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英語学習と「訳」(5)

Author: 土屋澄男

前回に述べた「等位型バイリンガリズム」と「複合型バイリンガリズム」の区別は、現在のところまだ仮説の段階にあります。理論上はそのように区別できるはずだということです。しかし実際にはその二つを判然と区別することは難しい。その理由は、一つには個人の言語習得環境がさまざまで、特定の個人がどちらの型に属するかを判定することが難しいということがあります。家庭の中で2つ以上の言語が使われる場合、家庭の中と外で異なる言語が使われる場合、何歳のときにL2の習得を始めたかなど、さまざまなケースが想定されます。

 また「バイリンガル」(二言語併用者)の定義も曖昧です。それはもともと「二つの言語を母語話者と同程度に使用できる人」を含意していますが、実際にはそういう人は非常にまれで、「二つめの言語は初歩程度でも使えればよい」とする研究者もあります。ここではひとまず中間をとって、「コミュニケ—ションの手段として、母語のほかに不自由なく使用できるもう一つの言語を習得している人」ということにします。「不自由なく使用できる」というのは曖昧ですが、「バイリンガル」という用語には言語に関する個人の能力が関係しており、能力をどう定義するかも問題になるので、曖昧さを完全に排除することは不可能です。それがバイリンガリズム研究の面白さであり、また難しさでもあります。

 他方では、この仮説を脳科学の観点から実験的に証明しようとする努力もなされています。このことに関連して興味ある実験があります。その一部はガイ・クックの本にもふれていますが、言語処理に関してバイリンガルとモノリンガルとの間で脳の働きにどのような違いがあるかを調査したものです(Bialystok et al. 2009)。その研究によれば、バイリンガルとモノリンガルの二つの集団の間には、言語処理を行う際に活性化される脳の部位(特に前頭葉)に大きな違いがあり、バイリンガルがL2を話すときには、脳の活動中にモノリンガルには見られない血流と酸素量の増加が見られるといいます。さらに興味あることに、バイリンガルの言語処理においてはあらゆる場合に(一つの言語しか用いていないような場合にも)二つの言語システムを処理しているのと同じ処理機能が働いているというのです。そして処理が複雑になるぶん、処理内容によっては時間がかかることもあるといいます。ビアリストックはこれらの実験から、バイリンガルは二つの言語システムを同時的に処理していくのに必要なさまざまな認知制御を発達させていると結論づけています。ここから私たちは、バイリンガルは二つの言語システムを同時に活性化し、どんな場合にも複合的ないし統合的に言語処理を行っていると解釈することができます。脳における言語の処理は、私たちが普通に想像する以上に複雑なようです。

 話が少し専門的で難しくなってきましたので、ここで西山千(2007年没)という著名な同時通訳者に登場してもらいましょう。彼はアポロ月面着陸の宇宙中継同時通訳者として有名になりましたが、それ以前には駐日大使ライシャワーさん(Edwin Reischauer; 在任1961-66)の通訳をしていました。この人の同時通訳は見事で、ライシャワーさんも西山さん以外の通訳は信用しないと言っていました。その西山さんの話を一度聞いたことがあります。彼は生まれてから米国に住む両親と暮らしていて、日本語を母語として習得しました。しかし学校ではもっぱら英語を使い、大学では電気工学を専攻しました。それで日本に来たときは英語のほうが得意だったそうです。後にライシャワーさんの通訳をするようになって、日本語を英語のレベルに引き上げるように努力したといいます。また同時通訳には特殊な知識と技術が要求されるので、その勉強も必要でした。ところが面白いことに、しばらく日本に住む間に、こんどは日本語のほうが英語より上達した感じになったといいます。これらはいずれもバイリンガリズム研究の見地から興味ある話でした。

 西山千さんは英語と日本語の言語システムをほぼ同程度に、しかも相当に高いレベルまで習得に成功した人です。日本人としては稀なケースですが、だから例外とは言えないでしょう。彼の話はバイリンガルにおけるL1とL2との関係について、いくつかの重要な事柄を示唆しているように思われます。第1にバイリンガルの言語能力は固定的ではなく、その置かれる環境によって変化すること。第2に「等位型」と「複合型」に関して、比較的に単純な「等位型」は習得の過程ではあり得るのかもしれないが、習熟した段階では二つの言語は複雑に絡み合っているらしいこと。第3に熟練した「通訳」または「翻訳」という仕事は、学習の手段としての「訳」とは違って、かなり意識的に努力して学ばなければならない専門技能であること、つまり無意識的に自然に獲得できる技能ではないということです。(To be continued.)