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これまで見てきたように、英文を読んでその意味を理解するプロセスと、理解した意味を自然な日本語に表現するプロセスとはまったく違うものです。もちろん、後者は前者を前提としているのですから、両者には深い関係があります。しかし理解と表現の両プロセスは、いわば方向が逆ですから、まったく違うと言ってよいでしょう。では、それぞれのプロセスはどのようなもので、それらはどのような点で違うのかをもう少し詳しく見てみましょう。なお、以下に述べることは行方氏の『英語の読み方』(岩波新書)を参考にしていますが、出来上がったものは行方氏のものとは違うものですので、ここに書かれているものの責任は私にあります。

 まず意味の理解のプロセスから始めます。英文を読むときに私たちが最初にしようとすることは、普通には、文章全体の意味をとることです。この場合には必ずしも日本語に訳す必要はありません。辞書もキーワード以外は引きません。文章のだいたいの意味が取れればよろしい。ここで「文章」というのは「バラグラフ」(paragraph)に置き換えてもよいでしょう。なぜなら、特に英文の場合には、パラグラフがひとかたまりの意味を表す単位とされているからです。1つのセンテンスが1つのパラグラフの働きをすることもありますが、それはむしろ例外であって、1つのパラグラフはたいてい数個あるいはそれ以上のセンテンスから成ります。たとえば、英語学習の初期には ‘I am a boy.’ のようなセンテンスが出てきますが、これはそれだけで1つのまとまった意味を表すとは言えません。私たちはこういうセンテンスをいきなり発することはありません。「きみは男の子らしくないね」などとからかわれて、「そんなことない、僕は男だ!」と言い返すなど、何かの状況、つまりコンテクストがあって、はじめてこのセンテンスは意味を持ちます。そして当然のことながら、パラグラフはさらに大きな単位(章など)の他のパラグラフと意味的に関連しています。

 文章のだいたいの意味が理解できたならば、知らない単語やよく理解できない語句を辞書で確かめます。著者がその文章を書いたときに感じていた気分や、その文章で伝えたいと思っていた意図をくみ取るには、読者は1つひとつの語句について詳しく知ることが重要です。アドリブで話される言葉と違って、書かれた文章はたいてい推敲されています。ですから書かれているほとんどすべての語句は推敲される時点で著者の意識に上って吟味されます。すると読者がいま理解しようとしている文章の内容を著者と共有するためには(深く読むとはそういうこと)、著者が選んだ語や表現について深く知ることが必要です。そして時には、なぜここにこのような語句が選択されているのかを考える必要があります。前回の例で述べたように、オリンピック施設の紹介をしている記者が、なぜここに ‘the water-polo arena’ を選択したのだろうかと考えてみると、その文章の前後のコンテクストからその理由を発見することができます。また、 ‘to defy the law of gravity’ という表現から、ニュートンの「万有引力の法則」を連想し、著者がその語句に込めたであろう感情を共有することができるわけです。行方氏の勧める「1語1語を徹底的に研究し正確に読むこと」というのは、そういうことだと私は理解しています。このプロセスでは英和辞書や英々辞書を参照する必要がありますから、当然のことながら、日本語訳は(きちんとした日本語訳でなくてよいが)文章の深い内容理解のために、つまり内容理解の思考の手段として、必須の道具になります。

 文章を読んで理解するための次のプロセスとして、論理的なつながりに注意して読むということがあります。あるセンテンスは、そのセンテンスの前後のセンテンスと密接に関連しています。先に述べたように、1つのセンテンスがコンテクストと切り離されて突如として現れることはありません。 ‘I am a boy.’ というセンテンスが前後のコンテクストと無関係に現れたら読者は戸惑い、著者はここで発狂したと思うでしょう。そういうわけで、多くのセンテンスは接続詞やそれに代わる副詞などを使って論理が一貫するように書かれていますが、名文と言われるような文章はむしろそういう接続詞や副詞をなるべく使わずに、センテンスが自然につながるように工夫されていることが多いと思います。私はけっして名文家ではありませんが、文章を書くときにいちばん苦心するのはその点です。とにかく、なんらかの方法でセンテンスが論理的につながるように工夫することは、文章を書く人が必ず経験する意識的プロセスだと言ってよいでしょう。ですから書き手の意識的プロセスを共有するためには、読者もそれを追体験する必要があるわけです。そこまでくれば「行間を読む」という、最後のもっとも難しいプロセスに入ります。これがどういうプロセスなのかを次に考えます。(To be continued.)