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(125)<初夢続き>松山薫

Author: 松山 薫

(125) 初夢−続き

 それからしばらく経った冬の泊まり勤務の深夜のことだった。仕事が一段落した午前2時過ぎ、いつものように、数人のスタッフが部室の片隅にあるソファ・コーナーに集まって、軽食を始めることになり、私は私物を入れてあるロッカーへ自家製のサンドイッチを取りに行った。薄暗い廊下の片側の壁にそって80人分のロッカーが並んでいる。私のロッカーの数メートル先にある平八郎君のロッカーの前に黒い人影が見えた。飲みすぎて電車がなくなり、仮眠室に寝に来たなと思って、「やあ」と声をかけると、人影はス‐ッと仮眠室へ通ずる階段の方へ消えていった。朝になったら「お早うございます」と言ってノコノコ出てくるだろうと気にも留めていなかったが、彼は現れなかった。

 泊まり明け勤務を終えて帰宅すると、家内が「田丸デスクから電話で、帰ったら直ぐ電話するように」という伝言があったという。何か原稿に重大な誤りでもあったかと思って電話すると、「佐藤平八郎が死んだ。変死なので警察の検死があるかもしれないから直ぐ彼の下宿へ行ってくれ。俺もなるべく早く行くようにする」と言うなり電話を切ってしまった。私の頭には一瞬“失恋自殺”という思いがよぎった。

 京浜東北線大森駅近くの彼の下宿へ駆けつけると、すでに田丸デスクはじめ数人の部員が来ていた。死因は一酸化炭素中毒だということだった。酔って帰って石油ストーブに火をつけ、そのまま寝込んでしまったらしい。不完全燃焼で天井は真っ黒になっていた。通夜の席で、私は、当夜一緒に飲んだという同僚に、彼は一旦局へ寝に来たようだったがと訊ねると、「いやそんなことはありません。」一緒に新橋駅まで行き、彼は終電車に乗るために階段を真っ直ぐ上っていったというのである。そうすると、ロッカーの前のあの人影はなんだったのか。

 それから2年後の冬、数人の同僚で福島県の猪苗代へスキーに行く途中、佐藤平八郎君の実家へ立ち寄って3回忌の線香を上げさせてもらうことになった。水郡線のいわき石川駅で降り駅前の雑貨屋で彼の家への道筋を聞いたところ、店の主人に「もしかして平八郎さんのお知り合いの方ですか」と尋ねられ「そうですが」と答えると「大変惜しい人を亡くしました。町では評判の秀才で、皆期待していました」と言う。この町から現役で東大に入ったのは彼が二人目だということだった。

 佐藤家では、突然の訪問にもかかわらず、母堂と姉上が、心から歓迎してくれた。通された部屋は彼が高校時代に勉強部屋にしていたところだということで、当時そのままに残されていた。自慢の息子の思い出をとつとつと語る母親の顔を私は正視できなかった。帰り際に姉上が、菩提寺の名を告げ、直ぐ近くだからよかったら墓参りをしてやってくれないかと言った。乗り継ぎの時間が迫っていて墓参はかなわなかったが、私は必ずもう一度来ると心に決めた。

 雪解けの3月に私は一人で再び石川町を訪れた。駅前の雑貨屋で買い物をし、寺の位置を確かめ、小高い丘の上にある菩提寺へ行った。住職にお経を上げてもらい、花と線香を供え、ヒューヒューと泣くような寒風のなかで冥福を祈った。山門から町を見下ろすと、彼が中学・高校へ通った白い一本道が町はずれへ向かって伸びていた。私はふと、彼はこの道のような真っ直ぐな人生を歩きたいと願っていたのではないかと思った。

 その日は、大子温泉に泊まった。季節はずれのためか、旅館はひっそりとしており、私のほかには宿泊客はいないようで、夕食を運んできた仲居さんは、晩酌の相手をしてくれた。名物のこんにゃくの刺身や久慈川の鮎を肴に、なんとなく肩の荷を下ろしたような気分で酔って、寝る前にひと風呂浴びようと大浴場へ行くと、ここにも誰も居らず、大きな浴槽の縁に身を沈めて滾々と湧き出るお湯を見ているうちに、ついうとうとしたらしい。誰かが呼んでいる声でハッと我に返ったが、誰もいなかった。湯船の向こう側から溢れて流れ出る湯で湯気が立ち上り、全面ガラスの向こう側は漆黒の闇だった。

翌朝、朝餉を運んできた仲居さんに、その話をして、確かに闇の中で人の声がしたようだったというと、「ああ、それなら、下の川のせせらぎが、風向きによって、そんな風に聞こえるんですよ。幽霊でも出たと思ったんですか」と言って笑った。

 あれから50年、平八郎君のことはたびたび夢に見たが、初夢に現れたのは初めてだった。「安全地帯に身を潜めていては社会は変わらない」というマハトマ・ガンジーの言葉を思い出して、自分の分まで生きて欲しいという年頭のエールだったと受け止めたい。(M)