Archive for 11月 29th, 2016

最近「人間力」という語を耳にすることが多くなりました。いつごろからこの語が広く使われるようになったのかは明らかでありませんが、そう遠い昔のことではなさそうです。百科事典『ウィキペキア』によると、これが最初に行政文書に現れたのは、2002年の小泉内閣の時代であったようです。当時の経済財政担当大臣に答申され、閣議決定された「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002」に中に、日本がこれからのグローバル経済に参入するための重要な戦略として「人間力戦略」という項目が挙げられていたのです(注1)。これが今日の教育界で「人間力」が頻繁に使われるきっかけになったと思われます。

去る10月22日(土)の午後、今年創立50周年を迎えた文教大学が、朝日新聞社との共済で記念シンポジウムを開催しました(会場は浜離宮朝日小ホール)。そのテーマは「未来の英語教師をどう育てるか」で、第1部が2人の講師によるプレゼンテーション、第2部が5人のパネリストによるディスカッションでした。筆者はかつて文教大学で教えていたこともあり、このシンポジウムに関心を持っていました。出席はできなかったのですが、幸いその模様が朝日新聞(10月30日版)に紙上採録され、その概要を知ることができました。そしてそこでも、これからの教師に求められる教師の資質として「人間力」が挙げられていました。それを見て、「人間力」という語について自分なりに考えてみました。

最初に、そのシンポジュウムで「人間力」がどんなコンテクストで使われたのかを見てみます。シンポジウムの後半に、司会の一色清氏(朝日新聞社教育コーディネーター)が「これからの英語教師は、どんな資質や能力が求められるのでしょうか」という問いをパネリストに投げかけています。それに答えて、パネリストの一人である小嶋英夫氏(文教大学教育学部教授)が次のように述べています。

教育改革の意義を理解し、自分の中で認識を深められる力が大事だと思います。また、コミュニケーション能力だけではなく、総合的な人間力が求められる時代になりました。新しい学力観を踏まえ、自律的に成長できる教師を育てるために、大学も総合的な改革が必要です。

この文言は新聞の紙上採録ですから、パネリストの発言そのものではなく、記録者または記事担当者による要約であると思われます。これらの文言は誰でもほぼ理解できるでしょうが、よく考えてみると分からないこともあるように思われます。特に「総合的な人間力」というのがどのような意味なのかが不明です。単に「教師として必要なもろもろの人間性」というような一般的な意味で使われているのか、あるいは、もっと厳密に定義される「人間力」なのかというようなことです。この語はどう定義したらよいのでしょうか。

そこで「人間力」の定義を考えることから始めます。本稿の最初に挙げた政府の「人間力戦略」に戻ります。前記の「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002」の答申を受けて、政府は直ちに「人間力戦略研究会」なるものを内閣府に設置しました。そして早くも翌2003年4月、『人間力戦略研究会報告書』なるものが作成され公表されました(注2)。その報告書の中の「Ⅱ.人間力の定義」を見てみます。報告書はここで、「人間力」について確立された定義は存在しないとしながらも、とりあえず「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」と定義しています。そしてその中身は、次の3つの構成要素から成るとしています。

1.知的能力的要素:主に学校教育を通じて修得される基礎的な知的能力で、「専門的な知識・ノウハウ」を持ち、自らそれを継続的に高めていく力。また、それらの上に応用力として構築される「論理的思考力」や「創造力」など。

2.社会・対人関係的要素:「コミュニケーションスキル」、「リーダーシップ」、「公共心」、「規範意識」、「他者を尊重し共に切磋琢磨しながらお互いを高め合う力」など。

