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テキスト理解のあとで行なう教室での音読は、時間の制約から、二三回で終わってしまうことが多いと思われます。教師がそのテキストを理解のための教材と考えている場合には、それで済ませてよいでしょう。教科書に出てくるすべてのテキストをアウトプットにまで発展させる必要はないからです。それは指導すべき教材の量と時間数からみて不可能であり、現実的ではありません。しかし、このテキストはぜひ暗唱させてアウトプットまで発展させたいと教師が判断した場合には、そこで終わるのではなく、その後の授業でさまざまな活動に発展させる必要があります。

 新学習指導要領の実施によって、来年度(2013年4月)から、高校英語の中心科目は「コミュニケーション英語Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」となります。それらの科目で使用される教科書がどのようなものになるのかを筆者は承知していませんが、おそらく、それらの多くはただ読むためのテキストが羅列してあるのではなく、さまざまな言語活動ができるように工夫がなされているでしょう。だからといって、教科書の記述にしたがって表面的になぞっていく授業では、生き生きとした活動にはなりません。ただテキストの訳読をし、与えられたEXERCISESを機械的にこなしていく、というような怠惰なやり方では、生徒の精神は高揚しませんし、そこに現れるいかなる言語表現も自分のものにはなりません。生徒が常に精神を高揚させ、当面の課題にチャレンジしていく姿勢を保つようにするためには、授業を担当する教師がこの課は理解のための活動を中心とし、次の課はアウトプットにまで発展させるということを予め決めて、その指導を周到に準備しておくことが重要です。

 教科書のどの課をリーディング教材とし、どれをアウトプットにまで発展させるかを決めるのは、学年を一人の教師が担当する場合には比較的に容易ですが、複数の教師で担当する場合にはたいへん難しくなります。しかしこのことは指導の根幹にかかわることですから、担当教師の間で必ず話し合って決めておかなければなりません。これを怠ると、教師間に軋轢を生むだけではなく、生徒がたいへん迷惑します。自分のクラスと隣のクラスが同じ教科書で学んでいるのに、違う先生が教えると扱い方がまったく異なるというのは好ましいことではありません。定期考査のときにはそのことが不公平を生み出すことになりますし、生徒の長期的な学力養成にも問題が生じるでしょう。

 そこで、アウトプット用と見なされた教材について、音読を起点として生徒の表現力や発表能力をどのように発展させるかについて考えてみましょう。まず音読は、自分なりに何とか読めればよいというものではありません。それは他の人に聞いてもらって充分に伝わる読み方でなくてはなりません。後者の読み方は音読というよりも「朗読」です。それはただ声を出して読むだけではなく、他の人が聞いて理解できるように、「声高く読み上げること」(広辞苑)です。それを聞いている人が音をしっかりと聞き分けられ、テキストの内容がよく理解できるものでなくてはなりません。時にはそれは聞く人に感動を与えます。ですから、朗読はそれ自体がりっぱなパフォーマンスと言えます。授業中に、先生がそういう朗読のモデルを実際に示すことができれば最高です。それによって生徒が感動し、自分もあのように読めるようになりたいという気持ちにさせることができれば、それは優れた動機づけになるでしょう。このことは、筆者自身の中学時代の学習経験から、確信を持って言えることです。

 アウトプットできるまで発展させたいテキストについては、通常の音読練習だけで済ませるのではなく、ぜひ朗読にまでもっていきたいものです。たとえば、次の授業の初めに朗読の時間を設け、数人の生徒にクラスの前に出てパフォーマンスをしてもらってはどうでしょうか。高校はだいたい1クラス40人ですから、一時に5人を割り当てるとして、クラス全員に回るのに8回の授業が必要になりますが、こういう経験は生徒にとって非常に貴重なものです。そのような機会が年間に数回あるのとないのとでは、個々の生徒が英語を口にする量はまったく違ったものになるでしょう。

 なお音読や朗読の具体的な指導法については、ここでは省略させていただきます。それは詳述すると大部なものになりますし、幸いにそれについて書かれた専門書がいくつかあります。ちなみに筆者も一冊書いています。土屋澄男著『英語コミュニケーションの基礎を作る音読指導』(研究社2004)がそれです。また最近、鈴木寿一・門田修平編著『英語音読指導ハンドブック』(大修館書店2012)というのが出ました。(To be continued.)