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人は自分の意志で何かを学び始めるとき、どうすれば最も効率的にその学びに成功するのか、それにはどれくらいの時間や期間が必要なのかについて、あちこちから情報を集め、いろいろと考えて計画を立てるものです。しかし日本人の多くは学校教育のカリキュラムの中で、英語を「学習すべき科目」として義務的に学び始めますから、それについてあれこれ考える必要がありません。したがって、学習の目的や方法について深く考える必要もありません。そのために、「クラスの仲間たちについていければよい」という他律的な態度が身についてしまい、自分で計画を立てて学習を進めていくという自律的態度が育ちません。いつも意識しているのは親の期待と目先のテストや入学試験です。その結果、高校や大学まで6年、8年と学んだ後に、あるとき自分の英語力がきわめて不充分であることに気づいて唖然とすることになります。

 そこで、英語学習を始めたのち何年かたって、英語を自分の個人の生き方にかかわる問題として真剣に捉えようとするとき、人は自分の立ち位置を見失って、どうしてよいか分からないという気持ちになります。そして、このまま英語の学習を続けて行ってはたして使い物になる英語が身につくのだろうか、もう遅過ぎるのではなかろうか、そもそも自分には語学の才能が乏しいのではなかろうかなど、いろいろと疑問がわいてきます。以下では、そういう多くの学習者が抱くと思われる七つの疑問を取り上げて、それらが事実に基づく正しい疑問なのか、あるいは誤った信念に基づく根拠のないものなのかを明らかにしたいと思います。

(1)英語学習はできるだけ早期に始めるのがよいと言われている。だが自分は20歳を超えてしまった。もう遅すぎるのではなかろうか。今から始めて間に合うのだろうか。

(2)英語学習には高度の知的能力が必要なようだ。友人のAさんは頭がよいから英語もよくできる。自分はAさんほど頭がよくない。だから英語の学習能力も劣っているのではなかろうか。

(3)英語学習には性格的にそれに向いている人と向いていない人とがあるようだ。友人のBさんのように社交的な人は得をする。自分は引っ込み思案だから損をする。英語の学習に向いていないのではなかろうか。

(4)英語学習には記憶力がいちばん重要なようだ。自分はどうも単語や熟語の暗記が不得意だ。一所懸命に覚えてもすぐに忘れてしまう。これでは先の見込みがないのではなかろうか。

(5)英語学習に成功する人たちはみな各自の学習方法を知っているようだ。しかし自分はいろいろ試みてみたが、どうしても自分の学習法がつかめない。どうしたらよいのだろうか。

(6)英語は毎日コツコツとやらないと上達しないと言われている。自分はそういうやり方ができない。やる時はやるが、やる気がしないときは全く手がつかない。そういう人間は語学に向いていないのではなかろうか。

(7)英語学習には金がかかる。留学したいが金がない。個人教授を頼みたいが、やはり金がない。財力のない者は英語学習の成功者にはなれないのではなかろうか。

 結論を先に言いますと、これらの疑問や悩みの大部分は、英語学習の基本的な事柄についての学習者の誤った信念または誤解に基づくものです。成功者となるためには、まずそのような間違った信念や誤解から自由になることが大切です。これらの個々の項目については次回以降に順次議論するつもりですが、その前に、議論の基礎となる英語学習の到達レベルについて述べておきます。

 ここで言う英語学習の成功者とは、自分にとって必要な英語力を身につけた人(日本人)のことです。ですから、その到達レベルは個人の必要に応じて異なります。それは必ずしも英語の母語話者と同じレベルに達することを意味しません。母語話者と同じになるためには、英語が常時使われる環境で生活するという、特別な習得環境を必要とします。これは普通の日本人には望めない環境です。日本に住んで日本語で生活をしている普通の日本人の場合には、英語の習得範囲とレベルはずっと限定されます。その獲得能力は決して自分の母語の運用力を超えることはありません。その主な理由は成人の外国語学習は常に母語を基礎として学習されるからです。ですから、バイリンガルを見て自分もそのようになりたいと心から望む人は、現在の言語環境を全面的に変える必要があります。しかし、たいていの日本人はそうではなく、これまで通り日本語を使いながら英語もあるていど自由に使えるようになりたいと思っているのではないでしょうか。ここでの議論はそういう人たちのためのものです。 (To be continued.)