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「やっぱり」の多用について感じたこと
(1)今回の総選挙の立候補予定者や、コメンテーターの議論を聞いていて気になるのは、「やっぱり」の使用が多いことです。中には、「それは、やっぱり違うんではないですか、やっぱり」のように口ぐせになっている人もいます。「やはり」は「矢張り」とも書きますが、これは当て字のようです。口語的には、「やっぱし」とか「やっぱ」などとも言います。本来は、「予想通り」とか、「結局は」といった意味を持っているのですから、やたらと連発すべき表現ではありません。

(2)誰にでも“口ぐせ”はあるものですが、時には反省して、無意味な表現の繰り返しは避けるように努力すべきでしょう。他には、「以上私が話したことが、今の現状の実情ですよ」のように、同義語を繰り返す“口ぐせ”もあります。日本人は学校教育では、“話し方”の訓練を受けないのが普通なので、的確な話し方が出来ない人がほとんどです。大学の弁論部なども、大言壮語の演説の練習などをしていて、“中味のある議論”の練習になっていない場合が多いのではないでしょうか。

(3)政治家やコメンテーターの中には、発音などは日本語的な英語を使う人が結構多いのです。例えば、「コンプライアンス(compliance)をもっと徹底すべきだ」とか、「オプション(option)が多いことは良いことではないか」のように。話し言葉では、“法令順守”では堅くて分かりにくいですが、「法律で決められていることに反しないようにしたい」とか、「オプション」についても、「選べるものが多いことは良いことではないか」のように言い換えれば分かりやすくなるはずです。単なる見栄で英語を多用するのは止めてもらいたいですし、「カタカナ語」も限度をわきまえて使うべきだと思います。

原子力発電についての議論で思うこと
(1)原発については、「容認か否定か」といった議論をしていますが、作ってしまった原発は、存続させても中止にしても本当にやっかいな存在であることをもっと明確にしてもらいたいと思います。かなり前にチェルノブイリ原発事故(1986)の状況を報告するテレビ番組を見たことがありますが、実に悲惨なものだという印象が私には残っています。現在は観光客が訪れるほど復興しているようですが、広島、長崎で分かるように、復興したからといって単純には喜べない大きな悲劇がその陰にあったことに思いを到らすべきです。

(2)今日(2012/11/25)は、NHK が東日本大震災の原発事故で、全村立ち退きとなった福島県の飯館村(いいだてむら)の問題を特別番組(70分)で放映しました。NHKでは1990年に偶然この村を取材していて、農家の主婦たち十数人が、ドイツやスイスを初めて訪れて酪農などを学んだ様子を記録していたのです。この村は、そのビデオを見ながら、村民の現状と将来を考えるシンポジウムを行なったのでした。飯館村は、主婦たちの貴重な経験を生かして新しい農村へと変わるように頑張っていたまさにその時に、放射能の被災地になってしまったのです。

(3)政党が「原発反対」を旗印に選挙戦をするのは止むを得ないとしても、事故が無くても原発の後始末には、膨大な費用と時間がかかることを忘れないで欲しいと思います。つまり、「あの党は原発反対だから投票しよう」といった簡単な判断では後悔することになるのでしょう。易しいことではありませんが、本当に原発のことを綿密に考えているかどうかを見極めなければなりません。(この回終り)