Archive for 10月, 2012

(111)英語との付き合い−37 

  

<茅ヶ崎方式英語会設立>

 我々の英対話学習会は、1981年4月にスタート、半年を1期として、今月から第63期に入った。本当は64期になるはずである。そう、1期抜けている。つまり、半年間休んだことがあるのだ。それが何時だったか、もはや正確には思い出せないのだが、自由大學を離れて茅ヶ崎方式英語会として独立する前の半年である。この半年間を実施計画策定・教材作成・会員募集に当てた。

〔 基本方針と10年計画の策定 〕

* 名称: 同志に集まってもらって、いくつかの原案を提示したところ、石川啓一さんが、「茅ヶ崎方式英語会」という名称を強く推した。長すぎるから「茅ケ崎英語会」でよいのではという意見もあったが、独自の「方式」でやるのだという点を強調するため、敢えて、この長い名前に決まった。茅ヶ崎駅近くの線路沿いのしもた屋の2階を事務所に借り、看板を掲げた。賃貸料は安かったが、貨物列車が通るたびに地震のように揺れ、初めて来た人は驚いて飛び上がった。

( 基本方針 )

1. 茅ケ崎自由大學の「市民に生涯学習の場を提供する」と
   いう精神を受け継ぐ。
2. 学習会は市民の英対話学習の場であり、講師 
   (instructor)の役割はこれをサポートすることにある。
3. 講師は原則として日本人とし、native speakerには
informantとして協力してもらう。
4. 「教材が命」という基本に徹し、よい教材を出来うる限り安く
提供する。
5. 会費は経費を分担してもらうのであって、授業料ではない。

* ( 10年計画 )

 証券会社の魔手をのがれた800万円を資金として、10年間に以下の実現を目指す。

1. 自前の教室とそれに隣接する事務所の確保
2. 自前の教本出版社の設立。茅ヶ崎方式英語教本および
   季刊教本の出版
3. 週刊教材作成・頒布会社の設立とこれを使用する協力校
    の全国展開
4. 会費は月額3千円とし、入会金等は不要。10年間は据え
    置く。
    旧会員については、3年以上継続学習者の会費を無料と
    する。

* ( 会員募集と教材作成 )

 会員募集は一番安上がりな募集ビラに頼ることにして、5万枚を用意した。団地の低い天井近くまで積み上げられたビラの山を見て、親父は「これを1人で配るのか。死んでしまうぞ」と言ってとめたが、私はこのビラ配りに自分の気力と体力の限界をかけるつもりだった。茅ケ崎と寒川を中心に、藤沢、平塚、大磯の4市1町の市勢要覧に基づいて、該当地域を50区画に分割し、1区画当たり千枚を1日で配布することに決め、元旦に水垢離をとってから配布をスタートした。朝8時から暗くなるまで、雨や雪の日を除いて毎日20キロ前後歩いて3月中頃に配布を完了した。これによって会員は150人に増え、茅ヶ崎方式英語会の基盤が固まった。また、帰宅して毎日つけた配布日誌を会員名簿と付き合わせることがその後の募集ビラ配布戦術の貴重な資料として役立ち、やがて”仮説検証方式”を取り入れる基盤になったし、何よりも会員の皆さんがどんなところから来ているかを知っていることが無形の財産になった。

 募集と平行して雨の日や夜は、(106)<教材こそ命>で述べた教材作成の方針に基づいて、「茅ヶ崎方式」の最初の教本の作成に没頭した。その頃ようやくコピー機が文房具店などに配備されるようになり、駅前の文房具屋さんで200人分を刷ってもらった。会員の一人が会社から大型のスティプラーを持って来てくれ、皆で綴じた。経費はガリ版刷りの何倍もかかったが、これが現在の教本類や教材の基盤となった。(M)