3.自己制御的要素:上記2つの要素を十分に発揮するための「意欲」、「忍耐力」、「自分らしい生き方や成功を追及する力」など。

結局のところ、これらはこれからの社会に人間として生きていくために必要な一般的能力を述べたもので、「人間力」という概念を厳密に規定しようとしたものではありません。昔から、わが国では、「知・情・意のバランスの取れた人間」の育成が重要であると考えられてきました。上記の「人間力」の3つの構成要素も、私たち日本人に古くから馴染んできた知・情・意の3要素を現代的な用語で規定し直したものと考えることができます。つまり、ますます複雑化するこれからの世界に生きていく若者たちは、これらの能力をバランスよく発達させるように教育するのが望ましいということです。この観点からすると、先のシンポジュウムでの「これからの教師に求められる総合的な人間力」という発言も、結局のところ、「これから世界に羽ばたく若者たちに求める資質や能力を、教職に就く教師たちも先取りする形で身につけていくことが望ましい」ということだと解釈することができます。

さて「人間力」の定義については、これとは別の方向からアプローチすることもできます。朝日新聞が毎月1回発行しているGLOBEという日曜版があります。そこでは毎回“Breakthrough”というコラムで、何かの分野でいま注目を浴びている人物を一人ずつ取り上げて紹介しています。そしてその記事の最後に、それぞれの人物が自分のどんな「力」に自信があるのか、あらかじめ編集部が用意した自己評価シートに記入(8種類の「力」に5点満点で点数をつける)してもらい、その人の人間的特徴が一目で分かるように、8面体のダイアグラムにして示しています。その8種類の「力」とは次の8項目です。

①分析力・洞察力 ②集中力 ③体力 ④決断力 ⑤行動力 ⑥持続力・忍耐力 ⑦独創性・ひらめき ⑧協調性

この8項目の自己評価シートはなかなか良くできていると筆者は思います。しかし、これですべての個人の人間的な力が網羅されているとは言えないでしょう。価値が多様化している今日の世界では新しい価値の創造が活発になされますから、「人間力」の議論はますます混迷を極めることでしょう。まして政府が「人間力戦略」などという用語を使って、これを「技術力戦略」や「経営力戦略」などと並べて議論をするときには、十分に用心しなければなりません。なぜなら、それは純粋な意味での「人間力」ではなく、国家の経済的な利益や発展に寄与する人材の開発というような意図が反映された議論になるからです。それは結局、すべての子どもや若者に必要な学力を保障するという、本来の教育的な目的から外れてしまう危険があります。そもそも「人間力」というような個人の生き方にかかわる微妙な問題は、政府が真正面から取り上げて議論すべき事柄ではないのです。最近、新聞広告で「(年を取って)記憶力は落ちても人間力は成長する」というのを見ましたが、「人間力」というのは、このような曖昧なコンテクストで使うのが無難のようです。

(注1)「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002」は、2002年6月21日、経済財政諮問会議から当時の担当大臣であった竹中平蔵に答申され、4日後の同月25日に閣議決定された文書です。そしてその中に「6つの戦略」(1.人間力戦略、2.技術力戦略、3.経営力戦略、4.産業発掘戦略、5.地域力戦略、6.グローバル戦略)が挙げられ、その筆頭に「人間力戦略」が掲げられています。この答申を受けて内閣府に「人間力戦略研究会」が設けられました。

(注2)「人間力戦略研究会報告書」は、市川伸一氏(東京大学大学院教育学研究科教授)を座長とする「人間力戦略研究会」が2003年4月に発表したもので、そのフルタイトルは『人間力戦略研究会報告書:若者に夢を抱かせ、意欲を高める:~信頼と連携の社会システム~』となっています。ここで述べられている「人間力」の定義が、その後の行政におけるこの語の取り扱いの目安になったと考えられています。文科省においては、その後の政策計画書や審議会等の「答申」あるいは「報告」に、「人間力」の語がしばしば使われています。(以上1と2の注は「ウィキペディア」の提供する情報に基づく)

(注3)たとえば最新号(November 2016 No.187)の “Breakthrough”のコラムには、杉江理という人物(電動いすベンチャー「WHILL」CEO)の自己評価シートが掲載されています。それによると、杉江氏は「行動力」「体力」「持続力・忍耐力」の3項目に5をつけ、「決断力」と「独創性・ひらめき」に4を、「集中力」と「協調性」に3をつけています。なお、これら8つの「力」の順序は特に問題にされていません。