Archive for 6月 29th, 2013

⑪ 補遺 教師像あれこれ

(150)教育問題私見        

補遺 教師像あれこれ 

 よく、教師の質が落ちたとか、教師の質を向上させねばと言われるが、私は、この言葉に大変違和感を感ずる。教師を何かモノ扱いしているように響くし、外から刺激を与えれば質がかわると思っているような感じがするからである。何故違和感をもつのか、いろいろ自問自答して来て、50代の半ば頃、必要に迫られて、自分なりの結論に達した。

 NHKに勤めていた頃は勿論私を先生などと呼ぶ人は誰もいなかったのだが、茅ヶ崎方式英語会を始めた途端に、皆が「先生」と呼ぶようになった。私は昔、自ら教師を脱落した人間であるから、これには猛烈な抵抗感を覚え、スタッフの人達には「先生」と呼ぶのをやめてもらった。そのため、説明が必要になって、「先生」という敬称は、人間そのものを扱う、学校の教師と医者に限るという結論を披露した。つまり、特に人間の人格形成にかかわる初等・中等教育の教師と、人間の生命を預かる医師は、他の職業とは異なるというのが私の結論であり、今私がやっている仕事は、教師ではないと言いたかったのである。

 「先生と呼ばれると、自分には教師として欠けるところがあると悟って辞めた時の心の葛藤が甦って困るので、やめてくれ。それに、成人の学校である我々の会には、私より20歳も年長の人や、はるかに立派な経歴の人が大勢いるし、その多くが戦争を体験してそれぞれの人生観を確立しているわけだから、私が、人間の生き方にかかわるwhat to を講義するなどとはおこがましい限りであり、私は英語の使い方 how to を伝授する instructor に徹する」と宣言した。

 前回、中央教育審議会の答申では「優れた教師」の第一の条件は、教職に対する強い情熱であるとしていることを紹介したが、以下は全文である。

① 教職に対する強い情熱 :  教師の仕事に対する使命感や誇り、子どもに対する愛情や責任感などである。 また、教師は、変化の著しい社会や学校、子どもたちに適切に対応するため、常に学び続ける向上心を持つことも大切である。
② 教育の専門家としての確かな力量 : 「教師は授業で勝負する」と言われるように、この力量が「教育のプロ」のプロたる所以である。この力量は、具体的には、子ども理解力、児童・生徒指導力、集団指導の力、学級作りの力、学習指導・授業作りの力、教材解釈の力などからなるものと言える。
③ 総合的な人間力 : 教師には、子どもたちの人格形成に関わる者として、豊かな人間性や社会性、常識と教養、礼儀作法をはじめ対人関係能力、コミュニケーション能力などの人 格的資質を備えていることが求められる。また、教師は、他の教師や事務職員、栄養職員など、教職員全体と同僚として協力していくことが大切である。 そして、これらの目標を実践していく能力が必要だとしている。

 教師脱落の私が言うのもなんだが、こんな金甌無欠の条件を満たす教師が存在するとは思われない。中教審の委員諸氏は、自分がこのような教師になりうる自信があってこのような提言をしているのだろうか。また、教育委員会は、中教審の提言に従って、教員の採用試験では、将来このような教師になりうる人材を選ぶ責任があるわけだが、TVの画面で、不祥事について謝罪会見をする教育長や校長らを見ていると、中教審の三条件を体現する優れた教師などというのは、完全なpie in the skyであると判断できる。

 小沢一郎は、自民党の幹事長だった頃の政策集「日本改造計画」に、「主体性を持たせる教育」という一項を設けて教育改造計画を提案し、その中で新・教師聖職論と題して、「教師は親に継いで子供の成長に重大な影響を与える存在である。・・・教育は事務を執ったり、製品を開発するのとは全く性格が全く異なる。・・・教師が、真に教育者として子供の教育に当たるには、労働者意識を払拭する意味でも、労働3権は与えないようにしたい。その代わり、特別職の国家公務員として、身分保障を十分にすべきだ」と述べている。つまり、裁判官などと同じ身分保障をするというわけだ。労働の価値を見下してるような文言には、保守政治家の本音が表れているが、身分保障については検討に値するのではないか。教師の身分保障と公選制の教育委員会を組み合わせれば、良い制度が出来るのではないかと私は夢みる。

 私自身は、教師としての適性は、「誠実さ」があるかどうかだと考えている。同時に、それがなければ、外からどんな刺激を与えようと、一人前の教師になる事は出来ないだろうと思っている。わずか6年余りの教師生活の中でも、誠実な教師には数多く出会った。自らの仕事に誠実な教師は、当然自らの学力の向上に努めるだろうし、生徒達に誠実ならば、全力で子供達に向き合うだろう。また、上からの指示や命令が、子供達や、子供達と教師を中核とする教育を阻害すると自ら判断すれば、徹底的に反対するだろうし、そのために、組合をつくって団結することも当然だと私は考える。

 教師を扱ったNHKの朝ドラ「おひさま」や現在放映中の土曜ドラマ「島の先生」の主人公は、中教審型優等生とは違って、いろいろ欠点を持ちながらも、誠実な教師であり、映画の「24の瞳」や「北のカナリアたち」のヒロインもそういう教師達であった。金八先生のような例もあるが、私の感じでは誠実な教師像は女性のほうが優勢のようだ。このシリーズの冒頭に書いたように我が家では、夫婦とも大昔の教師であるが、今なお、年賀状をくれる60年前の生徒の数を見ると、女性優位は歴然としている。

 最後に、民間人校長制度について触れたい。私はこのような社会的に不公正な制度は直ちに廃止すべきだと思う。まず、この制度は教育という仕事と現場の教師の地道な努力を軽視している。教育界が閉鎖的であることは、教育委員会のところで述べたように事実だと思うから、民間の優れた人材を入れことに異議はない。しかし、教育に関心のある民間人は、一定の条件を満たした上、キチンと教師としての基礎教育を受け上で、一般の教師として採用するべきだろう。その人材が校長にふさわしいかどうかは、その後の仕事次第だ。また、大阪の事例などを見ると、首長が自分の意に沿う人物を校長に選び、教育を政治がコントロールしようという意図が明白であり、こんな近視眼的なことをしていると千載に悔いを残すことになりかねない。(M)