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(112)英語との付き合いー38

<15周年記念と引退>

 茅ヶ崎方式英語会の設立に当って立てた10年計画をなんとか実現できたのは、結局茅ケ崎自由大學の英語クラスを始めてから15年目の1996年のことだった。この年の9月に記念講演会の開催と記念文集の発行を実施することにしたが、講演会は台風の襲来で開催不能になり、講演の内容をパンフレットにして配布した(講演内容は茅ヶ崎方式英語会公式HPに掲載)。また、記念文集は、多くの会員の皆さんから投稿をいただき、自前の出版社である茅ケ崎出版が作成し、関係者に配布することができた。私はすでに67歳になっていたので、運営からは完全に引退し、余生を教本類の完成にかけることになった。

1.自前の教室と事務所の確保
会員が増え、自前の教室なしにはやっていけなくなったので、残りの資金のうち300万円を投じて、市役所の筋向いの国道一号線沿いに新築された3階建てのビルに二つの教室と事務所を確保した。この教室と事務所は今も中心的な協力校である茅ヶ崎校として使用されている。

2.自前の出版社の設立
15周年を迎える2年前、石川啓一氏の遺族から、石川家が九段下に新築した10階建ての貸しビルの2室を1年間無料で提供するという涙の出るような有難い申し出があった。このうちの1室を出版社にすることとし、代表には長年世話になった同文書院の柴田誠氏を引き抜いた。柴田さんとしては家族を抱え、清水の舞台から飛び降りるような決断だったろう。以後、茅ヶ崎方式英語会の教本類は、心置きなくここから出版できるようになったし、季刊教本は月刊誌に発展した。また、茅ヶ崎方式の基盤になったガテーニョ博士の”Silent Way”の解説書を土屋澄男さんが翻訳した「子供の“学びパワー”を掘り起こせ」や、戦後のNHK国際局の英語アナウンサーの草分けである水庭進さんの「英語街道を行く」なども出版できた。

3.週刊教材作成・頒布会社の設立と協力校の全国展開 
もう1室は、九段教室を開くことになり、毎日スイミングスクールのスタッフで、綱島分校の会員であった森由美子さんと平井朋子さんを責任者として引き抜いた。毎日スイミングの岡田代表には「オレのところの看板娘をふたりもかどわかすとは」と冗談めかして文句を言われた。その後お2人には、茅ケ崎方式英語会の週刊教材の作成とそれを使う協力校の展開の仕事をお願いした。2人の献身的な努力で協力校は北海道から沖縄まで180校に広がった。料金は1クラス4週間分1万円、コピーは自由なので、30人のクラスだと、一人当たり1回分は、100円程度になり、安い教材を提供するという目的は達せられたと思う。

この二つの事業はいまならNGOがよいと思うが、当時NGOは存在しなかったので、有限会社とし、最低資本金300万円のうち各200万円を出資、残りは有志にだしてもらった。これで当初資金は残り100万円となった。

4.月会費3000円、入会金なしの約束は、私が代表を務めた10年間は完全実施した。茅ヶ崎校の会員数は、鎌倉分校をあわせて400人に近づいていたので、なんとか収支を均衡させることが出来た。

経済的にめどがついた10年目に予定通り高橋義雄氏に代表を引き継いだ。高橋氏は、NHKを早期退職し、私の初志貫徹に協力してくれた。これで、私は心置きなく、茅ヶ崎方式英語学習法の教本・教材システムの完成など残された課題に取り組めるようになった。 (M)