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< NHK-9 労働組合 >

Author: 松山 薫

NHK-9 労働組合の役割

 NHK在職25年あまりのおよそ半分の期間、私は組合活動に力を注いだ。
前に勤めていた小さな企業で「労働組合を持たない労働者は、本質的に奴隷と異ならない」ことを現実に味わったことが、直接のきっかけではあったが、もうひとつ遠因があった。それは人生の原点ともいうべき敗戦の体験である。命を的に国に尽しても、国が間違っていれば、人類社会に対する犯罪になるという事実を突きつけられたのだから、軍国少年であった私は、軍国主義から民主主義への180度の価値観の転換に自分なりの結論をださない限り、前へ進めなかった。教師の豹変で大人への不信に陥った私にとっては、自分の頭で考える他に道がなく、秋田の山奥で1年間暮らしてたどり着いたのは、「目の前のことだけでなく、大局を見る目を養わなくてはならない」という今から思えは当たり前の結論だったが、戦争中、徹底的に上意下達にならされた精神構造の転換は容易ではなかったのである。しかし、時間をかけて自分で出した結論は、その後の人生を決定づけることになった。

 NHKに入って数年、家庭を持ち、仕事にも慣れてそれなりに安穏な生活を送れるようになったが、同時に、入局第一日に感じた“暗い予感”がNHKと政治権力との距離にかかわるものであることもはっきりわかってきて、このまま現状を認めて安逸をむさぼっていてよいのかという思いが強くなって行った。不公正な入局者は、ずっと続いていたのである。しかし、個人で立ち向かえば、教師を辞めた時と同じ状況になる。私は労働組合に期待をかけた。 
 
 話は変るが、90年代の終わりに、バブル後の損失隠しがバレて山一證券が破綻した時、社長が記者会見で大泣きしたことがある。彼は泣きながら「社員は悪くない。悪いのは私です。」と叫んだ。しかし本当にそうだろうか。社員達も、4大証券の一角としての会社にぶら下がり、物質的に豊かな生活を送るために、無関心、無批判を通じて反社会的な経営のあり方に手をかしていたのではないか。労働組合には労働協約による経営協議という場で経営の実態を質し、反社会的な行為を阻む権利と責任がある。それをやらないのでは組合も経営と同罪だ。オリンパスの巨額損失隠しや東電の原発事故に際してとった労働組合の態度も同断であり、自分さえよければよいという日本の大企業労組に共通の傾向だといえる。
 
 ひるがえって、NHK労組の責任を考えると、NHKがジャーナリズムの一環であるならば、権力の監視、真実の報道はNHKの責務であり、NHK労組にとっても、それは、労働条件の改善と並んで最も重要な役割であると私は考えたのである。(M)