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高校の英語授業の多くは、テキストの内容が理解できたらそれで終わりとなるようです。指名された生徒が訳をし、先生がコメントして模範訳を示し、文構造や文法規則を説明します。数行のパラグラフの訳と解説に相当の時間がかかります。授業時間の大半がテキストの理解に費やしますので、他の活動をする時間はほとんどありません。音読を重視する先生は残りの時間で音読練習をしますが、たいてい二回か三回音読したところで終業チャイムが鳴ります。時間のないときには音読は家庭学習に回されます。復習として生徒のする仕事は、音読を二三回してそのテキストに出てきた単語といくつかの表現を記憶し、試験に備えることです。こういう学習を高校3年間やってどれだけ英語力がつくかは多くの人が経験ずみです。進学する生徒の多くは学校の勉強だけでは足りないと感じ、志望校突破のために予備校に通うことになります。

 テキストの理解は大切です。しかしそれだけで終わっては、言葉は使えるようにはなりません。テキストの理解は英語学習の第一段階に過ぎないのです。次には理解した言葉を実際に使えるように練習する必要があります。日常的に英語を使用する環境にない日本の高校生が、英語を生きた言葉として使うことができるようになるには、インプットと同時に大量のアウトプット(産出)の経験を必要とします。このことは以前から言われてきたことですが、高校の英語教育ではまだ徹底されていないようです。教師が模範訳をしてその訳をノートに書き取らせるというような授業が以前はよくありました。そのような指導をする教師が21世紀の今日まだ存在すると聞いて、筆者は驚いています。そして定期考査の和訳問題にそのセンテンスがそのまま出て、教師の模範訳の通りに書いたら満点をもらえるというのです。それって冗談でしょう?と思わずにはいられません。和訳をノートに書き写す時間があったら、その英文を口頭で言えるようにして、それをソラで正しく書けるようにするようにしてはどうでしょうか。生徒にはそのほうがずっと良いアウトプット練習になり、実際の言語使用経験に近づく活動になるはずです。

 教室での授業は実際のコミュニケーション場面にはなりにくく、いろいろと制限がありますが、それでも工夫をすればいろいろなアウトプット活動が可能です。以下に比較的に簡単にできるアウトプット活動をいくつか挙げてみます。これらは多くの英語クラスで行われているものですが、やり方が悪いと何の効果も得られませんので指導には注意が必要です。

 まず音読があります。音読はたいていのクラスで行われていると思いますが、往々にしてマンネリ化します。つまり授業の最後に行う儀式のようになってしまって、教師も生徒も何のためにやっているのかを忘れてしまうということです。まず教師が ‘Read after me.’ と言い、生徒が教師のあとについて口を動かします。テキストの意味はもう分かっている(と生徒は思っている)ので、頭の中はほとんど空っぽで、ただ音だけに集中します。これを二度、三度と繰り返すうちに頭の中はますます空になり、口先だけの機械的な作業になります。その証拠に、そのあとで幾人かの生徒を指名して読ませてみると、信じられないほど下手な読み方をする者がいて驚かされます。なぜそうなるのでしょうか。理由はいくつかありますが、いちばん大きな理由は、モデルのあとについて読むのとモデルなしで読むのとでは、大きな違いがあるからです。モデルについて読む場合には、教師の発したモデルの音声がそれぞれの生徒のワーキング・メモリー(短期記憶)の中に留まっているので、そのモデルに似た音を再生するのは容易です。これにつまずく生徒はほとんどいないと思われます。しかしモデルが与えられないと、テキストの文字だけを見てその音を自分で再生するのは非常に難しい作業になります。なぜなら、生徒は文字を音に変換するために、自分の記憶貯蔵庫を検索して正しい音を捜し出し、それをワーキング・メモリーの中に引き出してこなければならないからです。一度や二度モデルについて言ってみたくらいで出来るようになるものではないのです。

 そういうわけで音読という活動は、授業の最後に二回か三回モデルについて声を出せばすぐ身につく、というようなものではありません。高校の英語の先生方には、音読のこういう基本的な心理学的プロセスを理解していない方が多いように思います。音読は理解したテキストを音声言語に変換して、それを基にさまざまなアウトプット活動に発展させる可能性を持った非常に重要な活動です。すべての生徒に対してそれぞれ自分なりの音読ができるように励まし援助してあげること——これは英語教師の最も重要な任務の一つであることは間違いのないところです。 (To be continued.)