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(104) 英語との付き合いー30

準備活動

  英対話学習システム計画を具体化するのに先立ち、私はいくつかの準備行動を起こした。

① 最新の英語教育や学習法について知るため、およそ50冊の関係書を速読した。これらのうち、心に残ったのは、次の2冊であった。

一冊は、アメリカの心理学者カレブ・ガテーニョ博士の外国語学習法“Silent Way “の翻訳書だった。誰が「沈黙する方法」なのかといえば、教師である。教師は生徒が自分で気づくのをサポートするのが本来の役割だというこの方法論は、私達が新人の英文ニュース記者としてたどった道筋に、通底するものがあったから強い印象を受けた。私たちにとって幸運だったのは、高等師範学校の同期生で文教大学教授だった土屋澄男氏(このブログで英語学習法を執筆している)が、日本におけるガテーニョ研究の先駆者のひとりだったことである。土屋氏にはその後、我々の出版社からガテーニョ博士の「子どもの『学びパワー』を掘り起こせ」の翻訳書を出してもらった他、私の次の代表者に決まっていた高橋義雄氏を文教大学湘南キャンパスの講師に推薦していただき、さらに、私を文教大学や語学研究所の講演会の講師によんでもらった。特に有難かったのは、私達の英対話学習法の構想を、大修館の「英語教育」誌に連載する仲介の労をとってもらったことである。私はこの連載の中で、学問的な裏づけのない私たちの考えが、どこかに大きな欠陥を持っていたら是非教えて欲しいと思い、英語教師や教授法・学習法の専門家の批判を期待した。反響はなかったが、私としてはとにかく権威ある専門誌で多くの人達の目にさらされたことで、おおいに安心したのである。

 もう一冊は、鎌倉在住の作家富岡多恵子さんの“英会話私情”であった。富岡さんは私より少し年下だが同じ戦争末期世代であり、戦後のアメリカかぶれを批判した著書の内容には大変共感するところが多かった。内容は、大阪女子大英文科出身の富岡さんが、敗戦後、英会話なるものを習得すべく努力してみた結果、英会話学校とは一種のお稽古ごとを習うところだと悟り、特に、プールや芝生の庭があるアメリカの家庭の少年少女の生活を扱った教材には、あまりの現実離れに憤慨して、この国には、私の望む英語の会話を教える学校はないと結論づけている。私は、遠くない鎌倉の空を見ながら、「富岡さん。貴女が望むような学校をオレが作って見せるよ」と心に誓った。

② 最近の英語学習法について一応勉強した後、この国の英語教育の現状を知るため、高等師範学校の同期生で、文部省の主任教科書調査官をしていた小笠原林樹氏を訪ねた。鰻の寝床のような部屋で調査官達が英語教科書の検定をしており、一番奥のところにある自分の席で、彼は教科書や学校での英語の公教育について、いろいろ説明をしてくれた。具体的な内容については言及を避けるが、現状には批判的な部分があり、私には周りの調査官たちも同じ意見なのではないかと感じられた。私は自分がやろうとしていることの概要を説明して辞去したが、彼は玄関まで見送ってくれ「オイ頑張れよ」と激励してくれた。

③ 出版社詣でと著作権法の学習

   5冊の教本類は、最終的には自費出版することも覚悟していたが、まずは“Go for broke !”ということで、研究社を初め英語関係の出版社へ売り込みをはかった。しかし、当然ながら、無名の著者の聞いたことのないような内容の本の出版を引き受けてくれるところはなかなかみつからなかった。それを知った英語デスクの石川啓一氏が、自分が翻訳書を出した新宿の同文書院という中堅の出版社を紹介してくれた。ダメモトのつもりで、
  担当編集者の柴田誠氏に会ってみると、彼は石川氏の人柄と英語力にほれ込んでおり、石川さんの推薦ならと、とにかく一冊だけ出版を引き受けてくれることになった。
   
 出版するとなると出版契約が必要になるので、著作権法の解説書を数冊買い込んで勉強した。著作権法というのはかなり難解な法律で、しかも、著者より出版する側に有利に出来ており、条文の関連性や整合性を何とか理解するのに数ヶ月かかった。しかし、このときの勉強がその後、いろいろな場面− 例えはデジタル化の際の著作権の考え方など— で生きてきたから、今から思うと不可欠な学習だった。

④ 実証実験の場の確保

   私は初め、自分たちの用語集や教本を使って3年間実証実験を行ない、修正すべきところは修正し、出版を中核として、英対話学習法を全国展開していくつもりだった。そこで、私の住む茅ヶ崎市で市民運動をしていたNHKの同僚の重岡健司氏に相談したところ、自分達のやっている「茅ヶ崎自由大學」という学習グループの英語部門としてやってみてはどうかという誘いを受けた。渡りに船と誘いに乗り、次の会員募集時に便乗して、英語学習グループを発足させた。1981年4月のことである。 時を同じくして、茅ケ崎海岸では、松下政経塾が実質的に開講し、大阪の小さなしもた屋の2階で、英会話学校NOVAが誕生した。(M)