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NHK-11 公共放送と政治

 世界の放送局には、政府(政権と行政機関)が税金で運営する国営放送、企業の広告が収入源の商業放送、受信料などで成り立つ公共放送などがあるが、公共放送の中には、広告をとっているところや、政府の交付金を受けているところもあり、受信料が収入のほとんどを占めるという点ではBBCとNHKが際立っている。

 NHKはいろいろな面でBBCを範としてきた。NHK幹部の中には”もはやBBCに学ぶところはない”と豪語する者もいたが、技術的にはともかく、公共放送としてのあり方という基本的な点においては大きな差があることを、私は感ぜざるをえなかった。フォークランド島をめぐるアルゼンチンとの武力衝突の際、BBCは自国の軍隊を「our forces わが軍」ではなく「British Forces イギリス軍」と呼んで、鉄の女サッチャー首相を激怒させたが、ひるまなかった。一方、NHKは、田中角栄を逮捕後呼び捨てにして自民党から抗議を受け、逮捕後は呼び捨てという長年の呼称を直ちに田中容疑者、田中元総理と改めた。私は部会で説明を求めたが報道部長は下を向いて答えなかった。

 NHKと政治との関係を象徴する人物が、いずれも政治部記者から会長になった島桂次と海老沢勝二だったことは暗示的だ。

 島は、ひよわな感じの小柄な人物で、いつもゴム草履を履いてぺたぺたと局内を歩いていた。 島とは話をしたことはないが、午前と午後の2回開かれるその日のニュースの打ち合わせ会で、いつも顔を合せていたので。廊下で行きかえば声を掛け合う程度の面識はあった。当時政経部デスクたった島がこんな発言をしたことを憶えている。

 政府主催の戦没者慰霊式典が初めて日本武道館で行われた時のことだったと思うが、歯に衣を着せぬ名物アナとして知られたSアナウンサーが、参列した遺族に「あなたの息子(御主人)は、犬死だったと思ったことはありませんか」という趣旨の質問をしたらしい。翌日のニュース打ち合わせ会で島は「あんなことをされたんでは、自民党の取材がやりにくくなって仕方ない。来年は代えてくれ」と強い口調で迫った。アナウンス室の担当者は何も答えなかったが、翌年中継アナは、無難なKアナウンサーに代わっていた。

 島は自民党派閥の宏池会(大平派)に食い込み、政治記者というよりはいわゆる”業者“として人脈を広げ、その力を背景にNHKの人事権と編集権を盾に、上田”退治“と日放労つぶしに辣腕を振るった。私がNHKを退職する直前ことだが、ロッキード事件の5周年にあたって、報道局各部が当時のNC9という夜のニュースの中で放映を計画した特別番組から、政治部が担当した三木元首相のインタビュー部分が、島報道局長の業務命令で削られるという事件がおきた。これに最も強く反対したのが社会部長初め社会部の記者達だった。

 この事件の後の人事異動で、多くの社会部や政治部の記者が”飛ばされた“。私が放送系列の執行部で2年間一緒に頑張った社会部の記者も北海道へ”飛ばされ “、その後も地方局をたらいまわしされて、結局NHKを去った。彼の年賀状には無念の思いがにじみ出ていた。

 しかし、島もまた権力に溺れ、NHKの将来ビジョンについて大風呂敷を広げた挙句、その一環である放送衛星の打ち上げをめぐる国会での虚偽の発言と、スキャンダルで辞任に追い込まれた。

 海老沢勝二は、NHK会長をめぐる島との権力闘争に敗れ、一旦は外郭団体へ追いやられたが、島の失脚にともない次の次の会長になった。海老沢とは、入局3年目の記者研修が一緒だった。当時、大分放送局の記者だった彼が研修に持参した原稿は、新産業都市に選ばれた大分の現状報告だったが、講師の報道局次長から、「いいこと尽くめなのか」と突っ込まれていた。3人一組のカメラ取材の研修でも一緒になったが、私と共同通信から来た記者が若干年上だったこともあって、大柄な彼は、かなり重たいベルハウエルの16ミリカメラを一日中1人で持ってくれた。研修では、なにかひとつ視聴者にアピールする絵を撮って来いという課題をもらい、私は修理中の後楽園球場のスタンドを撮ったが、彼は、隣の後楽園遊園地のジェット・コースターに乗って動く絵を撮りたいという。二人で危ないからやめろと止めたが聞かなかった。一本気で、向こう見ずなところのある男だなという印象が残った。

 海老沢は、茨城県の出身で、田中角栄の懐刀であった県選出の代議士橋本登美三郎(自民党幹事長・官房長官)がNHK内に作った「青雲西湖会」のメンバーだった。東京に上がってからは政治部記者として、経世会(竹下派)を中心に政界に食い込み、これを背景にNHKの人事権を握って独裁体制を敷いたといわれる。私はすでにNHKを辞めていたから、当時の局内の様子は直接的には知らないが、次回に取りあげる慰安婦番組の改変は海老沢が会長の時に起きた。

 マスメディアが圧力に負けて、権力への監視を怠ればどういうことが起きるか。軍部におもねり日本を敗戦に導く手助けをした戦前・戦中の新聞やラジオ、第二の敗戦といわれる原発事故を招いた原子力ムラへの監視を怠たり、原発反対の少数意見をネグって、原子力の持つ危険性を十分に国民に伝えなかった新聞やTV、特に国民的基盤に立たなければならない公共放送NHKの責任は重い。(M)