日本の英語教育を教える側から見るとき、その教育目標として常に掲げられる「コミュニケーション能力の育成」ということについて触れないわけにはいきません。ご存じのように、戦後の焼け跡から立ち直って復興を果たした日本の経済成長は、特に1960年代後半から1980年代にかけて目を見張るものがありました。世界中が日本に注目しましました。それと共にあらゆる分野で英語を使用する必要性が高まり、学校で英語のコミュニケーション能力をもっと高めてほしいという要望が国民の間から生じました。同時に、従来の学校教育で伝統的な方法で教えられてきた「英語」は、もはや時代の要請に応えていないという批判が各方面から起こりました。中学・高校の6年間、さらに大学の教養課程での2年間、合計して8年間を英語の学習に費やしても、日常会話はおろか、手紙一本書けないとは情けない、というわけです。

 そのような折に、自民党の政調審議委員平泉渉氏(参議院議員)から「外国語教育の現状と改革の方向」と題する試案が同党の政務調査会に提出されました。この試案は雑誌『諸君!』(1975年4月号)に掲載され、それと並んで渡部昇一氏(上智大学教授)の論文「亡国の『英語教育改革試案』」が掲載されたことで、たちまち多くの反響を呼びました。この論争は「英語教育大論争」として英語専門誌だけでなく、新聞などのマスコミも取り上げるようになって、やがて国民的な関心を喚起しました。この論争を知った一般の人々の多くは、どちらの言い分にも一理あることは認めたとしても、どちらかというと平泉氏の提案に軍配を上げる人々が多かったと思われます。人々は自分自身の経験から、学校の英語はやはり「コミュニケーション能力」の育成にはあまり役立っていないと感じていたからです。しかし英語教員は必ずしもそうではありません。どちらかと言うと渡部氏の反論を好む人が多かったのではないかと思います。そういう調査がなされたかどうかは記憶にありませんが、筆者の周りにいた大学の英語学・英文学の教師たち(特に中年以上の方々)はそうでした。コミュニケーション能力の育成は時代の要請ではあるけれども、学校の英語教育はそれだけではない、人間教育に関するもっと大切なものがいろいろあるというのがその理由でした。こうして世間の人々の多くは平泉派となり、学校教師は一部を除いて、多くが渡部派であったと思われます。

 文部省(現在の文科省)は平泉試案とそれに対する国民の反応に動かされました。その声に応えるべく、1989年の学習指導要領の改訂では、英語科の目標の中に「外国語で積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育てる」ことを掲げました。学習指導要領はそれ以後2回の改訂を経ていますが、1998年の改訂では、前回の「態度を育てる」と並んで、「聞くことや話すことなどの実践的コミュニケーション能力を養う」を目標として掲げ、高校では「オーラル・コミュニケーション」という名の複数の科目を新設し、その一つを必修にしました。それは非常に大胆な計画でしたが、後述するように一般の教師にはついていけない面がありました。今回改訂された学習指導要領では、それがより穏健な「聞くこと、話すこと、書くことなどのコミュニケーション能力を養う」に表現が変えられました。これは大きな変更です。

 小学校で英語を教えることになったのも、一連のそうした流れから生じたものでした。それは1986年4月の臨時教育審議会第二次答申の中に「英語教育の開始時期について検討を進める」という文言が入ったのが始まりでした。そして1992年からは、国際理解教育の一環として、実験的に小学校で英語を導入する研究開発校が指定されました。最終的には1996年7月の中央教育審議会の第一次答申において、小学校での外国語(英語)の指導の方針が示され、昨年(2011年度)から小学校5・6年生で英語指導が実施されるに至りました。しかしその実施のための予算はほとんどゼロで、指導教員についても、原則として小学校の学級担任教師に担当させるというお粗末なものでした。その問題点については、筆者が昨年編んだ『新編英語科教育法入門』(研究社)の21章に論じていますので参考になさってください。

 さて、学習指導要領でいう「コミュニケーション能力」とはいったい何でしょうか。学習指導要領は文部科学大臣の名によって公示され、そこに記述されている教育内容は法的拘束力を持ちます。つまり、それは小学校から高校までのすべての学校の教育内容を縛るものです。学校も教師も、この学習指導要領に書かれている事柄を無視して教育を行うことは許されません。ですから、学習指導要領で言う「コミュニケーション能力の育成」というのも、正しく解釈されなければなりません。(To be continued.)