Archive for 5月 19th, 2016

小・中・高の学習指導要領の改訂が本年度中に行われ、4年後の東京オリンピック開催年に合わせ、2020年度から順次実施されることになっています。このことに関連して文科省は5月10日、新学習指導要領で学ぶべき知識の量を減らさないことを確認する文書を発表しました。また馳浩文科相は、同日の記者会見で、学校現場から学習内容が減るのではないかという懸念の声が上がっているとして、「ゆとり教育との決別を明確にしておきたい」と話したといいます。このような発表がなぜ今の時期に必要なのかは、「ゆとり教育」をめぐる議論が、文科省や教育関係者の間にいまだに続いている背景があります。まずその背景をざっと眺めてみましょう。そして文科省の今回の発表が、今後の学校教育の方向付けに大いに関係していることを多くの人々に知っていただきたいと思います。

「ゆとり教育」ということが大きな話題になったのは、1970年代後半になって戦後日本経済が急激に伸張した時期でした。国土の多くが焼土と化した敗戦のショックから立ち直って、国民はひたすら復興に励んだおかげで、1980年頃には世界を驚かせるような急速な経済成長を成し遂げました。その当時の労働人口はいわゆる「団塊の世代」と呼ばれる人々によって支えられており、子どもも大人に負けずに頑張りました。当時の学校は土曜日も授業を行っていたので、欧米先進国の学校にくらべて年間授業数も多く、よりよい生活を獲得するためには高校・大学への進学が必須であるとして、進学競争が年々激しさを増していました。そして一流企業に就職するには有名大学に入らなければならず。そのためには有名高校、有名中学、有名小学校に入ることが必要だと考えられました。いわゆる「受験戦争」の過熱化です。

1980年代に入って日本がバブル経済に突入するや、欧米諸国から日本人へのバッシングが始まりました。まず日本人は働き過ぎだという非難の声が上がりました。土曜、日曜を返上して会社のために働く日本人は異常だというのです。そういう非人間的な生活を強いられて安価な製品を世界中に売りまくり、黒字を拡大するのは許せないというのです。もっと労働時間を短縮して生活を楽しみ、残った時間とお金を消費に回すべきだ、子どもも土曜日は学校をお休みにして、親と旅行や買物を楽しむべきだというのでした。つまり資本主義経済は爛熟期に入って、先進諸国は新しい高度消費経済の時代に入っていたのです。「ゆとり教育」が話題になった背景にはそのような事情がありました。

「ゆとり教育」が教育現場で実施されるきっかけとなったのは、1978年/79年の学習指導要領改定でした。この改訂で、突如として(当時筆者は東京を離れていたのでそんな感じでした)中学校の週当たりの総授業時間がそれまでの34時間から30時間に減らされ、そのあおりを受けて、英語の授業が週3時間に減らされたのでした。これでは学ぶ生徒にとっても、教える英語の教師にとっても大変なことになるというので、いわゆる「中学校英語週3反対運動」が起こり、英語教師や英語教育専門家の有志たちが署名運動を展開し、代表団が国会陳情に行ったことを記憶している人もあるかと思います。この学習指導要領では、「ゆとり教育」とは単に授業時間を削減し、指導内容を軽減することだと考えていたようです。

このような「ゆとり教育」に拍車をかけたのが1980年代(1984~87)に立ち上げられた臨時教育審議会(臨教審)でした。臨教審はみずからを明治維新と戦後改革につぐ第三の改革と位置づけ、それまでの詰め込み主義の教育に代わって、「個性重視の原則」をこれからの教育の基本理念として掲げました。そしてこの臨教審の答申を受け、その後学習指導要領が2回(1989年度と1998年度)改定されました。それらがいわゆる「ゆとり教育」という革新的内容を含む指導要領と見なされているものです。最初の改定は「新学力観」、2回目は「ゆとりと生きる力」というキャッチフレーズで、それぞれの特徴が記憶されています。

ここで「ゆとり教育」が中学校の外国語(英語)にどのような形で現れたかを、週あたりの授業時数の変化で見てみましょう。比較のために「ゆとり教育」に入る前の1969年度から始め、「ゆとり教育」に入ってからの1977年度、1989年度、1998年度の学習指導要領総則に定められた中学校外国語の授業時数を順に並べます。なお後で述べる「脱ゆとり教育」のものと比較するために、現行の2008年度改定の授業時数も最後に加えます。(数字はそれぞれ中1、中2、中3の授業時間数です。)

<1969年度>4,3~4,4

<1977年度>3,3,3

<1989年度>3,3,3(いずれかの学年選択で+1)

<1998年度>3,3,3(選択で+1~2) *ここから中学校の外国語は必修になる

<2008年度>4,4,4

次に学習内容の変化を見るために、中学・高校における語彙制限の変化を見てみましょう。学習指導要領は指導すべき語彙や文法事項を細かく定めています。そして改定ごとに、その規定は少しずつ変化しています。そこで、その変化を数的に捉えることのできるものとして、中学・高校で指導する語彙数を並べて比較します。次の表は学習指導要領改定年度ごとの中学・高校での指導語彙数(指導すべき/または指導することのできる語数の上限)です。

<1969年度>中学1,100 高校3,600 合計4,700程度まで

<1977年度>中学1,050 高校1,900 合計2,950程度まで

<1989年度>中学1,000 高校2,900 合計2,900程度まで

<1998年度>中学 900   高校1,800 合計2,700程度まで

<2008年度>中学1,200   高校1,800 合計3,000程度 *ここで「まで」が消去されている

以上の数字の比較から、1977年度、1989年度、1998年度の3回の学習指導要領が「ゆとり教育」の理念の下に作成されたことがよく分かります。それが2008年度の改訂で「ゆとり教育」が見直され、いわゆる「脱ゆとり」の考え方に変化したことも見えてきます。そこで、1998年度の改訂で徹底的な「ゆとり教育」が展開することになったにもかかわらず、次の2008年度の改訂で「脱ゆとり」に転換することになったことについて、そこで何が起こったかを正確に知る必要があります。なぜ前世紀末の「ゆとり教育」が今世紀早々に見直されることになったのか。文科省は「脱ゆとり」という言葉を使って、次の改訂が再び「詰め込み」に戻るのではないと言っています。しかしそれは結局のところ「詰め込み」に戻ることになるのではないのか。「脱ゆとり」とはどういうことなのか。20世紀末の「ゆとり教育」を見直すとは、それが結局は失敗だった、あるいは行き過ぎだったということではないのか・・・ 次回にはそういう事柄について、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。(次回に続く)