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外国語学習には高度な知的能力が必要だということは、疑いのない事実として、一般に受け入れられているように思います。英語も日本人にとっては外国語ですから、その学習には高度な知的能力が必要だということになります。しかしそうなると、英語の学習に成功する人は知的能力の高い人(つまり頭のよい人)であり、失敗する人はその能力の低い人(つまり頭のわるい人)ということになりますが、本当にそう言いきってよいものでしょうか。

 まず「知的能力」とは何でしょうか。一般の人たちは、その問いを聞いて、「知能検査」や「知能指数」(IQ)を思い浮かべるのではないでしょうか。過去にそのような検査を1度か2度受けたことのある人も多いことでしょう。筆者も昭和11年頃、小学校に入学する前後だったと思いますが、「知能検査」のようなものを受けさせられた記憶があります。しかしその結果がどうだったのかについては記憶していません。両親がそれについて何か話をしていたことを、かすかに覚えているだけです。この「知能検査」というのは、20世紀の初頭にスピアマン(Spearman)という人が「一般知能」という概念を導入し、ビネー(Binet)が知能検査の端緒を拓いて以来、急速に普及したものでした。しかしそこで測られるものが何であるかについては、今日に至るまで議論が続いています。

 近年、「知能」(intelligence)に関する問題は、「認知」(cognition) という用語によって、より幅広い領域にわたって議論がなされています。それはあらゆる精神作用と関連しています。たとえば知識の獲得、記憶、注意、学習、情報の処理、思考、評価、判断、問題解決、意志決定など、精神科学が扱うほとんどすべての領域にまたがります。あまりにも広すぎて、研究者自身も自分の立ち位置がよく分かっていないのではないかと思われるほどです。それほどまでに、現代の認知科学は人間のすべての意識的な精神活動を扱おうとしています。

 そういう中から私たちの英語学習に役立つ情報を探り出すのは容易ではありませんが、筆者の理解するところ、現代の認知発達心理学者の多くは、知能を構成するものの一部に遺伝的に規定された生得的な因子が含まれていると考えているようです。その因子は ‘g ’ (general factor)と呼ばれ、それが知能という概念を構成するものの中心にあると言います。しかしもちろん、私たちの知的な活動が ‘g’ によって決まってしまうわけではありません。私たちは母の胎内にいた時から、与えられた独自の環境の中で育ちますから、その影響を受けないはずがありません。一般的に言って、私たちの知能の発達は遺伝的な要素と環境的な要素が複雑に交差しており、どちらがより多くの割合を占めるかは一概には言えません。研究者によっては遺伝的要素が50% 以上と言う人もありますが、それはあくまで大量のデータを処理した統計的な数値であって、実際には一人ひとり違います。このような数値にこだわるのは、学習者としては賢明ではありません。

 言語の学習には、他の分野の学習には見られない大きな特徴があります。それは、子どもの母語の習得が成人の第2言語(または外国語)の習得とは非常に違うことです。多くの子どもは母語の習得に成功しますが、その同じ子どもが成人になると、第2言語の習得には失敗することが多いということです。なぜそうなのかを説明することは容易ではありませんが、結局のところ、幼児の言語習得には遺伝的要素が大きな役割を演じるのに対して、成人の言語学習にはそれがあまり機能しないということのようです。つまり、成人は母語の習得で利用していた生得的な言語習得能力の多くを失ってしまうということです。(筆者の個人的な見解では、成人はその能力の全部を失ってしまうわけではなく、無意識的な学習においては、その一部を利用していると考えています。)

 もう一つの違いは、習得や学習の環境です。成人の外国語学習は子どもの自然な母語習得とは違って、ほとんどすべての学習過程が人工的に設定されたものになります。日本では、英語の学習は学校の教育課程の中に教科として組み込まれていますから、他の教科と同様に、学習者のすでに持っている知的な能力が大きな役割を果たすことはむしろ当然のことです。すべての教科の学習に共通する知能因子 ‘g’ が存在するとしても、個人の全体的学習能力に差があることは当然です。そこで重要なのは、その個人差を「格差」(人格の差)と捉えるか「個性」(特性の差)と捉えるかです。それによって学習の方向は非常に違ったものになります。「格差」と捉えるならば、学習の前途は真っ暗闇です。「個性」と捉えるならば、前途は洋々です。知能検査や安直な学力テストの結果から、「頭がよい」とか「頭がわるい」とかを、そう簡単に決められてはたまりません。(To be continued.)