証明書を出してください」と言われたとのこと。ところがこの女性は夫の家庭内暴力(domestic violence)を逃れてきていたので、夫に住所を知られるようなことは出来なかったのです。あげくの果て、子供と共に餓死してしまったのです。生活保護には複雑な事情が絡む場合が多いので、芸能人の例だけで判断することは出来ないのです。

(5)次の問題は、中国の在日大使館員だった書記官が、スパイではなかったかという大問題があります。日本人はかなり“平和ボケ”になっていて、危機意識が希薄です。オーム真理教の事件でも、“国家の転覆を謀ったテロリストの犯罪”と海外では指摘していたのに、“テロリスト”などはどこか他の国の話と思ってしまったようです。それは、現在の政府にも言えることです。ましてやスパイの存在など信じられないのでしょう。

(6)中国大使館の書記官が、身分を偽って外国人登録証を入手したというだけでも、その意図を追及する必要があるのですが、自民党は、「その人物と接触した政府の要人は問責に値する」と騒いでいました。政府を含めて、その程度の意識しかないのではとても国を守ることなど出来ません。しかも警察は手を緩めずに追及を続けているようです。これもある意味で危険です。まず政府が重大な国際問題として日本の態度を明らかにすべきだと思います。やはり野田首相は“猿芝居”の主演者に過ぎないのでしょうか。とても心配です。(この回終り)

英語学習と「訳」(1)

Author: 土屋澄男

学校の英語の授業で「訳」(translation) をすることは珍しくありません。日本人の先生が教えるクラスではむしろ普通のことです。最近は授業で訳ばかりする先生は少なくなったと思いますが、来年度から高等学校で実施される新学習指導要領の中に、「授業を実際のコミュニケーションの場面とするため、授業は英語で行うことを基本とする」と書かれているところを見ると、高校では英語授業の大部分を日本語で行っている先生がまだ多く、それは困ったことだと文科省は判断しているようです。そこで「訳」から生じる次の3つの疑問について、学習者の立場から考えてみようと思います。

(1)英語の学習で「訳」をすることはいけないことなのか。(2)「訳」に頼らずに英語を学ぶことは可能なのか。(3)「訳」と「翻訳」は同じか、違うか。違うとすればどう違うか。

 上記の(1)と(2)は関連しています。まずこれら二つの疑問から始めます。ご存じのように、昔の学校での英語授業はテキストを訳すことに多くの時間を費やしました。授業の大部分は「リーダー」とか「講読」と呼ばれ、そこですることの大部分はテキストを訳すことでした。そういう授業を「訳読」と言いました。「昔」というのは、主として、明治5年(1872)日本に近代的学制が敷かれて中学校に「外国語」という科目が設けられてから、第2次大戦に敗れたあと、アメリカ教育使節団の勧告に基づいて新制中学校が発足した1947年頃までのことです。その時代の英語教育の課題は、英語が読めるようになって先進国の知識を吸収することだったのです。そこでつくられた伝統が、新学制になって65年を経た今日、なお一部の教師たちに受け継がれているというわけです。

 日本人が英語を学ぶときには、常識的に考えて、訳を完全に排除することは不可能です。私たちは10歳前後には、母語である日本語の使用にかなりの程度習熟しています。控え目に言っても、10歳の子どもは日本語習得の基礎段階を終えています。書き言葉はまだ不充分で、その後も学習を継続する必要がありますが、話し言葉に関しては、相当のレベルに達しています。たいていのことは聞いて分かり、自分の考えを口頭で伝えることができます。言い換えれば、彼らはすべて日本語でものを考えることができるということです。ですから、そのあとで学ぶ新しい言語は(どんな言語の場合も)、すでに脳の中に組み込まれている日本語を抜きにして理解して取り込む(インテイクする)ことは不可能になっています。このことは脳の研究(たとえば東北大学・川島隆太教授たちの研究)においても、一部ではありますが、明らかにされつつあります。その研究をおおざっぱに要約すると、私たちはすでに確立している日本語のシステムの中に、それと関係づけて新しい言語である英語の切れ端を少しずつインテイクしていくということになります。そしてインテイクされた英語の要素を増やしていくうちに、その音韻や語彙や文法知識が少しずつ日本語から独立し、新しい英語の回路が出来上がり、それが独立した一つのシステムとして機能していくというプロセスをたどることになります。そういうシステムが脳内に確立していくにつれて、英語が使えるようになるというわけです。

 このことは、皆さんが小学校や中学校で初めて英語を学び始めた頃のことを思い起こすと理解しやすいでしょう。机はdesk、椅子はchair、本はbookと覚えますが、こういう具体的な「物」は日本語と結びつけなくても、先生がそれらを指さしたり手に持ったりして、This is a desk; That’s a chair; I have a bookと言えば生徒はその意味を理解します。なぜなら、生徒は先生の指示する物が「机」であったり「椅子」であったり「本」であったりすることを日本語の習得を通してすでに学習しているからです。日本語を使わずに英語だけを使って導入する方法を「直接法」(Direct Method) と呼びますが、これが可能なのは、生徒がすでに母語で言語がどのようなものであるかを知っているからです。ですから、英語と日本語のシステムが共通している場合には問題は起こりません。

 しかし英語と日本語のシステムが違っているときには、理解ができなかったり、誤解が生じたりします。たとえば、先生がThat’s a chair. と言うのを聞いて「chair = 椅子」と覚えてしまった生徒は、benchやsofa, couch, stoolと呼ばれるものまでchairの中に含めてしまうでしょう。そのように誤解したからといってすぐに困った事態になるわけではありませんが、英語の適切な語彙システムを形成するためには、いつかはその誤解を解いて修正しなくてはなりません。そういうわけで、学校の英語の授業で先生が日本語を使おうと使うまいと、生徒はすでに脳の中に存在する日本語の知識を基礎として、英語を理解しようとしていることに変わりはありません。(To be continued.)